ローマに来て3ヶ月半が経った.家族の滞在許可証申請は相変わらず暗礁に乗り上げたままだ.この件は,本当にタイムコンシューミングで,精神的にも疲弊してきた.今朝,大学スタッフの薦めで外国人の滞在許可申請手続を支援する?組織に行ってきた.「英語は通じるはずだ」と言われていたが,二人の女性の受付の片方は英語はできないらしい.もう片方の英語が多少出来る方は,相談中,私のようなケースの対応は非常にめんどうだという雰囲気が感じられて,不快になった.
途中,大学スタッフLの助けを借りようと思い,電話をかける.オフィスに電話して,Lに取り次いでもらうときに,「Lに換わってくれる?」とイタリア語で話してみる.最近,このくらいはしゃべれるようにはなったし,きちんと通じている.ただ,残念ながら相手が何を話しているかは依然としてほとんど理解できないが.イタリア語をちょっとは話したことで,女性の対応がやや柔和になった気がした.
多少はイタリア語が出来るようにならないと,精神的にしんどいと最近つくづく思うようになった.英語のできない日本人に外国人が英語を話してきる状況を見かけると,たいがいは「ごめんなさい.私分からないから..」という謝罪の色の強い態度になる.しかしこちらでは,「誰だ,あんた」という態度で接してくる.「イタリアにいるんだからイタリア語を話せ」と言わんばかりに...
秋までには,もう少し会話が出来るくらいにならないだろうかと思う毎日である.それにしても40才にして新しい言語を覚えるのは大変つらい.
さて,明後日から一週間,イタリア北部に旅行に出かけます.戻ってきてから再開します.
私,仕事の都合で1年間弱ローマに滞在することになりました.今までブログをやっている時間はまったくと言っていいほどなかったのですが,この際ローマで経験したことを記録として残しつつ,現地の最新情報を提供できればと考え,初めてブログに手を出してみました.
2010年7月28日水曜日
2010年7月27日火曜日
夏季限定の”多国籍”都市ローマ
イタリアはバカンスシーズンだ.そのせいなのかははっきりしないが,道路の渋滞も,出勤時のバスの混雑もここのところ減っていると感じる.ローマっ子は方々に出かけているのだろう.
逆に,街中ではいろいろな言語を耳にするようになった.ここのところ明らかに観光客が増えているように感じる.最近街中で,「このバスは○○に行くか?」とか「ここに車を駐車できるのか?」といった質問を英語で受けることが多くなった.多くのイタリア人が英語を話せない中,明らかにイタリア人に見えず,ローマで働いているような雰囲気を出している私に聞いてくるのだろう.答えてあげると一様にホッとした表情を見せる.ここのところ中国人観光客の多さに圧倒されていたが,我らが日本人も数多く目にするようになった.
最近気がついたのは,国籍に寄らず,ローマでは団体ツアーがまだまだ多いということだ.添乗員のフラッグの後を追って歩く姿は,それが東洋人だろうが西洋人だろうが,まるで親鳥の姿を必死に追うヒナ鳥のようだ.英語が通じず,案内やサインが充実していないローマでは,ガイド付きの団体ツアーもまだまだ価値はあるのかもしれない.
8月になると,Bar,個人経営のスーパー,リストランテあたりが長期の休暇に入るようなので,さらにローマっ子のシェアが低下するだろう.まさに夏季限定の多国籍都市だ.
逆に,街中ではいろいろな言語を耳にするようになった.ここのところ明らかに観光客が増えているように感じる.最近街中で,「このバスは○○に行くか?」とか「ここに車を駐車できるのか?」といった質問を英語で受けることが多くなった.多くのイタリア人が英語を話せない中,明らかにイタリア人に見えず,ローマで働いているような雰囲気を出している私に聞いてくるのだろう.答えてあげると一様にホッとした表情を見せる.ここのところ中国人観光客の多さに圧倒されていたが,我らが日本人も数多く目にするようになった.
最近気がついたのは,国籍に寄らず,ローマでは団体ツアーがまだまだ多いということだ.添乗員のフラッグの後を追って歩く姿は,それが東洋人だろうが西洋人だろうが,まるで親鳥の姿を必死に追うヒナ鳥のようだ.英語が通じず,案内やサインが充実していないローマでは,ガイド付きの団体ツアーもまだまだ価値はあるのかもしれない.
8月になると,Bar,個人経営のスーパー,リストランテあたりが長期の休暇に入るようなので,さらにローマっ子のシェアが低下するだろう.まさに夏季限定の多国籍都市だ.
2010年7月26日月曜日
渇水が心配?
もう随分とお目に掛かっていないものがある.それは「雨」だ.恐らく7月にはローマでは一度も降っていないのではないだろうか.一方,気温の方はというと,先々週の酷暑が嘘のように,さわやかな日々が続いている.明け方には20度以下に下がし,最高気温も30度をちょっと超える程度だ.湿度も全然ないし,毎日こうだとホントに過ごしやすい.
それにしても,渇水は起きないのかと思ってしまうくらいに雨が降らない.古代のローマ水道の一部は現在でも実際の水道として利用され,例えば市内の泉に水を供給しているらしいのだが,それらも雨が降らないからといって供給がストップするようなことはどうやらなさそうだ.昨日見たナボーナ広場の噴水,トレビの泉,スペイン階段前の噴水,ポポロ広場の噴水でも,そんなことはお構いなしに水が蕩々と流れていた.
ローマの年間降水量は700mm強で東京の半分だ.ローマを流れるテベレ川の上流に位置するペルージャでも年間900mm弱,水源地はイタリア半島の背骨であるアペニン山脈で,そこはもうちょっとは降るだろうが,アルプス山脈を水源とするポー川と違って,標高が低いから雪解け水が豊富に供給されるようには思えない.それでも,北部ほどではないが,イタリア中部にも自然湖が多いし,大地に水自体は多く存在するのかもしれない.
日頃から多少聞きかじっている河川工学の知識から考えて見る.テベレ川は標高1,200mから流れ出て400kmを下る.例えば標高2,600mから流れ出て320kmを下る利根川と比べると,遙かに流れが穏やかである.流域人口も利根川と比べて全然少ない.だから,ダム湖を作って水を貯めておく必要性は低いのだろう.地図を見てもテベレ川にダム湖はないようだ.
まあ簡単なデータを見ながら考えては見たが,今日はここまで.ローマに供給されている水は一体どこから来ているのかが,非常に気になってきた.機会を見て調べてみたい.
それにしても,渇水は起きないのかと思ってしまうくらいに雨が降らない.古代のローマ水道の一部は現在でも実際の水道として利用され,例えば市内の泉に水を供給しているらしいのだが,それらも雨が降らないからといって供給がストップするようなことはどうやらなさそうだ.昨日見たナボーナ広場の噴水,トレビの泉,スペイン階段前の噴水,ポポロ広場の噴水でも,そんなことはお構いなしに水が蕩々と流れていた.
ローマの年間降水量は700mm強で東京の半分だ.ローマを流れるテベレ川の上流に位置するペルージャでも年間900mm弱,水源地はイタリア半島の背骨であるアペニン山脈で,そこはもうちょっとは降るだろうが,アルプス山脈を水源とするポー川と違って,標高が低いから雪解け水が豊富に供給されるようには思えない.それでも,北部ほどではないが,イタリア中部にも自然湖が多いし,大地に水自体は多く存在するのかもしれない.
日頃から多少聞きかじっている河川工学の知識から考えて見る.テベレ川は標高1,200mから流れ出て400kmを下る.例えば標高2,600mから流れ出て320kmを下る利根川と比べると,遙かに流れが穏やかである.流域人口も利根川と比べて全然少ない.だから,ダム湖を作って水を貯めておく必要性は低いのだろう.地図を見てもテベレ川にダム湖はないようだ.
まあ簡単なデータを見ながら考えては見たが,今日はここまで.ローマに供給されている水は一体どこから来ているのかが,非常に気になってきた.機会を見て調べてみたい.
2010年7月23日金曜日
慣れるとサービス精神旺盛なローマ人?
