何度も書くが,滞在が残り少なくなってきた.さすがにものすごく焦っている.「ほとんど知られていないイタリアの交通事情を調べてきます」と言って出国してきたが,あまり調べているとは言えない状況だ.
11月末に,日本大使館や現地企業の方々で構成している産業研究会に講師としてお呼ばれしたので,イタリアと日本,ローマと東京を統計データで比較して,それらの交通システムのマクロ的な特性を探るような話題を提供した.その準備の時に,日本の国土交通省に相当するイタリアのインフラ運輸省のホームページを,目を皿にして政策や施策の状況を閲覧しまくったのだが,情報はほとんどイタリア語だし,情報そのものがあまり公表されていないので,大変難儀をした.
関係各位が私がイタリアに滞在していることを知っているので,多数の原稿執筆依頼が入り込んでいる.少しはヒアリング調査でもかけないと満足な原稿が書けそうにないないので,12月上旬に,大使館に協力を依頼して,インフラ運輸省の政策担当者にヒアリング調査の依頼をかけることにしたのだった.
各種調整の結果,1/13に最初のヒアリング調査を行うことになった.壁になったのは言語である.今日現在までに4部局にヒアリングをかけたのであるが,そのうち3つは「英語が出来ないので通訳を付けて欲しい」とのこと.仕方ないので通訳を用意してヒアリングに臨む.
通訳付きのヒアリングは,こちらも気分が楽なのだが,時間がかかるのが難点だ.担当者もせいぜい2時間付き合ってくれるのが限度.こちらが尋ねたいこととは違う内容を話し出すこと多々あるので(イタリア人はしゃべりたいことだけをしゃべる傾向にあるかも?),ヒアリングのコントロールに大変難儀することになるのだ.
ただ,このようなことは事前に想定できたので,後で裏を取るために,「もし対応する文献があれば,イタリア語のみでも全然構わないので,それをご提供頂ければここでコメント頂かなくても結構なのですが」と常にお願いしている.それでも多くのケースで,「適切な資料は存在しない」と言われてしまうのだった.そんなわけでヒアリング調査は進んでいるが,肝心の有益な情報が取れているのかどうか,大変心配な状況だ.はぁ,どうしよう.
ヨーロッパの政策や施策の先進事例を調べるために,これまでに何度もヨーロッパ各国でヒアリング調査を実施してきている.しかし,イタリアは今回が初めてだ.これまでにも何回か調査の依頼をしたことがあるのだが,全部無視されてきたのだった.他国の担当者は大抵きちんと対応してくれるので,そのギャップに不自然さを感じていた.無視される理由の大部分は,英語で対応できないから無条件ではねつけられていただけかも知れないと,今回改めて感じた.
また,「あなたの国の政策を是非知りたいです」といってくる研究者や実務者がアポを取ってきた時に,全力を挙げて対応するのが国際的な常識だと思っているのだが,どうもイタリアは「他国に自国をいいと思って欲しい」,「他国がどうなっているか状況を知りたい」といった感覚に欠けている印象が強いと感じる.「周辺諸国と比べた時のイタリアの政策の特徴は?」と尋ねても,「他国の状況は知らないのだが」と言われることが多いのだ.
私,仕事の都合で1年間弱ローマに滞在することになりました.今までブログをやっている時間はまったくと言っていいほどなかったのですが,この際ローマで経験したことを記録として残しつつ,現地の最新情報を提供できればと考え,初めてブログに手を出してみました.
2011年1月31日月曜日
世話になったClioとお別れ,そして新しいClioとご対面
1/12は,夏から160日間の契約で使用していたClioを返却する日だった.使用開始後三日後にして窓ガラスを割られ,一ヶ月前はタイヤのパンクで三週間ほど遠出を阻まれた以外は,目立ったトラブルもなくこの日を迎えたのだ.
総走行距離は約8,000km.シチリアやトリノまで足を運んだ努力の結果である.パンクのトラブルがなければもう1,000kmくらいは走っていたかも知れない.本当に元気に活躍してくれた.お陰でこちらでの生活が格段に豊かになった.感謝の気持ちで一杯である.
返却は受け取り場所と同じ場所だ.事前に返却時刻を調整して,日本人らしく定刻に現場に到着.担当者が車の状態をチェックして,いくつかサインして返却手続きはあっけなく終了だ.センチメンタルな気分に浸れないほど短い.
今度はその日からお世話になる後継車の受け取り作業だ.RenaultのEurodriveでは同一個人が年間最大160日間しかレンタルすることが出来ないので,今度の車は家内の名義にしてある.もちろん名義上だけで,運転者は私.
今度のClioは排気量は同じだが,スポーティー仕様ではなくなっている.変速も5速まで,タイヤは”特殊”ではなく普通のものである.クラッチも以前のと比べると柔らかくてぺこぺこだ.ボディー色はガンメタリックからシルバーになった.地味だが汚れが目立たないのがいい.帰国まで70日間の契約,費用は19万円くらいだったと思う.今度の返却は何と”パリ”を予定している.
総走行距離は約8,000km.シチリアやトリノまで足を運んだ努力の結果である.パンクのトラブルがなければもう1,000kmくらいは走っていたかも知れない.本当に元気に活躍してくれた.お陰でこちらでの生活が格段に豊かになった.感謝の気持ちで一杯である.
返却は受け取り場所と同じ場所だ.事前に返却時刻を調整して,日本人らしく定刻に現場に到着.担当者が車の状態をチェックして,いくつかサインして返却手続きはあっけなく終了だ.センチメンタルな気分に浸れないほど短い.
今度はその日からお世話になる後継車の受け取り作業だ.RenaultのEurodriveでは同一個人が年間最大160日間しかレンタルすることが出来ないので,今度の車は家内の名義にしてある.もちろん名義上だけで,運転者は私.
今度のClioは排気量は同じだが,スポーティー仕様ではなくなっている.変速も5速まで,タイヤは”特殊”ではなく普通のものである.クラッチも以前のと比べると柔らかくてぺこぺこだ.ボディー色はガンメタリックからシルバーになった.地味だが汚れが目立たないのがいい.帰国まで70日間の契約,費用は19万円くらいだったと思う.今度の返却は何と”パリ”を予定している.
ついに指圧を受ける
1/11,この日は朝から頭痛がしていた.原因は分かっていて,肩から首にかけての凝りによる血行障害である.ノートパソコンによるデスクワークが増えてくると発生する持病のようなものだ.
こんな時,ここローマでも指圧を受けることが出来るらしい.以前に書いた日本人学校のバザーにも,指圧が出展していたのでその存在は知っていたし,日本人会の会報にもローマ指圧センターの広告が出ていたのを確認していた.しかも技師は日本人であるので安心だ.
この日の頭痛で,ついに指圧センターに世話になることに決めた.電話をかけると日本人技師が出てくれて,日本語でアポを取り,夕方5時に診療所に来るように指示を受ける.
この診療所は,何のことはないマンションの一室である.住所からこのマンションの場所を特定するのが難しく,その近くで10分くらい歩き回って,ようやく診療所の入った建物を発見.指定時刻から5分を過ぎているが,まあイタリアだからこのくらいは遅刻のうちに入らない.
早速技師に面会.もう二十年くらいもローマで指圧を開業しているらしい.奥さんはイタリア人のようだ.体格がいいので,きっと力強い本格的な指圧が受けられるのだろうと期待したが,果たしてその通り.1時間の施術後に,(慢性的なので完全には直らないが)施術前よりは格段に首と肩の筋肉が柔らかくなった自分がいた.料金は日本人価格で10ユーロ割引の50ユーロ,破格だと思う.
こんな時,ここローマでも指圧を受けることが出来るらしい.以前に書いた日本人学校のバザーにも,指圧が出展していたのでその存在は知っていたし,日本人会の会報にもローマ指圧センターの広告が出ていたのを確認していた.しかも技師は日本人であるので安心だ.
この日の頭痛で,ついに指圧センターに世話になることに決めた.電話をかけると日本人技師が出てくれて,日本語でアポを取り,夕方5時に診療所に来るように指示を受ける.
この診療所は,何のことはないマンションの一室である.住所からこのマンションの場所を特定するのが難しく,その近くで10分くらい歩き回って,ようやく診療所の入った建物を発見.指定時刻から5分を過ぎているが,まあイタリアだからこのくらいは遅刻のうちに入らない.
早速技師に面会.もう二十年くらいもローマで指圧を開業しているらしい.奥さんはイタリア人のようだ.体格がいいので,きっと力強い本格的な指圧が受けられるのだろうと期待したが,果たしてその通り.1時間の施術後に,(慢性的なので完全には直らないが)施術前よりは格段に首と肩の筋肉が柔らかくなった自分がいた.料金は日本人価格で10ユーロ割引の50ユーロ,破格だと思う.
ローマ日本人会の新年祝賀会
多忙に付き更新が追いつかないのでもう古い話になっているが,1/9にローマ日本人会の新年祝賀会なるものに出席した.毎年の恒例だそうで,私は今回一回しか参加できないので,参加してみることにしたのだった.
場所は日本人学校の体育館.参加者(百何十人だったかな?)の大半は日本人であるが,イタリア人も十名くらいはいただろうか.大使館公使のご挨拶,理事の紹介等の儀式を粛々とこなし,日本らしく鏡割りも行い,乾杯して宴会スタート.
