2010年5月31日月曜日

Tivoliへ行く(1)

本格的に暑くなる前に,とにかく屋外の観光施設の訪問にいそしむ5月の週末.2週間に一度のルールに則ってレンタカーを借り,この週末はローマ近郊を旅することに決める.TivoliのVilla Adoriana(ハドリアヌスの別荘)は夏場はきついらしいので,今のうちに行っていこうを考え,Tivoliに向かうことにした.2週間前は凍えるような寒さの中AssisiとPerugiaを廻ったが,それがうそのようなやや暑い日々だ.

Tivoliはローマの東北東方面にあり,都心部からはそんなに遠くない.Termini駅付近が起点となっているA24号線でL'Aquia方面に向かい,環状高速GRAを超え,A1号線とぶつかった直後のインターで降りると,もうVilla Adorianaの近くだ.自宅から1時間はかからない.ローマの道にもだいぶ慣れたものだ.

無事Villa Adorianaに到着.ここは2世紀のローマ皇帝ハドリアヌスが,帝国の防衛のために各地を精力的に視察している間に,感銘を受けた各地の景観を再現しようとして建築した別荘らしい.自身は視察ばかりで,視察先で亡くなっているので,あまり滞在していないのではないだろうか? 他のローマ時代の遺跡と同じように次第に打ち捨てられ,破壊され,近年になって発掘された場所だ.至る所で修復工事がなされていて,入れなくなっている箇所もある.また来いということだろう.

入場料は一人10ユーロ.券売所で「Due Adulti, due Bambini!」と伝える.子供は無料だと思っていたが,「Nationality?」と聞かれ,正直に「Giapponesi」と答えると,「子供も同額です」とのつれない答え.全員で40ユーロか...「無料の地図は?」と聞くと,つれなく「ないからとなりの売店で買って」と言われる.これでつまらなかったら承知しないからな.

このVillaの遺跡としてもイメージは先日行ったOstia Anticaに近い.自然の中に部分的に残されている石造の建築物.どこにでもある浴場跡,劇場跡.Ostia Anticaは平坦だが,こちらは山の斜面上にあるので起伏がある.ちょっとしたハイキングだと思えばいい.ハイヒールは禁物です.緑は多いのだがコース上に日陰は少ないので,やはり夏場の見学はお薦めできない.

入場してから最初の見学ポイントまでしばらく上り坂だ.誘導サインがないから道があっているのか不安になる.いずれ城壁のようなものが見え,その直前にある小さい小屋に,Villaの復元模型があるので,これを是非確認したい.続きは次回.

2010年5月29日土曜日

Scuola in Festa

水曜日に,テルミニ駅近くのVittorio Emanuele 2世広場でScuola in Festaというイベントがあった.その名の通り学校の生徒のためのイベントのようで,ローマ市主催で例年5月末に開催されるようだ.交通安全のコーナーなど多くのテントが設営されており,なかなかの賑わいであった.

このFestaで,ローマ日本人学校がゲストとしてステージ上で踊りを披露することになっていた.小学部1~2年が日曜日の運動会で踊った火炎太鼓,中学部がやはり運動会で踊ったよさこいソーラン節を披露する.ステージが大きくないので,かわいそうなことに小学部3~6年は学校に残って通常授業.と言うわけで我が家は次男のみの登場だ.

ローマの公衆の面前で子供が踊るのはなかなか見られないので,午前中だけ仕事をさぼって見に行った.予定では10時半に登場だったのだが,市長が11時過ぎに登場することになり(もともと予定されていたかも不明),思いっきり時間が後ろにずれる.イタリア在住歴が長い方にとっては「まあいつものことですよ」というだけだが,炎天下で待たされる身にもなって欲しいところだ.

結局,市長や日本大使の挨拶後の11時半頃に日本人学校チームが登場.どちらも大変立派に踊っていた.市長達が登場する前にいくつかのグループが合唱を披露していたが,これは前座だったようで,舞台上の動きが少ないこともあり,全然盛り上がっていなかった.しかし,日本人学校チームが躍動感あふれる目新しい演技を披露したので,一気に盛り上がったような気がする.その後のポーランドチームの動きの少ない民族舞踊が地味に見えてかわいそう.

その後すぐにオフィスに向かったので,結局このFestaをじっくりと見ていない.面白かったのは,入場する市長の後からプラカードを持った抗議団体がくっついてきて,市長の挨拶の時にシュプレヒコールを浴びせていた.こんな場でやるなんて大人げない.でも,子供達はそんなことに関係なく市長に拍手を送っている.市長の退場後にも,拡声器を持った初老の男が執拗に追いかける.なんだかFestaよりもそちらの方が面白かった(笑).

このFestaは毎年行われているらしいが,日本人学校は今年初めて招待されたらしい.ローマ市長と高校生が広島に招待されたことの返礼として実現したものらしい.6月は現地小学校との交流イベントもあるし,こういう草の根交流は,日本文化と日本人をよく知ってもらうためにできるだけたくさん行ってもらいたいものだ.

2010年5月27日木曜日

電気店を探すのが難しい

日本の,特に東京圏に住んでいると,駅前や郊外で簡単に大規模な電気店を発見することが出来る.最近はヨドバシカメラ,ビックカメラ,ヤマダ電機が覇権を争っていて,家電の値引き合戦がものすごい.ある商品を買おうと思えば,何店も廻って価格を比べながら購入することができる.二ヶ月前までは確かにそんな生活をしていた.

しかし,ローマに来てからは電気店を探すのに,本当に苦労している.アパートに入居当初,たこ足プラグとLANケーブルを探していて,結局街中で見つけることができず,結局郊外の大規模ショッピングセンターで購入した.

次は無線LANのアクセスポイント.車がないので街中でコンピューターショップがないかインターネットで探すも,なかなかに難しい.英語で"computer shop rome"と検索を掛けても当然引っかからない.オーストラリアのRomeという小都市の店が引っかかる! そこでイタリア語辞典で店がnegozioであることを調べて,"Roma computer negozio"で検索すると,いくつか出てきた.場所が特定できたお店は郊外ではないが電車バスを乗り継いでいかなければならないようなところだった.それでも行ってみると,商品はカウンターの奥にあって,番号札を引いて受け付けてもらわなければならないようだ.幸い英語が通じて助かったが,外国人にはなかなかに厳しい環境だ.しかし,幸い商品の取扱説明書は英語である.イタリアはマーケットが小さくてイタリア語にするほどでもないのだろうか.

