2010年12月26日日曜日

今年最後の更新

12月23日を今年最後の出勤日にすることにした.この日は前日までと違って,研究所前の大規模駐車場のスペースもたくさん空いていたし,バスの乗客数も,道路の交通量も格段に減っていた.どうやら,クリスマスシーズンも長期休暇を取る人が多いようだ.研究所も全然人がいなくて,ものすごく寂しい最終日であった.

それにしても,クリスマスシーズンもいろいろなものがストップする.仕事ももちろんそうだ.現在,あちこちの政府機関に調査の依頼をしているのだが,その関係者に全然連絡が取れなくなって,少し焦っている.恐らく1月上旬にならないと職場に出てこないのかも知れない.

ローマは24日,25日と天気が悪かった.ヨーロッパ全体的に悪天候のようで,イタリアでも北部で大雨と高潮による洪水や土砂崩れが発生している.ローマはまだましな状況のようだが,せっかくのクリスマスにすっかり家の人になってしまった.まあどうせどこに行っても休業だから.

それにしても,4月に滞在を開始してから8ヶ月,本当にあっという間であった.このブログのネタを切らすことがないくらいに様々な体験をした.残り3ヶ月しかないと考えると,まだまだ行っていないところもたくさんあるし,来伊前に想定していた仕事のペースからかなり遅れているので,来年はかなり忙しい日々を過ごさないといけない.

そういう我々も明日からバカンスに出かけるので,このブログは1月10日前後まで一時休止します.

バカンスに出発する前に,もはや一大イベントと化した同行家族の滞在許可証の審査が明朝一番に控えているので,気分としてはまだまだ今年が終わった気分にはなっていない.新年最初の更新は,たぶんこの審査の顛末に関することとなるだろう.ところで,審査がとっくに終わって発行を待つばかりとなっている私の滞在許可証も,あれから3ヶ月以上経っているのに,一向に出来上がってくる気配がない.残り期間を考える実効的な意味は皆無なので,せめて記念品として欲しいものだ.

それでは良いお年をお迎え下さい.

あまりに国内に偏重するイタリアのテレビニュース

12月23日の午後,ローマにあるいくつかの大使館で郵便物が爆発するという事件(未遂を含む)が起きた.残念なことに複数の大使館員が重傷を負っている.12月に入ってから,何からイタリアが一気にきな臭くなってきた.クリスマス時期でもあって,最近はあちらこちらで爆竹が鳴っているのだが,一瞬,この音がテロの音なのかとか,治安部隊がデモに対して威嚇弾を発射している音なのかとか,思ってしまうほどだ.

この爆発事件の報道で驚いたことがある.我が家では,国営放送のRAI Unoからほとんどテレビのチャンネルを変えない.国営放送らしく,ニュース番組は結構な頻度で流れている.23日夜のニュース番組のトップニュースは,国内政治事情に関するものであった.これを10分くらいやってから,ようやく爆発事件のニュースである.それも事実を淡々と伝えただけで,あっさり終了.

この扱いには正直言って驚いた.爆発事件は左翼過激派から犯行声明が出ており,ベルルスコーニ体制の転覆を狙ったものであるそうで,大使館はその巻き添えである.きちんと対応しないと,イタリアの政治や治安の対外的信頼を損なう(既に十分損なっているが...)大事件となるはずだ.メディアにその意識がないのであろうか? 最も,国営放送も政府から体制に有利な報道をするように圧力がかかっているらしいので,意識があっても出来ないのかも知れない.

またRAI Unoのニュースはほとんどが国内のものであって,国際関係の情報が大変少ないと感じている.イタリアでは多くの国民がテレビのみから情報を仕入れるのだそうだが,これでは国内のことにしか興味を持たなくなるだろう.もっとも,国民的にあまり国外のことに興味がないから,ニュースの取り扱いもそれを反映しているのかもしれない.

2010年12月22日水曜日

政情不安の影:教育改革法案の行方

今月のイタリアは政情不安である.今日は,その原因となっている教育改革法の上院での採決の日だったそうだ.国営放送の朝のニュースも,法案採決に伴う混乱について特集していた.この法案は今月初めに下院で可決され,その時も大きなデモがイタリア全土で繰り広げられ,著名な観光施設も入場不可能となったり,交通も止められたりした.次は,多くの車が燃え,100人以上の負傷者を出した内閣不信任案騒動に絡む先週の大規模デモ.この日も交通が終日混乱して,帰宅するのにいつもの1.5倍の時間がかかった(方向によってはなかりひどかったと思う).

今日はボイラー故障の対応もあって,朝子供達を学校に送ってきた以外は一日家にいた.結果的にこれが大正解だ.仕事をしながら時折新聞社のWebを閲覧してデモの進行状況を確認する.今日はローマ,トリノ,パレルモ当たりが特にひどかったようだ.

私にとって困ったことは,改革法を管轄する教育省が通勤経路上にあることだ.採決の場となる上院近辺(今日はNavona広場は観光どころではなかったのではないだろうか)と教育省のあるTrastevere,ローマ大学近辺はデモの影響でかなり混乱するだろうと読んでいたのだが,やはりそのようだった.

法案の採決は明日に延期?になったようで,学生達もNapoletano大統領にプレッシャーを掛けている.最終的には彼の署名が必要なはずで,その最終判断がどうなるかに注目だ.早く混乱を収拾して欲しいものだが.

またまたボイラーの故障

昨日の火曜日,再びボイラーが故障がした.前回修理してから3週間弱といったところで,再度のトラブルだ.溜息をつく暇なく,日本人会のM氏に大家と連絡を取ってもらう.すると,「例のテクニコ(技術者)がクリスマス休暇中で1月5日までローマにいない」と驚きの情報が入る.「替わりの人を探します」ということになったが,前回もそんな人は見つからなかったし,一体どうなるのかとやきもきする.

少し時間が経ってからM氏から電話が入り,「大家が替わりの人を見つけた.今日の夕方6時以降か最悪明日の昼までに何とかする」とやや希望が持てる状況になった.替わりも人も相当忙しいみたいだ.あちこちでボイラーが不調なのかも知れない.

結局,待てども火曜日中には来ることはなかった.これが日本なら,来られないとの連絡くらいは入るだろうと考えると腹立たしい.