以前にランチに困っているということを書いた.オフィスに出勤した時には,依然としてPaninoを食べている.こんなランチを始めて既に3ヶ月半が経つ.しかし,不思議なもので,サンドの具を適当に回していけばそんなに飽きることがないと気づき始めている.
オフィスの近くにある3件のBarのうち,1件は既に選択肢から外した.後の2件はどちらかを選ぶことをせずに両立させるつもりだ.
不思議なもので,週に最低一回は顔を出すことが,Barの従業員に完全に認知されている.当初はニコリともしなかった女性従業員は,最近は顔を見かけるとニコニコしてくれる.何を頼むかも分かっている.たまに「パスタはどう?」とか言われるようになったが,着席しないでテイクアウトして涼しいオフィスの部屋で食べるので,やはり食べやすいPaninoになってしまう.
もっと素晴らしいのは,いつのまにか4ユーロだったPaninoが3ユーロに,3.5ユーロだったFocacciaが2.5ユーロになっていた.でも値札は4ユーロと3.5ユーロのままだ.頻繁に来るので1ユーロまけてくれるようになったのだ.
このことは何もこの2件のBarだけでなく,よく行くお店でもしかり.さすがに割引まで期待できないが,イタリア語が話せなくても怪訝な顔をせず対応してくれる.とにかく慣れるまでが勝負のようだ.
オフィスの近くにある3件のBarのうち,1件は既に選択肢から外した.後の2件はどちらかを選ぶことをせずに両立させるつもりだ.
不思議なもので,週に最低一回は顔を出すことが,Barの従業員に完全に認知されている.当初はニコリともしなかった女性従業員は,最近は顔を見かけるとニコニコしてくれる.何を頼むかも分かっている.たまに「パスタはどう?」とか言われるようになったが,着席しないでテイクアウトして涼しいオフィスの部屋で食べるので,やはり食べやすいPaninoになってしまう.
もっと素晴らしいのは,いつのまにか4ユーロだったPaninoが3ユーロに,3.5ユーロだったFocacciaが2.5ユーロになっていた.でも値札は4ユーロと3.5ユーロのままだ.頻繁に来るので1ユーロまけてくれるようになったのだ.
このことは何もこの2件のBarだけでなく,よく行くお店でもしかり.さすがに割引まで期待できないが,イタリア語が話せなくても怪訝な顔をせず対応してくれる.とにかく慣れるまでが勝負のようだ.
2010年7月22日木曜日
やみつきになる湖水スイミング
この前の日曜日は再び泳ぎに出かけた.先週は連日気温が38度まで上がり,もうレジャーは冷房のよく効いたショッピングセンターでのショッピングかスイミングしか考えられない.
今回はローマからCivitavechia方面に30kmくらいのところにある海岸に向かう.ここは5月初めに一度来ている.その時に車を止めておくスペースがたくさんあったことを記憶していた.果たして来てみると,このスペースは結構ごった返していたが,期待通り駐車スペースをすぐ見つけることができた.一方,ビーチの方はパラソルが満開で,もう少しで場所を見つけられないくらいにごった返していた.仕方ないので水際線から少し遠いところに場所を確保して,いざ出陣.
ビーチに人が溢れていて,泳いでいる人が少ない.何か様子がおかしい.そう,この日は波が高かったのだ.子供にとっては泳ぐのはつらい状況だ.こちらの人は泳げなくても気にしない見たいで,割り切って体を焼いている.我々は体を焼くつもりはないので(大変目立つのだがラッシュガードを常時着用),5月の時のように近くのBracciano湖に向かうことした.
湖の南東部にあるAnguillaraに到着し,当てもなく駐車スペースを探すと,ラッキーにもビーチの真ん前に一台分のスペースを発見! しかも青線が引いてないので無料だ(青線で囲まれた部分は近くのベンダーで駐車チケットを買わなければならない).今度はビーチにスペースを見つける必要があるが,これも無理矢理確保して,いざ湖水に突入.ここも先週のBolsena湖と変わらないくらいきれいな水だった.
このくらい水がきれいで,気軽に泳げる場所があれば,プールに行く必要はない.本当にうらやましい環境だ.もう完全にやみつきになっている.
今回はローマからCivitavechia方面に30kmくらいのところにある海岸に向かう.ここは5月初めに一度来ている.その時に車を止めておくスペースがたくさんあったことを記憶していた.果たして来てみると,このスペースは結構ごった返していたが,期待通り駐車スペースをすぐ見つけることができた.一方,ビーチの方はパラソルが満開で,もう少しで場所を見つけられないくらいにごった返していた.仕方ないので水際線から少し遠いところに場所を確保して,いざ出陣.
ビーチに人が溢れていて,泳いでいる人が少ない.何か様子がおかしい.そう,この日は波が高かったのだ.子供にとっては泳ぐのはつらい状況だ.こちらの人は泳げなくても気にしない見たいで,割り切って体を焼いている.我々は体を焼くつもりはないので(大変目立つのだがラッシュガードを常時着用),5月の時のように近くのBracciano湖に向かうことした.
湖の南東部にあるAnguillaraに到着し,当てもなく駐車スペースを探すと,ラッキーにもビーチの真ん前に一台分のスペースを発見! しかも青線が引いてないので無料だ(青線で囲まれた部分は近くのベンダーで駐車チケットを買わなければならない).今度はビーチにスペースを見つける必要があるが,これも無理矢理確保して,いざ湖水に突入.ここも先週のBolsena湖と変わらないくらいきれいな水だった.
このくらい水がきれいで,気軽に泳げる場所があれば,プールに行く必要はない.本当にうらやましい環境だ.もう完全にやみつきになっている.
2010年7月21日水曜日
日本とヨーロッパの時差を考える
最近は暑さが原因で外でのアクティビティーが明らかに減っている.嬉々として行くのはスイミングだけになっている.こちらでの生活も完全に順応していて,新たな発見も大変少ない.そのため,ブログのネタ探しに困っている.何を書こうか,結構悩むようになってきた.悩むくらいなら止めればいいのにとも思うが,ここで止めてたまるかと思い,何とかひねり出したネタがこれだ.日本とヨーロッパの時差をヨーロッパから見るとどうなるのか?
物理的には夏時間のヨーロッパ中央部と日本の時差は7時間である.すなわち,こちらが午前9時頃に仕事を始めると,日本はもう午後4時になっている.朝にメールを開けると,日本からどかどかとメールが入っている.早いレスを心がけ,メールを送られるよりは先に送ってレスを待つことを信条としている我が身にとっては,なかなかストレスがある.処理して返信しても,下手をすると相手からのレスは翌日になる.
また,誰が夜型人間か大変よく分かる(笑).こちら時間で夜7時くらいに何度もメールを受信したりすると,「この人は寝てるんだろうか?」と若干心配になる.
最近業務でSkypeを愛用して,一部の人たちと連絡を取り合っているのだが,こちらの私の都合に併せてもらうと日本側に午後5時以降に対応してもらわなければならない.
最近,半年間車を持とうと考えていて(この顛末はそのうち書きます),日本の代理店を経由してこちらの自動車会社と申し込みや契約手続きを行っている.こちらから日本にメールを出して,これを日本からヨーロッパに出し,そのレスが日本に戻り,そこから私のところに戻るまでに大体二日くらい要するのだ.至急のお願い事項や確認事項がある時は,この所要時間はとてもつらい.ここ一週間くらいこんな経験をしたのが,このブログを書く着想となったようだ.
物理的には夏時間のヨーロッパ中央部と日本の時差は7時間である.すなわち,こちらが午前9時頃に仕事を始めると,日本はもう午後4時になっている.朝にメールを開けると,日本からどかどかとメールが入っている.早いレスを心がけ,メールを送られるよりは先に送ってレスを待つことを信条としている我が身にとっては,なかなかストレスがある.処理して返信しても,下手をすると相手からのレスは翌日になる.
また,誰が夜型人間か大変よく分かる(笑).こちら時間で夜7時くらいに何度もメールを受信したりすると,「この人は寝てるんだろうか?」と若干心配になる.
最近業務でSkypeを愛用して,一部の人たちと連絡を取り合っているのだが,こちらの私の都合に併せてもらうと日本側に午後5時以降に対応してもらわなければならない.