次は,快適にSkypeをやるためのヘッドホンとマイクを購入.これもどこにでもありそうだが,通勤経路の付近では電気店をほとんど見つけることが出来なかったので,あきらめて結局郊外の大規模ショッピングセンターで購入.といったように,それなりの品揃えが期待できる(それでも全然少ない)電気店は押し並べて郊外の大規模ショッピングセンターの中にあるようだ.それにしてもイタリア人はどうやって家電製品を購入しているのだろうか.もう少し試してから,同僚に聞いてみたいと思う.

今度買う必要がありそうなのは電球だろう.もういくつか切れて始めている.我が家の照明は日本のように簡単なソケット形式になっていない.交換にドライバーが必要だ.天井も高い.ちょっと前に入居時から既に切れていた一箇所の交換を試して見たが,おおもとの配線がいかれているようで,電球を交換しても点灯しなかった...

2010年5月26日水曜日

日本人学校の運動会

先の日曜日,子供達の通う日本人学校の運動会があった.この運動会は,全日制小学校,中学校,補習校(イタリアの学校に通っている生徒を対象に土曜日に日本語を教えている),幼稚園が合同して行っている.5月は天候不順だったが,この1週間くらいは割と安定していい天気だった.この日も朝からかんかん照り.暑い一日になりそうだ.

全日制は40人強,補習校と幼稚園と併せて100人弱といったところだろうか.人数が少ないので,子供達もあっという間に出番が回ってくる.日本の小学校の運動会は,自分の子供の出番がなかなか回ってこなくて,見学する方もなかなか退屈なのだが,こちらではどんどん出番が回ってくるので,写真やビデオを撮るのも結構忙しい.

日本人学校の校庭は天然芝でなかなか心地いいのだが,郊外にあるとは言え,残念ながらそんなに広くはない.短距離走は40mを取るのが限界だ.幼稚園や小学校低学年はこれで十分だが,中学生は明らかに短すぎてあっという間に勝負が決まる.ゴール後の減速エリアも不十分(笑).

行われている競技は日本の運動会と大変似ている.玉入れ,大玉転がし,大玉送りは基本だ.最近はやりのソーラン節もある.ここでは小学3年生から中学3年生までの合同演技だ.ソーラン節の前に,これもおなじみの組み体操が組み込まれている.ローマらしく,フォロロマーノ,コロッセオ,トレビの泉,パンテオン,サンピエトロ大聖堂といったおなじみの名物が出てくる.

小学1年生と2年生の踊りは「祭り」でなかなか激しい.先日まで幼稚園生だった我が子が立派に踊っていて,わずかの間での成長にやや感激する.それにしても全日制は十分に運動会の準備をしたようで非常にきびきびしている.これに比べて補習校はイタリアらしいだらけた(失礼!)雰囲気だ.短距離走ではものすごく早い子がいるのだが,リレーになると非常に弱くて全日制の独壇場.

100名の子供のうち,ざっと4割くらいはハーフの子かもしれない.ということは,イタリア人のお父さんも観戦している.もちろん親子競技や親も参加できる競技があるのだが,あの適当イタリア人とは思えないほど一生懸命にやっている.綱引きのようなパワー系競技は,イタリア人の人数で勝負が決まっていた.

人数が少ないので運動会は午前中で終了する.母親にとってはお弁当を用意しなくて良いので楽だ.人数が少ないから,早く行って場所取りをしなくても良い.近年にない楽な運動会であった.

2010年5月25日火曜日

トレビの泉,パンテオン,ナボーナ広場(2)

パンテオンを出て西に向かう.数分でPiazza Navona(ナボーナ広場)に到着する.ここはローマ帝国時代に競技場があった場所だ.もと競技場だけあって,とても大きな広場だ.多くの絵描きが自慢の作品を売っている.大道芸もたくさん見ることが出来る.ちなみにナボーナ広場に限らず大道芸でよく見るのは,金色の衣装に身を包み仮面をかぶったツタンカーメンもどきだ.あのかんかん照りでは暑くてたまらないだろう.

とにかくたくさんの人がぶらぶらしてる.さすがに人気のある広場だ.ここには3つの噴水がある.その中で最も大きいものが広場中心にあるFontana dei Fiumi(四大河の噴水)だ.17世紀の有名な芸術家のベルルーニによる作品.4つのリアルな人間の彫刻が中央のオベリスクを囲む.オベリスクはちなみに4つの大河は,ナイル,ガンジス,ラプラタ,ドナウであるらしい.それにしてもローマには噴水が多い.暑い夏を過ごすための清涼剤として作られたのだろう.

この広場は緑がないので,日陰を見つけないと長時間滞在するのは難しそうだ.我々も日陰を探して持参したおにぎりをほおばる.

広場を後にして,再び東に向かう.5分ほど歩き,Bar della Parma(バール・デッラ・パルマ)でジェラートを食す.ここのジェラートは種類豊富で,選ぶのが難しい.最小サイズが2.5ユーロで3種類のジェラートが楽しめる.この後,スペイン広場方面に向かい,探索終了.子供達には翌日の運動会の参考になっただろうか?

2010年5月24日月曜日

トレビの泉,パンテオン,ナボーナ広場(1)

ローマのブログを名乗っている割に,最近ローマのことを書いていない.仕事が本格的に始まって,平日はほとんど毎日朝から夕方まで出勤していて,ほとんど街に出ていないし,週末は二週間に一度はローマの外に出ているからだ.ローマの見所はいつでも見られると思っていたが,ちょっとは気合いを入れてあちこちを見ないと見切れないかもしれない.

そう思った訳ではないが,この週末,土曜日は子供達を連れてローマの中心部に出かけた.家内とは4月に買い出しや諸手続で結構街中に行っていたが,最近はご無沙汰だった.翌日曜日は日本人学校の運動会が予定されていて,余り遠くに行きたくなかったこともある.

子供達に「何を見たい?」と聞くと,「トレビの泉」や「パンテオン」の名が出てくる.運動会の組み体操でやるらしいのだ.やる前に実物を見るのもいいだろうということで,そのエリアに連れて行くことにした.

