12月23日を今年最後の出勤日にすることにした.この日は前日までと違って,研究所前の大規模駐車場のスペースもたくさん空いていたし,バスの乗客数も,道路の交通量も格段に減っていた.どうやら,クリスマスシーズンも長期休暇を取る人が多いようだ.研究所も全然人がいなくて,ものすごく寂しい最終日であった.
それにしても,クリスマスシーズンもいろいろなものがストップする.仕事ももちろんそうだ.現在,あちこちの政府機関に調査の依頼をしているのだが,その関係者に全然連絡が取れなくなって,少し焦っている.恐らく1月上旬にならないと職場に出てこないのかも知れない.
ローマは24日,25日と天気が悪かった.ヨーロッパ全体的に悪天候のようで,イタリアでも北部で大雨と高潮による洪水や土砂崩れが発生している.ローマはまだましな状況のようだが,せっかくのクリスマスにすっかり家の人になってしまった.まあどうせどこに行っても休業だから.
それにしても,4月に滞在を開始してから8ヶ月,本当にあっという間であった.このブログのネタを切らすことがないくらいに様々な体験をした.残り3ヶ月しかないと考えると,まだまだ行っていないところもたくさんあるし,来伊前に想定していた仕事のペースからかなり遅れているので,来年はかなり忙しい日々を過ごさないといけない.
そういう我々も明日からバカンスに出かけるので,このブログは1月10日前後まで一時休止します.
バカンスに出発する前に,もはや一大イベントと化した同行家族の滞在許可証の審査が明朝一番に控えているので,気分としてはまだまだ今年が終わった気分にはなっていない.新年最初の更新は,たぶんこの審査の顛末に関することとなるだろう.ところで,審査がとっくに終わって発行を待つばかりとなっている私の滞在許可証も,あれから3ヶ月以上経っているのに,一向に出来上がってくる気配がない.残り期間を考える実効的な意味は皆無なので,せめて記念品として欲しいものだ.
それでは良いお年をお迎え下さい.
私,仕事の都合で1年間弱ローマに滞在することになりました.今までブログをやっている時間はまったくと言っていいほどなかったのですが,この際ローマで経験したことを記録として残しつつ,現地の最新情報を提供できればと考え,初めてブログに手を出してみました.
2010年12月26日日曜日
あまりに国内に偏重するイタリアのテレビニュース
12月23日の午後,ローマにあるいくつかの大使館で郵便物が爆発するという事件(未遂を含む)が起きた.残念なことに複数の大使館員が重傷を負っている.12月に入ってから,何からイタリアが一気にきな臭くなってきた.クリスマス時期でもあって,最近はあちらこちらで爆竹が鳴っているのだが,一瞬,この音がテロの音なのかとか,治安部隊がデモに対して威嚇弾を発射している音なのかとか,思ってしまうほどだ.
この爆発事件の報道で驚いたことがある.我が家では,国営放送のRAI Unoからほとんどテレビのチャンネルを変えない.国営放送らしく,ニュース番組は結構な頻度で流れている.23日夜のニュース番組のトップニュースは,国内政治事情に関するものであった.これを10分くらいやってから,ようやく爆発事件のニュースである.それも事実を淡々と伝えただけで,あっさり終了.
この扱いには正直言って驚いた.爆発事件は左翼過激派から犯行声明が出ており,ベルルスコーニ体制の転覆を狙ったものであるそうで,大使館はその巻き添えである.きちんと対応しないと,イタリアの政治や治安の対外的信頼を損なう(既に十分損なっているが...)大事件となるはずだ.メディアにその意識がないのであろうか? 最も,国営放送も政府から体制に有利な報道をするように圧力がかかっているらしいので,意識があっても出来ないのかも知れない.
またRAI Unoのニュースはほとんどが国内のものであって,国際関係の情報が大変少ないと感じている.イタリアでは多くの国民がテレビのみから情報を仕入れるのだそうだが,これでは国内のことにしか興味を持たなくなるだろう.もっとも,国民的にあまり国外のことに興味がないから,ニュースの取り扱いもそれを反映しているのかもしれない.
この爆発事件の報道で驚いたことがある.我が家では,国営放送のRAI Unoからほとんどテレビのチャンネルを変えない.国営放送らしく,ニュース番組は結構な頻度で流れている.23日夜のニュース番組のトップニュースは,国内政治事情に関するものであった.これを10分くらいやってから,ようやく爆発事件のニュースである.それも事実を淡々と伝えただけで,あっさり終了.
この扱いには正直言って驚いた.爆発事件は左翼過激派から犯行声明が出ており,ベルルスコーニ体制の転覆を狙ったものであるそうで,大使館はその巻き添えである.きちんと対応しないと,イタリアの政治や治安の対外的信頼を損なう(既に十分損なっているが...)大事件となるはずだ.メディアにその意識がないのであろうか? 最も,国営放送も政府から体制に有利な報道をするように圧力がかかっているらしいので,意識があっても出来ないのかも知れない.
またRAI Unoのニュースはほとんどが国内のものであって,国際関係の情報が大変少ないと感じている.イタリアでは多くの国民がテレビのみから情報を仕入れるのだそうだが,これでは国内のことにしか興味を持たなくなるだろう.もっとも,国民的にあまり国外のことに興味がないから,ニュースの取り扱いもそれを反映しているのかもしれない.
2010年12月22日水曜日
政情不安の影:教育改革法案の行方
今月のイタリアは政情不安である.今日は,その原因となっている教育改革法の上院での採決の日だったそうだ.国営放送の朝のニュースも,法案採決に伴う混乱について特集していた.この法案は今月初めに下院で可決され,その時も大きなデモがイタリア全土で繰り広げられ,著名な観光施設も入場不可能となったり,交通も止められたりした.次は,多くの車が燃え,100人以上の負傷者を出した内閣不信任案騒動に絡む先週の大規模デモ.この日も交通が終日混乱して,帰宅するのにいつもの1.5倍の時間がかかった(方向によってはなかりひどかったと思う).
今日はボイラー故障の対応もあって,朝子供達を学校に送ってきた以外は一日家にいた.結果的にこれが大正解だ.仕事をしながら時折新聞社のWebを閲覧してデモの進行状況を確認する.今日はローマ,トリノ,パレルモ当たりが特にひどかったようだ.
私にとって困ったことは,改革法を管轄する教育省が通勤経路上にあることだ.採決の場となる上院近辺(今日はNavona広場は観光どころではなかったのではないだろうか)と教育省のあるTrastevere,ローマ大学近辺はデモの影響でかなり混乱するだろうと読んでいたのだが,やはりそのようだった.
法案の採決は明日に延期?になったようで,学生達もNapoletano大統領にプレッシャーを掛けている.最終的には彼の署名が必要なはずで,その最終判断がどうなるかに注目だ.早く混乱を収拾して欲しいものだが.
今日はボイラー故障の対応もあって,朝子供達を学校に送ってきた以外は一日家にいた.結果的にこれが大正解だ.仕事をしながら時折新聞社のWebを閲覧してデモの進行状況を確認する.今日はローマ,トリノ,パレルモ当たりが特にひどかったようだ.
私にとって困ったことは,改革法を管轄する教育省が通勤経路上にあることだ.採決の場となる上院近辺(今日はNavona広場は観光どころではなかったのではないだろうか)と教育省のあるTrastevere,ローマ大学近辺はデモの影響でかなり混乱するだろうと読んでいたのだが,やはりそのようだった.
法案の採決は明日に延期?になったようで,学生達もNapoletano大統領にプレッシャーを掛けている.最終的には彼の署名が必要なはずで,その最終判断がどうなるかに注目だ.早く混乱を収拾して欲しいものだが.
またまたボイラーの故障
昨日の火曜日,再びボイラーが故障がした.前回修理してから3週間弱といったところで,再度のトラブルだ.溜息をつく暇なく,日本人会のM氏に大家と連絡を取ってもらう.すると,「例のテクニコ(技術者)がクリスマス休暇中で1月5日までローマにいない」と驚きの情報が入る.「替わりの人を探します」ということになったが,前回もそんな人は見つからなかったし,一体どうなるのかとやきもきする.
少し時間が経ってからM氏から電話が入り,「大家が替わりの人を見つけた.今日の夕方6時以降か最悪明日の昼までに何とかする」とやや希望が持てる状況になった.替わりも人も相当忙しいみたいだ.あちこちでボイラーが不調なのかも知れない.
結局,待てども火曜日中には来ることはなかった.これが日本なら,来られないとの連絡くらいは入るだろうと考えると腹立たしい.
お陰で今朝は出勤はあきらめて自宅待機だ.すると9時頃にM氏から「あと30分くらいしたらSというテクニコが行くから」という連絡を受ける.本当に30分後に若い技術者を同行してそのSテクニコがやってくる.結果から言うと,ボイラーの下のつまみを回しただけで,再びボイラーが機能するようになった.大家とどんな話になっていたのかは分からないが,処置は5分も係らないで終わって,「水圧が弱くなったら,つまみを回すと水圧が上がるから(イタリア語なので想像)」というアドバイスをもらい,お金を受け取ることなく「Va buon natale(よいクリスマスを)」といって立ち去っていった.
それにしても,前のテクニコも,自分である程度対応できる簡単な仕組みなら,そう説明してくれればいいのにと思う.人によって対応がものすごく異なる.これがイタリアだ.
ところで,インターネットで「イタリア ボイラー 故障」と検索を掛けて見たのだが,いろいろな人の経験談が多数紹介されていることに気がついた.「イタリアの水道水はカルシウムを多く含んでいるから詰まりやすい」という新情報を得ることが出来たのが何よりだ.面白かったのは,何故かイギリスでのボイラー故障経験談も同時に多数ヒットし,そちらの状況もイタリア並みだということが分かったことである.このような問題に悩まない日本はやはりすごいと思う今日この頃だ.
少し時間が経ってからM氏から電話が入り,「大家が替わりの人を見つけた.今日の夕方6時以降か最悪明日の昼までに何とかする」とやや希望が持てる状況になった.替わりも人も相当忙しいみたいだ.あちこちでボイラーが不調なのかも知れない.
結局,待てども火曜日中には来ることはなかった.これが日本なら,来られないとの連絡くらいは入るだろうと考えると腹立たしい.
お陰で今朝は出勤はあきらめて自宅待機だ.すると9時頃にM氏から「あと30分くらいしたらSというテクニコが行くから」という連絡を受ける.本当に30分後に若い技術者を同行してそのSテクニコがやってくる.結果から言うと,ボイラーの下のつまみを回しただけで,再びボイラーが機能するようになった.大家とどんな話になっていたのかは分からないが,処置は5分も係らないで終わって,「水圧が弱くなったら,つまみを回すと水圧が上がるから(イタリア語なので想像)」というアドバイスをもらい,お金を受け取ることなく「Va buon natale(よいクリスマスを)」といって立ち去っていった.
それにしても,前のテクニコも,自分である程度対応できる簡単な仕組みなら,そう説明してくれればいいのにと思う.人によって対応がものすごく異なる.これがイタリアだ.
ところで,インターネットで「イタリア ボイラー 故障」と検索を掛けて見たのだが,いろいろな人の経験談が多数紹介されていることに気がついた.「イタリアの水道水はカルシウムを多く含んでいるから詰まりやすい」という新情報を得ることが出来たのが何よりだ.面白かったのは,何故かイギリスでのボイラー故障経験談も同時に多数ヒットし,そちらの状況もイタリア並みだということが分かったことである.このような問題に悩まない日本はやはりすごいと思う今日この頃だ.
古代ローマの遺産めぐり:Appia旧街道周辺(2)
古代ローマで道路と双璧をなす有名なインフラは水道である.何十キロも離れたところから緩やかな傾斜の付いた水道橋を介して,ローマに新鮮な水道水を供給していたのである.
このAppia旧街道から少し離れたところに,水道橋が部分的に残っている大きな公園がある.ここに是非行ってみたかったのだが,これまで実現していなかった.旧街道を探索したついでに足を伸ばすことにした.単に遺跡というと子供達がいやがるので,「そこはサッカーや野球で遊べるから行こうよ」とそそのかして連れて行く.
この公園の名前は,Parco degli Acquedottiと言う.Appia旧街道と違って,ここは公共交通,しかも地下鉄でアクセスできるのだ.駐車場スペースもそれなりに確保されている.水道橋は細長い公園を横切った奥の方に見ることが出来る.公園のあたりは2~3スパンしか残っていないが,少し歩くと比較的何十スパンも連続して残っている区間も見ることが出来る.高さは10mはないくらいだろうか.しばらく子供達をサッカーで遊ばせて,私はカメラ撮影にいそしむ.
ローマの水道を見るのはこれが三つ目である.最初はスペインのセゴビア,次は同じくスペインのタラゴナだ.残念ながらこれらと比べて本家の保存状態は良くない.セゴビアは街中にある水道橋,タラゴナは確か谷を越える水道橋だったと思う.一方,この公園の水道橋は,平地の水道橋で,スペインの二つとは異なる趣がある.ピクニック気分でのんびりと眺めるのにちょうどよい.やや残念なのは,すぐ脇を現在のインフラである鉄道が通っていて,列車数が多くて意外にうるさいことか.次は南仏のポンデュガールを見たい.
このAppia旧街道から少し離れたところに,水道橋が部分的に残っている大きな公園がある.ここに是非行ってみたかったのだが,これまで実現していなかった.旧街道を探索したついでに足を伸ばすことにした.単に遺跡というと子供達がいやがるので,「そこはサッカーや野球で遊べるから行こうよ」とそそのかして連れて行く.
この公園の名前は,Parco degli Acquedottiと言う.Appia旧街道と違って,ここは公共交通,しかも地下鉄でアクセスできるのだ.駐車場スペースもそれなりに確保されている.水道橋は細長い公園を横切った奥の方に見ることが出来る.公園のあたりは2~3スパンしか残っていないが,少し歩くと比較的何十スパンも連続して残っている区間も見ることが出来る.高さは10mはないくらいだろうか.しばらく子供達をサッカーで遊ばせて,私はカメラ撮影にいそしむ.
ローマの水道を見るのはこれが三つ目である.最初はスペインのセゴビア,次は同じくスペインのタラゴナだ.残念ながらこれらと比べて本家の保存状態は良くない.セゴビアは街中にある水道橋,タラゴナは確か谷を越える水道橋だったと思う.一方,この公園の水道橋は,平地の水道橋で,スペインの二つとは異なる趣がある.ピクニック気分でのんびりと眺めるのにちょうどよい.やや残念なのは,すぐ脇を現在のインフラである鉄道が通っていて,列車数が多くて意外にうるさいことか.次は南仏のポンデュガールを見たい.
古代ローマの遺産めぐり:Appia旧街道周辺(1)
先週の土曜日,午前中にタイヤのパンク修理がようやく終了し,翌日日曜日は天気が悪いことが予想されたので,午後に近場でどこかに行こうということになった.
10月末の東京出張の時に「地図で旅する永遠の都ローマ物語」という,古代ローマの4世紀の復元地図をベースとした当時の旅人を主人公とした滞在記の大型本を買ってきて,現在それを読んでいる.その最初の章がAppia街道を通ってローマ市内に入る場面なのだが,そう言えばAppia旧街道をきちんと見ていないことを思い出したので,早速Appia旧街道エリアの探索に出かけることにした.
Caracalla浴場から南東に1kmくらいの所にあるSan Sebastiano門がAppia旧街道のスタート地点である.街道はそこから南東方向に向かうが,スタートからムード満点だ.路面はもちろん古代のものとは異なるが石畳である.門から100mくらいのところに,一本目のマイル柱石,すなわち起点の標識,が壁に埋め込まれている.交通の専門家として,これは写真を撮らなければならない.やや顰蹙を買いながらそのそばに路駐して,反対側の路側から写真を撮る.信号待ちの列がこの位置まで延びてきていたが,写真を撮っている私を見て,親切にかぶらないように車間を開けて停車してくれた.
その後,旧街道を進む.この道は,日曜日は車両通行禁止になって,自転車や歩行者に開放される.土曜日は交通量も少ないので,風景に感心しながらトロトロ走っていると,後ろから車が高速でバンバン追い抜いていく.石畳なので,もちろん乗り心地は相当悪い.替えたばかりの中古タイヤの様子が少し気になる.
古代のAppia旧街道の沿道は,お墓だらけだったそうだ.そのため,このエリアはキリスト教公認前のローマ式お墓と,キリスト教のカタコンペの宝庫である.その影響か,沿道の人口は少ないようだ.石畳の上をけたたましく走る車がいなければ,相当に静かであろう.もちろん,これらのお墓やカタコンペは見学可能であるが,これまでの経験上入場料の高さの割に大きな感動を得られないので,今回はやめることに.なお旧街道は,著名なCecillia Metellaの墓(サイロみたいな形をしたやつ)の先は,進入禁止(一方通行)となっていて折り返さなければならない.
折り返したついでに,ローマの七大バジリカの一つであるSan Sebastiano聖堂に立ち寄ってみた.外観も内装も取り立てて素晴らしいものではない至って普通の聖堂だが,一時,イエス・キリストの使徒パウロとペテロがこの地に埋葬されていたのだそうだ.それで七大バジリカの一つなのかな?
10月末の東京出張の時に「地図で旅する永遠の都ローマ物語」という,古代ローマの4世紀の復元地図をベースとした当時の旅人を主人公とした滞在記の大型本を買ってきて,現在それを読んでいる.その最初の章がAppia街道を通ってローマ市内に入る場面なのだが,そう言えばAppia旧街道をきちんと見ていないことを思い出したので,早速Appia旧街道エリアの探索に出かけることにした.
Caracalla浴場から南東に1kmくらいの所にあるSan Sebastiano門がAppia旧街道のスタート地点である.街道はそこから南東方向に向かうが,スタートからムード満点だ.路面はもちろん古代のものとは異なるが石畳である.門から100mくらいのところに,一本目のマイル柱石,すなわち起点の標識,が壁に埋め込まれている.交通の専門家として,これは写真を撮らなければならない.やや顰蹙を買いながらそのそばに路駐して,反対側の路側から写真を撮る.信号待ちの列がこの位置まで延びてきていたが,写真を撮っている私を見て,親切にかぶらないように車間を開けて停車してくれた.
その後,旧街道を進む.この道は,日曜日は車両通行禁止になって,自転車や歩行者に開放される.土曜日は交通量も少ないので,風景に感心しながらトロトロ走っていると,後ろから車が高速でバンバン追い抜いていく.石畳なので,もちろん乗り心地は相当悪い.替えたばかりの中古タイヤの様子が少し気になる.
古代のAppia旧街道の沿道は,お墓だらけだったそうだ.そのため,このエリアはキリスト教公認前のローマ式お墓と,キリスト教のカタコンペの宝庫である.その影響か,沿道の人口は少ないようだ.石畳の上をけたたましく走る車がいなければ,相当に静かであろう.もちろん,これらのお墓やカタコンペは見学可能であるが,これまでの経験上入場料の高さの割に大きな感動を得られないので,今回はやめることに.なお旧街道は,著名なCecillia Metellaの墓(サイロみたいな形をしたやつ)の先は,進入禁止(一方通行)となっていて折り返さなければならない.
折り返したついでに,ローマの七大バジリカの一つであるSan Sebastiano聖堂に立ち寄ってみた.外観も内装も取り立てて素晴らしいものではない至って普通の聖堂だが,一時,イエス・キリストの使徒パウロとペテロがこの地に埋葬されていたのだそうだ.それで七大バジリカの一つなのかな?
2010年12月19日日曜日
やっと解決したタイヤパンク問題
12/3の朝に子供達を学校に送った帰りに車のタイヤがパンクした.側面が切れているので,タイヤ交換が必要である.まあ,タイヤを交換するだけなので,夏に経験した窓ガラスの修理よりは簡単そうだ.そう思ったのが大きな間違いだった.
スペアタイヤに付け替えて,早速窓ガラス修理で世話になった整備工場に持って行く.その時に対応してくれた作業員Aは,若手作業員Bを読んで彼に私の対応をさせる.Aと違って多少の英単語を交えて話してくれるのが救いだ.「タイヤが特殊だから手持ちのものでは対応できない.納品まで待って欲しい(一部の内容は想像)」ということになった.「翌週火曜日の夕方に来て欲しい」ということだったのでその日に行ってみると,今度はAが対応し,「タイヤが特殊だからまだまだ時間がかかるようだ(一部の内容は想像)」と言われる.Quando(いつなの)?と聞くと,何やらぐちゃぐちゃ言っている.相変わらず,こちらが言葉が分からなくてもお構いなしである.たまらず紙を差し出して日にちを書いてもらうと,16/12/2010?と書くではないか.たかがタイヤに10日もかかるのか.?が気になったが,「16日にまた来ます」といって立ち去る.
仕方ないので16日までは極力車に乗らないように心がけ,16日朝に整備工場に向かう.すると,Bが出てきて,「まだ届いていない,たぶん今日か明日だと思うので,電話して欲しい」と言われる.「電話しても言葉が通じないので明日夕方にまた来ます」といって立ち去る.
翌17日,この日は昼頃から初雪が降った.夕方に行こうと思っていたが雪が積もりそうな雰囲気だったので,午後3時頃に整備工場に向かう.今度はAが出てきて,「まだ届いていない.特殊だからもうちょっと待って」と言うではないか.再び紙を差し出していつなのか書いてもらうと,23/12/2010?と書く.一週間先にも関わらず再び?だ.
さすがにもう切れた.イタリア語で「タイヤを持って行くけどいい?」と言ってから,英語で「話にならない.待てないからもう別の所にお願いする」と伝える.すると,手とトランクが汚れるからこれを使えという感じで大きなビニール袋をくれる.
翌18日朝,土曜日だったがイタリア語が出来る知り合いにお願いして,薦めてもらったタイヤ専門店に一緒に行ってもらう.すると,「取り寄せれば来週水曜日には入る.ただ,緊急なら似たような性能の中古があるけどどうする?」ということになったので,それでお願いすることに.40分くらいの作業で付け替えが完了し,「新品でなくていいの?」と言うので,「この車はもうすぐ返すからこれでいい」と返答.結局工賃だけで30ユーロでタイヤ交換が済んだ.ホント,最初からここにお願いするんだった.
それにしてもルノー特約整備工場の部品発注・管理システムはどうなっているんだと思う.もうちょっと遅くなると,クリスマス休暇で対応が更に先延ばしになるところだったようなので,めでたしめでたしだ.
スペアタイヤに付け替えて,早速窓ガラス修理で世話になった整備工場に持って行く.その時に対応してくれた作業員Aは,若手作業員Bを読んで彼に私の対応をさせる.Aと違って多少の英単語を交えて話してくれるのが救いだ.「タイヤが特殊だから手持ちのものでは対応できない.納品まで待って欲しい(一部の内容は想像)」ということになった.「翌週火曜日の夕方に来て欲しい」ということだったのでその日に行ってみると,今度はAが対応し,「タイヤが特殊だからまだまだ時間がかかるようだ(一部の内容は想像)」と言われる.Quando(いつなの)?と聞くと,何やらぐちゃぐちゃ言っている.相変わらず,こちらが言葉が分からなくてもお構いなしである.たまらず紙を差し出して日にちを書いてもらうと,16/12/2010?と書くではないか.たかがタイヤに10日もかかるのか.?が気になったが,「16日にまた来ます」といって立ち去る.
仕方ないので16日までは極力車に乗らないように心がけ,16日朝に整備工場に向かう.すると,Bが出てきて,「まだ届いていない,たぶん今日か明日だと思うので,電話して欲しい」と言われる.「電話しても言葉が通じないので明日夕方にまた来ます」といって立ち去る.
翌17日,この日は昼頃から初雪が降った.夕方に行こうと思っていたが雪が積もりそうな雰囲気だったので,午後3時頃に整備工場に向かう.今度はAが出てきて,「まだ届いていない.特殊だからもうちょっと待って」と言うではないか.再び紙を差し出していつなのか書いてもらうと,23/12/2010?と書く.一週間先にも関わらず再び?だ.
さすがにもう切れた.イタリア語で「タイヤを持って行くけどいい?」と言ってから,英語で「話にならない.待てないからもう別の所にお願いする」と伝える.すると,手とトランクが汚れるからこれを使えという感じで大きなビニール袋をくれる.
翌18日朝,土曜日だったがイタリア語が出来る知り合いにお願いして,薦めてもらったタイヤ専門店に一緒に行ってもらう.すると,「取り寄せれば来週水曜日には入る.ただ,緊急なら似たような性能の中古があるけどどうする?」ということになったので,それでお願いすることに.40分くらいの作業で付け替えが完了し,「新品でなくていいの?」と言うので,「この車はもうすぐ返すからこれでいい」と返答.結局工賃だけで30ユーロでタイヤ交換が済んだ.ホント,最初からここにお願いするんだった.
それにしてもルノー特約整備工場の部品発注・管理システムはどうなっているんだと思う.もうちょっと遅くなると,クリスマス休暇で対応が更に先延ばしになるところだったようなので,めでたしめでたしだ.
ローマで教会廻り(7):美術館としての教会
ローマにある教会はたぶんその全てがカトリックである.少し聞きかじったところでは,カトリックは神の存在を偶像化しても構わないそうなのだが,プロテスタントは一切ダメなのだそうだ.教会にある数々の美術作品は,キリシタンではない私から見たら単なる美術品であるが,カトリック教徒から見ればこれらは神の代理の存在なのかも知れない.ローマがプロテスタントだったら,教会の外観や内装は地味となり,教会廻りはたいそうつまらなかったことだろう.まあ,そうだったら観光ガイドにも掲載されないのであるが.
教会本体としては特徴があるわけではないが,少数ながら著名な美術品を収蔵する教会は多い.Gesu教会の次にそのような教会を二つ訪れた.まずはSant'Andrea delle Fratte教会.この教会はスペイン階段にほど近い位置にあり,Gesu教会からVenezia広場,Corso通り,Treviの泉を経由して徒歩で向かう.ここにはベルニーニの天使像がある.このコピーはSant'Angelo城正面手前のテベレ川に架かる橋の上に設置されている.あいにく内部が修復工事中であるので,片方はよく見えない.それにしても彼の作品は素直に素晴らしいと思う.
