昨日,ついにバチカン博物館に行くことになった.バチカンには子供達を連れて行きたかったので,必然的に週末になる.日曜日は最終日曜日の無料デー以外は休館なので,土曜日しかあり得ないのだった.今日は無料の日なのだが,まあ混んでいるだろうから子供連れには厳しいだろう.
12年前の新婚旅行でももちろん来ていたのだが,この時は事前予約制度なんかなかったと思う.そのため入場までに並んだ記憶があるのだが,今回はインターネットで事前予約である.本当に便利な世の中になった.ここでも事前予約料をバッチリ取られる.
13時からの予約で,12時40分には現場に到着.さぞかし並んでいるのかと思いきや,全然入場待ちをしている人がいない.これは空いている.翌日が無料だし,2月だからあまり近隣諸国からの観光客がいないのだろう.はぁ,事前予約料がもったいなかった.ちなみに日本人は多かった.ほとんどが大学生だろうが,バチカンに限らず,ローマ市内ではここ一週間くらいあちこちから日本語が聞こえてくるのだった.
いよいよ入場,一応入場可能な部屋は全て足を運んだが,もう圧倒的な展示品数に「もうやめてくれよ」と言いたくもなる.空いていたので,3時間もかからなかったのがせめてもの救いだ.終わった時にはひどい腰痛である.
やはり混んでいるのはラファエロの間とシスティーナ礼拝堂.ラファエロの間はそんなに感動しなかった(やはりフレスコ画は見栄えの点では不利だ)のだが,システィーナ礼拝堂は素直にすごいと思うしかない.静かに見ようとしても騒がしいし,誰かが写真を撮る度に係員が大声で注意するのも大変耳障りである.写真を撮る不届き者は国籍を問わないのだが,本当に止めてもらいたい.だいたい,美術品の写真を撮っても,その後ほとんど見ないし,第一鑑賞に堪えるほど上手に撮れないのだから.ちなみに,個人的に一番感動したのは地図の間だ.
途中のPizzeriaで遅いランチを取ったのだが,これがイタリアで食べたピザの中で最も最低のものだった.クラッカーのチーズのせといった感じだったが,観光客もバカにされたものである.
博物館の後は,もう一度サンピエトロ大聖堂を見て,Navona広場近くのカラバッジョ三部作のあるSan Luigi dei Francesi教会に入る.この三部作はある礼拝堂の三面に飾られているのだが,その前だけものすごい人だかりだ.暗いので,実はあんまりよく見えないのがちょっと残念だ.もともと暗い絵なので,鳥目の私には真っ暗である.
さて,明日から一週間海外出張なので,次の更新は3月6日以降になります.
私,仕事の都合で1年間弱ローマに滞在することになりました.今までブログをやっている時間はまったくと言っていいほどなかったのですが,この際ローマで経験したことを記録として残しつつ,現地の最新情報を提供できればと考え,初めてブログに手を出してみました.
2011年2月27日日曜日
ボルゲーゼ美術館へ行く
ローマに来てから,ローマ内の美術館と博物館へはまだほとんど足を運んでいなかった.帰国が近づきつつある今日この頃,そろそろせめてメジャーな所には行っておきたいと考えるようになった.
そんなわけで,その第一弾として,この前の水曜日にボルゲーゼ美術館に行くことにしたのだった.子供達は大して面白くないだろうということで,夫婦だけで見学である.ここは2時間ごとに入場者数が制限されているので,事前予約がベターだ.予約料もしっかり取られるのだが,まあ仕方ないので,インターネットで事前予約する.我々は午前11時からのスロットを予約したが,さすがにこの時間帯の予約可能残り人数が最も少なかった.
30分前までにチケットに交換しないといけないので,余裕を見て自宅を出発し,1時間前には美術館に到着し,無事チケットを入手し,11時まで時間をつぶす.一切の荷物をクロークに預けないといけない.もちろん写真は撮ることが出来ない.
11時に入場して,ガイドブックで推奨している作品を探しながら,一応全展示室を巡回する.確か20部屋くらいあったと思う.入場者数に制限があるので,そんなに混雑せずにゆっくり鑑賞することが出来る.はやり目を引くのは,ベルニーニの有名な彫像と,カラバッジョのいくつかの絵画であろうか.ラファエロの色使いもやはり目立っている.美術には明るくないが,やはり天才と言われた人達の作品は,周辺の作品よりは映えて見えることは,フィレンツェでも感じたものだ.
そんなわけで,その第一弾として,この前の水曜日にボルゲーゼ美術館に行くことにしたのだった.子供達は大して面白くないだろうということで,夫婦だけで見学である.ここは2時間ごとに入場者数が制限されているので,事前予約がベターだ.予約料もしっかり取られるのだが,まあ仕方ないので,インターネットで事前予約する.我々は午前11時からのスロットを予約したが,さすがにこの時間帯の予約可能残り人数が最も少なかった.
30分前までにチケットに交換しないといけないので,余裕を見て自宅を出発し,1時間前には美術館に到着し,無事チケットを入手し,11時まで時間をつぶす.一切の荷物をクロークに預けないといけない.もちろん写真は撮ることが出来ない.
11時に入場して,ガイドブックで推奨している作品を探しながら,一応全展示室を巡回する.確か20部屋くらいあったと思う.入場者数に制限があるので,そんなに混雑せずにゆっくり鑑賞することが出来る.はやり目を引くのは,ベルニーニの有名な彫像と,カラバッジョのいくつかの絵画であろうか.ラファエロの色使いもやはり目立っている.美術には明るくないが,やはり天才と言われた人達の作品は,周辺の作品よりは映えて見えることは,フィレンツェでも感じたものだ.
2011年2月23日水曜日
カプリ島を諦めカゼルタへ
翌日曜日,朝一番のフェリーでカプリ島に向かうつもりだったが,天気はあいにくの曇り.行っても洞窟は期待できないので,縁がなかったと早々に諦めることにした.ゆっくりホテルで朝食を取り,替わりにどこに行くかを検討する.
個人的にはカゼルタ宮殿に行きたかった.カゼルタはナポリの北30kmくらいの所にある町だ.9月にレンタカーが高速道路で故障し,代車を手配してもらったあのカゼルタだ.当時は中央駅前に宮殿があることに気がつかなかった.その後,この宮殿に面白い公園があることを知ったのだ.カプリ島を諦めて少しガッカリしている子供達に,「替わりに面白い公園に連れて行ってあげる」と言って納得させてホテルを出発.
このカゼルタ宮殿は世界遺産である.宮殿もかなり大きく,きちんと見ると見応えがありそうだが,今回はパス.宮殿前の公園だけに絞る.この公園,長さが3kmくらいあるらしく,もちろんその先端まで行って見たい所だ.
まずは車で公園の先端に向かうが,どこからも入場できない.どうやら宮殿側から入場しなければならないようだ.仕方ないので,宮殿近くに何とか駐車スペースを確保し,いよいよ公園に入る.
長さ3kmの公園は,宮殿から先端まで少しずつ登っていく感じだ.途中でいくつかの芸術的な噴水があり,先端には人工の滝がある.日光の竜頭の滝みたいな感じ.この滝から反対側の宮殿を眺めると,「随分と歩いてきたものだ」と自分を褒めることができるだろう.このバカみたいな長さの公園は素直に感動した.
帰りは疲れたので,園内を走る周回バスに乗って宮殿まで戻る.園内では子供達があちらこちらでサッカーに興じており,地元民にとっては単なる都市公園と言った趣なのだろうと思う.