お陰で今朝は出勤はあきらめて自宅待機だ.すると9時頃にM氏から「あと30分くらいしたらSというテクニコが行くから」という連絡を受ける.本当に30分後に若い技術者を同行してそのSテクニコがやってくる.結果から言うと,ボイラーの下のつまみを回しただけで,再びボイラーが機能するようになった.大家とどんな話になっていたのかは分からないが,処置は5分も係らないで終わって,「水圧が弱くなったら,つまみを回すと水圧が上がるから(イタリア語なので想像)」というアドバイスをもらい,お金を受け取ることなく「Va buon natale(よいクリスマスを)」といって立ち去っていった.

それにしても,前のテクニコも,自分である程度対応できる簡単な仕組みなら,そう説明してくれればいいのにと思う.人によって対応がものすごく異なる.これがイタリアだ.

ところで,インターネットで「イタリア ボイラー 故障」と検索を掛けて見たのだが,いろいろな人の経験談が多数紹介されていることに気がついた.「イタリアの水道水はカルシウムを多く含んでいるから詰まりやすい」という新情報を得ることが出来たのが何よりだ.面白かったのは,何故かイギリスでのボイラー故障経験談も同時に多数ヒットし,そちらの状況もイタリア並みだということが分かったことである.このような問題に悩まない日本はやはりすごいと思う今日この頃だ.

古代ローマの遺産めぐり:Appia旧街道周辺(2)

古代ローマで道路と双璧をなす有名なインフラは水道である.何十キロも離れたところから緩やかな傾斜の付いた水道橋を介して,ローマに新鮮な水道水を供給していたのである.

このAppia旧街道から少し離れたところに,水道橋が部分的に残っている大きな公園がある.ここに是非行ってみたかったのだが,これまで実現していなかった.旧街道を探索したついでに足を伸ばすことにした.単に遺跡というと子供達がいやがるので,「そこはサッカーや野球で遊べるから行こうよ」とそそのかして連れて行く.

この公園の名前は,Parco degli Acquedottiと言う.Appia旧街道と違って,ここは公共交通,しかも地下鉄でアクセスできるのだ.駐車場スペースもそれなりに確保されている.水道橋は細長い公園を横切った奥の方に見ることが出来る.公園のあたりは2~3スパンしか残っていないが,少し歩くと比較的何十スパンも連続して残っている区間も見ることが出来る.高さは10mはないくらいだろうか.しばらく子供達をサッカーで遊ばせて,私はカメラ撮影にいそしむ.

ローマの水道を見るのはこれが三つ目である.最初はスペインのセゴビア,次は同じくスペインのタラゴナだ.残念ながらこれらと比べて本家の保存状態は良くない.セゴビアは街中にある水道橋,タラゴナは確か谷を越える水道橋だったと思う.一方,この公園の水道橋は,平地の水道橋で,スペインの二つとは異なる趣がある.ピクニック気分でのんびりと眺めるのにちょうどよい.やや残念なのは,すぐ脇を現在のインフラである鉄道が通っていて,列車数が多くて意外にうるさいことか.次は南仏のポンデュガールを見たい.

古代ローマの遺産めぐり:Appia旧街道周辺(1)

先週の土曜日,午前中にタイヤのパンク修理がようやく終了し,翌日日曜日は天気が悪いことが予想されたので,午後に近場でどこかに行こうということになった.

10月末の東京出張の時に「地図で旅する永遠の都ローマ物語」という,古代ローマの4世紀の復元地図をベースとした当時の旅人を主人公とした滞在記の大型本を買ってきて,現在それを読んでいる.その最初の章がAppia街道を通ってローマ市内に入る場面なのだが,そう言えばAppia旧街道をきちんと見ていないことを思い出したので,早速Appia旧街道エリアの探索に出かけることにした.

Caracalla浴場から南東に1kmくらいの所にあるSan Sebastiano門がAppia旧街道のスタート地点である.街道はそこから南東方向に向かうが,スタートからムード満点だ.路面はもちろん古代のものとは異なるが石畳である.門から100mくらいのところに,一本目のマイル柱石,すなわち起点の標識,が壁に埋め込まれている.交通の専門家として,これは写真を撮らなければならない.やや顰蹙を買いながらそのそばに路駐して,反対側の路側から写真を撮る.信号待ちの列がこの位置まで延びてきていたが,写真を撮っている私を見て,親切にかぶらないように車間を開けて停車してくれた.

その後,旧街道を進む.この道は,日曜日は車両通行禁止になって,自転車や歩行者に開放される.土曜日は交通量も少ないので,風景に感心しながらトロトロ走っていると,後ろから車が高速でバンバン追い抜いていく.石畳なので,もちろん乗り心地は相当悪い.替えたばかりの中古タイヤの様子が少し気になる.

古代のAppia旧街道の沿道は,お墓だらけだったそうだ.そのため,このエリアはキリスト教公認前のローマ式お墓と,キリスト教のカタコンペの宝庫である.その影響か,沿道の人口は少ないようだ.石畳の上をけたたましく走る車がいなければ,相当に静かであろう.もちろん,これらのお墓やカタコンペは見学可能であるが,これまでの経験上入場料の高さの割に大きな感動を得られないので,今回はやめることに.なお旧街道は,著名なCecillia Metellaの墓(サイロみたいな形をしたやつ)の先は,進入禁止(一方通行)となっていて折り返さなければならない.

折り返したついでに,ローマの七大バジリカの一つであるSan Sebastiano聖堂に立ち寄ってみた.外観も内装も取り立てて素晴らしいものではない至って普通の聖堂だが,一時,イエス・キリストの使徒パウロとペテロがこの地に埋葬されていたのだそうだ.それで七大バジリカの一つなのかな?

2010年12月19日日曜日

やっと解決したタイヤパンク問題

12/3の朝に子供達を学校に送った帰りに車のタイヤがパンクした.側面が切れているので,タイヤ交換が必要である.まあ,タイヤを交換するだけなので,夏に経験した窓ガラスの修理よりは簡単そうだ.そう思ったのが大きな間違いだった.

スペアタイヤに付け替えて,早速窓ガラス修理で世話になった整備工場に持って行く.その時に対応してくれた作業員Aは,若手作業員Bを読んで彼に私の対応をさせる.Aと違って多少の英単語を交えて話してくれるのが救いだ.「タイヤが特殊だから手持ちのものでは対応できない.納品まで待って欲しい(一部の内容は想像)」ということになった.「翌週火曜日の夕方に来て欲しい」ということだったのでその日に行ってみると,今度はAが対応し,「タイヤが特殊だからまだまだ時間がかかるようだ(一部の内容は想像)」と言われる.Quando(いつなの)?と聞くと,何やらぐちゃぐちゃ言っている.相変わらず,こちらが言葉が分からなくてもお構いなしである.たまらず紙を差し出して日にちを書いてもらうと,16/12/2010?と書くではないか.たかがタイヤに10日もかかるのか.?が気になったが,「16日にまた来ます」といって立ち去る.