最近,半年間車を持とうと考えていて(この顛末はそのうち書きます),日本の代理店を経由してこちらの自動車会社と申し込みや契約手続きを行っている.こちらから日本にメールを出して,これを日本からヨーロッパに出し,そのレスが日本に戻り,そこから私のところに戻るまでに大体二日くらい要するのだ.至急のお願い事項や確認事項がある時は,この所要時間はとてもつらい.ここ一週間くらいこんな経験をしたのが,このブログを書く着想となったようだ.
2010年7月19日月曜日
日本人学校の体験学習
子供達の通う日本人学校は先週の金曜日に終業式で,この週末から夏休みに入っている.イタリアの小学校は6月中旬から夏休みに入っているので1ヶ月遅れだ.一学期最後の重要イベントとして,体験学習なるモノがあったようだ.日程は3日間,内容は学年によって異なっていて,小学部1~2年生は泊まりはなし(パターン1),小学部3~4年は1泊(パターン2),それ以上の学年は2泊である(パターン3).
パターン1では,初日は食材を近くで購入してきてサラダを作り,小学部3~4年が作るカレーと共に昼食会,二日目はフィールドアスレチック,三日目は農場見学とクッキー作り,といった内容.イタリアの自然を楽しく経験させることに終始した内容だと理解する.
パターン2では,初日はカレー作り,二日目はバスでちょっと離れた湖に行き,小学部5~中学部3年に合流してスイミング等の活動,夕方にチームに分かれて劇などの出し物をして,宿泊施設に宿泊.三日目は陶芸教室で陶芸という内容.小学校中学年にしては様々な要素が組み込まれていて,結構きつかったのではないだろうか.
パターン3では,我が子がいないのでよく分からないが,初日から宿泊し,二日目はパターン2と同じ活動,三日目はグループに分かれてランチの選択を含めた自由行動,といった内容だったらしい.
ローマに来たばかりの頃からうすうすと感じていたのだが,この日本人学校の学年を超えた縦割り活動の充実ぶりには大変感心する.また,教職員の力の入れ方にも同様に感心する.40人強の生徒数に対して教員が10名程度なのだから,指導の密度が大変濃い.これは大都会の小学校では決してまねできない.我が子達はいい経験をしてくれたと思っている.この体験学習以外にも,これまでに清掃工場の見学,Pizzeriaでのピザづくり,メルカート見学,イタリア語でジェラート購入,イタリア語で果物購入など,いわゆる総合学習科目の時間は,聞いていても楽しそうな活動で溢れている.
それにしても,子供達には夏休みにこれ以上の体験をさせないと,彼らの宿題の成果に支障が出そうだ.みんなイタリアらしくVacanzeに繰り出すようだ.我が家はどうするか...
パターン1では,初日は食材を近くで購入してきてサラダを作り,小学部3~4年が作るカレーと共に昼食会,二日目はフィールドアスレチック,三日目は農場見学とクッキー作り,といった内容.イタリアの自然を楽しく経験させることに終始した内容だと理解する.
パターン2では,初日はカレー作り,二日目はバスでちょっと離れた湖に行き,小学部5~中学部3年に合流してスイミング等の活動,夕方にチームに分かれて劇などの出し物をして,宿泊施設に宿泊.三日目は陶芸教室で陶芸という内容.小学校中学年にしては様々な要素が組み込まれていて,結構きつかったのではないだろうか.
パターン3では,我が子がいないのでよく分からないが,初日から宿泊し,二日目はパターン2と同じ活動,三日目はグループに分かれてランチの選択を含めた自由行動,といった内容だったらしい.
ローマに来たばかりの頃からうすうすと感じていたのだが,この日本人学校の学年を超えた縦割り活動の充実ぶりには大変感心する.また,教職員の力の入れ方にも同様に感心する.40人強の生徒数に対して教員が10名程度なのだから,指導の密度が大変濃い.これは大都会の小学校では決してまねできない.我が子達はいい経験をしてくれたと思っている.この体験学習以外にも,これまでに清掃工場の見学,Pizzeriaでのピザづくり,メルカート見学,イタリア語でジェラート購入,イタリア語で果物購入など,いわゆる総合学習科目の時間は,聞いていても楽しそうな活動で溢れている.
それにしても,子供達には夏休みにこれ以上の体験をさせないと,彼らの宿題の成果に支障が出そうだ.みんなイタリアらしくVacanzeに繰り出すようだ.我が家はどうするか...
2010年7月16日金曜日
ついに酷暑到来!
今週に入って,気温が一層上がってきた.午後のピークには毎日35度に達する.このブログを書いている現在はもうすぐ夜7時だというのに37度だ.午後3時には38度をマークした.明け方は20度近くまで下がっているので,一日に15度以上の温度変化がある.
我が家のリビングから見える大木は,みるみるうちにしおれてきた.日向を歩こうものなら,じりじりとした日光でやけどしそうだ.扇風機を回していても,暑い空気が吹き付けられるだけだ.ローマには,そこら中に水が流れっぱなしになっている給水スポットがあるが,ここで空になったペットボトルに水を入れる人を多く見かけるようになった.
バスには基本的に空調設備があるのだが,時々空調を入れていない.運転士の個人的好みなのかも知れないが,こっちはたまらない.走り込んで乗ったバスで空調が効いていないとこれは地獄だ.こんなところにも「ケースバイケース」が適用されてしまうのか.地下鉄では,B線は空調なしの古い車両が多く,夕方の混雑時には車内はとんでもない暑さになる.
ここのところ,短時間だが停電に遭遇することが増えてきた.やはりこの暑さで消費電力量がものすごいのだろう.夜なんかは,窓を全開にして寝るか,いっそのことベランダで寝れば,エアコンなんかいらないと思うのだが,防犯上厳禁だ(もっともこれは日本とて同じ).恐らく,昼夜問わず,室内が30度以上に保たれる世界である.これではエアコンはフル稼働だろう.何か工夫はないのだろうか?
ただ,湿気がないので,ものすごく汗をかくということはないのが救いだ.日陰を歩いていれば,そんなにつらくはない.それでも,あと数週間はこの状態が続くかと思うと,げんなりする.
我が家のリビングから見える大木は,みるみるうちにしおれてきた.日向を歩こうものなら,じりじりとした日光でやけどしそうだ.扇風機を回していても,暑い空気が吹き付けられるだけだ.ローマには,そこら中に水が流れっぱなしになっている給水スポットがあるが,ここで空になったペットボトルに水を入れる人を多く見かけるようになった.
バスには基本的に空調設備があるのだが,時々空調を入れていない.運転士の個人的好みなのかも知れないが,こっちはたまらない.走り込んで乗ったバスで空調が効いていないとこれは地獄だ.こんなところにも「ケースバイケース」が適用されてしまうのか.地下鉄では,B線は空調なしの古い車両が多く,夕方の混雑時には車内はとんでもない暑さになる.
ここのところ,短時間だが停電に遭遇することが増えてきた.やはりこの暑さで消費電力量がものすごいのだろう.夜なんかは,窓を全開にして寝るか,いっそのことベランダで寝れば,エアコンなんかいらないと思うのだが,防犯上厳禁だ(もっともこれは日本とて同じ).恐らく,昼夜問わず,室内が30度以上に保たれる世界である.これではエアコンはフル稼働だろう.何か工夫はないのだろうか?
ただ,湿気がないので,ものすごく汗をかくということはないのが救いだ.日陰を歩いていれば,そんなにつらくはない.それでも,あと数週間はこの状態が続くかと思うと,げんなりする.
2010年7月15日木曜日
美しいドゥオモ:Orvieto
Civita di Bagnoregioを出発して次に向かったのはOrvieto.人口数万人の小さな都市であるが,世界一美しい丘上都市として知る人ぞ知る存在だ.Civitaよりもだいぶ大きく,数km四方の切り立った丘の上に展開する.Civitaからアクセスすると,くねくねした道路の途中で,丘の上と街の側面図を視界に捉えることができる.
