ローマに来てから3週間が経とうとしていた先週末,そろそろローマらしい観光スポットに行きたいと思っていた.先週の中頃に街中を歩いていると,知り合いと偶然すれ違った.博物館や美術館をはしごしていたらしい.聞くとどうやら,今は文化週間だから多くの美術館や博物館が無料で見られるとのこと.毎年4月の中旬くらいに文化週間が設定されているらしい.生活関連のことばかりに気を取られていて,全然知らなかった...
それでも週末まで文化週間だったので,日曜日にcolosseo行くことにした.子供達にはあのような雄大な施設は受けがよいだろうから.オフィスに出勤する日はほぼ毎日眺めるColosseo,中に入るのは新婚旅行以来12年ぶりだ.前回と違うのは,Colosseoに隣接するForo RomanoとParatinoの丘もColosseoとセットの入場券となっていること.文化週間中は全て無料だ.
問題はどこで入場チケットを手に入れるかだ.Colosseoはとんでもなく並ぶだろう.Foro RomanoとPalatinoの丘は,大体どんなガイドもForo Romanoからスタートするから,Palatinoの丘から入るのが最も空いているに違いない.実際Palatinoの丘に行ってみると大して並ばすに入場券をゲット.早速中に入る.子供達には,「Colosseoは最後に行くからそれまで我慢して付いてきてね」と諭す.
実は,新婚旅行で来た時は,時間の都合でForo RomanoとParatinoの丘はきちんと見ていない.高校時代に世界史を選択せず,その後大学で土木を専攻したくせに,インフラ整備で有名な古代ローマの勉強をきちんとしていなかった浅学の身だ.今は塩野七生先生のローマ人の物語シリーズを完読し,基礎知識は(忘れているところも多いが)それなりにある状態だ.
言うまでもなく,Foro RomanoとParatinoの丘は古代ローマの政治の中心地だ.共和制時代の有名政治家,帝政時代の皇帝の多くが居を構えた.残念ながら,ほとんどの建造物は当時の原型を保っていない.中世から近世にかけて,これらは格好の石材の供給源となっていたらしいからだ.それでも見応えは十分.残念ながらあまりの混雑で,Casa di Augusto(アウグストゥスの家)は断念,次回に挑戦したい.
日本では見られない建造物を目の当たりにしたせいか,私がせっせと一眼レフで写真を撮りまくっていると,「僕たちも撮りたい」と子供達が言い出した.「これでぶつくさ言わずに付いてきてくれる」と思い,デジカメを貸す.アングルを気にして上手に写真を撮ろうとしている様子を見て,価値のある史跡の秘められた力にある種感動する.
なお,Foro Romanoは複数の丘に囲まれた窪地に立地しているようだから,Paratinoの丘からスタートすれば,最初に長い坂を上れば後は基本は下りとなり,個人的にはおすすめだ.ただし,Foro Romanoは緑が少ないので,強い日差しにご注意を.
長くなったのでColosseo編は次回のお楽しみ.
私,仕事の都合で1年間弱ローマに滞在することになりました.今までブログをやっている時間はまったくと言っていいほどなかったのですが,この際ローマで経験したことを記録として残しつつ,現地の最新情報を提供できればと考え,初めてブログに手を出してみました.
2010年4月30日金曜日
2010年4月29日木曜日
出国前に発送したEMSがやっと届いた
こちらの生活を結構楽しんでつもりである.それでも,いくつか心配事がある.依然として滞在許可を求めるための必要条件であるnulla ostaがまだ下りていないようだ.「まあ,そのうち下りるさ」とは思うのだが,やっぱり心がやや落ち着かない.
もうひとつやきもきしていることがあった.なかなか届かないEMSである.出国前に自宅近くの郵便局から段ボール箱で3箱発送しておいた.飛行機に持ち込む荷物の総重量を制限内に収めるために,バッグの数を減らすために,体積の割に重い書籍やモバイルプリンターと軽い割に体積の大きい靴を別送としたのだった.価格は重量で決まるのだが,総額6万円弱.確か合計で40kgくらいあったと思う.搭乗時に追加料金を取られるよりはまあ安いだろう.
EMSで送る前に,きちんとイタリアには送れるのか郵便局で直接確認した.「中身のリストを付けなくても大丈夫ですよ」とのこと.ネットの書き込みでは様々なトラブルが報告されているが,引き受け元がそう言っているのだし,安心して送り出した.
EMSは番号を入力すれば現在地を確認できる仕組みになっているので,非常にありがたい.発送後3日で早くもミラノに到着,早速中身のチェックに入っているようだ.まあ1週間程度で届くかなと思った.しかし,ここからが本当の戦いの始まり.