これも日本らしく寿司が大量に並んでいて,鏡割りした日本酒と共に食すと,つかの間だが日本を思い出す.学校の先生方や関係者,大使館員や企業で知り合った方々と談笑し,冬休みのアクティビティーを自慢し合う.
この祝賀会の目玉は,出席者のほとんどが当たる景品の抽選会.企業などから景品が提供される.今年は参加人数が例年より少ないらしく,全員当たりがでるようで,何が当たるか楽しみだ.
結局,私が当たったのは三十人に当たる日本酒だった.景品には「ロンドン往復航空券」や「日本往復航空券」,「タイヤ四本セット(某B社の提供)」という,当たってしまうと扱いに困るものがあって,これらに当たってしまわないでホッとする.なぜか,Rimowaのスーツケースが多数景品となっていたのだが,せっかくだからドイツではなくイタリアの旅行カバンにならないものかと苦笑する.
祝賀会は二時間もしないで無事終了.何はともあれ,一日くらいは日本を感じることが出来てよかったと思う.
場所は日本人学校の体育館.参加者(百何十人だったかな?)の大半は日本人であるが,イタリア人も十名くらいはいただろうか.大使館公使のご挨拶,理事の紹介等の儀式を粛々とこなし,日本らしく鏡割りも行い,乾杯して宴会スタート.
これも日本らしく寿司が大量に並んでいて,鏡割りした日本酒と共に食すと,つかの間だが日本を思い出す.学校の先生方や関係者,大使館員や企業で知り合った方々と談笑し,冬休みのアクティビティーを自慢し合う.
この祝賀会の目玉は,出席者のほとんどが当たる景品の抽選会.企業などから景品が提供される.今年は参加人数が例年より少ないらしく,全員当たりがでるようで,何が当たるか楽しみだ.
結局,私が当たったのは三十人に当たる日本酒だった.景品には「ロンドン往復航空券」や「日本往復航空券」,「タイヤ四本セット(某B社の提供)」という,当たってしまうと扱いに困るものがあって,これらに当たってしまわないでホッとする.なぜか,Rimowaのスーツケースが多数景品となっていたのだが,せっかくだからドイツではなくイタリアの旅行カバンにならないものかと苦笑する.
祝賀会は二時間もしないで無事終了.何はともあれ,一日くらいは日本を感じることが出来てよかったと思う.
2011年1月26日水曜日
塔の街San Gimingano
翌1/7,夜にローマで来客と食事をする予定になっていた.朝フィレンツェのホテルをチェックアウト.途中でまだ足を運んでいない周辺のメジャーな街として,LuccaとSan Gininganoがあった.Luccaだとローマから遠ざかってしまうので,今回はSan Giminganoに行くことにしたのだった.
結論から言うと,ここでは一切の施設に入らず,目抜き通りを散策しながら林立する塔を眺めて一時間もせずに観光を終了した.塔も,ボローニャの斜塔やフィレンツェのGiottoの鐘楼を見た後なので,高さも今ひとつの感だ.それでも密集しているので,少し離れた所からの眺めはユニークだろう.
ここからローマまでは約300km,直行すれば3時間もかからない距離である.午後3時頃にはローマに到着.
フィレンツェからは車で1時間もかからない.早々にSan Giminganoに到着.城壁外の大型駐車場に車を泊めて,徒歩で旧市街中心部へ向かう.この街は,最盛期には70本の塔が建設されていたのだが,現在はそのうち20%の14本が残されている.
街の大きさは南北1km,東西500mといったところなので,全て徒歩で済ますことが可能だ.ただし,中部イタリアの都市と同様に,坂が多いので要注意だ.
ここからローマまでは約300km,直行すれば3時間もかからない距離である.午後3時頃にはローマに到着.
再びフィレンツェへ
1/5夕方にフィレンツェ郊外の四つ星ホテルにチェックイン,夜は有名レストランで牛肉と赤ワインを堪能.トスカーナは本当に食事が美味しい.
翌1/6は,10月にフィレンツェを観光した時に行けなかった施設をつぶすことにした.子供達が「前回登らなかったからGiottoの鐘楼に登りたい」と言っている.これはDuomoの脇にあり,そのクーポラより少し低い高さまで登ることが出来る.前日もボローニャで塔に登っているし,正直言って辟易していたのだが,子供達のごり押しに負けて,登頂を決意する.この日は年に数日しかないクーポラが休みの日なので,混雑しないうちに朝一番で最初に登っておくことにしたのだ.
この鐘楼も400段以上ある.途中に踊り場が三箇所くらいあったと思うが,それぞれで小休止して頂上を目指す.途中で鐘が鳴り,そのものすごい音量にびっくりしたがやはり感動するものである.踊り場の一部に大きな穴が空いていて,そこに金網が張ってある.そこから下を見ると,少し足がすくむ.階段の歩幅が狭いので,螺旋階段部分は非常に歩きづらいので要注意(下りは足も疲れているし,転びそうで怖い).
やがて頂上に到着.ここの眺めもクーポラに引けを取らない.しかも,誰もいないクーポラという珍しい写真も取ることが出来た.
次に向かったのはAcademia美術館だ.ここはミケランジェロのダビデ像が有名だ.このコピーは市内二箇所で既に見ているが,今回はようやくオリジナルを見ることが出来た.実物は想像以上に大きくてびっくりする.ガイドブックに載っているこの手の作品の写真は,そのスケールを感じることが出来ない.
次に,前回は休館日だったPitti宮.ここは美術館コースと庭園コースを選ばなければならないが,もちろん美術館コースだ.美術館では,たまたまカラバッジョ展も同時に見学することができた.美術は明るくないが,そんな私でもカラバッジョの作品は素晴らしいと感じる.難点は,子供に見せるには絵の内容がえぐい(ナイフで切り落とした生首を持っている絵など)ことか.
美術館に来たかった理由は,内部のPalatina美術館にあるラファエロの「小椅子の聖母」を見たかったからだ.長い見学コースの終わりの方でご対面.想像通り,これまでたくさん見てきた聖母子の絵の中では,一番映えて見えたので感激.
夜はホテル近くのレストランで,やはりトスカーナ料理を堪能.あと二ヶ月を切った滞在でもう一度このエリアに来たいのだが...
翌1/6は,10月にフィレンツェを観光した時に行けなかった施設をつぶすことにした.子供達が「前回登らなかったからGiottoの鐘楼に登りたい」と言っている.これはDuomoの脇にあり,そのクーポラより少し低い高さまで登ることが出来る.前日もボローニャで塔に登っているし,正直言って辟易していたのだが,子供達のごり押しに負けて,登頂を決意する.この日は年に数日しかないクーポラが休みの日なので,混雑しないうちに朝一番で最初に登っておくことにしたのだ.
この鐘楼も400段以上ある.途中に踊り場が三箇所くらいあったと思うが,それぞれで小休止して頂上を目指す.途中で鐘が鳴り,そのものすごい音量にびっくりしたがやはり感動するものである.踊り場の一部に大きな穴が空いていて,そこに金網が張ってある.そこから下を見ると,少し足がすくむ.階段の歩幅が狭いので,螺旋階段部分は非常に歩きづらいので要注意(下りは足も疲れているし,転びそうで怖い).
やがて頂上に到着.ここの眺めもクーポラに引けを取らない.しかも,誰もいないクーポラという珍しい写真も取ることが出来た.
次に向かったのはAcademia美術館だ.ここはミケランジェロのダビデ像が有名だ.このコピーは市内二箇所で既に見ているが,今回はようやくオリジナルを見ることが出来た.実物は想像以上に大きくてびっくりする.ガイドブックに載っているこの手の作品の写真は,そのスケールを感じることが出来ない.
次に,前回は休館日だったPitti宮.ここは美術館コースと庭園コースを選ばなければならないが,もちろん美術館コースだ.美術館では,たまたまカラバッジョ展も同時に見学することができた.美術は明るくないが,そんな私でもカラバッジョの作品は素晴らしいと感じる.難点は,子供に見せるには絵の内容がえぐい(ナイフで切り落とした生首を持っている絵など)ことか.
美術館に来たかった理由は,内部のPalatina美術館にあるラファエロの「小椅子の聖母」を見たかったからだ.長い見学コースの終わりの方でご対面.想像通り,これまでたくさん見てきた聖母子の絵の中では,一番映えて見えたので感激.
夜はホテル近くのレストランで,やはりトスカーナ料理を堪能.あと二ヶ月を切った滞在でもう一度このエリアに来たいのだが...
ボローニャでも”お上りさん”
1/5は次の宿泊地であるフィレンツェに移動.その途中でボローニャに立ち寄ることにした.ミラノからは200km,高速を飛ばせばわずか2時間だ.しかし,中心地である歴史地区近辺の駐車場に向かうのにやや苦労した.高速インターから駐車場マークの指示通りに走行したが,同じ所をぐるぐる回る羽目に陥った.どうもイタリアの大きな街の駐車場誘導はなってない.
何とか大規模駐車場を見つけて駐車完了.そこはたまたま8月8日広場だったので,旧市街ど真ん中の市庁舎までは歩いて1kmもない.早速市庁舎エリアに向かう.Indipendenza通りを南に進んで行ったが,赤茶けた街並みが展開し,そこに上品なワインレッドのバスが行き来していて,その色の選択に感激.