アマルフィー海岸:絶景を拝むための苦難
土曜日はソレントに宿を取っていた.日曜日にカプリ島に渡ってワンチャンスで青の洞窟を見ようと思ったからだ.ソレントからカプリ島には頻繁に船が出ているらしいのだ.
ローマを比較的ゆっくり出発してきたので,ベスビオを下山した段階で午後2時半くらいだった.アマルフィー海岸にもまだ行っていなかったので,迷わず向かうことにした.サレルノまで行き,そこからアマルフィー海岸を経由してソレントに向かう.
サレルノ北部で高速A3号線を降り,いよいよアマルフィー海岸へ.ここはリアス式海岸で,切り立った崖と青い海が素晴らしい風景を創り出している.天気にも恵まれ,スタートから絶景である.しかし,海岸沿いを走る道路はくねくねだ.車酔いに弱い人は地獄への道である.サレルノからソレントまで40km以上はあると思うが,順調にいっても1時間半はかかるような状況だ.
車酔いしやすい長男に配慮して低速で慎重に運転する.たまたま渋いオープンカーが前をとろとろ走ってくれていて助かったのだが,それがいなくなると,後ろから速い車とオートバイが容赦なく攻めてくる.ちょっとしたストレートで彼らがぶち抜いてく.見ているこっちが対向車とぶつからないかハラハラする.
そうこうしているうちにアマルフィーに到着.中心部付近で駐車するのは難しく,港の端っこの方に何とか駐車場を発見する.この駐車場の側から防波堤が延びていて,その先まで歩いて行くことが出来る.そこから見るアマルフィーの町はなかなかきれいだし,「こんな所に張り付いてよく住んでいるな」と感心できる.
ポジターノは通過しただけだったが,たぶんアマルフィーの方がこじんまりして映えて見えると思う.
苦難のドライブを乗り越え,すっかり暗くなってからソレントに到着.ディナーはソレントのシーフードを堪能だ.
ローマを比較的ゆっくり出発してきたので,ベスビオを下山した段階で午後2時半くらいだった.アマルフィー海岸にもまだ行っていなかったので,迷わず向かうことにした.サレルノまで行き,そこからアマルフィー海岸を経由してソレントに向かう.
サレルノ北部で高速A3号線を降り,いよいよアマルフィー海岸へ.ここはリアス式海岸で,切り立った崖と青い海が素晴らしい風景を創り出している.天気にも恵まれ,スタートから絶景である.しかし,海岸沿いを走る道路はくねくねだ.車酔いに弱い人は地獄への道である.サレルノからソレントまで40km以上はあると思うが,順調にいっても1時間半はかかるような状況だ.
車酔いしやすい長男に配慮して低速で慎重に運転する.たまたま渋いオープンカーが前をとろとろ走ってくれていて助かったのだが,それがいなくなると,後ろから速い車とオートバイが容赦なく攻めてくる.ちょっとしたストレートで彼らがぶち抜いてく.見ているこっちが対向車とぶつからないかハラハラする.
そうこうしているうちにアマルフィーに到着.中心部付近で駐車するのは難しく,港の端っこの方に何とか駐車場を発見する.この駐車場の側から防波堤が延びていて,その先まで歩いて行くことが出来る.そこから見るアマルフィーの町はなかなかきれいだし,「こんな所に張り付いてよく住んでいるな」と感心できる.
ポジターノは通過しただけだったが,たぶんアマルフィーの方がこじんまりして映えて見えると思う.
苦難のドライブを乗り越え,すっかり暗くなってからソレントに到着.ディナーはソレントのシーフードを堪能だ.
ベスビオ山の噴火口へ
先週末,今年に入って早くも三度目の南部旅行に出かけた.土曜日に訪れたのはベスビオ山だ.私だけは9月に一度ベスビオ山に登っているのだが,今回は家族みんなで登頂である.前二回の旅行では天候に恵まれず,今回まで延び延びになっていたのだった.
ベスビオ山は標高1,000mくらいまで車で登ることが出来る.この道はものすごいくねくねしていてところどころ狭くなっているのだが,観光バスや路線バスも入ってくる.車酔いの激しい人は大変苦痛である.この途中でも,ナポリ方面の素晴らしい景色を楽しむことが出来る.
駐車場に車を泊めて,いよいよ登頂開始だ.大昔のベスビオ山はもっと標高が高かったらしいのだが,度重なる爆発で山頂部がなくなってしまったようだ.そのため,現在は二つの山頂がある.駐車場から登るのは山頂が高い方で,その途中の標高1,200mくらいに最も直近の1,942年の噴火で出来たクレーター状の噴火口があり,その外周部を歩くことが出来るのだ.割ときつい坂道を15分くらいかけて登ると外周部に辿り着き,そこから10分くらいかけて外周部遊歩道の先端まに辿り着ける.
外周部遊歩道の入口の小屋で入場料(大人一人8ユーロだったかな?)を支払う.すると近くにいたガイドが,「あと2分で英語の解説が始まりますので良かったらどうぞ.これは入場料に含まれています」ということだったので,その人の説明を聞くことに.5分くらいの説明を受けた後に,「後はこの先で運が良ければ別のガイドから説明が受けられるかも知れません」と言うことで,入口付近担当のガイドということらしい.
正直言って車がないとなかなか来ることが難しいと思うが,軽装でも全く問題なく,2時間くらいのちょっときつい散歩という感覚で楽しめるのでお薦めだ.ただし,火山のすごさを実感したければシチリアのエトナ山を薦める.
ベスビオ山は標高1,000mくらいまで車で登ることが出来る.この道はものすごいくねくねしていてところどころ狭くなっているのだが,観光バスや路線バスも入ってくる.車酔いの激しい人は大変苦痛である.この途中でも,ナポリ方面の素晴らしい景色を楽しむことが出来る.
駐車場に車を泊めて,いよいよ登頂開始だ.大昔のベスビオ山はもっと標高が高かったらしいのだが,度重なる爆発で山頂部がなくなってしまったようだ.そのため,現在は二つの山頂がある.駐車場から登るのは山頂が高い方で,その途中の標高1,200mくらいに最も直近の1,942年の噴火で出来たクレーター状の噴火口があり,その外周部を歩くことが出来るのだ.割ときつい坂道を15分くらいかけて登ると外周部に辿り着き,そこから10分くらいかけて外周部遊歩道の先端まに辿り着ける.
外周部遊歩道の入口の小屋で入場料(大人一人8ユーロだったかな?)を支払う.すると近くにいたガイドが,「あと2分で英語の解説が始まりますので良かったらどうぞ.これは入場料に含まれています」ということだったので,その人の説明を聞くことに.5分くらいの説明を受けた後に,「後はこの先で運が良ければ別のガイドから説明が受けられるかも知れません」と言うことで,入口付近担当のガイドということらしい.
その後は外周部遊歩道の先端に向かう.噴火口の西側を北から南に進む感じだったと思う.そのため,北側はナポリ湾の,南側はソレント半島の素晴らしい眺めが楽しめるのだ.この日は快晴だったがやや霞んでいて,完全にクリアな風景ではなかったのだが,十分に満足できるレベルにはあった.先端である南端では残念ながらガイドを発見できず,ポンペイの位置がよく分からなかったのがちょっと残念だ.
正直言って車がないとなかなか来ることが難しいと思うが,軽装でも全く問題なく,2時間くらいのちょっときつい散歩という感覚で楽しめるのでお薦めだ.ただし,火山のすごさを実感したければシチリアのエトナ山を薦める.