ここからNavona広場方面に戻ることにした.レストランの予約時間まではまだ二つくらいは立ち寄れそうであったので,次にカラヴァッジョの三部作があるSan Luigi dei Francesi教会に向かうが,何かをやっていて残念ながら中に入れない.仕方ないので,そのそばのSant'Agostino教会に向かう.ここも中では何か儀式をやっていたのだが,入ることが出来た.ここにもカラヴァッジョの作品がある.例によってあの暗い背景に青白く見える人の組み合わせで暗い屈折した感じなのだが,なぜかこれに惹かれるのだ.その他,ラファエロのフレスコ画などもあり,ちょっとした美術館として15分も立ち寄ればいい.ちなみに,ここも内部は修復中であった.本当にローマの歴史遺産保護は大変そうである.
教会本体としては特徴があるわけではないが,少数ながら著名な美術品を収蔵する教会は多い.Gesu教会の次にそのような教会を二つ訪れた.まずはSant'Andrea delle Fratte教会.この教会はスペイン階段にほど近い位置にあり,Gesu教会からVenezia広場,Corso通り,Treviの泉を経由して徒歩で向かう.ここにはベルニーニの天使像がある.このコピーはSant'Angelo城正面手前のテベレ川に架かる橋の上に設置されている.あいにく内部が修復工事中であるので,片方はよく見えない.それにしても彼の作品は素直に素晴らしいと思う.
ここからNavona広場方面に戻ることにした.レストランの予約時間まではまだ二つくらいは立ち寄れそうであったので,次にカラヴァッジョの三部作があるSan Luigi dei Francesi教会に向かうが,何かをやっていて残念ながら中に入れない.仕方ないので,そのそばのSant'Agostino教会に向かう.ここも中では何か儀式をやっていたのだが,入ることが出来た.ここにもカラヴァッジョの作品がある.例によってあの暗い背景に青白く見える人の組み合わせで暗い屈折した感じなのだが,なぜかこれに惹かれるのだ.その他,ラファエロのフレスコ画などもあり,ちょっとした美術館として15分も立ち寄ればいい.ちなみに,ここも内部は修復中であった.本当にローマの歴史遺産保護は大変そうである.
ローマで教会廻り(6):Il Gesu
Santa Maria Sopra Minerva教会の次に訪れたのは,その近くにあるGesu教会である.これはテルミニ駅,共和国広場方面とバチカン方面を結ぶ路線バスが多数走っているローマ中心部の東西方向の軸線道路に隣接していて,周辺はなかなか賑やかである.ガイドブックによれば,ここは夕方の3時間しか入場できないので,敢えて来ないと入れない.
Gesu教会は16世紀に日本にも布教に来たあのイエズス会の教会である.建立も同じ16世紀だ.イエズス会はカトリックの一派だが,宗教改革の嵐が吹き荒れていた時代に,これに抵抗した代表会派の役割を担っていたらしい.
中に入ると,そこは暗くて静寂の世界である.しかし,内装は金色と白い彫像に囲まれて大変豪華に見える.暗すぎて作品がよく見えないので,もう少し明るくしてもいいのではと思う.天井のフレスコ画はキリストを讃えるもの,十字架にかかっているキリストの彫像,といったようにキリスト万歳といった感じの作品が多いようだ.
我々日本人には,やはり日本にやって来たフランシスコ・ザビエル関係の展示物が必見だろう.右側中央付近に,彼の業績を讃える礼拝堂があり,腕の一部が飾られているとの触れ込みなのだが,暗くて何がそれなのかはよく分からないのが難点か.個人的には,ローマに数多くある教会の中でもかなり特殊な教会であると感じた.
Gesu教会は16世紀に日本にも布教に来たあのイエズス会の教会である.建立も同じ16世紀だ.イエズス会はカトリックの一派だが,宗教改革の嵐が吹き荒れていた時代に,これに抵抗した代表会派の役割を担っていたらしい.
中に入ると,そこは暗くて静寂の世界である.しかし,内装は金色と白い彫像に囲まれて大変豪華に見える.暗すぎて作品がよく見えないので,もう少し明るくしてもいいのではと思う.天井のフレスコ画はキリストを讃えるもの,十字架にかかっているキリストの彫像,といったようにキリスト万歳といった感じの作品が多いようだ.
我々日本人には,やはり日本にやって来たフランシスコ・ザビエル関係の展示物が必見だろう.右側中央付近に,彼の業績を讃える礼拝堂があり,腕の一部が飾られているとの触れ込みなのだが,暗くて何がそれなのかはよく分からないのが難点か.個人的には,ローマに数多くある教会の中でもかなり特殊な教会であると感じた.
2010年12月18日土曜日
ローマで教会廻り(5):Santa Maria Sopra Minerva
もう一週間前になるが,夜Navona広場近くのレストランに行くことになり,その前に夕刻の教会をいくつか見ようということになった.その時最初に行ったのが,Santa Maria Sopra Minerva教会だ.この教会は,Pantheonのすぐそばにある.もともとは前1世紀にポンペイウスが作ったMenerva神殿の上に建てられた教会のようだ.
教会のファサードは特段見所がある感じはしないが,広場にはベルニーニ作である象のオベリスクがあり,これはちょっとした見所だ.Cataniaにこれをまねた象のオベリスクがあるが,それより本家の方が遙かにこぢんまりしている.
中に入る,天井が青色で何か神聖な感じに見える.たまたま合唱の練習が行われていて,その響きがその感覚を引き立たせる.ここは教会そのものよりも,そこに所蔵されている美術作品に見るべきものが多いのだそうだ.受胎告知や聖母子といったいつもの主題はもちろんのこと,イエス・キリストの画やミケランジェロ作の彫像,フレスコ画の礼拝堂が有名である.
絵画の善し悪しを判断するのは私の能力では難しいし,ガイドブックに載っている色鮮やかな色彩の作品は現物は色あせていたりして,ガッカリ感もある.そしてその印象をすぐに忘れてしまう.一方,彫刻は複雑で美しい作品ほど価値が高いことは一発で理解できる.彫刻はミケランジェロよりもベルニーニの方が好みである.後者の作品の方がより躍動感が感じられるからである.
この教会は20分くらいで十分に堪能できる.
教会のファサードは特段見所がある感じはしないが,広場にはベルニーニ作である象のオベリスクがあり,これはちょっとした見所だ.Cataniaにこれをまねた象のオベリスクがあるが,それより本家の方が遙かにこぢんまりしている.
中に入る,天井が青色で何か神聖な感じに見える.たまたま合唱の練習が行われていて,その響きがその感覚を引き立たせる.ここは教会そのものよりも,そこに所蔵されている美術作品に見るべきものが多いのだそうだ.受胎告知や聖母子といったいつもの主題はもちろんのこと,イエス・キリストの画やミケランジェロ作の彫像,フレスコ画の礼拝堂が有名である.
絵画の善し悪しを判断するのは私の能力では難しいし,ガイドブックに載っている色鮮やかな色彩の作品は現物は色あせていたりして,ガッカリ感もある.そしてその印象をすぐに忘れてしまう.一方,彫刻は複雑で美しい作品ほど価値が高いことは一発で理解できる.彫刻はミケランジェロよりもベルニーニの方が好みである.後者の作品の方がより躍動感が感じられるからである.
この教会は20分くらいで十分に堪能できる.
2010年12月15日水曜日
ようやくサッカー観戦
ローマに来てからまだやっていないことの一つにサッカー観戦があった.来たばかりの頃はセリエAは終盤にさしかかり,ASローマはインテルと熾烈な首位攻防を繰り広げていた.見に行けばものすごい盛り上がりだったのだろうが,当時はまだそんな精神的余裕はなかったのだ.
秋に始まった今シーズン,ASローマはあんまり調子が良くない.特に滑り出しは最悪で,前年二位のチームが降格圏付近に沈んでいたのだが,最近ようやく勝ちだして6位くらいまで上がってきた.替わりに同じローマをホームとするラツィオの調子がいい.
未だに車のタイヤのパンク問題が決着せず(新品タイヤの納品時期が未定),週末に遠出できない状態が続いている.土曜日は久しぶりに市内観光をしたのだが(これは次回のネタか?),日曜日もせっかくなので何かしようと思っていたが,目覚めた瞬間ににふとサッカー観戦をしようという気になったのだった.起き上がって,急いでコンピュータで日程を調べると,日曜日の午後3時からASローマはホームでASバーリを迎える試合がある.もう十何回しか週末がないし,そのうち多くは旅行に出かけるだろう.やはり最初に見るのはASローマだとすると,半分はアウェーである.そうすると,ローマでASローマの試合を見るチャンスは実質的にあと1~2回しかないかもしれない.
この前売り券はASローマの公式ショップであるRoma Storeで売り出している.思い立ったが吉日,急いでColonna広場に面するRoma Storeに向かい,並ぶことなくチケットをゲットすることができた.この節はもともと選手会のストが予定されていたのと,相手が最下位チームなので,簡単に手に入ったのかも知れない.
ホームスタジアムはローマ北部のStudio Olimpicoで,Popolo広場近くのFlaminia広場から2番トラムで終点まで行き,そこから歩いて10分くらいのところにある.トラムは明らかにASローマのサポーターと分かる格好の人で混んでいる.スタジアム外の臨時入口でチケットとパスポートを見せて入場,スタジアム直前に設置された物々しいゲートでチケットをバーコードリーダーにかざして入場が完了する.
興奮して暴れる人がいるのでアルコールなどは置いていないと思っていたのだが,瓶や缶で提供しないだけで,売店や観客席に回ってくる売り子(もちろん男ばかりです)から買うことが出来る.寒いにも関わらず,多くの人がビールを飲んでいる.トイレも結構きれいで数もたくさんあるのは驚いた.
ゴール裏のサポーター席では爆竹もなるし,試合も見づらいので,サイドライン沿いにあるバックスタンド(選手入場のサイドと逆側)の端の方の座席で観戦.男性が45ユーロ,女性と子供が30ユーロである.スタジアムの雰囲気は横浜の日産スタジアムに近い.試合前の選手紹介のやり方や歓声・ブーイングの出方は,Jリーグのそれらと全く同じだ.
調子を上げてきたホームASローマと最下位に沈むアウェーASバーリ.やはりASローマが圧倒的にゲームを支配している.しかし,最後の決定力に欠けている.トッティーはPKを外し,何度もあった決定機を逃し,セットプレーから相手のDFとGKが交錯するラッキーに助けられた棚ぼたのような1点を守りきって,1-0でゲーム終了.後半ロスタイムには相手の決定機もあり,危なかった.はっきりって前半で4点は取れていたと思う.
チャンピオンズリーグの第一ラウンド最終戦が数日前にあったこともあり,ゲーム展開に余裕があったと判断したのか,トッティーはお役ご免?の途中交代.その後,ASローマはゲームが全く支配できなかったので,チームにおける彼の偉大さがよく分かった.数年の内には引退するだろうから,その後のASローマは暗黒期だろう.
滞在中にもう一度くらいサッカーを見に行こうと思っている.今度はラツィオか,あるいはASローマのチャンピオンズリーグの決勝トーナメント第一回戦か?
秋に始まった今シーズン,ASローマはあんまり調子が良くない.特に滑り出しは最悪で,前年二位のチームが降格圏付近に沈んでいたのだが,最近ようやく勝ちだして6位くらいまで上がってきた.替わりに同じローマをホームとするラツィオの調子がいい.
未だに車のタイヤのパンク問題が決着せず(新品タイヤの納品時期が未定),週末に遠出できない状態が続いている.土曜日は久しぶりに市内観光をしたのだが(これは次回のネタか?),日曜日もせっかくなので何かしようと思っていたが,目覚めた瞬間ににふとサッカー観戦をしようという気になったのだった.起き上がって,急いでコンピュータで日程を調べると,日曜日の午後3時からASローマはホームでASバーリを迎える試合がある.もう十何回しか週末がないし,そのうち多くは旅行に出かけるだろう.やはり最初に見るのはASローマだとすると,半分はアウェーである.そうすると,ローマでASローマの試合を見るチャンスは実質的にあと1~2回しかないかもしれない.
この前売り券はASローマの公式ショップであるRoma Storeで売り出している.思い立ったが吉日,急いでColonna広場に面するRoma Storeに向かい,並ぶことなくチケットをゲットすることができた.この節はもともと選手会のストが予定されていたのと,相手が最下位チームなので,簡単に手に入ったのかも知れない.
ホームスタジアムはローマ北部のStudio Olimpicoで,Popolo広場近くのFlaminia広場から2番トラムで終点まで行き,そこから歩いて10分くらいのところにある.トラムは明らかにASローマのサポーターと分かる格好の人で混んでいる.スタジアム外の臨時入口でチケットとパスポートを見せて入場,スタジアム直前に設置された物々しいゲートでチケットをバーコードリーダーにかざして入場が完了する.
興奮して暴れる人がいるのでアルコールなどは置いていないと思っていたのだが,瓶や缶で提供しないだけで,売店や観客席に回ってくる売り子(もちろん男ばかりです)から買うことが出来る.寒いにも関わらず,多くの人がビールを飲んでいる.トイレも結構きれいで数もたくさんあるのは驚いた.
ゴール裏のサポーター席では爆竹もなるし,試合も見づらいので,サイドライン沿いにあるバックスタンド(選手入場のサイドと逆側)の端の方の座席で観戦.男性が45ユーロ,女性と子供が30ユーロである.スタジアムの雰囲気は横浜の日産スタジアムに近い.試合前の選手紹介のやり方や歓声・ブーイングの出方は,Jリーグのそれらと全く同じだ.
調子を上げてきたホームASローマと最下位に沈むアウェーASバーリ.やはりASローマが圧倒的にゲームを支配している.しかし,最後の決定力に欠けている.トッティーはPKを外し,何度もあった決定機を逃し,セットプレーから相手のDFとGKが交錯するラッキーに助けられた棚ぼたのような1点を守りきって,1-0でゲーム終了.後半ロスタイムには相手の決定機もあり,危なかった.はっきりって前半で4点は取れていたと思う.
チャンピオンズリーグの第一ラウンド最終戦が数日前にあったこともあり,ゲーム展開に余裕があったと判断したのか,トッティーはお役ご免?の途中交代.その後,ASローマはゲームが全く支配できなかったので,チームにおける彼の偉大さがよく分かった.数年の内には引退するだろうから,その後のASローマは暗黒期だろう.
滞在中にもう一度くらいサッカーを見に行こうと思っている.今度はラツィオか,あるいはASローマのチャンピオンズリーグの決勝トーナメント第一回戦か?
2010年12月14日火曜日
政治のローマ
今日は朝から,ローマ市内が騒がしい.いや,イタリア全土が同じような状況のようだ.先月に野党が提出していた内閣不信任案の投票が,今日上下院で採決されるのだ.連立与党を組んでいる政党の一つが連立離脱をして(あるいはちらつかせて?),下院で過半数が確保できない状態だったのだ.
少し前に,イタリアの教育の現場を揺るがす法案が可決された.簡単に言えばあらゆる教育の現場での予算と人員の削減が目的のようだったが,これに対する抗議デモも激しかったようだ(ただし数時間で解散?).その日は自宅でこもって仕事をしていたが,交通も一部麻痺したりして,大正解だった.法案成立を主導したジェルミニ教育相は女性だが,なかなかのやり手のようだ.ベルルスコーニ首相と同じくらいの非難を受けているが,新聞のHPに載っていた可決後の彼女の様子の写真は,至って満足感溢れる顔をしていたことが鮮明に記憶に残っている.
さて,不信任決議の結果は,上院,下院ともに否決に終わった.直前まで信任の投票をするように説得が行われ(賄賂の疑いも操作されているらしいところが何ともイタリアだ),2票が棄権で,3票差で否決というベルルスコーニには薄氷の勝利に終わった.これで当面政権交代はない模様だ.この結果を受けたベルルスコーニのゆるんだ顔の写真が,不信任決議の主役の高い緊張度を物語る.それにしても,与党を離脱したフィーニ下院議長とその政党,野党は本当に情けない.ポストを目の前にぶら下げられて翻意した議員も結構いるらしい.
オフィスでは午前中に,近くの大通りをデモ行進がシュプレヒコールを挙げながら行進しているのがよく聞こえた.それを上空から取材するヘリの音もうっとうしい.既に通り過ぎたので今は静かだが,新聞のHPでは,警官隊とデモ隊のかなり激しい衝突があったとの写真が掲載されている.仕事の都合とは言え,こんな日に出勤してきてしまったことを後悔しながらこのブログを書いている.
それにしても,内閣不信任案に連動したこの盛り上がり.あらゆる団体がこの機に乗じて横断幕を掲げる.我が日本ではまず見られないので,少しうらやましくなる.庶民的なバールでも,日常的に政治の話で盛り上がるのだそうだ.一方の,政治家は市民に何を言われようと気にせずに熱心に多数派工作に走る.ローマ(イタリア)の主要産業は政治だという人がいるが,これはかなり言い得ているかも知れないと感じる.こんなに盛り上がるのに,実はだれも政治を期待していないのはご愛嬌だ.
少し前に,イタリアの教育の現場を揺るがす法案が可決された.簡単に言えばあらゆる教育の現場での予算と人員の削減が目的のようだったが,これに対する抗議デモも激しかったようだ(ただし数時間で解散?).その日は自宅でこもって仕事をしていたが,交通も一部麻痺したりして,大正解だった.法案成立を主導したジェルミニ教育相は女性だが,なかなかのやり手のようだ.ベルルスコーニ首相と同じくらいの非難を受けているが,新聞のHPに載っていた可決後の彼女の様子の写真は,至って満足感溢れる顔をしていたことが鮮明に記憶に残っている.
さて,不信任決議の結果は,上院,下院ともに否決に終わった.直前まで信任の投票をするように説得が行われ(賄賂の疑いも操作されているらしいところが何ともイタリアだ),2票が棄権で,3票差で否決というベルルスコーニには薄氷の勝利に終わった.これで当面政権交代はない模様だ.この結果を受けたベルルスコーニのゆるんだ顔の写真が,不信任決議の主役の高い緊張度を物語る.それにしても,与党を離脱したフィーニ下院議長とその政党,野党は本当に情けない.ポストを目の前にぶら下げられて翻意した議員も結構いるらしい.
オフィスでは午前中に,近くの大通りをデモ行進がシュプレヒコールを挙げながら行進しているのがよく聞こえた.それを上空から取材するヘリの音もうっとうしい.既に通り過ぎたので今は静かだが,新聞のHPでは,警官隊とデモ隊のかなり激しい衝突があったとの写真が掲載されている.仕事の都合とは言え,こんな日に出勤してきてしまったことを後悔しながらこのブログを書いている.
それにしても,内閣不信任案に連動したこの盛り上がり.あらゆる団体がこの機に乗じて横断幕を掲げる.我が日本ではまず見られないので,少しうらやましくなる.庶民的なバールでも,日常的に政治の話で盛り上がるのだそうだ.一方の,政治家は市民に何を言われようと気にせずに熱心に多数派工作に走る.ローマ(イタリア)の主要産業は政治だという人がいるが,これはかなり言い得ているかも知れないと感じる.こんなに盛り上がるのに,実はだれも政治を期待していないのはご愛嬌だ.
2010年12月13日月曜日
ローマで教会廻り(4):Trastevere地区その2
ここまででまだ1時間ちょっとだ.もう一時間くらい回ろうということで,次に向かったのはSanta Cecilia in Trastevere教会である.これは,先の二つの教会とはTrastevere大通りを挟んで反対側にある.ここも入口を見つけるまできっと不安になる人が多いと思う.
この教会は壁に囲まれているのだ.入口を入ると,美しい中庭と小振りなファサードが目に入る.私しかいなかったので,大変静かである.ここも,かつてあった屋敷に住んでいてた富裕貴族の妻で,キリスト教の弾圧期に殉教したCeciliaを祀っていて,かつての屋敷跡に立っていた教会を9世紀に建て直し,何度か改修を重ねたものだ.ここも,ロマネスクの長方形の鐘楼と,17世紀以降のファサードの,もはや見慣れた組み合わせである.
この聖Ceciliaは音楽の守護聖人のようである.そのせいか分からないが,教会内部で信者によるパイプオルガン演奏が行われていた(単なる練習かも?).すっきりとした内観で,ここまで見てきたローマの教会の中で,現時点では一番のお気に入りかもしれない.祭壇の下に,有名な聖Ceciliaの像がある.殺されて埋葬されたときのポーズ(1,000年後に原型のまま発見されたらしい)だということらしい.顔が伏せられて横たわっている姿に,不思議な色っぽさを感じる.
かつての屋敷跡に立っているので,ここにも地下遺構がある.これは2.5ユーロだったが,説明の不十分で凡庸であり,見なくて良いと思う.
次に,その近くのSan Francesco a Ripa教会に向かう.ここは,教会としては地味で普通だが,かの有名なベルニーニが80歳近くで作成したらいい傑作があるので,見所の一つとなっているのだった.ガイドブックで見ることが出来る美しい像の写真は,実際にはそんなにきれいに大きく見えない位置にある.遠くからでも何故か色っぽい,死の直前の聖女の様子は何となくうかがえて良かった.
ここまでで約2時間,ちょっとした散歩にぴったりのコースである.
この教会は壁に囲まれているのだ.入口を入ると,美しい中庭と小振りなファサードが目に入る.私しかいなかったので,大変静かである.ここも,かつてあった屋敷に住んでいてた富裕貴族の妻で,キリスト教の弾圧期に殉教したCeciliaを祀っていて,かつての屋敷跡に立っていた教会を9世紀に建て直し,何度か改修を重ねたものだ.ここも,ロマネスクの長方形の鐘楼と,17世紀以降のファサードの,もはや見慣れた組み合わせである.
この聖Ceciliaは音楽の守護聖人のようである.そのせいか分からないが,教会内部で信者によるパイプオルガン演奏が行われていた(単なる練習かも?).すっきりとした内観で,ここまで見てきたローマの教会の中で,現時点では一番のお気に入りかもしれない.祭壇の下に,有名な聖Ceciliaの像がある.殺されて埋葬されたときのポーズ(1,000年後に原型のまま発見されたらしい)だということらしい.顔が伏せられて横たわっている姿に,不思議な色っぽさを感じる.
かつての屋敷跡に立っているので,ここにも地下遺構がある.これは2.5ユーロだったが,説明の不十分で凡庸であり,見なくて良いと思う.
次に,その近くのSan Francesco a Ripa教会に向かう.ここは,教会としては地味で普通だが,かの有名なベルニーニが80歳近くで作成したらいい傑作があるので,見所の一つとなっているのだった.ガイドブックで見ることが出来る美しい像の写真は,実際にはそんなにきれいに大きく見えない位置にある.遠くからでも何故か色っぽい,死の直前の聖女の様子は何となくうかがえて良かった.
ここまでで約2時間,ちょっとした散歩にぴったりのコースである.
ローマで教会廻り(3):Trastevere地区その1
先週の金曜日,朝から晴れていたのと,火~木の体調不良(デスクワークのしすぎと極度の運動不足が原因の重度の肩こり,クビや背中の筋肉の硬直が引き起こす頭痛と吐き気,割と恒例)が解消されたので,出勤前に教会廻りをすることにした.今回の対象はTrastevere地区にあるいくつかの教会だ.
教育省の停留所で8番のトラムを降り,まずは歩いてSan Pietro in Montorio教会に向かう.その途中でSan Cosimato広場と通過する.ガイドブックに平日午前中に活気のある朝市が出ていると書いてあったので立ち寄ってみたのだが,完全に期待はずれ(冬だからか?).仕方ないので,Gianicoloの丘の上にある教会まで足早に歩く.サインがないので,階段があることも分からずに,くねくねした車道を延々と歩いて上るはめになる.それでも何とか教会に到着.他に観光客が2組くらいいた程度で空いている.
この教会は,中庭にある小さい聖堂が見所だそうだ.分かってみると簡単なのだが,入り口が分かりにくいので要注意だ.モザイクの床がきれいであったが,見所は建設当時としては革新的な建築様式そのものだそうだ.ここにある有名な絵画ははっきり言ってあまり映えて見えない.
教育省の停留所で8番のトラムを降り,まずは歩いてSan Pietro in Montorio教会に向かう.その途中でSan Cosimato広場と通過する.ガイドブックに平日午前中に活気のある朝市が出ていると書いてあったので立ち寄ってみたのだが,完全に期待はずれ(冬だからか?).仕方ないので,Gianicoloの丘の上にある教会まで足早に歩く.サインがないので,階段があることも分からずに,くねくねした車道を延々と歩いて上るはめになる.それでも何とか教会に到着.他に観光客が2組くらいいた程度で空いている.
この教会は,中庭にある小さい聖堂が見所だそうだ.分かってみると簡単なのだが,入り口が分かりにくいので要注意だ.モザイクの床がきれいであったが,見所は建設当時としては革新的な建築様式そのものだそうだ.ここにある有名な絵画ははっきり言ってあまり映えて見えない.
次に,Santa Maria in Trastevere教会に向かう.これもTrastevereの細街路の奥深くにあるので,なかなか分かりにくい.これが下町Trastevere地区のいいところでもあるのだが.こんな奥深くにこんな大きな教会があるのかと,結構感動する.12世紀に大幅改修された建築に,18世紀に現在のファサードを付けたようだ.光線の関係で,ファサードを特徴付けているモザイクがあまりよく見えなかった.基本的には夏に見るべきだったかも知れない.床のモザイクも見所なのだが,その上に補助の長いすがたくさん置かれていて,きれいな姿を見ることが出来ずやや残念.このモザイク,ローマ内の多くの教会で見ることができるが,コズマーティ様式と言うのだそうだ.内装のイメージとしては,やや小さい,やや派手さのないSan Giovanni in Laterano教会といった感じだろうか.見学は20分もあれば十分だろう.