程なく市庁舎に到着,早速内に入る.そこは図書館などの公共施設があって,外装は中世だが内装は近代的で,なかなか美しい.わずか数分なので立ち寄ることを薦める.次に向かったのは市庁舎側のSan Petronio聖堂だ.これは外観が未完成である聖堂として有名だ.しかし,改修工事中で肝心の外装は幕に包まれていてガッカリ.私は著名観光施設を訪れると工事中であることが多いのだが,その面目躍如と行ったところ.
次に向かったのは,聖堂から5分くらいの所にあるSant Stefano教会群だ.様々な建築様式が合わさって出来たものらしく,回廊もきれいそうなので是非見たかったのだが,残念ながら閉場時間を過ぎていた.ガイドブックでは12時半までと書いてあっても,行ってみると12時終了であることがこれまでも多かったので,うかつだった.
仕方ないのでここでランチ休憩.有名レストランで名物のボロネーゼを堪能してから,いよいよ斜塔である.市庁舎から300mくらいの所にあって,二本の塔が林立している.そのうち片方は傾いていて登れない.もう一方の高い塔はもちろん登頂可能だ.我々も,一昨日のミラノDuomoに引き続き,再度お上りさんに.
この塔は約500段の階段を昇らなければならない.中空の塔の内壁に付いている木製の階段を延々と昇る.途中で五箇所くらい踊り場があって,そのせいでどこが終点か推測できないのだ.降りる途中ですれ違った人達に,「まだ半分だ」などど教えてあげると絶望的な表情を見せる.
元気な子供達にくっついていって,無事登頂完了.ここからの景色は,スケールは違うが,フィレンツェのDuomoのクーポラから見る景色に近い.赤茶けた屋根が統一感を持って続いている様子は圧巻である.
ここでボローニャ観光を終了,フィレンツェに向かうことにした.
何とか大規模駐車場を見つけて駐車完了.そこはたまたま8月8日広場だったので,旧市街ど真ん中の市庁舎までは歩いて1kmもない.早速市庁舎エリアに向かう.Indipendenza通りを南に進んで行ったが,赤茶けた街並みが展開し,そこに上品なワインレッドのバスが行き来していて,その色の選択に感激.
程なく市庁舎に到着,早速内に入る.そこは図書館などの公共施設があって,外装は中世だが内装は近代的で,なかなか美しい.わずか数分なので立ち寄ることを薦める.次に向かったのは市庁舎側のSan Petronio聖堂だ.これは外観が未完成である聖堂として有名だ.しかし,改修工事中で肝心の外装は幕に包まれていてガッカリ.私は著名観光施設を訪れると工事中であることが多いのだが,その面目躍如と行ったところ.
次に向かったのは,聖堂から5分くらいの所にあるSant Stefano教会群だ.様々な建築様式が合わさって出来たものらしく,回廊もきれいそうなので是非見たかったのだが,残念ながら閉場時間を過ぎていた.ガイドブックでは12時半までと書いてあっても,行ってみると12時終了であることがこれまでも多かったので,うかつだった.
仕方ないのでここでランチ休憩.有名レストランで名物のボロネーゼを堪能してから,いよいよ斜塔である.市庁舎から300mくらいの所にあって,二本の塔が林立している.そのうち片方は傾いていて登れない.もう一方の高い塔はもちろん登頂可能だ.我々も,一昨日のミラノDuomoに引き続き,再度お上りさんに.
この塔は約500段の階段を昇らなければならない.中空の塔の内壁に付いている木製の階段を延々と昇る.途中で五箇所くらい踊り場があって,そのせいでどこが終点か推測できないのだ.降りる途中ですれ違った人達に,「まだ半分だ」などど教えてあげると絶望的な表情を見せる.
元気な子供達にくっついていって,無事登頂完了.ここからの景色は,スケールは違うが,フィレンツェのDuomoのクーポラから見る景色に近い.赤茶けた屋根が統一感を持って続いている様子は圧巻である.
ここでボローニャ観光を終了,フィレンツェに向かうことにした.
2011年1月24日月曜日
とんでもない対応のトリノの王宮
翌1/4はミラノから日帰りでトリノに向かうことにした.距離は150km弱なので,高速道路で2時間もかからない.トリノは10年くらい前にある学会に参加するために出張で行ったことがあるのだが,この時は観光をほとんどせず,しかもホテルが足りずに市内に取れなくて,鉄道で1時間くらいのところにある街に宿泊を余儀なくされた.冬季オリンピックまであと数年,こんなんで大丈夫かと思ったものである.
今年はイタリア統一から150周年だ.主導したのはトリノを首都とするサルデーニャ王国.そのため,最初の首都はトリノに置かれた.数年ごとにフィレンツェ,ローマへと移動してしまったので,わずか数年の栄光だ.近代のトリノの発展はフランスの影響を強く受けている.街並みは統一感の取れた見事なバロックだ.バロック都市は実は個人的には余り好きではないのだが,ここまで統一感があると素直にその良さを感じざるを得ない.
さて車をポー川近くの大規模駐車場に泊めて,歩いて中心部へ向かう.最初に目指すのは,何よりも世界遺産の対象となっている王宮である.王宮の券売所でチケットを購入するが,ガイドが付く時間制のようで,午後2時からの入場と書いてある.仕方ないので,それまでは街をぶらぶらして時間を過ごす.
いよいよ2時に.しかし,どこに行っていいのか,館内に全くインストラクションがない.あるドアから入ってそこにいた係員にチケットを見せると,入ることが出来た.入ったエリアはイタリア統一前後のサボイア家の物語が,細かく分かれた豪華な部屋の中に,展示品と共にパネルで紹介されている.「確かガイドツアーがあると聞いていたのだが」と思いながら,その展示コーナーが終了.次のポイントには階段を上がるらしいのだが,そこで係員にチケットを見せると,「あなた方のチケットはここは対象外」というではないか.チケットを買う時にそもそもチケットの種類を聞かれていない.結局,チケットに書いてあった時刻は実態的にはどうでも良かったことが判明.世界遺産を名乗っておきながら,この扱いには心底怒りがこみ上げてきた.
こんな街からはとっととおさらばして,最後に郊外にあるSuperga聖堂に立ち寄る.ここはサボイア家の菩提寺で,これも世界遺産の対象の一つ.が,正直言って,大したことはないと感じた.と言うわけで,久しぶりにイタリア観光施設のいい加減さに直面した一日だった.お陰でトリノの印象は最悪である.
ミラノの観光をあっさりと終了
ここのところ非常に忙しくて,なかなかブログ更新が進まない.もう1月も24日を過ぎているのに,ようやく年明けのことを書いている.何と一週間ぶりである.
年明け第一の旅行先はミラノである.1/2の夕方に到着して,その夜は運河近くのレストランで食事.翌日一日でミラノを観光するという強行スケジュールである.ミラノの見所の一つと言えば世界遺産の「最後の晩餐」だが,これは事前予約制でアクセスしてみた時には,既に予約枠がなくなっていた.まあ新婚旅行時に見ているし,フレスコ画は実物は今ひとつという感覚なので,よしとすることに.
運悪く1/3は月曜日で,結構な数の施設が休館である.それでも肝心のDuomoは見られるし,子供もいるので,博物館,美術館系はそもそも受けが良くない.最初に向かったのは,個人的に是非見てみたかったSant'Ambrogio聖堂.4世紀後半のローマ帝国末期で皇帝テオドシウスに対して大きな力を持っていたキリスト教の大司教でミラノの守護聖人のアンブロージョを祀った聖堂だ.大きさは大したことはないが,美しいロマネスク様式の建築で,個人的には好きな聖堂の一つだ.
次に向かったのはSforzesco城.残念ながら中の博物館は休館だったが,外観,中庭と隣接する大きな公園を散策しながら見学する.
ここからDuomoに向かうが,その途中でVittorio Emanuele IIのガレリアを通過する.ここは日本で言うアーケード付きの商店街という所だが,その美しさは見事である.見るのは二度目だが,初めての時も日本の商店街もこうならないものかと思ったものだ.
メインディッシュのDuomoはガレリアの隣だ.まずは中に入る.大きな建築物を支える柱が林立し,多くのステンドグラスがやや暗い内部のアクセントとなっている.内部は撮影禁止のはずなのだが,みんな気にせずフラッシュ付きで写真を撮りまくっている.最初はそれらを冷ややかに見ていたのだが,それを見ている係員も何も言わないので,最後はついにカメラを手にとって撮影に加わることにした.
このDuomoは,はやり屋上に上らないと来た意味がないだろう.階段とエレベータがあるが,もちろん階段にチャレンジ.これはそんなに大変でなく,程なく屋上に到着.Duomoの外装を彩る尖塔が林立する様子は圧巻だ.一本一本でも芸術的なのだが,それが100本以上もあるのだ.
Duomoの後は適当にウィンドウショッピングを兼ねて(イタリアのバーゲンSaldiはまだ始まっていない)街を散策して,ミラノ観光はあっさり終了だ.新婚旅行の時も四大都市ツアーで一番印象に残らなかった街で,今回もその印象を払拭できなかった.(子供達はきれいなミラノが好みのようだが)つくづく赴任がミラノでなくローマで良かったと感じた.