2011年2月22日火曜日
ローマの本屋事情
一応学者の端くれであるから,どんな国に行ってもなるべく本屋には立ち寄ることにしている.本屋に行けばその国の市民がどの程度の知的水準かだいたい想像できる.
日本では通勤で東京駅を経由していたので,本屋と言えばもっぱらオアゾの丸善か八重洲ブックセンターだった.私の大型書店の基準はこの両者である.これらに比べると,住んでいた横浜の書店レベルは何とかならないのかと常々思っていたものだ.
さて,ここローマでは,「ここに行けば大抵のものが揃っている」と思えるほどの大型書店はないようだ.私が愛用しているのは,Termini駅構内の書店(名前は忘れた),Nazionale通りのローマ三越近くにあるMel Bookstore,Argentina広場にあるLa Fertrinelliの三店だ.これらはローマの中では大きいと思うのだが,店舗面積はたぶん八重洲ブックセンターの2フロアー分くらいしかない.
書店では,主にガイドブック,歴史書物を中心に,ローマやイタリアの地勢や歴史を勉強するのにいい書籍がないか探しているが,なかなか魅力的なものがなくて苦労している.買う気はないが,たまに専門書コーナーも覗いてみるが,充実度合いはかなり悲惨なものがある.英語書籍はかなり限られているのは日本と同じだ.書籍はほとんどソフトカバーで,そのせいか値段は安い.イタリア人はほとんど本を読まないと聞いたことがあるが,確かに列車やバスの中で本を読んでいる人もそんなに見ないので,全然売れないのだろう.安くて売れないとは作家も大変だろう.日本みたいに多様な作家の新刊書が雨後の竹の子のように新刊コーナーに並ぶという環境ではないようだし,出版業界は全然儲かりそうにない.
書店では必ず地図コーナーを覗くことにしている.この地図のレベルがなかなか悲惨である.「これはいい」と思える地図になかなか辿り着かない.道路地図は縮尺が大きすぎて,都市部の詳細図も貧弱で,全然使えない.まあ,詳細地図がなくても中心部にたどり着けるので,ニーズがないのかも知れないが.土木屋として地形図なんかも欲しいところなのだが,これは軍事関係機関に発行を依頼しないと入手できないようだ.ちなみに,地図やガイド類はさすがにTerminiの書店が一番充実している.列車待ちの時間で気が向いたら是非立ち寄ってみて下さい.
日本では通勤で東京駅を経由していたので,本屋と言えばもっぱらオアゾの丸善か八重洲ブックセンターだった.私の大型書店の基準はこの両者である.これらに比べると,住んでいた横浜の書店レベルは何とかならないのかと常々思っていたものだ.
さて,ここローマでは,「ここに行けば大抵のものが揃っている」と思えるほどの大型書店はないようだ.私が愛用しているのは,Termini駅構内の書店(名前は忘れた),Nazionale通りのローマ三越近くにあるMel Bookstore,Argentina広場にあるLa Fertrinelliの三店だ.これらはローマの中では大きいと思うのだが,店舗面積はたぶん八重洲ブックセンターの2フロアー分くらいしかない.
書店では,主にガイドブック,歴史書物を中心に,ローマやイタリアの地勢や歴史を勉強するのにいい書籍がないか探しているが,なかなか魅力的なものがなくて苦労している.買う気はないが,たまに専門書コーナーも覗いてみるが,充実度合いはかなり悲惨なものがある.英語書籍はかなり限られているのは日本と同じだ.書籍はほとんどソフトカバーで,そのせいか値段は安い.イタリア人はほとんど本を読まないと聞いたことがあるが,確かに列車やバスの中で本を読んでいる人もそんなに見ないので,全然売れないのだろう.安くて売れないとは作家も大変だろう.日本みたいに多様な作家の新刊書が雨後の竹の子のように新刊コーナーに並ぶという環境ではないようだし,出版業界は全然儲かりそうにない.
書店では必ず地図コーナーを覗くことにしている.この地図のレベルがなかなか悲惨である.「これはいい」と思える地図になかなか辿り着かない.道路地図は縮尺が大きすぎて,都市部の詳細図も貧弱で,全然使えない.まあ,詳細地図がなくても中心部にたどり着けるので,ニーズがないのかも知れないが.土木屋として地形図なんかも欲しいところなのだが,これは軍事関係機関に発行を依頼しないと入手できないようだ.ちなみに,地図やガイド類はさすがにTerminiの書店が一番充実している.列車待ちの時間で気が向いたら是非立ち寄ってみて下さい.
2011年2月21日月曜日
何やら行きつけBarのクリエンテになる
最近は出勤した時のランチのBarがほぼ決まってしまった.相変わらずイタリア式サンドイッチと言うべきPaninoをテイクアウトして簡単な昼食としている.量が多いので,これだけで十分である.特に豚の丸焼きのPorchettaのPaninoをよく食べている.
このBarでは出勤途中にFrezzanteのミネラルウォーターを1本購入することにしている.先週のある朝,すっかり顔なじみになった女性の店員に,「あなたはクリエンテだから水を50セントにしてあげる」と言われた.これまでは1ユーロで買っていたのだが,その日以来50セントで水を購入できるようになった.
Paninoも滞在当初は4ユーロだったが,途中で3ユーロに値下がりし,最近は2.5ユーロで水も付けてくれることがあるようになった.こうなると,他のBarへ入っていくところを見られるとまずそうなので,最近はすっかりこのBarに入り浸りとなっている.
このBarでは出勤途中にFrezzanteのミネラルウォーターを1本購入することにしている.先週のある朝,すっかり顔なじみになった女性の店員に,「あなたはクリエンテだから水を50セントにしてあげる」と言われた.これまでは1ユーロで買っていたのだが,その日以来50セントで水を購入できるようになった.
Paninoも滞在当初は4ユーロだったが,途中で3ユーロに値下がりし,最近は2.5ユーロで水も付けてくれることがあるようになった.こうなると,他のBarへ入っていくところを見られるとまずそうなので,最近はすっかりこのBarに入り浸りとなっている.
歩かない大人の作り方?
こちらに来てから様々なことを観察しているが,つい考えさせられてしまうことの一つに,幼稚園の年長相当か,ひょっとすると小学校低学年くらいの子供達の多くが,相変わらずベビーカーに乗っていることがある.ベビーカーの大きさに比べて,その子達の大きさが大きすぎるので,明らかに乗り心地が悪そうである.
小学校では子供の送迎が原則義務化されているようだ.子供の多くが車やオートバイで送迎されてくる.バスに乗っていると,大して重くないリュックサックを付き添いの親や祖母が持ってあげているのをよく見かける.
イタリアでは子供は親族から宝のように扱われている.子供を持つと法律でその育成管理に重荷が課せられている.そのせいで晩婚化が進み,少子化に苦しんでいるというのが現状のようだ.
私は交通の専門家なので,小さい頃から歩かせないことの問題が大変気になっている.このままでは,どこに行くにも車になってしまうし,出来るだけ目的地に近いところに駐車することに全力を挙げるようになるのだ.今のローマでの自動車問題を見ていると,子供の頃から歩かせないとさらにひどいことになると思わざるを得ない.
小学校では子供の送迎が原則義務化されているようだ.子供の多くが車やオートバイで送迎されてくる.バスに乗っていると,大して重くないリュックサックを付き添いの親や祖母が持ってあげているのをよく見かける.
イタリアでは子供は親族から宝のように扱われている.子供を持つと法律でその育成管理に重荷が課せられている.そのせいで晩婚化が進み,少子化に苦しんでいるというのが現状のようだ.