最初の問題は,実は事前に聞いていた住所の地番が違っていたこと.これは正直参った.日本人会の早とちり.さすがに悪いと思われたのか,配送先を正しい住所に替えてもらうようにイタリア語で電話を入れてくれる(英語が全く通じないからホント助かる).
ミラノから間違った住所のままで,奇跡的に封書が届く.中身を確認すると,イタリア語で何か書いてあるが,税関関係の書類であることは推測できる.個人使用のために送ったもの,しかもほとんどのものが使用済であるにも関わらず,輸入品扱いされている.伝票に中身の購入時の価格を正直に書いておいたのがまずかったらしい.5時間くらいかけて,イタリア語の文法書と辞書を使って翻訳開始.結果,「発送した商品の数量と価格(それが完全に証明できる添付書類を含む)を正しく申告するように,1週間以内に返答がなければ発送元に送り返す」と書いてあるではないか.「何もかも適当にやっているイタリアが何と厳密なことを言うのか!」といらだちを覚える.しかも紆余曲折を経て封書が届いているので,期限を過ぎている.検索からも消えている!
慌てて日本人会に相談する.「まあ,タテマエでこう言ってますが,ホンネではどうでもいいんですよ」との日本でよく聞くようなことをおっしゃる.「連絡しておきます」ということでお任せすると,翌日には再度検索できるようになっている.15万円と書いてしまった総額も「まあ4万円くらいにしておきましょう」とのことで,「使用済の個人利用のもの」という言い訳をイタリア語で記入して,FAXを送った.
その数日後,プロセスが動き始める.「究極のプロセス」と銘打たれ,あっという間に税関を通過,あれよあれよという間に配送されてきた.「中身を抜かれる」との書き込みがあったが,どうやら欠損はなかったようだ.面白いのは,同時に送った3箱のうち,1箱だけミラノからローマに早々に転送されているのだ.実はこの1箱がもっとも輸入品らしかったのであるが,なぜミラノの税関をノーチェックで通過したのであろうか? 謎である.参考までに,PosteItalianeのEMS検索サイトの最終結果を載せておく.908がミラノチーム,854がローマチーム.
しかし,最も許し難いのは,このような事例をたくさん聞いているはずの日本郵政が,何の躊躇もなくイタリア向けEMSを受け付けていることだ.一応トラブルが多いとは書いてある.しかし,別のサイトでは5日程度で届くとも書いてある.再官営化などというくだらない議論の前に,もっとやることがある.このような事実に対してきちんとした対応をして欲しい.
もうひとつやきもきしていることがあった.なかなか届かないEMSである.出国前に自宅近くの郵便局から段ボール箱で3箱発送しておいた.飛行機に持ち込む荷物の総重量を制限内に収めるために,バッグの数を減らすために,体積の割に重い書籍やモバイルプリンターと軽い割に体積の大きい靴を別送としたのだった.価格は重量で決まるのだが,総額6万円弱.確か合計で40kgくらいあったと思う.搭乗時に追加料金を取られるよりはまあ安いだろう.
EMSで送る前に,きちんとイタリアには送れるのか郵便局で直接確認した.「中身のリストを付けなくても大丈夫ですよ」とのこと.ネットの書き込みでは様々なトラブルが報告されているが,引き受け元がそう言っているのだし,安心して送り出した.
EMSは番号を入力すれば現在地を確認できる仕組みになっているので,非常にありがたい.発送後3日で早くもミラノに到着,早速中身のチェックに入っているようだ.まあ1週間程度で届くかなと思った.しかし,ここからが本当の戦いの始まり.
最初の問題は,実は事前に聞いていた住所の地番が違っていたこと.これは正直参った.日本人会の早とちり.さすがに悪いと思われたのか,配送先を正しい住所に替えてもらうようにイタリア語で電話を入れてくれる(英語が全く通じないからホント助かる).
ミラノから間違った住所のままで,奇跡的に封書が届く.中身を確認すると,イタリア語で何か書いてあるが,税関関係の書類であることは推測できる.個人使用のために送ったもの,しかもほとんどのものが使用済であるにも関わらず,輸入品扱いされている.伝票に中身の購入時の価格を正直に書いておいたのがまずかったらしい.5時間くらいかけて,イタリア語の文法書と辞書を使って翻訳開始.結果,「発送した商品の数量と価格(それが完全に証明できる添付書類を含む)を正しく申告するように,1週間以内に返答がなければ発送元に送り返す」と書いてあるではないか.「何もかも適当にやっているイタリアが何と厳密なことを言うのか!」といらだちを覚える.しかも紆余曲折を経て封書が届いているので,期限を過ぎている.検索からも消えている!
