Santa Maria in Cosmedin教会.こう聞くと,よほどマニアな人しか分からないだろう.ここは教会と言うよりは,映画ローマの休日の「真実の口(Bocca della Verita)」で有名なところだ.この前の土曜日,ここに行ってきた.
教会自体も,きれいな鐘楼があるし,床のモザイク画もなかなか品があって結構味わいがある.それでも観光客のお目当ては真実の口だ.ここには12年前の新婚旅行でも来ているが,その時と違うのは,口に手を入れて写真を撮るために,長い列に並び,一人50ユーロセントと払わなければならないことだ.この日は幸いにして,並んでから10分くらいで口に辿り着くことが出来た.
子供達には,「うそつきはがぶりと噛まれてしまうぞー」とたっぷり脅してある.それで「行きたくない」と言っていたのだが,無理矢理連れてきた.長男には,「そんな噛まれるようなところにみんな喜んでいくか? だから大丈夫だよ」と言ってみたが,口が近づいてくると,やや緊張の面持ちだ.
さて,我々家族の番になる.子供達に一緒に手を入れされる.噛まれなくてホッとしているところを写真に収める.その後我々も手を入れて子供に写真を撮ってもらう.その後に教会内に入り,そのモザイクの床をじっくり眺める.
真実の口の後はAventinoの丘に登る.目的はマルタ騎士団広場.これだけで何を見に来たか分かった人はかなりのマニアだ.そこにある扉の鍵穴からちょうどサンピエトロ大聖堂が見えるのだ.これは結構感動ものだ.これには子供達も大喜び.鍵穴からの風景を写真に収めるのは難しかったので,自分で見に行って下さい.なお,アクセス経路には木陰が少ないので,真夏は気をつけるべし.
その後は,Re di Romaにある例のPompiでティラミスを食べ,Termini駅そばの中華料理屋で初めて中華料理を食べて帰宅.
さて,このブログ,今週仕事で忙しいのと,週末に一時帰国するので,二週間程度お休みします.が,低頻度で更新するかも知れませんので,数日おきにアクセスして下さい.
私,仕事の都合で1年間弱ローマに滞在することになりました.今までブログをやっている時間はまったくと言っていいほどなかったのですが,この際ローマで経験したことを記録として残しつつ,現地の最新情報を提供できればと考え,初めてブログに手を出してみました.
2010年6月23日水曜日
一方,公共料金の郵便局での振り込みは楽
郵便局の前に銀行の話の続き.今朝,三度目の家賃支払いに銀行に行った.面倒なので,一気に二ヶ月分の2400ユーロだ.今回は,大家の指定口座の同銀行別支店で試してみることにした.結果,手数料は前回と同じ6.5ユーロだったが,その時よりも圧倒的に楽に振り込みできた.手数料は銀行に依存していて,手続きの大変さは窓口の人に依存するのかもしれない.
さて,郵便局.電気,ガス,電話,インターネットの公共料金は郵便振り込みが便利だ.請求書に郵便振り込み用紙が入っていて,振込先や請求額も印刷されている.郵便局で郵貯や振り込みサービスの整理券を受け取って,自分の番号が表示されたら指定された番号の窓口に行き,振り込み用紙とその金額に手数料(1ユーロちょっとだったかな?)を併せた額を払うだけ.基本的に会話はいらない.
郵便局は14時に閉まってしまうのだが,一部は夕方まで開いている.タイミングが悪いと30分くらい待ってしまうのだが,ちょっとした時間で振り込みが完了するので,大変ありがたい.何より,銀行のように担当者によって大変さが変わったりしないのがいい.
さて,郵便局.電気,ガス,電話,インターネットの公共料金は郵便振り込みが便利だ.請求書に郵便振り込み用紙が入っていて,振込先や請求額も印刷されている.郵便局で郵貯や振り込みサービスの整理券を受け取って,自分の番号が表示されたら指定された番号の窓口に行き,振り込み用紙とその金額に手数料(1ユーロちょっとだったかな?)を併せた額を払うだけ.基本的に会話はいらない.
郵便局は14時に閉まってしまうのだが,一部は夕方まで開いている.タイミングが悪いと30分くらい待ってしまうのだが,ちょっとした時間で振り込みが完了するので,大変ありがたい.何より,銀行のように担当者によって大変さが変わったりしないのがいい.
2010年6月21日月曜日
銀行振り込みのナゾ
今の生活では,日本人学校の授業料,家賃,公共料金の三種類は振り込みが必要となる.授業料と家賃は指定の銀行口座に振り込まなければならない.銀行振り込みは,今日現在までで三回行ったが,全て異なる銀行で試してみた.
一度目は,授業料の振り込み,指定口座がある銀行支店に直接行った.こちらの銀行は,入出場管理が厳格で,円筒状の自動ドアに一人ずつ入らなければならない.入場後窓口に行き,調べたてのイタリア語で,Vorrei versale? (振り込みしたいんですが)と尋ねる.英語もきちんと通じて,数分で難なく振り込みに成功した上に,手数料はただ.イタリアの銀行の悪評はたくさん聞いていただけに,拍子抜け.
しかし,二度目の家賃の振り込み.これは今思い出しても腹が立つほど苦労した.この時はオフィス近くの,大家の指定口座とは異なる銀行で試してみた.入り方は全く同じ.窓口で前回と同じように,Vorrei versale?と聞いても全然通じない.英語はちょっとだけ使えたのだが,ものすごくめんどくさそうに対応された.それもそのはず,私のパスポートのコピー,codice fiscaleのコピー,いくつかの書類に署名,いかにもめんどくさそうな振り込み指示書の作成,といった作業があったからだ.これが20分以上続く.最終的には振り込みを依頼することが出来たが,1200ユーロの支払いに対して手数料は7ユーロ.
この二回の経験から,「日本と同じように,振込先と同じ銀行支店であれば手数料は掛からないかものすごく安い」という仮説を立てて,三度目は大家の口座がある銀行支店にて振り込みを実施.ここでは,振り込み指示書を渡され,「自分で作れ」と言われる.指示書は完全にイタリア語なので,辞書を使いながら何とか内容を理解して指示書を作成.その後は,パスポート情報だけ確認されて,無事振り込み終了.1200ユーロに対して手数料は6.5ユーロ.仮説はあっさりと棄却される.
自分の銀行口座を持っていれば,そこでの振り込みはもっと簡単に行えるのだろうが,開設が大変だし,その後の維持管理にもお金が掛かる(年間数百ユーロと聞く)ので,1年もいないことを考えると,出来れば口座は作りたくない.毎回こんな思いをして振り込みしないといけないのかと思うと,結構憂鬱である.何よりタイムコンシューミングだ.
もうすぐ次の家賃を振り込まなければならない.今度は自宅近くの銀行で試してみようと考えている.次回は郵便局の振り込みについて.
一度目は,授業料の振り込み,指定口座がある銀行支店に直接行った.こちらの銀行は,入出場管理が厳格で,円筒状の自動ドアに一人ずつ入らなければならない.入場後窓口に行き,調べたてのイタリア語で,Vorrei versale? (振り込みしたいんですが)と尋ねる.英語もきちんと通じて,数分で難なく振り込みに成功した上に,手数料はただ.イタリアの銀行の悪評はたくさん聞いていただけに,拍子抜け.
しかし,二度目の家賃の振り込み.これは今思い出しても腹が立つほど苦労した.この時はオフィス近くの,大家の指定口座とは異なる銀行で試してみた.入り方は全く同じ.窓口で前回と同じように,Vorrei versale?と聞いても全然通じない.英語はちょっとだけ使えたのだが,ものすごくめんどくさそうに対応された.それもそのはず,私のパスポートのコピー,codice fiscaleのコピー,いくつかの書類に署名,いかにもめんどくさそうな振り込み指示書の作成,といった作業があったからだ.これが20分以上続く.最終的には振り込みを依頼することが出来たが,1200ユーロの支払いに対して手数料は7ユーロ.
この二回の経験から,「日本と同じように,振込先と同じ銀行支店であれば手数料は掛からないかものすごく安い」という仮説を立てて,三度目は大家の口座がある銀行支店にて振り込みを実施.ここでは,振り込み指示書を渡され,「自分で作れ」と言われる.指示書は完全にイタリア語なので,辞書を使いながら何とか内容を理解して指示書を作成.その後は,パスポート情報だけ確認されて,無事振り込み終了.1200ユーロに対して手数料は6.5ユーロ.仮説はあっさりと棄却される.
自分の銀行口座を持っていれば,そこでの振り込みはもっと簡単に行えるのだろうが,開設が大変だし,その後の維持管理にもお金が掛かる(年間数百ユーロと聞く)ので,1年もいないことを考えると,出来れば口座は作りたくない.毎回こんな思いをして振り込みしないといけないのかと思うと,結構憂鬱である.何よりタイムコンシューミングだ.
もうすぐ次の家賃を振り込まなければならない.今度は自宅近くの銀行で試してみようと考えている.次回は郵便局の振り込みについて.
2010年6月20日日曜日
三度目の海に行く
だいぶ遅くなったが,この前の月曜日にまたまた海にいった.土曜日に国際交流イベントがあったので,日本人学校が代休になっていたからだ.次の週が(明日から)めちゃくちゃ忙しいことが確定しているため,私も割り切ってオフィスに行かずに休みを決め込む.前回路駐するのに苦労したために,今回はきちんと午前中から出かけることにした.
ローマの小学校は既に休みになっていたので,平日なのに混んでいると想像していた.しかし,やはり6月中旬の月曜日,親はまだまだ仕事があるのだろうか,そんなに混んでいない.たまたま前回と同じ海岸に決めたのだが,簡単に路駐できた.
