2010年10月8日金曜日

Uffizi美術館で思ったこと

UffiziはFirenzeを代表するイタリアでも屈指の美術館だ.ルネッサンス時代のFirenzeの雄Medici家の所蔵していた美術品が展示されている.有名なものは,Botticelliのビーナスの誕生と東方三博士の礼拝,Leonardo da Vinciの受胎告知,Vecellioのウルビーノのビーナス,Raffaelloの自画像といったところだろうか.

これらの見るべき作品のリストと概要は,どんなガイドブックにも書いてある.ややもすると,「これだけは見ておきたい」というフレーズ通りに,駆け足でそれだけを見て終わりとする人も多いだろう.何を隠そう,芸術分野の興味が薄い私もそのタイプに近い.

そんな私でも,最近は作風をみるとその年代が大体分かるようになってきた.明らかに分かるのがルネッサンス前のもの.言い方は悪いが,はっきり言ってへたくそで,とても芸術品とは思えない.ルネッサンスとそれ以降のバロックの違いも大体感覚的に分かるようになってきた.教会に所蔵されている絵画やフレスコ画,あるいは建築物についても同じだ.

6月末に日本に一時帰国した時に,高校の世界史教科書の詳細版を購入してきて,それを最近は夜な夜な読んでいる.高校時代は世界史を選択しなかったので,その内容は大変新鮮である.歴史というと,事実とその正確な年号を意味なく覚えさせられた記憶しかないのだが,その時の反省を踏まえて,どうしてその出来事が起きたのかを,その時代背景とともに理解するようにしている.

何で唐突にそんな話をしたのかというと,実は感覚的に理解できるようになった原因がこれではないかと自分自身で感じているからなのだ.Uffiziは新婚旅行でも見たのだが,失礼ながら全然印象に残っていなかった.単に眺めたに過ぎないからだ.

世界史を理解すると,キリスト教も王朝も,その権威主義では変わりはなく,その誇示のために建築物や美術品に散財していることが手に取るように想像できる.後はキリスト教の創世期の物語や,その後の分派の理由をそれなりに理解しておけば,例えば受胎告知や聖母子,キリストの昇天などの典型的な美術品の意味や作品間の微妙な違いがより分かるようになると思う.

結局Uffiziで痛感したことは,歴史の知識無しに美術品を見ても時間とお金の無駄であるという,至極最もな事実だ.

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