Fontana di Torevi(トレビの泉)はさすがに混んでいる.中央部は記念写真を取るのにも難儀する.トレビの泉は余りに有名だが,出来てから300年も経っていない,ローマの名所の中では新参者の存在だ.10年前は背を向けてコインを投げ入れる人をたくさん見た気がするが,今回と1ヶ月前の観察では,そんなにコインを投げている人をあまり見かけなかった.この泉の全景を写真に収めることは大変難しく,なかなかいい写真が撮れない.ここは泉の醸し出す涼しさをたっぷり満喫するに留めておだけで上等だろう.それにしてもあの物売りや物請いの存在だけは...あのピロピロ鳴るシャボン玉製造器は何とかならないものか.今度は夜に来てみたい.きっと光がきれいだろう.

次にPatheonに向かう.トレビの泉からはそんなに遠くない.ゆっくり歩いて10~15分程度だろうか.現存するパンテオンは紀元後118年にローマ帝国五賢帝の一人のハドリヌスが再建したもので,なんと1,900年が経過している.この人は遠征ばかりしていたように見えるが,こんなこともしていたのだ.言うまでもなくあのドーム構造,クーポラである.半球体の直径が43.3mだ.こんな巨大な物が建設機械も原始的だった当時に良くできたものだ.クーポラの頂上部は天窓が開いているので,光が差し込む.これがまた神秘的できれいだ.現在は,西側部分が修復工事中で外側は櫓が組んである.

パンテオンには,あのラファエロの墓がある.説明書き(英語有り)を読むと,150年くらい前に本当に遺体が入っているか確認作業があったらしく,きちんと発見されたようだ.よく開けてみるものだと思うが,その遺体が本当にラファエロかの保証はないだろう.この類のものはそのように思っていればよいのだ.

続きは次回.

2010年5月22日土曜日

AssisiとPerugiaに行く(5)

国立Umbria美術館はPriori宮の中にある.宮殿と呼ぶには非常に質素な雰囲気だ.この宮殿には,中世に活躍した両替商の部屋Collegio del Cambioと商人組合の部屋Collegio della Marcanziaもある.Card Fがもちろん有効だ.それしても入り口が大変分かりづらい.両替商の部屋はフレスコ画,商人組合の部屋は寄木細工が美しい.個人的には後者の方が好み.

Priori宮の向かいは11月4日広場でPerugiaのシンボルである大噴水Fontana Maggioreがある.大と言うだけあって,本当に大きく見上げる感じだ.その向こうには大聖堂Cattedraleがある.いずれも白みがかった石造の建築物で,周辺都市と違って派手さはなく逆に好感が持てる.日曜日だったので大聖堂ではミサをやっていた.ちょっと場違いのところに来てしまったかなと思ったが,ちょっとだけ聞いてみる.

この街はAssisiと違って南北方向に長い丘の頂上部に展開しているようだ.11月4日広場から南に向かうとバスターミナルとなっているイタリア広場があり,その先は崖上に展開する見晴台がある.ここからの眺めはやはりお薦めだ.崖下にも見所が多い.崖下は鉄道駅(泊まったホテルの近くの駅とは違う)ともっと大きなバスターミナルがある.そこまでエスカレーターが連続的に整備されていて,便利だ.街路の雰囲気はAssisiと似たような感じだが,感動の度合いはAssisiに劣るかも知れない.

駅から今度は考古学博物館Museo Archeologicoに向かう.ここは駅から上りのエスカレーターを使い,その終点から少し行ったところのSan Domenico教会の隣にある.これもCard FでOK.中に入ると,イタリア中部地区の旧石器時代あたりからの発掘物や説明ポスターが多数展示してある.石造建築物の一部が廊下にごろごろ転がっているが,差異が分からないほど適当に並べてある.面白そうなのだが,いかんせん英語の解説が一切ないので,イタリア語が読めないとつらい施設だ.これも思ったより広い.美術館・博物館好きにはいい街だと思う.

ここまで回って昼をだいぶ回ったので,ランチにすることにした.天気も朝は曇っていたが晴れてきたので,表で食べることに.しかし,食事中雨が降り出す.やはり天候不順だ.この街の食事は期待しない方がいいかも.雨の中,今度は北に向かうと,やはり景色のいい見晴台がある.ここでこれ以上の探索は止めて,帰宅することに.

帰りは降り出した雨が一層激しさを増して集中豪雨の中のドライブとなった.それにしてもこの5月の天候はおかしい.AssisiとPerugia,もう一度機会があったら晴れた時に来たい.

2010年5月21日金曜日

AssisiとPerugiaに行く(4)

夕食をどうするか.子供達もいるからあまり遠くに行きたくない.ワインを飲みたいしいい位置に路駐できたから車で出たくない.ホテルのフロントに歩いて行けるお薦めレストランを聞くと,あるレストランを教えてくれた.19時半の開店と同時に行くと,何とほぼ予約で一杯で最後のテーブルをゲットできた.我々の後に同じホテルに泊まっていて同じようにフロントで紹介されたグループが何組も訪れてきたが,みんな断られていた.こういう時はきちんと早く来るものだと感じる.周りに全然レストランがないようだ.

このレストラン,名前は忘れてしまったが,感じのいいところだった.ご主人がきちんと英語で話せる.メニューはイタリア語しかなかったが,きちんと解説してくれる.Perugiaのお薦めを聞いていざ注文.トリュフ風味のパスタとイノシシ肉のソテーがおいしかった.これらはUmbria地方の名産のようだ.値段も思ったより安く,大変満足.

翌朝,チェックアウトしてPerugia中心部に向かう.ここも街中への車の乗り入れは難しいと思われたので,メインエリアに一番近そうな駐車場を探して入庫する.「車を預けて鍵を置いていけ」と言われ,ちょっと怖かったがそれに従う.イタリア語だったが,machinaとchiaveという単語が聞き取れて何となく分かったのがちょっとうれしかった.