我々は,朝10時から午後3時くらいまで滞在したのだが,よく観察していると,こちらの人たちは2時間くらいでさっと帰っていくようだ.入れ替わりで午後からやってくるグループのちらほらいる.たぶん,何度も来るから一度にそんなに海を満喫しなくても良いのだろうと想像する.
それにしても日差しが強い.事前にスーパーで安いビーチパラソルを購入しておいたのだが,これが大変役に立つ.焼けないように,spf50の日焼け止めクリームを全身に塗りたくるだけでなく,ラッシュガードを着込んで完全防備.一方,こちらの人は見ていてはらはらするくらいに無防備だ.きっと,「あいつらは何で焼かないんだ?」と思われていたに違いない.
それにしても,こんなに早い時期からマリンレジャーを楽しめるのは,大変うらやましい.こんな環境に触発されて,我々も海水浴にすっかりはまっているようだ.シーズン終了までにあと何回行くことになるのだろうか?
ローマの小学校は既に休みになっていたので,平日なのに混んでいると想像していた.しかし,やはり6月中旬の月曜日,親はまだまだ仕事があるのだろうか,そんなに混んでいない.たまたま前回と同じ海岸に決めたのだが,簡単に路駐できた.
我々は,朝10時から午後3時くらいまで滞在したのだが,よく観察していると,こちらの人たちは2時間くらいでさっと帰っていくようだ.入れ替わりで午後からやってくるグループのちらほらいる.たぶん,何度も来るから一度にそんなに海を満喫しなくても良いのだろうと想像する.
それにしても日差しが強い.事前にスーパーで安いビーチパラソルを購入しておいたのだが,これが大変役に立つ.焼けないように,spf50の日焼け止めクリームを全身に塗りたくるだけでなく,ラッシュガードを着込んで完全防備.一方,こちらの人は見ていてはらはらするくらいに無防備だ.きっと,「あいつらは何で焼かないんだ?」と思われていたに違いない.
それにしても,こんなに早い時期からマリンレジャーを楽しめるのは,大変うらやましい.こんな環境に触発されて,我々も海水浴にすっかりはまっているようだ.シーズン終了までにあと何回行くことになるのだろうか?
2010年6月18日金曜日
ローマ南東部(GRAの外側)の探索(2)
Albano湖を出発して,次に向かったのはFrascati,これもワインで有名な街だ.中心部にバスターミナルがあり,そこに結構な台数が駐車できるスペースがあり,パーキングメーターでチケットを買って利用する.主要な見所はここからほぼ徒歩で行けると思う.
このターミナルから斜面の上を見ると,Villa Aldobrandiniの美しいファサードが見える.反対側にはテラスがあり,空気が澄んでいたら遠くのローマまで見えたのかもしれないが,残念ながらかすんでいる.そこから市街地へ入っていくと広場に到着し,そこからSan Petro Apostolo大聖堂のきれいなファサードが見える.16世紀末に建てられたものに,17世紀末にFontanaという人がこのファサードを取り付けたらしい.この広場には建物に埋め込まれた古い噴水が見えるなど,なかなか味わいがある.
その後,街の細い街路を少し歩いて,ジェラートを食べて車に戻り,帰途につく.今度はぶどうを収穫してワインが出てくる秋に改めて来てみたい.
このターミナルから斜面の上を見ると,Villa Aldobrandiniの美しいファサードが見える.反対側にはテラスがあり,空気が澄んでいたら遠くのローマまで見えたのかもしれないが,残念ながらかすんでいる.そこから市街地へ入っていくと広場に到着し,そこからSan Petro Apostolo大聖堂のきれいなファサードが見える.16世紀末に建てられたものに,17世紀末にFontanaという人がこのファサードを取り付けたらしい.この広場には建物に埋め込まれた古い噴水が見えるなど,なかなか味わいがある.
その後,街の細い街路を少し歩いて,ジェラートを食べて車に戻り,帰途につく.今度はぶどうを収穫してワインが出てくる秋に改めて来てみたい.
2010年6月17日木曜日
ローマ南東部(GRAの外側)の探索(1)
ここのところ暑くなってきて,日中に外を散策するのが徐々につらくなってきた.そのため,最近の休日はどこに行こうかと結構迷っている.夏前に可能であれば一度は行きたかったところがある.それはVia Appia Anticaだ.そう,一番最初のローマ街道である.道路の専門家としては是非とも見なければならない.車を借りていたこの前の週末,本格的な夏が到来する前のラストチャンスだと思い,日曜日はVia Appia Anticaに行くことに決めた.
ただし,日曜と祝日はVia Appia Anticaの都心に近い部分は車両通行止め規制があるらしい.それでも駐車する場所はあるだろうと思い,そのスタート地点であるPorta S. Sebastianoにレンタカーで向かう.交差点には警官が立っていて,きちんと通行止め規制をしていた.近くに路駐するのも難しかったので,そのうち平日か土曜日に行こうと思い,GRAの外側区間のVia Appia Anticaを見に行くことにした.
GRAのUscita23からS7号線に入り,Ciampino空港を過ぎた当たりの出口で出て少し右に行くと,Via Appia Anticaがある.路駐が多いのでさぞかしたくさんの人が来ているのかと思いきや,全然人がいない.昔のVia Appiaは可能な限り真っ直ぐに通されたと聞いていたが,本当に真っ直ぐである.道に沿って松が生えているので,どこがVia Appia Anticaなのか一目瞭然.しかし,路面は長年放置された舗装道路といったところで,車では走る気がしないし,自転車もマウンテンバイクでないときついかも知れない.もうちょっと復元してもいいのではないかと思う.もうちょっとローマから離れた区間を見に行こうと思ったが,持っている道路地図の縮尺では全然分からないので,今回はこれ以上の探索はあきらめる.
時間はまだまだたっぷりあるので,そこからいけるところはないかを考える.地図を見ると古代ローマの避暑地でLazio州のワインの主産地であるCastelli Romaniの近くだ.とりあえずそのエリアの中にあるAlbano湖を目指すことにした.この湖は周りを稜線で囲まれた「すり鉢」の下の方に水がたまった感じの地勢だ.稜線から眺める景色は結構いい.天気がいいので湖面がコバルトブルーに見える.湖畔まで坂を下り,駐車場に車と泊め,湖畔に展開するBarで遅いランチをとる.上からみるときれいに見えた湖面も,近づくと全然澄んでいるわけではない.これならティレニア海で海水浴の方がよさそうだ.続きは次回.
ただし,日曜と祝日はVia Appia Anticaの都心に近い部分は車両通行止め規制があるらしい.それでも駐車する場所はあるだろうと思い,そのスタート地点であるPorta S. Sebastianoにレンタカーで向かう.交差点には警官が立っていて,きちんと通行止め規制をしていた.近くに路駐するのも難しかったので,そのうち平日か土曜日に行こうと思い,GRAの外側区間のVia Appia Anticaを見に行くことにした.
GRAのUscita23からS7号線に入り,Ciampino空港を過ぎた当たりの出口で出て少し右に行くと,Via Appia Anticaがある.路駐が多いのでさぞかしたくさんの人が来ているのかと思いきや,全然人がいない.昔のVia Appiaは可能な限り真っ直ぐに通されたと聞いていたが,本当に真っ直ぐである.道に沿って松が生えているので,どこがVia Appia Anticaなのか一目瞭然.しかし,路面は長年放置された舗装道路といったところで,車では走る気がしないし,自転車もマウンテンバイクでないときついかも知れない.もうちょっと復元してもいいのではないかと思う.もうちょっとローマから離れた区間を見に行こうと思ったが,持っている道路地図の縮尺では全然分からないので,今回はこれ以上の探索はあきらめる.
時間はまだまだたっぷりあるので,そこからいけるところはないかを考える.地図を見ると古代ローマの避暑地でLazio州のワインの主産地であるCastelli Romaniの近くだ.とりあえずそのエリアの中にあるAlbano湖を目指すことにした.この湖は周りを稜線で囲まれた「すり鉢」の下の方に水がたまった感じの地勢だ.稜線から眺める景色は結構いい.天気がいいので湖面がコバルトブルーに見える.湖畔まで坂を下り,駐車場に車と泊め,湖畔に展開するBarで遅いランチをとる.上からみるときれいに見えた湖面も,近づくと全然澄んでいるわけではない.これならティレニア海で海水浴の方がよさそうだ.続きは次回.
2010年6月16日水曜日
現地学校との交流事業
先週の土曜日,子供達の通う日本人学校がローマの公立?学校との交流事業に招待された.先日のScuola in Festaといい,今年はたまたま国際交流事業が多いみたいだ.
開始時間は,お祭りということもあり午後6時45分.それぞれが踊りや芸を披露する.ローマ側は,人数が多いこともあり,幼稚園の年少から中学3年までが2学年つづくらいに分かれて出し物を行う.一方の日本人学校は,運動会やScuola in Festaで見せた火炎太鼓とソーランである.前日にわざわざリハーサルをやったらしいのだが,その結果,当初はプログラムの中盤に予定されていた火炎太鼓とソーランがとりを飾ることになったとのこと.