切り立った崖下の有料立体駐車場に車を止める.写真にあるように,駐車場からはエスカレーターで崖上まで登る.鉄道で来る場合でも,駅は崖下にありケーブルカーで崖上までアクセスしなければならないようだ.外界との接続性は悪いが,街が大きいからそこだけで生活できるので,Civitaと違ってこれが致命的ではないのだ.
Orvietoには数時間しか滞在できなかったので,そんなに街を見たわけではない.それでもドゥオモの外観には結構感動した.このようなドゥオモは今まで見たことがない.前面のファサードは,非常に色彩が豊かで,側面は一転して美しい白黒の縞模様だ.街の中心部からドゥオモにアクセスすると,最初に側面の縞模様が見え,前面の広場に入ると正面の美しいファサードが姿を現す.アクセス街路も含めて,一体的な感動がある.
街路には,色彩豊かな陶器を飾っている建物が目立つ.陶器が名産なのだろう.あとは白ワインOrvietoだ.一本購入して,ホテルでもらったEst! Est! Est!とともに冷蔵庫に眠っている.どちらかは今日あたりに飲むことになりそうだ.
最後にランチ代わりのジェラートをほおばって,Orvietoを出発した.ここは,是非また来てみたい.
切り立った崖下の有料立体駐車場に車を止める.写真にあるように,駐車場からはエスカレーターで崖上まで登る.鉄道で来る場合でも,駅は崖下にありケーブルカーで崖上までアクセスしなければならないようだ.外界との接続性は悪いが,街が大きいからそこだけで生活できるので,Civitaと違ってこれが致命的ではないのだ.
Orvietoには数時間しか滞在できなかったので,そんなに街を見たわけではない.それでもドゥオモの外観には結構感動した.このようなドゥオモは今まで見たことがない.前面のファサードは,非常に色彩が豊かで,側面は一転して美しい白黒の縞模様だ.街の中心部からドゥオモにアクセスすると,最初に側面の縞模様が見え,前面の広場に入ると正面の美しいファサードが姿を現す.アクセス街路も含めて,一体的な感動がある.
街路には,色彩豊かな陶器を飾っている建物が目立つ.陶器が名産なのだろう.あとは白ワインOrvietoだ.一本購入して,ホテルでもらったEst! Est! Est!とともに冷蔵庫に眠っている.どちらかは今日あたりに飲むことになりそうだ.
最後にランチ代わりのジェラートをほおばって,Orvietoを出発した.ここは,是非また来てみたい.
2010年7月14日水曜日
死に行く街:Civita di Bangoregio
翌日曜日,Bolsena湖の南岸の街Martaを出発して,その近くにあるCivita di Bagnoregioに向かう.どんな街か,まずは写真をご覧あれ.
凝灰岩という火山岩の地形が風雨で浸食されて出来たと思われる台状の地形の上に,その街はある.中部イタリアの多くの都市は,このような地形の上に成立してきた.不安定な中世には敵から街を守るために最適な立地であるが,敵がいない現代では街の出入りに大きな不利性を抱えることになる.
Civitaには隣町のBagnoregioから橋が架けられている.これはもちろん車両進入禁止だ.観光客は橋の手前の駐車場に車を泊めて歩いて渡らなければならない.パーキングチケットは近くのBarで購入(2時間1ユーロ).この橋はずっと昇りで,Civitaに近づくと勾配が大きくなる.距離は500mはないくらいだろうか.それでも街に入る前に一汗かける.
街は半径200mといったところだろうか.一見100件くらいは家がありそうだが,2~3のお土産屋さんとレストラン以外にはあまり人の気配はしない.何せ人口は20人程度とのこと.あまりの不便さにみんな出て行ってしまった.それで死に行く街と呼ばれているのだ.それでも,建物の周りには精一杯花が飾られてある.死に行く街と言われていることに抵抗するかのように...
観光には2時間もあれば十分すぎる大きさだ.車がないと行くのは難しいが,車があれば足を伸ばす価値はある.その際は,近くのOrvietoと組み合わせればよいと思う.なお,お土産屋では雲海から街全体が顔を出している写真とポスターが売られている.秋や冬に来れば,また違った景色が見られるのかもしれない.次回はOrvietoの様子.
凝灰岩という火山岩の地形が風雨で浸食されて出来たと思われる台状の地形の上に,その街はある.中部イタリアの多くの都市は,このような地形の上に成立してきた.不安定な中世には敵から街を守るために最適な立地であるが,敵がいない現代では街の出入りに大きな不利性を抱えることになる.
Civitaには隣町のBagnoregioから橋が架けられている.これはもちろん車両進入禁止だ.観光客は橋の手前の駐車場に車を泊めて歩いて渡らなければならない.パーキングチケットは近くのBarで購入(2時間1ユーロ).この橋はずっと昇りで,Civitaに近づくと勾配が大きくなる.距離は500mはないくらいだろうか.それでも街に入る前に一汗かける.
街は半径200mといったところだろうか.一見100件くらいは家がありそうだが,2~3のお土産屋さんとレストラン以外にはあまり人の気配はしない.何せ人口は20人程度とのこと.あまりの不便さにみんな出て行ってしまった.それで死に行く街と呼ばれているのだ.それでも,建物の周りには精一杯花が飾られてある.死に行く街と言われていることに抵抗するかのように...
観光には2時間もあれば十分すぎる大きさだ.車がないと行くのは難しいが,車があれば足を伸ばす価値はある.その際は,近くのOrvietoと組み合わせればよいと思う.なお,お土産屋では雲海から街全体が顔を出している写真とポスターが売られている.秋や冬に来れば,また違った景色が見られるのかもしれない.次回はOrvietoの様子.
2010年7月13日火曜日
ボルセーナ湖(Logo di Bolsena)
この前の週末に久しぶりにレンタカーを借りた.直前の金曜日に,ついでに泊まりがけでどこかに行こうと思いつく.ここのところの暑さで,無性に泳ぎたいと思っていたところだ.今度は海ではなくて湖にしてみようと考えつく.ホテル予約サイトの"booking.com"をよく使うのだが,そこでボルセーナ湖南岸のMartaという街で4人部屋115ユーロという物件を発見し,早速予約する.
このMarta,ローマから高速経由で2時間もあれば到着することができる.12時ごろそのホテル"Relais del Lago"に到着したが,無料でのアーリーチェックインが可能だったので,部屋で持参した昼食を食べ,水着に着替えていざ湖へ.
ホテルから数分のところにある湖に来てみると,数組の先客がいる程度でものすごく空いている.個人所有のボートが停泊する小さい港と湖畔の公園に挟まれた100m程度の湖岸から水に入ることが出来るようだ.湖畔公園は林になっているので,強い日差しを遮ってくれる.焼きたい人にはやや不満かもしれない.
このボルセーナ湖,ある情報によると,イタリアでもっとも透明度の高い湖なのだそうだ.火山湖のようで,溶岩質のごつごつした小石が堆積していて,水に入った直後は足の裏がとても痛いのだが,10メートルも進めば黒の砂浜に変化する.思ったより遠浅で,水も想像以上にきれいなので,スイミングにはお薦めである.すぐそばにカモが群れて泳いでいる.
我々は3時間くらい泳いでいたが,他のグループは,ちょっと泳ぎに来て,1時間程度で帰ってしまった.海でもそう思ったんだが,こちらの人たちは水辺に長時間滞在しないのだ.「気軽に何度も来る」スタイル.これもちょっと足を伸ばせば,海や湖がそこら中にあるからなのだろうか? 大変うらやましい.
夜は,ホテルに薦めてもらった湖畔のリストランテ"Da Gino al Miralago"で食事.もちろん主役はPesce di Lago(湖の魚)だ.湖の魚のトマトソースのパスタと,湖の魚のリゾットが美味.白ワインによく合う味だ.
翌朝,ホテルのチェックアウト時に,フロントからこのエリアで有名なワインEst! Est! Est!のボトルを一本プレゼントされた.ちょっと得した気分で次の目的地に向かう.
このMarta,ローマから高速経由で2時間もあれば到着することができる.12時ごろそのホテル"Relais del Lago"に到着したが,無料でのアーリーチェックインが可能だったので,部屋で持参した昼食を食べ,水着に着替えていざ湖へ.