Perugiaの街の雰囲気はAssisiに似ているが規模は断然大きく,美術館・博物館が充実している.その中心は国立Umbria美術館だ.2日間5つの美術館・博物館に大人と子供が1人ずつ入れる"Card F"(10ユーロ)を2セット購入.写真は禁止,大きな荷物はロッカーに預けなければならない.これは思いの外所蔵作品が多く,見所があった.トイレに入ってから入場したい(途中で行くのは大変です).13世紀以降?(記憶が不確か)の作品が年代ごと・画家ごとに部屋に分かれて展示されている.面白いのはルネッサンス時代までで,多くの画家が"Maddona col Bambino"と呼ばれる聖母マリアとイエスの画と,イエスが磔にされ昇天後に信者が悲しみに暮れる一連の様子を描いた画を描いているので,違いを比較してみると面白い.杭うちされた手足や,刺された部分からきちんと赤い血が流れている,見ようによっては結構グロテスクな画だ.「こんなグロテスクな子供はいないだろう!」とちゃちゃを入れたくなるような画もあるし,セクシーな聖母もいれば全然の聖母もいて面白い.ルネッサンス以降は今ひとつの印象.それでも珍しく時間をかけて見学した.

撮影禁止なので今回は写真はありません.あしからず.街並みと他の美術館・博物館情報は次回.

2010年5月20日木曜日

AssisiとPerugiaに行く(3)

Comune広場を後にする.ここから北の上の方に城塞(Rocca Maggiore)があるが,モヤがかっていて明らかにいい景色は見られない.晴れていたら相当に美しいそうだ.ちょっと残念.何やら大きな鐘の音が聞こえる.どうやらSan Rufino大聖堂からのようだ.急いで階段を昇って大聖堂に向かう.しかし辿り着くとちょうど鳴り終わったところだった.うーん,間が悪い.中に入ると明るくて結構な混雑だ.みんな雨宿りかな?

これで残すはSanta Chiara聖堂だ.San Francescoの弟子だったSanta Chiaraを祀ったものらしい.行ってみると,これはなかなか面白い形のきれいな聖堂だ.聖堂前の広場空間からは,急斜面上に展開するの街の美しい景色.これは絶対に日本では見られないものだ.こちらも聖堂の中に入ると,先ほどとは違って薄暗い.右側に祈る人専用の大きな空間がある.キリシタンでないから入室は遠慮.

これで街はだいたい見ることができた.あと残すは街からやや離れたところにあるCarceriの庵だけだ.ここはSan FrancescoやSanta Chiaraが祈りを捧げた場所らしい.駐車場に戻って車で向かうが,そのサインを見つけるのが大変難しい.やっと見つけたと思ったら,その先は濃い霧に覆われていて,とても前に進む気にならなかったので,断念.宿に向かう.

その日のホテルはPerugiaだ.国鉄の駅前にあり,そのサインを見つければ簡単に辿り着くはずだ.しかし,Perugiaのサインに従って高速を出た直後,centroのサインは設置されているが,FS Stazioneのサインはない.とりあえずcentroに向かい,途中で無事駅のサインを見つけて,無事到着.二つ星で4人部屋で110ユーロ.まあまあだろう.さて,夕食だ.続きは次回.

2010年5月19日水曜日

AssisiとPerugiaに行く(2)

前回の続き.高速道路を抜けて,順調にAssisiの街に近づいていく.前方にSan Francesco教会の威容が見えてきた.街の下から眺める教会の景色は最高だと思う.もうちょっと天気が良かったらなぁと思う.街中に車で乗り入れるのは困難が予想されたので,街へのアクセス周回道路の途中にある立体駐車場に車を泊める.

相変わらず雨は降り止まない.仕方ないから傘を差して街を歩く.丘の南斜面に展開している街のようで,南北方向の街路は基本的に階段か急坂,東西方向は時折急坂があるアップダウンのある街路だ.

Assisiが有名なのは,San Francescoのいた街だからだ.12世紀に生き,清貧の聖者と言われ,キリスト教の世界ではかなり崇められている人らしい.まずは街の西の端にあるその教会に行く.坂のある街だからか二層構造になっていて,下部はSan Francescoの墓があり暗い厳かな雰囲気,上部は外の光が差し込む明るい雰囲気であり,彼の生涯を描いたフレスコ画がある.入場料はない.

教会の前の広場では,結婚式を挙げたカップルがキスをしながら記念撮影のまっただ中,雨でかわいそうだったがまあ幸せそうだからいいか.広場前のBarで子供達を歩かせるために寒い中ジェラートを食べさせ,北側の東西街路を進む.それにしても街路が素晴らしくきれいだ.

そのまま真っ直ぐ進み,やがて街中央のComune広場に到着.そこには古代ローマ時代からのTempio di Minerva(ミネルバ神殿)がある.周りの建物と比べて圧倒的にその古さが分かる.中は小さい教会といった趣だ.中で一休み.

ここで雨脚が強まる.折角きれいな街なのになぁ.Assisi後半は次回.

2010年5月18日火曜日

AssisiとPerugiaに行く(1)

今回は長編です.

先の週末,二週間に一度はレンタカーを借りてイタリア各地を回ろうと決めていたので,予定通りレンタカーを手配した.この前はローマ近郊をドライブしたが,今度は泊まりがけで出かけてみようと心に決めた.ローマに来てアパートに入居してから初めての外泊だ.

さて,どこにするか.先週火曜日に現在所属する研究所のスタッフと初めて夕食をともにした時に,「Umbria州の街は是非行くべきだ」といろんな方がおっしゃるし,前から丘の上にコンパクトに展開する城壁に囲まれた街を見てみたいと思ったので,UmbriaではメジャーなAssisiとPerugiaに行くことにした.

土曜日の朝,Termini駅でレンタカーを借りて,近くの高速道路入口へ向かう.一回道を間違えたが,比較的すんなり辿り着いた.ローマでの運転も3回目にして随分慣れてきたと感じる.A24を東に向かって環状高速GRAに入り,Firenze行きのA1に乗り換える.あいにく天気が悪く,見えづらい案内標識が一層みづらい状態だ.それでも一度通った箇所はきちんと覚えているので,スムーズにA1に入った.

A1本線に入る手前に料金所がある.通行券を取る.日本でETCを使っていなかった時代を思い出して妙な懐かしさを覚える.もちろん,こちらにもETCに相当するものはあるが,そんなに利用率は高くないことは通過台数の少なさを見れば一目瞭然.専門家としていつかきちんと調べます.

事前に道路地図で検討したところでは,このままA1を北上し,Orte手前でSS675に乗り換え,Terni手前でSS3bisに乗り換えてPerugiaに向かうはずだった.路線番号をうる覚えでスタートしたが,「まあPerugiaの地名が乗り換えポイントの標識に出てくるんだろう」と思っていた.