年明け第一の旅行先はミラノである.1/2の夕方に到着して,その夜は運河近くのレストランで食事.翌日一日でミラノを観光するという強行スケジュールである.ミラノの見所の一つと言えば世界遺産の「最後の晩餐」だが,これは事前予約制でアクセスしてみた時には,既に予約枠がなくなっていた.まあ新婚旅行時に見ているし,フレスコ画は実物は今ひとつという感覚なので,よしとすることに.
運悪く1/3は月曜日で,結構な数の施設が休館である.それでも肝心のDuomoは見られるし,子供もいるので,博物館,美術館系はそもそも受けが良くない.最初に向かったのは,個人的に是非見てみたかったSant'Ambrogio聖堂.4世紀後半のローマ帝国末期で皇帝テオドシウスに対して大きな力を持っていたキリスト教の大司教でミラノの守護聖人のアンブロージョを祀った聖堂だ.大きさは大したことはないが,美しいロマネスク様式の建築で,個人的には好きな聖堂の一つだ.
次に向かったのはSforzesco城.残念ながら中の博物館は休館だったが,外観,中庭と隣接する大きな公園を散策しながら見学する.
ここからDuomoに向かうが,その途中でVittorio Emanuele IIのガレリアを通過する.ここは日本で言うアーケード付きの商店街という所だが,その美しさは見事である.見るのは二度目だが,初めての時も日本の商店街もこうならないものかと思ったものだ.
メインディッシュのDuomoはガレリアの隣だ.まずは中に入る.大きな建築物を支える柱が林立し,多くのステンドグラスがやや暗い内部のアクセントとなっている.内部は撮影禁止のはずなのだが,みんな気にせずフラッシュ付きで写真を撮りまくっている.最初はそれらを冷ややかに見ていたのだが,それを見ている係員も何も言わないので,最後はついにカメラを手にとって撮影に加わることにした.
このDuomoは,はやり屋上に上らないと来た意味がないだろう.階段とエレベータがあるが,もちろん階段にチャレンジ.これはそんなに大変でなく,程なく屋上に到着.Duomoの外装を彩る尖塔が林立する様子は圧巻だ.一本一本でも芸術的なのだが,それが100本以上もあるのだ.
Duomoの後は適当にウィンドウショッピングを兼ねて(イタリアのバーゲンSaldiはまだ始まっていない)街を散策して,ミラノ観光はあっさり終了だ.新婚旅行の時も四大都市ツアーで一番印象に残らなかった街で,今回もその印象を払拭できなかった.(子供達はきれいなミラノが好みのようだが)つくづく赴任がミラノでなくローマで良かったと感じた.
2011年1月17日月曜日
ローマからミラノまで高速道路で走って見る
冬休み後半はトリノ,ミラノ,ボローニャ,フィレンツェへ5泊6日の巡業ツアーに出かけた.雪が心配だったのだが,最終的には車で出かけた.結果的には雪に遭遇することなく大正解だった.
最初はミラノに三泊だった.初日の1/2にはローマからミラノまで600kmの移動を敢行する必要があった.そのほとんどが高速道路A1号,日本で言えば東名・名神高速のような路線を進むことになる.ちなみにA1はStrada del Sole(太陽道路)という名称を持つらしい.
ローマからボローニャまでは基本的にはカーブと坂が続く.A1はナポリまでであるが,ローマとナポリ間は確か全部片側三車線だったと思う.フィレンツェ方面はローマ北ジャンクションから40kmくらいは片側三車線,その先はフィレンツェ市内を除き片側二車線だ.フィレンツェとボローニャ間はこの前も書いたように,東名の大井松田-御殿場間のような感じだが,線形の良い新設道路の建設が進んでいるようだ.
この日は,あいにくフィレンツェ市内のトンネル区間で交通事故が発生,トンネル内なので事故処理がもたつき,4km通過に1時間弱を費やすはめに.
ボローニャを過ぎると,一転して直線が続く道路となる.ドライバーとしては非常に退屈だし,みんな150km/hくらいで一斉に走っているので,徐々にスピード感覚がなくなってくる.うれしいことに,ボローニャからA22号が分岐するモデナまでは片側四車線である.それでも,ドロミテ方面に向かうスキーバカンス客でこの四車線で自然渋滞が発生するのだった.A22号はものすごい渋滞だっただろう.
この渋滞を抜けて,ミラノまで残り150km,あとは一気呵成だ(1時間強で走破!).しかし,景色も代わり映えがしないので,運転は一層退屈である.周辺の車とのデッドヒートで緊張感を高めるしかない.結局,ローマからミラノまで何回かのトイレ休憩を含めて8時間くらいかかった.6時間での到着を見込んでいたが,やはり甘かったようだ.
最初はミラノに三泊だった.初日の1/2にはローマからミラノまで600kmの移動を敢行する必要があった.そのほとんどが高速道路A1号,日本で言えば東名・名神高速のような路線を進むことになる.ちなみにA1はStrada del Sole(太陽道路)という名称を持つらしい.
ローマからボローニャまでは基本的にはカーブと坂が続く.A1はナポリまでであるが,ローマとナポリ間は確か全部片側三車線だったと思う.フィレンツェ方面はローマ北ジャンクションから40kmくらいは片側三車線,その先はフィレンツェ市内を除き片側二車線だ.フィレンツェとボローニャ間はこの前も書いたように,東名の大井松田-御殿場間のような感じだが,線形の良い新設道路の建設が進んでいるようだ.
この日は,あいにくフィレンツェ市内のトンネル区間で交通事故が発生,トンネル内なので事故処理がもたつき,4km通過に1時間弱を費やすはめに.
ボローニャを過ぎると,一転して直線が続く道路となる.ドライバーとしては非常に退屈だし,みんな150km/hくらいで一斉に走っているので,徐々にスピード感覚がなくなってくる.うれしいことに,ボローニャからA22号が分岐するモデナまでは片側四車線である.それでも,ドロミテ方面に向かうスキーバカンス客でこの四車線で自然渋滞が発生するのだった.A22号はものすごい渋滞だっただろう.
この渋滞を抜けて,ミラノまで残り150km,あとは一気呵成だ(1時間強で走破!).しかし,景色も代わり映えがしないので,運転は一層退屈である.周辺の車とのデッドヒートで緊張感を高めるしかない.結局,ローマからミラノまで何回かのトイレ休憩を含めて8時間くらいかかった.6時間での到着を見込んでいたが,やはり甘かったようだ.
絶景(絶叫?)リフトに感激したGubbio
午後1時過ぎにUrbinoを後にしたが,Romaに帰るまでに途中でもう一箇所寄れそうな状況だった.そこでGubbioに向かうことにした.Urbinoからは1時間もあれば到達する距離である.Umbria州の州都であるPerugiaから少し北に行ったところだ.
この街は子供のクラスメートのイタリア人のパパに薦められたのだが,確かに美しい旧市街だった.建築物に使われている石も,赤みが弱くやや白みがかっている.もう8ヶ月も前に行ったPerugiaの街のような色彩かもしれない.宮殿や教会もそんなに有名なものはないようだが,街並み全体としては見ておく価値はあると思った.
何よりも面白かったのは,斜面の遙か上の山頂にあるSant'Ubaldo教会へのアクセスリフトである.これは一度乗ってみる価値はある.鳥かごのようなリフトに最大二名で乗りこむのだ.乗車時に速度が落ちないので,乗り込むのはやや度強が必要だ.座席はなく立ったままで,かごの床からは地面が透けて見える.高所恐怖症の方は非常につらい時間を過ごすかも知れない.リフトからはGubbioの素晴らしい景色を眺めることが出来るが,雨が降ると一転悲惨な状況となるので覚悟が必要だ.
Gubbioも数時間あれば十分に堪能できる.ここからRomaまでは200kmくらいだったと思うので,少し無理をすれば日帰りも可能かも知れない.
Gubbioの旧市街は斜面に展開しているようだ.斜面を登る街路は基本的には階段状,それと直角の街路は緩やかな目抜き通りという組み合わせだ.斜面下の大型公共駐車場に車を泊めて,旧市街に向けて徒歩で上がっていく.
何よりも面白かったのは,斜面の遙か上の山頂にあるSant'Ubaldo教会へのアクセスリフトである.これは一度乗ってみる価値はある.鳥かごのようなリフトに最大二名で乗りこむのだ.乗車時に速度が落ちないので,乗り込むのはやや度強が必要だ.座席はなく立ったままで,かごの床からは地面が透けて見える.高所恐怖症の方は非常につらい時間を過ごすかも知れない.リフトからはGubbioの素晴らしい景色を眺めることが出来るが,雨が降ると一転悲惨な状況となるので覚悟が必要だ.
Gubbioも数時間あれば十分に堪能できる.ここからRomaまでは200kmくらいだったと思うので,少し無理をすれば日帰りも可能かも知れない.
2011年1月16日日曜日
坂だらけのUrbino
12/30は3泊したRiminiを朝出発,Romaに戻る途中にUrbinoに立ち寄ることにしていた.UrbinoはあのRaffaelloの生まれた街で有名だ.Marcheというマイナーな州にあり,San Marinoの少し南で相互に近い位置にある.ということは,鉄道では大変行きづらい立地である.事実上,車でないと難しい.
