ローマの建国は紀元前750年頃と言われている.当時,中部イタリアで力を持っていたのはエトルリアで,ローマの北側を支配していたようだ.Tarquiniaはその有力な都市の一つと考えられる.エトルリア人は建築技術に長けており,ローマは建築・土木技術を彼らから学んだと言われている.私のような土木屋からすると大先祖である.エトルリア人の起源,使用言語はよく分かっておらず,依然として謎の民のようだ.ちなみに,ティレニア海はエトルリア人の海,トスカーナはエトルリア人の土地という意味らしい.
現在のTarquiniaの街から数km東方向に行くとNecropoliがある.Necropoliは共同墓地という意味らしい.Tarquinia博物館との共通券で一人8.5ユーロ,子供は無料だった.入口に土産物やガイドブックを売る売店と,ちょっとした喫茶空間も確か入っていたと思う.
さてこのNecropoli,草原のような丘に小さな小屋が20軒ほど点々と展開している.日陰もなく,真夏はきついだろう.雨天時もつらい.我々が訪れたのは秋晴れで,着込んでいるとやや暑いといった感じだったので,天候としては恵まれている.この小屋から地下の埋葬空間に入っていく.
薄暗い階段を下りていくと,石室となっている埋葬空間の前に辿り着く.この空間は入ることが出来ず,ガラス越しに眺めることしかできない.セルフで石室の照明を付けなければならない.石室の壁面には色鮮やかな壁画が描かれている.死後に寂しくないように,明るい色調で彩ったのかもしれない.
小屋に掲示されている説明文(イタリア語と英語の併記)によると,作られたのは大体が紀元前4~6世紀であった.発見自体はここ100年というオーダーだったので,7割くらいの石室は風化が進んでしまっている.色鮮やかな壁画が見れるのは全体の2割くらいだろうか.慣れてくると,掲示板を見ただけで,見る価値がありそうな石室かどうか分かるようになる.
それにしても,こんな墓地空間を見ているだけで,エトルリアの往時は大変力があったのだと理解できる.博物館で飽きるほど見た石棺の彫刻の細かさと併せて,その建築技術と芸術性に思わず感嘆する.残念ながら我がローマに滅ぼされてしまったが,その高い技量は,”敗者同化政策”を徹底したローマでなければ,危険視されて徹底的に排除されたであろう.
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