しかし甘かったようだ.気がつくとOrteに入ってしまっていて,どうやら予定するポイントを通過してしまったようだ.またまた標識を見逃したのか...どうもイタリアの標識にまだ慣れていないようだ.しばらく行くとPerugia方面の出口を発見,降りてみたがこれが勇み足.SS3bisまで30kmくらい山道を走る羽目になった.ちなみに高速料金は6ユーロ弱,100kmくらいは走ってきたから日本の半分くらいの価格設定だ.

苦労してSS3bisに到着した.この路線上ではPerugiaとAssisiはメジャーな地名なので,標識に頻繁にこれらの地名が出てくる.今度は安心だろう.続きは次回.

2010年5月17日月曜日

あーASローマは優勝を逃した!

お約束のサッカー.土曜日と日曜日に泊まりがけで旅行に出ており,試合時間帯はレンタカーでローマに戻る途中だった.どったんばったんしてローマの得点や失点を教えてくれる上の住人もいない.スコールみたいな雨が降っていて(ここのところホントに天候が不順),運転に集中するあまりサッカーのことなどすっかり忘れていた.

結果はご存じのようにローマもアウェーで立派に勝利したが,インテルもアウェーで苦戦しながら虎の子の1点を守りきり勝利.結果,スクデットはインテルに決定.うーん,残念.あちこちでローマファンの腹いせの破壊工作があったのではと思いきや,今日朝のニュースを見る限りそんな気配はなかった.ホームゲームだったら大変だったろう.

ちょうど試合終了時間直後,レンタカーがある週末恒例の大型ショッピングセンター(これは今までで行った中で一番立派だったので機会があればそのうち紹介したい)で帰宅前の買い出しをしていた.しかし,ローマが優勝を逃したことはこの場では全く関係なかったようで,通常の混雑した週末の夕方という状態.

現在所属している研究センターの教授は先日,「Tottiも度重なる怪我でかなり無理をしてもう満足にプレーできないだろう.ASローマもしばらく冬の時代だ」と言っていた.それだけに,今回逃した魚は大きそうだ.その教授も「勝ち点2差だけど,まあほぼダメだろう.」とあきらめムード満点だった.まあ多くのファンは状況を理解して冷静だったんだろうな.

不謹慎だが,それにしても混乱が何もなかったのが何とも残念だ(笑).次のシーズンは,スタジオオリンピコで実際の試合を見てみたいものだ.

2010年5月14日金曜日

オスティア・アンティカ(2)

前回の続き.おにぎりとサンドイッチを食べた後に,さらに遺跡地区の中心部に向けて歩を進める.この当たりからは見所が多そうな気配.左写真の浴場跡に到着.床には見事なモザイク模様が残っている.ホワイトの床に人,馬,山羊,竜?のグレーの模様がはっきりと見て取れる.

その後,消防士の宿舎を抜け,劇場へ.Colloseoの超ミニ版といったところだ.観客席センターから正面を見たのが左の写真.向こう側に見えるのは神殿の跡だ.下の方では,修学旅行のような一行がいる.ここのところ,観光地でよく見かけるが修学旅行のシーズンなのだろうか.

その後は似たような遺跡が続く.そこがどのような機能を持っていたのか説明(イタリア語+英語)が書いてあるのだが,そのうちどれも同じように見えてきた.後の見所は,遺跡のほぼ中央にあるCapitoliumと呼ばれる主神殿跡と中央広場のForoの当たりか.一応入口と反対側の端まで行って見たが,正直言って途中で飽きてきた.

とはいうものの,古代遺跡のロマンを十二分に感じられる場所ではあると思う.時間の余裕があれば是非足を運ぶことをお薦めする.

2010年5月13日木曜日

オスティア・アンティカ(1)

ローマ中心部から南西方向にだいたい30kmくらい行ったところ,Fiumicino空港の少し南にOstiaと呼ばれる地域がある.Tevere川河口部に位置し,古代ローマの外港として栄えたところだ.Tevereの川筋が変わり,より大きな港が建設されたために,紀元400年ごろにはもう衰退してしまった街だ.この昔の街の部分をOstia Anticaという.

この前の日曜日にOstia Anticaに行ってきた.衰退し廃墟となりTevereに埋まった街は現在では遺跡となっている.入場料は大人6.5ユーロ,18才以下の子供は無料である.まあ良心的だ.ローマ市内からのアクセスは便利で,メトロB線のEur Magliana駅でLido線(15~30分間隔で運行)に乗り換え,そこから5つめのOstia Antica駅で下車,時間はMaglianaから20分程度だったと思う.駅からは5分も歩けば遺跡の券売所がある.

最盛期には10万人くらいは住んでいたらしく,遺跡の規模は想像を超えた大きさだ.長手方向に1.5kmくらいはあったのではと思う.まじめに全部見ようとすると1日では済みそうにないくらいの量だ.遺跡の目抜き通りは石畳で松の木がたくさん生えている.この前に行ったForo RomanoやPalatinoの丘よりも緑は多く,日差し強い日でもややしのぎやすいのではないか.ちなみに,意図的に緑が多く植えられているのではなく,基本的に放置されていて自然に生えていたからだろう.

左の写真のように,かつて住居だったり倉庫だったりした部分は壁の一部が残っている状態である.ぺたぺた触ったり,登ったりすることも可能だ.子供達にはちょっとしたアスレチック気分が味わえる.彼らにとってはForo RomanoやPalatinoの丘よりも断然楽しそうだ.遺跡に座って堂々と持参したおにぎりやサンドイッチを食べても問題なし.客観的に見てもほほえましい様子に,「写真をお撮りしましょうか?」と声が掛かる.

続きは次回.

2010年5月12日水曜日

ランチの高さとそのオプションの少なさ

ローマに来てから,日本と比べて困っていることが確実にいくつかある.浴槽でお湯に浸かれないのは当たり前として,ランチが結構鬼門である.

日本には,日本そば,カレー,ラーメン,牛丼,ホカ弁,ファーストフードというように,安い,早い,旨いを満たせるランチメニューが豊富にある.これらを順繰りに回していけば,そんなに飽きることはない.そんなランチをもう十数年続けている.