仕方ないので16日までは極力車に乗らないように心がけ,16日朝に整備工場に向かう.すると,Bが出てきて,「まだ届いていない,たぶん今日か明日だと思うので,電話して欲しい」と言われる.「電話しても言葉が通じないので明日夕方にまた来ます」といって立ち去る.

翌17日,この日は昼頃から初雪が降った.夕方に行こうと思っていたが雪が積もりそうな雰囲気だったので,午後3時頃に整備工場に向かう.今度はAが出てきて,「まだ届いていない.特殊だからもうちょっと待って」と言うではないか.再び紙を差し出していつなのか書いてもらうと,23/12/2010?と書く.一週間先にも関わらず再び?だ.

さすがにもう切れた.イタリア語で「タイヤを持って行くけどいい?」と言ってから,英語で「話にならない.待てないからもう別の所にお願いする」と伝える.すると,手とトランクが汚れるからこれを使えという感じで大きなビニール袋をくれる.

翌18日朝,土曜日だったがイタリア語が出来る知り合いにお願いして,薦めてもらったタイヤ専門店に一緒に行ってもらう.すると,「取り寄せれば来週水曜日には入る.ただ,緊急なら似たような性能の中古があるけどどうする?」ということになったので,それでお願いすることに.40分くらいの作業で付け替えが完了し,「新品でなくていいの?」と言うので,「この車はもうすぐ返すからこれでいい」と返答.結局工賃だけで30ユーロでタイヤ交換が済んだ.ホント,最初からここにお願いするんだった.

それにしてもルノー特約整備工場の部品発注・管理システムはどうなっているんだと思う.もうちょっと遅くなると,クリスマス休暇で対応が更に先延ばしになるところだったようなので,めでたしめでたしだ.

ローマで教会廻り(7):美術館としての教会

ローマにある教会はたぶんその全てがカトリックである.少し聞きかじったところでは,カトリックは神の存在を偶像化しても構わないそうなのだが,プロテスタントは一切ダメなのだそうだ.教会にある数々の美術作品は,キリシタンではない私から見たら単なる美術品であるが,カトリック教徒から見ればこれらは神の代理の存在なのかも知れない.ローマがプロテスタントだったら,教会の外観や内装は地味となり,教会廻りはたいそうつまらなかったことだろう.まあ,そうだったら観光ガイドにも掲載されないのであるが.

教会本体としては特徴があるわけではないが,少数ながら著名な美術品を収蔵する教会は多い.Gesu教会の次にそのような教会を二つ訪れた.まずはSant'Andrea delle Fratte教会.この教会はスペイン階段にほど近い位置にあり,Gesu教会からVenezia広場,Corso通り,Treviの泉を経由して徒歩で向かう.ここにはベルニーニの天使像がある.このコピーはSant'Angelo城正面手前のテベレ川に架かる橋の上に設置されている.あいにく内部が修復工事中であるので,片方はよく見えない.それにしても彼の作品は素直に素晴らしいと思う.

ここからNavona広場方面に戻ることにした.レストランの予約時間まではまだ二つくらいは立ち寄れそうであったので,次にカラヴァッジョの三部作があるSan Luigi dei Francesi教会に向かうが,何かをやっていて残念ながら中に入れない.仕方ないので,そのそばのSant'Agostino教会に向かう.ここも中では何か儀式をやっていたのだが,入ることが出来た.ここにもカラヴァッジョの作品がある.例によってあの暗い背景に青白く見える人の組み合わせで暗い屈折した感じなのだが,なぜかこれに惹かれるのだ.その他,ラファエロのフレスコ画などもあり,ちょっとした美術館として15分も立ち寄ればいい.ちなみに,ここも内部は修復中であった.本当にローマの歴史遺産保護は大変そうである.

ローマで教会廻り(6):Il Gesu

Santa Maria Sopra Minerva教会の次に訪れたのは,その近くにあるGesu教会である.これはテルミニ駅,共和国広場方面とバチカン方面を結ぶ路線バスが多数走っているローマ中心部の東西方向の軸線道路に隣接していて,周辺はなかなか賑やかである.ガイドブックによれば,ここは夕方の3時間しか入場できないので,敢えて来ないと入れない.

Gesu教会は16世紀に日本にも布教に来たあのイエズス会の教会である.建立も同じ16世紀だ.イエズス会はカトリックの一派だが,宗教改革の嵐が吹き荒れていた時代に,これに抵抗した代表会派の役割を担っていたらしい.

中に入ると,そこは暗くて静寂の世界である.しかし,内装は金色と白い彫像に囲まれて大変豪華に見える.暗すぎて作品がよく見えないので,もう少し明るくしてもいいのではと思う.天井のフレスコ画はキリストを讃えるもの,十字架にかかっているキリストの彫像,といったようにキリスト万歳といった感じの作品が多いようだ.

我々日本人には,やはり日本にやって来たフランシスコ・ザビエル関係の展示物が必見だろう.右側中央付近に,彼の業績を讃える礼拝堂があり,腕の一部が飾られているとの触れ込みなのだが,暗くて何がそれなのかはよく分からないのが難点か.個人的には,ローマに数多くある教会の中でもかなり特殊な教会であると感じた.

2010年12月18日土曜日

ローマで教会廻り(5):Santa Maria Sopra Minerva

もう一週間前になるが,夜Navona広場近くのレストランに行くことになり,その前に夕刻の教会をいくつか見ようということになった.その時最初に行ったのが,Santa Maria Sopra Minerva教会だ.この教会は,Pantheonのすぐそばにある.もともとは前1世紀にポンペイウスが作ったMenerva神殿の上に建てられた教会のようだ.

教会のファサードは特段見所がある感じはしないが,広場にはベルニーニ作である象のオベリスクがあり,これはちょっとした見所だ.Cataniaにこれをまねた象のオベリスクがあるが,それより本家の方が遙かにこぢんまりしている.

中に入る,天井が青色で何か神聖な感じに見える.たまたま合唱の練習が行われていて,その響きがその感覚を引き立たせる.ここは教会そのものよりも,そこに所蔵されている美術作品に見るべきものが多いのだそうだ.受胎告知や聖母子といったいつもの主題はもちろんのこと,イエス・キリストの画やミケランジェロ作の彫像,フレスコ画の礼拝堂が有名である.