いよいよプログラムのスタート.ローマの子達がどんな出し物をするのか期待する.しかし,全体的に何を訴えかけたいのかよく分からないものが続く.最初は,「調教師と動物」なる演技.調教師が鞭を振り,その周りを着ぐるみの動物が動くが,イタリアらしく動きが統制されずにだらだらしていてすぐ飽きる.日本なら「うちの子がなんで鞭を振るわれる側なんだ!」と怒り出す親がいると思う(笑).その後,「○○と○○」という感じの出し物が続く,ポリバケツを使ったアクロバット演技(全然アクロバティックでない),張りぼての人形にナイフを一斉に投げる演技,小学校高学年の男女がペアで一つの大玉を使って体を密着させる演技...もうインパクトがなくて全然思い出せない.大玉の演技は,「うちの娘になんてことをさせるんだ!」と怒り出す父親が続出すると思う.これを一人の演技指導の先生が捌いているのだが,全然統制が取れない演技を半分怒りながら指揮している彼女を見ている方が余程面白い.演技の合間に司会が話術で一生懸命に笑いを取っている.言葉が分かったらこの方が断然面白かったのだろう.ただし,イタリアの学校の名誉のために言っておくと,中学3年生の大縄飛びの演技はさすがにしっかりしてました.
さて,とりは日本人学校.もう三度目の本番ということもあり,ものすごいきっちりと踊っている.プログラムの中でやはり一番の盛り上がり.リハーサルでも余程インパクトがあって最後に回されたのだろう.演技終了後,横に座ってたイタリア人が「おまえの子供があの中にいるのか?」と英語で聞いてくる.「もちろん! うまいだろ?」と答えてやった.解散後にイタリアの子供達も近寄ってきてBravo!と声をかけてくる.子供の頃からのこのなれなれしさには感心する.
プログラム終了とともに,校舎の屋上から多数の花火が上がる.ローマで花火が見られるとは思っても見なかった.これが一番見応えがあった気がする(笑).
開始時間は,お祭りということもあり午後6時45分.それぞれが踊りや芸を披露する.ローマ側は,人数が多いこともあり,幼稚園の年少から中学3年までが2学年つづくらいに分かれて出し物を行う.一方の日本人学校は,運動会やScuola in Festaで見せた火炎太鼓とソーランである.前日にわざわざリハーサルをやったらしいのだが,その結果,当初はプログラムの中盤に予定されていた火炎太鼓とソーランがとりを飾ることになったとのこと.
いよいよプログラムのスタート.ローマの子達がどんな出し物をするのか期待する.しかし,全体的に何を訴えかけたいのかよく分からないものが続く.最初は,「調教師と動物」なる演技.調教師が鞭を振り,その周りを着ぐるみの動物が動くが,イタリアらしく動きが統制されずにだらだらしていてすぐ飽きる.日本なら「うちの子がなんで鞭を振るわれる側なんだ!」と怒り出す親がいると思う(笑).その後,「○○と○○」という感じの出し物が続く,ポリバケツを使ったアクロバット演技(全然アクロバティックでない),張りぼての人形にナイフを一斉に投げる演技,小学校高学年の男女がペアで一つの大玉を使って体を密着させる演技...もうインパクトがなくて全然思い出せない.大玉の演技は,「うちの娘になんてことをさせるんだ!」と怒り出す父親が続出すると思う.これを一人の演技指導の先生が捌いているのだが,全然統制が取れない演技を半分怒りながら指揮している彼女を見ている方が余程面白い.演技の合間に司会が話術で一生懸命に笑いを取っている.言葉が分かったらこの方が断然面白かったのだろう.ただし,イタリアの学校の名誉のために言っておくと,中学3年生の大縄飛びの演技はさすがにしっかりしてました.
さて,とりは日本人学校.もう三度目の本番ということもあり,ものすごいきっちりと踊っている.プログラムの中でやはり一番の盛り上がり.リハーサルでも余程インパクトがあって最後に回されたのだろう.演技終了後,横に座ってたイタリア人が「おまえの子供があの中にいるのか?」と英語で聞いてくる.「もちろん! うまいだろ?」と答えてやった.解散後にイタリアの子供達も近寄ってきてBravo!と声をかけてくる.子供の頃からのこのなれなれしさには感心する.
プログラム終了とともに,校舎の屋上から多数の花火が上がる.ローマで花火が見られるとは思っても見なかった.これが一番見応えがあった気がする(笑).
2010年6月15日火曜日
突然始まった道路工事とスト
Trastevere駅から自宅に行くには,228番,719番,773番,786番が利用できる.平日の夕方なら,実だいたい5分も待てばこれらのうちのどれかがやってくるので,結構便利だと思っている.これらは途中で異なる経路を取り,最後はいずれも高速道路のようなViale Isacco Newtonを陸橋で通過して下車する停留所に到着する.
先週の木曜日,オフィスから帰りにいつものようにTrastevere駅からバスに乗って自宅に向かっていると,この陸橋のTrastevere方向が工事のためか封鎖されていた.しかし,建設機材があるわけでもなく,何をやっているんだかよく分からなかった.この方向は一旦Viale Isacco Newtonに入り,ちょっと先の陸橋で折り返してから再度この道を経由してVia Portuenseに入るような規制が行われていた.とうぜんそれなりの渋滞が発生している.この時は逆向きのことだったこともあり,全然気にしていなかった.
翌日の朝,子供を学校に送りに家を出発.バス停に到着すると,Trasevere方向がとんでもない渋滞になっている.周辺道路も混んでいる影響で,我々が向かう反対側もいつもより混んでいる.バスが全然来ない.遅刻が頭をよぎった瞬間に,長男のクラスメートの車がたまたま通りかかって,我々を乗せてくれた.結局通常と同じ時刻に子供達を送り届け,786番のバスで駅に向かう.Via Portuenseに入った瞬間からバスが全然動かない.最後まで我慢して乗っていたが,何と1時間半かかってしまった.
その後,駅から3番のバスに乗ろうとすると,バス停に止まっている数台のバスは全てDeposito(回送)と表示されているではないか.仕方ないので,FSでOstiense駅に向かい,MetroのB線に乗り換えてオフィスに向かった.到着して時計を見ると10時20分!自宅を出て2時間半が経過している.東京のイタリア大使館の電話受付が17時半までなので,速攻で電話,何とかつながってホッと一息.
しかし,この道路工事は何の前触れもなく突然やってきた.ATACのホームページを見てみると,昨日まではなかった719番や786番の通行経路変更のお知らせが当日に出ていたのにはびっくり.同じバスに乗っていた乗客はほとんどこの事実を知らなかったと思う.3番のバスはどうやらストだったらしい.これも何時から始まっていて,何時に終わるのかがよく分からないらしい.他の系統でも乗車拒否をしていたと聞いた.
思い出してみると,この前も3番のバスが,1週間程度経路を変えたことがあったが,その初日,ほとんどの乗客はその事実を知らず,何人かの乗客がパニックを起こしてり,舌打ちをしながら慌てて降りていった.結局何で経路変更があったのかの理由は私には分からずじまいだ.
Via Portuenseの陸橋の通行止めは今日現在も依然として続いている.渋滞も先週よりは減っている気がするが,我が家にとっては都心へ向かう第一歩となる道路区間だけに,結局何の工事をしていていつまで続くのか,精神安定上早く情報が欲しいところだ.今のところ,まだその情報のあるホームページを発見できずにいる.
日本であれば,このような道路工事は,近隣住民へや利用者への事前の情報提供や自動車利用を控えるPRなど,かなり用意周到だ.ストも計画段階からかなり大々的に報道されるだろう.一方,こちらではこのような用意周到さはまずないし,ストも起こってから結果が淡々と報道されるように見受けられる.とにかく日本型の「おせっかい情報の洪水」の中で過ごしてきた身としては,突然始まる道路工事や頻発しそうなストに対して,イタリア人のように悠然と構えるのか,やはり積極的に事前情報を取りに行くのか,スタンスをはっきり決めないと精神衛生上良くない.
先週の木曜日,オフィスから帰りにいつものようにTrastevere駅からバスに乗って自宅に向かっていると,この陸橋のTrastevere方向が工事のためか封鎖されていた.しかし,建設機材があるわけでもなく,何をやっているんだかよく分からなかった.この方向は一旦Viale Isacco Newtonに入り,ちょっと先の陸橋で折り返してから再度この道を経由してVia Portuenseに入るような規制が行われていた.とうぜんそれなりの渋滞が発生している.この時は逆向きのことだったこともあり,全然気にしていなかった.
翌日の朝,子供を学校に送りに家を出発.バス停に到着すると,Trasevere方向がとんでもない渋滞になっている.周辺道路も混んでいる影響で,我々が向かう反対側もいつもより混んでいる.バスが全然来ない.遅刻が頭をよぎった瞬間に,長男のクラスメートの車がたまたま通りかかって,我々を乗せてくれた.結局通常と同じ時刻に子供達を送り届け,786番のバスで駅に向かう.Via Portuenseに入った瞬間からバスが全然動かない.最後まで我慢して乗っていたが,何と1時間半かかってしまった.
その後,駅から3番のバスに乗ろうとすると,バス停に止まっている数台のバスは全てDeposito(回送)と表示されているではないか.仕方ないので,FSでOstiense駅に向かい,MetroのB線に乗り換えてオフィスに向かった.到着して時計を見ると10時20分!自宅を出て2時間半が経過している.東京のイタリア大使館の電話受付が17時半までなので,速攻で電話,何とかつながってホッと一息.
しかし,この道路工事は何の前触れもなく突然やってきた.ATACのホームページを見てみると,昨日まではなかった719番や786番の通行経路変更のお知らせが当日に出ていたのにはびっくり.同じバスに乗っていた乗客はほとんどこの事実を知らなかったと思う.3番のバスはどうやらストだったらしい.これも何時から始まっていて,何時に終わるのかがよく分からないらしい.他の系統でも乗車拒否をしていたと聞いた.
思い出してみると,この前も3番のバスが,1週間程度経路を変えたことがあったが,その初日,ほとんどの乗客はその事実を知らず,何人かの乗客がパニックを起こしてり,舌打ちをしながら慌てて降りていった.結局何で経路変更があったのかの理由は私には分からずじまいだ.