一方,ローマでは短時間で安く済ませようとすると,事実上Barで購入するPanino(サンドイッチと考えて頂ければよい)かPizza(予め焼いてあるもの)しかない.オフィスの近くのBarでは,Paninoが4ユーロ,コーヒーと併せて5ユーロという価格設定だ.これは立食かテークアウェーの価格で,着席すると倍近くになることがある.

BarやRistranteに入ってPastaとInsalataでも頼もうものならあっという間に20ユーロ越えだ.しかも値段ばかり高くて大して旨いわけでもない.サービスがいいわけでもない.前にも書いたが,ちょっとしたぼったくりバーだ.

そんなわけで,出勤する日のランチは毎日Panino,Pizzaは先週の出来事があってから自粛中.多いところでは5種類くらいはおいてあるので,Bar3件との組み合わせで,10~15種類を必死で回している毎日だ.さすがにBarに顔を覚えられるようになった.そろそろ1件に絞って常連客になろうと思う.

2010年5月11日火曜日

サッカー:ASローマは優勝できるか?

こちらではサッカーが盛り上がりを見せているようだ.ワールドカップが近いから? いや,ローマをホームとするASローマ(かつて中田英寿選手が所属してスクデットを取った(リーグ優勝した)チーム)が,翌日曜日の最終節を残して首位インテルミラノと勝ち点差2で2位に付けているからだ.

何節か前に,ホームで痛い黒星を喫した.この節ではインテルは勝利し,逆転されてしまった.その後は両チームとも勝ち続けている.週末の第37節ではインテルが3点を取られながら4点取って勝利.うーん,何という底力.最終節で,インテルが負け,ローマが勝てば(引き分けではダメ)逆転優勝だが,どうかなぁ.ともにアウェーだけど,インテルは降格が決まったチームが相手だからなぁ.

先週に,Copa Italia(イタリア杯:天皇杯やナビスコカップみたいなものか?)の決勝戦があり,これも何とローマとインテルの戦い! しかも会場はローマのスタジオオリンピコ! 期待したが,結果はご存じのようにインテルが前半終了間際に取った1点を守りきって勝利.その日の夜のローマ市内は何台もの車が壊されたり,火を付けられていたようだ.

折角だから,いる間にホームチームに何らかのタイトルを取って欲しい.街がどうなるのか見てみたいのだが...日曜日の17時頃(試合終了予定時刻)にどうなっているか注目だ.

ちなみに,自宅のテレビでどうしてもリーグ戦を見ることができない.Pay per Viewなのか,事前契約なのかは知らないが,やり方が全然分からない.非常に残念.なお,ASローマの試合の得点経過はアパートの上の住民の騒ぎ方で分かる.騒ぎに気がついてホームページで速報を見ると,得点が入っている! イタリア杯決勝は,国営放送RAIの1チャンネルで放送があった.ようやく見られると思ったら,何とスクランブルに! 仕方ないからインターネット中継で観戦.画質が悪くて,ボールの位置が分からない(笑).唯一の得点シーンもちょっと席を外した時だった.戻ってきたらリプレイでした...

しかし,この決勝戦,大人と子供の戦いでした.大人はもちろんインテル.指揮官のモウリーニョはやはりしたたかです.本当にチャンピオンズリーグと併せて三冠を達成しちゃうかも.サッカー編はリーグ戦の最終結果が判明したら再放送です.

2010年5月10日月曜日

ついに病院に(2)

前回の続き.ローマの日本人医師Nさんの診察を受けた.彼の病院はサンピエトロ寺院の近くにあり,アパートの一室が診療スペースだ.

病状やその前に食べたものをきちんと説明する.まずは前夜の夕食のステーキについて説明したが,彼の反応から察するとそれが原因ではないようだ.次に,昼食にスーパーで買ってきた冷凍ピザを食べたと言うとすぐさま「たぶんそれだ」とおっしゃるではないか.同行した家内は8分の1,私が残りの8分の7を食べている.子供は学校でお弁当だから食べるはずがない.夕食が原因だったら被害は私だけでないはずだ.

腹部を触診する.東洋医学をベースとした内科医であるN氏,何かしらの検査をすることなく,「大腸のこの部分が炎症を起こしてますね,血便の原因はこれでしょう.おおごとではないから大丈夫」と,ホッとする一言.赤痢でなく,大腸炎という診断結果だ.

では,冷凍ピザでどうして血が交じるようなひどい下痢になるのか? 彼の説明を要約すると,「こちらで気をつけて欲しい食べ物が3つ.一つ目は乳製品.例えば牛乳はあまり飲まない方がいい.二つ目はピザ.信頼できるお店でしか食べてはいけない.三つ目は特に夏場の海産物,ムール貝は薦めない.冷凍のシーフードミックスもダメ.逆に食べて欲しいモノは,野菜,パスタ,肉類で,いずれもスーパーよりマーケットで調達すべき」,ということ.ピザは注意すべき食べ物らしいのだ.

スーパーで売られている冷凍品の温度管理が不十分らしい.出荷時は良いのだが,流通の過程で不徹底となるそうだ.乳製品であるチーズをふんだんに使ったピザの冷凍品,これを聞けば決して手を出してはいけない代物だということが分かる.「スーパーが登場してきたのはここ10年くらいで,まだ信頼できない.マーケットにある本当に信頼できるお店で自分の目で食材を購入することが基本」とのコメント.私が生まれる前からローマに滞在されているNさんのお言葉だけに本当にそうなのだろう.言葉が不自由な我々にとっては非常につらいところだが,極力マーケットでがんばるしかないと家内と誓うのであった.まあ,日本だってスーパーが優勢に立ったのはたぶん30~40年くらい前で,その前には似たような話があったのだろう.

今回は診療所が保険の請求を自分で行ってくれるので,一切お金を払っていない.診察料がいくらだったか分からなくて残念だった.薬は日本のシステムと同じで,医師の処方箋を近くの調剤薬局に持って行き,薬を出してもらう.こちらは英語が十分過ぎるくらいに通じたので一安心.整腸剤だけだったので,事後請求(これは自分でやらなきゃダメ)が面倒なくらいの金額だ.

深刻でない結果を聞き,いつの間にか立ちくらみが治まっている.そのまま観光にでも行けそうな感覚だったが,念のため自宅に戻り静養することにした.これを書いている現在は完全復活しているのでご安心下さい.しかし,予想に反して私がトップバッターになるとは...