私は交通の専門家なので,小さい頃から歩かせないことの問題が大変気になっている.このままでは,どこに行くにも車になってしまうし,出来るだけ目的地に近いところに駐車することに全力を挙げるようになるのだ.今のローマでの自動車問題を見ていると,子供の頃から歩かせないとさらにひどいことになると思わざるを得ない.
2011年2月15日火曜日
"Parla italiano!"の快感
滞在を始めて10ヶ月が過ぎたが,依然としてイタリア語はそんなに話せない.レベルとしては最初の手応えをつかんだ昨年9月頃から一向に進化せず,最近は自宅に閉じこもってデスクワークをすることが多くなったので,むしろ劣化してきているかも知れない.
それでも,例えば仕事でイタリア人とあった時には,最終的には英語になっても,最初の挨拶や自己紹介くらいはイタリア語で話すように心がけている.ここのところ,イタリア政府の高級官僚にヒアリング調査をしているのだが,ヒアリング対象者は何とか英語が出来たとしても,秘書等に取り次いでもらわなければならず,彼女達はまず英語は話せないのだ.
秘書に,"○○さんと○時からアポイントを取っている○○大学の○○ですが”とイタリア語で話しかけると,"Parla italiano!(イタリア語が話せるんですね)"と満面の笑みで答えてくれ,その後の扱いが非常にやさしくなるのだ."Mi scuci, non so parlarlo e ascoltarlo bene(すみません.そんなに話せないし,聞き取れません)"と答えても,一方的にイタリア語のマシンガンが飛んでくる.
ホテルのチェックイン時にイタリア語で話し始めると,やはり"Parla italiano!"とくる.スタッフ達に私がイタリア語を少しは理解しているようだということが伝わっていて,その後の対応が基本的にイタリア語になることが多く,なかなか疲れる.
それでも,この"Parla italiano!"というイタリア人の喜びの声を聞く度に,何だか相手が少しは認めてくれたような気になって,非常にうれしくもなってくるのだ.こんな気分も,残念ながらもうすぐ終わりだ.
それでも,例えば仕事でイタリア人とあった時には,最終的には英語になっても,最初の挨拶や自己紹介くらいはイタリア語で話すように心がけている.ここのところ,イタリア政府の高級官僚にヒアリング調査をしているのだが,ヒアリング対象者は何とか英語が出来たとしても,秘書等に取り次いでもらわなければならず,彼女達はまず英語は話せないのだ.
秘書に,"○○さんと○時からアポイントを取っている○○大学の○○ですが”とイタリア語で話しかけると,"Parla italiano!(イタリア語が話せるんですね)"と満面の笑みで答えてくれ,その後の扱いが非常にやさしくなるのだ."Mi scuci, non so parlarlo e ascoltarlo bene(すみません.そんなに話せないし,聞き取れません)"と答えても,一方的にイタリア語のマシンガンが飛んでくる.
ホテルのチェックイン時にイタリア語で話し始めると,やはり"Parla italiano!"とくる.スタッフ達に私がイタリア語を少しは理解しているようだということが伝わっていて,その後の対応が基本的にイタリア語になることが多く,なかなか疲れる.
それでも,この"Parla italiano!"というイタリア人の喜びの声を聞く度に,何だか相手が少しは認めてくれたような気になって,非常にうれしくもなってくるのだ.こんな気分も,残念ながらもうすぐ終わりだ.
2011年2月14日月曜日
病気への対処法の日伊比較
先々週と先週は,家族内でインフルエンザとおぼしき発熱の連鎖に見舞われた.特に長男は40度近い発熱と嘔吐が続き,慣れない異国の地で大きな不安を覚えた.
日本では,インフルエンザの疑いがあるとすぐにタミフルやリレンザの投与が医師から指示されるようだ.ある薬を飲むとそれが胃腸に負担をかけるので,それを緩和する薬も同時に投与されるといったことも多いように思う.いわば薬漬けで病気を治していくスタイル.
ここイタリアでは,サンプルが少ないのだが,医師も人々も自然治癒を旨としているように思える.薬を出来るだけ使わないようにして,人が持っている免疫力や抵抗力を高めていくやり方だ.この場合,高熱と嘔吐が続いているからと言って泣きついても,「まあ様子を見て下さい」というのが基本の診療になる.嘔吐には吐き気止めを処方せず,「スプーンで徐々に水をあげて下さい」という根気を要求する指示が来る.
一見不安であるが,冷静に考えれば,確かにそれでも最終的には直るのだ.イタリア式では治癒までの日数はかかるかも知れないが,長期的には病気でダウンするトータルの日数が少ないのかも知れない.想像だが,子供が病気の時に親が簡単に仕事を休める環境もその一因だろうし,基本的に近くに住んでいる祖父や祖母の存在も大きいだろう.
日本では子供が病気の時に,親の仕事への影響を最小限にするために出来るだけ日数を短くすることが社会的に要求されているようだ.同時に,核家族化が進み,相談相手のいない不安から極度に医者に頼り,そのせいで医師が疲弊して医師不足になるといった悪循環が生じているのかもしれない.
上で書いたことが正しいのか完全な自信はないが,病気への対処法は,その基本理念だけでなく様々な社会的要因が影響している可能性があるのだと,思わず考えてしまった二週間だった.
日本では,インフルエンザの疑いがあるとすぐにタミフルやリレンザの投与が医師から指示されるようだ.ある薬を飲むとそれが胃腸に負担をかけるので,それを緩和する薬も同時に投与されるといったことも多いように思う.いわば薬漬けで病気を治していくスタイル.
ここイタリアでは,サンプルが少ないのだが,医師も人々も自然治癒を旨としているように思える.薬を出来るだけ使わないようにして,人が持っている免疫力や抵抗力を高めていくやり方だ.この場合,高熱と嘔吐が続いているからと言って泣きついても,「まあ様子を見て下さい」というのが基本の診療になる.嘔吐には吐き気止めを処方せず,「スプーンで徐々に水をあげて下さい」という根気を要求する指示が来る.
一見不安であるが,冷静に考えれば,確かにそれでも最終的には直るのだ.イタリア式では治癒までの日数はかかるかも知れないが,長期的には病気でダウンするトータルの日数が少ないのかも知れない.想像だが,子供が病気の時に親が簡単に仕事を休める環境もその一因だろうし,基本的に近くに住んでいる祖父や祖母の存在も大きいだろう.
日本では子供が病気の時に,親の仕事への影響を最小限にするために出来るだけ日数を短くすることが社会的に要求されているようだ.同時に,核家族化が進み,相談相手のいない不安から極度に医者に頼り,そのせいで医師が疲弊して医師不足になるといった悪循環が生じているのかもしれない.
上で書いたことが正しいのか完全な自信はないが,病気への対処法は,その基本理念だけでなく様々な社会的要因が影響している可能性があるのだと,思わず考えてしまった二週間だった.
2011年2月13日日曜日
日本人学校の持久走大会
2/5の土曜日は,日本人学校の冬の恒例イベントの持久走大会の日だ.この日に備えて,子供達は体育や休み時間や放課後に,たくさん練習したのだそうだ.
私が小学校の時は,持久走大会があったかどうかは忘れてしまったが,長男が昨年度まで通っていた横浜の小学校では,そのようなものはなかったはずだ.生徒数が多いので,管理が難しいのだろう.全校で40名程度しかいない学校だからこそのイベントなのだ.