ホテルから数分のところにある湖に来てみると,数組の先客がいる程度でものすごく空いている.個人所有のボートが停泊する小さい港と湖畔の公園に挟まれた100m程度の湖岸から水に入ることが出来るようだ.湖畔公園は林になっているので,強い日差しを遮ってくれる.焼きたい人にはやや不満かもしれない.
このボルセーナ湖,ある情報によると,イタリアでもっとも透明度の高い湖なのだそうだ.火山湖のようで,溶岩質のごつごつした小石が堆積していて,水に入った直後は足の裏がとても痛いのだが,10メートルも進めば黒の砂浜に変化する.思ったより遠浅で,水も想像以上にきれいなので,スイミングにはお薦めである.すぐそばにカモが群れて泳いでいる.
我々は3時間くらい泳いでいたが,他のグループは,ちょっと泳ぎに来て,1時間程度で帰ってしまった.海でもそう思ったんだが,こちらの人たちは水辺に長時間滞在しないのだ.「気軽に何度も来る」スタイル.これもちょっと足を伸ばせば,海や湖がそこら中にあるからなのだろうか? 大変うらやましい.
夜は,ホテルに薦めてもらった湖畔のリストランテ"Da Gino al Miralago"で食事.もちろん主役はPesce di Lago(湖の魚)だ.湖の魚のトマトソースのパスタと,湖の魚のリゾットが美味.白ワインによく合う味だ.
翌朝,ホテルのチェックアウト時に,フロントからこのエリアで有名なワインEst! Est! Est!のボトルを一本プレゼントされた.ちょっと得した気分で次の目的地に向かう.
2010年7月12日月曜日
公共交通の大規模ストを経験する
この土日に投稿をサボった(旅行してました)ので,今日はもう一つ,やはり交通関係で.
先週金曜日に,ローマで公共交通の大規模なストがあった.ATACのホームページで事前に公表されていた予定では,朝8時半から終日,地下鉄とトラムとバスの運行を停止するというものだ.夕方のピーク時間帯には一時的に運行を再開するらしい.それにしても,確か6月末にも半日くらいストをしていたような気がするが,「またやるのか!」という印象だ.
朝,いつものように子供達を学校に送ってから,Trastevere駅までバスで向かう.ここまでは問題なし.駅に着くと3番のバスは全部"DEPOSITO(回送)"になっている.やはり8時半を過ぎるとダメなのか.密かに期待していた8番のトラムは動いていないようだ.
そこで,FSでTermini駅に向かうことを試みる.9時ちょうどにTermini行きが来る.これはラッキーだ.「FSは動いているのか...」と思ったが,どうやら甘かった.次の駅のOstienseでは少し歩くが地下鉄B線に乗り換えることができる.地下鉄は動いていないと予想し,そのまま乗り続けるが一向に発車しない.10分後に発車し,次の駅Tuscolanaに到着.ここは少し歩いて地下鉄A線に接続.ここでも下車せずに列車内で待機.15分後に出発.予定よりも30分遅れでTermini駅に到着だ.ここからオフィスまでは20分の徒歩(下り坂)で辿り着く.
問題はこの後.この日は昼に会食の約束があったが,地下鉄(完全に入口を封鎖している状態)とバスが全然動いていないため,あえなく中止.タクシーもつかまるはずはなく,つかまったとしても街路は大渋滞だ.一度オフィスを出てしまったし,夕方はとんでもない混雑が想像されたから,そのまま帰宅することにした.
Termini駅まで歩き,再びFSにかける.掲示では30分遅れ程度で運行しているように見えた.ここからTrastevereを通るCivitavecchia行のローカル列車の発車を座席で待つ.もちろん予定時刻になっても発車しない.20分くらいして駅員が乗り込んできて,「この列車は運休だから外に出て」と言い出す始末だ.次のCivitavecchia行は別のホームに待機していたので,そちらに乗り換え,さらに待つこと50分,ようやく発車する.
Trastevereまでは順調に運行し,今度はバスが動いているかが勝負だ.案の定タクシーは全部出払っている.「徒歩で帰るか...」とあきらめかけていたときに,何とバスが駅広に入ってくるではないか! たぶん間引いて運行はしていたのだと思う.その後はトラブルなく無事自宅に到着.それでも,オフィスを出てから既に3時間近く経過していた.
それにしても,市民はストに対して非常に寛大で,あたかもそこら中にある「空気」のようにさえ感じているかもしれない.もしストに対して市民が猛烈に怒り,スト撲滅のための何らかの社会運動のようなものが起これば,関係者はストを回避するように努力するのだろうが,全く期待できないようだ.ストは正当な労働者の権利としてもちろん重要であることは認めるが,このような緊張感のなさでは,単なるお祭りに過ぎないのではないか?
先週金曜日に,ローマで公共交通の大規模なストがあった.ATACのホームページで事前に公表されていた予定では,朝8時半から終日,地下鉄とトラムとバスの運行を停止するというものだ.夕方のピーク時間帯には一時的に運行を再開するらしい.それにしても,確か6月末にも半日くらいストをしていたような気がするが,「またやるのか!」という印象だ.
朝,いつものように子供達を学校に送ってから,Trastevere駅までバスで向かう.ここまでは問題なし.駅に着くと3番のバスは全部"DEPOSITO(回送)"になっている.やはり8時半を過ぎるとダメなのか.密かに期待していた8番のトラムは動いていないようだ.
そこで,FSでTermini駅に向かうことを試みる.9時ちょうどにTermini行きが来る.これはラッキーだ.「FSは動いているのか...」と思ったが,どうやら甘かった.次の駅のOstienseでは少し歩くが地下鉄B線に乗り換えることができる.地下鉄は動いていないと予想し,そのまま乗り続けるが一向に発車しない.10分後に発車し,次の駅Tuscolanaに到着.ここは少し歩いて地下鉄A線に接続.ここでも下車せずに列車内で待機.15分後に出発.予定よりも30分遅れでTermini駅に到着だ.ここからオフィスまでは20分の徒歩(下り坂)で辿り着く.
問題はこの後.この日は昼に会食の約束があったが,地下鉄(完全に入口を封鎖している状態)とバスが全然動いていないため,あえなく中止.タクシーもつかまるはずはなく,つかまったとしても街路は大渋滞だ.一度オフィスを出てしまったし,夕方はとんでもない混雑が想像されたから,そのまま帰宅することにした.
Termini駅まで歩き,再びFSにかける.掲示では30分遅れ程度で運行しているように見えた.ここからTrastevereを通るCivitavecchia行のローカル列車の発車を座席で待つ.もちろん予定時刻になっても発車しない.20分くらいして駅員が乗り込んできて,「この列車は運休だから外に出て」と言い出す始末だ.次のCivitavecchia行は別のホームに待機していたので,そちらに乗り換え,さらに待つこと50分,ようやく発車する.
Trastevereまでは順調に運行し,今度はバスが動いているかが勝負だ.案の定タクシーは全部出払っている.「徒歩で帰るか...」とあきらめかけていたときに,何とバスが駅広に入ってくるではないか! たぶん間引いて運行はしていたのだと思う.その後はトラブルなく無事自宅に到着.それでも,オフィスを出てから既に3時間近く経過していた.
それにしても,市民はストに対して非常に寛大で,あたかもそこら中にある「空気」のようにさえ感じているかもしれない.もしストに対して市民が猛烈に怒り,スト撲滅のための何らかの社会運動のようなものが起これば,関係者はストを回避するように努力するのだろうが,全く期待できないようだ.ストは正当な労働者の権利としてもちろん重要であることは認めるが,このような緊張感のなさでは,単なるお祭りに過ぎないのではないか?
車優先社会のローマ?
今朝の出勤時,いつも通りColloseoのバス停でバスを下車し,オフィスまで徒歩で向かっていた.その途中で大きな交差点を通る.歩行者用信号が青に変わり,颯爽と歩を進めた時,目の前を右折してきた車が高速で通過した.一瞬「あっ,ぶつかる!」と思ったほどの至近距離だ.その時,この車のドライバーがこちらをにらんでいたように見えた.にらみ返そうにももう次の車も接近してきている.不快な気分を抑えながら,足早に交差点を渡りきった.