2010年12月10日金曜日
ローマで教会廻り(2):San Clemente
San Giovanni in Laterano教会を後にして,そこからオフィスに歩いて行く途中にあるSan Clemente教会に立ち寄ることにした.これも4世紀に最初に建てられ,教会の下には帝政ローマ期の建物とミトラ教の神殿が地下遺構となっているらしい.しかも,その4世紀の教会自身も,11~12世紀にその上に新たな教会が建てられることになり,三層構造になっているという興味深い教会だ.
早速中に入る.するとあちこちに撮影禁止の警告がある.残念ながら写真撮影をあきらめるが,これを守らずに派手に撮影音を立てているグループもいて微妙なところだ.先の三層構造だけでなく,後陣のモザイクも見所の一つである.金色のモザイクで,夏にパレルモで見た宮殿内のアラブ・ノルマン教会の金色モザイクを思い出す.それには遙かに及ばないが,まあ見事であることには変わりない.建築当時の12世紀当時のものらしく,パレルモのそれも同じ頃だった気がするので,このころは金色モザイクがはやっていたのだろう.
そして,いよいよ地下遺構へ入場.5ユーロであるが,暗い空間に似たような小部屋や大部屋が続いていて,それらが何なのかあまり説明書きがない.一番下の空間は,結構な水量の湧水?が湧き出ていて,ものすごくひんやりしている.5ユーロを払う見所の割には,もう少し見せ方を考えた方がいいのではないだろうか.
早速中に入る.するとあちこちに撮影禁止の警告がある.残念ながら写真撮影をあきらめるが,これを守らずに派手に撮影音を立てているグループもいて微妙なところだ.先の三層構造だけでなく,後陣のモザイクも見所の一つである.金色のモザイクで,夏にパレルモで見た宮殿内のアラブ・ノルマン教会の金色モザイクを思い出す.それには遙かに及ばないが,まあ見事であることには変わりない.建築当時の12世紀当時のものらしく,パレルモのそれも同じ頃だった気がするので,このころは金色モザイクがはやっていたのだろう.
そして,いよいよ地下遺構へ入場.5ユーロであるが,暗い空間に似たような小部屋や大部屋が続いていて,それらが何なのかあまり説明書きがない.一番下の空間は,結構な水量の湧水?が湧き出ていて,ものすごくひんやりしている.5ユーロを払う見所の割には,もう少し見せ方を考えた方がいいのではないだろうか.
ローマで教会廻り(1):San Giovanni in Laterano
帰国まで三ヶ月強,まだ余り手を付けていないローマの屋内系観光施設を精力的に見始めないと行けない時期だ.週末は可能なら遠出に使いたいので,平日の出勤前に少しずつ立ち寄ることに決めた.そうは言っても博物館や美術館はメジャーな所は半日はつぶさないと無理なので,短時間で見られる教会を最初のターゲットとした.
他の都市なら一つか二つ見ればいい教会も,ローマではものすごくたくさんある.これまでにつぶしてきた教会は,クーポラのついでに見たバチカンのSan Pietro大聖堂,オフィスの真ん前にあるSan Pietro in Vincoli教会(ミケランジェロのモーゼ像が有名),真実の口があるSanta Maria in Cosmedin教会だけだったことに気がつく.これは大変だ.
今回の教会廻りのスタートをSan Giovanni in Laterano教会とすることにした. これは,ローマ皇帝のコンスタンティヌスがキリスト教を国教とした4世紀に建設され,その後1000年近くローマ法王が居を構えた教会である.一度はそこで見捨てられるものの,再度大規模修復が始まり,現在のファサードは18世紀のものなので,バロックの次のネオクラシック様式というらしい.
正面に立ってファサード全景を写真に収める.結構大きいのでかなり後ろに下がらないとダメだ.中に入ると,さすがにSan Pietroには遠く及ばないが,想像以上に大きな空間だ.内装は,モザイクの固まりといったところか.どこを見渡してもきれいで贅沢というほかない.これも見事な祭壇に向かって左の側廊の外の中庭には,シチリアのモンレアーレでも見たような回廊があり,ここだけは有料(2ユーロ)だ.派手さはモンレアーレよりは劣る.
内部の派手な内装を堪能した後は,外に出て八角形の洗礼堂に向かう.入口が入っていいのか迷うようなたたずまいだ.中に入ると,修復作業用の櫓が組んである(ローマではどこに行ってもどこかしら修復作業をしている感じだ).外観は地味だが,内部はそれから想像できないくらいに美しい.もう一つ,教会外の別の建物内にScala Santaと呼ばれる28段の階段がある.階段の先に法王専用の礼拝堂があるらしく,この階段はひざまずいて昇らなくてはならないらしい.別にしなくてもいいと思っていたのだが,注意書きがあって本当にみんなそうしていたので,時間がなかった私は登頂をあきらめることにした.
ここで教会を立ち去ることにしたが,思っていた以上に熱心に見てしまい,小一時間はかかってしまった.
他の都市なら一つか二つ見ればいい教会も,ローマではものすごくたくさんある.これまでにつぶしてきた教会は,クーポラのついでに見たバチカンのSan Pietro大聖堂,オフィスの真ん前にあるSan Pietro in Vincoli教会(ミケランジェロのモーゼ像が有名),真実の口があるSanta Maria in Cosmedin教会だけだったことに気がつく.これは大変だ.
今回の教会廻りのスタートをSan Giovanni in Laterano教会とすることにした. これは,ローマ皇帝のコンスタンティヌスがキリスト教を国教とした4世紀に建設され,その後1000年近くローマ法王が居を構えた教会である.一度はそこで見捨てられるものの,再度大規模修復が始まり,現在のファサードは18世紀のものなので,バロックの次のネオクラシック様式というらしい.
正面に立ってファサード全景を写真に収める.結構大きいのでかなり後ろに下がらないとダメだ.中に入ると,さすがにSan Pietroには遠く及ばないが,想像以上に大きな空間だ.内装は,モザイクの固まりといったところか.どこを見渡してもきれいで贅沢というほかない.これも見事な祭壇に向かって左の側廊の外の中庭には,シチリアのモンレアーレでも見たような回廊があり,ここだけは有料(2ユーロ)だ.派手さはモンレアーレよりは劣る.
内部の派手な内装を堪能した後は,外に出て八角形の洗礼堂に向かう.入口が入っていいのか迷うようなたたずまいだ.中に入ると,修復作業用の櫓が組んである(ローマではどこに行ってもどこかしら修復作業をしている感じだ).外観は地味だが,内部はそれから想像できないくらいに美しい.もう一つ,教会外の別の建物内にScala Santaと呼ばれる28段の階段がある.階段の先に法王専用の礼拝堂があるらしく,この階段はひざまずいて昇らなくてはならないらしい.別にしなくてもいいと思っていたのだが,注意書きがあって本当にみんなそうしていたので,時間がなかった私は登頂をあきらめることにした.
ここで教会を立ち去ることにしたが,思っていた以上に熱心に見てしまい,小一時間はかかってしまった.
2010年12月9日木曜日
タイヤのパンク騒ぎとそこで感じた技術者の態度
さて,まだ修理は完了していないのだが,先日予告したタイヤのパンクの話である.先週金曜日は終日自宅で仕事することを決め,朝,子供達を学校へ車で送りに行く.10月以降は,特に雨が降ると,ものすごい道路渋滞でオフィスに辿り着くまでにものすごく時間がかかるので,終日デスクワークの日は自宅の方が何かと効率がいいのだ.
学校からの帰り,自宅へのアクセス細街路と通っていると,目の前でゴミ収集車がいる.これにつかまると,収集作業終了までその後ろで待たなければならない.しかし,一箇所だけこれを回避できる場所があるのだ.そこで何の迷いもなく回避する.しかし久しぶりだったので,回避ルートを間違えてしまった.その途中で両側の路駐で道が著しく細くなっている所に入り込んでしまい,そこでタイヤが角張った縁石の角にぶつかる.やや変な音がしたが,速度がそんなに速くなかったのでまさかパンクまでは想像しなかった.
しかし,その直後に,徒歩ですれ違った人が車を指さして何か訴えている.「やっぱパンクか...」とつぶやく.確認すると本当にパンクだった.自宅まで数百メートルの位置なので,もちろんそこまでそのまま走行する.
幸い,アパートの駐車場は建物下のピロティーなので,雨が降っていてもぬれずにタイヤ交換が出来る.免許を取ってから二度目(前回は十年以上前)の経験だが,後輪をスペアタイヤに付け替えて,外した後輪をパンクした前輪と替える作業は,30分もかからないで終わる.まずは一安心だ.タイヤの側面がぱっくり割れており,これでは新しい物と交換するしかない.
次はタイヤ探しだ.以前に窓ガラスを割られた時に世話になったルノー指定の整備工場に行けば,同じタイヤのストックがあるかもしれないと思い,自宅からは10km弱離れているが,そこに行くことにする.整備工場に到着すると,前回お世話になったスーパーマリオ見たいなひげの工場長?がいたので,つたないイタリア語で「タイヤを交換したいんですけど」と言う.すると,ほんのちょっとは英語で話そうとする若手スタッフをよこして,「タイヤがあるか確認しよう」ということになった.
見てもらったが,残念ながら手元に同じタイヤはなく,「少し特殊なタイヤだから取り寄せる」ということになり,「パンクしたタイヤだけ置いていって欲しい.来週火曜日の午後5時に取りに来て」ということになった.「費用は改めて携帯に連絡するから(いくつか聞き取れた単語からの想像)」とだけ言われ,名前と携帯電話番号だけ教える.
前回の窓ガラス修理の時も確かそうだったのだが,自宅住所を聞かれていないのだ.公的な修理依頼書のようなものもなく,いわば口約束だけである.またまた不安な気持ちになるが,前回と違って車両本体は乗って帰ることになったので,まあいいかということでその日は退散する.
指定された日時までに結局連絡がなく,本当に出来ているのか疑いながら火曜日夕方に整備工場に向かう.到着するや”スーパーマリオ”がやって来て,「何だ誰も電話してなかったのか(ここは想像)...タイヤが特殊だからまだまだ時間がかかるんだ」ということだった.結局,「まだよく分からないけど12月16日くらいかな?」と言われ,すごすごと退散.はあ...しばらく遠出は控えなければならない.
先日のボイラー修理の時も同じだが,こちらの技術屋には「細かいことはいいからオレに任せておけ」的な発想が強いように感じる.これには,面倒だからということと,自分の責任範囲ではプロ意識が強い(出来ないことははっきりと出来ないと言い,出来ることはマニアックに対応する)ということから来ているように思われる.そして,大変親身に振る舞いながら,出来ないことまで出来るかのような曖昧な態度を見せて,最終的に出来なくて顧客に不興を買う可能性がある日本の技術者との対比が頭に思い浮かんだのだった.どちらがいいかは微妙なところだが,先週末の一連の出来事を通じて,イタリア式も実は悪くないなと思っている自分がいる.
学校からの帰り,自宅へのアクセス細街路と通っていると,目の前でゴミ収集車がいる.これにつかまると,収集作業終了までその後ろで待たなければならない.しかし,一箇所だけこれを回避できる場所があるのだ.そこで何の迷いもなく回避する.しかし久しぶりだったので,回避ルートを間違えてしまった.その途中で両側の路駐で道が著しく細くなっている所に入り込んでしまい,そこでタイヤが角張った縁石の角にぶつかる.やや変な音がしたが,速度がそんなに速くなかったのでまさかパンクまでは想像しなかった.
しかし,その直後に,徒歩ですれ違った人が車を指さして何か訴えている.「やっぱパンクか...」とつぶやく.確認すると本当にパンクだった.自宅まで数百メートルの位置なので,もちろんそこまでそのまま走行する.
幸い,アパートの駐車場は建物下のピロティーなので,雨が降っていてもぬれずにタイヤ交換が出来る.免許を取ってから二度目(前回は十年以上前)の経験だが,後輪をスペアタイヤに付け替えて,外した後輪をパンクした前輪と替える作業は,30分もかからないで終わる.まずは一安心だ.タイヤの側面がぱっくり割れており,これでは新しい物と交換するしかない.
次はタイヤ探しだ.以前に窓ガラスを割られた時に世話になったルノー指定の整備工場に行けば,同じタイヤのストックがあるかもしれないと思い,自宅からは10km弱離れているが,そこに行くことにする.整備工場に到着すると,前回お世話になったスーパーマリオ見たいなひげの工場長?がいたので,つたないイタリア語で「タイヤを交換したいんですけど」と言う.すると,ほんのちょっとは英語で話そうとする若手スタッフをよこして,「タイヤがあるか確認しよう」ということになった.
見てもらったが,残念ながら手元に同じタイヤはなく,「少し特殊なタイヤだから取り寄せる」ということになり,「パンクしたタイヤだけ置いていって欲しい.来週火曜日の午後5時に取りに来て」ということになった.「費用は改めて携帯に連絡するから(いくつか聞き取れた単語からの想像)」とだけ言われ,名前と携帯電話番号だけ教える.
前回の窓ガラス修理の時も確かそうだったのだが,自宅住所を聞かれていないのだ.公的な修理依頼書のようなものもなく,いわば口約束だけである.またまた不安な気持ちになるが,前回と違って車両本体は乗って帰ることになったので,まあいいかということでその日は退散する.
指定された日時までに結局連絡がなく,本当に出来ているのか疑いながら火曜日夕方に整備工場に向かう.到着するや”スーパーマリオ”がやって来て,「何だ誰も電話してなかったのか(ここは想像)...タイヤが特殊だからまだまだ時間がかかるんだ」ということだった.結局,「まだよく分からないけど12月16日くらいかな?」と言われ,すごすごと退散.はあ...しばらく遠出は控えなければならない.
先日のボイラー修理の時も同じだが,こちらの技術屋には「細かいことはいいからオレに任せておけ」的な発想が強いように感じる.これには,面倒だからということと,自分の責任範囲ではプロ意識が強い(出来ないことははっきりと出来ないと言い,出来ることはマニアックに対応する)ということから来ているように思われる.そして,大変親身に振る舞いながら,出来ないことまで出来るかのような曖昧な態度を見せて,最終的に出来なくて顧客に不興を買う可能性がある日本の技術者との対比が頭に思い浮かんだのだった.どちらがいいかは微妙なところだが,先週末の一連の出来事を通じて,イタリア式も実は悪くないなと思っている自分がいる.
2010年12月7日火曜日
母国で言葉が通じない時のイタリア人と日本人の違い
昨日,研究所で同室のF女史とひさしぶりに無駄話をした.ここのところお互いに忙しく,すれ違いも多かったのだ.会話は相変わらず英語である.ある程度イタリア語が聞き取れれば積極的にチャレンジするところなのだが,まだまだ無理だ.その時の話題は言葉が分からない異国でのコミュニケーションだ.彼女自身も二年近く前に東京に5週間滞在したことがあり,その時の印象がまだ鮮烈に残っているようだった.
この話題は,私が(一つ前に書いた)ボイラーが壊れた話の顛末を話題にしたことから,たまたま始まった.来てくれた技術屋は,最初は単語くらいは英語で話そうとしているようだったが,こちらがほんの少しでもイタリア語が分かるようだと感じると,その後のやりとりが全てイタリア語になった.それでも,いくつかの忠告は携帯電話の翻訳ソフトで日本語に変換してくれて(素晴らしい変換精度だったが何のソフトなんだろう?)説明してくれるなど,こちらがイタリア語を理解できないことを一応は配慮してくれていたのだった.「それでもこれまでの経験ではこんなケースはまれで,多くのイタリア人は相手がイタリア語を理解しなくてもお構いなしにイタリア語で話し続けるから結構つらい.それでも経験になるからと思ってイタリア語で話しかけて見ると,ますます確信を持ってイタリア語で攻めてくる」と言う.F女史はまあそんなもんだろうという顔をしている.
「私も東京では言葉が通じないという貴重な経験をした.でも通じないと,すぐにN(彼女の対応をした日本人女性)にHelp me!と電話して,通訳してもらったわ」とFは言うのだ.「イタリアではそうは言っても英語を使える人はそれなりにいるけど,日本ではほとんどの人が使えないでしょ?」と来たので,「まあ,統計はないんだけど,自分の感覚では5%以下だな」と説明する.そして,「でも,ほとんどに日本人は,君に話しかけられるとフリーズして,ソーリーといって申し訳なさそうに立ち去るでしょ」と言うと,我が意を得たりという様子で「そうなのよ!」と来た.そのせいであんまり日本人とコミュニケーションを取れなかったと感じている様子がありありと見て取れた.
もちろん,これらのことだけで決めつけることは出来ないのだが,外国人に対して,我を持っているイタリア人(ローマは特に)と,(特に西洋人に)引け目を感じる日本人という違いを最近痛感してしまうのだ.外国人に話しかけられた時に,たまたま日本語しか出来なかったとしても,何であんなに卑屈になる必要があるのかと,ローマに来てから考えるようになってしまったのだ.そんな局面でコソコソ逃げ回ると,「我がなく押しに弱い日本人」という評価がますます定着しそうでイヤになる.言葉が分からなくても逃げずに堂々と振る舞うことが,日本人の国際的地位を高めることにつながるのだと真に実感する.
この話題は,私が(一つ前に書いた)ボイラーが壊れた話の顛末を話題にしたことから,たまたま始まった.来てくれた技術屋は,最初は単語くらいは英語で話そうとしているようだったが,こちらがほんの少しでもイタリア語が分かるようだと感じると,その後のやりとりが全てイタリア語になった.それでも,いくつかの忠告は携帯電話の翻訳ソフトで日本語に変換してくれて(素晴らしい変換精度だったが何のソフトなんだろう?)説明してくれるなど,こちらがイタリア語を理解できないことを一応は配慮してくれていたのだった.「それでもこれまでの経験ではこんなケースはまれで,多くのイタリア人は相手がイタリア語を理解しなくてもお構いなしにイタリア語で話し続けるから結構つらい.それでも経験になるからと思ってイタリア語で話しかけて見ると,ますます確信を持ってイタリア語で攻めてくる」と言う.F女史はまあそんなもんだろうという顔をしている.
「私も東京では言葉が通じないという貴重な経験をした.でも通じないと,すぐにN(彼女の対応をした日本人女性)にHelp me!と電話して,通訳してもらったわ」とFは言うのだ.「イタリアではそうは言っても英語を使える人はそれなりにいるけど,日本ではほとんどの人が使えないでしょ?」と来たので,「まあ,統計はないんだけど,自分の感覚では5%以下だな」と説明する.そして,「でも,ほとんどに日本人は,君に話しかけられるとフリーズして,ソーリーといって申し訳なさそうに立ち去るでしょ」と言うと,我が意を得たりという様子で「そうなのよ!」と来た.そのせいであんまり日本人とコミュニケーションを取れなかったと感じている様子がありありと見て取れた.
もちろん,これらのことだけで決めつけることは出来ないのだが,外国人に対して,我を持っているイタリア人(ローマは特に)と,(特に西洋人に)引け目を感じる日本人という違いを最近痛感してしまうのだ.外国人に話しかけられた時に,たまたま日本語しか出来なかったとしても,何であんなに卑屈になる必要があるのかと,ローマに来てから考えるようになってしまったのだ.そんな局面でコソコソ逃げ回ると,「我がなく押しに弱い日本人」という評価がますます定着しそうでイヤになる.言葉が分からなくても逃げずに堂々と振る舞うことが,日本人の国際的地位を高めることにつながるのだと真に実感する.
ボイラーが壊れる
先週金曜日は一日ついてなかった.朝,子供達を学校に送った帰りに車のタイヤがパンクし(この顛末は後日),夜にシャワーのお湯が出なくなった.
我がアパートは,給湯と暖房は全てボイラーに依存していて,このボイラーが故障したのだった.ボイラーは我々の前の入居者もさんざん苦労していたらしいことは聞いていたが,これまでのところ幸い故障せずに使えていた.やっぱりダメだった.
問題は,発覚したのが週末直前の金曜夜だったことと,まだ修理を依頼できるほどイタリア語が出来ないことだ.どうせ技術者は英語が出来ないに決まっている.仕方ないので,翌朝にこれまでもさんざんお世話になっている日本人会のM氏に泣きつく.大家に至急連絡を取ってもらい,対応を協議してもらうことにした.
ボイラーの故障の度に大家は彼が信頼している技術者に対応してもらっているらしく,その技術者にM氏から連絡を取ってもらう.ひょっとすると土曜日午前中なら可能性があるかも知れない.ところが,その日と翌月曜日に大仕事があるらしく,行けても月曜夜か火曜朝になるとのことだった.それまで暖房無し,シャワー無しを覚悟した.
日曜日の朝,M氏から電話があり,「今日の12時くらいに技術屋が来てくれることになった」とのうれしい知らせが入る.大家が「小さい子供がいてかわいそうだから日曜日だけど何とかしてあげて」とお願いしてくれたらしい.イタリアでは「小さい子供」の存在は大きな武器だ.実は寒さに震えているのは大人の方なのだが...
12時に待ちかねた技術屋が来てくれる.原因はすぐに発覚し,その部品を交換するだけで再びボイラーが動き出した.彼は大変真面目で,単に動き出したことに満足せず,我々を巻き込みながら,念入りにボイラー内のガスの燃焼状態を確かめ始めた.また,「水道のフィルターを交換した方がいい」,「リスカルダ(暖房)の栓を取り替えた方がいい」というアドバイスももらった.建築設備全体の技術屋なのかも知れない.かわいそうに,その途中で彼が足を痛めてしまったほど熱心だった.これまでの経験上,イタリア人はこのあたりのプロ意識(時として独善的だが)を感じること亜出来る.
1時間少しで作業が終了.日曜日に来てくれたので,料金は日曜特別料金の100ユーロとチップ20ユーロを併せた120ユーロだ.請求は大家に行くと事前に聞いていたのだが,結局私が支払う.「領収書をくれない?」と聞くと,「大家に送っておくよ」という.支払ったのは私なので,なんでこちらにくれないのか不思議である.支払いの不透明さも,またイタリアだ.
我がアパートは,給湯と暖房は全てボイラーに依存していて,このボイラーが故障したのだった.ボイラーは我々の前の入居者もさんざん苦労していたらしいことは聞いていたが,これまでのところ幸い故障せずに使えていた.やっぱりダメだった.
問題は,発覚したのが週末直前の金曜夜だったことと,まだ修理を依頼できるほどイタリア語が出来ないことだ.どうせ技術者は英語が出来ないに決まっている.仕方ないので,翌朝にこれまでもさんざんお世話になっている日本人会のM氏に泣きつく.大家に至急連絡を取ってもらい,対応を協議してもらうことにした.
ボイラーの故障の度に大家は彼が信頼している技術者に対応してもらっているらしく,その技術者にM氏から連絡を取ってもらう.ひょっとすると土曜日午前中なら可能性があるかも知れない.ところが,その日と翌月曜日に大仕事があるらしく,行けても月曜夜か火曜朝になるとのことだった.それまで暖房無し,シャワー無しを覚悟した.
日曜日の朝,M氏から電話があり,「今日の12時くらいに技術屋が来てくれることになった」とのうれしい知らせが入る.大家が「小さい子供がいてかわいそうだから日曜日だけど何とかしてあげて」とお願いしてくれたらしい.イタリアでは「小さい子供」の存在は大きな武器だ.実は寒さに震えているのは大人の方なのだが...
12時に待ちかねた技術屋が来てくれる.原因はすぐに発覚し,その部品を交換するだけで再びボイラーが動き出した.彼は大変真面目で,単に動き出したことに満足せず,我々を巻き込みながら,念入りにボイラー内のガスの燃焼状態を確かめ始めた.また,「水道のフィルターを交換した方がいい」,「リスカルダ(暖房)の栓を取り替えた方がいい」というアドバイスももらった.建築設備全体の技術屋なのかも知れない.かわいそうに,その途中で彼が足を痛めてしまったほど熱心だった.これまでの経験上,イタリア人はこのあたりのプロ意識(時として独善的だが)を感じること亜出来る.
1時間少しで作業が終了.日曜日に来てくれたので,料金は日曜特別料金の100ユーロとチップ20ユーロを併せた120ユーロだ.請求は大家に行くと事前に聞いていたのだが,結局私が支払う.「領収書をくれない?」と聞くと,「大家に送っておくよ」という.支払ったのは私なので,なんでこちらにくれないのか不思議である.支払いの不透明さも,またイタリアだ.
2010年12月3日金曜日
Toscanaの素晴らしさを実感:SienaとArezzo(3)
翌日の日曜日,あいにく朝から豪雨である.しかも底冷えがする寒さだ.それでも行かなければならない理由があったので仕方なくArezzoに向かう.Sienaからは80kmくらいの距離であるが,ほとんど高速道路なので1時間ちょっとで到着する.
ArezzoはSienaと違って台上の都市ではないが,その替わりに城壁に囲まれている.日曜日で豪雨であったせいか,街のへそにあたるG.Monaco広場近くの駐車場にすんなり車を泊めることができた.ここからは主要な見所までは徒歩圏内だ.幸い,雨が小降りになってきたので散策を開始する.
Arezzoに来た理由は,San Francesco教会の有名なフレスコ画を見に来たからだ.時間帯当たりの見学可能人数が決まっているのだが,事前予約が可能なので,金曜日の内に予約しておいたのだ.予約段階で料金が決済されるので,キャンセルするわけにはいかなかったのだ.予約票を持って事前にチケットに交換しなければならない.予約時刻である13時よりもだいぶ早かったので,「空きがあったら早い時間に振り替えてもらえないか?」と聞いてみると,「今日は13時が一番最初の時間帯です」と言われる.そうだ,日曜日だから午前中はミサだな...