Riminiから高速道路,くねくねした幹線道路を経由して1時間くらいでUrbinoに到着できる.この街は,このあたりの多数の街と同様に,崖を利用した天然の要害に立地している.大規模駐車場は崖下で,そこからはエレベーターで旧市街まで上がっていく.我々はエレベーターの存在に気がつかず,近くの門から長い上り坂を歩いて,街の中心であるRepubblica広場にアクセス.
何をおいても,まず見るべきはDucale宮殿だ.広場からさらにちょっと登って宮殿に到着.ここは美術館を兼ねており,宮殿の多数の部屋を見ながら同時に展示品を見ることになる.きちんと見ると結構時間がかかるが,ここの見所である寄せ木細工の書斎と「ルネッサンスの理想都市」,いくつかのRaffaelloの作品にターゲットを絞ってそそくさと見学.
見学を終えて外に出ると,あいにくの雨だ.次に向かったのはRaffaelloの生家.これはその名の通り,Raffaello通りの前にある.行ってみるとこじんまりとした家で,入場料もその割に高いと感じられ,何より(お昼の)終了時刻に近かったので,見学は断念.ちなみに,この通りはものすごい急である.自分の足を使って即席で測ってみると,勾配は16.6%である.路面凍結時には,とんでもない光景が展開しているのかもしれない.
このRaffaello通りを登り切ってから左折して少し行くと,城址公園のような場所からUrbinoの街がきれいに眺望できるので是非行っておきたい.その後は再び坂を下って,見るべきフレスコ画があるらしい近接する二つの礼拝堂に向かうが,これらは残念ながら午前中のみ.駐車場に近かったので最初に行っておくべきであった.
これ以上は見所がないようなので,予定より早くUrbinoを後にすることにした.なお,街はさすがに有名なだけあって建築,街路ともに非常に美しい.ただし,坂だらけで,急なのに階段になっていない箇所が多いので,歩きにくい,滑りやすい靴は厳禁だ.
Riminiから高速道路,くねくねした幹線道路を経由して1時間くらいでUrbinoに到着できる.この街は,このあたりの多数の街と同様に,崖を利用した天然の要害に立地している.大規模駐車場は崖下で,そこからはエレベーターで旧市街まで上がっていく.我々はエレベーターの存在に気がつかず,近くの門から長い上り坂を歩いて,街の中心であるRepubblica広場にアクセス.
何をおいても,まず見るべきはDucale宮殿だ.広場からさらにちょっと登って宮殿に到着.ここは美術館を兼ねており,宮殿の多数の部屋を見ながら同時に展示品を見ることになる.きちんと見ると結構時間がかかるが,ここの見所である寄せ木細工の書斎と「ルネッサンスの理想都市」,いくつかのRaffaelloの作品にターゲットを絞ってそそくさと見学.
見学を終えて外に出ると,あいにくの雨だ.次に向かったのはRaffaelloの生家.これはその名の通り,Raffaello通りの前にある.行ってみるとこじんまりとした家で,入場料もその割に高いと感じられ,何より(お昼の)終了時刻に近かったので,見学は断念.ちなみに,この通りはものすごい急である.自分の足を使って即席で測ってみると,勾配は16.6%である.路面凍結時には,とんでもない光景が展開しているのかもしれない.
このRaffaello通りを登り切ってから左折して少し行くと,城址公園のような場所からUrbinoの街がきれいに眺望できるので是非行っておきたい.その後は再び坂を下って,見るべきフレスコ画があるらしい近接する二つの礼拝堂に向かうが,これらは残念ながら午前中のみ.駐車場に近かったので最初に行っておくべきであった.
これ以上は見所がないようなので,予定より早くUrbinoを後にすることにした.なお,街はさすがに有名なだけあって建築,街路ともに非常に美しい.ただし,坂だらけで,急なのに階段になっていない箇所が多いので,歩きにくい,滑りやすい靴は厳禁だ.
ちょっと気になるルビコン川
RiminiからRavennaへの移動の途中に,今回の滞在で可能であれば見ておきたい所があった.それは,ユリウス・カエサルが「賽は投げられた!」と叫んで超えたあのルビコン川だ.古代ローマの歴史の本をたくさんを読んできた私にとっては,聖地の一つのようなものだ.
ローマといえば塩野女史,彼女の「ローマ人の物語」のシリーズのガイドブックに,ルビコン川のちょっとした紹介があったが,決して大河ではなく単なるドブ川のようなので,ちらっと見るだけでいいやと判断.
RiminiからRavennaまで,今回は国道のSS16号を行くことにした.高速道路経由では遠回りだし,イタリアの都市間は普通の国道も高速道路のようなものだから.SS16号のRiminiから15kmくらい行ったところに,それはある.
ルビコン川,現在はRubicone川という.本当に高速道路のようなSS16号の,Rubicone川を超えた直後のランプで降り,併走する一般道路でRubicone川にかかる橋のたもとに到着.確かに現在はドブ川で,幅は10mくらいだ.河口に近い区間でこれなので,上流は小川のようなものだろう.
きれいな川であれば,馬に乗って「賽は投げられた!」といってローマ方向に突撃を開始するようなちょっとしたロールプレイングをさせてくれても良さそうなものだが,この汚さではお断りだ.世界史の分岐点になった所であるし,きちんと保全してちょっとした観光地として整備することは出来ないものだろうか?
ローマといえば塩野女史,彼女の「ローマ人の物語」のシリーズのガイドブックに,ルビコン川のちょっとした紹介があったが,決して大河ではなく単なるドブ川のようなので,ちらっと見るだけでいいやと判断.
RiminiからRavennaまで,今回は国道のSS16号を行くことにした.高速道路経由では遠回りだし,イタリアの都市間は普通の国道も高速道路のようなものだから.SS16号のRiminiから15kmくらい行ったところに,それはある.
ルビコン川,現在はRubicone川という.本当に高速道路のようなSS16号の,Rubicone川を超えた直後のランプで降り,併走する一般道路でRubicone川にかかる橋のたもとに到着.確かに現在はドブ川で,幅は10mくらいだ.河口に近い区間でこれなので,上流は小川のようなものだろう.
きれいな川であれば,馬に乗って「賽は投げられた!」といってローマ方向に突撃を開始するようなちょっとしたロールプレイングをさせてくれても良さそうなものだが,この汚さではお断りだ.世界史の分岐点になった所であるし,きちんと保全してちょっとした観光地として整備することは出来ないものだろうか?
2011年1月15日土曜日
モザイクツアーが堪能できるRavenna
San Marinoの翌日はRavennaへ向かう.拠点としたRiminiからは車で1時間もあれば到着できる.Ravennaは西ローマ帝国崩壊後に現イスタンブールを拠点としていた東ローマ(ビザンチン)帝国のイタリアの拠点だった.そのお陰で,キリスト教は背景としたビザンチン文化が花開いた街だ.
Duomo側の大型駐車場に車を泊め,早速主要観光施設を巡る.Duomoを見た後に,その横にあるNeonianoの洗礼堂に入る.見所は天井と壁面に展開する紺を基調とする壮大なモザイク画である.これらは色ガラスを丹念にはめ込んで出来ており,至近距離ではなく遠くから見ると本当に美しい.
次に向かったのはやはりDuomoに隣接するMuseo Arcivescovile,大司教の博物館だ.ある部屋の天井に立派なモザイク画が展開する.これも確か紺色基調だったかな? 残念ながら写真撮影は禁止だった.その他は,通常のよくある古代の出土品や中世以降の美術品を展示した博物館だ.
次に向かったのはSan Vitale教会とその敷地内にあるGalla Placidia廟だ.Duomo地区からは歩いて10分くらいだ.教会は後陣のモザイク(緑基調),廟は天井・壁面に展開するモザイク(紺基調)である.
ここまででも十分にお腹いっぱいだが,まだまだモザイクがある.次の目的地へは目抜き通りを通過する.その途中で惣菜屋でRavenna名物のPadina(分厚いピザ生地のサンドイッチといえばいいか?)をテイクアウトして食べ,お腹も満たされる.
次の目的地はSant'Apollinare Nuova教会だ.これはSan Vitale教会から15分くらい歩くだろうか.ここは黄緑色のモザイク.とにかく,Ravennaはモザイクづくしである.そんな人がいるとすればマニアにはたまらない街だ.
もう一つ見事なモザイクがある教会があるのだが,車でないと難しいだろう.我々が車なのでもちろんそこに向かう.隣町ClasseにあるSant'Apollinare in Classe教会である.結論から言うと,ここのモザイク画一番素晴らしかった.これまで来て見たものとは格段に鮮やかさが違う.最後に良いものを見た.
ここまでで5時間くらいだっただろうか.一日あれば十分堪能できる街である.
Duomo側の大型駐車場に車を泊め,早速主要観光施設を巡る.Duomoを見た後に,その横にあるNeonianoの洗礼堂に入る.見所は天井と壁面に展開する紺を基調とする壮大なモザイク画である.これらは色ガラスを丹念にはめ込んで出来ており,至近距離ではなく遠くから見ると本当に美しい.