それにしても,ローマ市内はどこでも道路を横断するのに難儀する.それを理解していて,十分に気を付けているつもりでも今朝のようなことがある.観光都市なのに歩行者に大変冷たい街である.先進国でここまで歩行者が蔑ろにされている国も珍しい.
先日から,ローマの交通事情について,少しずつ資料や統計から理解しようとしている.まず驚いたのがローマにある車の数である.よく,モータリゼーションがどのくらい進んでいるかを単純に理解するのに「人口千人あたりの自動車登録台数」という指標を用いる.ローマ市のこの指標値(いわゆる乗用車のみ),何と707台である.
「何と」と書いているのは,東京都は千人当たり242台だからである.東京だって,車の洪水という感じがしないではないが,その3倍弱も車があるのだ.しかも,ここ5年くらいは毎年数万台の車が増えているようだ.街中を車が我が物顔で往来する姿が,この指標値からも想像できるのではないかと思う.まさに車優先社会の面目躍如だ.
なお,ローマではやたらとオートバイを目にする.そう思ったら,オートバイは人口千人当たり144台だそうだ.東京都のそれは31台だから,4倍以上! 街路上ではとにかく神出鬼没だ.
交通事故の状況について,そのうちまじめに調べてみたい.その報告は改めて.
それにしても,ローマ市内はどこでも道路を横断するのに難儀する.それを理解していて,十分に気を付けているつもりでも今朝のようなことがある.観光都市なのに歩行者に大変冷たい街である.先進国でここまで歩行者が蔑ろにされている国も珍しい.
先日から,ローマの交通事情について,少しずつ資料や統計から理解しようとしている.まず驚いたのがローマにある車の数である.よく,モータリゼーションがどのくらい進んでいるかを単純に理解するのに「人口千人あたりの自動車登録台数」という指標を用いる.ローマ市のこの指標値(いわゆる乗用車のみ),何と707台である.
「何と」と書いているのは,東京都は千人当たり242台だからである.東京だって,車の洪水という感じがしないではないが,その3倍弱も車があるのだ.しかも,ここ5年くらいは毎年数万台の車が増えているようだ.街中を車が我が物顔で往来する姿が,この指標値からも想像できるのではないかと思う.まさに車優先社会の面目躍如だ.
なお,ローマではやたらとオートバイを目にする.そう思ったら,オートバイは人口千人当たり144台だそうだ.東京都のそれは31台だから,4倍以上! 街路上ではとにかく神出鬼没だ.
交通事故の状況について,そのうちまじめに調べてみたい.その報告は改めて.
2010年7月9日金曜日
滞在許可申請(2)
郵便局に到着し,"Sportello Amico(友達の受付とでも訳すのかな?)"の窓口の受付番号を取る.順番が回ってくると,「PSは一番窓口で」とそちらに回される.仕方ないので,一番窓口に移動し,書類を提出.窓口のおばさんは,日本で数年前に話題になった”騒音おばさん”そっくりで,ちょっと怖そうだ.
やっぱり英語は通じないようだ.イタリア語でまくし立ててくるが,相変わらずさっぱり分からない.いくつかの単語や数字は聞き取れるのだが,文章になると厳しい.Prefetturaがプリントアウトしてくれた申請書に14.62ユーロの証紙を貼るのだが,「ここでは売っていないので,郵便局の外で購入してきて」と言われる.そう言えばTabacchi(日本で言うと駅のキオスクのようなものか?)で購入するようなことが諸先輩方のブログに書いてあったな.しかし面倒だ,その場で売ってくれてもいいのに...仕方ないので,炎天下の中Tabacchiを探す.幸い100mくらい行ったところにTabacchiを発見,難なく証紙をゲット.
戻ってきて受け付け作業が継続される.そのうち,端末で作業をしていたおばさんが困っている.何かと思ったら「住所がない」とのこと.そりゃぁ,申請書の住所の地番は実在しないからねぇ.「Non due cent novantuno (291), ventotto(28), Scala B, Interno otto(8)」というと,何と通じるではないか.めでたく正しい住所を打ってもらう.
次に,申請経費として27.5ユーロ,郵便代として30ユーロ,手数料1.1ユーロを支払う.おばさんがこの合計の数字を言っていたのだが,全然聞き取れない...最後は端末の画面で確認して,何とか支払う.それにしてもお金がとんでいくなぁ.
ともあれ,これで申請は終了.領収書,申請控,次の出頭日が書かれたメモを渡される.Questuraへの出頭日は9月21日午後4時半のようだ.ここで,写真を提出し,指紋を採られるのだ.これで私の滞在許可申請は無事終了,後は発行を待つだけだ.
次は妻と子供達の滞在許可申請だ.これは幾多の困難が予想される.
やっぱり英語は通じないようだ.イタリア語でまくし立ててくるが,相変わらずさっぱり分からない.いくつかの単語や数字は聞き取れるのだが,文章になると厳しい.Prefetturaがプリントアウトしてくれた申請書に14.62ユーロの証紙を貼るのだが,「ここでは売っていないので,郵便局の外で購入してきて」と言われる.そう言えばTabacchi(日本で言うと駅のキオスクのようなものか?)で購入するようなことが諸先輩方のブログに書いてあったな.しかし面倒だ,その場で売ってくれてもいいのに...仕方ないので,炎天下の中Tabacchiを探す.幸い100mくらい行ったところにTabacchiを発見,難なく証紙をゲット.
戻ってきて受け付け作業が継続される.そのうち,端末で作業をしていたおばさんが困っている.何かと思ったら「住所がない」とのこと.そりゃぁ,申請書の住所の地番は実在しないからねぇ.「Non due cent novantuno (291), ventotto(28), Scala B, Interno otto(8)」というと,何と通じるではないか.めでたく正しい住所を打ってもらう.
次に,申請経費として27.5ユーロ,郵便代として30ユーロ,手数料1.1ユーロを支払う.おばさんがこの合計の数字を言っていたのだが,全然聞き取れない...最後は端末の画面で確認して,何とか支払う.それにしてもお金がとんでいくなぁ.
ともあれ,これで申請は終了.領収書,申請控,次の出頭日が書かれたメモを渡される.Questuraへの出頭日は9月21日午後4時半のようだ.ここで,写真を提出し,指紋を採られるのだ.これで私の滞在許可申請は無事終了,後は発行を待つだけだ.
次は妻と子供達の滞在許可申請だ.これは幾多の困難が予想される.
2010年7月8日木曜日
滞在許可申請(1)
ビザを取ったら,いよいよ滞在許可(PS: Permesso di Soggiorno)の申請だ.労働許可証(NO: Nulla Osta)を受けた時に,「再入国後にSportello Unico per l'Immigrazione: SUIに再入国を伝えると,数日後に呼び出しがある」と聞いていた.
一昨日,研究所の事務スタッフからSUIに連絡してもらい,「7/8の正午に出頭せよ」との返事があった.必要書類を聞くと,大家からIdoneita Alloggiativa(居住証明か?)をもらうようにとのこと.そんなに急に言われてもと思ったが,事務スタッフから大家に直接相談してもらう.結果として研究所所長の一筆で済んだようだ.やれやれ.
本日正午に,FSのRoma Ostienseの南側にあるPrefetturaに出頭.指定されたフロアに行き,廊下を歩いていた優しそうな女性スタッフに取り次いでもらう.英語が通じて安心.担当者から呼ばれ,パスポートの全頁のコピー,研究所所長の一筆,NOのコピーを提出.パスポートを確認され,6/27のミラノからの出国スタンプを指さして,英語だかイタリア語だか分からない質問が来る.「この日に一度出国したのか?」という意味を予想しYesと答える.質問はこれだけだ.
そのうち申請書と封筒を手渡され,「この申請書類,パスポート全頁コピー,Codice Fiscaleのコピー,NOのコピーを,この封筒を使って郵便局から発送するように」と,イタリア語のメモを下に英語で指示がある.申請書類を見ると,先ほどの6/27は入国日と入国空港を聞いていたらしく,間違っている住所と併せて,間違いが二箇所だ.まあ何とかなるんでしょう.出頭は15分もかからずにめでたく終了.オフィスで,必要書類を揃えて,いざ郵便局へ.続きは次回.