絵画の善し悪しを判断するのは私の能力では難しいし,ガイドブックに載っている色鮮やかな色彩の作品は現物は色あせていたりして,ガッカリ感もある.そしてその印象をすぐに忘れてしまう.一方,彫刻は複雑で美しい作品ほど価値が高いことは一発で理解できる.彫刻はミケランジェロよりもベルニーニの方が好みである.後者の作品の方がより躍動感が感じられるからである.

この教会は20分くらいで十分に堪能できる.

2010年12月15日水曜日

ようやくサッカー観戦

ローマに来てからまだやっていないことの一つにサッカー観戦があった.来たばかりの頃はセリエAは終盤にさしかかり,ASローマはインテルと熾烈な首位攻防を繰り広げていた.見に行けばものすごい盛り上がりだったのだろうが,当時はまだそんな精神的余裕はなかったのだ.

秋に始まった今シーズン,ASローマはあんまり調子が良くない.特に滑り出しは最悪で,前年二位のチームが降格圏付近に沈んでいたのだが,最近ようやく勝ちだして6位くらいまで上がってきた.替わりに同じローマをホームとするラツィオの調子がいい.

未だに車のタイヤのパンク問題が決着せず(新品タイヤの納品時期が未定),週末に遠出できない状態が続いている.土曜日は久しぶりに市内観光をしたのだが(これは次回のネタか?),日曜日もせっかくなので何かしようと思っていたが,目覚めた瞬間ににふとサッカー観戦をしようという気になったのだった.起き上がって,急いでコンピュータで日程を調べると,日曜日の午後3時からASローマはホームでASバーリを迎える試合がある.もう十何回しか週末がないし,そのうち多くは旅行に出かけるだろう.やはり最初に見るのはASローマだとすると,半分はアウェーである.そうすると,ローマでASローマの試合を見るチャンスは実質的にあと1~2回しかないかもしれない.

この前売り券はASローマの公式ショップであるRoma Storeで売り出している.思い立ったが吉日,急いでColonna広場に面するRoma Storeに向かい,並ぶことなくチケットをゲットすることができた.この節はもともと選手会のストが予定されていたのと,相手が最下位チームなので,簡単に手に入ったのかも知れない.

ホームスタジアムはローマ北部のStudio Olimpicoで,Popolo広場近くのFlaminia広場から2番トラムで終点まで行き,そこから歩いて10分くらいのところにある.トラムは明らかにASローマのサポーターと分かる格好の人で混んでいる.スタジアム外の臨時入口でチケットとパスポートを見せて入場,スタジアム直前に設置された物々しいゲートでチケットをバーコードリーダーにかざして入場が完了する.

興奮して暴れる人がいるのでアルコールなどは置いていないと思っていたのだが,瓶や缶で提供しないだけで,売店や観客席に回ってくる売り子(もちろん男ばかりです)から買うことが出来る.寒いにも関わらず,多くの人がビールを飲んでいる.トイレも結構きれいで数もたくさんあるのは驚いた.

ゴール裏のサポーター席では爆竹もなるし,試合も見づらいので,サイドライン沿いにあるバックスタンド(選手入場のサイドと逆側)の端の方の座席で観戦.男性が45ユーロ,女性と子供が30ユーロである.スタジアムの雰囲気は横浜の日産スタジアムに近い.試合前の選手紹介のやり方や歓声・ブーイングの出方は,Jリーグのそれらと全く同じだ.

調子を上げてきたホームASローマと最下位に沈むアウェーASバーリ.やはりASローマが圧倒的にゲームを支配している.しかし,最後の決定力に欠けている.トッティーはPKを外し,何度もあった決定機を逃し,セットプレーから相手のDFとGKが交錯するラッキーに助けられた棚ぼたのような1点を守りきって,1-0でゲーム終了.後半ロスタイムには相手の決定機もあり,危なかった.はっきりって前半で4点は取れていたと思う.

チャンピオンズリーグの第一ラウンド最終戦が数日前にあったこともあり,ゲーム展開に余裕があったと判断したのか,トッティーはお役ご免?の途中交代.その後,ASローマはゲームが全く支配できなかったので,チームにおける彼の偉大さがよく分かった.数年の内には引退するだろうから,その後のASローマは暗黒期だろう.

滞在中にもう一度くらいサッカーを見に行こうと思っている.今度はラツィオか,あるいはASローマのチャンピオンズリーグの決勝トーナメント第一回戦か?

2010年12月14日火曜日

政治のローマ

今日は朝から,ローマ市内が騒がしい.いや,イタリア全土が同じような状況のようだ.先月に野党が提出していた内閣不信任案の投票が,今日上下院で採決されるのだ.連立与党を組んでいる政党の一つが連立離脱をして(あるいはちらつかせて?),下院で過半数が確保できない状態だったのだ.

少し前に,イタリアの教育の現場を揺るがす法案が可決された.簡単に言えばあらゆる教育の現場での予算と人員の削減が目的のようだったが,これに対する抗議デモも激しかったようだ(ただし数時間で解散?).その日は自宅でこもって仕事をしていたが,交通も一部麻痺したりして,大正解だった.法案成立を主導したジェルミニ教育相は女性だが,なかなかのやり手のようだ.ベルルスコーニ首相と同じくらいの非難を受けているが,新聞のHPに載っていた可決後の彼女の様子の写真は,至って満足感溢れる顔をしていたことが鮮明に記憶に残っている.

さて,不信任決議の結果は,上院,下院ともに否決に終わった.直前まで信任の投票をするように説得が行われ(賄賂の疑いも操作されているらしいところが何ともイタリアだ),2票が棄権で,3票差で否決というベルルスコーニには薄氷の勝利に終わった.これで当面政権交代はない模様だ.この結果を受けたベルルスコーニのゆるんだ顔の写真が,不信任決議の主役の高い緊張度を物語る.それにしても,与党を離脱したフィーニ下院議長とその政党,野党は本当に情けない.ポストを目の前にぶら下げられて翻意した議員も結構いるらしい.

オフィスでは午前中に,近くの大通りをデモ行進がシュプレヒコールを挙げながら行進しているのがよく聞こえた.それを上空から取材するヘリの音もうっとうしい.既に通り過ぎたので今は静かだが,新聞のHPでは,警官隊とデモ隊のかなり激しい衝突があったとの写真が掲載されている.仕事の都合とは言え,こんな日に出勤してきてしまったことを後悔しながらこのブログを書いている.