13時まで2時間あるので,街中を練り歩くことにする.まずは市庁舎へ向かう.Toscanaの街の市庁舎はだいたい似たような建物のようで,もはやそんなに感動しない.次にDuomoに向かう.ロマネスクとゴシックが混ざったような様式だ(最近はこのくらいは分かるようになってきた.それで大体の建立時期が推測できる).SienaやFirenzeの派手なゴシックのDuomoを見てきているので,感動度はやや低いが,それなりに荘厳である.たまたま正午の鐘を聞くことになったが,これはそれなりに見事だった.
たぶんDuomoが旧市街で一番高いところにあり,ここから坂を下ってSanta Maria delle Pieve教会に向かう.これはPisa式ロマネスク様式のファサードが有名で,教会のファサードとしてはユニークではないかと感じた.その後にピザをぱくついて,いよいよメインディッシュのフレスコ画である.
そのフレスコ画,Leggenda della Santa Croce(聖十字架伝説というらしい)は,ルネッサンスのフレスコ画の最高傑作と言われているらしい.主祭壇奥の囲まれた空間の正面,左右の三面にそれが描かれている.実は,チケットを買わなくても,このフレスコ画の一部は主祭壇近くから見えるのだが,一番有名なシーンはやはりチケットがないと見ることが出来ないようだ.正直言って,どのような点が素晴らしいのかは分からないが,保存状態はまあまあ良かったことは救いだ.フレスコ画なので基本的に鮮やかでなく,高い所の画はあまりよく見えない.6ユーロも取るのだから,もう少し見せ方を考えてくれてもいいのではと思う.それでもこれまで来てみたフレスコ画の中では映えてみてたことだけは確かだ.ちなみに撮影は禁止である.
これで散策を終了し,ローマに戻ることにした.途中の高速道路で集中豪雨に見舞われて怖かったが,無事ローマに帰還.その日の夜は雨が雪に変わったそうだ.あぶないあぶない.
ArezzoはSienaと違って台上の都市ではないが,その替わりに城壁に囲まれている.日曜日で豪雨であったせいか,街のへそにあたるG.Monaco広場近くの駐車場にすんなり車を泊めることができた.ここからは主要な見所までは徒歩圏内だ.幸い,雨が小降りになってきたので散策を開始する.
Arezzoに来た理由は,San Francesco教会の有名なフレスコ画を見に来たからだ.時間帯当たりの見学可能人数が決まっているのだが,事前予約が可能なので,金曜日の内に予約しておいたのだ.予約段階で料金が決済されるので,キャンセルするわけにはいかなかったのだ.予約票を持って事前にチケットに交換しなければならない.予約時刻である13時よりもだいぶ早かったので,「空きがあったら早い時間に振り替えてもらえないか?」と聞いてみると,「今日は13時が一番最初の時間帯です」と言われる.そうだ,日曜日だから午前中はミサだな...
13時まで2時間あるので,街中を練り歩くことにする.まずは市庁舎へ向かう.Toscanaの街の市庁舎はだいたい似たような建物のようで,もはやそんなに感動しない.次にDuomoに向かう.ロマネスクとゴシックが混ざったような様式だ(最近はこのくらいは分かるようになってきた.それで大体の建立時期が推測できる).SienaやFirenzeの派手なゴシックのDuomoを見てきているので,感動度はやや低いが,それなりに荘厳である.たまたま正午の鐘を聞くことになったが,これはそれなりに見事だった.
たぶんDuomoが旧市街で一番高いところにあり,ここから坂を下ってSanta Maria delle Pieve教会に向かう.これはPisa式ロマネスク様式のファサードが有名で,教会のファサードとしてはユニークではないかと感じた.その後にピザをぱくついて,いよいよメインディッシュのフレスコ画である.
そのフレスコ画,Leggenda della Santa Croce(聖十字架伝説というらしい)は,ルネッサンスのフレスコ画の最高傑作と言われているらしい.主祭壇奥の囲まれた空間の正面,左右の三面にそれが描かれている.実は,チケットを買わなくても,このフレスコ画の一部は主祭壇近くから見えるのだが,一番有名なシーンはやはりチケットがないと見ることが出来ないようだ.正直言って,どのような点が素晴らしいのかは分からないが,保存状態はまあまあ良かったことは救いだ.フレスコ画なので基本的に鮮やかでなく,高い所の画はあまりよく見えない.6ユーロも取るのだから,もう少し見せ方を考えてくれてもいいのではと思う.それでもこれまで来てみたフレスコ画の中では映えてみてたことだけは確かだ.ちなみに撮影は禁止である.
これで散策を終了し,ローマに戻ることにした.途中の高速道路で集中豪雨に見舞われて怖かったが,無事ローマに帰還.その日の夜は雨が雪に変わったそうだ.あぶないあぶない.
2010年12月2日木曜日
Toscanaの素晴らしさを実感:SienaとArezzo(2)
Duomoだけでもそれなりに見応えがあるが,SienaではやはりCampo広場を見なければならないだろう.Campo広場は,自称か他称かは不明だが,「世界一美しい広場」と言われている.Duomoからは歩いて数分で辿り着く.
程なく広場に到着.広角レンズを使わないと,広場の全景を写真に収めることができない.この広場,確かに美しい空間だと感じたし,なにより平坦でないところがなかなかユニークである.雪が積もったら,子供達はそりをして遊ぶのだろうか.樹木他一切ないのが,割り切っていて好感が持てる.その分,夏は灼熱だとは思うが...ちなみに夏は広場を使って競馬の祭りをやるそうだ.
時刻も15時を過ぎて太陽も沈もうとしているので,広場はほぼ日陰となっていた(写真が暗いのはそのためです).気温も低かった(欧州は寒波に襲われている)せいもあり,あまり滞留する気にならなかったのは残念だ. お腹も空いていたので,広場に面する切り売りピザ屋で遅い昼食を取ることに.
ピザを食べてから,写真にも写っている市庁舎のMangiaの塔に向かう.もちろん,上には展望台があるようだ.さぞかしいい眺めなのだろうと期待していったのだが,何と15時15分でクローズ.ピザを食べている場合ではなかったのだ.これには子供達とともにガッカリ.翌日はArezzoに向かうことになっていたし,天気も悪い予報だったので,塔への登頂はあきらめることにした.
後は,代表的な教会を見ながら街を散策だ.それにしても,車の乗り入れ規制がかなり厳しく徹底されているのか,単に土曜日だったせいなのか,街中で車をあまり見かけない.Toscana周辺の都市の歴史地区は,他のイタリアの都市と違って自動車公害とは無縁である.坂と階段が多いことを除けば,そぞろ歩きしていても快適である.
夕食では,Siena名物のPiciというパスタとイノシシ肉を堪能.ワインも美味しい.本当にToscanaの旅行は景色から食に至るまで素晴らしい.ちなみに,Piciはコシのないうどんのような食感だ.まずいわけではないが,堅いゆであがりのパスタが好みの方にはお薦めしない.
程なく広場に到着.広角レンズを使わないと,広場の全景を写真に収めることができない.この広場,確かに美しい空間だと感じたし,なにより平坦でないところがなかなかユニークである.雪が積もったら,子供達はそりをして遊ぶのだろうか.樹木他一切ないのが,割り切っていて好感が持てる.その分,夏は灼熱だとは思うが...ちなみに夏は広場を使って競馬の祭りをやるそうだ.
時刻も15時を過ぎて太陽も沈もうとしているので,広場はほぼ日陰となっていた(写真が暗いのはそのためです).気温も低かった(欧州は寒波に襲われている)せいもあり,あまり滞留する気にならなかったのは残念だ. お腹も空いていたので,広場に面する切り売りピザ屋で遅い昼食を取ることに.
ピザを食べてから,写真にも写っている市庁舎のMangiaの塔に向かう.もちろん,上には展望台があるようだ.さぞかしいい眺めなのだろうと期待していったのだが,何と15時15分でクローズ.ピザを食べている場合ではなかったのだ.これには子供達とともにガッカリ.翌日はArezzoに向かうことになっていたし,天気も悪い予報だったので,塔への登頂はあきらめることにした.
後は,代表的な教会を見ながら街を散策だ.それにしても,車の乗り入れ規制がかなり厳しく徹底されているのか,単に土曜日だったせいなのか,街中で車をあまり見かけない.Toscana周辺の都市の歴史地区は,他のイタリアの都市と違って自動車公害とは無縁である.坂と階段が多いことを除けば,そぞろ歩きしていても快適である.
夕食では,Siena名物のPiciというパスタとイノシシ肉を堪能.ワインも美味しい.本当にToscanaの旅行は景色から食に至るまで素晴らしい.ちなみに,Piciはコシのないうどんのような食感だ.まずいわけではないが,堅いゆであがりのパスタが好みの方にはお薦めしない.
2010年12月1日水曜日
Toscanaの素晴らしさを実感:SienaとArezzo(1)
イタリア滞在もいよいよ残り4ヶ月を切った.夏休み以降,仕事が忙しかったせいもあり,その間の時間の進み方は本当に早く感じた.気がつくと,まだまだ行っていないところがたくさんある.もはや週末ごとに遠征に出ないと間に合わない.
そう思って,先週末はSienaとArezzoに一泊旅行をすることにした.しかも,ホテルを金曜日の深夜に予約するというドタバタぶり,本当に思い付きだ.こんな時は,インターネットで気軽にホテル予約が出来ることに感激する.旧来的な旅行業者にはつらい時代だ.
土曜日の朝,Sienaに向けて車で出発.距離はRomaからは250kmくらい,ほとんど高速なので,順調にいけば3時間もかからずに到着する.この日は最近では珍しく,終日天気に恵まれた.途中のドライブも快適で,予定通り13時前にSienaに到着だ.
Toscana地方の街は,丘上や台地上の要害に展開するものが多いが,Sienaもそうだ.恐らく,登録者以外,城壁に囲まれた歴史地区への車の乗り入れは規制されている.観光客は,崖下にある大型駐車場に車を泊めて,徒歩で市街地に向かわなければならない.
約半年前に行ったOrvietoやAssisiやPerugiaも崖下駐車場から無料のエスカレーター群で市街地へアクセスすることが出来たが,ここも同じだ.駐車場から200mくらい歩き,5,6基くらいのエスカレーターを乗り継いで,市街地へ向かう.
続きは次回.
そう思って,先週末はSienaとArezzoに一泊旅行をすることにした.しかも,ホテルを金曜日の深夜に予約するというドタバタぶり,本当に思い付きだ.こんな時は,インターネットで気軽にホテル予約が出来ることに感激する.旧来的な旅行業者にはつらい時代だ.
土曜日の朝,Sienaに向けて車で出発.距離はRomaからは250kmくらい,ほとんど高速なので,順調にいけば3時間もかからずに到着する.この日は最近では珍しく,終日天気に恵まれた.途中のドライブも快適で,予定通り13時前にSienaに到着だ.
Toscana地方の街は,丘上や台地上の要害に展開するものが多いが,Sienaもそうだ.恐らく,登録者以外,城壁に囲まれた歴史地区への車の乗り入れは規制されている.観光客は,崖下にある大型駐車場に車を泊めて,徒歩で市街地に向かわなければならない.
約半年前に行ったOrvietoやAssisiやPerugiaも崖下駐車場から無料のエスカレーター群で市街地へアクセスすることが出来たが,ここも同じだ.駐車場から200mくらい歩き,5,6基くらいのエスカレーターを乗り継いで,市街地へ向かう.
この駐車場は市街地の西側だったので,まずはDuomoに向かう.Duomoは,聖堂本体と洗礼堂,付属美術館がセットになっていて,入場料は大人10ユーロ,10歳と6歳の子供は無料だった.このDuomo,見事なゴシック様式のファサードである.これまで見たイタリアのDuomoの中でも三本の指に入る外観だと思う.内装も見事で,床の大理石の象嵌は必見だろう.洗礼堂や美術館は一切の撮影禁止なので,自分の目で楽しみたい.美術館では,展望台からSienaの眺望も楽しめる.全部見るのに最低でも1時間半はかかるので要注意.
続きは次回.
2010年11月30日火曜日
またまた徒労に終わる滞在許可申請(2)
さて,面接会場で,担当官が「どんなタイプのビザで入国したのか?」と聞く.「日本からはノービザでも観光ビザとして3ヶ月は連続で滞在できるので,それで入った」と英語で言うと,「現在のプロセスはこれ以上続ける必要はない」と担当官の返答.「えっ,申請する必要がないの?」と返すと,「ここではこれ以上対応できないので,滞在ビザを取ってから来て」と言われる.
はぁ,また一苦労だ.仕方ないので,弁護士に電話して交渉してもらう.すると,担当官は上司に相談して,弁護士に何やら問題点を伝えているようだ.担当官が電話を返してきたので,弁護士と話をすると,「準備した書類は問題ないので,次回は子供を伴って来て欲しい」ということのようだった.だったら,最初からそう言ってくれ! しかも,子供を同行しろとは誰もいっていないし,どこにも書いてない.子供の申請書類は一切必要ないのに.
滞在許可を認める条件とその根拠法が,コロコロ変わるから現場で徹底されていない.今回もそのことをむなしく経験することになった.「次はいつがいい?」と担当官.仕方ないので子供の学校が休みの間にしてもらうことに.一ヶ月後にまたまた出頭である.次の面接時の担当官はどのような判断を下すのだろうか? 今回と同じ判断と対応をする保証はどこにもない.「○○の書類が足りないから作ってきて」と言われる可能性も残っている.そう考えると,憤りを通り越してむなしいだけだ.
はぁ,また一苦労だ.仕方ないので,弁護士に電話して交渉してもらう.すると,担当官は上司に相談して,弁護士に何やら問題点を伝えているようだ.担当官が電話を返してきたので,弁護士と話をすると,「準備した書類は問題ないので,次回は子供を伴って来て欲しい」ということのようだった.だったら,最初からそう言ってくれ! しかも,子供を同行しろとは誰もいっていないし,どこにも書いてない.子供の申請書類は一切必要ないのに.
滞在許可を認める条件とその根拠法が,コロコロ変わるから現場で徹底されていない.今回もそのことをむなしく経験することになった.「次はいつがいい?」と担当官.仕方ないので子供の学校が休みの間にしてもらうことに.一ヶ月後にまたまた出頭である.次の面接時の担当官はどのような判断を下すのだろうか? 今回と同じ判断と対応をする保証はどこにもない.「○○の書類が足りないから作ってきて」と言われる可能性も残っている.そう考えると,憤りを通り越してむなしいだけだ.
2010年11月29日月曜日
またまた徒労に終わる滞在許可申請(1)
本日は,私以外の家族の滞在許可申請の再出頭の日だ.指定時刻はまたしても午前9時.子供達をローマ西部にある日本人学校に送ってからローマ東部にあるQuesturaに9時に到着するのは,公共交通を使っても車を使っても,物理的に不可能だ.ローマの朝は1時間に10kmも動ければ御の字だから.しかし,遅れていっても全く問題ない.遅刻しても入場できるようだし,そもそも9時になんか入場できない.
前回は,郵便で送付した書類が到着していなかったという理由で,再度の出頭を命じられた.郵便局での申請をお願いした弁護士は,こんなことを見越していたようで,申請書はさすがにオリジナルだが,それ以外の添付書類はコピーを郵送用の封筒に入れておいたらしいのだ.さすがである.今回はオリジナル書類をきちんと持って出頭.しかし,家族4名分のパスポートの全頁コピーは紛失されてしまったので取り直し.全く,何頁あると思ってるんだ!
このQuesturaは今回で三度目であるが,「イタリアではない空間」を毎回感じることが出来る.今回ももちろん移民達の熱気で溢れている.
さて,「9時!」という門番のかけ声を聞いて,一目散に家内と入り口に向かう.前回は,「あなたは入れない」と言われたところを,「家内だけだと厳しいから」と言うと,すんなり同行させてくれたのだが,今回は,絶対にダメという態度だ.「日本人だから別に大丈夫だろう?」と言っているようには聞こえたのだが,仕方ないので,家内だけで面接会場に行かせることにする.
10分くらいして家内の携帯に電話すると,既に面接を受けているようだ.今までの経験では建物に入ってからロビー空間で面接まで30分くらいは待つのだ.そんなんだったら,来場者を外に待たせないで中に入れてあげてもいいのに,と思う.
それから少しして,家内から電話が入る.「係員が私の名前を呼ぶからそうしたら入ってきて欲しい」とのことだった.だから最初から入れてくれればいいのだ.大勢の前で名前を呼ばれて,警備員に連れられてそそくさと入口を通過.その周りの群衆は,「さっき訴えてたけど入れなかった日本人だ」という目である.本当に恥ずかしい.
さて,面接会場に到着.そこから,「えっ!」という展開になる.続きは次回.
前回は,郵便で送付した書類が到着していなかったという理由で,再度の出頭を命じられた.郵便局での申請をお願いした弁護士は,こんなことを見越していたようで,申請書はさすがにオリジナルだが,それ以外の添付書類はコピーを郵送用の封筒に入れておいたらしいのだ.さすがである.今回はオリジナル書類をきちんと持って出頭.しかし,家族4名分のパスポートの全頁コピーは紛失されてしまったので取り直し.全く,何頁あると思ってるんだ!
このQuesturaは今回で三度目であるが,「イタリアではない空間」を毎回感じることが出来る.今回ももちろん移民達の熱気で溢れている.
さて,「9時!」という門番のかけ声を聞いて,一目散に家内と入り口に向かう.前回は,「あなたは入れない」と言われたところを,「家内だけだと厳しいから」と言うと,すんなり同行させてくれたのだが,今回は,絶対にダメという態度だ.「日本人だから別に大丈夫だろう?」と言っているようには聞こえたのだが,仕方ないので,家内だけで面接会場に行かせることにする.
10分くらいして家内の携帯に電話すると,既に面接を受けているようだ.今までの経験では建物に入ってからロビー空間で面接まで30分くらいは待つのだ.そんなんだったら,来場者を外に待たせないで中に入れてあげてもいいのに,と思う.
それから少しして,家内から電話が入る.「係員が私の名前を呼ぶからそうしたら入ってきて欲しい」とのことだった.だから最初から入れてくれればいいのだ.大勢の前で名前を呼ばれて,警備員に連れられてそそくさと入口を通過.その周りの群衆は,「さっき訴えてたけど入れなかった日本人だ」という目である.本当に恥ずかしい.
さて,面接会場に到着.そこから,「えっ!」という展開になる.続きは次回.
2010年11月25日木曜日
自動車の将来を議論する会議:H2Roma
今日は少し真面目な話.ちょっと古い話だが,11月10日にローマで毎年開催される自動車業界の会議であるH2Romaを聴講した.私が現在所属する研究所が主催者に入っており,私にもメールで案内が回ってきたので,せっかくだから行ってみることにしたのだった.
H2Romaは,自動車の技術開発動向について,産官学で定期的に情報共有することが目的だと理解した.学術セッションしか聴講しなかったが,自動車会社の幹部クラスによるセッション,高校生に自動車技術を分かりやすく講義するイベントなどもあって,かなり大がかりなものだっだ.
学術セッションでは,環境対応車両の開発戦略と状況について,確か10くらいの会社から報告があった.プレゼンは一部英語であったが,ほとんどがイタリア語.しかし,きちんと同時通訳がされていたので,内容はかなり理解できて一安心.
環境分野では,やはり日本の自動車会社のプレゼンスは高いと感じることができ,日本関係でいいニュースを聞かない昨今,少しはホットすることができた.ホンダは参加していなかったが(最近ちょっと心配),トヨタ,日産,三菱からは話を聞くことが出来た.プラグイン・ハイブリッド(トヨタ)と電気自動車(日産・三菱)の戦いが,本格的に始まろうとしている時期であり,プレゼンでも相互の対抗意識がちらついている.
それに比べると,ドイツのメルセデス,BMW,ポルシェ,あるいはフランスのシトロエンは,既に社運をかけた戦略を披露した日本勢と比べるとまだ様子見という雰囲気が漂う.確かに,充電池の性能がどこまで上がるのか,レアメタルなどの原材料がどのくらい確保できるのか,様々な不確定要素があるようなので,開発に多大なコストがかかる状況で経営者としては難しい判断を迫られるのだろう.
我がイタリアのフィアットは,既存エンジンを改良して効率を上げるようなシステムを紹介していた.考え方としては分かるが,日本・ドイツ勢と比べると何とも前時代的で地味である.会社の存続が厳しいので,新規開発どころではないのだろうか.フィアットの将来が非常に心配である.
それにしても,自動車の将来を語るのも重要であるが,その前に,ローマでは交通流をきちんと管理して欲しいものだ.エネルギー消費の少ない電気自動車の登場を期待して,そのまま自動車中心の交通システムを続けるつもりなのだろうか?
H2Romaは,自動車の技術開発動向について,産官学で定期的に情報共有することが目的だと理解した.学術セッションしか聴講しなかったが,自動車会社の幹部クラスによるセッション,高校生に自動車技術を分かりやすく講義するイベントなどもあって,かなり大がかりなものだっだ.
学術セッションでは,環境対応車両の開発戦略と状況について,確か10くらいの会社から報告があった.プレゼンは一部英語であったが,ほとんどがイタリア語.しかし,きちんと同時通訳がされていたので,内容はかなり理解できて一安心.
環境分野では,やはり日本の自動車会社のプレゼンスは高いと感じることができ,日本関係でいいニュースを聞かない昨今,少しはホットすることができた.ホンダは参加していなかったが(最近ちょっと心配),トヨタ,日産,三菱からは話を聞くことが出来た.プラグイン・ハイブリッド(トヨタ)と電気自動車(日産・三菱)の戦いが,本格的に始まろうとしている時期であり,プレゼンでも相互の対抗意識がちらついている.
それに比べると,ドイツのメルセデス,BMW,ポルシェ,あるいはフランスのシトロエンは,既に社運をかけた戦略を披露した日本勢と比べるとまだ様子見という雰囲気が漂う.確かに,充電池の性能がどこまで上がるのか,レアメタルなどの原材料がどのくらい確保できるのか,様々な不確定要素があるようなので,開発に多大なコストがかかる状況で経営者としては難しい判断を迫られるのだろう.
我がイタリアのフィアットは,既存エンジンを改良して効率を上げるようなシステムを紹介していた.考え方としては分かるが,日本・ドイツ勢と比べると何とも前時代的で地味である.会社の存続が厳しいので,新規開発どころではないのだろうか.フィアットの将来が非常に心配である.
それにしても,自動車の将来を語るのも重要であるが,その前に,ローマでは交通流をきちんと管理して欲しいものだ.エネルギー消費の少ない電気自動車の登場を期待して,そのまま自動車中心の交通システムを続けるつもりなのだろうか?
2010年11月24日水曜日
ウィーン旅行で思ったこと(2)
ウィーンの街は大変静かだ.あくまで,ローマでのあのけたたましいクラクションと溢れる車のエンジン音に比べると,という意味である.滞在中は毎日曇天で寒々しく暗い雰囲気が漂う中,静寂の街はより一層寂しさを感じさせる.ローマと比べると日没も1時間くらいは早いようで,これも寂しさを増幅する.ウィーン在住の知人曰く,冬の間はずっとこんな感じなのだそうだ.
クリスマスまであと1ヶ月となり,ウィーンではあちこちの広場空間でクリスマスマーケットがオープンしていた.その存在が,何かと沈みがちになる真冬の街の雰囲気を明るくするのに確実に役立っているようだ.もちろん我々も毎日通って,そのワクワク感を少し分けてもらった.
ローマは相変わらず毎日雨降りである.それでもわずかな時間だが太陽が顔をのぞかせる日が多い.そんな一瞬の晴れ間が非常にありがたいと思う.ウィーンの人達から見れば大変恵まれている.
子供達はウィーンを大変気に入ったようだ.理由は「きれいだから」ということのようだ.ローマでは遠景はきれいなのだが近景はゴミだらけという場所が多いのだが,ウィーンは確かに近景もきれいである.街路を横断する時に車がきちんと停車してくれる.ローマのように,「渡るから止まれ!」というオーラを出して手で車を制してそそくさと横断する必要もない.
しかし,一時の観光ならウィーンは大変素晴らしいが,長く住むのなら,多くの困難を伴うが,断然ローマであると感じたのだった.恐らくウィーンは1ヶ月で飽きるだろうと思ったからだ.都市には多少の刺激が必要である.
クリスマスまであと1ヶ月となり,ウィーンではあちこちの広場空間でクリスマスマーケットがオープンしていた.その存在が,何かと沈みがちになる真冬の街の雰囲気を明るくするのに確実に役立っているようだ.もちろん我々も毎日通って,そのワクワク感を少し分けてもらった.
ローマは相変わらず毎日雨降りである.それでもわずかな時間だが太陽が顔をのぞかせる日が多い.そんな一瞬の晴れ間が非常にありがたいと思う.ウィーンの人達から見れば大変恵まれている.
子供達はウィーンを大変気に入ったようだ.理由は「きれいだから」ということのようだ.ローマでは遠景はきれいなのだが近景はゴミだらけという場所が多いのだが,ウィーンは確かに近景もきれいである.街路を横断する時に車がきちんと停車してくれる.ローマのように,「渡るから止まれ!」というオーラを出して手で車を制してそそくさと横断する必要もない.
しかし,一時の観光ならウィーンは大変素晴らしいが,長く住むのなら,多くの困難を伴うが,断然ローマであると感じたのだった.恐らくウィーンは1ヶ月で飽きるだろうと思ったからだ.都市には多少の刺激が必要である.
2010年11月23日火曜日
ウィーン旅行で思ったこと(1)
この4日ほどブログを更新していなかった.理由は,この週末にウィーンに3泊の旅行に出かけていたからである.ローマに滞在し始めてから初めて家族揃ってイタリア国外に出たのだった.
今日現在,依然として滞在許可証が取れていない.それでも私は何度も入国できるビザを持っているからまだいい.家内は申請自体がまだ受け付けられていない.この場合,法律上はイタリアから出国することはできないのだが,ウィーン行きの飛行機に乗る時にパスポートコントロールがないので,シェンゲン条約締結国相互の行き来には,この法律は実質的に意味がない.