ちなみにイタリアは,中部より南の衛生状態はギリシャやトルコと同程度と思った方が良いとのことだ.ご旅行の際には十分にお気を付けあれ.

2010年5月8日土曜日

ついに病院に(1)

今週,子供達は元気なのに親の体調が悪かった.土曜日の海で冷えたのか,月曜日に家内が熱を出す.そこで,業務は午前中だけで切り上げ,スーパーで冷凍ピザを買って,これをランチにすることにした.結論から言うと,この冷凍ピザが今回の主役だ.汚い話が交じっているがご容赦を.

イタリアでは「風邪を引いたらステーキを食べなさい」と医者が薦めるという話がある.これを真に受けた訳ではないが,しっかりしたお肉が食べたかったので,ステーキ用牛肉も先ほどのスーパーで調達した.夜はしこたま赤ワインを飲みながら,このステーキを食べる.

夜,とんでもない腹痛に見舞われた.はっきり言えばひどい下痢である.年に2回程度はそうなるので,いつものことかと思っていた.翌朝,便が赤いことに気がつく.色が赤ワインの色だったので,「ワインがそのまま出てきたのかな?」と思う.日本から持ってきた下痢止めと整腸剤を服用.出勤は取りやめて,静養することにした.

下痢止めを服用したお陰で,翌朝まで「大」をすることはなかった.翌朝,子供を学校に送り届けた後のバスの中で立ちくらみがした.自宅に戻ってトイレに行くと,今度は鮮血の色をした便が...これは医者に行かないとまずそうだ.

ローマに日本人が開業する医者があることは事前に知っていた.こちらに来てから子供の予防接種のことで電話相談もしている.海外旅行保険による受診もその場で手続きしてくれる(一部の保険会社だけ).こんな時は言葉が通じるだけで助かる.電話をすると奥様が出て,「今日はお休みで,主人は歯医者に行っている.でも様子が様子だから呼び出してあげる」と神のようなお言葉.診察の時間を予約する.

医者に向かう前に,インターネットで検索.「下痢 赤い」というワードで検索を掛けると,どうやら「赤痢」というものがたくさんヒットする.「下痢止めを飲むと命に関わります」と書いてあるサイトもある.しまった,昨日飲んじゃったな.しかし,今まで赤痢に罹りそうな地域に数多く出張してきて,そんなものに罹ったことがない私.何でイタリアで? 続きは次回.

2010年5月6日木曜日

やっぱりあったアウトレット

私,実はアウトレットでのショッピングが結構好きである.ここ数年,年に5回くらいは行っている.しかし,ローマにはこういうものはないだろうと思い込み,全然気にかけていなかった.するとショッピングは女性にお任せ,家内がインターネット検索でイタリア最大のアウトレットがローマ郊外にあるとの情報をキャッチした.

メーデー翌日の5/2日曜日,レンタカーは月曜日朝に返却することになっていたから,まだ手元にある.天気も昨日と比べて芳しくないようだ.そこで,その日はショッピングに専念することに決定.またまた大型ショッピングセンターで重いものを大量購入しなければならないし.

大型ショッピングセンターの前に早速アウトレットに向かう.Castel Romanoという施設だ.ヨーロッパ最大級を謳っている.確かに100店舗以上入っている.場所はローマの環状高速GRAのUscita26を出て,接続する高速道路を南に15kmくらい走ったところにある.ちなみに,ワインで名が知れたCastelli Romaniというエリアがローマ近郊にあるので気をつけたい.なお,このアウトレットにはTermini駅から有料のバスサービスがあるので,車がなくても行くことは可能なので,ご安心を.

到着後早速中に入る.結論から言えば,日本の大型アウトレットと同じだ.価格は正規価格の3~7割引といったところではないか.日本のアウトレットではたぶんお目にかかれないSalvatore Ferragamoが入っているのはうらやましい.スポーツはNike, Adidas, Pumaとメジャーどころは一通り揃っている.しかし,入店制限をしているせいもあったと思うが,列を作っていたのは何と英国のBurberry! イタリア人にとってはどこにでもあるイタリアンブランドよりも他国ブランドの方が見てみたいのだろうと勝手に納得.

さて,ここでお楽しみのアジア人情報.アウトレット好きの日本人,さすがに数多く発見した.しかし,実際に高級ブランドの高額商品を買っているのは中国人が目立つ.購買力も完敗か...ちなみに様子見に来た我々は,子供が学校で使うサッカーボールと家内のサングラスだけ購入.

なお,特定ブランドに限定した小さいアウトレットもいくつかあるようだ.トライすることがあったら状況を報告したい.

2010年5月5日水曜日

Bracciano湖と古城

前回の続き.海岸を後にした我々は,Lago di Braccianoというちょっと大きそうな湖に向かうことにした.海岸線から20kmくらい入ったところだろうか.草原の中をレンタカーは心地よくワインディングしながら進む.「何か北海道みたい」と子供の声,確かにそうだ.

そのうち,Braccianoという街に入る.その直前に,崖上にあるこぢんまりとした古城を発見.Castello Orsini Odescalchi di Braccianoというらしく,1400年代後半に建てられらそうだ.近くに車を泊め,古城に向かって歩を進める.傾斜のある細街路の両側に石造の中層建築物が展開している.いい雰囲気の街だ.残念ながら古城はメーデーで休館だったため中に入れなかった.ガイドブックを手に持った観光客と十数名すれ違ったが,アジアからは我々のみ.日本の地球の歩き方のローマ版とイタリア版には,少なくともこの街のことは載っていない.まだまだ掘り出し物の観光地は周辺にたくさんありそうだ.この古城には改めて来てみたい.古城の全景もその時に(今回は撮れませんでした).

街を後にしてBracciano湖へ向かう.急な下り坂の途中で湖を一望できる展望スポットがある.湖面は青く,思わず吸い込まれそうになる.湖の南側湖畔には,きれいに整備されたエリアがあった.妙に人になれた白鳥が近くの湖面をすいすい泳いでいる(笑).湖を見ながらみんなでジェラートをほおばる.こういう環境で食べるとさすがにおいしい気がする.古城と併せてまたきちんと時間をかけて見て見に来よう.

ところで,この湖畔公園から少し離れたところで,焼肉の時の強烈な懐かしい匂いが! 何と,たくさんのグループがバーベキューセットを持ち込んでBBQをしているではないか.イタリアでもBBQをするんですね...イメージに合わない気がするが,イタリア料理のSecondoのCarni(肉料理)は味付けなしで単に肉を焼いただけだったりするし,案外イタリア人の口に合うのかも知れない.