それにしても,内閣不信任案に連動したこの盛り上がり.あらゆる団体がこの機に乗じて横断幕を掲げる.我が日本ではまず見られないので,少しうらやましくなる.庶民的なバールでも,日常的に政治の話で盛り上がるのだそうだ.一方の,政治家は市民に何を言われようと気にせずに熱心に多数派工作に走る.ローマ(イタリア)の主要産業は政治だという人がいるが,これはかなり言い得ているかも知れないと感じる.こんなに盛り上がるのに,実はだれも政治を期待していないのはご愛嬌だ.

2010年12月13日月曜日

ローマで教会廻り(4):Trastevere地区その2

ここまででまだ1時間ちょっとだ.もう一時間くらい回ろうということで,次に向かったのはSanta Cecilia in Trastevere教会である.これは,先の二つの教会とはTrastevere大通りを挟んで反対側にある.ここも入口を見つけるまできっと不安になる人が多いと思う.

この教会は壁に囲まれているのだ.入口を入ると,美しい中庭と小振りなファサードが目に入る.私しかいなかったので,大変静かである.ここも,かつてあった屋敷に住んでいてた富裕貴族の妻で,キリスト教の弾圧期に殉教したCeciliaを祀っていて,かつての屋敷跡に立っていた教会を9世紀に建て直し,何度か改修を重ねたものだ.ここも,ロマネスクの長方形の鐘楼と,17世紀以降のファサードの,もはや見慣れた組み合わせである.

この聖Ceciliaは音楽の守護聖人のようである.そのせいか分からないが,教会内部で信者によるパイプオルガン演奏が行われていた(単なる練習かも?).すっきりとした内観で,ここまで見てきたローマの教会の中で,現時点では一番のお気に入りかもしれない.祭壇の下に,有名な聖Ceciliaの像がある.殺されて埋葬されたときのポーズ(1,000年後に原型のまま発見されたらしい)だということらしい.顔が伏せられて横たわっている姿に,不思議な色っぽさを感じる.

かつての屋敷跡に立っているので,ここにも地下遺構がある.これは2.5ユーロだったが,説明の不十分で凡庸であり,見なくて良いと思う.

次に,その近くのSan Francesco a Ripa教会に向かう.ここは,教会としては地味で普通だが,かの有名なベルニーニが80歳近くで作成したらいい傑作があるので,見所の一つとなっているのだった.ガイドブックで見ることが出来る美しい像の写真は,実際にはそんなにきれいに大きく見えない位置にある.遠くからでも何故か色っぽい,死の直前の聖女の様子は何となくうかがえて良かった.

ここまでで約2時間,ちょっとした散歩にぴったりのコースである.

ローマで教会廻り(3):Trastevere地区その1

先週の金曜日,朝から晴れていたのと,火~木の体調不良(デスクワークのしすぎと極度の運動不足が原因の重度の肩こり,クビや背中の筋肉の硬直が引き起こす頭痛と吐き気,割と恒例)が解消されたので,出勤前に教会廻りをすることにした.今回の対象はTrastevere地区にあるいくつかの教会だ.

教育省の停留所で8番のトラムを降り,まずは歩いてSan Pietro in Montorio教会に向かう.その途中でSan Cosimato広場と通過する.ガイドブックに平日午前中に活気のある朝市が出ていると書いてあったので立ち寄ってみたのだが,完全に期待はずれ(冬だからか?).仕方ないので,Gianicoloの丘の上にある教会まで足早に歩く.サインがないので,階段があることも分からずに,くねくねした車道を延々と歩いて上るはめになる.それでも何とか教会に到着.他に観光客が2組くらいいた程度で空いている.

この教会は,中庭にある小さい聖堂が見所だそうだ.分かってみると簡単なのだが,入り口が分かりにくいので要注意だ.モザイクの床がきれいであったが,見所は建設当時としては革新的な建築様式そのものだそうだ.ここにある有名な絵画ははっきり言ってあまり映えて見えない.

次に,Santa Maria in Trastevere教会に向かう.これもTrastevereの細街路の奥深くにあるので,なかなか分かりにくい.これが下町Trastevere地区のいいところでもあるのだが.こんな奥深くにこんな大きな教会があるのかと,結構感動する.12世紀に大幅改修された建築に,18世紀に現在のファサードを付けたようだ.光線の関係で,ファサードを特徴付けているモザイクがあまりよく見えなかった.基本的には夏に見るべきだったかも知れない.床のモザイクも見所なのだが,その上に補助の長いすがたくさん置かれていて,きれいな姿を見ることが出来ずやや残念.このモザイク,ローマ内の多くの教会で見ることができるが,コズマーティ様式と言うのだそうだ.内装のイメージとしては,やや小さい,やや派手さのないSan Giovanni in Laterano教会といった感じだろうか.見学は20分もあれば十分だろう.

2010年12月10日金曜日

ローマで教会廻り(2):San Clemente

San Giovanni in Laterano教会を後にして,そこからオフィスに歩いて行く途中にあるSan Clemente教会に立ち寄ることにした.これも4世紀に最初に建てられ,教会の下には帝政ローマ期の建物とミトラ教の神殿が地下遺構となっているらしい.しかも,その4世紀の教会自身も,11~12世紀にその上に新たな教会が建てられることになり,三層構造になっているという興味深い教会だ.

早速中に入る.するとあちこちに撮影禁止の警告がある.残念ながら写真撮影をあきらめるが,これを守らずに派手に撮影音を立てているグループもいて微妙なところだ.先の三層構造だけでなく,後陣のモザイクも見所の一つである.金色のモザイクで,夏にパレルモで見た宮殿内のアラブ・ノルマン教会の金色モザイクを思い出す.それには遙かに及ばないが,まあ見事であることには変わりない.建築当時の12世紀当時のものらしく,パレルモのそれも同じ頃だった気がするので,このころは金色モザイクがはやっていたのだろう.

そして,いよいよ地下遺構へ入場.5ユーロであるが,暗い空間に似たような小部屋や大部屋が続いていて,それらが何なのかあまり説明書きがない.一番下の空間は,結構な水量の湧水?が湧き出ていて,ものすごくひんやりしている.5ユーロを払う見所の割には,もう少し見せ方を考えた方がいいのではないだろうか.

ローマで教会廻り(1):San Giovanni in Laterano

帰国まで三ヶ月強,まだ余り手を付けていないローマの屋内系観光施設を精力的に見始めないと行けない時期だ.週末は可能なら遠出に使いたいので,平日の出勤前に少しずつ立ち寄ることに決めた.そうは言っても博物館や美術館はメジャーな所は半日はつぶさないと無理なので,短時間で見られる教会を最初のターゲットとした.