一昨日,研究所の事務スタッフからSUIに連絡してもらい,「7/8の正午に出頭せよ」との返事があった.必要書類を聞くと,大家からIdoneita Alloggiativa(居住証明か?)をもらうようにとのこと.そんなに急に言われてもと思ったが,事務スタッフから大家に直接相談してもらう.結果として研究所所長の一筆で済んだようだ.やれやれ.
本日正午に,FSのRoma Ostienseの南側にあるPrefetturaに出頭.指定されたフロアに行き,廊下を歩いていた優しそうな女性スタッフに取り次いでもらう.英語が通じて安心.担当者から呼ばれ,パスポートの全頁のコピー,研究所所長の一筆,NOのコピーを提出.パスポートを確認され,6/27のミラノからの出国スタンプを指さして,英語だかイタリア語だか分からない質問が来る.「この日に一度出国したのか?」という意味を予想しYesと答える.質問はこれだけだ.
そのうち申請書と封筒を手渡され,「この申請書類,パスポート全頁コピー,Codice Fiscaleのコピー,NOのコピーを,この封筒を使って郵便局から発送するように」と,イタリア語のメモを下に英語で指示がある.申請書類を見ると,先ほどの6/27は入国日と入国空港を聞いていたらしく,間違っている住所と併せて,間違いが二箇所だ.まあ何とかなるんでしょう.出頭は15分もかからずにめでたく終了.オフィスで,必要書類を揃えて,いざ郵便局へ.続きは次回.
2010年7月7日水曜日
バスを降りる時に考えること
ローマでは,バスを降りる時に,停留所に着く前までにドアの近くに行かなければならないらしい.ほとんどの人がそうしているし,バスによってはドアの近くに行かないと停車要求ブザーが押せないものもある.私も一つ手前の停留所の段階で,ドアの近くにアプローチするようにしている.
恐らく,停留所での停車時間を短くするために,自然発生的に生じたルールなのだと思う.日本と比べると何しろ停留所間隔が短い.停留所2つ分くらいで降りていくようなチョイノリの乗客が結構多い(そのくらいは歩いた方が健康によいのではと考えてしまう).早朝や夜遅くでない限り,ほぼ全停留所に停まるような感覚だ.だから,距離の割に時間がかかる.日本人学校近くの停留所からTrastevere駅まで6kmくらいで30分近くかかる.
車内が混雑している時は,ドアの近くまでアプローチするのは大変だ.それでも,Permesso?と言いながら進むとみんな避けてくれる.運転は加減速が激しいので,お年寄りや身障者が走行中に歩いているのをみるとハラハラする.でも転倒事故は起きない.
このルール,言い換えればバスの所要時間短縮に乗客みんなが主体的に協力していることになる.何と素晴らしいことだ.
日本では「危ないですからバスが完全に停止してから席をお立ち下さい」とのアナウンスが流れる.何より「乗客の安全」が優先だ(本音ではバス会社の保身が重要).高齢者の方はこれを文字通り実践するので,停留所での停車時間が長くなりがちである.運転手は,乗客が車内で転倒しないように,加減速をソフトにするように指導されている.日本に帰ってバスに乗ったら,イライラしそうな気がして怖い.
恐らく,停留所での停車時間を短くするために,自然発生的に生じたルールなのだと思う.日本と比べると何しろ停留所間隔が短い.停留所2つ分くらいで降りていくようなチョイノリの乗客が結構多い(そのくらいは歩いた方が健康によいのではと考えてしまう).早朝や夜遅くでない限り,ほぼ全停留所に停まるような感覚だ.だから,距離の割に時間がかかる.日本人学校近くの停留所からTrastevere駅まで6kmくらいで30分近くかかる.
車内が混雑している時は,ドアの近くまでアプローチするのは大変だ.それでも,Permesso?と言いながら進むとみんな避けてくれる.運転は加減速が激しいので,お年寄りや身障者が走行中に歩いているのをみるとハラハラする.でも転倒事故は起きない.
このルール,言い換えればバスの所要時間短縮に乗客みんなが主体的に協力していることになる.何と素晴らしいことだ.
日本では「危ないですからバスが完全に停止してから席をお立ち下さい」とのアナウンスが流れる.何より「乗客の安全」が優先だ(本音ではバス会社の保身が重要).高齢者の方はこれを文字通り実践するので,停留所での停車時間が長くなりがちである.運転手は,乗客が車内で転倒しないように,加減速をソフトにするように指導されている.日本に帰ってバスに乗ったら,イライラしそうな気がして怖い.
2010年7月6日火曜日
ビザについて
さて,お待ちかねのビザ取得の顛末記である.6/27の日曜日に東京に到着し,翌日朝にイタリア大使館に出頭してビザの申請を行うつもりでいた.
月曜日の朝,時差の影響で全然寝付けない.6時に携帯電話のアラームをセットしておいたのだが,鳴った瞬間消して寝てしまったらしい.起きてみたら午前11時! しまった寝坊だ! 大使館は午前11時半で受け付け終了,一日無駄にしてしまった.
翌日は万難を排して朝起床し,三田のイタリア大使館に9時半の開館時間に出頭する.私の前に1組が並んでいただけだ.私の番になり,要求されていた書類を全て提出,申請書もほとんどミスはなく,あっけなく申請は終了する.ちなみに,私はScientific Researcherの自営業の労働許可(最大24ヶ月)が出ていて,必要書類は申請書の他に,日本の住民票,Prefettura di Romaが発行したNulla Osta原本とそのコピー,パスポート本体と顔写真の頁のコピー,手数料75ユーロ(9,300円)だけだ.3月の就学ビザ申請の時の必要書類(研究機関の受け入れ承諾書,大家の身分証明書のコピー,在職証明,銀行口座の残高証明,海外旅行保険の証書,ほかにもあったかな?)数と比べると圧倒的に少ない.
いつ発行されるのかな? と次の窓口担当者の言葉を待っていると,「では金曜日に来て下さい.問題があったら携帯に電話します」と言うではないか! 思ったよりも早いぞ!
電話もなく金曜日朝を迎え,再度大使館に出頭.自分の番になって,待ちに待ったビザが貼られたパスポートが返却される.申請通り,360日間,複数回出入国可能なビザだ.Nulla Ostaに記載されているローマの住所が間違っていたが全く関係なかったようだ.それにしても,随分とあっけない幕切れだった.
ちなみに,ビザの有効期限は本日からだ.7/3にフランクフルトで入国審査を受ける際にやや怪しまれ,Permesso?と聞かれたが,Now applying!と返答しただけで,あっさりとスタンプを押してくれた.晴れて再入国.今度は滞在許可証の発行がどのようなプロセスで,いつになるのか.引き続きご期待下さい.
月曜日の朝,時差の影響で全然寝付けない.6時に携帯電話のアラームをセットしておいたのだが,鳴った瞬間消して寝てしまったらしい.起きてみたら午前11時! しまった寝坊だ! 大使館は午前11時半で受け付け終了,一日無駄にしてしまった.
翌日は万難を排して朝起床し,三田のイタリア大使館に9時半の開館時間に出頭する.私の前に1組が並んでいただけだ.私の番になり,要求されていた書類を全て提出,申請書もほとんどミスはなく,あっけなく申請は終了する.ちなみに,私はScientific Researcherの自営業の労働許可(最大24ヶ月)が出ていて,必要書類は申請書の他に,日本の住民票,Prefettura di Romaが発行したNulla Osta原本とそのコピー,パスポート本体と顔写真の頁のコピー,手数料75ユーロ(9,300円)だけだ.3月の就学ビザ申請の時の必要書類(研究機関の受け入れ承諾書,大家の身分証明書のコピー,在職証明,銀行口座の残高証明,海外旅行保険の証書,ほかにもあったかな?)数と比べると圧倒的に少ない.
いつ発行されるのかな? と次の窓口担当者の言葉を待っていると,「では金曜日に来て下さい.問題があったら携帯に電話します」と言うではないか! 思ったよりも早いぞ!