慌てて日本人会に相談する.「まあ,タテマエでこう言ってますが,ホンネではどうでもいいんですよ」との日本でよく聞くようなことをおっしゃる.「連絡しておきます」ということでお任せすると,翌日には再度検索できるようになっている.15万円と書いてしまった総額も「まあ4万円くらいにしておきましょう」とのことで,「使用済の個人利用のもの」という言い訳をイタリア語で記入して,FAXを送った.
その数日後,プロセスが動き始める.「究極のプロセス」と銘打たれ,あっという間に税関を通過,あれよあれよという間に配送されてきた.「中身を抜かれる」との書き込みがあったが,どうやら欠損はなかったようだ.面白いのは,同時に送った3箱のうち,1箱だけミラノからローマに早々に転送されているのだ.実はこの1箱がもっとも輸入品らしかったのであるが,なぜミラノの税関をノーチェックで通過したのであろうか? 謎である.参考までに,PosteItalianeのEMS検索サイトの最終結果を載せておく.908がミラノチーム,854がローマチーム.
しかし,最も許し難いのは,このような事例をたくさん聞いているはずの日本郵政が,何の躊躇もなくイタリア向けEMSを受け付けていることだ.一応トラブルが多いとは書いてある.しかし,別のサイトでは5日程度で届くとも書いてある.再官営化などというくだらない議論の前に,もっとやることがある.このような事実に対してきちんとした対応をして欲しい.
2010年4月28日水曜日
アパートの契約完了
これも遅くなってしまったが,先週木曜日に現在住んでいるアパートの契約を行った.4/6にローマに到着して,翌日からは既にアパートに入居していた.入居時には大家が観光旅行で不在の予定であったため,契約は帰ってきてからということになっていた.
この契約をサポートして頂いているローマ日本人会事務局には大変なご尽力を頂いている.当初は月1,400ユーロ(電気,ガス,電話を除く)の予定だったものを,交渉して1,200ユーロに下げて頂いた.滞在機関当初の資金ショートが懸念された身としては大変ありがたい.普通は1年に満たないような人の家賃はもっと高いようなので,大変ラッキーとしか言いようがない.
当初は先週月曜日に契約を結ぶ予定が,codice fiscaleが必要なために延期となった.既に書いたように,これはその翌日に至極簡単に取得できたため,木曜日のセッティングとなった.契約時に敷金2ヶ月分を併せて3,600ユーロの現金を用意しなければならない.実はこれが大変だ.
今度,銀行キャッシュカードのことについては改めて書きたいが,こちらではスルガ銀行のVISAデビットカードを使用している.クレジットカードではなく口座から直接引き落とせるために,使いすぎる心配はない.きちんと対応ATM(まだよく分からないがヨーロッパでは結構少ない可能性あり)を選べば手数料も安いようだ.
こちらのATM,実は一度に多額の金を引き出せないようなのだ.ある銀行では,1回最大250ユーロ,今「愛用」しているBNPパリバグループのATMでも1回1,000ユーロが限度のようだ.何度も並び直してお金を引き出さなければならない.しかも,ATMによっては1,000ユーロが,20ユーロ札50枚で出てきたりするではないか! はっきり言って非常に目立つ.強盗が怖い.
さて,何とか現金を用意して契約に望む.大家と不動産業者は英語が通じないようで,契約も日本人会に同行して頂いた.何と前日に大家の息子さんが交通事故で大けが.契約に立ち会えないかも知れないという連絡が入る.ひょっとすると退去まで大家に会わないかも...しかし,結局来てくれた.大家は精神科医らしい.契約自体は用意されていた契約書に貸し主と借り主がサインするだけ.至極簡単だ.10ヶ月という単位では契約は結べないので便宜的に4年契約とし,途中で破棄することができるという条項があり,我々の事情を最大限に斟酌してくれている.
さて,これでeverything OKと行かないのがイタリア社会だ.契約締結後,大家は48時間以内に警察に入居人の情報を提出しなければならないらしい.これは大家がするものだと思っていたが,そのフォーマットを私に渡し,「明日の朝,Trastevereのcommissariato(警察分署)にこれを提出して欲しい」と言うではないか.不動産業者も,「入居人が提出しても大丈夫だと思う」と言うし,大家も息子のことで大変なんだろうと思って,Siといって引き受けた.翌朝,その警察分署に出頭する.結局,受け付けてもらえず,大家が来なければならないとのこと.完全に時間の無駄であった.
この契約をサポートして頂いているローマ日本人会事務局には大変なご尽力を頂いている.当初は月1,400ユーロ(電気,ガス,電話を除く)の予定だったものを,交渉して1,200ユーロに下げて頂いた.滞在機関当初の資金ショートが懸念された身としては大変ありがたい.普通は1年に満たないような人の家賃はもっと高いようなので,大変ラッキーとしか言いようがない.