次に向かったのはやはりDuomoに隣接するMuseo Arcivescovile,大司教の博物館だ.ある部屋の天井に立派なモザイク画が展開する.これも確か紺色基調だったかな? 残念ながら写真撮影は禁止だった.その他は,通常のよくある古代の出土品や中世以降の美術品を展示した博物館だ.
次に向かったのはSan Vitale教会とその敷地内にあるGalla Placidia廟だ.Duomo地区からは歩いて10分くらいだ.教会は後陣のモザイク(緑基調),廟は天井・壁面に展開するモザイク(紺基調)である.
ここまででも十分にお腹いっぱいだが,まだまだモザイクがある.次の目的地へは目抜き通りを通過する.その途中で惣菜屋でRavenna名物のPadina(分厚いピザ生地のサンドイッチといえばいいか?)をテイクアウトして食べ,お腹も満たされる.
次の目的地はSant'Apollinare Nuova教会だ.これはSan Vitale教会から15分くらい歩くだろうか.ここは黄緑色のモザイク.とにかく,Ravennaはモザイクづくしである.そんな人がいるとすればマニアにはたまらない街だ.
もう一つ見事なモザイクがある教会があるのだが,車でないと難しいだろう.我々が車なのでもちろんそこに向かう.隣町ClasseにあるSant'Apollinare in Classe教会である.結論から言うと,ここのモザイク画一番素晴らしかった.これまで来て見たものとは格段に鮮やかさが違う.最後に良いものを見た.
ここまでで5時間くらいだっただろうか.一日あれば十分堪能できる街である.
2011年1月12日水曜日
雪化粧のSan Marino(2)
政庁前のLiberta広場から次に向かったのはRoccheと言われる塔を含んだ要塞空間だ.最初は第一の要塞であるGuaitaだ.ここまではきつくはないが緩やかでもない坂道を登って行かなければならない.その途中には商店も多く,やや賑わっている.Guaitaと第二の要塞であるCestaが両方入場できる割引共通券が購入できたのだが,間違ってGuaitaのみの入場券を買ってしまう.この時は6歳の次男ののみ無料.
ここからの眺めは最高だ.晴れてはいたが,残念ながら霞んでいたので,アドリア海を見ることが出来なかった.それでも十分絶景である.塔は恐がりの子供や女性は頂上まで行くのに恐怖を覚える箇所があるので要注意.
次にCestaに向かう.その間の道はちょっとしたアスレチックのようだ.階段を下った後は長いそれなりに急な上り坂が続く.Cestaの入場時,今度は大人のみの徴収である.この担当者によって判断が変わるところがイタリア的だ.Cestaは中世の軍事博物館を兼ねていて,これもそれなりの見所だ.ここからはGuaitaと第三の要塞であるMontaleが見え,またまた絶景だ.崖下に引きずり込まれそうな錯覚に陥る.
Montaleへのアクセスは大変そうだったので,ここであきらめて再び政庁広場方面に戻り,大聖堂を見学.ここは撮影禁止だったので記憶だが,白い内装を基調とした,なかなか立派な施設であったと記憶している.程なく夕暮れ時.中世の街並みは,その暗さで一層引き立っていたような不思議な感覚があった.
滞在は3時間余りだったが,これで十分楽しめる規模である.こちらでつかっているMichelinの緑本ガイドでは,これだけの眺望を持ちながらSan Marinoは一つ星であったが,実は長時間楽しむほどの規模ではないからなのかもしれない.
ここからの眺めは最高だ.晴れてはいたが,残念ながら霞んでいたので,アドリア海を見ることが出来なかった.それでも十分絶景である.塔は恐がりの子供や女性は頂上まで行くのに恐怖を覚える箇所があるので要注意.
次にCestaに向かう.その間の道はちょっとしたアスレチックのようだ.階段を下った後は長いそれなりに急な上り坂が続く.Cestaの入場時,今度は大人のみの徴収である.この担当者によって判断が変わるところがイタリア的だ.Cestaは中世の軍事博物館を兼ねていて,これもそれなりの見所だ.ここからはGuaitaと第三の要塞であるMontaleが見え,またまた絶景だ.崖下に引きずり込まれそうな錯覚に陥る.
Montaleへのアクセスは大変そうだったので,ここであきらめて再び政庁広場方面に戻り,大聖堂を見学.ここは撮影禁止だったので記憶だが,白い内装を基調とした,なかなか立派な施設であったと記憶している.程なく夕暮れ時.中世の街並みは,その暗さで一層引き立っていたような不思議な感覚があった.
滞在は3時間余りだったが,これで十分楽しめる規模である.こちらでつかっているMichelinの緑本ガイドでは,これだけの眺望を持ちながらSan Marinoは一つ星であったが,実は長時間楽しむほどの規模ではないからなのかもしれない.
雪化粧のSan Marino(1)
翌28日は,朝からSan Marinoに向かうことに決めていた.Riminiからは30kmくらいで,車で40分もあれば到着する距離である.標高が700mくらいとやや高いので,天候が心配である.天気予報によれば28日は晴,確かに朝から晴れていたので,勇んでSan Marinoに向かうことにした.
Riminiからのアクセス道路は混雑もなく,順調に国境越え.もちろんゲートも何もないが,走っている車の大多数がSan Marino共和国のナンバーになる.麓の税関地区からくねくねした上り坂になる.これを5kmくらい進むとケーブルカーの駅に到着する.ケーブルカーに乗らなくても車で旧市街に登ることが出来たようだったが,路面凍結が怖いのでここからケーブルカーに乗ることにする.
駐車してケーブルカーの駅に向かう.しかしケーブルカーが動いている気配がないし,駅員も乗客もいない.不審に思い掲示を見てみると,「12/25~31は午後しか動いてない」と書いてある.San Marinoもイタリア流か,と溜息をつくが,仕方ないので一度ホテルに戻り出直すことにする.
午後2時半のケーブルカー始発に間に合うように,再度ケーブルカー駅に到着.しかし,何とケーブルカーは既に動いている.掲示を再びよく見ると,私のイタリア語の勘違いで,午後しか動かないのは25日と31日であった.せっかくのSan Marinoで時間を無駄にしてしまった.
気を持ち直してケーブルカーに乗車.これは素晴らしい景色が眺められるので,是非乗車を薦めたい.程なく旧市街側の駅に到着.そこから先は,一気に中世の香りがする街である.雪が残っているので,幻想的な雰囲気が楽しめそうだ.
最初に向かったのは政庁Palazzo Pubblico前のLiberta広場.全然人がいないと思ったのだが,想像以上に人が多い.それでも大変静かである.掘立小屋がたくさんあったので,Nataleまではマーケットが出ていて,少しは賑わっていたのだろう.この広場からの眺めはいきなり感動するが,それはちょっとした序章だ.
Riminiからのアクセス道路は混雑もなく,順調に国境越え.もちろんゲートも何もないが,走っている車の大多数がSan Marino共和国のナンバーになる.麓の税関地区からくねくねした上り坂になる.これを5kmくらい進むとケーブルカーの駅に到着する.ケーブルカーに乗らなくても車で旧市街に登ることが出来たようだったが,路面凍結が怖いのでここからケーブルカーに乗ることにする.
駐車してケーブルカーの駅に向かう.しかしケーブルカーが動いている気配がないし,駅員も乗客もいない.不審に思い掲示を見てみると,「12/25~31は午後しか動いてない」と書いてある.San Marinoもイタリア流か,と溜息をつくが,仕方ないので一度ホテルに戻り出直すことにする.
午後2時半のケーブルカー始発に間に合うように,再度ケーブルカー駅に到着.しかし,何とケーブルカーは既に動いている.掲示を再びよく見ると,私のイタリア語の勘違いで,午後しか動かないのは25日と31日であった.せっかくのSan Marinoで時間を無駄にしてしまった.
気を持ち直してケーブルカーに乗車.これは素晴らしい景色が眺められるので,是非乗車を薦めたい.程なく旧市街側の駅に到着.そこから先は,一気に中世の香りがする街である.雪が残っているので,幻想的な雰囲気が楽しめそうだ.
最初に向かったのは政庁Palazzo Pubblico前のLiberta広場.全然人がいないと思ったのだが,想像以上に人が多い.それでも大変静かである.掘立小屋がたくさんあったので,Nataleまではマーケットが出ていて,少しは賑わっていたのだろう.この広場からの眺めはいきなり感動するが,それはちょっとした序章だ.
冬にRiminiに行ってみた
ようやく年末年始の旅行記を開始.先日書いた滞在許可証の審査を12/27の朝に済ませて,その足で車でRiminiに向かう.距離はL'Aquilaを経由してアドリア海に出てから北上,約400kmだ.
Riminiは夏のリゾート地として大変有名だ.何故冬に行ったのかというと,その近くのSan MarinoやRavennaに行きたかったからだ.夏の間は高額のリゾートホテルも冬ならば安いだろうという判断もあった.果たして,四つ星ホテルが家族四人で一泊何と90ユーロ未満.ホテルに室内プールが付いていて,朝食込みでこの値段である.大変ラッキー.
次の問題は,果たしてリストランテがオープンしているかどうかだが,結果から言うとこちらも問題なし.シーフードがリーズナブルな価格で食べられる.どこのレストランに行っても,メニューにロシア語が併記してあって,しかも店員が客とロシア語らしき言葉を話しているのを聞くと,冬でも極寒の地ロシアからの安定したリゾート需要があるのかもしれない.だが,Riminiの冬はそんなに暖かい訳ではなく,Romaよりは確実に寒そうだ.