問題はコース取り.車が縦横無尽に走っている外で走らせるわけにはいかないので,必然的に学校の敷地内ということになる.クロスカントリーと普通の舗装道路が組み合わさった一周350mのコースを取るのが一杯一杯だ.小学部低学年は二周,中学年は三周,高学年は四周,中学部は六周だ.
持久走大会は親が見学可能となっている.この日にあわせてついでに授業参観と保護者総会が組まれているので,ほとんどの親が見学に来ている.自分が子供の立場だったら,持久走なんて親に見られたくないと思うのだが,今の子供達はどうなんだろうか?
天気に恵まれて気温は高めだ.外で見学する親達にはありがたいが,走る生徒さん達はややつらかっただろう.自分の子供が走っていない時間帯は,親達は立ち話に夢中である.子供達はそれを冷ややかに思っていたんだろうな.
さて,我が子達はそれぞれよくがんばった.今の私より早いのではないだろうか? 次男は五日前に高熱を出し,参加が危ぶまれていたのだが,奇跡的に復活して無事に参加することが出来た.長男は大会後にインフルエンザで高熱が続いたので,発症のタイミングが早かったら参加できなかったかも知れない.残念ながら流行中のインフルエンザのせいで何人か参加できなかったのがかわいそうだ.
私が小学校の時は,持久走大会があったかどうかは忘れてしまったが,長男が昨年度まで通っていた横浜の小学校では,そのようなものはなかったはずだ.生徒数が多いので,管理が難しいのだろう.全校で40名程度しかいない学校だからこそのイベントなのだ.
問題はコース取り.車が縦横無尽に走っている外で走らせるわけにはいかないので,必然的に学校の敷地内ということになる.クロスカントリーと普通の舗装道路が組み合わさった一周350mのコースを取るのが一杯一杯だ.小学部低学年は二周,中学年は三周,高学年は四周,中学部は六周だ.
持久走大会は親が見学可能となっている.この日にあわせてついでに授業参観と保護者総会が組まれているので,ほとんどの親が見学に来ている.自分が子供の立場だったら,持久走なんて親に見られたくないと思うのだが,今の子供達はどうなんだろうか?
天気に恵まれて気温は高めだ.外で見学する親達にはありがたいが,走る生徒さん達はややつらかっただろう.自分の子供が走っていない時間帯は,親達は立ち話に夢中である.子供達はそれを冷ややかに思っていたんだろうな.
さて,我が子達はそれぞれよくがんばった.今の私より早いのではないだろうか? 次男は五日前に高熱を出し,参加が危ぶまれていたのだが,奇跡的に復活して無事に参加することが出来た.長男は大会後にインフルエンザで高熱が続いたので,発症のタイミングが早かったら参加できなかったかも知れない.残念ながら流行中のインフルエンザのせいで何人か参加できなかったのがかわいそうだ.
ついに散髪へ
こちらでやろうと思っていて,なかなかふんぎりがつかずにやっていなかったことの一つに散髪があった.ここまでは二回の帰国時に日本で散髪を行って,髪の毛が増えてきたら,日本から持ち込んだバリカンで髪をすいてもらっていた.
しかし,最終帰国から既に三ヶ月以上経ち,髪の毛の量が我慢ならないレベルまで達していた.ついに禁断のイタリアの床屋に行こうかと一瞬考えたのだが,誰に聞いてもいい印象がないので,日本人が開店している美容室にお世話になることにしたのだった.
電話で2/4金曜日の夕方に予約を取る.その日はまた肩こりから来る頭痛に悩まされ,朝から休養していたのだが,髪を切りたいという欲求が頭痛に勝ち,何とか美容室に向かう.
トレビの泉の側にある美容室に入店.日本人二名とイタリア人一名が働いている.その時パーマをかけていたお客さんはイタリア人のようだ.髪を切ってくれる女性の店長は十二年イタリアにいるらしく,客と流ちょうなイタリア語で話をしている.
美容室なので最初に髪を洗う.その後にいよいよ待ちに待った散髪だ.髪を切ってもらいながら話をする.「イタリアの床屋を是非試してみたかったんですけど,結局ふんぎりがつきませんでした」と言うと,店長は「行かない方がいいと思います」と答えた.やはり多くの人が不満を持っているように,決して思い通りの髪型にならないのだそうだ.
ばっさり髪を切ってもらって無事思い通りの髪型に.これでもう散髪の心配をしなくて良い.最後に肩を入念にマッサージしてくれて,しめて20ユーロである.金曜日はたまたま男性の割引の日で通常は25ユーロだそうだ.それでも安い.
しかし,最終帰国から既に三ヶ月以上経ち,髪の毛の量が我慢ならないレベルまで達していた.ついに禁断のイタリアの床屋に行こうかと一瞬考えたのだが,誰に聞いてもいい印象がないので,日本人が開店している美容室にお世話になることにしたのだった.
電話で2/4金曜日の夕方に予約を取る.その日はまた肩こりから来る頭痛に悩まされ,朝から休養していたのだが,髪を切りたいという欲求が頭痛に勝ち,何とか美容室に向かう.
トレビの泉の側にある美容室に入店.日本人二名とイタリア人一名が働いている.その時パーマをかけていたお客さんはイタリア人のようだ.髪を切ってくれる女性の店長は十二年イタリアにいるらしく,客と流ちょうなイタリア語で話をしている.
美容室なので最初に髪を洗う.その後にいよいよ待ちに待った散髪だ.髪を切ってもらいながら話をする.「イタリアの床屋を是非試してみたかったんですけど,結局ふんぎりがつきませんでした」と言うと,店長は「行かない方がいいと思います」と答えた.やはり多くの人が不満を持っているように,決して思い通りの髪型にならないのだそうだ.
ばっさり髪を切ってもらって無事思い通りの髪型に.これでもう散髪の心配をしなくて良い.最後に肩を入念にマッサージしてくれて,しめて20ユーロである.金曜日はたまたま男性の割引の日で通常は25ユーロだそうだ.それでも安い.
2011年2月12日土曜日
ついにナポリへ(3)
翌日曜日,朝からあいにくの雨である.この日の目玉は地下探検だった.昨年9月の出張時に私は経験している(ブログにも既に書いている)のだが,子供達を連れて行くとさぞかし喜ぶだろうと思っていたのだった.
スパッカナポリの中央部にNapoli Sotterraneaの受付がある.日曜日は10時からなのだが,10時になっても受付が開かない.まあイタリアだからと思っていると,数分後にスタッフがゲートを開けにやって来て思わずホッとする.雨が降っているから少し早く開けてあげようなどとは決して考えないのだった.
ゲートが開いてもどこで受付をすれば良いのかが分からない.最初にイタリア人グループがスタートしていった.「英語ツアーはもうちょっと待って下さい」と言われたので,その通りにしていると,ようやく英語ツアーが始まる.最初にお金を払い(四人で30~40ユーロの間だったかな?),地下空間ではなく劇場跡空間の見学からスタート.ちなみに,ガイドはしっかりとした英語を話すので安心だ.
劇場空間の後に,ようやく地下空間へと降りておく.ガイドの説明によると,地下の岩盤を削りだして地上にナポリの原型となるネアポリスがギリシャ人によって建設され,その後,空いた空間が19世紀くらいまで貯水槽として使われ,その後はゴミ投棄場になったり,第二次世界大戦時には防空壕として利用されたという経緯のようだ.
人一人通るのがやっとの細い地下道をローソクの火だけで歩かせてくれるのだが,なかなかいいアトラクションだ.子供達はスイスイとこの空間を抜けて行ってしまうので,全然追いつかない(笑).100mくらい歩かされて,最後に貯水空間に辿り着くが,地底湖のような趣があって素晴らしい.これでツアーは終了だ.