当初は先週月曜日に契約を結ぶ予定が,codice fiscaleが必要なために延期となった.既に書いたように,これはその翌日に至極簡単に取得できたため,木曜日のセッティングとなった.契約時に敷金2ヶ月分を併せて3,600ユーロの現金を用意しなければならない.実はこれが大変だ.
今度,銀行キャッシュカードのことについては改めて書きたいが,こちらではスルガ銀行のVISAデビットカードを使用している.クレジットカードではなく口座から直接引き落とせるために,使いすぎる心配はない.きちんと対応ATM(まだよく分からないがヨーロッパでは結構少ない可能性あり)を選べば手数料も安いようだ.
こちらのATM,実は一度に多額の金を引き出せないようなのだ.ある銀行では,1回最大250ユーロ,今「愛用」しているBNPパリバグループのATMでも1回1,000ユーロが限度のようだ.何度も並び直してお金を引き出さなければならない.しかも,ATMによっては1,000ユーロが,20ユーロ札50枚で出てきたりするではないか! はっきり言って非常に目立つ.強盗が怖い.
さて,何とか現金を用意して契約に望む.大家と不動産業者は英語が通じないようで,契約も日本人会に同行して頂いた.何と前日に大家の息子さんが交通事故で大けが.契約に立ち会えないかも知れないという連絡が入る.ひょっとすると退去まで大家に会わないかも...しかし,結局来てくれた.大家は精神科医らしい.契約自体は用意されていた契約書に貸し主と借り主がサインするだけ.至極簡単だ.10ヶ月という単位では契約は結べないので便宜的に4年契約とし,途中で破棄することができるという条項があり,我々の事情を最大限に斟酌してくれている.
さて,これでeverything OKと行かないのがイタリア社会だ.契約締結後,大家は48時間以内に警察に入居人の情報を提出しなければならないらしい.これは大家がするものだと思っていたが,そのフォーマットを私に渡し,「明日の朝,Trastevereのcommissariato(警察分署)にこれを提出して欲しい」と言うではないか.不動産業者も,「入居人が提出しても大丈夫だと思う」と言うし,大家も息子のことで大変なんだろうと思って,Siといって引き受けた.翌朝,その警察分署に出頭する.結局,受け付けてもらえず,大家が来なければならないとのこと.完全に時間の無駄であった.
2010年4月27日火曜日
ローマの動物園Bioparco
最近,手続き・契約関係でバタバタし始め,結構時間が取られている.そのため,ブログ投稿のペースが徐々に落ちてきた.書くのが随分と遅くなってしまったが,先週日曜日にローマの動物園に行った.Bioparcoといって,スペイン階段やPopolo広場近くのボルゲーゼ公園(Villa Borghese)に隣接している.19番トラムか3番バスのBioparco停留所で下車,入口まで歩いて5分といったところだ.これらの系統は主要な観光スポットから離れたところを運行しているので,観光客にはややマイナーな路線だ.
Bioparcoの入場料は,大人12ユーロ,身長1m以上の12歳までの子供は10.5ユーロだ.ただし,子供を同伴する大人は10.5ユーロにおまけしてくれるので,大人2人,子供2人で46ユーロ支払う.うちの近くにある横浜ズーラシアは,大人600円,小学生は200円だから,随分と高い.ちなみに,昨夏に行った旭山動物園は,小学生は無料だった.これでつまらなかったら詐欺だ.
そんな思いを抱きながら中に入る.園内マップには36種類の動物が示されている.これ以外にも牛,羊,ウサギといった10種類くらいの動物もいたような気がする.ズーラシアは70種類前後だ.12ユーロも取るんだから,もうちょっと種類がいてもいいと思う.
子供達の興味は,やはりライオン,トラ,ゾウ,クマといったところだ.これらの園舎の前は人だかりだ.珍しい動物はちょっとはいるとは思うのだが,きちんと「珍しい」と書いてないと分からない.もちろん,旭山動物園のような見せる工夫は一切されていない.掲示も基本的にイタリア語のみで外国人には少々つらい.結論,12ユーロは明らかに高い.子供にとっては史跡めぐりよりも楽しいとは思うが...
なお,我が日本からはニホンサルとシカがエントリー.ニホンサルは結構楽しめると思う.また,園内をクジャクが自由に歩き回っていた.結構うるさい声で鳴いていて,あの美しい羽を開くのではないかと期待させる.みんなカメラを構えるが,一向に羽ばたかない(笑).その写真が撮れたら12ユーロはそれなりに価値があるんだけどなぁ.