Via Portuenseの陸橋の通行止めは今日現在も依然として続いている.渋滞も先週よりは減っている気がするが,我が家にとっては都心へ向かう第一歩となる道路区間だけに,結局何の工事をしていていつまで続くのか,精神安定上早く情報が欲しいところだ.今のところ,まだその情報のあるホームページを発見できずにいる.
日本であれば,このような道路工事は,近隣住民へや利用者への事前の情報提供や自動車利用を控えるPRなど,かなり用意周到だ.ストも計画段階からかなり大々的に報道されるだろう.一方,こちらではこのような用意周到さはまずないし,ストも起こってから結果が淡々と報道されるように見受けられる.とにかく日本型の「おせっかい情報の洪水」の中で過ごしてきた身としては,突然始まる道路工事や頻発しそうなストに対して,イタリア人のように悠然と構えるのか,やはり積極的に事前情報を取りに行くのか,スタンスをはっきり決めないと精神衛生上良くない.
2010年6月14日月曜日
ついにNulla Ostaを手にした!(3)
当初,Nulla Ostaが出るのは6/9と言われていたが,途中で6/10になった.ここまでくれば,このくらいの遅れは全然気にならない.6/8にイタリア大使館に電話をした.Nulla Ostaを持参すればどのくらいの日数でVisaが取れるのか聞くと,「Nulla Ostaが出ていれば早いです.記載に何も間違いがなければ1週間で取れます」とのこと.1週間も掛かるくせに,自信ありげに「早いです」と言われてもなぁ.「でも,こちらのコンピュータでオンラインであなたの情報が見られないとVisaは発行できません.Nulla Ostaが出てもたまにオンラインに登場しないケースがあるので注意して下さい」って,私が注意すべき問題ではないぞ.
先の「記載に何も間違いがなければ」という部分が心に引っかかった.「そう言えばSURに連絡してあるローマの住所が間違ったままかも知れない...」と思い,L氏に確認すると,やはりそのようだった.「Prefetuuraに変更してもらうように連絡する」とのことで待っていると,「住所を変えるにはプロセスのやり直しが必要で,さらに一ヶ月オーダーの時間がかかる」とのことだった.どんな発行システムになっているか分からないが,何でこんなことでプロセスのやり直しになるのか,全く不明だ.そんなに仕事したいのか? 間違った住所はそもそも対応する番地がないのだから,登録システムの方でそれが検知できないのはおかしいのでは?
それでも「まあ大丈夫じゃない?」とのことなので,そのままこの間違った住所と心中するしかない.次の問題は家族のVisaに関してだが,「同行家族のNulla Ostaはあるんですか?」との大使館員の一言で固まる.「発行されてみないと分からない」と答えると,「ない場合は,発行して貰わないとダメです.ただしご主人にNulla Ostaが出ているんなら,一ヶ月くらいで出るんじゃないですか?」というではないか!
結局6/10にNulla Ostaが発行され,オンラインにも登場したのであるが,やはり同行家族のものはない.私が家族で来ていることが分かっているのに,なぜ同行家族のNulla Ostaの手続きが進んでいないのか,まったく意味が分からない.ホームページで過去の経験者のブログを確認すると,同行家族のNulla Ostaが出るのにものすごく時間がかかるようで,しかも同行家族が一緒に来ることを認めない時期もあったそうだ(最初は単身赴任).子供の小学校の父兄の方にも聞いてみると,同様の経験をされているケースが何と多いこと.
当初家族全員で一時帰国して全員でVisaを取得をしようと思ったのだが,全くもって無駄のようだ.結局,6月下旬に私だけ帰国して,Visaを取得して急ぎローマに戻り,至急私の滞在許可証の申請を開始,申請が受理されたら今度は同行家族の滞在許可証の申請,というふうなプロセスを踏むことを決意した.まだまだやるべきことが多い.いつになったら安息の日々が訪れるのか?
発行されたNulla Ostaを見ると,住所はやはり間違っていた.トホホ.
先の「記載に何も間違いがなければ」という部分が心に引っかかった.「そう言えばSURに連絡してあるローマの住所が間違ったままかも知れない...」と思い,L氏に確認すると,やはりそのようだった.「Prefetuuraに変更してもらうように連絡する」とのことで待っていると,「住所を変えるにはプロセスのやり直しが必要で,さらに一ヶ月オーダーの時間がかかる」とのことだった.どんな発行システムになっているか分からないが,何でこんなことでプロセスのやり直しになるのか,全く不明だ.そんなに仕事したいのか? 間違った住所はそもそも対応する番地がないのだから,登録システムの方でそれが検知できないのはおかしいのでは?
それでも「まあ大丈夫じゃない?」とのことなので,そのままこの間違った住所と心中するしかない.次の問題は家族のVisaに関してだが,「同行家族のNulla Ostaはあるんですか?」との大使館員の一言で固まる.「発行されてみないと分からない」と答えると,「ない場合は,発行して貰わないとダメです.ただしご主人にNulla Ostaが出ているんなら,一ヶ月くらいで出るんじゃないですか?」というではないか!
結局6/10にNulla Ostaが発行され,オンラインにも登場したのであるが,やはり同行家族のものはない.私が家族で来ていることが分かっているのに,なぜ同行家族のNulla Ostaの手続きが進んでいないのか,まったく意味が分からない.ホームページで過去の経験者のブログを確認すると,同行家族のNulla Ostaが出るのにものすごく時間がかかるようで,しかも同行家族が一緒に来ることを認めない時期もあったそうだ(最初は単身赴任).子供の小学校の父兄の方にも聞いてみると,同様の経験をされているケースが何と多いこと.
当初家族全員で一時帰国して全員でVisaを取得をしようと思ったのだが,全くもって無駄のようだ.結局,6月下旬に私だけ帰国して,Visaを取得して急ぎローマに戻り,至急私の滞在許可証の申請を開始,申請が受理されたら今度は同行家族の滞在許可証の申請,というふうなプロセスを踏むことを決意した.まだまだやるべきことが多い.いつになったら安息の日々が訪れるのか?
発行されたNulla Ostaを見ると,住所はやはり間違っていた.トホホ.
2010年6月13日日曜日
ついにNulla Ostaを手にした!(2)
ローマに到着後,受け入れ機関のSURに引き続き,滞在ビザ取得のためのNulla Ostaの発行手続きを依頼する.もちろん,渡伊前から手続きは開始してあるので,後は私の滞在が妥当であるという証明をPrefettura di Romaにどのように認めさせるかが勝負となる.
しかし,SURに出勤していても一向にその情報が入ってこない.SUR内で本件を担当してくれているL氏に何度も連絡を取るが,「とにかく時間がかかるんだ」というのみ.彼は英語があまりできないので,会話でのコミュニケーションはなかなかに難しい.英語が出来るF女史は予定のすれ違いでたまに1週間くらい会わないこともこともあるし,何より6月末の国際会議準備の総指揮官であるので,在室中はほぼそれに掛かりきりで,あんまり私の問題で煩わせるのもかわいそうだ.結局,基本的には待つしかなかったのだ.
やがて,5月中旬くらいにF女史から「これにサインして欲しい」と言われ,サイン.たぶん何らかの合意文書だろう.その後,5月下旬にL氏がこのサイン付き文書と共にPrefetturaに出頭して,「6/9にNulla Ostaが出る」ということになった.
次の問題は,日本に帰る必要があるかどうかだ.確認の結果,ビザの発行はやはり当地では無理ということになり,①滞在ビザなし,Nulla Ostaだけで滞在許可証の手続きが出来るか,②やはり日本に帰ってビザを取ってから滞在許可証の手続きを行うか,の判断が次の課題となる.①について,滞在中にヨーロッパ各国に業務出張を企てている身としては様々な不都合が予想される.滞在許可証を申請出来たとしても,帰国までに発行されないかも知れない.やはり②にしなければならない.
②にするとして,どのくらいの日数でビザが取得できるかが次の問題である.東京のイタリア大使館に電話で確認したのであるが,そこでとんでもない事実が判明する.続きは次回.
しかし,SURに出勤していても一向にその情報が入ってこない.SUR内で本件を担当してくれているL氏に何度も連絡を取るが,「とにかく時間がかかるんだ」というのみ.彼は英語があまりできないので,会話でのコミュニケーションはなかなかに難しい.英語が出来るF女史は予定のすれ違いでたまに1週間くらい会わないこともこともあるし,何より6月末の国際会議準備の総指揮官であるので,在室中はほぼそれに掛かりきりで,あんまり私の問題で煩わせるのもかわいそうだ.結局,基本的には待つしかなかったのだ.
やがて,5月中旬くらいにF女史から「これにサインして欲しい」と言われ,サイン.たぶん何らかの合意文書だろう.その後,5月下旬にL氏がこのサイン付き文書と共にPrefetturaに出頭して,「6/9にNulla Ostaが出る」ということになった.
次の問題は,日本に帰る必要があるかどうかだ.確認の結果,ビザの発行はやはり当地では無理ということになり,①滞在ビザなし,Nulla Ostaだけで滞在許可証の手続きが出来るか,②やはり日本に帰ってビザを取ってから滞在許可証の手続きを行うか,の判断が次の課題となる.①について,滞在中にヨーロッパ各国に業務出張を企てている身としては様々な不都合が予想される.滞在許可証を申請出来たとしても,帰国までに発行されないかも知れない.やはり②にしなければならない.
②にするとして,どのくらいの日数でビザが取得できるかが次の問題である.東京のイタリア大使館に電話で確認したのであるが,そこでとんでもない事実が判明する.続きは次回.