ウィーンのホテルにチェックインする時,私のパスポート番号だけをゲストカードに記入しただけで,コピーすら取られなかったことには正直驚いた.ウィーンカードという,3日間公共交通乗り放題と,いくつかの観光施設で入場料割引の特典が付いたカードの購入にも,パスポート情報は一切必要ないのだ.
一方,我がイタリアでは,単なる観光客であっても,形式上滞在許可を申請しなければならないのである.ホテルは端末からゲストの情報を警察に提出しなければならないようだ.ホテルでなく,短期滞在者を引き受けるアパートの大家も然り.これに違反するとどんな罰則があるかは不明だが,聞くところによれば結構厳しいらしい.当局に,これらのデータを管理する能力がないと信じているのだが,それにしてもいつでも居場所を監視されている気がして,気持ちいいものではない.ウィーンでは,何か監視の目から一時的に逃れられた気がして,少しうれしかった.
オーストリア在住の知人に聞いたところによると,オーストリアでは観光ビザで入国してから,いくつかの手続きを経て,滞在許可が出るのだそうだ.もちろん,厳しい審査があると思うが,イタリアのようにいたずらに時を過ごすことなく,理不尽な理由でプロセスを引き延ばされることなく,数ヶ月オーダーで決着するのだろう.
オーストリアも旧東欧にもっとも近い位置にあり,イタリアと同様に歴史的に不法移民の問題には頭を痛めてきたはずだ.それでも,彼らが外国人を見た時に,内心は分からないが,基本的にやさしくフレンドリーな態度を取ってくれていると感じる(今回を含め三度の訪問だけでの印象であるが).イタリア,特にローマでの,外国人に対する冷たい目線と態度に十分に慣れた身としては,そのような態度が何か大変新鮮な物を感じたのであった.
今日現在,依然として滞在許可証が取れていない.それでも私は何度も入国できるビザを持っているからまだいい.家内は申請自体がまだ受け付けられていない.この場合,法律上はイタリアから出国することはできないのだが,ウィーン行きの飛行機に乗る時にパスポートコントロールがないので,シェンゲン条約締結国相互の行き来には,この法律は実質的に意味がない.
ウィーンのホテルにチェックインする時,私のパスポート番号だけをゲストカードに記入しただけで,コピーすら取られなかったことには正直驚いた.ウィーンカードという,3日間公共交通乗り放題と,いくつかの観光施設で入場料割引の特典が付いたカードの購入にも,パスポート情報は一切必要ないのだ.
一方,我がイタリアでは,単なる観光客であっても,形式上滞在許可を申請しなければならないのである.ホテルは端末からゲストの情報を警察に提出しなければならないようだ.ホテルでなく,短期滞在者を引き受けるアパートの大家も然り.これに違反するとどんな罰則があるかは不明だが,聞くところによれば結構厳しいらしい.当局に,これらのデータを管理する能力がないと信じているのだが,それにしてもいつでも居場所を監視されている気がして,気持ちいいものではない.ウィーンでは,何か監視の目から一時的に逃れられた気がして,少しうれしかった.
オーストリア在住の知人に聞いたところによると,オーストリアでは観光ビザで入国してから,いくつかの手続きを経て,滞在許可が出るのだそうだ.もちろん,厳しい審査があると思うが,イタリアのようにいたずらに時を過ごすことなく,理不尽な理由でプロセスを引き延ばされることなく,数ヶ月オーダーで決着するのだろう.
オーストリアも旧東欧にもっとも近い位置にあり,イタリアと同様に歴史的に不法移民の問題には頭を痛めてきたはずだ.それでも,彼らが外国人を見た時に,内心は分からないが,基本的にやさしくフレンドリーな態度を取ってくれていると感じる(今回を含め三度の訪問だけでの印象であるが).イタリア,特にローマでの,外国人に対する冷たい目線と態度に十分に慣れた身としては,そのような態度が何か大変新鮮な物を感じたのであった.
2010年11月18日木曜日
L'aquilaの悲しい現実(3)
車に戻り,今度は旧市街の西にあるFontana delle 99 Cannelle(99の噴き出しの噴水)に向かうことにした.FSの駅から500メートル弱のところにあるのだが,駅からの道は一方通行に変更されていて,近づけない.仕方ないので駅前駐車場に車を置いて,歩いてアクセスする.ちなにみ駅舎も修復工事中である.
噴水に到着すると,ここも噴水など機能していない状態だ.本当は99個の異なる顔の彫刻の口から水が流れ出ているはずなのだ.もちろん噴水の周りの建物も,被害があったままで放置されている.もう壊れた建物はこれ以上見たくない.
地震後に,先進国からの復興支援を期待して,サミットの開催場所を無理矢理L'aquilaに変更したことは知っている.サミットが開かれたことがとても信じられないくらいの被害状況だ.一年半経ってもこの状態では,期待通りの支援が得られなかったのだろう.復旧には少なくとも十年オーダーの時が必要なのではないだろうか.復興はさらに時間がかかる.それにしても,役所関係の建物ですらほとんど復旧していないのは,さすがに「何をもたもたしているのか!」と憤りを感じざるを得ない.
情報が飛び交い,人々の移動の自由度が増した現在では,街がそのまま荒廃しないためには,何よりも復旧にスピード感と人々の強い意志が必要なのだ.今は,これまで何度地震に見舞われてもその都度復興してきた力を信じるしかない.
ちなみに,日本政府も復興支援にささやかに協力しているそうだ.そのうち,建築家の坂茂氏による「紙のコンサートホール」の建設現場(旧市街の外)を遠くから見てきたが,もう少しで完成しそうな状態だった.
噴水に到着すると,ここも噴水など機能していない状態だ.本当は99個の異なる顔の彫刻の口から水が流れ出ているはずなのだ.もちろん噴水の周りの建物も,被害があったままで放置されている.もう壊れた建物はこれ以上見たくない.
地震後に,先進国からの復興支援を期待して,サミットの開催場所を無理矢理L'aquilaに変更したことは知っている.サミットが開かれたことがとても信じられないくらいの被害状況だ.一年半経ってもこの状態では,期待通りの支援が得られなかったのだろう.復旧には少なくとも十年オーダーの時が必要なのではないだろうか.復興はさらに時間がかかる.それにしても,役所関係の建物ですらほとんど復旧していないのは,さすがに「何をもたもたしているのか!」と憤りを感じざるを得ない.
情報が飛び交い,人々の移動の自由度が増した現在では,街がそのまま荒廃しないためには,何よりも復旧にスピード感と人々の強い意志が必要なのだ.今は,これまで何度地震に見舞われてもその都度復興してきた力を信じるしかない.
ちなみに,日本政府も復興支援にささやかに協力しているそうだ.そのうち,建築家の坂茂氏による「紙のコンサートホール」の建設現場(旧市街の外)を遠くから見てきたが,もう少しで完成しそうな状態だった.
2010年11月17日水曜日
L'aquilaの悲しい現実(2)
車を旧市街北東側に移動して,Castello近くの道路に路駐する.青線が引かれてあったので有料なのだが,肝心のパーキングメーターは壊れていて使えないので,実質無料だ.さっそくCastelloに向かう.堀に囲まれた四角い城で,Google Mapの航空写真で確認できる,均整の取れた美しい形そのものだ.残念ながら人が全くいなかったので,外観を見ただけで立ち去ることに.
いよいよ旧市街へと歩を進める.すると,地震で壊れたまま復旧がほとんど進んでいない旧市街がとたんに目に入る.多くの街路は柵で封鎖されている.建物も一部で櫓が組まれているが,土曜日だったこともあるのか,修復作業が全く行われていない.観光客が数組,要所で監視する警備員,一部開いているBarの店員以外は誰もいない.恐らく全住民が避難を続けている状況なのだろう.やはり,350名も尊い命が奪われた大地震なのだ.
次の目的地をSan Bernardino聖堂に決める.この聖堂の美しいファサードは,薄い平板のような構造物なのに奇跡的に生き残っている.その奥の聖堂のドーム空間は櫓が組まれていたので,大きな被害が出たのだろう.もちろん内部へのアクセスは出来ない状態だ.ファサードが拝めただけでも御の字だ.
次に市庁舎に向かおうとするが,そのアクセス道路は封鎖されている.仕方ないので中心のDuomo
広場を目指す.その途中で,開いていたBarに立ち寄る.こんな状況では,まともに稼げないだろうが,我々みたいな物好き観光客のために仕方なく開けているのだろう.本当に頭が下がる.
Barを出てCorso Vittorio Emanuereを南に進む.名前から判断するとこれが旧市街随一の目抜き通りだろう.L'aquila大学や役所も沿道にあったのだが,全て閉鎖されている.その前には,柵に通りの名称が書いてある紙がたくさん貼られている.想像するに,復旧が完了した通りから,その紙を剥がしてくのだろう.長い間貼られているようで色あせている.あぁ,全部剥がされるのはいつの日になるのか...
そこを通り過ぎるとDuomo広場に到着.我々を含めて二組の観光客しかいない.足を引きずっている犬が徘徊している.その目はやはりもの悲しい.ここに隣接するきれいな建物も,もはや近くに行って写真を撮る気にもならず,車に戻ることに.続きは次回.
いよいよ旧市街へと歩を進める.すると,地震で壊れたまま復旧がほとんど進んでいない旧市街がとたんに目に入る.多くの街路は柵で封鎖されている.建物も一部で櫓が組まれているが,土曜日だったこともあるのか,修復作業が全く行われていない.観光客が数組,要所で監視する警備員,一部開いているBarの店員以外は誰もいない.恐らく全住民が避難を続けている状況なのだろう.やはり,350名も尊い命が奪われた大地震なのだ.
次の目的地をSan Bernardino聖堂に決める.この聖堂の美しいファサードは,薄い平板のような構造物なのに奇跡的に生き残っている.その奥の聖堂のドーム空間は櫓が組まれていたので,大きな被害が出たのだろう.もちろん内部へのアクセスは出来ない状態だ.ファサードが拝めただけでも御の字だ.
次に市庁舎に向かおうとするが,そのアクセス道路は封鎖されている.仕方ないので中心のDuomo
広場を目指す.その途中で,開いていたBarに立ち寄る.こんな状況では,まともに稼げないだろうが,我々みたいな物好き観光客のために仕方なく開けているのだろう.本当に頭が下がる.
Barを出てCorso Vittorio Emanuereを南に進む.名前から判断するとこれが旧市街随一の目抜き通りだろう.L'aquila大学や役所も沿道にあったのだが,全て閉鎖されている.その前には,柵に通りの名称が書いてある紙がたくさん貼られている.想像するに,復旧が完了した通りから,その紙を剥がしてくのだろう.長い間貼られているようで色あせている.あぁ,全部剥がされるのはいつの日になるのか...
そこを通り過ぎるとDuomo広場に到着.我々を含めて二組の観光客しかいない.足を引きずっている犬が徘徊している.その目はやはりもの悲しい.ここに隣接するきれいな建物も,もはや近くに行って写真を撮る気にもならず,車に戻ることに.続きは次回.
2010年11月16日火曜日
L'aquilaの悲しい現実(1)
先週末の土曜日.その前の土曜日に続いて,この日も朝から快晴だった.そこで,ローマから日帰りできる観光地に行くことにした.残された場所はあまりない.ふと,昨年春に地震のあったL'aquilaはどうなっているのだろうかと思い立った.9月に仕事で行く可能性があったのだが,結局行けなかったので,思い立ったが吉日,いいチャンスだ.
ローマからは高速道路A24号線で一直線だ.一時間もあれば着くかと思っていたが,思ったより距離があり,結局一時間半くらいでL'aquilaに到着.標高が700m以上のようで,確かにローマからはアップダウンを繰り返しながら,全体的にはちょっとずつ坂を登っていく感じだ.L'aquilaの周辺の山は,既に山頂が雪に覆われていた.どうやらウィンターリゾートも盛んなようだ.
高速道路では,特に地震の影響を感じさせるものは皆無であった.「もうそれなりに復興しているのかな?」と思いながら,インターを降りて街に入る.すると,あちこちでひび割れた建物や崩壊した壁が残っている.道路もところどころ閉鎖されていて,カーナビがあまり役に立たない状況だ.それでも,この段階では街が死んでいるようには見えなかった.
次に気になったのは,有名な観光施設が崩壊しているかどうかだ.まずは,カトリックの”聖なる扉”の由来となったSanta Maria di Collemaggio教会に向かうことにした.これは旧市街の南東部外縁にあり,そのそばに大きなバスターミナルと駐車場があったので,そこに駐車してそこから徒歩で教会に向かう.
教会前の広場空間に到着.ここには石畳でもあったのだと想像されるが,地震後一年半が経過した現在でも,全く修復されず,単なる土の広場だ.教会の外側には特に大きな損傷はなさそうだったので,一安心.
しかし,中には入れない.恐らく内部の崩壊がひどいのだろう.教会の横では,軍隊のような警備員が車両に常駐して,来訪客(我々の他に一組いた)をじろっと見ている.これ以上,ここにいても仕方ないので,美しい教会の外観が拝めたことに一応の満足をして,ここを立ち去ることにした.
次に,旧市街中心部にあるいくつかの施設に向かうことにした.徒歩で行こうとしたのだが,バスターミナルから旧市街の中心のDuomo広場に向かう地下道は閉鎖されているし,階段のある街路もいまだに閉鎖されていて,警備員が見張っている.あまりの街路と建物の状態がひどく,思わず息をのむ.仕方ないので,旧市街に入れるところが別にないか,車で探すことにした.続きは次回.
ローマからは高速道路A24号線で一直線だ.一時間もあれば着くかと思っていたが,思ったより距離があり,結局一時間半くらいでL'aquilaに到着.標高が700m以上のようで,確かにローマからはアップダウンを繰り返しながら,全体的にはちょっとずつ坂を登っていく感じだ.L'aquilaの周辺の山は,既に山頂が雪に覆われていた.どうやらウィンターリゾートも盛んなようだ.
高速道路では,特に地震の影響を感じさせるものは皆無であった.「もうそれなりに復興しているのかな?」と思いながら,インターを降りて街に入る.すると,あちこちでひび割れた建物や崩壊した壁が残っている.道路もところどころ閉鎖されていて,カーナビがあまり役に立たない状況だ.それでも,この段階では街が死んでいるようには見えなかった.
次に気になったのは,有名な観光施設が崩壊しているかどうかだ.まずは,カトリックの”聖なる扉”の由来となったSanta Maria di Collemaggio教会に向かうことにした.これは旧市街の南東部外縁にあり,そのそばに大きなバスターミナルと駐車場があったので,そこに駐車してそこから徒歩で教会に向かう.
教会前の広場空間に到着.ここには石畳でもあったのだと想像されるが,地震後一年半が経過した現在でも,全く修復されず,単なる土の広場だ.教会の外側には特に大きな損傷はなさそうだったので,一安心.
しかし,中には入れない.恐らく内部の崩壊がひどいのだろう.教会の横では,軍隊のような警備員が車両に常駐して,来訪客(我々の他に一組いた)をじろっと見ている.これ以上,ここにいても仕方ないので,美しい教会の外観が拝めたことに一応の満足をして,ここを立ち去ることにした.
次に,旧市街中心部にあるいくつかの施設に向かうことにした.徒歩で行こうとしたのだが,バスターミナルから旧市街の中心のDuomo広場に向かう地下道は閉鎖されているし,階段のある街路もいまだに閉鎖されていて,警備員が見張っている.あまりの街路と建物の状態がひどく,思わず息をのむ.仕方ないので,旧市街に入れるところが別にないか,車で探すことにした.続きは次回.
2010年11月15日月曜日
珍しいローマでのキャッチボール
子供達が通うローマ日本人学校では,小学部3年以上に課外活動がある.いわゆるクラブ活動だ.長男は男子中心の球技のグループに入っているらしい.一学期は炎天下の中サッカーをやっていたようなのだが,二学期は何と野球だ.
「各家庭でグローブを用意して欲しい」との連絡があった.こんなことになるとは思ってもいなかったので,グローブは日本に置いてきてしまった.仕方ないのでローマのスポーツ店で探すことにしたが,大抵の店では野球用品なんか置いていないことは想像通りだ.
イタリアは実は野球はプロリーグがあるのだが,盛ん?なのはボローニアの当たりで,プロチームはこのあたりに固まっている.首都ローマにはプロチームはない.インターネットで検索しても,野球用品を扱うスポーツ店はボローニア当たりしか見あたらない.
結局,ローマで最大のスポーツ店と思われるDecathronで見つけることが出来た.もちろんブランドを選べる環境になく,聞いたこともないようなブランドのものしかない.しかも,作りがしっかりしていないので,取りにくそうだ.その分ものすごく安くて20ユーロはしなかったと思う.キャッチャーミットやファーストミットはなかったが,これらのポジションの人はどこで買えるのだろうか.面白かったのは,左利きのものが多かったこと.イタリア人は左利きが多いらしい.何とか残っていた最後の右利きグローブを購入.
その後,親族が来た時に持ってきてくれたり,私も日本に出張した時に購入したりして,家族人数分のグローブが揃った.そのため,最近は子供達と住宅の敷地内や公園でキャッチボールをしている.すると,「あの東洋人は何をしてるのか?」と怪訝な顔をされたり,興味ありそうに「何をやっているのか?」と話しかけられたりして,なかなか愉快である.日本では多くの公園でキャッチボールが禁止されているんですよね,そういえば.
「各家庭でグローブを用意して欲しい」との連絡があった.こんなことになるとは思ってもいなかったので,グローブは日本に置いてきてしまった.仕方ないのでローマのスポーツ店で探すことにしたが,大抵の店では野球用品なんか置いていないことは想像通りだ.
イタリアは実は野球はプロリーグがあるのだが,盛ん?なのはボローニアの当たりで,プロチームはこのあたりに固まっている.首都ローマにはプロチームはない.インターネットで検索しても,野球用品を扱うスポーツ店はボローニア当たりしか見あたらない.
結局,ローマで最大のスポーツ店と思われるDecathronで見つけることが出来た.もちろんブランドを選べる環境になく,聞いたこともないようなブランドのものしかない.しかも,作りがしっかりしていないので,取りにくそうだ.その分ものすごく安くて20ユーロはしなかったと思う.キャッチャーミットやファーストミットはなかったが,これらのポジションの人はどこで買えるのだろうか.面白かったのは,左利きのものが多かったこと.イタリア人は左利きが多いらしい.何とか残っていた最後の右利きグローブを購入.
その後,親族が来た時に持ってきてくれたり,私も日本に出張した時に購入したりして,家族人数分のグローブが揃った.そのため,最近は子供達と住宅の敷地内や公園でキャッチボールをしている.すると,「あの東洋人は何をしてるのか?」と怪訝な顔をされたり,興味ありそうに「何をやっているのか?」と話しかけられたりして,なかなか愉快である.日本では多くの公園でキャッチボールが禁止されているんですよね,そういえば.
2010年11月12日金曜日
エトルリアの古代墓地Necropoli
ローマの建国は紀元前750年頃と言われている.当時,中部イタリアで力を持っていたのはエトルリアで,ローマの北側を支配していたようだ.Tarquiniaはその有力な都市の一つと考えられる.エトルリア人は建築技術に長けており,ローマは建築・土木技術を彼らから学んだと言われている.私のような土木屋からすると大先祖である.エトルリア人の起源,使用言語はよく分かっておらず,依然として謎の民のようだ.ちなみに,ティレニア海はエトルリア人の海,トスカーナはエトルリア人の土地という意味らしい.
現在のTarquiniaの街から数km東方向に行くとNecropoliがある.Necropoliは共同墓地という意味らしい.Tarquinia博物館との共通券で一人8.5ユーロ,子供は無料だった.入口に土産物やガイドブックを売る売店と,ちょっとした喫茶空間も確か入っていたと思う.
さてこのNecropoli,草原のような丘に小さな小屋が20軒ほど点々と展開している.日陰もなく,真夏はきついだろう.雨天時もつらい.我々が訪れたのは秋晴れで,着込んでいるとやや暑いといった感じだったので,天候としては恵まれている.この小屋から地下の埋葬空間に入っていく.
薄暗い階段を下りていくと,石室となっている埋葬空間の前に辿り着く.この空間は入ることが出来ず,ガラス越しに眺めることしかできない.セルフで石室の照明を付けなければならない.石室の壁面には色鮮やかな壁画が描かれている.死後に寂しくないように,明るい色調で彩ったのかもしれない.
小屋に掲示されている説明文(イタリア語と英語の併記)によると,作られたのは大体が紀元前4~6世紀であった.発見自体はここ100年というオーダーだったので,7割くらいの石室は風化が進んでしまっている.色鮮やかな壁画が見れるのは全体の2割くらいだろうか.慣れてくると,掲示板を見ただけで,見る価値がありそうな石室かどうか分かるようになる.
それにしても,こんな墓地空間を見ているだけで,エトルリアの往時は大変力があったのだと理解できる.博物館で飽きるほど見た石棺の彫刻の細かさと併せて,その建築技術と芸術性に思わず感嘆する.残念ながら我がローマに滅ぼされてしまったが,その高い技量は,”敗者同化政策”を徹底したローマでなければ,危険視されて徹底的に排除されたであろう.
現在のTarquiniaの街から数km東方向に行くとNecropoliがある.Necropoliは共同墓地という意味らしい.Tarquinia博物館との共通券で一人8.5ユーロ,子供は無料だった.入口に土産物やガイドブックを売る売店と,ちょっとした喫茶空間も確か入っていたと思う.
さてこのNecropoli,草原のような丘に小さな小屋が20軒ほど点々と展開している.日陰もなく,真夏はきついだろう.雨天時もつらい.我々が訪れたのは秋晴れで,着込んでいるとやや暑いといった感じだったので,天候としては恵まれている.この小屋から地下の埋葬空間に入っていく.
薄暗い階段を下りていくと,石室となっている埋葬空間の前に辿り着く.この空間は入ることが出来ず,ガラス越しに眺めることしかできない.セルフで石室の照明を付けなければならない.石室の壁面には色鮮やかな壁画が描かれている.死後に寂しくないように,明るい色調で彩ったのかもしれない.
小屋に掲示されている説明文(イタリア語と英語の併記)によると,作られたのは大体が紀元前4~6世紀であった.発見自体はここ100年というオーダーだったので,7割くらいの石室は風化が進んでしまっている.色鮮やかな壁画が見れるのは全体の2割くらいだろうか.慣れてくると,掲示板を見ただけで,見る価値がありそうな石室かどうか分かるようになる.
それにしても,こんな墓地空間を見ているだけで,エトルリアの往時は大変力があったのだと理解できる.博物館で飽きるほど見た石棺の彫刻の細かさと併せて,その建築技術と芸術性に思わず感嘆する.残念ながら我がローマに滅ぼされてしまったが,その高い技量は,”敗者同化政策”を徹底したローマでなければ,危険視されて徹底的に排除されたであろう.
2010年11月10日水曜日
美しい死者の町Tarquinia
10月初旬にフィレンツェに行った後は,仕事が急速に忙しくなってきたのと,週末の天気が芳しくなかったこともあり,あまり観光してなかった.ローマ滞在も残すところ4ヶ月強になってしまい,まだまだ行っていないところがたくさんあるので,せっせと観光しないともったいない.
この前の土曜日は朝から久しぶりの快晴であった.仕事がたくさんあったのだが,居ても立ってもいられなくなり,近場に観光に出かけることにした.向かった場所はTarquiniaである.RomaからCivitavecchiaを通り過ぎた先にある.自宅からだいたい100kmくらいだ.高速道路が混んでいなければ1時間もあれば到着する.
Tarquiniaは,中世の風情を感じることが出来る,よくある小さい街だ.ご多分に漏れず,丘の上に展開しているので,平坦な場所は少ない.住むことになるとすぐに飽きてしまうのだろうが,観光客としてそぞろ歩きをしている限りではこんなにいいところはない.
街の中心はMatteotti広場で,その北側にロマネスク様式やゴシック様式の教会が展開する.周辺の街並みもそれらにマッチしていて古びているが美しい.この広場北側の街区では駐車車両を余り見なかったので,厳しく規制されているのかもしれない.中世の街並みに自動車は似合わない.
広場から西に向かうとVitelleschi宮があり,その中にTarquinia博物館がある.この建物は教会よりは華やかさがあるので,たぶんルネッサンス様式だろう.この博物館は古代エトルリア文化の棺桶,石像,黒・赤ベースの色彩豊かな壺が,次第に飽きてくるくらい豊富に展示されている.
Tarquiniaは次回紹介するNecropoliが有名で,そのために死者の町と言われているそうだ.確かに博物館の棺桶の芸術性は見事であった.土曜日だったこともあるが,人通りも少なく大変静かな街だったように思う.死者の魂とともにひっそりと暮らしているのだろうか.
この前の土曜日は朝から久しぶりの快晴であった.仕事がたくさんあったのだが,居ても立ってもいられなくなり,近場に観光に出かけることにした.向かった場所はTarquiniaである.RomaからCivitavecchiaを通り過ぎた先にある.自宅からだいたい100kmくらいだ.高速道路が混んでいなければ1時間もあれば到着する.
Tarquiniaは,中世の風情を感じることが出来る,よくある小さい街だ.ご多分に漏れず,丘の上に展開しているので,平坦な場所は少ない.住むことになるとすぐに飽きてしまうのだろうが,観光客としてそぞろ歩きをしている限りではこんなにいいところはない.
街の中心はMatteotti広場で,その北側にロマネスク様式やゴシック様式の教会が展開する.周辺の街並みもそれらにマッチしていて古びているが美しい.この広場北側の街区では駐車車両を余り見なかったので,厳しく規制されているのかもしれない.中世の街並みに自動車は似合わない.