Riminiの中心部は,かつての城壁に囲まれた,車両の乗り入れが極度に制限されている旧市街であるはっきり言えばイタリアによくある都市である.見に行ったのは27日夜であったが,まだクリスマスであるNataleの余韻を引きずっていて,街路に華やかなライトアップが施されていた.かつての皇帝アウグストゥスとティベリウスが建設したというPonte di Tiberioという石橋は,その当時のものがそのまま残されているのかは分からなかったが,なかなか美しい橋だった.残念なのは,歩道が狭いのに車の交通量がものすごいことか.ぼやぼや写真を撮っているときっと車に轢かれてしまう.
Riminiは夏のリゾート地として大変有名だ.何故冬に行ったのかというと,その近くのSan MarinoやRavennaに行きたかったからだ.夏の間は高額のリゾートホテルも冬ならば安いだろうという判断もあった.果たして,四つ星ホテルが家族四人で一泊何と90ユーロ未満.ホテルに室内プールが付いていて,朝食込みでこの値段である.大変ラッキー.
次の問題は,果たしてリストランテがオープンしているかどうかだが,結果から言うとこちらも問題なし.シーフードがリーズナブルな価格で食べられる.どこのレストランに行っても,メニューにロシア語が併記してあって,しかも店員が客とロシア語らしき言葉を話しているのを聞くと,冬でも極寒の地ロシアからの安定したリゾート需要があるのかもしれない.だが,Riminiの冬はそんなに暖かい訳ではなく,Romaよりは確実に寒そうだ.
Riminiの中心部は,かつての城壁に囲まれた,車両の乗り入れが極度に制限されている旧市街であるはっきり言えばイタリアによくある都市である.見に行ったのは27日夜であったが,まだクリスマスであるNataleの余韻を引きずっていて,街路に華やかなライトアップが施されていた.かつての皇帝アウグストゥスとティベリウスが建設したというPonte di Tiberioという石橋は,その当時のものがそのまま残されているのかは分からなかったが,なかなか美しい橋だった.残念なのは,歩道が狭いのに車の交通量がものすごいことか.ぼやぼや写真を撮っているときっと車に轢かれてしまう.
2011年1月10日月曜日
冬のバーゲン:アウトレット編
イタリアの新年と言えばバーゲン(イタリアではSaldiと言う)である.これは市ごとに初日と終日が決められている.2011年のローマは1/6の祝日が初日であった.
せっかくイタリアにいるので,多少はイタリアの高級品を手に入れて帰りたいのが人情だ.夏のバーゲンは暑いのとどうせ安い夏物衣類なので,個人的には余り興味がないのだが,冬は高い冬物衣類が安く買えるので興味ありありである.
1/7まで旅行に出かけていたので,1/8に早速バーゲン商戦に参戦することにした.バーゲン開始後最初の土曜日なので,恐らくどこも混んでいるだろう.ここで勝負を掛けないと,目を付けていた商品が売れてしまうかも知れない.
朝一番の客がどんなに遅くても夕方までには帰るだろうことを期待して,その頃にアウトレットに到着するように出かけることにした.最近,イタリアでも大都市周辺もアウトレットがものすごく増えているようだ.ローマ近郊では,北に50kmくらいのSoratte,南に30kmくらいのCastel Romano,東に40kmくらいのValmontoneが大きなものだ.私が狙っているブランドはValmontoneにしかないので,そこに向かうことにした.
Valmontoneのアウトレットは高速出口から5kmくらい走ったところにある.そのためか,高速出口渋滞は発生していなかった.ここには平日に数回来たことがあるのだが,いつも閑古鳥が鳴いていた.「そんなに混んでないのかな?」と思ったが,やはりそれは間違い.
アウトレットに近づくとやはり車列が出来ている.日本と違うのは,施設手前の道路に勝手に路駐して,徒歩で現場に向かう人が多いことだ.案の定,正規駐車場の入り口付近に来ると,駐車スペースは満杯,ハゲタカのように出庫を待つ多数の車,誘導しているが全く機能していない警備員,である.瞬間的に入り口をパスして,前面道路を少し行くと路駐できるスペースをいくつか発見することができ,躊躇なくそこに車を滑り込ませる.施設入口までは歩いて2分,超ラッキーだ.
早速中に入る.店舗によっては入場制限を掛けていたが,夕方だったせいもあるかもしれないが,芋を洗うような混雑とはほど遠く,快適にショッピングが楽しめそうで,一安心だ.結局,1時間強の滞在で目的を達成し,帰りもちょっとした渋滞だけで早々にローマに帰還.終わってみればもう少し混乱(特に交通の)を見たかった気もするが...
せっかくイタリアにいるので,多少はイタリアの高級品を手に入れて帰りたいのが人情だ.夏のバーゲンは暑いのとどうせ安い夏物衣類なので,個人的には余り興味がないのだが,冬は高い冬物衣類が安く買えるので興味ありありである.
1/7まで旅行に出かけていたので,1/8に早速バーゲン商戦に参戦することにした.バーゲン開始後最初の土曜日なので,恐らくどこも混んでいるだろう.ここで勝負を掛けないと,目を付けていた商品が売れてしまうかも知れない.
朝一番の客がどんなに遅くても夕方までには帰るだろうことを期待して,その頃にアウトレットに到着するように出かけることにした.最近,イタリアでも大都市周辺もアウトレットがものすごく増えているようだ.ローマ近郊では,北に50kmくらいのSoratte,南に30kmくらいのCastel Romano,東に40kmくらいのValmontoneが大きなものだ.私が狙っているブランドはValmontoneにしかないので,そこに向かうことにした.
Valmontoneのアウトレットは高速出口から5kmくらい走ったところにある.そのためか,高速出口渋滞は発生していなかった.ここには平日に数回来たことがあるのだが,いつも閑古鳥が鳴いていた.「そんなに混んでないのかな?」と思ったが,やはりそれは間違い.
アウトレットに近づくとやはり車列が出来ている.日本と違うのは,施設手前の道路に勝手に路駐して,徒歩で現場に向かう人が多いことだ.案の定,正規駐車場の入り口付近に来ると,駐車スペースは満杯,ハゲタカのように出庫を待つ多数の車,誘導しているが全く機能していない警備員,である.瞬間的に入り口をパスして,前面道路を少し行くと路駐できるスペースをいくつか発見することができ,躊躇なくそこに車を滑り込ませる.施設入口までは歩いて2分,超ラッキーだ.
早速中に入る.店舗によっては入場制限を掛けていたが,夕方だったせいもあるかもしれないが,芋を洗うような混雑とはほど遠く,快適にショッピングが楽しめそうで,一安心だ.結局,1時間強の滞在で目的を達成し,帰りもちょっとした渋滞だけで早々にローマに帰還.終わってみればもう少し混乱(特に交通の)を見たかった気もするが...
驚きのセルフガソリンスタンド in Bologna
1月5日,この日は冬休み後半の旅行のほぼ中日で,3泊したMilanoから2泊するFirenzeに移動する日だった.その途中で,まだ足を運んでいなかったBolognaに立ち寄ることにした.この様子はそのうち書くことになると思う(旅行記もなかなかに時間がかかるもので...).
今回の話題は,Bologna観光を終えてFirenzeに移動する途中で起きたちょっとしたハプニングである.その時のガスの残量では高速道路の途中で給油しなければならない状況だった.BolognaとFirenzeの間は約100kmで,山間地を通り抜ける(東名高速の大井松田-御殿場間のような線形が80kmくらい続く)ので,サービスエリアも少ないし,燃料も高めである.これは絶対Bologna市内で給油しておくべきだろう.
ディーゼル(ちなみにイタリアでディーゼル何と"Gasolio"と表記してある)の表示価格をチェックしながら,これまでに見送ったスタンドよりも結構安かった所に立ち寄る.今にして思うと安い理由があったのかもしれない.
有人サービスの給油スタンド前で車を停止させる.すると店員がいて,「午後3時まで休みだから,セルフでやってくれ」と言われる.「こんな所まで昼休みがあるのか」と思いながら,仕方なくFai da te(英語でいうとDo it yourself)のスタンドに動かして,給油開始.セルフはスタンドによって入金・返金方法,入金が先か後かが全然統一されていないので,今回もややまごついていると,その店員が,「先にお金を入れるんだ」と教えてくれる.
満タンにすべく50ユーロ2枚を投入し(ちなみにイタリアではディーゼルがリッター1.3ユーロ,無鉛ガソリンで同1.4ユーロくらいだ),いざ給油開始.すると,満タンにならないうちに途中でそれ以上給油できなくなる.このようなトラブルはまず原因は不明だ.仕方ないので,給油ノズルをスタンドに戻す.
今度は返金方法が分からない.すると店員がやって来て,「あそこにレシートが出てるから,これをレジに持って行ってくれ」と教えてくれる.レジのある小屋を見ると閉まっている.何と「午後3時にならないと開かないよ」と言うではないか.時計を見ると午後2時40分だ.数ユーロくらいなら捨ててしまうところだが,70ユーロ近いお釣りなので,是が非でも受け取らなければならない.