2010年6月11日金曜日
ついにNulla Ostaを手にした!(1)
さて,懸案のビザ問題である.あれからどうなったか,気になっている人もいるだろう.ビザや滞在許可証の申請は,イタリア滞在を志す者にとっては誰もる通る険しい道のりだ.何が必要なのか,どういうトラブルがあるのか,といった経験談がインターネット上で確認できる.これまで,これらを十分に参考にさせて頂いた.私もこれまでのプロセスを記録として残し,続く人たちに参考情報を提供したい.
今年の1月下旬にイタリア大使館を訪れて,滞在ビザ申請のために何が必要かを確認,日本人職員から「受け入れ機関(SURと呼ぶ)にSportello Unico per l'Immigrazione(SUI)」に労働許可証を申請するようにお願いして下さい」と言われる.「別にSURが費用を出してくれる訳でもないのになんで?」と思ったのだが,仕方ないのでSURにその通りメールで依頼したのがファーストアクション.
その後,いつまで経ってもSURから許可証(Nulla Osta)が発行されたという連絡がない.催促しても,「思ったより大変だ」というリアクション.4月1日の渡航を決めていたので,3月下旬に再度大使館に相談した.「サバティカルなら就学ビザの申請もトライしてみましょう」とのことで,急遽SURに「単に家族で滞在する研究者を受け入れます.彼らの住居も決まっています.収入が発生するような業務は一切させません」という内容の宣誓書をSURの代表者に作ってもらう.住居の大家からも身分証明書のコピーと受け入れ証明をもらう.大学からも在職証明(収入情報入り)を発行してもらう.これらの準備を数日で行い,渡航を4月6日に延期して,3月29日に家族揃って大使館に出頭し,就学ビザを申請し,一旦は受理されたのだった.
しかし,翌日の午後に日本人職員から耳を疑うような連絡が携帯に入る.「やっぱりビザを出すことは出来ないので取り下げ申請をして欲しい」と言われる.理由を尋ねてもはっきりした答えは帰ってこない.「最近法律が変わって,このやり方が駄目になった.大使も『このケースはかわいそうだけど却下ですね』と言っていました」らしい.
仕方ないので取り下げ申請をして,パスポートを受け取る.するとパスポートのある頁にビザ申請中であることを示す印がある.「入国審査でこれを見た係員が何か言うかも知れないのできちんと説明して」と言うではないか.思わず,「勝手に押しておいてその言いぐさは何だ」と怒鳴る.怒鳴っても仕方ないのは分かっているが,そうせざるを得なかった.
いずれにしても渡航の再延長はあり得なかったので,強行出発した.後はローマで何とかなることを願いながら.続きは次回.
今年の1月下旬にイタリア大使館を訪れて,滞在ビザ申請のために何が必要かを確認,日本人職員から「受け入れ機関(SURと呼ぶ)にSportello Unico per l'Immigrazione(SUI)」に労働許可証を申請するようにお願いして下さい」と言われる.「別にSURが費用を出してくれる訳でもないのになんで?」と思ったのだが,仕方ないのでSURにその通りメールで依頼したのがファーストアクション.
その後,いつまで経ってもSURから許可証(Nulla Osta)が発行されたという連絡がない.催促しても,「思ったより大変だ」というリアクション.4月1日の渡航を決めていたので,3月下旬に再度大使館に相談した.「サバティカルなら就学ビザの申請もトライしてみましょう」とのことで,急遽SURに「単に家族で滞在する研究者を受け入れます.彼らの住居も決まっています.収入が発生するような業務は一切させません」という内容の宣誓書をSURの代表者に作ってもらう.住居の大家からも身分証明書のコピーと受け入れ証明をもらう.大学からも在職証明(収入情報入り)を発行してもらう.これらの準備を数日で行い,渡航を4月6日に延期して,3月29日に家族揃って大使館に出頭し,就学ビザを申請し,一旦は受理されたのだった.
しかし,翌日の午後に日本人職員から耳を疑うような連絡が携帯に入る.「やっぱりビザを出すことは出来ないので取り下げ申請をして欲しい」と言われる.理由を尋ねてもはっきりした答えは帰ってこない.「最近法律が変わって,このやり方が駄目になった.大使も『このケースはかわいそうだけど却下ですね』と言っていました」らしい.
仕方ないので取り下げ申請をして,パスポートを受け取る.するとパスポートのある頁にビザ申請中であることを示す印がある.「入国審査でこれを見た係員が何か言うかも知れないのできちんと説明して」と言うではないか.思わず,「勝手に押しておいてその言いぐさは何だ」と怒鳴る.怒鳴っても仕方ないのは分かっているが,そうせざるを得なかった.
いずれにしても渡航の再延長はあり得なかったので,強行出発した.後はローマで何とかなることを願いながら.続きは次回.
2010年6月10日木曜日
ついに酷暑の始まりか?
今週は,先週までとは確実に変わったことがある.日陰や建物の中にいても涼しさを感じなくなったことと,外を歩いていて汗をかくようになったことだ.私のPCにはローマの気温がリアルタイムで表示されているが,今日は34度まで上がった.このブログを書いている19時現在でも30度.一気に暑くなった.
二週間くらい前は,朝8時前に家を出る時には気温は10度台中頃で,半袖を着ていくのに躊躇していたのがうそのようだ.子供達の学校では,6月に入ってから週2日,午後の授業は水泳教室に切り替わっている.学校近くのスポーツクラブのプールを貸し切りにしてもらっているらしい.何ともうらやましい.
暑くなってくると消費量が増えるもの.我が家ではジェラートのようだ.子供達も早くもはまっている.こちらに来てからビールは極力控えていたのだが,そろそろ我慢も限界に近づいてきている.そろそろローマ自慢の白ワインに強いガス入りミネラルウォーターを混ぜて飲みたくなる.
バスも一気にクーラーが入るようになった.ただし,スイッチを入れないドライバーもいるようで,戦々恐々だ.こちらのバスは窓がちょっとしか開かないので,そんなバスに遭遇したら中は灼熱地獄であるに違いない.
夜も寝苦しくなった.布団を掛けるとはっきり言って暑い.我が家は主寝室のみクーラーが設置されている.子供の寝室には天井に扇風機が付いているだけだ.リビングにもない.1度の夏を過ごすだけだから,何とか増設しないでがんばるつもりだ.
二週間くらい前は,朝8時前に家を出る時には気温は10度台中頃で,半袖を着ていくのに躊躇していたのがうそのようだ.子供達の学校では,6月に入ってから週2日,午後の授業は水泳教室に切り替わっている.学校近くのスポーツクラブのプールを貸し切りにしてもらっているらしい.何ともうらやましい.
暑くなってくると消費量が増えるもの.我が家ではジェラートのようだ.子供達も早くもはまっている.こちらに来てからビールは極力控えていたのだが,そろそろ我慢も限界に近づいてきている.そろそろローマ自慢の白ワインに強いガス入りミネラルウォーターを混ぜて飲みたくなる.
バスも一気にクーラーが入るようになった.ただし,スイッチを入れないドライバーもいるようで,戦々恐々だ.こちらのバスは窓がちょっとしか開かないので,そんなバスに遭遇したら中は灼熱地獄であるに違いない.
夜も寝苦しくなった.布団を掛けるとはっきり言って暑い.我が家は主寝室のみクーラーが設置されている.子供の寝室には天井に扇風機が付いているだけだ.リビングにもない.1度の夏を過ごすだけだから,何とか増設しないでがんばるつもりだ.
2010年6月9日水曜日
Villa Doria Pamphili
ローマ市内で有名な都市公園としてVilla Borgheseがある.スペイン階段やポポロ広場に隣接する丘上に展開している.有名なボルゲーゼ美術館や動物園もあるし,そのローケーションは最高だ.4月に動物園に行った時に中を通っただけだが,なかなか雰囲気の良さそうな公園だったと記憶している.しかし残念ながらこの公園は自宅から遠いので,なかなか足を運ぶチャンスがない.
そう思っていたある日,ランチを共にした研究所の女性スタッフが「私はVilla Doria Pamphiliが好きでお薦めなんだけど,もう行った?」と口にする.それが何か確認すると都市公園だと言う.「例えば子供とサッカーなんかは出来るスペースはあるの?」と行くと,「もちろん」とのこと.そのスタッフはTrastevereに住んでいて,自宅近くのこの公園をよく散策するようだ.地図で確認すると,確かにTrastevereの西側に大きな緑地空間がある.Googleの航空写真で見ると,この空間の東側は庭園風,西側は草原風の趣だ.
この前の日曜日,午後の暑さのピークを過ぎてからこの公園に行ってみることにした.庭園風のところに行っても子供達はつまらないだろうから,草原風のエリアへサッカーボールを持参して出発.バスを乗り継いで,Via Leone XIIIにあるバス停で下車.近くにある門を入ると,やがて滑り台,ブランコなどがあるいわゆる児童公園を発見.子供達はローマに来てからこの手のものに飢えていたので,これだけで満足だろう.もちろん,持ってきたサッカーボールでも十分に楽しんだ.
少し離れたところで,凧を揚げているおじさんがいる.そばにはたくさんの凧が置いてある.なるほど,凧売りがデモンストレーションをしながら売っているのだ.ああいうものを買って欲しいと親にせがむのは万国共通,数十分見ている間に3つも売れている.ローマにいると,どこででも商売できるんだと思う.東京の日比谷公園や井の頭公園ではこんな商売できません.
今回は残念ながらこの児童公園の一角だけの体験だ.また来ることがあると思うので,公園内の別の場所は別の機会に紹介したい.ちなみに,この日の夜はTrastevereの有名ピザ屋でピザを堪能しました.