広場から西に向かうとVitelleschi宮があり,その中にTarquinia博物館がある.この建物は教会よりは華やかさがあるので,たぶんルネッサンス様式だろう.この博物館は古代エトルリア文化の棺桶,石像,黒・赤ベースの色彩豊かな壺が,次第に飽きてくるくらい豊富に展示されている.
Tarquiniaは次回紹介するNecropoliが有名で,そのために死者の町と言われているそうだ.確かに博物館の棺桶の芸術性は見事であった.土曜日だったこともあるが,人通りも少なく大変静かな街だったように思う.死者の魂とともにひっそりと暮らしているのだろうか.
2010年11月8日月曜日
雨の月曜日,通勤2時間!
週明けの月曜日,いつものように子供達を学校に送り届けてからの出勤.週末はいい天気で,土曜日に久しぶりに観光に出かけたのだが,昨夜から激しい雨だ.Veneto州の方では,豪雨による洪水で街がやられたニュースを見た.この前もGenovaが被害に遭っていたし,場所は忘れたが南部の方でも最近洪水があったと思う.雨が少ないイタリアも降る時は降るようだ.
さて,日本でも雨の月曜日は道路が混むことは常識だ.ローマでもきっとそうなのだろう.しかし,今日はひどかった.8時ちょっと前に自宅を出て,オフィスに到着したのが10時前,いつもより40分遅れだ.
おなじみの光景だが,先が詰まっているのに交差点に突入して,青になった交差方向の交通を阻害する.バスレーンやトラム軌道があってもお構いなし.これが今日は際立っていた.あちこちでこんな状況になっているから,バスも全然進めないのだ.座っていたからいいが,立っていたらさぞかししんどかっただろう.
ローマでは,自動車保有に高い障壁も設け,街路上ではバスやトラムを最大限に優先する制御を導入するしか道はない.9km進むのに2時間って,よく考えたら歩いた方が早いのでは?
さて,日本でも雨の月曜日は道路が混むことは常識だ.ローマでもきっとそうなのだろう.しかし,今日はひどかった.8時ちょっと前に自宅を出て,オフィスに到着したのが10時前,いつもより40分遅れだ.
おなじみの光景だが,先が詰まっているのに交差点に突入して,青になった交差方向の交通を阻害する.バスレーンやトラム軌道があってもお構いなし.これが今日は際立っていた.あちこちでこんな状況になっているから,バスも全然進めないのだ.座っていたからいいが,立っていたらさぞかししんどかっただろう.
ローマでは,自動車保有に高い障壁も設け,街路上ではバスやトラムを最大限に優先する制御を導入するしか道はない.9km進むのに2時間って,よく考えたら歩いた方が早いのでは?
2010年11月5日金曜日
送ったはずの滞在許可申請書類が届いていない!(2)
通訳してくれる女性を通じて,「申請書類が到着していないのだが,どうしたらいい?」と尋ねる.すると,「書類のオリジナルは?」と言うではないか.「えっ,送った書類がオリジナルじゃないの?」と答えたが,「オリジナルを見せてくれ」と言われる.
弁護士に依頼して郵便局での申請にこぎ着けたことは先に書いたとおりだ.その時に「念のため」といって申請書類のコピーはもらっておいた.私の申請の時は自分でやったこともあり,申請書類のコピーなど取っていなかった.それでも申請書類はきちんと届いており,コピーなど持参しなくても問題なかった.
そのためコピーは家に置いてきて,手元に持っていなかった.「郵便局での申請時に,申請書類のコピーを保存しろとはどこにも書いていなかった.だからコピーなんか持ってない」と言ってみる.確かに持参すべき書類に申請書類のコピーと書いてあるが,これは申請書が受領されて,出頭書を受け取って初めて知るものだ.
すると,「再出頭の日時を指定しますので,また来て下さい」ということになった.その直前の「郵便局がなくしたんでしょう」という発言に,思わずブチッと来た.「そんな大事な書類がどうして簡単になくなるんだ!」,「忙しいのにまた来いというのか!」,「申請書類を揃えるのにどれだけ苦労したと思ってるんだ!」と口走っていた.こんなことを言われても審査員も困るだけだろうが,もう止まらなかった.「もういい,行こう!」と捨て台詞を吐いて,審査会場を後にしたのだった.途中で壁に八つ当たりの蹴りも入れている(笑).
それにしても,滞在許可の審査に行った時に送ったはずの申請書類が届いていなかったというトラブルは,先達のブログでもいくつか紹介されていた.これが自分の身に降りかかるとは...
滞在許可申請は,そのプロセスの利便性を高め,かつ効率性を高めるために郵便局での申請システムとなっているはずなのだ.しかし,このように信頼性の低い郵便局が介在することが果たしていいことなのか.Questuraに届いているのに彼らが紛失した可能性もある.私は一年しかいないし,永住するつもりもないからそんなに深刻ではないが,多くの申請者はイタリアで生きていこうと滞在許可に人生をかけて望んでいる.そんな彼らにとっては,冗談では済まされない.
弁護士に依頼して郵便局での申請にこぎ着けたことは先に書いたとおりだ.その時に「念のため」といって申請書類のコピーはもらっておいた.私の申請の時は自分でやったこともあり,申請書類のコピーなど取っていなかった.それでも申請書類はきちんと届いており,コピーなど持参しなくても問題なかった.
そのためコピーは家に置いてきて,手元に持っていなかった.「郵便局での申請時に,申請書類のコピーを保存しろとはどこにも書いていなかった.だからコピーなんか持ってない」と言ってみる.確かに持参すべき書類に申請書類のコピーと書いてあるが,これは申請書が受領されて,出頭書を受け取って初めて知るものだ.
すると,「再出頭の日時を指定しますので,また来て下さい」ということになった.その直前の「郵便局がなくしたんでしょう」という発言に,思わずブチッと来た.「そんな大事な書類がどうして簡単になくなるんだ!」,「忙しいのにまた来いというのか!」,「申請書類を揃えるのにどれだけ苦労したと思ってるんだ!」と口走っていた.こんなことを言われても審査員も困るだけだろうが,もう止まらなかった.「もういい,行こう!」と捨て台詞を吐いて,審査会場を後にしたのだった.途中で壁に八つ当たりの蹴りも入れている(笑).
それにしても,滞在許可の審査に行った時に送ったはずの申請書類が届いていなかったというトラブルは,先達のブログでもいくつか紹介されていた.これが自分の身に降りかかるとは...
滞在許可申請は,そのプロセスの利便性を高め,かつ効率性を高めるために郵便局での申請システムとなっているはずなのだ.しかし,このように信頼性の低い郵便局が介在することが果たしていいことなのか.Questuraに届いているのに彼らが紛失した可能性もある.私は一年しかいないし,永住するつもりもないからそんなに深刻ではないが,多くの申請者はイタリアで生きていこうと滞在許可に人生をかけて望んでいる.そんな彼らにとっては,冗談では済まされない.
2010年11月4日木曜日
送ったはずの滞在許可申請書類が届いていない!(1)
久しぶりに滞在許可証問題.昨日は家内+子供の滞在許可の審査があった.もう思い出したくもないが,非常に苦労して郵便局での審査申請を終えたことは書いたとおりだ.あれからもう二ヶ月経っている.
Questuraの出頭時刻は朝9時だ.Questuraは環状高速GRAと高速A24号線がぶつかる当たりにあり,ローマ西部の我が家とは正反対だ.子供達を学校に送り届けてから行かなければならないので,遅刻は必至だ.案の定,道中はものすごい渋滞で,現地に到着したのは9時半過ぎ.のっけから「はぁ」というため息が出る.しかし,これは単なる波乱の幕開けに過ぎなかった.
私は前回経験しているので,ある程度勝手は分かっている.警備員に出頭書を見せると,「9時になったら呼ぶ」とのこと.やっぱり遅れているようだ.しばらくすると,警備員が「8時半!」と言う声が聞こえる.ところが誰も名乗りでなかったので,「9時!」となる.私たちは運良く警備員の近くにいたので,すぐに入ろうとする.今回の対象は私ではないので,私が入ろうとすると止められて,「本人しか入ることができない」と言われてしまった.「家内は英語もイタリア語も出来ないからサポートしたい」とつたないイタリア語で訴えると,結局は通してくれた.だったら最初から止めるな.
手荷物チェックを受け,審査会場のあるフロアーへ向かう.ロビーの窓口に出頭書を見せると,何故か郵便局が受け取ったはずの審査書類が届いていないらしく,「そのまま並んで」と言われる.仕方ないのでその通りにする.
夕方に行った私の時よりも待ち時間がなく,10分後には家内の順番になって審査が始まる.今回の審査担当は英語ができないようで,たまたまとなりの窓口にいた申請者が英語が出来るようで,間に入って通訳してくれた.ここから事態はとんでもない方向に進む.続きは次回.
Questuraの出頭時刻は朝9時だ.Questuraは環状高速GRAと高速A24号線がぶつかる当たりにあり,ローマ西部の我が家とは正反対だ.子供達を学校に送り届けてから行かなければならないので,遅刻は必至だ.案の定,道中はものすごい渋滞で,現地に到着したのは9時半過ぎ.のっけから「はぁ」というため息が出る.しかし,これは単なる波乱の幕開けに過ぎなかった.
私は前回経験しているので,ある程度勝手は分かっている.警備員に出頭書を見せると,「9時になったら呼ぶ」とのこと.やっぱり遅れているようだ.しばらくすると,警備員が「8時半!」と言う声が聞こえる.ところが誰も名乗りでなかったので,「9時!」となる.私たちは運良く警備員の近くにいたので,すぐに入ろうとする.今回の対象は私ではないので,私が入ろうとすると止められて,「本人しか入ることができない」と言われてしまった.「家内は英語もイタリア語も出来ないからサポートしたい」とつたないイタリア語で訴えると,結局は通してくれた.だったら最初から止めるな.
手荷物チェックを受け,審査会場のあるフロアーへ向かう.ロビーの窓口に出頭書を見せると,何故か郵便局が受け取ったはずの審査書類が届いていないらしく,「そのまま並んで」と言われる.仕方ないのでその通りにする.
夕方に行った私の時よりも待ち時間がなく,10分後には家内の順番になって審査が始まる.今回の審査担当は英語ができないようで,たまたまとなりの窓口にいた申請者が英語が出来るようで,間に入って通訳してくれた.ここから事態はとんでもない方向に進む.続きは次回.
2010年11月3日水曜日
ローマを再実感
昨夜に出張先の「東京」からローマに戻ってきた.たった四泊だったが,非常に濃密なスケジュールを過ごしたせいか,長い間ローマを離れていたかのような不思議な感覚だった.
Fiumicino空港に到着して,預け入れた手荷物をターンテーブルで待つ.それにしてもこの空港は,作業員がとろとろと仕事をしているのだと思うが,荷物が出てくるのに毎回ものすごい時間がかかる.今回も,ターンテーブルに到着してから40分くらいかかった.思わず「ああ,ローマに戻ってきた」と実感.
外に出てみるとものすごい豪雨だ.到着階で長期駐車場行きのバス停を探すのだが,サインがなってないので,その場所が全然分からない.仕方ないので,出発階にあるバス停に向かう.この旅行客に全然優しくない感じで,やはりここはローマだと実感.
10分くらい待ってバスが到着して乗り込む.このバスは駐車場→出発階→到着階→駐車場と巡回するので,次は到着階だ.ものすごい人が待っている.出発階から乗車したのは大正解だったようだ.ドアが開くと同時に乗客が殺到する.長い停車中に交通を妨げているので,後ろの車がクラクションを鳴らしまくる.ここでも「ああ,これがローマだ」と実感.
駐車場に着いたら料金の支払いだ.事前に33ユーロで予約しておいたはずなのだが,実際に支払機で決済すると69ユーロと表示.どうやっても33ユーロにならず,係員もいない.十分に疲れていたので,あきらめて69ユーロ支払って帰途につく.このぼったくられ感もまたローマならではだ.
Fiumicino空港に到着して,預け入れた手荷物をターンテーブルで待つ.それにしてもこの空港は,作業員がとろとろと仕事をしているのだと思うが,荷物が出てくるのに毎回ものすごい時間がかかる.今回も,ターンテーブルに到着してから40分くらいかかった.思わず「ああ,ローマに戻ってきた」と実感.
外に出てみるとものすごい豪雨だ.到着階で長期駐車場行きのバス停を探すのだが,サインがなってないので,その場所が全然分からない.仕方ないので,出発階にあるバス停に向かう.この旅行客に全然優しくない感じで,やはりここはローマだと実感.
10分くらい待ってバスが到着して乗り込む.このバスは駐車場→出発階→到着階→駐車場と巡回するので,次は到着階だ.ものすごい人が待っている.出発階から乗車したのは大正解だったようだ.ドアが開くと同時に乗客が殺到する.長い停車中に交通を妨げているので,後ろの車がクラクションを鳴らしまくる.ここでも「ああ,これがローマだ」と実感.
駐車場に着いたら料金の支払いだ.事前に33ユーロで予約しておいたはずなのだが,実際に支払機で決済すると69ユーロと表示.どうやっても33ユーロにならず,係員もいない.十分に疲れていたので,あきらめて69ユーロ支払って帰途につく.このぼったくられ感もまたローマならではだ.
2010年10月26日火曜日
過ぎ去った夏が懐かしい
今週から気温が一段と下がってきた.朝晩はついにジャケットの上に薄手のコートを着て外出している.しかもなかなか太陽が出てこない.毎日一度は雨が降ってもなぜか傘をしばらく差していなかったのだが,今朝は久しぶりにカバンから取り出すはめになった.
9月中旬くらいまではまだまだ泳ごうと思えば泳げる気候だった.それがわずか一ヶ月でこんな状況だ.ローマはまだましで,ミラノはもっと寒いようだ.このブログを書いている午後6時過ぎ,外は既に暗くなり始めている.気分は何となく沈みがちで,基本的に暑さの苦手な私が過ぎ去った夏を懐かしむ感情を持っている.
わずか半年しか経験していない私ですらそう思うのだから,多くのイタリア人,ヨーロッパ人もきっと同じ感傷に浸っているのだろうと思う.「だから彼らは短い夏にあんなにはしゃぐのだ」と思わず納得してしまった.
9月中旬の夏の完全な終焉から,道路の交通量も非常に増えている.バカンス前の5月より出勤にかかる時間が明らかに長くなっている.しばらく来ない夏,仕方なく真面目に仕事に向かうといったところなのだろうか.
さて,明後日から東京に出張なので更新を中断します.11/2夜にローマに戻りますので,3日以降に再開します.
9月中旬くらいまではまだまだ泳ごうと思えば泳げる気候だった.それがわずか一ヶ月でこんな状況だ.ローマはまだましで,ミラノはもっと寒いようだ.このブログを書いている午後6時過ぎ,外は既に暗くなり始めている.気分は何となく沈みがちで,基本的に暑さの苦手な私が過ぎ去った夏を懐かしむ感情を持っている.
わずか半年しか経験していない私ですらそう思うのだから,多くのイタリア人,ヨーロッパ人もきっと同じ感傷に浸っているのだろうと思う.「だから彼らは短い夏にあんなにはしゃぐのだ」と思わず納得してしまった.
9月中旬の夏の完全な終焉から,道路の交通量も非常に増えている.バカンス前の5月より出勤にかかる時間が明らかに長くなっている.しばらく来ない夏,仕方なく真面目に仕事に向かうといったところなのだろうか.
さて,明後日から東京に出張なので更新を中断します.11/2夜にローマに戻りますので,3日以降に再開します.
2010年10月25日月曜日
子供達の言語上達の早さ
先週の土曜日に,日本人学校で文化発表会があった.小学部3年生以上は,日本語で演劇をしたり,課題を発表したりしていたのだが,小学部1,2年生は,イタリア語で「はなさかじいさん」を演じるというのだ.しかも演技しながら30分近くも行うのだ.
最初これを聞いた時に,「いくらなんでもちょっと難しいんじゃないか?」と思っていた.1年生の我が家の次男は,本番の一ヶ月くらい前に,学校からCDを渡されて,それを聞きながら台詞を覚えていた.しかし,最初は悪戦苦闘していた.
それでも,練習する内に,きちんと覚えるものなのだ.しかも私なんかよりも格段に発音がいいので,ちょっとうらやましくなる.40歳から覚えるイタリア語は,その話し方は完全に日本語的だ.本人は必死で強弱やアクセントを付けているつもりなのだが,聞いている方は日本語的のっぺりな話し方に聞こえているはずだ.
さて,本番.1,2年生で10人,誰かは失敗したり,緊張して台詞が出てこなかったり,といったアクシデントがあると思っていたのだが,我が子を含めて,誰も一度もとちっていなかったのには,感心を通り越してあきれてしまった.発音やアクセントも素晴らしい.やはり発音に関しては,小さい頃からやればそれなりになると実感してしまった.
最初これを聞いた時に,「いくらなんでもちょっと難しいんじゃないか?」と思っていた.1年生の我が家の次男は,本番の一ヶ月くらい前に,学校からCDを渡されて,それを聞きながら台詞を覚えていた.しかし,最初は悪戦苦闘していた.
それでも,練習する内に,きちんと覚えるものなのだ.しかも私なんかよりも格段に発音がいいので,ちょっとうらやましくなる.40歳から覚えるイタリア語は,その話し方は完全に日本語的だ.本人は必死で強弱やアクセントを付けているつもりなのだが,聞いている方は日本語的のっぺりな話し方に聞こえているはずだ.
さて,本番.1,2年生で10人,誰かは失敗したり,緊張して台詞が出てこなかったり,といったアクシデントがあると思っていたのだが,我が子を含めて,誰も一度もとちっていなかったのには,感心を通り越してあきれてしまった.発音やアクセントも素晴らしい.やはり発音に関しては,小さい頃からやればそれなりになると実感してしまった.
2010年10月21日木曜日
野菜の量り売りシステムで考えること
こちらでは,スーパーで野菜を買う時,例えばトマトを買いたければ,ビニール袋にトマトを必要なだけ入れて,コーナーに数台は置いてある量りに載せ,kg当たりの単価が示されているボードにある番号(トマトは○○番,レタスは××番というコードが付いている)を選ぶと,品名と値段入りのバーコードのシールが出力される.これをビニール袋に貼ってレジに持って行けばよい.
日本では,野菜は予め同じ量にパッキングされているか,出荷時に大きさがある程度揃えているようなので,ネギは一束○○円,しめじは一袋××円という具合に,好きな量が選べない.しかも,たぶん一パックが家族四人を想定した量になっていて,一人暮らしや子供がいない世帯にとっては不都合が多い.
この事前パッキングや,農家が規格を意識して大きさの揃った形の良い味の統一された生産物を作るために手間をかけることによって,価格が高くなっている気がしてならないのだ.
こちらでは,例えばメロンが安いことはこの前書いたが,その替わりに買ってみないと味が分からないのだ.たまにものすごく味の薄いものを買ってしまったりする.品質管理が徹底されていない替わりに安いのだ.しかし,こちらの料理家のアドバイスでは,匂いで甘みを判断するらしく,購入者側の知識で安くておいしいものにありつくことができる.
最初に紹介した「セルフ量り」も,小売り価格を下げるのにそれなりに貢献しているのだろう.それにしても,イタリアだからきっと重量をごまかしている輩が多いのではないかと心配になる.密かにたまに観察しているのだが,今のところそのような現場を目撃していないので,何か大きな抑止力が存在するのだろうか.ばれたらどんな罰則があるのか(バスや地下鉄のキセルは50倍の罰金だが...),どのくらいのインチキ率なのか,レジでチェックが効くのか,興味は尽きない.
日本では,野菜は予め同じ量にパッキングされているか,出荷時に大きさがある程度揃えているようなので,ネギは一束○○円,しめじは一袋××円という具合に,好きな量が選べない.しかも,たぶん一パックが家族四人を想定した量になっていて,一人暮らしや子供がいない世帯にとっては不都合が多い.
この事前パッキングや,農家が規格を意識して大きさの揃った形の良い味の統一された生産物を作るために手間をかけることによって,価格が高くなっている気がしてならないのだ.
こちらでは,例えばメロンが安いことはこの前書いたが,その替わりに買ってみないと味が分からないのだ.たまにものすごく味の薄いものを買ってしまったりする.品質管理が徹底されていない替わりに安いのだ.しかし,こちらの料理家のアドバイスでは,匂いで甘みを判断するらしく,購入者側の知識で安くておいしいものにありつくことができる.
最初に紹介した「セルフ量り」も,小売り価格を下げるのにそれなりに貢献しているのだろう.それにしても,イタリアだからきっと重量をごまかしている輩が多いのではないかと心配になる.密かにたまに観察しているのだが,今のところそのような現場を目撃していないので,何か大きな抑止力が存在するのだろうか.ばれたらどんな罰則があるのか(バスや地下鉄のキセルは50倍の罰金だが...),どのくらいのインチキ率なのか,レジでチェックが効くのか,興味は尽きない.
2010年10月20日水曜日
ローマで初テニス
今日は唐突にテニスの話.大学時代にテニスをかなりやり込んだ時期があるのだが,大学卒業後はほとんどやっていなかった.二年くらい前に,健康管理のために,またテニスをやろうと思ってラケットを購入していたのだが,実際はなかなか時間がなくて実現できないでいた.ローマに来る時もテニスはやらないだろうと思い,ラケットは日本に置いてきた.それがちょっとしたきっかけから急にテニスをやることになったのだった.
イタリアではテニスは密かに盛んなのかも知れない.ほとんど目立っていなかったが,今年の全仏オープン女子はイタリアのプレーヤーが優勝しているし,女子のフェド杯は昨年に優勝,今年も決勝に駒を進めているようだ.ローマでは5月に比較的大きなテニストーナメントがあるのだが,クレーコートということもあり,6月の全仏オープンの前哨戦となっているらしい.少しくらいは見ておけば良かったとちょっと後悔.
今週の月曜日に,今回誘って頂いた同年代の男性3人組と夜8時にテニスコートで合流して,夜10時までナイターでテニスをした.場所は日本人学校近くの大きなテニスクラブだ.ここでは600ユーロくらいの年会費を払えば,好きな時間にテニスを楽しむことが出来るそうだ.ただし,レッスンも入っているため,実際は夜しか予約が取れないらしい.たぶんビジターでも1時間10ユーロくらいで借りれるのだと思う.横浜の自宅近くのテニスコートを借りると確か1時間4000円くらいかかるので,はるかに安い.
コートサーフェスはやはりイタリアで主流のクレーである.久しぶりの身にとっては足腰に優しくてよい.全員ほぼ同じ実力を持つメンバーでテニスを楽しむことができて,数年ぶりぐらいに本格的な運動をしたという満足感に浸ることが出来た.現在は想像通り,激しい筋肉痛で苦しんでいる.
ちなみに,大型ショッピングセンターなどに入っている大型スポーツ店DECATHLONでテニスラケットを購入しようとすると100ユーロ出せば結構いい物が買える.日本では20,000~30,000円くらいするので,道具も安いようだ.
イタリアではテニスは密かに盛んなのかも知れない.ほとんど目立っていなかったが,今年の全仏オープン女子はイタリアのプレーヤーが優勝しているし,女子のフェド杯は昨年に優勝,今年も決勝に駒を進めているようだ.ローマでは5月に比較的大きなテニストーナメントがあるのだが,クレーコートということもあり,6月の全仏オープンの前哨戦となっているらしい.少しくらいは見ておけば良かったとちょっと後悔.
今週の月曜日に,今回誘って頂いた同年代の男性3人組と夜8時にテニスコートで合流して,夜10時までナイターでテニスをした.場所は日本人学校近くの大きなテニスクラブだ.ここでは600ユーロくらいの年会費を払えば,好きな時間にテニスを楽しむことが出来るそうだ.ただし,レッスンも入っているため,実際は夜しか予約が取れないらしい.たぶんビジターでも1時間10ユーロくらいで借りれるのだと思う.横浜の自宅近くのテニスコートを借りると確か1時間4000円くらいかかるので,はるかに安い.
コートサーフェスはやはりイタリアで主流のクレーである.久しぶりの身にとっては足腰に優しくてよい.全員ほぼ同じ実力を持つメンバーでテニスを楽しむことができて,数年ぶりぐらいに本格的な運動をしたという満足感に浸ることが出来た.現在は想像通り,激しい筋肉痛で苦しんでいる.
ちなみに,大型ショッピングセンターなどに入っている大型スポーツ店DECATHLONでテニスラケットを購入しようとすると100ユーロ出せば結構いい物が買える.日本では20,000~30,000円くらいするので,道具も安いようだ.
2010年10月19日火曜日
ローマと東京:物価の比較(肉と野菜編)
こちらに来て思うのは,野菜や肉が大変安いことだ.決して豊かな財政条件で滞在している訳ではなく,子供達の食べる量が増えている状況の我々にとっては大変助かる.
どんな世界でも,食料品の購入先は,①大型チェーンのスーパー,②街角の八百屋・肉屋,③大型市場の三種類であることには変わりない.日本の場合は,最も身近な存在である②の存在感がないことが大きな問題だろう.最も安く購入できる③は立地条件が悪く,気軽に買い物が出来る状況にない.②は品揃え,価格とも①に全く歯が立たない.
それでも日本のスーパーで国産の豚肉を購入しようとすれば,せめて100g当たり150円くらいの価格帯でないと安心できない.牛肉に至っては,国産は特売でも100g当たり300円台後半だ.ローマでは,豚肉はどんなに高くても1kg当たり7ユーロくらいだ.牛肉は1kg当たり10ユーロくらい.肉の種類も七面鳥や仔牛(これはうまい),ラムまでと種類も豊富だ.私は経験がないのだが,街角の肉屋で買っても同じような価格であるらしい.そう,ローマでは東京の三分の一くらいの価格で肉が買えるのだ.ちなみに,価格表示はkg単位である点が面白い.日本の価格帯だと,kg単位の表記では消費意欲が薄れるリスクが高そうだ.