他の都市なら一つか二つ見ればいい教会も,ローマではものすごくたくさんある.これまでにつぶしてきた教会は,クーポラのついでに見たバチカンのSan Pietro大聖堂,オフィスの真ん前にあるSan Pietro in Vincoli教会(ミケランジェロのモーゼ像が有名),真実の口があるSanta Maria in Cosmedin教会だけだったことに気がつく.これは大変だ.

今回の教会廻りのスタートをSan Giovanni in Laterano教会とすることにした. これは,ローマ皇帝のコンスタンティヌスがキリスト教を国教とした4世紀に建設され,その後1000年近くローマ法王が居を構えた教会である.一度はそこで見捨てられるものの,再度大規模修復が始まり,現在のファサードは18世紀のものなので,バロックの次のネオクラシック様式というらしい.

正面に立ってファサード全景を写真に収める.結構大きいのでかなり後ろに下がらないとダメだ.中に入ると,さすがにSan Pietroには遠く及ばないが,想像以上に大きな空間だ.内装は,モザイクの固まりといったところか.どこを見渡してもきれいで贅沢というほかない.これも見事な祭壇に向かって左の側廊の外の中庭には,シチリアのモンレアーレでも見たような回廊があり,ここだけは有料(2ユーロ)だ.派手さはモンレアーレよりは劣る.

内部の派手な内装を堪能した後は,外に出て八角形の洗礼堂に向かう.入口が入っていいのか迷うようなたたずまいだ.中に入ると,修復作業用の櫓が組んである(ローマではどこに行ってもどこかしら修復作業をしている感じだ).外観は地味だが,内部はそれから想像できないくらいに美しい.もう一つ,教会外の別の建物内にScala Santaと呼ばれる28段の階段がある.階段の先に法王専用の礼拝堂があるらしく,この階段はひざまずいて昇らなくてはならないらしい.別にしなくてもいいと思っていたのだが,注意書きがあって本当にみんなそうしていたので,時間がなかった私は登頂をあきらめることにした.

ここで教会を立ち去ることにしたが,思っていた以上に熱心に見てしまい,小一時間はかかってしまった.

2010年12月9日木曜日

タイヤのパンク騒ぎとそこで感じた技術者の態度

さて,まだ修理は完了していないのだが,先日予告したタイヤのパンクの話である.先週金曜日は終日自宅で仕事することを決め,朝,子供達を学校へ車で送りに行く.10月以降は,特に雨が降ると,ものすごい道路渋滞でオフィスに辿り着くまでにものすごく時間がかかるので,終日デスクワークの日は自宅の方が何かと効率がいいのだ.

学校からの帰り,自宅へのアクセス細街路と通っていると,目の前でゴミ収集車がいる.これにつかまると,収集作業終了までその後ろで待たなければならない.しかし,一箇所だけこれを回避できる場所があるのだ.そこで何の迷いもなく回避する.しかし久しぶりだったので,回避ルートを間違えてしまった.その途中で両側の路駐で道が著しく細くなっている所に入り込んでしまい,そこでタイヤが角張った縁石の角にぶつかる.やや変な音がしたが,速度がそんなに速くなかったのでまさかパンクまでは想像しなかった.

しかし,その直後に,徒歩ですれ違った人が車を指さして何か訴えている.「やっぱパンクか...」とつぶやく.確認すると本当にパンクだった.自宅まで数百メートルの位置なので,もちろんそこまでそのまま走行する.

幸い,アパートの駐車場は建物下のピロティーなので,雨が降っていてもぬれずにタイヤ交換が出来る.免許を取ってから二度目(前回は十年以上前)の経験だが,後輪をスペアタイヤに付け替えて,外した後輪をパンクした前輪と替える作業は,30分もかからないで終わる.まずは一安心だ.タイヤの側面がぱっくり割れており,これでは新しい物と交換するしかない.

次はタイヤ探しだ.以前に窓ガラスを割られた時に世話になったルノー指定の整備工場に行けば,同じタイヤのストックがあるかもしれないと思い,自宅からは10km弱離れているが,そこに行くことにする.整備工場に到着すると,前回お世話になったスーパーマリオ見たいなひげの工場長?がいたので,つたないイタリア語で「タイヤを交換したいんですけど」と言う.すると,ほんのちょっとは英語で話そうとする若手スタッフをよこして,「タイヤがあるか確認しよう」ということになった.

見てもらったが,残念ながら手元に同じタイヤはなく,「少し特殊なタイヤだから取り寄せる」ということになり,「パンクしたタイヤだけ置いていって欲しい.来週火曜日の午後5時に取りに来て」ということになった.「費用は改めて携帯に連絡するから(いくつか聞き取れた単語からの想像)」とだけ言われ,名前と携帯電話番号だけ教える.

前回の窓ガラス修理の時も確かそうだったのだが,自宅住所を聞かれていないのだ.公的な修理依頼書のようなものもなく,いわば口約束だけである.またまた不安な気持ちになるが,前回と違って車両本体は乗って帰ることになったので,まあいいかということでその日は退散する.

指定された日時までに結局連絡がなく,本当に出来ているのか疑いながら火曜日夕方に整備工場に向かう.到着するや”スーパーマリオ”がやって来て,「何だ誰も電話してなかったのか(ここは想像)...タイヤが特殊だからまだまだ時間がかかるんだ」ということだった.結局,「まだよく分からないけど12月16日くらいかな?」と言われ,すごすごと退散.はあ...しばらく遠出は控えなければならない.

先日のボイラー修理の時も同じだが,こちらの技術屋には「細かいことはいいからオレに任せておけ」的な発想が強いように感じる.これには,面倒だからということと,自分の責任範囲ではプロ意識が強い(出来ないことははっきりと出来ないと言い,出来ることはマニアックに対応する)ということから来ているように思われる.そして,大変親身に振る舞いながら,出来ないことまで出来るかのような曖昧な態度を見せて,最終的に出来なくて顧客に不興を買う可能性がある日本の技術者との対比が頭に思い浮かんだのだった.どちらがいいかは微妙なところだが,先週末の一連の出来事を通じて,イタリア式も実は悪くないなと思っている自分がいる.