Bioparcoから出た後は,ボルゲーゼ公園をぶらぶら歩いた.この公園は結構楽しめそうだ.今度行ってみてから報告します.
Bioparcoの入場料は,大人12ユーロ,身長1m以上の12歳までの子供は10.5ユーロだ.ただし,子供を同伴する大人は10.5ユーロにおまけしてくれるので,大人2人,子供2人で46ユーロ支払う.うちの近くにある横浜ズーラシアは,大人600円,小学生は200円だから,随分と高い.ちなみに,昨夏に行った旭山動物園は,小学生は無料だった.これでつまらなかったら詐欺だ.
そんな思いを抱きながら中に入る.園内マップには36種類の動物が示されている.これ以外にも牛,羊,ウサギといった10種類くらいの動物もいたような気がする.ズーラシアは70種類前後だ.12ユーロも取るんだから,もうちょっと種類がいてもいいと思う.
子供達の興味は,やはりライオン,トラ,ゾウ,クマといったところだ.これらの園舎の前は人だかりだ.珍しい動物はちょっとはいるとは思うのだが,きちんと「珍しい」と書いてないと分からない.もちろん,旭山動物園のような見せる工夫は一切されていない.掲示も基本的にイタリア語のみで外国人には少々つらい.結論,12ユーロは明らかに高い.子供にとっては史跡めぐりよりも楽しいとは思うが...
なお,我が日本からはニホンサルとシカがエントリー.ニホンサルは結構楽しめると思う.また,園内をクジャクが自由に歩き回っていた.結構うるさい声で鳴いていて,あの美しい羽を開くのではないかと期待させる.みんなカメラを構えるが,一向に羽ばたかない(笑).その写真が撮れたら12ユーロはそれなりに価値があるんだけどなぁ.
Bioparcoから出た後は,ボルゲーゼ公園をぶらぶら歩いた.この公園は結構楽しめそうだ.今度行ってみてから報告します.
2010年4月25日日曜日
太陽のありがたみ
こちらにきて約20日,この金・土曜日でこちらにきてから初めて使ったものがある.それは傘だ.これまでも室内にいる時に激しい雷雨が短時間降ったことはあったが,まる2日間しっかりと降っていた.
ここのところ,晴れた日は朝は冷え込むものの,昼間には気温は20度を優に超えている.通常は8時前に自宅を出発して子供達を小学校に送った後に,そのままオフィスに向かう.出発時には薄いコートをつい着ていきたくなるのだが,昼は確実に暑い.一日内の大きな気温差,現地にも慣れ始めて気がゆるみ始める頃,風邪を引きそうで怖い.
そんなところの雨だった.それにしても雨降りの日はやっぱり肌寒い.太陽のありがたみがよく分かる.この太陽を求めて欧州各地からイタリアに人々がやってくるのだ.このブログを書いている現在はよく晴れている.今日は太陽を一杯浴びることができそうだ.ローマには太陽がないと寂しい.
ここのところ,晴れた日は朝は冷え込むものの,昼間には気温は20度を優に超えている.通常は8時前に自宅を出発して子供達を小学校に送った後に,そのままオフィスに向かう.出発時には薄いコートをつい着ていきたくなるのだが,昼は確実に暑い.一日内の大きな気温差,現地にも慣れ始めて気がゆるみ始める頃,風邪を引きそうで怖い.
そんなところの雨だった.それにしても雨降りの日はやっぱり肌寒い.太陽のありがたみがよく分かる.この太陽を求めて欧州各地からイタリアに人々がやってくるのだ.このブログを書いている現在はよく晴れている.今日は太陽を一杯浴びることができそうだ.ローマには太陽がないと寂しい.
2010年4月23日金曜日
初めての行政手続き
人から聞いたり,ネットでいろいろ調べたりしていると,イタリアで生活するのに二つの行政手続きが必要らしい.一つ目はcodice fiscale,税番号である.銀行口座やアパートの賃貸契約をするのに不可欠らしい.二つ目はpermesso di soggiorno,滞在許可証である.文字通りこれがないと不法滞在となってしまう.
滞在許可証は,90日以上滞在する場合には,到着後8日(土日祝を除く)以内にquesturaと呼ばれる警察本部に出頭して,申請するらしい.到着して1週間くらい経ったある日,日本大使館に用事があったので,その近くにあるquesturaに試しに行ってみた.しかし,「ここではない」と言われて出頭場所の住所と行き方を書いたメモを渡された.最新の地球の歩き方ローマ編に書いてあった通りのところに行ったのに...替わりに示されていた場所は結構郊外だ.まあ,まだnulla osta(滞在ビザを取るのに必要なものらしい)が出ていないから,行っても無駄足だろうと思って,やめてしまった.もちろん,今日現在まだ出頭していない.仮にnulla ostaがあっても,ホームページで先達の経験談を見ていると,ものすごく取得に時間がかかるようだ...もはや,帰る頃にはもらえるのかなという気分になっている(笑).