野菜はもっとラジカルに安い.スーパーではサラダに使うような青物野菜が1kg当たり2ユーロ弱で,②の中でもディスカウント指向の強い八百屋では,1kg当たり1ユーロしないのだ.根菜系も似たような単価か.果物は,メロンが1kg当たり2ユーロ前後,ブドウやリンゴなど他の果物も似たような単価である.日本でレタスを買うと,安い時でも一つ200円くらい,天候不順なシーズンだと300円くらいした記憶がある.感覚的には五分の一以下の価格である.
子供達には,「日本に帰るとこんなに肉が買えないから,今のうちにたっぷり食べておくように」と言っている.私も日本ではこんなに気軽にサラダが食べられないと思い,野菜中心の生活を送っている.
どんな世界でも,食料品の購入先は,①大型チェーンのスーパー,②街角の八百屋・肉屋,③大型市場の三種類であることには変わりない.日本の場合は,最も身近な存在である②の存在感がないことが大きな問題だろう.最も安く購入できる③は立地条件が悪く,気軽に買い物が出来る状況にない.②は品揃え,価格とも①に全く歯が立たない.
それでも日本のスーパーで国産の豚肉を購入しようとすれば,せめて100g当たり150円くらいの価格帯でないと安心できない.牛肉に至っては,国産は特売でも100g当たり300円台後半だ.ローマでは,豚肉はどんなに高くても1kg当たり7ユーロくらいだ.牛肉は1kg当たり10ユーロくらい.肉の種類も七面鳥や仔牛(これはうまい),ラムまでと種類も豊富だ.私は経験がないのだが,街角の肉屋で買っても同じような価格であるらしい.そう,ローマでは東京の三分の一くらいの価格で肉が買えるのだ.ちなみに,価格表示はkg単位である点が面白い.日本の価格帯だと,kg単位の表記では消費意欲が薄れるリスクが高そうだ.
野菜はもっとラジカルに安い.スーパーではサラダに使うような青物野菜が1kg当たり2ユーロ弱で,②の中でもディスカウント指向の強い八百屋では,1kg当たり1ユーロしないのだ.根菜系も似たような単価か.果物は,メロンが1kg当たり2ユーロ前後,ブドウやリンゴなど他の果物も似たような単価である.日本でレタスを買うと,安い時でも一つ200円くらい,天候不順なシーズンだと300円くらいした記憶がある.感覚的には五分の一以下の価格である.
子供達には,「日本に帰るとこんなに肉が買えないから,今のうちにたっぷり食べておくように」と言っている.私も日本ではこんなに気軽にサラダが食べられないと思い,野菜中心の生活を送っている.
2010年10月18日月曜日
街中でジャンパー姿が急速に増える
10月に入ってからはやや厚手のジャケットと長袖シャツという出で立ちで出勤している.最高気温は20度以上,自宅を出発する朝8時前は15度くらいで,曇り空だがそんなに湿気を感じず,午後と夜中にパラパラと雨が降るというような気候パターンだ.9月までとの違いは,サングラスを全くしなくなったことだろうか.
今朝も8時前に子供達と一緒に自宅を出発したのだが,先週と同じ格好では明らかに寒かったのだ.街中では急速にジャンパー姿の人々が増えていた.今日のオフィスは,ジャケットを常時着ていないと寒くて仕方がなかった.それと手が悴んで,キーボードを叩くのにやや難儀したほどだ.
東京の11月中旬くらいの気候という感じだ.春から夏への移り変わりの時にも感じたのだが,ローマの季節の感じ方は東京よりも一ヶ月ほど早いようだ.11月の声を聞く頃には,早くも外出時にコート着用になるのだろうか.
今朝も8時前に子供達と一緒に自宅を出発したのだが,先週と同じ格好では明らかに寒かったのだ.街中では急速にジャンパー姿の人々が増えていた.今日のオフィスは,ジャケットを常時着ていないと寒くて仕方がなかった.それと手が悴んで,キーボードを叩くのにやや難儀したほどだ.
東京の11月中旬くらいの気候という感じだ.春から夏への移り変わりの時にも感じたのだが,ローマの季節の感じ方は東京よりも一ヶ月ほど早いようだ.11月の声を聞く頃には,早くも外出時にコート着用になるのだろうか.
2010年10月16日土曜日
高速道路料金所における無人ブースの不思議
イタリアの幹線高速道路は基本有料である.そのため,日本のように出入口には料金所なるモノが存在する.TELEPASSというETCに相当するシステムがあるが,その利用率は大変低い.ハイウェイカードのようなシステムもあるようなのだが(今度仕事で有料道路制度をちゃんと調べます),これも利用率が高くなさそうだ.それ以外は日本のNEXCOのように,入口で通行券を受け取り,出口で利用距離に応じた料金を支払う方式である.この利用者が圧倒的に多く,日本ではほとんどお目にかかれなくなった集約料金所(例えば東名で言えば東名川崎インター直近にある本線上の大型料金所のこと)の渋滞が健在である.
出口で料金を支払う時に,有人ブースと無人ブースがある.有人ブースでは通行券を渡して表示された料金を支払う.50ユーロのような高額紙幣を出すとイヤな顔をしてブツブツ言っているが,きとんとお釣りはくれる.私のこれまでの感覚的な観測によれば,1台当たりの所要時間は15秒程度で,1分当たり4台くらいは通過できる.
無人ブースでトラブルがあるとやっかいなので,つい最近まで有人ブースを必ず選んでいたのだが,昨日間違えて無人ブースに並んでしまった.おそるおそるマシンの前に辿り着いて観察すると,通行券を指定場所に投入し,表示された料金を紙幣やコインの投入口に入れるとゲートが開き,お釣りと領収書を受け取って退出する仕組みで,別に奇抜なモノではなく一安心.100ユーロ以上の高額紙幣は使えず,コインも2ユーロや5セント以下が使えないといった制約があるらしく,紙幣もしわくちゃだと投入が難しいようだが,あまり壊れているところを見たことがないので,支払機はそれなりに信頼性がありそうだ.
しかし,支払機の前に来て通行券を投入してから,お金を探し始めるドライバーが多いことには閉口した.結構な距離を乗っても10ユーロもしないのだから,最初からユーロコインや5ユーロ札を用意しておけと言いたくなる.これも後ろの行列を全く気にしないイタリア人の真骨頂だ.
結局,無人ブースでは一台通過するのに30秒くらいかかるのだ.有人ブースよりも圧倒的に効率が悪い.普通は省力化とスピードアップのために機械化をするはずなのだが,ここでは単に収受員が楽をするための支払機導入になっているのではという気がしてならない.
出口で料金を支払う時に,有人ブースと無人ブースがある.有人ブースでは通行券を渡して表示された料金を支払う.50ユーロのような高額紙幣を出すとイヤな顔をしてブツブツ言っているが,きとんとお釣りはくれる.私のこれまでの感覚的な観測によれば,1台当たりの所要時間は15秒程度で,1分当たり4台くらいは通過できる.
無人ブースでトラブルがあるとやっかいなので,つい最近まで有人ブースを必ず選んでいたのだが,昨日間違えて無人ブースに並んでしまった.おそるおそるマシンの前に辿り着いて観察すると,通行券を指定場所に投入し,表示された料金を紙幣やコインの投入口に入れるとゲートが開き,お釣りと領収書を受け取って退出する仕組みで,別に奇抜なモノではなく一安心.100ユーロ以上の高額紙幣は使えず,コインも2ユーロや5セント以下が使えないといった制約があるらしく,紙幣もしわくちゃだと投入が難しいようだが,あまり壊れているところを見たことがないので,支払機はそれなりに信頼性がありそうだ.
しかし,支払機の前に来て通行券を投入してから,お金を探し始めるドライバーが多いことには閉口した.結構な距離を乗っても10ユーロもしないのだから,最初からユーロコインや5ユーロ札を用意しておけと言いたくなる.これも後ろの行列を全く気にしないイタリア人の真骨頂だ.
結局,無人ブースでは一台通過するのに30秒くらいかかるのだ.有人ブースよりも圧倒的に効率が悪い.普通は省力化とスピードアップのために機械化をするはずなのだが,ここでは単に収受員が楽をするための支払機導入になっているのではという気がしてならない.
周りが見えないイタリア人?
先日バスに乗っている時にこんなことがあった.バス停でおばあさんがバスに乗ってきて,運転士に何やら目的地に行くのにどのバス停で降りたらいいか聞いているようだった.イタリア語が聞き取れないので,あくまで想像であるが,このおばあさんは運転士の返答を理解できないのか,納得がいかなかったのか,質問がなかなか終わる気配がない.その日は少し疲れていて,一刻も早く家に帰ってワインでも飲みたいと思っているところだった.そのうち,こちらもおばあさん相手に他愛もないと思いつつ,徐々にイライラしてくるのだった.
結局,4分くらい続いてたのだが,まだ不満の残っている様子のおばあさんはあきらめてドカッと着席して一件落着したのだった.携帯で話しながら,新聞や雑誌を読みながら,ひどい場合には横にガールフレンドを乗せながら乗務する運転士も結構いるし,普通なら走行しながら彼女の質問に答えることも出来るのだと思うのだが,そうしてはくれなかった.4分は続かないにしても,運転士と乗客の1分くらいの攻防は結構見かける.
窓口でサービスを待っている時にも,このように回答に時間を要する質問したりする人をよく見かけて,イライラする.こちらの窓口業務の効率が悪いのは,担当者の仕事が遅いのと同時に,客側の対応も問題だったりするのかも知れないと感じざるを得ない.
イタリア人は自分のことにしか興味がなく,周りを気にしない民族なのではと感じる.私は日本人なので,どうしても他人の目が気になってしまい,堂々と他人の時間を奪うような度強はない.暮らし初めて半年,この点はまだイタリアンウェイという訳にはいかない.
結局,4分くらい続いてたのだが,まだ不満の残っている様子のおばあさんはあきらめてドカッと着席して一件落着したのだった.携帯で話しながら,新聞や雑誌を読みながら,ひどい場合には横にガールフレンドを乗せながら乗務する運転士も結構いるし,普通なら走行しながら彼女の質問に答えることも出来るのだと思うのだが,そうしてはくれなかった.4分は続かないにしても,運転士と乗客の1分くらいの攻防は結構見かける.
窓口でサービスを待っている時にも,このように回答に時間を要する質問したりする人をよく見かけて,イライラする.こちらの窓口業務の効率が悪いのは,担当者の仕事が遅いのと同時に,客側の対応も問題だったりするのかも知れないと感じざるを得ない.
イタリア人は自分のことにしか興味がなく,周りを気にしない民族なのではと感じる.私は日本人なので,どうしても他人の目が気になってしまい,堂々と他人の時間を奪うような度強はない.暮らし初めて半年,この点はまだイタリアンウェイという訳にはいかない.
2010年10月14日木曜日
日本人学校のバザー:イタリア人とのささやかな交流
先週末の日曜日,子供達の通う日本人学校は,毎年恒例のバザーを開催した.何でも,幼稚園の運営にとってその収益は重要なのだそうだ.
バザーは午前11時前から午後3時過ぎまでで,小学部・中学部は焼き鳥とゲーム,幼稚園は飲み物,日本語補習校は何の担当だったか忘れたが,いくつかの日本食レストランや豆腐店,あるいはジェラート屋まで出店して,結構な賑わいであった.指圧コーナーまであったのには驚きだ.日本人会の企業から出してもらった景品をベースに,結構な当たり本数になる宝くじもやっていた.非常に力の入ったイベントである.
我々夫婦は焼き鳥班に配属となり,家内は二日前の金曜日に朝から夕方まで下準備に駆り出されている.当日朝は売り物となるおにぎりを自宅で決められた量を握り持参しなければならず,母親は結構大変なようだ.父親は当日に下準備の整った焼き鳥やフランクフルトを炭火で焼いたり,そのための炭おこしをしたりするだけだ.当日は幸い涼しい晴天だったので,めちゃくちゃ汗をかきながら焼くという状況ではなかった.
それにしても来場する近隣住民や親の仕事場のイタリア人スタッフの多いこと.朝,学校に向かって歩いていると,通りかかったおばあさんが「後で行きますよ(最近はこのくらいのイタリア語は何となく分かるようになっている)」と声をかけてくれた.あまりの人の多さで本当に来てくれたのかは確認できなかったが,かなり地元に根付いたイベントであることは間違いないようだ.楽しみにしている人が多いらしい.
ちなみに,焼き鳥屋は正午を迎える前に長蛇の列で,午後1時頃には完売状態だ.(我々はいないが)来年はもっと用意しておいた方がいいかもしれない.焼いているお父さん達はイタリア人にとって格好の撮影対象である.一方,涼しかったせいもあり,飲み物を売っている幼稚園は残念ながらやや苦戦だ.運営費は大丈夫か...宝くじもイタリア人の購入者も多いようで,抽選会は日本語とイタリア語の両方で行っていた.
やや残念なのは,仕事をしていたせいもあるが,せっかく来てくれたイタリア人とほとんど交流できなかったことだろうか.お互い言葉が分からなくてもいいから,何か一緒に出来るイベントがあってもいい気がした.
バザーは午前11時前から午後3時過ぎまでで,小学部・中学部は焼き鳥とゲーム,幼稚園は飲み物,日本語補習校は何の担当だったか忘れたが,いくつかの日本食レストランや豆腐店,あるいはジェラート屋まで出店して,結構な賑わいであった.指圧コーナーまであったのには驚きだ.日本人会の企業から出してもらった景品をベースに,結構な当たり本数になる宝くじもやっていた.非常に力の入ったイベントである.
我々夫婦は焼き鳥班に配属となり,家内は二日前の金曜日に朝から夕方まで下準備に駆り出されている.当日朝は売り物となるおにぎりを自宅で決められた量を握り持参しなければならず,母親は結構大変なようだ.父親は当日に下準備の整った焼き鳥やフランクフルトを炭火で焼いたり,そのための炭おこしをしたりするだけだ.当日は幸い涼しい晴天だったので,めちゃくちゃ汗をかきながら焼くという状況ではなかった.
それにしても来場する近隣住民や親の仕事場のイタリア人スタッフの多いこと.朝,学校に向かって歩いていると,通りかかったおばあさんが「後で行きますよ(最近はこのくらいのイタリア語は何となく分かるようになっている)」と声をかけてくれた.あまりの人の多さで本当に来てくれたのかは確認できなかったが,かなり地元に根付いたイベントであることは間違いないようだ.楽しみにしている人が多いらしい.
ちなみに,焼き鳥屋は正午を迎える前に長蛇の列で,午後1時頃には完売状態だ.(我々はいないが)来年はもっと用意しておいた方がいいかもしれない.焼いているお父さん達はイタリア人にとって格好の撮影対象である.一方,涼しかったせいもあり,飲み物を売っている幼稚園は残念ながらやや苦戦だ.運営費は大丈夫か...宝くじもイタリア人の購入者も多いようで,抽選会は日本語とイタリア語の両方で行っていた.
やや残念なのは,仕事をしていたせいもあるが,せっかく来てくれたイタリア人とほとんど交流できなかったことだろうか.お互い言葉が分からなくてもいいから,何か一緒に出来るイベントがあってもいい気がした.
2010年10月13日水曜日
真っ赤なコロッセオを見て考えさせられたこと
ひょっとするとご存じの方もいるかも知れないが,先週夜に数日間,コロッセオが真っ赤にライトアップされていた.沈む太陽を一身に浴びて赤く光るような感じで,大変美しかった.初めて見た日はその意味が分からずにいた.
家に帰ってからインターネットで日経新聞のサイトを見ると,何と赤いコロッセオの記事があるではないか! 何と中国の温家宝首相がローマに来ていて,その歓迎を込めてこのようなことをしたらしいのだ.そう言えばトラムにも「イタリア中国文化年?」だったかの漢字のラッピング広告が出ていたが,たぶんそのスタートを記念して来伊していたのだろう.
しかしイタリアのテレビニュースで温首相が来ているなどとは聞いていなかった.翌日夜に違う方向から見てみると,写真のように,確かに「中意友誼」という文字が写っている.
最初,これはイタリアにいる中国人コミュニティーが許可を得て主体的にやっているのかと思っていたが,どうやら完全にイタリア側の演出らしい.
例えば日本の天皇がローマに来られたとして,こんな演出をしてくれるだろうか.あるいはオバマ大統領はどうか.恐らくこんなことはしないだろう.それほど中国の影響力は大きいのかと実感させられて,思わずあきれてしまった.
しかし片方では,イタリアに滞在する中国人(不法滞在も多い)は,雇用を奪う存在として,またイタリアコミュニティーになじまない異端な存在として,特に現政権の下では排斥のターゲットとなっているのだ.今度実際に見てきたいと思っているのだが,Firenzeの近くにPratoという都市があり,その人口の2割が中国人らしく,国営放送のニュースのトークコーナーで頻繁にその問題が取り上げられている.イタリアにとって,中国は経済戦略上もちろん大事であるが,ずかずかと入ってこられると困る.微妙な感情での歓迎だったのだろう.
それにしても,こちらに来てからでも,日に日に日本の力がだんだん弱くなっていくのを感じるのは気のせいだろうか...
家に帰ってからインターネットで日経新聞のサイトを見ると,何と赤いコロッセオの記事があるではないか! 何と中国の温家宝首相がローマに来ていて,その歓迎を込めてこのようなことをしたらしいのだ.そう言えばトラムにも「イタリア中国文化年?」だったかの漢字のラッピング広告が出ていたが,たぶんそのスタートを記念して来伊していたのだろう.
しかしイタリアのテレビニュースで温首相が来ているなどとは聞いていなかった.翌日夜に違う方向から見てみると,写真のように,確かに「中意友誼」という文字が写っている.
最初,これはイタリアにいる中国人コミュニティーが許可を得て主体的にやっているのかと思っていたが,どうやら完全にイタリア側の演出らしい.
例えば日本の天皇がローマに来られたとして,こんな演出をしてくれるだろうか.あるいはオバマ大統領はどうか.恐らくこんなことはしないだろう.それほど中国の影響力は大きいのかと実感させられて,思わずあきれてしまった.
しかし片方では,イタリアに滞在する中国人(不法滞在も多い)は,雇用を奪う存在として,またイタリアコミュニティーになじまない異端な存在として,特に現政権の下では排斥のターゲットとなっているのだ.今度実際に見てきたいと思っているのだが,Firenzeの近くにPratoという都市があり,その人口の2割が中国人らしく,国営放送のニュースのトークコーナーで頻繁にその問題が取り上げられている.イタリアにとって,中国は経済戦略上もちろん大事であるが,ずかずかと入ってこられると困る.微妙な感情での歓迎だったのだろう.
それにしても,こちらに来てからでも,日に日に日本の力がだんだん弱くなっていくのを感じるのは気のせいだろうか...
2010年10月12日火曜日
今度はPisaの斜塔に昇る(2)
さて,いよいよ斜塔に昇る時がやって来た.高さが55mで側方に4.5mずれているので,垂直から5度弱傾いていることになる.斜塔の内壁に沿って螺旋階段が付いていて,頂上までの段数は300段弱のようだ.
階段は石で出来ており,中央部がやや削られてくぼんでいるので,個人的には歩きやすいと思う.昇りながら左右に微妙に傾いたり,妙に昇りやすかったり,昇りにくかったりするのは,慣れてくると大変面白い.途中のフロアーに強制的に立ち寄らなければならない.この間に,前の時間帯の入場者が入れ替わりで降りていくのだ.
このフロアーでは,どうしたら傾いている様子を写真に上手に収めることが出来るか,多くの人がトライしている.私が撮影した中で最も傾きが分かる写真を載せる.
ここで5分くらい滞在した後に一気に頂上を目指す.頂上部ももちろん傾いているので,柵を跳び越えて下に落ちてしまいそうな不思議な感覚になる.高所恐怖症のヒトはややつらいかも知れない.
10分くらい滞在すると,降りるように指示を受ける.傾きの方向によって妙に足に負担のかかる部分があるので,下りの方が要注意だろう.8歳未満(現地でもらった資料によれば,入場制限は9歳未満ではなく8才未満が正解でした)でなくても,小学校にさえ行っていればそんなに危険でないと思うのだが.
このPisaの斜塔では,史実は違うようなのだが,やはり鉄の玉と木の玉を同時に落としてみたくなる.これをやらせてもらうのに5ユーロくらいだったら払っても良い.先日のカラカラ浴場でも感じたが,修復費用を捻出するのに,もう少しがめつく商売してもいいのではないだろうか?
階段は石で出来ており,中央部がやや削られてくぼんでいるので,個人的には歩きやすいと思う.昇りながら左右に微妙に傾いたり,妙に昇りやすかったり,昇りにくかったりするのは,慣れてくると大変面白い.途中のフロアーに強制的に立ち寄らなければならない.この間に,前の時間帯の入場者が入れ替わりで降りていくのだ.
このフロアーでは,どうしたら傾いている様子を写真に上手に収めることが出来るか,多くの人がトライしている.私が撮影した中で最も傾きが分かる写真を載せる.
ここで5分くらい滞在した後に一気に頂上を目指す.頂上部ももちろん傾いているので,柵を跳び越えて下に落ちてしまいそうな不思議な感覚になる.高所恐怖症のヒトはややつらいかも知れない.
10分くらい滞在すると,降りるように指示を受ける.傾きの方向によって妙に足に負担のかかる部分があるので,下りの方が要注意だろう.8歳未満(現地でもらった資料によれば,入場制限は9歳未満ではなく8才未満が正解でした)でなくても,小学校にさえ行っていればそんなに危険でないと思うのだが.
このPisaの斜塔では,史実は違うようなのだが,やはり鉄の玉と木の玉を同時に落としてみたくなる.これをやらせてもらうのに5ユーロくらいだったら払っても良い.先日のカラカラ浴場でも感じたが,修復費用を捻出するのに,もう少しがめつく商売してもいいのではないだろうか?
2010年10月11日月曜日
今度はPisaの斜塔に昇る(1)
10月初めにFirenzeに行ったことは既に書いている.Firenze自体は2日くらい滞在すれば主要な観光施設を巡ることが出来る規模だ.今回は2泊3日だったので,鉄道で1時間くらいで行けるPisaにも足を伸ばすことになった.
Pisaは今回で2回目である.前回は新婚旅行で,やはりFirenzeから足を伸ばした.当時はPisaの斜塔は倒壊の危険性があると言うことで,立ち入り禁止にして基礎工事をやっていたので,斜塔には昇っていない.
斜塔には,20分おきに最大30人くらいのグループで係員の誘導の下で入場する.予め日時を指定してインターネット予約しておくことが出来る.飛び込みで行っても空いていれば可能であるが,やはり週末はリスクがあるだろうから,やはり事前予約がお薦めだ.インターネット予約サイトが非常に分かりにくいので要注意だ.
斜塔には,9歳未満の子供は入場できないとの注意書きがある.我が家の次男は6歳なので,これに引っかかる.ブログでは,5歳でもごり押しで入場できたとか,やはり入場できなかったとか,様々な情報がある.予約サイトはカード決済が必要なので,覚悟を決め,次男も含めて人数分予約した.ちなみに入場料は一人15ユーロ,事前予約料は4ユーロだ...
当日,プリントアウトした事前予約証書を券売所で提示.予約時に本人確認のためパスポート番号の入力が求められるのだが,やはり提示を求められる.ここでは,同行者の年齢などのチェックは行わない.荷物はカメラやビデオ以外持ち込めず,指定場所に預ける必要がある.
さて,いよいよ入場だ.次男には年齢を聞かれたら9歳と言いなさいと指示してある.次男より15cm以上身長の高い9歳の長男には,これと整合するように11歳と言うよう指示(笑).二人とも背は高い方なので,たぶん大丈夫だろう.結果から言うと,年齢を聞かれることなく入場できた.これは例によって人によるのか,そうでないのかは不明だ.
さて,頂上部では4.5m傾いているという斜塔.その階段の昇り心地はどうだろうか? 続きは次回.
Pisaは今回で2回目である.前回は新婚旅行で,やはりFirenzeから足を伸ばした.当時はPisaの斜塔は倒壊の危険性があると言うことで,立ち入り禁止にして基礎工事をやっていたので,斜塔には昇っていない.
斜塔には,20分おきに最大30人くらいのグループで係員の誘導の下で入場する.予め日時を指定してインターネット予約しておくことが出来る.飛び込みで行っても空いていれば可能であるが,やはり週末はリスクがあるだろうから,やはり事前予約がお薦めだ.インターネット予約サイトが非常に分かりにくいので要注意だ.
斜塔には,9歳未満の子供は入場できないとの注意書きがある.我が家の次男は6歳なので,これに引っかかる.ブログでは,5歳でもごり押しで入場できたとか,やはり入場できなかったとか,様々な情報がある.予約サイトはカード決済が必要なので,覚悟を決め,次男も含めて人数分予約した.ちなみに入場料は一人15ユーロ,事前予約料は4ユーロだ...
当日,プリントアウトした事前予約証書を券売所で提示.予約時に本人確認のためパスポート番号の入力が求められるのだが,やはり提示を求められる.ここでは,同行者の年齢などのチェックは行わない.荷物はカメラやビデオ以外持ち込めず,指定場所に預ける必要がある.
さて,いよいよ入場だ.次男には年齢を聞かれたら9歳と言いなさいと指示してある.次男より15cm以上身長の高い9歳の長男には,これと整合するように11歳と言うよう指示(笑).二人とも背は高い方なので,たぶん大丈夫だろう.結果から言うと,年齢を聞かれることなく入場できた.これは例によって人によるのか,そうでないのかは不明だ.
さて,頂上部では4.5m傾いているという斜塔.その階段の昇り心地はどうだろうか? 続きは次回.