本当は美術館も見たかったところだが,子供達もいたのでこれは断念して,ナポリを後にしてローマに向かう.
スパッカナポリの中央部にNapoli Sotterraneaの受付がある.日曜日は10時からなのだが,10時になっても受付が開かない.まあイタリアだからと思っていると,数分後にスタッフがゲートを開けにやって来て思わずホッとする.雨が降っているから少し早く開けてあげようなどとは決して考えないのだった.
ゲートが開いてもどこで受付をすれば良いのかが分からない.最初にイタリア人グループがスタートしていった.「英語ツアーはもうちょっと待って下さい」と言われたので,その通りにしていると,ようやく英語ツアーが始まる.最初にお金を払い(四人で30~40ユーロの間だったかな?),地下空間ではなく劇場跡空間の見学からスタート.ちなみに,ガイドはしっかりとした英語を話すので安心だ.
劇場空間の後に,ようやく地下空間へと降りておく.ガイドの説明によると,地下の岩盤を削りだして地上にナポリの原型となるネアポリスがギリシャ人によって建設され,その後,空いた空間が19世紀くらいまで貯水槽として使われ,その後はゴミ投棄場になったり,第二次世界大戦時には防空壕として利用されたという経緯のようだ.
人一人通るのがやっとの細い地下道をローソクの火だけで歩かせてくれるのだが,なかなかいいアトラクションだ.子供達はスイスイとこの空間を抜けて行ってしまうので,全然追いつかない(笑).100mくらい歩かされて,最後に貯水空間に辿り着くが,地底湖のような趣があって素晴らしい.これでツアーは終了だ.
本当は美術館も見たかったところだが,子供達もいたのでこれは断念して,ナポリを後にしてローマに向かう.
ついにナポリへ(2)
スパッカナポリを西に向かって歩き,Dante広場を抜けて,ケーブルカーの駅に向かう.ケーブルカーに乗って丘の上にあるSant'Elmo城を目指す.入場料は大人一人5ユーロくらいだったか.子供はタダだった.
エレベータで城の上部に登り,広大な広場空間を取り囲んでいる城壁の上に登ると,ベスビオ山,サンタルチア,旧市街,中央駅周辺の高層ビル群といったナポリとその周辺の様子が手に取るように分かって良い.残念ながら曇っていたので,ベスビオ山はやや霞んでいた.また海方向にはカプリ島らしき影が見えたのだが,これも霞んでいてよく分からなかった.晴れていたら,さぞかしいい眺めなのだろう.ここはお薦めである.
ここから別のケーブルカーに乗って丘を下り,ナポリの目抜き通りの一つであるToledo通りを経由して,Umberto1世のガレリアを見学.これはミラノのガレリアを全くまねて作ったかのようだった.ミラノとの違いは,ここがシャッター街のようだったことだろうか.もっとも土曜日午後だったから店を閉めていたのかも知れないが.
Plebiscito広場を抜けてサンタルチア方面に向かう.湾沿いの道はなかなか雰囲気が良いのであるが,天気が今ひとつであったのが残念.その後タクシーを拾って,最大の見所である国立考古学博物館に向かう.
国立考古学博物館は,ギリシャ・ローマの美術に関する世界屈指の博物館をうたっているだけあって,ものすごい所蔵品数である.地下はエジプト関係,地上階は石像の数々,中二階と二階はポンペイなどからの出土品が展示されている.ここはきちんと見ようとするとものすごい気力が必要だ.面白かったのは,中二階の奥にあった当時の性風俗関係の展示の数々だ.どんな文明にもこのような美術品?があるのだと妙に納得する.
土曜日の観光はここで終了だ.夜はホテルで教えてもらったレストランでナポリ料理を十分に堪能したのだった.
エレベータで城の上部に登り,広大な広場空間を取り囲んでいる城壁の上に登ると,ベスビオ山,サンタルチア,旧市街,中央駅周辺の高層ビル群といったナポリとその周辺の様子が手に取るように分かって良い.残念ながら曇っていたので,ベスビオ山はやや霞んでいた.また海方向にはカプリ島らしき影が見えたのだが,これも霞んでいてよく分からなかった.晴れていたら,さぞかしいい眺めなのだろう.ここはお薦めである.
ここから別のケーブルカーに乗って丘を下り,ナポリの目抜き通りの一つであるToledo通りを経由して,Umberto1世のガレリアを見学.これはミラノのガレリアを全くまねて作ったかのようだった.ミラノとの違いは,ここがシャッター街のようだったことだろうか.もっとも土曜日午後だったから店を閉めていたのかも知れないが.
Plebiscito広場を抜けてサンタルチア方面に向かう.湾沿いの道はなかなか雰囲気が良いのであるが,天気が今ひとつであったのが残念.その後タクシーを拾って,最大の見所である国立考古学博物館に向かう.
国立考古学博物館は,ギリシャ・ローマの美術に関する世界屈指の博物館をうたっているだけあって,ものすごい所蔵品数である.地下はエジプト関係,地上階は石像の数々,中二階と二階はポンペイなどからの出土品が展示されている.ここはきちんと見ようとするとものすごい気力が必要だ.面白かったのは,中二階の奥にあった当時の性風俗関係の展示の数々だ.どんな文明にもこのような美術品?があるのだと妙に納得する.
土曜日の観光はここで終了だ.夜はホテルで教えてもらったレストランでナポリ料理を十分に堪能したのだった.
2011年2月10日木曜日
ついにナポリへ(1)
1月最後の週末,ついに家族でナポリに向かうことにした.私は9月に出張で行っていたのだが,たった一泊だったし,ワークショップで一日つぶれていたので,観光らしい観光をしていなかった.
ナポリと言えば「ナポリを見て死ね」という素晴らしい景観が思い浮かぶのだが,現在はゴミである.10月末にゴミ処理場建設問題がこじれて,ゴミの運び先がなくなり,街中に回収されないゴミが溢れるという騒ぎになったのだ.ナポリを後回しにしたのはそのためである.最近は街中は問題ないとの情報を多数から得ていたので,満を持して旅行することにしたのだった.
ローマからナポリは車で2時間で本当に近い.街中の交通流はものすごい状態だと常々聞いているのだが,あいにく土曜日で大したことはなくてやや残念といったところ.問題は駐車場.路上駐車は何をされるか分からないので,駐車場付きホテルは必須である.早々にホテルにチェックインして機械式駐車場に車を入れてしまい,市内は徒歩と公共交通で観光だ.
この時点でもうお昼に近い.ナポリと言えばピザということで,有名なピザ屋のダ・ミケーレで名物のマリナーラとマルゲリータ(実はこの二種類しかない)を注文.ボリューム満点で値段も安く大満足.
ピザ屋を出た後にスパッカナポリを練り歩く.例えばフィレンツェと比べると同じイタリアなのかと思ってしまうくらい下町感が溢れている.細い路地には,集合住宅の窓から物干しがニョキニョキ出ていて,ヨーロッパらしくない.一瞬,途上国のような感じを受ける.この狭い空間で,車は申し訳なさそうに走っているのだが,オートバイは我が物顔である.ここでの主役は明らかに後者のようだ.
ナポリと言えば「ナポリを見て死ね」という素晴らしい景観が思い浮かぶのだが,現在はゴミである.10月末にゴミ処理場建設問題がこじれて,ゴミの運び先がなくなり,街中に回収されないゴミが溢れるという騒ぎになったのだ.ナポリを後回しにしたのはそのためである.最近は街中は問題ないとの情報を多数から得ていたので,満を持して旅行することにしたのだった.