2010年12月7日火曜日

母国で言葉が通じない時のイタリア人と日本人の違い

昨日,研究所で同室のF女史とひさしぶりに無駄話をした.ここのところお互いに忙しく,すれ違いも多かったのだ.会話は相変わらず英語である.ある程度イタリア語が聞き取れれば積極的にチャレンジするところなのだが,まだまだ無理だ.その時の話題は言葉が分からない異国でのコミュニケーションだ.彼女自身も二年近く前に東京に5週間滞在したことがあり,その時の印象がまだ鮮烈に残っているようだった.

この話題は,私が(一つ前に書いた)ボイラーが壊れた話の顛末を話題にしたことから,たまたま始まった.来てくれた技術屋は,最初は単語くらいは英語で話そうとしているようだったが,こちらがほんの少しでもイタリア語が分かるようだと感じると,その後のやりとりが全てイタリア語になった.それでも,いくつかの忠告は携帯電話の翻訳ソフトで日本語に変換してくれて(素晴らしい変換精度だったが何のソフトなんだろう?)説明してくれるなど,こちらがイタリア語を理解できないことを一応は配慮してくれていたのだった.「それでもこれまでの経験ではこんなケースはまれで,多くのイタリア人は相手がイタリア語を理解しなくてもお構いなしにイタリア語で話し続けるから結構つらい.それでも経験になるからと思ってイタリア語で話しかけて見ると,ますます確信を持ってイタリア語で攻めてくる」と言う.F女史はまあそんなもんだろうという顔をしている.

「私も東京では言葉が通じないという貴重な経験をした.でも通じないと,すぐにN(彼女の対応をした日本人女性)にHelp me!と電話して,通訳してもらったわ」とFは言うのだ.「イタリアではそうは言っても英語を使える人はそれなりにいるけど,日本ではほとんどの人が使えないでしょ?」と来たので,「まあ,統計はないんだけど,自分の感覚では5%以下だな」と説明する.そして,「でも,ほとんどに日本人は,君に話しかけられるとフリーズして,ソーリーといって申し訳なさそうに立ち去るでしょ」と言うと,我が意を得たりという様子で「そうなのよ!」と来た.そのせいであんまり日本人とコミュニケーションを取れなかったと感じている様子がありありと見て取れた.

もちろん,これらのことだけで決めつけることは出来ないのだが,外国人に対して,我を持っているイタリア人(ローマは特に)と,(特に西洋人に)引け目を感じる日本人という違いを最近痛感してしまうのだ.外国人に話しかけられた時に,たまたま日本語しか出来なかったとしても,何であんなに卑屈になる必要があるのかと,ローマに来てから考えるようになってしまったのだ.そんな局面でコソコソ逃げ回ると,「我がなく押しに弱い日本人」という評価がますます定着しそうでイヤになる.言葉が分からなくても逃げずに堂々と振る舞うことが,日本人の国際的地位を高めることにつながるのだと真に実感する.

ボイラーが壊れる

先週金曜日は一日ついてなかった.朝,子供達を学校に送った帰りに車のタイヤがパンクし(この顛末は後日),夜にシャワーのお湯が出なくなった.

我がアパートは,給湯と暖房は全てボイラーに依存していて,このボイラーが故障したのだった.ボイラーは我々の前の入居者もさんざん苦労していたらしいことは聞いていたが,これまでのところ幸い故障せずに使えていた.やっぱりダメだった.

問題は,発覚したのが週末直前の金曜夜だったことと,まだ修理を依頼できるほどイタリア語が出来ないことだ.どうせ技術者は英語が出来ないに決まっている.仕方ないので,翌朝にこれまでもさんざんお世話になっている日本人会のM氏に泣きつく.大家に至急連絡を取ってもらい,対応を協議してもらうことにした.

ボイラーの故障の度に大家は彼が信頼している技術者に対応してもらっているらしく,その技術者にM氏から連絡を取ってもらう.ひょっとすると土曜日午前中なら可能性があるかも知れない.ところが,その日と翌月曜日に大仕事があるらしく,行けても月曜夜か火曜朝になるとのことだった.それまで暖房無し,シャワー無しを覚悟した.

日曜日の朝,M氏から電話があり,「今日の12時くらいに技術屋が来てくれることになった」とのうれしい知らせが入る.大家が「小さい子供がいてかわいそうだから日曜日だけど何とかしてあげて」とお願いしてくれたらしい.イタリアでは「小さい子供」の存在は大きな武器だ.実は寒さに震えているのは大人の方なのだが...

12時に待ちかねた技術屋が来てくれる.原因はすぐに発覚し,その部品を交換するだけで再びボイラーが動き出した.彼は大変真面目で,単に動き出したことに満足せず,我々を巻き込みながら,念入りにボイラー内のガスの燃焼状態を確かめ始めた.また,「水道のフィルターを交換した方がいい」,「リスカルダ(暖房)の栓を取り替えた方がいい」というアドバイスももらった.建築設備全体の技術屋なのかも知れない.かわいそうに,その途中で彼が足を痛めてしまったほど熱心だった.これまでの経験上,イタリア人はこのあたりのプロ意識(時として独善的だが)を感じること亜出来る.

1時間少しで作業が終了.日曜日に来てくれたので,料金は日曜特別料金の100ユーロとチップ20ユーロを併せた120ユーロだ.請求は大家に行くと事前に聞いていたのだが,結局私が支払う.「領収書をくれない?」と聞くと,「大家に送っておくよ」という.支払ったのは私なので,なんでこちらにくれないのか不思議である.支払いの不透明さも,またイタリアだ.

2010年12月3日金曜日

Toscanaの素晴らしさを実感:SienaとArezzo(3)

翌日の日曜日,あいにく朝から豪雨である.しかも底冷えがする寒さだ.それでも行かなければならない理由があったので仕方なくArezzoに向かう.Sienaからは80kmくらいの距離であるが,ほとんど高速道路なので1時間ちょっとで到着する.

ArezzoはSienaと違って台上の都市ではないが,その替わりに城壁に囲まれている.日曜日で豪雨であったせいか,街のへそにあたるG.Monaco広場近くの駐車場にすんなり車を泊めることができた.ここからは主要な見所までは徒歩圏内だ.幸い,雨が小降りになってきたので散策を開始する.

Arezzoに来た理由は,San Francesco教会の有名なフレスコ画を見に来たからだ.時間帯当たりの見学可能人数が決まっているのだが,事前予約が可能なので,金曜日の内に予約しておいたのだ.予約段階で料金が決済されるので,キャンセルするわけにはいかなかったのだ.予約票を持って事前にチケットに交換しなければならない.予約時刻である13時よりもだいぶ早かったので,「空きがあったら早い時間に振り替えてもらえないか?」と聞いてみると,「今日は13時が一番最初の時間帯です」と言われる.そうだ,日曜日だから午前中はミサだな...