結局,予定よりも10分早く店を開けてくれたので10分のロスで済んだ.しかし,これが昼休みに入った直後くらいの時間の出来事だったら,2時間は待つことになるところだった.イタリアのセルフスタンド,ここもやはり一筋縄ではいかない.
今回の話題は,Bologna観光を終えてFirenzeに移動する途中で起きたちょっとしたハプニングである.その時のガスの残量では高速道路の途中で給油しなければならない状況だった.BolognaとFirenzeの間は約100kmで,山間地を通り抜ける(東名高速の大井松田-御殿場間のような線形が80kmくらい続く)ので,サービスエリアも少ないし,燃料も高めである.これは絶対Bologna市内で給油しておくべきだろう.
ディーゼル(ちなみにイタリアでディーゼル何と"Gasolio"と表記してある)の表示価格をチェックしながら,これまでに見送ったスタンドよりも結構安かった所に立ち寄る.今にして思うと安い理由があったのかもしれない.
有人サービスの給油スタンド前で車を停止させる.すると店員がいて,「午後3時まで休みだから,セルフでやってくれ」と言われる.「こんな所まで昼休みがあるのか」と思いながら,仕方なくFai da te(英語でいうとDo it yourself)のスタンドに動かして,給油開始.セルフはスタンドによって入金・返金方法,入金が先か後かが全然統一されていないので,今回もややまごついていると,その店員が,「先にお金を入れるんだ」と教えてくれる.
満タンにすべく50ユーロ2枚を投入し(ちなみにイタリアではディーゼルがリッター1.3ユーロ,無鉛ガソリンで同1.4ユーロくらいだ),いざ給油開始.すると,満タンにならないうちに途中でそれ以上給油できなくなる.このようなトラブルはまず原因は不明だ.仕方ないので,給油ノズルをスタンドに戻す.
今度は返金方法が分からない.すると店員がやって来て,「あそこにレシートが出てるから,これをレジに持って行ってくれ」と教えてくれる.レジのある小屋を見ると閉まっている.何と「午後3時にならないと開かないよ」と言うではないか.時計を見ると午後2時40分だ.数ユーロくらいなら捨ててしまうところだが,70ユーロ近いお釣りなので,是が非でも受け取らなければならない.
結局,予定よりも10分早く店を開けてくれたので10分のロスで済んだ.しかし,これが昼休みに入った直後くらいの時間の出来事だったら,2時間は待つことになるところだった.イタリアのセルフスタンド,ここもやはり一筋縄ではいかない.
2011年1月8日土曜日
またまたボイラー故障
12月30日,前半の冬休み旅行から帰ってきた.二度の不調から復活したボイラーが三度目のダウン.4日間空けていた我が家は暖房も付かず底冷え,シャワーも入れない.
いままでと違うのは,ボイラー下の床が水浸しであることだ.こちらのボイラーは,水圧をかけないとガスに着火せずお湯が沸かないので,水圧を一定以上に保つことがお湯を使う要諦なのであるが,水漏れで水圧がうまくかからないのだ.前回,水圧が低下したら回すようにと教えられたつまみもなぜか回らない.恐らく水が凍っていたのかもしれない.
翌日の大晦日,無理を言ってテクニコに来てもらう.「今日は応急処置だけ.抜本修理は年明けに」ということなった.それにしても彼がつまみを回すと,いとも簡単に回るのだ.水漏れは続いていたが,水圧は元通りに戻った.再び,「水圧が低下してきたら,つまみを回して水圧を上げるように」という指導を受ける.
昨日,今度は5日も家を空けたので,水漏れで水圧がものすごく下がっていた.床は相変わらずビショビショだ.それでも今度は自力でつまみを回すことが出来,無事水圧が復活,事なきを得た.
それにしても,この事態でも大家は機器の更新を全く考えていないようだ.週明けに抜本修理をしてくれるらしいのだが,どうなることやら.まだまだ安心できない冬である.
いままでと違うのは,ボイラー下の床が水浸しであることだ.こちらのボイラーは,水圧をかけないとガスに着火せずお湯が沸かないので,水圧を一定以上に保つことがお湯を使う要諦なのであるが,水漏れで水圧がうまくかからないのだ.前回,水圧が低下したら回すようにと教えられたつまみもなぜか回らない.恐らく水が凍っていたのかもしれない.
翌日の大晦日,無理を言ってテクニコに来てもらう.「今日は応急処置だけ.抜本修理は年明けに」ということなった.それにしても彼がつまみを回すと,いとも簡単に回るのだ.水漏れは続いていたが,水圧は元通りに戻った.再び,「水圧が低下してきたら,つまみを回して水圧を上げるように」という指導を受ける.
昨日,今度は5日も家を空けたので,水漏れで水圧がものすごく下がっていた.床は相変わらずビショビショだ.それでも今度は自力でつまみを回すことが出来,無事水圧が復活,事なきを得た.
それにしても,この事態でも大家は機器の更新を全く考えていないようだ.週明けに抜本修理をしてくれるらしいのだが,どうなることやら.まだまだ安心できない冬である.
ようやく同行家族の滞在許可証申請が受理される
新年最初の更新は,年末年始と旅行に出ていたのでもうすっかり過去の出来事になった,例の滞在許可証申請の話である.
12月27日の朝,ついに三度目の出頭である.一度目は郵便局から送ったはずの申請書類を紛失され,二度目は子供を連れて行かなかったので,それぞれ審査が行われなかった.自分自身の滞在許可証申請と併せて四度目.いつ行ってもあの異様な雰囲気にげんなりする.
今回は9時前に現場に到着.すると入口が閉ざされたままで,まだ審査が始まっていないみたいだ.そばにいる他の申請者達もいらつきを見せていて,係員が見える度に「いつ始まるの?」という感じの質問を投げかけている.
9時半くらいだったか,ようやく「小さい子供がいる人達はどうぞ」というアナウンス.今回は子供を同行しているので,このタイミングですんなり入場.私がくっついていっても何の呼び止めも無し,最初からラッキーだ.イタリアでは本当に子供の力は絶大である.
そこから15分くらい待っただろうか,我々の番が回ってきた.ここで年末最後に最大級のラッキーが訪れる.今回の審査員が前回と同じ人だったのだ.前回は,紆余曲折はあったが,「書類は完璧,後は子供を連れてくるだけで受理できる」という結果だったが,そのことも彼は覚えていた.「あの時のSignola(奥さん)か」という反応だった.
家内は指紋をきちんと採られたが,子供達は証明写真の登録だけだ.途中で私に対して,「あなたはどのカウンターで審査を受けた?」と聞いてきた.「うーん,たぶんあそこかあそこかな?」と答えたが,いずれも間違いで正解はさらにその隣だった.申請者の情報が端末間で共有されていないのかと思わず呆れる.
そんな小さいなハプニングもあったが,15分くらいで審査と情報入力が完了.「2ヶ月後に○○の警察署で発行される」ということらしい.しかし,私の時と違って携帯番号を聞かれていない.私の携帯に連絡が入るのか,いちいち警察署に行って発行されているのか確認しないといけないのか,不明である.9月下旬に受理された私の申請も,まだ滞在許可証を引き渡すというSMSでの連絡は今日現在いっさいない.
これでようやく合法滞在に近づいた.
12月27日の朝,ついに三度目の出頭である.一度目は郵便局から送ったはずの申請書類を紛失され,二度目は子供を連れて行かなかったので,それぞれ審査が行われなかった.自分自身の滞在許可証申請と併せて四度目.いつ行ってもあの異様な雰囲気にげんなりする.
今回は9時前に現場に到着.すると入口が閉ざされたままで,まだ審査が始まっていないみたいだ.そばにいる他の申請者達もいらつきを見せていて,係員が見える度に「いつ始まるの?」という感じの質問を投げかけている.
9時半くらいだったか,ようやく「小さい子供がいる人達はどうぞ」というアナウンス.今回は子供を同行しているので,このタイミングですんなり入場.私がくっついていっても何の呼び止めも無し,最初からラッキーだ.イタリアでは本当に子供の力は絶大である.
そこから15分くらい待っただろうか,我々の番が回ってきた.ここで年末最後に最大級のラッキーが訪れる.今回の審査員が前回と同じ人だったのだ.前回は,紆余曲折はあったが,「書類は完璧,後は子供を連れてくるだけで受理できる」という結果だったが,そのことも彼は覚えていた.「あの時のSignola(奥さん)か」という反応だった.
家内は指紋をきちんと採られたが,子供達は証明写真の登録だけだ.途中で私に対して,「あなたはどのカウンターで審査を受けた?」と聞いてきた.「うーん,たぶんあそこかあそこかな?」と答えたが,いずれも間違いで正解はさらにその隣だった.申請者の情報が端末間で共有されていないのかと思わず呆れる.
そんな小さいなハプニングもあったが,15分くらいで審査と情報入力が完了.「2ヶ月後に○○の警察署で発行される」ということらしい.しかし,私の時と違って携帯番号を聞かれていない.私の携帯に連絡が入るのか,いちいち警察署に行って発行されているのか確認しないといけないのか,不明である.9月下旬に受理された私の申請も,まだ滞在許可証を引き渡すというSMSでの連絡は今日現在いっさいない.
これでようやく合法滞在に近づいた.
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