一方の税番号であるが,これは比較的簡単に取得できた.昨日ようやくアパートの賃貸契約を結んだのだが(その様子は後日),これに必要だったからだ.アパート契約を予定していた先週金曜日に,「契約にcodice fiscaleが必要だから至急取りに行って欲しい」と突然言われ(最初から行って欲しかった...),その足でTrastevereの税務署(Agenzia delle Entrata)に出頭.しかし案内カウンターで,「月曜日朝にまた来て」とにべもなく言われ,記入フォーマットだけもらって税務署を後にした.その後インターネットで先達達の経験談を見ると,「一日に処理できる数が決まっている」,「朝7時から並んだ方が良い」といったことが書いてある.それで月曜日に来いと言ったのかと妙に納得(イタリアだからしょうがないか).
週明けの月曜日,8時に税務署に行ってみた.すると,入口の前に既に何人かいた.「3番目か,7時に来なくて良かった」と思っていると,「私はdieci(10)だから,あなたはundici(11)」といって女性が11と書いた紙切れをちぎって渡してくれた.どうも申請者側が勝手に受付番号を作っていたのだ.なかなかやるじゃん.既に9人来ていたのだった.受け付けが開始される8時45分には40人ほどになっただろうか.その5分前に,誰かが音頭を取って整列が始まる.大声でundici!と言いながら11番目に並ぶ.
「毎日こんなに税番号を申請しに来るの?」と思った.そんなに滞在希望者が多いのか,あるいは跳ねられ再挑戦する人が多いのか.担当者によって同じことが通用したりしなかったりするお国柄,いやが上にも緊張が走る.なにより俺にはまだ滞在許可証がない! しかし,受付が始まってみると,並んでいた人たちが様々な用事で出頭してきていることが判明する.税番号申請としての受付番号は5番目だった.やれやれ.
開始から15分後,以外に早く順番が回ってきた.電子案内板が「EB0005は8番窓口に来るように」と言っている.8番はどこだ? 近くには9~16番はあるが8番はないぞ...向こう側か! とにかくサインが全然なっていない.窓口担当者に申請書をパスポートを渡す.英語で話し始めてくれてホッとする.やっぱり「シェンゲンビザはないの?」ときた.「申請中でもう少しで取れると思う」と答えると,手続きを進めてくれた.3分後に仮書類を入手(正式版は1ヶ月後くらいに送られてくるらしい).初めて行政手続きが成功した瞬間であった.さて,次は長期戦だ.
滞在許可証は,90日以上滞在する場合には,到着後8日(土日祝を除く)以内にquesturaと呼ばれる警察本部に出頭して,申請するらしい.到着して1週間くらい経ったある日,日本大使館に用事があったので,その近くにあるquesturaに試しに行ってみた.しかし,「ここではない」と言われて出頭場所の住所と行き方を書いたメモを渡された.最新の地球の歩き方ローマ編に書いてあった通りのところに行ったのに...替わりに示されていた場所は結構郊外だ.まあ,まだnulla osta(滞在ビザを取るのに必要なものらしい)が出ていないから,行っても無駄足だろうと思って,やめてしまった.もちろん,今日現在まだ出頭していない.仮にnulla ostaがあっても,ホームページで先達の経験談を見ていると,ものすごく取得に時間がかかるようだ...もはや,帰る頃にはもらえるのかなという気分になっている(笑).
一方の税番号であるが,これは比較的簡単に取得できた.昨日ようやくアパートの賃貸契約を結んだのだが(その様子は後日),これに必要だったからだ.アパート契約を予定していた先週金曜日に,「契約にcodice fiscaleが必要だから至急取りに行って欲しい」と突然言われ(最初から行って欲しかった...),その足でTrastevereの税務署(Agenzia delle Entrata)に出頭.しかし案内カウンターで,「月曜日朝にまた来て」とにべもなく言われ,記入フォーマットだけもらって税務署を後にした.その後インターネットで先達達の経験談を見ると,「一日に処理できる数が決まっている」,「朝7時から並んだ方が良い」といったことが書いてある.それで月曜日に来いと言ったのかと妙に納得(イタリアだからしょうがないか).