ローマからナポリは車で2時間で本当に近い.街中の交通流はものすごい状態だと常々聞いているのだが,あいにく土曜日で大したことはなくてやや残念といったところ.問題は駐車場.路上駐車は何をされるか分からないので,駐車場付きホテルは必須である.早々にホテルにチェックインして機械式駐車場に車を入れてしまい,市内は徒歩と公共交通で観光だ.
この時点でもうお昼に近い.ナポリと言えばピザということで,有名なピザ屋のダ・ミケーレで名物のマリナーラとマルゲリータ(実はこの二種類しかない)を注文.ボリューム満点で値段も安く大満足.
ピザ屋を出た後にスパッカナポリを練り歩く.例えばフィレンツェと比べると同じイタリアなのかと思ってしまうくらい下町感が溢れている.細い路地には,集合住宅の窓から物干しがニョキニョキ出ていて,ヨーロッパらしくない.一瞬,途上国のような感じを受ける.この狭い空間で,車は申し訳なさそうに走っているのだが,オートバイは我が物顔である.ここでの主役は明らかに後者のようだ.
インターネットが急につながらなくなる
冬を迎えてから,我が家のボイラーの調子がいきなり悪くなったことは,もう何回か書いてきたとおりだが,それ以外は問題なく使えていた.
PompeiとPaestumツアーに行く直前の土曜日朝,最後のメールチェックのためにパソコンを開くが,ネットにつながらなかっていた.その1時間前にはきちんとつながっていたのだが,諦めて旅行に出発.南部は何かと物騒なのでパソコンは持参しなかった.
日曜日の夕方に自宅に戻り,メールチェックを始めるも,依然としてネットにつながってないようだ.設定は全く変えていないし,どうしたのだろう.早速,何が問題なのかを調べ始めたが,無線の問題ではなくADSL自体が機能していないことが判明した.
週明けからネット再開のために業者と交渉しなければならないのかと思わず気が重くなった.復旧は一週間単位の時間がかかってしまうのだろう.オフィスはたまに接続環境が非常に悪くなるので,Skypeが必要な時はもっぱら自宅で行っていたし,家内も日本との連絡にメールとSkypeを多用している.これは困ったことになった.
翌月曜日,私はオフィスに出勤.すると家内から「ネットがつながっている」との連絡を午前中に受けた.特に業者と交渉した訳ではないのだが,とにかく復旧したようなので一安心.ボイラーが故障してシャワーが使えないよりもネットが使えないことの方ががより困るのだと,悲しいことに痛感したのだった.
このADSL障害,こちらの日本人に聞くと,予告無しのトラブルは日常茶飯事とのことで,取り立てて騒ぐほどのことはないらしい.こんなところまで信頼性が低いのかと思ってしまう出来事だった.
PompeiとPaestumツアーに行く直前の土曜日朝,最後のメールチェックのためにパソコンを開くが,ネットにつながらなかっていた.その1時間前にはきちんとつながっていたのだが,諦めて旅行に出発.南部は何かと物騒なのでパソコンは持参しなかった.
日曜日の夕方に自宅に戻り,メールチェックを始めるも,依然としてネットにつながってないようだ.設定は全く変えていないし,どうしたのだろう.早速,何が問題なのかを調べ始めたが,無線の問題ではなくADSL自体が機能していないことが判明した.
週明けからネット再開のために業者と交渉しなければならないのかと思わず気が重くなった.復旧は一週間単位の時間がかかってしまうのだろう.オフィスはたまに接続環境が非常に悪くなるので,Skypeが必要な時はもっぱら自宅で行っていたし,家内も日本との連絡にメールとSkypeを多用している.これは困ったことになった.
翌月曜日,私はオフィスに出勤.すると家内から「ネットがつながっている」との連絡を午前中に受けた.特に業者と交渉した訳ではないのだが,とにかく復旧したようなので一安心.ボイラーが故障してシャワーが使えないよりもネットが使えないことの方ががより困るのだと,悲しいことに痛感したのだった.
このADSL障害,こちらの日本人に聞くと,予告無しのトラブルは日常茶飯事とのことで,取り立てて騒ぐほどのことはないらしい.こんなところまで信頼性が低いのかと思ってしまう出来事だった.
2011年2月7日月曜日
せっかくなのでPaestumにも足を伸ばす
1/23の日曜日,前日はPompei遺跡を見てそのまま近辺のホテルに宿泊したので,この周辺で朝から観光が可能であった.実はベスビオ山に登ろうと思っていたのだが,昨日に続いて朝からあいにくの雨だ.天気予報を見ると,南に向かえば晴れる可能性があったので,急遽Paestumに向かうことにしたのだった.Pompeiからは80km,高速道路と一般道路が半々で,約1時間の距離である.
もくろみ通り,Paestumに近づくにつれて晴れ間がのぞくようになる.Paestumは比較的保存状態の良い三つのギリシャ神殿が見所であり,晴天のもとで神殿が拝めそうだ.神殿のある遺跡とセットで国立考古学博物館を見学すると良いのだが,子供がいたので博物館は断念.
さて,そのギリシャ神殿群は確かに素晴らしかった.Agrigentoも確か三つあったと思うが,相互に離れているのと保存状態がそんなに良くない.一方ここは,二つが隣接し,残りの一つもそんなに離れていない.草木が比較的豊富なので,砂漠のようなAgrigentoと比べて潤いが感じられるのもよい.車がないと行きにくいのがやや残念だ.
もうちょっと何とかして欲しいPompei(2)
このPompei,昨年末に雨で遺跡の一部が崩壊した.これだけが理由ではないが,あちこちで補修や保存のための工事が行われている.そのために通路が閉鎖されたりしているのだが,どこが閉鎖されていて,迂回経路はどうなっていてといった案内が一切ないのには閉口した.まあ,やっぱりこれがイタリアである.日本みたいに案内が過剰なのもどうかとは思うのだが...文化財の維持にかけている予算が潤沢でないらしいので,まだ工事をしてくれているだけましなのかも知れないと思い直すことにする.
南西側入口近辺はForoと呼ばれる広大な広場空間だ.遙か昔から,このような空間が都市にとって重要だったのだと改めて認識できる場所である.このエリアには,噴火で犠牲となった人の型が一体だけリアルに残っていて思わず息を飲む.遺跡内は野良犬が生息しているようで,このForoにも多数集まっていて,犬嫌いの私にとってはなかなか落ち着かない空間だ.
Pompeiはベスビオからナポリ湾に向けた傾斜の途中にあるので,基本は南北方向に緩やかな傾斜がある.Foroから遺跡西北端のVilla di Diomedeに向かう道は基本的に登りである.木陰も少ないので,真夏にはかなりの体力と気力が必要だろう.しかしこのVillaには犠牲者の型が数体あるので,やはり見逃すわけにはいかない.
遺跡のコンテンツは,この犠牲者の型と街路構造を除けば,ローマ近郊のOstia Anticaと大して変わらない.どちらにも競技場,広場空間,生活空間,大規模浴場がある.Pompeiの大規模浴場は,今回は閉鎖中で入ることが出来なかったのがやや残念だ.こういう見所は極力閉鎖しないで欲しいものだし,閉鎖中の施設はきちんと入場時に知らせて欲しいものだ.