2010年5月3日月曜日

5月,早くも夏本番!

5月1日はメーデーで祝日だ.土曜日と重なったために,あまり関係ないように思えたが,実はとんでもない影響があった.メーデーは労働者のための祝日だから,どこもかしこもお休みだ.スーパーはおろか観光施設やレストランですら閉まっている.都会にいては何もすることがない.

と言うわけで,ローマから脱出だ.この日のためにレンタカーを予約しておいた.しかし通常は土曜の午前中はオープンしているレンタカー営業所もこの日は休業! 空港営業所だけは空いているので,仕方なく空港まで電車で移動してレンタカーを借りる.

さて,車は手に入れた.さてどこに行こうかといってもなかなかアイデアが浮かんでこない.せっかくローマから出て,例えばTivoliに行っても世界遺産の観光施設は閉館だ.じゃあ自然はメーデーに関係ないということで,海辺のドライブに向かうことにした.空港からCivitavecchia方面に向かうことだけを決めて出発.

Roma-Fiumicino高速道路から高速道路A12に乗り換える.同じことを考えている人が多いのか,ところどころ渋滞している.料金所に到達,いくらかなと思って10ユーロ札を渡すと8.1ユーロ返ってくる.通行料金は1.9ユーロだ.これで何キロ走れるかは分からないが十分に安い.30kmくらい走ったところで高速を降りてみる.接続する一般道路も渋滞している.途中でmare(海)という標識があったので,そちらに向かってみる.すると,Campo di Mareという海岸に辿り着いた.

そこでビーチを発見.期待通りMare Tirreno(ティレニア海)は青くきれい.海の家ならぬ海のBarも開店しており,砂浜では多くの人が体を焼いている.一部の元気な連中は海水に飛び込んでいる.かんかん照りとはいえ気温は20度強といったところ.風が吹けば少しひんやりする.イタリア人は皮下脂肪が厚いのか? あまりの心地よさに,子供達と一緒に靴を脱いで海水に足を浸す.こんなことならサンダルと水着を持ってくれば良かった...

この海岸に1時間くらい滞在して,次の目的地に向かう.続きは次回.

2010年5月2日日曜日

定期券購入に成功

こちらに来てからバス,トラム,メトロを使いまくっている.どのくらい乗るのかを知るために,使用済みの切符を保管しておいた.この切符は既に紹介したBITで,1ユーロで75分間乗り放題(メトロとFS近郊線は1回のみ)である.2週間で40枚を超えてしまった.1回1ユーロで東京の初乗りより安いからその時は余り気にしないのだが,累積すると結構な金額になりそうだし,いちいちBITを買うのも面倒くさい.何とかならないか?

観光ガイドブックには1年定期があると書いてある.早速ATACのホームページで調べる.確かにAbbonamente Annualeと呼ばれる1年定期が売られているようだ.値段は230ユーロ.これまでと同じように1日平均3回BITを使っていくと大分得をする.どうやって買うか? ATACびホームページは英語版もあるのだが,ほとんど満足な情報が書いてない.結局はイタリア語を読み解くしかない.

メトロ駅のいくつかの窓口に行って,ホームページからダウンロードできる申込書に個人情報を記入して,写真を貼り付けて提出する.身分証明はパスポートでOK.やはりcodice fiscaleは必須のようだ.子供達のcodice fiscaleも別件で必要だったので,そのまえに3人分のcodice fiscaleを取りに行く.私の分を取りに行った時は朝早くから並んで取ったのだが,そんなに早く行かなくてもOKだったようだ.待ち時間が長くなるだけで,その日のうちに取得できた.

先週火曜日,Termini駅のATAC販売所の窓口(ホームページでは細かい場所が書いてないので自分で探さなければならない)に出向いて,申込書を提出,1年定期が欲しいと英語で伝える.窓口の女性は英語が多少理解できるらしく,すんなりと1年定期を購入できた.ICチップの付いたプラスティックカード,裏には顔写真と氏名,生年月日が書いてある.これで市内を自由気ままに移動できる.

2010年5月1日土曜日

文化週間:Colloseoとその周辺に行く(2)

前回の続き.Foro Romanoを出てVia dei Fori ImperialiでColloseoに向かう.この通りは日曜日は歩行者天国になっていて快適だ.たくさんの銅像があるが,恐らく皇帝達のものであろう.一番の人だかりは(皇帝ではないが)やはりCaesarのものである.みんな写真を撮っているが,残念ながら逆光でいい写真は撮れない.先週のBioparcoにも入口にたむろしていたが,ピロピロという音とともにシャボン玉を連続発射するおもちゃを手にした男どもが通りをうろついている.子供達が物欲しそうに見ている.全く,文化的な雰囲気を著しくそぐのでやめてもらいたいところだ.

この通りからを挟んでForo Romanoと反対側も何やら発掘作業が行われているようだ.だいぶ昔からやっているようだが,そのうち公開されるのだろうか?この通りの下にも遺跡があるが,かのムッソリーニが埋めてしまったらしい.共産主義を含め,全体主義は文化に対して大変冷たいし,無理解だ.

さて何とも雄大なColosseoに近づいてきた.車が走っていないから,道路センターから堂々と写真を撮る.いい風景だ.途中で,古代ローマの版図を示した石で出来た地図が並んでいる.最盛期にはイギリス,北アフリカ,中東までを支配していた様子が示されている.気がつくとあったという程度の位置にあり,あまり展示物を誇示する傾向にないローマらしい(笑).

Colosseoに入る.予想通り,チケットブースはすごい人だ.我々は既にチケットを持っているのですんなり入場.エレベーターで上に上がる.目の前に雄大なColloseoの内部が登場する.さすがに子供達もForo Romanoよりは反応がよい.こんなところで大観衆の前で生死をかけて猛獣と戦ったり,殺し合いをするとどんな気分になるのだろうか.無事勝ち残るとものすごい興奮状態になるのだろう.現代ならこんなところでサッカーや野球をしてみたくなる.

以上,なかなか堪能できた日曜日であった.この3箇所をきちんと回ると優に1日かかるだろう.のどが渇いても途中で水を買えないので,事前に数本用意しておくことをお薦めする.