13時まで2時間あるので,街中を練り歩くことにする.まずは市庁舎へ向かう.Toscanaの街の市庁舎はだいたい似たような建物のようで,もはやそんなに感動しない.次にDuomoに向かう.ロマネスクとゴシックが混ざったような様式だ(最近はこのくらいは分かるようになってきた.それで大体の建立時期が推測できる).SienaやFirenzeの派手なゴシックのDuomoを見てきているので,感動度はやや低いが,それなりに荘厳である.たまたま正午の鐘を聞くことになったが,これはそれなりに見事だった.

たぶんDuomoが旧市街で一番高いところにあり,ここから坂を下ってSanta Maria delle Pieve教会に向かう.これはPisa式ロマネスク様式のファサードが有名で,教会のファサードとしてはユニークではないかと感じた.その後にピザをぱくついて,いよいよメインディッシュのフレスコ画である.

そのフレスコ画,Leggenda della Santa Croce(聖十字架伝説というらしい)は,ルネッサンスのフレスコ画の最高傑作と言われているらしい.主祭壇奥の囲まれた空間の正面,左右の三面にそれが描かれている.実は,チケットを買わなくても,このフレスコ画の一部は主祭壇近くから見えるのだが,一番有名なシーンはやはりチケットがないと見ることが出来ないようだ.正直言って,どのような点が素晴らしいのかは分からないが,保存状態はまあまあ良かったことは救いだ.フレスコ画なので基本的に鮮やかでなく,高い所の画はあまりよく見えない.6ユーロも取るのだから,もう少し見せ方を考えてくれてもいいのではと思う.それでもこれまで来てみたフレスコ画の中では映えてみてたことだけは確かだ.ちなみに撮影は禁止である.

これで散策を終了し,ローマに戻ることにした.途中の高速道路で集中豪雨に見舞われて怖かったが,無事ローマに帰還.その日の夜は雨が雪に変わったそうだ.あぶないあぶない.

2010年12月2日木曜日

Toscanaの素晴らしさを実感:SienaとArezzo(2)

Duomoだけでもそれなりに見応えがあるが,SienaではやはりCampo広場を見なければならないだろう.Campo広場は,自称か他称かは不明だが,「世界一美しい広場」と言われている.Duomoからは歩いて数分で辿り着く.

程なく広場に到着.広角レンズを使わないと,広場の全景を写真に収めることができない.この広場,確かに美しい空間だと感じたし,なにより平坦でないところがなかなかユニークである.雪が積もったら,子供達はそりをして遊ぶのだろうか.樹木他一切ないのが,割り切っていて好感が持てる.その分,夏は灼熱だとは思うが...ちなみに夏は広場を使って競馬の祭りをやるそうだ.

時刻も15時を過ぎて太陽も沈もうとしているので,広場はほぼ日陰となっていた(写真が暗いのはそのためです).気温も低かった(欧州は寒波に襲われている)せいもあり,あまり滞留する気にならなかったのは残念だ. お腹も空いていたので,広場に面する切り売りピザ屋で遅い昼食を取ることに.

ピザを食べてから,写真にも写っている市庁舎のMangiaの塔に向かう.もちろん,上には展望台があるようだ.さぞかしいい眺めなのだろうと期待していったのだが,何と15時15分でクローズ.ピザを食べている場合ではなかったのだ.これには子供達とともにガッカリ.翌日はArezzoに向かうことになっていたし,天気も悪い予報だったので,塔への登頂はあきらめることにした.

後は,代表的な教会を見ながら街を散策だ.それにしても,車の乗り入れ規制がかなり厳しく徹底されているのか,単に土曜日だったせいなのか,街中で車をあまり見かけない.Toscana周辺の都市の歴史地区は,他のイタリアの都市と違って自動車公害とは無縁である.坂と階段が多いことを除けば,そぞろ歩きしていても快適である.

夕食では,Siena名物のPiciというパスタとイノシシ肉を堪能.ワインも美味しい.本当にToscanaの旅行は景色から食に至るまで素晴らしい.ちなみに,Piciはコシのないうどんのような食感だ.まずいわけではないが,堅いゆであがりのパスタが好みの方にはお薦めしない.

2010年12月1日水曜日

Toscanaの素晴らしさを実感:SienaとArezzo(1)

イタリア滞在もいよいよ残り4ヶ月を切った.夏休み以降,仕事が忙しかったせいもあり,その間の時間の進み方は本当に早く感じた.気がつくと,まだまだ行っていないところがたくさんある.もはや週末ごとに遠征に出ないと間に合わない.

そう思って,先週末はSienaとArezzoに一泊旅行をすることにした.しかも,ホテルを金曜日の深夜に予約するというドタバタぶり,本当に思い付きだ.こんな時は,インターネットで気軽にホテル予約が出来ることに感激する.旧来的な旅行業者にはつらい時代だ.

土曜日の朝,Sienaに向けて車で出発.距離はRomaからは250kmくらい,ほとんど高速なので,順調にいけば3時間もかからずに到着する.この日は最近では珍しく,終日天気に恵まれた.途中のドライブも快適で,予定通り13時前にSienaに到着だ.

Toscana地方の街は,丘上や台地上の要害に展開するものが多いが,Sienaもそうだ.恐らく,登録者以外,城壁に囲まれた歴史地区への車の乗り入れは規制されている.観光客は,崖下にある大型駐車場に車を泊めて,徒歩で市街地に向かわなければならない.

約半年前に行ったOrvietoやAssisiやPerugiaも崖下駐車場から無料のエスカレーター群で市街地へアクセスすることが出来たが,ここも同じだ.駐車場から200mくらい歩き,5,6基くらいのエスカレーターを乗り継いで,市街地へ向かう.

この駐車場は市街地の西側だったので,まずはDuomoに向かう.Duomoは,聖堂本体と洗礼堂,付属美術館がセットになっていて,入場料は大人10ユーロ,10歳と6歳の子供は無料だった.このDuomo,見事なゴシック様式のファサードである.これまで見たイタリアのDuomoの中でも三本の指に入る外観だと思う.内装も見事で,床の大理石の象嵌は必見だろう.洗礼堂や美術館は一切の撮影禁止なので,自分の目で楽しみたい.美術館では,展望台からSienaの眺望も楽しめる.全部見るのに最低でも1時間半はかかるので要注意.

続きは次回.