2010年10月8日金曜日
Uffizi美術館で思ったこと
UffiziはFirenzeを代表するイタリアでも屈指の美術館だ.ルネッサンス時代のFirenzeの雄Medici家の所蔵していた美術品が展示されている.有名なものは,Botticelliのビーナスの誕生と東方三博士の礼拝,Leonardo da Vinciの受胎告知,Vecellioのウルビーノのビーナス,Raffaelloの自画像といったところだろうか.
これらの見るべき作品のリストと概要は,どんなガイドブックにも書いてある.ややもすると,「これだけは見ておきたい」というフレーズ通りに,駆け足でそれだけを見て終わりとする人も多いだろう.何を隠そう,芸術分野の興味が薄い私もそのタイプに近い.
そんな私でも,最近は作風をみるとその年代が大体分かるようになってきた.明らかに分かるのがルネッサンス前のもの.言い方は悪いが,はっきり言ってへたくそで,とても芸術品とは思えない.ルネッサンスとそれ以降のバロックの違いも大体感覚的に分かるようになってきた.教会に所蔵されている絵画やフレスコ画,あるいは建築物についても同じだ.
6月末に日本に一時帰国した時に,高校の世界史教科書の詳細版を購入してきて,それを最近は夜な夜な読んでいる.高校時代は世界史を選択しなかったので,その内容は大変新鮮である.歴史というと,事実とその正確な年号を意味なく覚えさせられた記憶しかないのだが,その時の反省を踏まえて,どうしてその出来事が起きたのかを,その時代背景とともに理解するようにしている.
何で唐突にそんな話をしたのかというと,実は感覚的に理解できるようになった原因がこれではないかと自分自身で感じているからなのだ.Uffiziは新婚旅行でも見たのだが,失礼ながら全然印象に残っていなかった.単に眺めたに過ぎないからだ.
世界史を理解すると,キリスト教も王朝も,その権威主義では変わりはなく,その誇示のために建築物や美術品に散財していることが手に取るように想像できる.後はキリスト教の創世期の物語や,その後の分派の理由をそれなりに理解しておけば,例えば受胎告知や聖母子,キリストの昇天などの典型的な美術品の意味や作品間の微妙な違いがより分かるようになると思う.
結局Uffiziで痛感したことは,歴史の知識無しに美術品を見ても時間とお金の無駄であるという,至極最もな事実だ.
これらの見るべき作品のリストと概要は,どんなガイドブックにも書いてある.ややもすると,「これだけは見ておきたい」というフレーズ通りに,駆け足でそれだけを見て終わりとする人も多いだろう.何を隠そう,芸術分野の興味が薄い私もそのタイプに近い.
そんな私でも,最近は作風をみるとその年代が大体分かるようになってきた.明らかに分かるのがルネッサンス前のもの.言い方は悪いが,はっきり言ってへたくそで,とても芸術品とは思えない.ルネッサンスとそれ以降のバロックの違いも大体感覚的に分かるようになってきた.教会に所蔵されている絵画やフレスコ画,あるいは建築物についても同じだ.
6月末に日本に一時帰国した時に,高校の世界史教科書の詳細版を購入してきて,それを最近は夜な夜な読んでいる.高校時代は世界史を選択しなかったので,その内容は大変新鮮である.歴史というと,事実とその正確な年号を意味なく覚えさせられた記憶しかないのだが,その時の反省を踏まえて,どうしてその出来事が起きたのかを,その時代背景とともに理解するようにしている.
何で唐突にそんな話をしたのかというと,実は感覚的に理解できるようになった原因がこれではないかと自分自身で感じているからなのだ.Uffiziは新婚旅行でも見たのだが,失礼ながら全然印象に残っていなかった.単に眺めたに過ぎないからだ.
世界史を理解すると,キリスト教も王朝も,その権威主義では変わりはなく,その誇示のために建築物や美術品に散財していることが手に取るように想像できる.後はキリスト教の創世期の物語や,その後の分派の理由をそれなりに理解しておけば,例えば受胎告知や聖母子,キリストの昇天などの典型的な美術品の意味や作品間の微妙な違いがより分かるようになると思う.
結局Uffiziで痛感したことは,歴史の知識無しに美術品を見ても時間とお金の無駄であるという,至極最もな事実だ.
2010年10月7日木曜日
相変わらず美しいとしか言えないFirenze
観光でイタリア四大都市といえば,Roma, Milano, Firenze, Veneziaだ.人口ではRoma, Milano, Napoli, Torinoの順になるので,FirenzeとVeneziaはそんなに大きな街ではない.Veneziaは水上交通であるバポレットで動かなければならないので,街の大きさの割には移動に時間がかかる.一方Firenzeは,主要な観光施設がほぼ徒歩圏内にあって大変コンパクトでいい.しかし,重量級の施設が多いので,堪能するには大変時間がかかる.今回は新婚旅行で来て以来の久しぶりの来訪だ.
Firenzeの三大観光施設と言えば,Duomo (Santa Maria del Fiore),Uffizi美術館,Pitti宮だろう.Pitti宮はスケジュールが合わなくて行けなかったので,滞在中に再チャレンジしたい.Uffizi美術館は感じたことを別途書きたいので後回し.
Duomoはやはりドームの頂上にあるクーポラが見所だ.500段近い段数を昇るのだが,サンピエトロ大聖堂のようにショートカットできるエレベーターはないので,運動不足の身にはかなりきつい.一人8ユーロで,子供は無料にしてくれた.Duomoにはクーポラよりもやや低い鐘楼もあり,こちらにも昇ることが出来る.もちろん,待ち時間はクーポラの方が長い.
クーポラへの階段は,上半分のかなりの部分で,昇る人と降りる人の動線が重なっているので,大混雑する.この処理は何とか対応を考えてもらいたいところだ.昇り初めて20分くらいで何とかクーポラに到着.ここからの眺めは苦労した甲斐があるすばらしさだ.我々が昇った日は快晴だったが,赤茶色に統一された建物の屋根が一段と映えるのだ.
Duomoだけでなく,Santa Croce,Santa Maria Novella,San Lorenzoの各教会もFirenzeのおなじみだ.これらは正面のファサードの大きさにも圧倒されるが,クーポラから眺める姿も,その異様な大きさを感じられてよい.
Duomoは教会本体,鐘楼と洗礼堂がセットであるが,もちろんそれらのデザインも,緑を基調としてなかなか品がある色だ.Duomoとしても感動度の個人ランキングは,今のところOrvieto,Palermoの次くらいか?
街に流れるArno川.この川沿いの街並みは,有名なVecchio橋を含めて,Firenzeの観光地としての実力を感じさせてくれる空間だが,水が汚いところがやや残念だ.少し歩く(バスでも行ける)が,Arno川の南側にあるMichelangelo広場からのFirenze中心部の眺め,特に夜景は最高だ.
12年ぶりに訪れても,街は全然変わっておらず,相変わらず美しいと感じざるを得なかった.今後何十年も同じ姿でいて欲しいものである.
Firenzeの三大観光施設と言えば,Duomo (Santa Maria del Fiore),Uffizi美術館,Pitti宮だろう.Pitti宮はスケジュールが合わなくて行けなかったので,滞在中に再チャレンジしたい.Uffizi美術館は感じたことを別途書きたいので後回し.
Duomoはやはりドームの頂上にあるクーポラが見所だ.500段近い段数を昇るのだが,サンピエトロ大聖堂のようにショートカットできるエレベーターはないので,運動不足の身にはかなりきつい.一人8ユーロで,子供は無料にしてくれた.Duomoにはクーポラよりもやや低い鐘楼もあり,こちらにも昇ることが出来る.もちろん,待ち時間はクーポラの方が長い.
クーポラへの階段は,上半分のかなりの部分で,昇る人と降りる人の動線が重なっているので,大混雑する.この処理は何とか対応を考えてもらいたいところだ.昇り初めて20分くらいで何とかクーポラに到着.ここからの眺めは苦労した甲斐があるすばらしさだ.我々が昇った日は快晴だったが,赤茶色に統一された建物の屋根が一段と映えるのだ.
Duomoだけでなく,Santa Croce,Santa Maria Novella,San Lorenzoの各教会もFirenzeのおなじみだ.これらは正面のファサードの大きさにも圧倒されるが,クーポラから眺める姿も,その異様な大きさを感じられてよい.
Duomoは教会本体,鐘楼と洗礼堂がセットであるが,もちろんそれらのデザインも,緑を基調としてなかなか品がある色だ.Duomoとしても感動度の個人ランキングは,今のところOrvieto,Palermoの次くらいか?
街に流れるArno川.この川沿いの街並みは,有名なVecchio橋を含めて,Firenzeの観光地としての実力を感じさせてくれる空間だが,水が汚いところがやや残念だ.少し歩く(バスでも行ける)が,Arno川の南側にあるMichelangelo広場からのFirenze中心部の眺め,特に夜景は最高だ.
12年ぶりに訪れても,街は全然変わっておらず,相変わらず美しいと感じざるを得なかった.今後何十年も同じ姿でいて欲しいものである.
2010年10月6日水曜日
FSの自動券売機はぼったくりマシン?
Roma Termini駅のようなイタリア国鉄FSの大型ターミナル駅では,有人のチケットカウンターは日頃からものすごく混んでいて,長時間列に並ばなければならない.長距離は昨日も書いたようにインターネットで事前購入が可能なので,チケットをプリントアウトできる環境があれば大丈夫だ.しかし,近郊線は事前購入が出来ない.それでも,チケットカウンターがいやならば,自動販売機や駅構内のBarで購入することも可能だ.
さて,この自動販売機で,これまでに三回切符を購入したことがあるが,そのうち二回もトラブルに遭っている.
一度目は5月の始めくらいに,RomaのTrastevere駅で,Fiumicino空港まで日本から出張してきたゲストを迎えに行く時だった.この時は,月曜日の朝なのに有人カウンターが開いていなかった.BarでFSのチケットが買えることを知らなかったので,何の疑いもなく自動販売機で切符を購入することに.運賃は8ユーロだが,財布には10ユーロ紙幣は入っておらず,20ユーロ紙幣で購入した.切符はきちんと発券されて出てきたが,お釣りが一向に出てこない.呼び出しボタンらしきモノがあるが,これは機能していない.駅係員も見あたらない.恥ずかしかったが自動販売機を叩いたり蹴ったりしてみても,全然出てくる気配がない.落ち着いて画面を見てみると,「お釣りは9ユーロまで」と書いてあるではないか.高額紙幣で購入することを全く想定していないのだ.結局,12ユーロは泣き寝入りだった.
二度目は先の週末にFirenzeの中央駅だ.Pisa行は自動販売機で往復割引(50%)切符が購入できたので,Barは止めて自動販売機で購入ことにした.大人5人,子供2人だったが,一度に6人分しか買えないので,まずは大人分をまとめて買うことにする.一人5.8ユーロで計28ユーロだ.20ユーロ札と5ユーロ札2枚を投入して,無事発券と思いきや,最後の一枚が機械に引っかかって出てこない上に,お釣りも出てこない.呼び出しボタンはまたもや効果なく,腹いせに思いっきり蹴ってみる.最終的には有人カウンターに割り込み,英語で顛末をまくし立てたところ,レシートで投入金額と実際の発券枚数を確認されて,総額にちょっと足りない額までリファンドしてくれた(たぶん面倒だったので適当に支払ったのだろう).それでも割引が効かないBarのチケットを購入するよりは断然得をしたと,自分自身を納得させてジ・エンド.
それにしても,乗車時の検札で切符がなかったり,刻印がなかったりすると結構な罰金を取るくせに,肝心の切符の購入環境が著しく悪いのは何とかならないかと思う.自動販売機の機能や性能は,これが壊されることが前提となって決まっているのだと思う.このような事情が分からない乗客から見れば,ちょっとしたぼったくりマシンである.それでも自動販売機があるだけましで,Roma市内でも小さい駅は設置されていないところもあり,日曜日にはBarが閉まってしまうので,切符を購入することが全く不可能なのだ(一度これが原因で無賃乗車したことがある)...
さて,この自動販売機で,これまでに三回切符を購入したことがあるが,そのうち二回もトラブルに遭っている.
一度目は5月の始めくらいに,RomaのTrastevere駅で,Fiumicino空港まで日本から出張してきたゲストを迎えに行く時だった.この時は,月曜日の朝なのに有人カウンターが開いていなかった.BarでFSのチケットが買えることを知らなかったので,何の疑いもなく自動販売機で切符を購入することに.運賃は8ユーロだが,財布には10ユーロ紙幣は入っておらず,20ユーロ紙幣で購入した.切符はきちんと発券されて出てきたが,お釣りが一向に出てこない.呼び出しボタンらしきモノがあるが,これは機能していない.駅係員も見あたらない.恥ずかしかったが自動販売機を叩いたり蹴ったりしてみても,全然出てくる気配がない.落ち着いて画面を見てみると,「お釣りは9ユーロまで」と書いてあるではないか.高額紙幣で購入することを全く想定していないのだ.結局,12ユーロは泣き寝入りだった.
二度目は先の週末にFirenzeの中央駅だ.Pisa行は自動販売機で往復割引(50%)切符が購入できたので,Barは止めて自動販売機で購入ことにした.大人5人,子供2人だったが,一度に6人分しか買えないので,まずは大人分をまとめて買うことにする.一人5.8ユーロで計28ユーロだ.20ユーロ札と5ユーロ札2枚を投入して,無事発券と思いきや,最後の一枚が機械に引っかかって出てこない上に,お釣りも出てこない.呼び出しボタンはまたもや効果なく,腹いせに思いっきり蹴ってみる.最終的には有人カウンターに割り込み,英語で顛末をまくし立てたところ,レシートで投入金額と実際の発券枚数を確認されて,総額にちょっと足りない額までリファンドしてくれた(たぶん面倒だったので適当に支払ったのだろう).それでも割引が効かないBarのチケットを購入するよりは断然得をしたと,自分自身を納得させてジ・エンド.
それにしても,乗車時の検札で切符がなかったり,刻印がなかったりすると結構な罰金を取るくせに,肝心の切符の購入環境が著しく悪いのは何とかならないかと思う.自動販売機の機能や性能は,これが壊されることが前提となって決まっているのだと思う.このような事情が分からない乗客から見れば,ちょっとしたぼったくりマシンである.それでも自動販売機があるだけましで,Roma市内でも小さい駅は設置されていないところもあり,日曜日にはBarが閉まってしまうので,切符を購入することが全く不可能なのだ(一度これが原因で無賃乗車したことがある)...
2010年10月5日火曜日
イタリアで初めて高速鉄道に乗る
こちらに来てからもう半年になるが,今までイタリアの高速鉄道に乗っていなかった.8月上旬に車を持つまでは,ベネチアとドロミテを除いて,ローマから150kmくらいまでの範囲内をレンタカーで動き回っていた.車を持ってからシチリアに行ったのは既に書いたとおり.先日のナポリとシチリア出張もレンタカーと飛行機だ.
先週末に日本から親族が来伊し,この週末でさっそくFirenzeに連れて行くことになった.大人数ではマイカーで動くことが出来ない.FirenzeはRomaから300kmくらいなので鉄道の距離だ.高速鉄道なら1時間半くらいである.と言うわけで,高速鉄道を使うことになった.
Termini駅の切符販売カウンターはいつもものすごく混んでいて,とても並ぶ気はしない.しかし,最近はインターネットでチケットを購入することができる.イタリア国鉄FSのホームページで会員登録をすれば誰でも購入可能.英語ページもあるので,イタリア語が分からなくてもOKだ.座席指定もできる.早めに購入したり,団体で購入したりすれば割引もある.購入手続き後,返送されてくるチケットをプリントアウトして持参するだけで,刻印の必要もない.大変便利だ.
この高速鉄道,グレーを基調に赤いラインが入っている見かけはスタイリッシュなものだ.乗車した2等車は横4列(ちなみに1等車は横3列)で,シートピッチは日本の新幹線よりはだいぶ狭い感じがする.インテリアはやや安っぽい内装だが明るい印象だ.トイレは駅のものよりは清潔だろうか.座席のリクライニングは背もたれを倒す方式ではなく,椅子の部分を前方にスライドさせる方式なので,対面式配列ということを考えると,実質的に使えないと思った方が良い.
8時45分の定刻から数分遅れて出発.10分くらいするとRoma市街を抜け,線形も良くなってだいぶスピードが出てくる.Roma側では在来線と供用(普通列車とすれ違っていたので),Firenze側はほとんど新線区間というような印象だ.保線レベルはよく分からないが,特にRoma側の乗り心地がかなり悪かった.車両側のサスペンションの質があまり高くないのだろう.トップスピードは200km/hは出ているが,250km/hまでは出ていないような感覚だ.
遅れて出発した列車は10時20分頃,ほぼ定刻でFirenze S. M. N駅にノンストップ到着.15分くらい停車して折り返していき,Venezia S. L.駅に向かう.帰りも定刻出発,定刻到着だったので,割と正確に動いているようだ.
たった一往復の経験だが,私の総合評価は2時間くらいまでならまあ我慢できるといったところだ.すなわち,Napoli, Firenze, Bolognaくらいまでは高速鉄道で,それより遠いVeneziaやMilanoは飛行機でといった使い分けになる.
先週末に日本から親族が来伊し,この週末でさっそくFirenzeに連れて行くことになった.大人数ではマイカーで動くことが出来ない.FirenzeはRomaから300kmくらいなので鉄道の距離だ.高速鉄道なら1時間半くらいである.と言うわけで,高速鉄道を使うことになった.
Termini駅の切符販売カウンターはいつもものすごく混んでいて,とても並ぶ気はしない.しかし,最近はインターネットでチケットを購入することができる.イタリア国鉄FSのホームページで会員登録をすれば誰でも購入可能.英語ページもあるので,イタリア語が分からなくてもOKだ.座席指定もできる.早めに購入したり,団体で購入したりすれば割引もある.購入手続き後,返送されてくるチケットをプリントアウトして持参するだけで,刻印の必要もない.大変便利だ.
この高速鉄道,グレーを基調に赤いラインが入っている見かけはスタイリッシュなものだ.乗車した2等車は横4列(ちなみに1等車は横3列)で,シートピッチは日本の新幹線よりはだいぶ狭い感じがする.インテリアはやや安っぽい内装だが明るい印象だ.トイレは駅のものよりは清潔だろうか.座席のリクライニングは背もたれを倒す方式ではなく,椅子の部分を前方にスライドさせる方式なので,対面式配列ということを考えると,実質的に使えないと思った方が良い.
8時45分の定刻から数分遅れて出発.10分くらいするとRoma市街を抜け,線形も良くなってだいぶスピードが出てくる.Roma側では在来線と供用(普通列車とすれ違っていたので),Firenze側はほとんど新線区間というような印象だ.保線レベルはよく分からないが,特にRoma側の乗り心地がかなり悪かった.車両側のサスペンションの質があまり高くないのだろう.トップスピードは200km/hは出ているが,250km/hまでは出ていないような感覚だ.
遅れて出発した列車は10時20分頃,ほぼ定刻でFirenze S. M. N駅にノンストップ到着.15分くらい停車して折り返していき,Venezia S. L.駅に向かう.帰りも定刻出発,定刻到着だったので,割と正確に動いているようだ.
たった一往復の経験だが,私の総合評価は2時間くらいまでならまあ我慢できるといったところだ.すなわち,Napoli, Firenze, Bolognaくらいまでは高速鉄道で,それより遠いVeneziaやMilanoは飛行機でといった使い分けになる.
2010年10月1日金曜日
European Culture Dayで入場料が無料に
9/25と26はEuropean Culture Dayと称する週末だった.これはイタリアの国立の博物館・美術館・遺跡などが無料で入場でき,これらの施設では各種イベントが行われる,毎年恒例の行事のようだ.4月の文化週間の時にも,9月にもう一度入場料が無料になる時があると聞いていたのだが,すっかり忘れていた.偶然テレビのコマーシャルを見て思い出すことになったのである.
しかし,どこが国立の施設なのかは,インターネットを見ていても今ひとつ分からない.我々はカラカラ浴場を残してたし,サンタンジェロ城にも入っていなかった.これらが国立だといいのであるが,研究所で同室のF女史に聞いても,分からない.「逆にあなたの方が詳しいんじゃない?」と言い出す始末.恐らく国立の施設が無料で入れることも知らないだろう.何とかインターネットでイベント情報を発見して,どうやらカラカラ浴場とサンタンジェロ城が国立らしいことが理解できたので,久しぶりのローマ観光を愉しもうということになった.
カラカラ浴場は確かに無料であった.どこにもチケットを確認する場所がないのに,券売所でチケットが渡される.こういうのが資源の無駄遣いと無用のゴミを生み出す基なんだが.通常は一人6ユーロだと思うが,はっきり言ってこれは高いと思う.もうちょっとしっかり保存して,部分的に本当に浴場にしておくくらいの演出があってもいいのではと感じる.現状では単なる打ち捨てられた遺跡だ.モザイクのタイル床は部屋によって模様が異なっており,これがやや見所といったところだ.
次にサンタンジェロ城へ向かう.ここももくろみ通り無料だ.通常は5ユーロくらいだったか.ここはカラカラ浴場と比べて混んでいたが,これは無料の効果だろう.ここは国立博物館だが,お目当てはテラスからの眺望だ.緩やかな坂と階段を昇る必要があるが,近隣のサンピエトロ大聖堂のクーポラよりははるかに楽だ.ただ,楽であるが故に,クーポラからの眺望に勝つことは出来ない.そう考えると,5ユーロは高い.
これでローマの屋外系の観光施設はだいたい訪問し終えたことになる.後は博物館と美術館だ.これは秋と冬にとっておいたので,子供が学校に行っている時間帯にゆっくりと堪能しよう.
私用により不在とするので,次は10/5に更新します.
しかし,どこが国立の施設なのかは,インターネットを見ていても今ひとつ分からない.我々はカラカラ浴場を残してたし,サンタンジェロ城にも入っていなかった.これらが国立だといいのであるが,研究所で同室のF女史に聞いても,分からない.「逆にあなたの方が詳しいんじゃない?」と言い出す始末.恐らく国立の施設が無料で入れることも知らないだろう.何とかインターネットでイベント情報を発見して,どうやらカラカラ浴場とサンタンジェロ城が国立らしいことが理解できたので,久しぶりのローマ観光を愉しもうということになった.
カラカラ浴場は確かに無料であった.どこにもチケットを確認する場所がないのに,券売所でチケットが渡される.こういうのが資源の無駄遣いと無用のゴミを生み出す基なんだが.通常は一人6ユーロだと思うが,はっきり言ってこれは高いと思う.もうちょっとしっかり保存して,部分的に本当に浴場にしておくくらいの演出があってもいいのではと感じる.現状では単なる打ち捨てられた遺跡だ.モザイクのタイル床は部屋によって模様が異なっており,これがやや見所といったところだ.
次にサンタンジェロ城へ向かう.ここももくろみ通り無料だ.通常は5ユーロくらいだったか.ここはカラカラ浴場と比べて混んでいたが,これは無料の効果だろう.ここは国立博物館だが,お目当てはテラスからの眺望だ.緩やかな坂と階段を昇る必要があるが,近隣のサンピエトロ大聖堂のクーポラよりははるかに楽だ.ただ,楽であるが故に,クーポラからの眺望に勝つことは出来ない.そう考えると,5ユーロは高い.
これでローマの屋外系の観光施設はだいたい訪問し終えたことになる.後は博物館と美術館だ.これは秋と冬にとっておいたので,子供が学校に行っている時間帯にゆっくりと堪能しよう.
私用により不在とするので,次は10/5に更新します.
2010年9月30日木曜日
エトナ山:活火山のすごさを体感
シチリア出張ではEtna火山にも行ってみた(観光ではなく視察です).これは標高3,350mのヨーロッパ最大の火山だ.時々噴火を起こす活火山である.南側の大都市であるCataniaは噴火の影響で何度か大きな被害に遭っている.富士市あたりから見る富士山のように周辺に視界を遮る山がなく,遠くからは非常に美しく見える.
Cataniaから中腹のSapienza山小屋地区へ車で1時間弱,標高2000m弱の拠点だ.ここからリフトとマイクロバス(もちろん山岳仕様)と徒歩で標高3000m地点までは向かうことが出来るらしい.リフトとバスで一人50ユーロくらいだったと思う.我々は時間の都合上,リフトのみ.これでも20ユーロ以上したはずだ.
山小屋に向かうアクセス道路から,溶岩流跡の真っ黒な溶岩に覆われている圧倒的な景色を見ることが出来る.近年まで噴火が定期的に起きていることをまざまざと感じさせる.何と,溶岩流跡の上に山小屋やホテルが立地しているのだ.
ガイドブックで,噴火で使えなくなったリフトの替わりにバスで人を運んでいると読んだ気がした.日本なら,例えば浅間山の山中にリフトなど建設しようとするのだろうかと考えてしまった.山登りも立ち入り禁止区域もあるのだとは思うが,立ち入ってもあんまりうるさくなさそうな気がする.自己責任でということかもしれない.危険地帯であることは間違いないが,予兆はあるし,各自が気を付けていれば問題ないという割り切りで観光資源として活用できるのだろう.
Cataniaから中腹のSapienza山小屋地区へ車で1時間弱,標高2000m弱の拠点だ.ここからリフトとマイクロバス(もちろん山岳仕様)と徒歩で標高3000m地点までは向かうことが出来るらしい.リフトとバスで一人50ユーロくらいだったと思う.我々は時間の都合上,リフトのみ.これでも20ユーロ以上したはずだ.
山小屋に向かうアクセス道路から,溶岩流跡の真っ黒な溶岩に覆われている圧倒的な景色を見ることが出来る.近年まで噴火が定期的に起きていることをまざまざと感じさせる.何と,溶岩流跡の上に山小屋やホテルが立地しているのだ.
リフトの終点には小さい小屋があり,そこからマイクロバスに乗り換える.バスに乗らず歩いて昇っていくグループも多い.我々は30分くらい昇ってみただろうか.溶岩が粉々になっていて大きな粒上になった斜面になっているので,大変歩きにくい.辺り一面真っ黒だ.
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