週明けの月曜日,8時に税務署に行ってみた.すると,入口の前に既に何人かいた.「3番目か,7時に来なくて良かった」と思っていると,「私はdieci(10)だから,あなたはundici(11)」といって女性が11と書いた紙切れをちぎって渡してくれた.どうも申請者側が勝手に受付番号を作っていたのだ.なかなかやるじゃん.既に9人来ていたのだった.受け付けが開始される8時45分には40人ほどになっただろうか.その5分前に,誰かが音頭を取って整列が始まる.大声でundici!と言いながら11番目に並ぶ.
「毎日こんなに税番号を申請しに来るの?」と思った.そんなに滞在希望者が多いのか,あるいは跳ねられ再挑戦する人が多いのか.担当者によって同じことが通用したりしなかったりするお国柄,いやが上にも緊張が走る.なにより俺にはまだ滞在許可証がない! しかし,受付が始まってみると,並んでいた人たちが様々な用事で出頭してきていることが判明する.税番号申請としての受付番号は5番目だった.やれやれ.
開始から15分後,以外に早く順番が回ってきた.電子案内板が「EB0005は8番窓口に来るように」と言っている.8番はどこだ? 近くには9~16番はあるが8番はないぞ...向こう側か! とにかくサインが全然なっていない.窓口担当者に申請書をパスポートを渡す.英語で話し始めてくれてホッとする.やっぱり「シェンゲンビザはないの?」ときた.「申請中でもう少しで取れると思う」と答えると,手続きを進めてくれた.3分後に仮書類を入手(正式版は1ヶ月後くらいに送られてくるらしい).初めて行政手続きが成功した瞬間であった.さて,次は長期戦だ.
2010年4月21日水曜日
丘に展開する坂の街ローマ
ここのところ,様々な理由でローマの街を歩いている(歩かされている).それにしても,ローマは歩くのには結構しんどい街だ.その理由は...もちろん坂が多いからだ.
今から2700年前だったか,ローマの創設期から市内の7つの丘に徐々に人々が張り付いていったことは,ローマ帝国に興味を持ち多少勉強した人なら周知の事実だ.Tevere川とこれらの丘の存在が都市を外敵の侵攻を防ぐのに都合が良かったらしい.
しかし,今となってはこの丘の存在,なんとも疎ましい.住んでみると,起伏の大きい地形が美しい階段や坂道といった都市のアクセントを与えてくれる,といった生やさしい感情を持つことはできない.実は十数年前に新婚旅行でローマに来ているのであるが,当時はより若かったせいもあり,同じ4月でそれほど暑くはなかったから,元気に歩き回っていた気がする.長崎の人たちも,きっと観光客の坂の風景への憧憬に対して,心の中では「生活している身にもなってみろ」と思っていることだろう.
それにしても夏はどうなってしまうんだろうか...暑さに弱い私としては,早くも戦々恐々である.
今から2700年前だったか,ローマの創設期から市内の7つの丘に徐々に人々が張り付いていったことは,ローマ帝国に興味を持ち多少勉強した人なら周知の事実だ.Tevere川とこれらの丘の存在が都市を外敵の侵攻を防ぐのに都合が良かったらしい.
しかし,今となってはこの丘の存在,なんとも疎ましい.住んでみると,起伏の大きい地形が美しい階段や坂道といった都市のアクセントを与えてくれる,といった生やさしい感情を持つことはできない.実は十数年前に新婚旅行でローマに来ているのであるが,当時はより若かったせいもあり,同じ4月でそれほど暑くはなかったから,元気に歩き回っていた気がする.長崎の人たちも,きっと観光客の坂の風景への憧憬に対して,心の中では「生活している身にもなってみろ」と思っていることだろう.
それにしても夏はどうなってしまうんだろうか...暑さに弱い私としては,早くも戦々恐々である.
2010年4月20日火曜日
ローマの市場:華僑と印僑のパワー
先週の話であるが,日本人学校の生徒の母親からローマに市場があると聞いた.フットワークの軽さを自認している私としては,早速行かなければと思い,行ってみた.市場は,メトロA線Vittorio Emanuele駅の北東,Termini駅と挟まれた区画にある.
交通や都市,あるいは地域の研究をしているので,市場を見ることは至上命題に近い.市場の規模や活力でその街が元気かどうかが想像できるからだ.これまでも海外出張時に,可能であれば市場を見るようにしていた.
市場のそばではヒンディー語と中国語がやたら目に付いた.市場からTermini駅に向かう途中でVia Napoleone Terzoを歩く.ここはまさしくチャイナタウンであった.この通りにある華僑経営の商店では,ついでに醤油,豆腐,わさび,カレールーといった日本食材が安価に調達できる.当地の日本食材の調達方法についても,もう少し調べてから改めて紹介したい.