そう思っていたある日,ランチを共にした研究所の女性スタッフが「私はVilla Doria Pamphiliが好きでお薦めなんだけど,もう行った?」と口にする.それが何か確認すると都市公園だと言う.「例えば子供とサッカーなんかは出来るスペースはあるの?」と行くと,「もちろん」とのこと.そのスタッフはTrastevereに住んでいて,自宅近くのこの公園をよく散策するようだ.地図で確認すると,確かにTrastevereの西側に大きな緑地空間がある.Googleの航空写真で見ると,この空間の東側は庭園風,西側は草原風の趣だ.
この前の日曜日,午後の暑さのピークを過ぎてからこの公園に行ってみることにした.庭園風のところに行っても子供達はつまらないだろうから,草原風のエリアへサッカーボールを持参して出発.バスを乗り継いで,Via Leone XIIIにあるバス停で下車.近くにある門を入ると,やがて滑り台,ブランコなどがあるいわゆる児童公園を発見.子供達はローマに来てからこの手のものに飢えていたので,これだけで満足だろう.もちろん,持ってきたサッカーボールでも十分に楽しんだ.
少し離れたところで,凧を揚げているおじさんがいる.そばにはたくさんの凧が置いてある.なるほど,凧売りがデモンストレーションをしながら売っているのだ.ああいうものを買って欲しいと親にせがむのは万国共通,数十分見ている間に3つも売れている.ローマにいると,どこででも商売できるんだと思う.東京の日比谷公園や井の頭公園ではこんな商売できません.
今回は残念ながらこの児童公園の一角だけの体験だ.また来ることがあると思うので,公園内の別の場所は別の機会に紹介したい.ちなみに,この日の夜はTrastevereの有名ピザ屋でピザを堪能しました.
2010年6月8日火曜日
サンピエトロ大聖堂のクーポラに昇る(2)
いよいよ残った320段の攻略.どうやら基本的に半球状のクーポラの内部壁面に沿って昇っていくようだ.そのため,ところどころ体を斜めにしないと通り抜けできない.いよいよきつくなってきたのか,狭い空間でところどころ休んでいる人たちがいるが,我々はお構いなしに一気にテラスを目指す.それでも最後はかなりきつかった.
最後の階段は,狭い円筒の中を通じている螺旋階段.手すりなどなく,中心部に長いロープがぶら下がっている.疲れた体に鞭打ってこれを一気に昇ると,ついにローマを一望できるクーポラのテラスに到着だ.乾燥しているローマとは言え,結構汗をかく.
テラスからの景色は,さすがに美しかったとしか言いようがない.クーポラ上部を一周するテラスの南側に出てくるので,最初に目に飛び込んでくるのはジャニコロの丘の美しい緑.そしてちょっと左側に動けば,サンピエトロ広場とその向こう側にサンタンジェロ城,テベレ川がくっきりと見える,ガイドブックでおなじみの景色が見える.真っ白なビットリオエマヌエーレ2世記念堂,同じ半球状の天井を持つパンテオンも見える.この位置をゲットするのにはそれなりに待たなければならない.
もう少し左側に廻ると,今度はバチカン博物館の威容を見ることが出来る.内部の見学に半日くらいかかってしまうのも納得.その左はバチカンの庭園が見える.この庭園は上からしか見られないのが残念だ.出口の階段は北側にあるのだが,狭い円筒内の螺旋階段を下りるので,処理能力が低い.出口渋滞だ.
後は昇りと同じ構造の階段通路を下るだけだ.エレベーター乗り場の近くには売店がある.ここで休憩がてらなぜか絵はがきを購入.そして最後の231段の階段を下って,大聖堂内に到着.実はこの最後の階段が鬼門.最初の階段と同じで段差の小さい幅の大きい螺旋階段,疲れた足には結構厳しい.
いずれにせよこれは5ユーロの価値はある.混むことは必定だが,是非晴れた日に行きたいところだ.その後に食べるジェラートはきっとおいしいですよ.折角なので我々は超有名店のGiolittiまで遠征しましたが...
最後の階段は,狭い円筒の中を通じている螺旋階段.手すりなどなく,中心部に長いロープがぶら下がっている.疲れた体に鞭打ってこれを一気に昇ると,ついにローマを一望できるクーポラのテラスに到着だ.乾燥しているローマとは言え,結構汗をかく.
テラスからの景色は,さすがに美しかったとしか言いようがない.クーポラ上部を一周するテラスの南側に出てくるので,最初に目に飛び込んでくるのはジャニコロの丘の美しい緑.そしてちょっと左側に動けば,サンピエトロ広場とその向こう側にサンタンジェロ城,テベレ川がくっきりと見える,ガイドブックでおなじみの景色が見える.真っ白なビットリオエマヌエーレ2世記念堂,同じ半球状の天井を持つパンテオンも見える.この位置をゲットするのにはそれなりに待たなければならない.
もう少し左側に廻ると,今度はバチカン博物館の威容を見ることが出来る.内部の見学に半日くらいかかってしまうのも納得.その左はバチカンの庭園が見える.この庭園は上からしか見られないのが残念だ.出口の階段は北側にあるのだが,狭い円筒内の螺旋階段を下りるので,処理能力が低い.出口渋滞だ.
後は昇りと同じ構造の階段通路を下るだけだ.エレベーター乗り場の近くには売店がある.ここで休憩がてらなぜか絵はがきを購入.そして最後の231段の階段を下って,大聖堂内に到着.実はこの最後の階段が鬼門.最初の階段と同じで段差の小さい幅の大きい螺旋階段,疲れた足には結構厳しい.
いずれにせよこれは5ユーロの価値はある.混むことは必定だが,是非晴れた日に行きたいところだ.その後に食べるジェラートはきっとおいしいですよ.折角なので我々は超有名店のGiolittiまで遠征しましたが...
2010年6月7日月曜日
サンピエトロ大聖堂のクーポラに昇る(1)
どんな都市に行っても,その都市で最も高いところに昇るのが,その地勢を理解する上で最適だと思っている.最近の大都市には,超高層ビルやテレビ塔のような建築物がある.しかし,ローマでは決して超高層ビルを見ることはない.近年では大変珍しい都市だ.
現在のローマで,都市を高いところから見渡すのに最適な場所はやはりバチカンにあるサンピエトロ大聖堂のクーポラだろう.この近くにあるサンタンジェロ城や,ポポロ広場の上にあるテラスでも,あるいはジャニコロの丘あたりも市内を一望できることには変わりないが,恐らくクーポラには勝てないであろう.
この前の土曜日にサンピエトロ大聖堂のクーポラに昇ることにした.まずは,炎天下の長い列に並び手荷物チェックを受ける.これは結構しっかりしていて,だから長蛇の列になるのだろう.これを抜けると,一度寺院の建物の中に通過してから,クーポラへの入場券を購入するカウンターに辿り着く.全部で551段の階段を上らなければならないのだが,最初エレベーターで上がってから残りの320段を上るコースも用意されている.前者は5ユーロ,後者は7ユーロ.どちらにするか迷ったが,5ユーロコースにした.ちなみに子供は無料だった.
最初の231段は緩やかな螺旋状の階段を上っていく.この段階ではまだ超余裕である.エレベーター組が多いので,ここまでは非常に空いている.これを登り切り,エレベーター組と合流した地点からは,これから目指すクーポラがよく見えるが,まだ全然高い位置にある.これからの320段は結構大変そうだ.そう考えると,エレベーター代の2ユーロは非常に微妙だ.エレベーターもすんなり乗れるわけではなさそうなので,足腰の強さが普通の人なら5ユーロコースでいいと思う.続きは次回.
現在のローマで,都市を高いところから見渡すのに最適な場所はやはりバチカンにあるサンピエトロ大聖堂のクーポラだろう.この近くにあるサンタンジェロ城や,ポポロ広場の上にあるテラスでも,あるいはジャニコロの丘あたりも市内を一望できることには変わりないが,恐らくクーポラには勝てないであろう.
この前の土曜日にサンピエトロ大聖堂のクーポラに昇ることにした.まずは,炎天下の長い列に並び手荷物チェックを受ける.これは結構しっかりしていて,だから長蛇の列になるのだろう.これを抜けると,一度寺院の建物の中に通過してから,クーポラへの入場券を購入するカウンターに辿り着く.全部で551段の階段を上らなければならないのだが,最初エレベーターで上がってから残りの320段を上るコースも用意されている.前者は5ユーロ,後者は7ユーロ.どちらにするか迷ったが,5ユーロコースにした.ちなみに子供は無料だった.
最初の231段は緩やかな螺旋状の階段を上っていく.この段階ではまだ超余裕である.エレベーター組が多いので,ここまでは非常に空いている.これを登り切り,エレベーター組と合流した地点からは,これから目指すクーポラがよく見えるが,まだ全然高い位置にある.これからの320段は結構大変そうだ.そう考えると,エレベーター代の2ユーロは非常に微妙だ.エレベーターもすんなり乗れるわけではなさそうなので,足腰の強さが普通の人なら5ユーロコースでいいと思う.続きは次回.
2010年6月6日日曜日
どうでもいい共和国記念日?
6/2はFesta della Repubblica(共和国記念日)で祝日だった.終戦の翌年,国民投票で王政から共和制への移行を決めた日を記念したものだ.ファシズム政権の崩壊を祝した解放記念日である4/25とセットで考えればよい.解放記念日はローマに来てから間もないこともあったし,何より日曜日だったこともあり,ほとんど意識していなかった.この日は確かフォロロマーノなどに行った日だったと思う.そう言えばピラミデからコロッセオの間の街路で何かデモ行進のようなものがあった気がする.