電話もなく金曜日朝を迎え,再度大使館に出頭.自分の番になって,待ちに待ったビザが貼られたパスポートが返却される.申請通り,360日間,複数回出入国可能なビザだ.Nulla Ostaに記載されているローマの住所が間違っていたが全く関係なかったようだ.それにしても,随分とあっけない幕切れだった.
ちなみに,ビザの有効期限は本日からだ.7/3にフランクフルトで入国審査を受ける際にやや怪しまれ,Permesso?と聞かれたが,Now applying!と返答しただけで,あっさりとスタンプを押してくれた.晴れて再入国.今度は滞在許可証の発行がどのようなプロセスで,いつになるのか.引き続きご期待下さい.
2010年7月5日月曜日
サッカーワールドカップ:イタリアと日本
サッカーのワールドカップもいよいよ終盤戦だ.我が日本はもちろん敗退しているが,ディフェンディングチャンピオンのイタリアもなぜか日本よりも早く敗退してしまっている.実は,イタリアがF組1位で,日本がE組2位だと,ベスト16のゲームで対戦というところだった.密かに期待していたのだが,5月くらいの日本代表のごたごたぶりを目の当たりにして,「この対戦は絶対に実現しないな」と思わざるを得なかった.しかし,本番で日本は持ち直してE組2位で通過したにも関わらず,肝心のイタリアが何とF組最下位.なかなか上手くいかないものだ.
たまたま先週に日本に帰っていたので,ベスト8をかけたパラグアイとの戦いは日本のテレビで見ることができた.放映予定のチャンネルでは,試合開始2~3時間前から特番が組まれ,どうでもいいタレント達が勝手に盛り上がっていた.結果はPK戦での敗北だったが,終わった後の番組では,「よく戦った! 感動した! ありがとう!」というような雰囲気に包まれていた.しかし,どんなにがんばろうと負けは負けだし,目標はベスト4だったはず.これに到達しなかった原因を徹底的に追求してもいいのではないかと思った.まあ,これらはいつものことだ.このままではしばらくベスト16の壁は越えられないだろう.
さて,イタリアはどうだったか.試合もあっさりと負けたが,放送(試合前,後の特番なんかは当然無い)や試合翌日のニュースなどでの取り扱いも日本と比べるとあっさりしたものだ.予選リーグなんかは通過して当たり前だと思っていたのだろう.それでも,先々週の24日に参加した国際会議では,セッション会場でイタリア対スロバキア戦を見るために,プログラムがわざわざ変更になったように,それなりの関心はあるのだ(それにしても敗北した後のセッションはかわいそうだった).
イタリア代表はもう総スカン状態だ.監督や代表選手はしばらく街を歩けないのではないか.このような厳しさがあるからこそ,強豪国なのだし,なれるのだろうと思う.我が日本代表は,関空に到着後非常に英雄扱いである.やれやれ.
たまたま先週に日本に帰っていたので,ベスト8をかけたパラグアイとの戦いは日本のテレビで見ることができた.放映予定のチャンネルでは,試合開始2~3時間前から特番が組まれ,どうでもいいタレント達が勝手に盛り上がっていた.結果はPK戦での敗北だったが,終わった後の番組では,「よく戦った! 感動した! ありがとう!」というような雰囲気に包まれていた.しかし,どんなにがんばろうと負けは負けだし,目標はベスト4だったはず.これに到達しなかった原因を徹底的に追求してもいいのではないかと思った.まあ,これらはいつものことだ.このままではしばらくベスト16の壁は越えられないだろう.
さて,イタリアはどうだったか.試合もあっさりと負けたが,放送(試合前,後の特番なんかは当然無い)や試合翌日のニュースなどでの取り扱いも日本と比べるとあっさりしたものだ.予選リーグなんかは通過して当たり前だと思っていたのだろう.それでも,先々週の24日に参加した国際会議では,セッション会場でイタリア対スロバキア戦を見るために,プログラムがわざわざ変更になったように,それなりの関心はあるのだ(それにしても敗北した後のセッションはかわいそうだった).
イタリア代表はもう総スカン状態だ.監督や代表選手はしばらく街を歩けないのではないか.このような厳しさがあるからこそ,強豪国なのだし,なれるのだろうと思う.我が日本代表は,関空に到着後非常に英雄扱いである.やれやれ.
2010年7月4日日曜日
ふたたびローマへ:「空気」が入れ替わっている
昨日,見事ビザをゲットしてローマに戻ってきた.このブログも10日間ほどお休みしていたが,本日から再開いたします.なお,ビザ申請と取得の模様は後日書くことにしたい.
ローマを離れたのが6/26,ミラノ経由で翌27日夕方に成田に到着した.飛行機から降り立った瞬間,猛烈な熱気と湿気が我が身を襲う.そうだ,日本は梅雨真っ盛りなのだ.一瞬,ここはシンガポールかと錯覚してしまうほど.体が乾燥したローマに順応しているので,ものすごくつらかった.
日本滞在は結局一週間ほどだったが,やはり東に移動する出張の時差への適応は大変つらい.ヨーロッパ中央時間と日本時間は7時間差.日本で朝7時がローマの午前0時.毎日夜中に目が冴えること.眠くなる頃には,外が明るくなり,鳥の鳴き声がする.寝不足でへろへろになる.
ローマに残してきた家族とはSkypeで連絡を取り合う.先週後半に「何か猛烈に暑くなった」と家内が言い出すようになった.「戻ったら酷暑か」と内心げんなり.
昨日は,フランクフルト経由でローマ入り.フランクフルトに降り立つと,夕方5時なのに35度という灼熱地獄だ.ヨーロッパは一週間で空気が入れ替わってる.たまたまワールドカップのドイツ対アルゼンチン戦の真っ最中,結果はご存じのようにドイツの大勝だったので,得点を入れるごとに空港のスポーツバーは大騒ぎ.でも,試合終了後には勝利の余韻を引きずらずに人々が散り散りになる.さすがは三大会連続ベスト4以上のサッカー大国だ.
気温が高すぎたのか,夕方に天気が荒れ,ローマ行きのフライトの出発時刻が30分遅れる.もたもたしているのか,到着後に預け入れ荷物が出てくるのに50分待たされる.予定よりも1時間くらい遅く我が家に到着.我が家の中も一週間でものすごく暑くなっていた.いよいよローマも暑さとの戦いが始まるようだ.
ローマを離れたのが6/26,ミラノ経由で翌27日夕方に成田に到着した.飛行機から降り立った瞬間,猛烈な熱気と湿気が我が身を襲う.そうだ,日本は梅雨真っ盛りなのだ.一瞬,ここはシンガポールかと錯覚してしまうほど.体が乾燥したローマに順応しているので,ものすごくつらかった.
日本滞在は結局一週間ほどだったが,やはり東に移動する出張の時差への適応は大変つらい.ヨーロッパ中央時間と日本時間は7時間差.日本で朝7時がローマの午前0時.毎日夜中に目が冴えること.眠くなる頃には,外が明るくなり,鳥の鳴き声がする.寝不足でへろへろになる.
ローマに残してきた家族とはSkypeで連絡を取り合う.先週後半に「何か猛烈に暑くなった」と家内が言い出すようになった.「戻ったら酷暑か」と内心げんなり.
昨日は,フランクフルト経由でローマ入り.フランクフルトに降り立つと,夕方5時なのに35度という灼熱地獄だ.ヨーロッパは一週間で空気が入れ替わってる.たまたまワールドカップのドイツ対アルゼンチン戦の真っ最中,結果はご存じのようにドイツの大勝だったので,得点を入れるごとに空港のスポーツバーは大騒ぎ.でも,試合終了後には勝利の余韻を引きずらずに人々が散り散りになる.さすがは三大会連続ベスト4以上のサッカー大国だ.
気温が高すぎたのか,夕方に天気が荒れ,ローマ行きのフライトの出発時刻が30分遅れる.もたもたしているのか,到着後に預け入れ荷物が出てくるのに50分待たされる.予定よりも1時間くらい遅く我が家に到着.我が家の中も一週間でものすごく暑くなっていた.いよいよローマも暑さとの戦いが始まるようだ.
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