さて,数年前に日本でPompeiを特集した番組を見たのだが,この時に新たに発掘された,火砕流や噴石から家族を守ろうとする父親や苦しみながら絶命した人といったショッキングな型を見た記憶があった.それをずっと探していたのだが,ここまでに全く遭遇しなかった.そこで受付でもらった分厚いパンフレットを再確認すると,何と我々が入場した入口に比較的近いところにあったようだった.閉場になると困るので,慌ててその場所に向かう.もう少し展示方法を考えた方がいいと思うが,屋外のガラスケースの中にそれらはあった.それらはまさにテレビで見たあのショッキングな犠牲者の型であった.
もうちょっと何とかして欲しいPompei(1)
1/22に,まだ手を付けていなかったPompeiに行った.ローマからは250kmくらい,高速を飛ばせば2時間もあれば到着できる.この近さならいつでも行けると思っていて,ここまで後回しになったのだ.
しかし,当日の天気は朝からあいにくの雨.延期しても他に代替日がないので,Pompei行を強行することにした.昼前には宿泊予定のホテルに到着.時間前だったが幸い部屋がもう準備されていて即座にチェックインできた.駐車場も施設内にあるので,これで車がいたずらされる心配をしなくて済む(南部ではこの点は大事).
部屋でテイクアウトピザで簡単にランチを取りながら雨がやむのを待つが,午後1時までにはやまず,意を決して遺跡に向けて歩き始める.幸いなことに,遺跡に入場する頃に雨はやんでくれた.
この遺跡,紀元後79年のベスビオ山の大噴火で埋もれた訳だが,遺跡の大きさは66ヘクタール,そのうち50ヘクタールが発掘済みということらしい.ということで東西が約1.5km,南北が約500mと理解しておけばよい.これほど広大なエリアに見所が多数なので,しっかり見ると一日仕事である.
観光バスや車で直接来る場合にはメインの南西側入口から入場するらしいのだが,我々はそれとは反対の南東側入口から入場する.そのため,円形競技場からスタートして,徐々に西に向かい,南西側入口付近から北上するというルートが基本となる.
目抜き通りの沿道家屋には,今で言う立ち飲みバーのカウンターといったものを多数見ることが出来て面白い.ただ,遺跡中央部はどこも見ても同じように見えるので,そのうち飽きてくるのが玉に瑕だ.
しかし,当日の天気は朝からあいにくの雨.延期しても他に代替日がないので,Pompei行を強行することにした.昼前には宿泊予定のホテルに到着.時間前だったが幸い部屋がもう準備されていて即座にチェックインできた.駐車場も施設内にあるので,これで車がいたずらされる心配をしなくて済む(南部ではこの点は大事).
部屋でテイクアウトピザで簡単にランチを取りながら雨がやむのを待つが,午後1時までにはやまず,意を決して遺跡に向けて歩き始める.幸いなことに,遺跡に入場する頃に雨はやんでくれた.
この遺跡,紀元後79年のベスビオ山の大噴火で埋もれた訳だが,遺跡の大きさは66ヘクタール,そのうち50ヘクタールが発掘済みということらしい.ということで東西が約1.5km,南北が約500mと理解しておけばよい.これほど広大なエリアに見所が多数なので,しっかり見ると一日仕事である.
観光バスや車で直接来る場合にはメインの南西側入口から入場するらしいのだが,我々はそれとは反対の南東側入口から入場する.そのため,円形競技場からスタートして,徐々に西に向かい,南西側入口付近から北上するというルートが基本となる.
南西側入口周辺ははっきり言ってパッとしないのだが,遺跡中央部に近づくにつれて,往時のままの街路と沿道家屋が目に入ってくる.私は土木屋なので,やはり街路の様子には心を打たれる.ローマ式街道には,当時から既に歩道や横断歩道といった概念があったのだ.目抜き通りだけではなく,それらへ接続する街路も,規模の差はあれ,同じ構造となっているのだ.
セックススキャンダルでやめない首相を持つイタリアって...
ローマを去る日まで一ヶ月半を切った.お陰で公私ともに忙しく,ブログ更新が滞っている.ネタはあるのだが各時間はない.
先月中旬に,イタリアの政界に再び激震が走った.首相が18才未満のコールガールを何度も自宅に呼び,多額の口止め料を要求されたというのだ.これまでも数々の暴言やスキャンダルで定期的に話題を提供している首相である.「またか」という感覚だ.
しかし,こんなに恥をかいても(恥と思っていない可能性も高いが)首相の座から降りないのは,正直言って驚きを隠せない.首相をやっているのは,これまでの行状で逮捕されないように,自分に有利な法律を作るためであるという信じられないうわさもある.ここまでくると,このうわさはかなり当たっているのかもしれないし,最終的には裁判所で違法判決が出たようだが,現実にそのような法律を多数通してきている.
日本で同じことをやったら最低限政治生命を絶たれ,社会的にも復帰できないだろう.ベルルスコーニは何でこれで首相を続けられるのかが大きな疑問だ.
この疑問を,最近親しくなったイタリア人(子供の同級生のパパ)に投げかけてみた.彼の顔を真っ赤にして,「私も信じられないが,どうしようもない」という怒りと無力感を吐露するのみだ.彼がインテリ層かどうかは不明だが,日本を含めた外国の状況をよく知っているようなので,このような首相を担ぐことを苦々しく思っているようだ.ママ(日本人)は「あの抜け目なさやずるがしこさに一般のイタリア人は惹かれるんですよ」と言っていたが,いくつかの書籍でもこれに相当する分析を見たことがあるので,一般的な理解なのだろう.
それにしても毎度情けなくなるのは与党の議員である.昨年末も不信任決議で最終的に反対に回った議員も多いし,今回も与党議員から威勢のいい声が聞こえてこないのだ.首相からの金銭援助がよほど魅力的なのか,あるいは裏から命を狙われているのか,実態はこの辺にあるのではと感じる.
先月中旬に,イタリアの政界に再び激震が走った.首相が18才未満のコールガールを何度も自宅に呼び,多額の口止め料を要求されたというのだ.これまでも数々の暴言やスキャンダルで定期的に話題を提供している首相である.「またか」という感覚だ.
しかし,こんなに恥をかいても(恥と思っていない可能性も高いが)首相の座から降りないのは,正直言って驚きを隠せない.首相をやっているのは,これまでの行状で逮捕されないように,自分に有利な法律を作るためであるという信じられないうわさもある.ここまでくると,このうわさはかなり当たっているのかもしれないし,最終的には裁判所で違法判決が出たようだが,現実にそのような法律を多数通してきている.
日本で同じことをやったら最低限政治生命を絶たれ,社会的にも復帰できないだろう.ベルルスコーニは何でこれで首相を続けられるのかが大きな疑問だ.
この疑問を,最近親しくなったイタリア人(子供の同級生のパパ)に投げかけてみた.彼の顔を真っ赤にして,「私も信じられないが,どうしようもない」という怒りと無力感を吐露するのみだ.彼がインテリ層かどうかは不明だが,日本を含めた外国の状況をよく知っているようなので,このような首相を担ぐことを苦々しく思っているようだ.ママ(日本人)は「あの抜け目なさやずるがしこさに一般のイタリア人は惹かれるんですよ」と言っていたが,いくつかの書籍でもこれに相当する分析を見たことがあるので,一般的な理解なのだろう.
それにしても毎度情けなくなるのは与党の議員である.昨年末も不信任決議で最終的に反対に回った議員も多いし,今回も与党議員から威勢のいい声が聞こえてこないのだ.首相からの金銭援助がよほど魅力的なのか,あるいは裏から命を狙われているのか,実態はこの辺にあるのではと感じる.
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