さて,その共和国記念日.朝からコロッセオとベネツィア広場を結ぶVia dei Fori Imperialiでセレモニーがあった.見に行ってみようとも思ったのだが寝坊した.朝テレビを付けるとその模様が中継されたので,そのまま見ていた.ナポリターノ大統領がパレードカーに乗って登場し,ベルルスコーニ首相らが出迎える.イタリア国歌斉唱があり,パレードがスタート.まあ簡単に言えば軍事パレードのようだった.単調で途中で見るのを止めてしまった.
聞いた話では,戦闘機が上空を飛び,イタリア国旗に使われている赤,緑,白の三色のスモークで彩るらしい.前日の午後に戦闘機が上空を飛び交っていて,仕事していて大変気になったのだが,きっとこれの練習をしていたのだろう.退屈なパレードはどうでもいいが,これだけは見てみたかった気がする.
それにしても,この共和国記念日.一般市民レベルでは単なる祝日であって,あまり盛り上がりを見せていないようだ.よく言われているように,イタリア人は都市や地域への帰属意識は強いが国へのそれはほとんどないからなのだろう.6/29はローマの守護聖人への感謝の意を込めた祝日なのだそうだが,この時は盛り上がるのだろうか.
結局この日は,夕方からTrastevereのレストランに出かけただけだけの,ゆっくりした一日だった.
さて,その共和国記念日.朝からコロッセオとベネツィア広場を結ぶVia dei Fori Imperialiでセレモニーがあった.見に行ってみようとも思ったのだが寝坊した.朝テレビを付けるとその模様が中継されたので,そのまま見ていた.ナポリターノ大統領がパレードカーに乗って登場し,ベルルスコーニ首相らが出迎える.イタリア国歌斉唱があり,パレードがスタート.まあ簡単に言えば軍事パレードのようだった.単調で途中で見るのを止めてしまった.
聞いた話では,戦闘機が上空を飛び,イタリア国旗に使われている赤,緑,白の三色のスモークで彩るらしい.前日の午後に戦闘機が上空を飛び交っていて,仕事していて大変気になったのだが,きっとこれの練習をしていたのだろう.退屈なパレードはどうでもいいが,これだけは見てみたかった気がする.
それにしても,この共和国記念日.一般市民レベルでは単なる祝日であって,あまり盛り上がりを見せていないようだ.よく言われているように,イタリア人は都市や地域への帰属意識は強いが国へのそれはほとんどないからなのだろう.6/29はローマの守護聖人への感謝の意を込めた祝日なのだそうだが,この時は盛り上がるのだろうか.
結局この日は,夕方からTrastevereのレストランに出かけただけだけの,ゆっくりした一日だった.
2010年6月4日金曜日
街中を運転して買い出しに
これまで週末にレンタカーを借りる時には,土曜日の午前9時に借りて月曜日の午前9時に返すようにしていた.そうするとまる2日間の契約で済む.今週月曜日は,研究所の都合で休みだったので,火曜日の午前9時までレンタカーを借りておいた.ちなみにレンタカーはスタイリッシュなイタリアンレッドのFiat500だ.
月曜日は子供達は学校で,夕方に迎えに行かなければならないので,遠くの観光地には行けない.そこで,重い物やかさばる物の買い出しに徹することにした.手持ちの米が底を尽きかけていたので,ちょうどよい.お米が「太陽」という日本食レストランで比較的安く購入できるとの情報をキャッチしていたので,昼ご飯もついでに食べてみようということで,そこに向かうことにした.
このレストランはBologna広場に近いところにある.我が家からはローマ中心部を挟んで完全に反対側だ.環状高速GRAに出てぐるっと廻っていくのがもっとも簡単そうな行き方だったが,ものすごい遠回りだ.内側にCirconvallazioneという名の付いた環状道路がいくつかあるのだが,相互に繋がっていない.そこで,思い切って都心部を突っ切ることにした.
結論から言うと,ネットワークをある程度覚えていないと運転は難しいということだ.日本のように頭上に案内標識なんかない(あっても役に立たないことが多いが).一方通行が多いことと,トラムの通る街路では左折に苦労することが難点だ.それでも,主要な街路ネットワークは大体頭に入っていたので,思ったよりも苦労せずに行くことが出来た.なお,主要街路は片方だけバス・タクシー専用だったりするから始末が悪い.有名な目抜き通りであるVia Nationaleがそうで,ここで堂々と違反をすることになってしまった.
この太陽,経営は日本人ではなく欧州でありがちなパターンではあるが,試しに天ぷらを頼んでみると,案外おいしかった.その他は久しぶりのラーメンとチャーハン.その時は我々以外に東洋人の客はおらず,イタリア人が5グループくらい入っていた.だいたいのグループで寿司を注文していたが,結構おいしいのかも知れない.値段もそんなに高くないので,イタメシに飽きたらお薦めだ.もちろんお米も15kg購入.その他にも多様な日本食材を輸入して売っているので,また来る機会はあると思う.
その後は夏用の掛け布団を買いにIKEAに向かう.今度は勝手知ったるA24とGRAでスムーズに到着.購入後日本人学校へ向かう.油断したのか2度も予定した高速出口で出ることができなかった.GRAはまだまだ使いこなせていないようだ.
月曜日は子供達は学校で,夕方に迎えに行かなければならないので,遠くの観光地には行けない.そこで,重い物やかさばる物の買い出しに徹することにした.手持ちの米が底を尽きかけていたので,ちょうどよい.お米が「太陽」という日本食レストランで比較的安く購入できるとの情報をキャッチしていたので,昼ご飯もついでに食べてみようということで,そこに向かうことにした.
このレストランはBologna広場に近いところにある.我が家からはローマ中心部を挟んで完全に反対側だ.環状高速GRAに出てぐるっと廻っていくのがもっとも簡単そうな行き方だったが,ものすごい遠回りだ.内側にCirconvallazioneという名の付いた環状道路がいくつかあるのだが,相互に繋がっていない.そこで,思い切って都心部を突っ切ることにした.
結論から言うと,ネットワークをある程度覚えていないと運転は難しいということだ.日本のように頭上に案内標識なんかない(あっても役に立たないことが多いが).一方通行が多いことと,トラムの通る街路では左折に苦労することが難点だ.それでも,主要な街路ネットワークは大体頭に入っていたので,思ったよりも苦労せずに行くことが出来た.なお,主要街路は片方だけバス・タクシー専用だったりするから始末が悪い.有名な目抜き通りであるVia Nationaleがそうで,ここで堂々と違反をすることになってしまった.
この太陽,経営は日本人ではなく欧州でありがちなパターンではあるが,試しに天ぷらを頼んでみると,案外おいしかった.その他は久しぶりのラーメンとチャーハン.その時は我々以外に東洋人の客はおらず,イタリア人が5グループくらい入っていた.だいたいのグループで寿司を注文していたが,結構おいしいのかも知れない.値段もそんなに高くないので,イタメシに飽きたらお薦めだ.もちろんお米も15kg購入.その他にも多様な日本食材を輸入して売っているので,また来る機会はあると思う.
その後は夏用の掛け布団を買いにIKEAに向かう.今度は勝手知ったるA24とGRAでスムーズに到着.購入後日本人学校へ向かう.油断したのか2度も予定した高速出口で出ることができなかった.GRAはまだまだ使いこなせていないようだ.
2010年6月3日木曜日
週末の海水浴は大変!
Tivoliに行った翌日の日曜日は,1ヶ月ぶりに海に行くことにした.最高気温は25度くらい.海水浴には少し寒いが日差しが強いので問題はないだろう.今度はきちんと水着を持参した.問題はどこに行くかだ.ローマの近く,Fiumicino空港の南側にはOstiaというマリンレジャーの地がある.google mapで見ると,その南側にも長い砂浜がたくさんありそうだ.そこで,まずはOstiaに向かい,そこから南下しながらいい場所を探すことにした.朝から行っても寒いので,十分に暑くなる正午を目処に海水浴が出来るように遅めに出発.しかし,この判断はどうやら間違いのようだった.
渋滞なくOstiaに到着して,とりあえず海岸沿いの道に出てみる.海岸は5km以上に渡ってプライベートビーチのようにRistranteなどで囲まれている.要するに,浜にアクセスするには入場料が必要だということだ.道路上は車が隙間なく駐車されている.駐車スペースを探す車が低速で走行したり,二重駐車で待っていたりするので,ものすごい渋滞だ.こういうときのマニュアル車はつらい.車内も風が入らないので熱い.
Ostiaを何とか抜けて海岸沿いをさらに南下.どこまで行っても海岸にアクセスできるところの前後は路上駐車で一杯だ.それでまたまた渋滞.それでも15kmくらい進んだところに,たまたま1台分のスペースを発見.後続車との戦いに勝ってそこを確保する.
海岸に行ってレジャーシートを敷いて場所を確保.道路は混んでいたが,海岸はそんなに混んでない.日焼け対策に上半身はラッシュガードを着用する.気温は25度以上とはいえ,風が吹くとまだ少し寒い.それでも早速海に入る.すると,とたんに雲が出てきて怪しい天候になってしまった.
仕方ないので,一度あがって砂遊び.子供達はイタリアのちびっ子の破壊工作に遭いながら砂浜で造形をしている.この様子を遠くから見てその母親はたまに怒るが,全然効果がない.何回か姉が注意してくれていたが,これも効き目なし.子供の間の問題は自分たちで解決しろということなのか.そのうち我が子供達も対抗策をいろいろと考え出す.黙ってみているとその攻防はなかなか面白い.それにしてもこの母親は,この子が勝手にどこかにふらふら行ってしまっても,全然気にするそぶりがなく,一人で泳いでいる.子供が知らぬ間に沖に流されてしまったらどうするつもりなのか? こちらではこのような対応が普通なのだろうか?
そうこうしているうちにもう一度晴れてきたので,再び海に入る.夕方まで十分に堪能して帰途についた.それにしても,5月末なのにこんなに苦労していたら,6月になったらどうなってしまうんだろうか.早朝からもっと遠くに行かないとダメだろう.研究所のF女史いわく,「週末なんかに行ったらダメよ,平日に行かなきゃ」とのこと.どうやらサボっていくしかなさそうだが,6月中旬にはイタリアの小学校は早くも休みに入るそうだ...
渋滞なくOstiaに到着して,とりあえず海岸沿いの道に出てみる.海岸は5km以上に渡ってプライベートビーチのようにRistranteなどで囲まれている.要するに,浜にアクセスするには入場料が必要だということだ.道路上は車が隙間なく駐車されている.駐車スペースを探す車が低速で走行したり,二重駐車で待っていたりするので,ものすごい渋滞だ.こういうときのマニュアル車はつらい.車内も風が入らないので熱い.
Ostiaを何とか抜けて海岸沿いをさらに南下.どこまで行っても海岸にアクセスできるところの前後は路上駐車で一杯だ.それでまたまた渋滞.それでも15kmくらい進んだところに,たまたま1台分のスペースを発見.後続車との戦いに勝ってそこを確保する.
海岸に行ってレジャーシートを敷いて場所を確保.道路は混んでいたが,海岸はそんなに混んでない.日焼け対策に上半身はラッシュガードを着用する.気温は25度以上とはいえ,風が吹くとまだ少し寒い.それでも早速海に入る.すると,とたんに雲が出てきて怪しい天候になってしまった.
仕方ないので,一度あがって砂遊び.子供達はイタリアのちびっ子の破壊工作に遭いながら砂浜で造形をしている.この様子を遠くから見てその母親はたまに怒るが,全然効果がない.何回か姉が注意してくれていたが,これも効き目なし.子供の間の問題は自分たちで解決しろということなのか.そのうち我が子供達も対抗策をいろいろと考え出す.黙ってみているとその攻防はなかなか面白い.それにしてもこの母親は,この子が勝手にどこかにふらふら行ってしまっても,全然気にするそぶりがなく,一人で泳いでいる.子供が知らぬ間に沖に流されてしまったらどうするつもりなのか? こちらではこのような対応が普通なのだろうか?
そうこうしているうちにもう一度晴れてきたので,再び海に入る.夕方まで十分に堪能して帰途についた.それにしても,5月末なのにこんなに苦労していたら,6月になったらどうなってしまうんだろうか.早朝からもっと遠くに行かないとダメだろう.研究所のF女史いわく,「週末なんかに行ったらダメよ,平日に行かなきゃ」とのこと.どうやらサボっていくしかなさそうだが,6月中旬にはイタリアの小学校は早くも休みに入るそうだ...
2010年6月2日水曜日
Tivoliへ行く(3)
Villa d'Esteは世界遺産だが,その入口は何とも地味だ.きっと,「えっ,これ?」と言いたくなる.元々修道院だったものを別荘に改装したからなのだろう.入場料はまたまた一人10ユーロだ.しかし,今回は子供は無料だった.ここでの見所はもちろん噴水のある庭園だ.
中に入ると回廊があるが,庭園に向かうにはどの方向に行ったらいいのか,毎度のことながらきちんと示されてない.正しい経路では,美しい油絵やフレスコ画に囲まれた部屋をどんどん抜けていく.部屋の窓から外を眺めると,目指す庭園は遙か眼下にある.要するに,どんどん下っていかなければならない.建物から出て,とにかく階段で下に向かう.
ここから先は,小振りなものから大がかりなものまで,いろいろな噴水が次々登場する.どこで写真を撮っても画になる.このような施設では,結婚式を挙げたカップルの記念撮影を見ることが出来る.ここでの撮影は,ウェディングドレスを着た新婦には体力的に厳しそうだが,そんなことを言うのは野暮だ.真夏に着たら,思わず泉や噴水に飛び込みたくなるだろう.
しかし,庭園を見終わった後は,ひたすら階段を上らなければならない.建物まで戻らないとエレベーターがないようだ.ご高齢の方や,車いすや乳母車を使わなければならない場合には,ややしんどい施設だ.10ユーロはまあ妥当かという気がする.こういう立派な施設をどんどん作っていったルネッサンス時代,イタリアは何と裕福だったんだろうと考えてしまう.
この街にはまだ見所はあるようだが,残念ながら時間切れでローマに帰還.後日知ったのだが,研究所で同室のF女史の母親がTivoliに住んでおられるそうだ.事前に現地人しか知らない情報を仕入れておけば良かった...
中に入ると回廊があるが,庭園に向かうにはどの方向に行ったらいいのか,毎度のことながらきちんと示されてない.正しい経路では,美しい油絵やフレスコ画に囲まれた部屋をどんどん抜けていく.部屋の窓から外を眺めると,目指す庭園は遙か眼下にある.要するに,どんどん下っていかなければならない.建物から出て,とにかく階段で下に向かう.
ここから先は,小振りなものから大がかりなものまで,いろいろな噴水が次々登場する.どこで写真を撮っても画になる.このような施設では,結婚式を挙げたカップルの記念撮影を見ることが出来る.ここでの撮影は,ウェディングドレスを着た新婦には体力的に厳しそうだが,そんなことを言うのは野暮だ.真夏に着たら,思わず泉や噴水に飛び込みたくなるだろう.
しかし,庭園を見終わった後は,ひたすら階段を上らなければならない.建物まで戻らないとエレベーターがないようだ.ご高齢の方や,車いすや乳母車を使わなければならない場合には,ややしんどい施設だ.10ユーロはまあ妥当かという気がする.こういう立派な施設をどんどん作っていったルネッサンス時代,イタリアは何と裕福だったんだろうと考えてしまう.
この街にはまだ見所はあるようだが,残念ながら時間切れでローマに帰還.後日知ったのだが,研究所で同室のF女史の母親がTivoliに住んでおられるそうだ.事前に現地人しか知らない情報を仕入れておけば良かった...
2010年6月1日火曜日
Tivoliへ行く(2)
全体模型を確認した後は,壁面をくぐってポイキレと呼ばれる回廊がある.中心に縦長の池があり,鴨が水面を優雅に進む.ここから南に進む.次はお約束の浴場シリーズ.大小の2つが隣接している.その先にカノプスと呼ばれる池とエジプト神殿のエリア.池の周りの木陰の下にベンチがたくさんあるので,ここで小休止すべし.また,神殿内部は涼しい空気が流れているので,ここも小休止には最適だ.
来た道を戻ってポイキレに戻り,ここから東に展開する.野外オペラのための櫓が組んである商店・倉庫エリア,養魚池と抜けて,皇帝の宮殿と黄金広場に出る.この辺になると,Ostia Anticaの時と同様にそれぞれの遺跡が同じように見えてくるので,やや飽きが来る.東部エリアは木陰が少ないので,炎天下ではきついだろう.先にこちらを見た方がいいかもしれない.
再び入り口方面に戻る.途中で図書館や食堂のエリアがあるが,これはスキップ.ポイキレの北東部にある島のヴィッラはなかなかきれいだし,その横の哲学者の間はスケール感があって,これまでの飽き飽きした感覚がやや薄れる.最後に入口付近にあるギリシャ劇場を一応見るが,これは修復されていないので,余り劇場という感じがしない.
これでVilla Adrianaを後にして,ローマから続くVia Tiburtinaを通って斜面上にあるTivoliの街へ向かう.次に目指すのはVilla d'Esteだ.ここは車では大変行きづらいようなので,街中にある駐車場に泊めてから徒歩で向かった方が良い.今回はランドマークとなる小城のようなRocca Pia近くの立体駐車場を使った.ここから旧市街を抜けてVilla d'Esteに向かおうとするが,この旧市街は起伏がある狭い街路ネットワークで,地球の歩き方の地図しかなかったのであっという間に現在位置が分からなくなる.案内サインもあまりない.それでも何とかVilla d'Esteに辿り着く.続きは次回.
来た道を戻ってポイキレに戻り,ここから東に展開する.野外オペラのための櫓が組んである商店・倉庫エリア,養魚池と抜けて,皇帝の宮殿と黄金広場に出る.この辺になると,Ostia Anticaの時と同様にそれぞれの遺跡が同じように見えてくるので,やや飽きが来る.東部エリアは木陰が少ないので,炎天下ではきついだろう.先にこちらを見た方がいいかもしれない.
再び入り口方面に戻る.途中で図書館や食堂のエリアがあるが,これはスキップ.ポイキレの北東部にある島のヴィッラはなかなかきれいだし,その横の哲学者の間はスケール感があって,これまでの飽き飽きした感覚がやや薄れる.最後に入口付近にあるギリシャ劇場を一応見るが,これは修復されていないので,余り劇場という感じがしない.
これでVilla Adrianaを後にして,ローマから続くVia Tiburtinaを通って斜面上にあるTivoliの街へ向かう.次に目指すのはVilla d'Esteだ.ここは車では大変行きづらいようなので,街中にある駐車場に泊めてから徒歩で向かった方が良い.今回はランドマークとなる小城のようなRocca Pia近くの立体駐車場を使った.ここから旧市街を抜けてVilla d'Esteに向かおうとするが,この旧市街は起伏がある狭い街路ネットワークで,地球の歩き方の地図しかなかったのであっという間に現在位置が分からなくなる.案内サインもあまりない.それでも何とかVilla d'Esteに辿り着く.続きは次回.
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