それにしても世界のどこに行っても華僑と印僑は多い.かつて西洋と東洋を結ぶ海路に沿って世界を転々とした彼ら.そのパワーと存在感を再認識した日であった.
交通や都市,あるいは地域の研究をしているので,市場を見ることは至上命題に近い.市場の規模や活力でその街が元気かどうかが想像できるからだ.これまでも海外出張時に,可能であれば市場を見るようにしていた.
早速中に入る.目に飛び込んできたのは,区切られた区画に山積みになっている食材.野菜,果物,肉,魚,お菓子,香辛料,パン,米が種類も豊富に売られている.試しに,ショウガと里芋を購入してみたが,たやすく完了.世界のどの市場でも,言葉が通じなくても指さしで十分に対応可能であるが,ローマもやはり同じであった.今度はリュックサック持参で来ようと,同行した家内と誓うのであった.市場の詳細はまた改めて.
市場のそばではヒンディー語と中国語がやたら目に付いた.市場からTermini駅に向かう途中でVia Napoleone Terzoを歩く.ここはまさしくチャイナタウンであった.この通りにある華僑経営の商店では,ついでに醤油,豆腐,わさび,カレールーといった日本食材が安価に調達できる.当地の日本食材の調達方法についても,もう少し調べてから改めて紹介したい.
それにしても世界のどこに行っても華僑と印僑は多い.かつて西洋と東洋を結ぶ海路に沿って世界を転々とした彼ら.そのパワーと存在感を再認識した日であった.
2010年4月19日月曜日
ローマのオフィスについて
ローマのブログを始めてからまだ肝心なことを書いていない.派遣先のローマ大学のことである.4月6日にローマに到着したのに,初めて出勤したのは4月13日,1週間経ってからであった.今日でまだ1週間というところであって,ローマ大学の様子はまだ全然分からないので,そのうち詳しく書きたいと思う.
ローマ大学にはいくつかキャンパスがあるみたいだが,私が通っているのは工学部エリア,コロッセオのすぐそばだ.毎朝にコロッセオを拝んでからオフィスに入るという何とも優雅な通勤だ.観光客が闊歩する中の出勤,何か変な地元気分が味わえる.オフィス建物の前にはSan Pietro in Vincoliというガイドブックに必ず紹介されている教会がある.
オフィスのスタッフはイタリアらしく何となくのんびりしている.同室の女性研究員Fには,(失敗はしたものの)ローマに来る前のビザ取りのアレンジを担当してくれたので,あんまり不平不満などの強いことを言うのも悪いかなと思ってしまうのだが,全然いないのでつい口走ってしまう心配もない(笑).建物入り口の鍵が欲しいと言っても1週間経っても依然として実現していない(明日くれるとは言っているが).ビザ取りのプロセスも依然として小康状態.本当に大丈夫か? それにしても研究所の教授も顔を全然見かけない(まだ1回だけ).うーん,思わずProductivityを心配してしまう.
もっと書きたいのだが,余りにもオフィスでのエピソードがないので,これ以上書くことがない.お許しを.
2010年4月18日日曜日
再び日本人の内向き指向について
昨日は息子達が通う日本人学校の参観日だった.この日にあわせて何かしらの課題について発表させるように仕組まれている.4年生の長男は,名前歌(氏名をひらがな読みしたときの文字を文頭に使って自己紹介文を作る)と名前の由来を発表することが課題,1年生の次男は教科書のある部分を壇上で大きな声で音読することが課題であった.生徒の評価を厳密にしなければならない教員である私もやはり人の子,彼らが上手にやってくれれば自然と目尻が下がるし,そうでなければ心配になるし,「しっかりやれ!」と心の中で叫んでいる.
1時間目の授業を見学した後には,クラス(=学年)に分かれて担任と親との学級懇談会,その後は全校での学校懇談会という流れであった.学級懇談会では,家内と分担しなければならなかったので,私は長男を担当.親6人と担任(女性)の中で,男は私だけ.他の父親はどうしたんだ? と思ったが,気楽な大学稼業で勝手にローマに来ている私と違って,企業の方々はみんな忙しいのだろう.
さて,今日書きたいのはこんなことではない.学校懇談会で考えさせられる事実を聞いた.日本人学校へは昨年度までは10名の派遣だったのが,今年度から1名減らされたということだった.校長先生はクラスを受け持つわけにはいかないので,中学2年と3年は一人の教諭で受け持っている状況だ.一人でも欠けたらとたんに様々なことが回らなくなるから,教諭もものすごいプレッシャーだろう.
問題は1名派遣が減った原因のことだ.私はてっきり日本政府がコスト削減を目的に派遣を渋っているのかと思った.私自身も今回のローマ滞在が昨年末の日本政府の事業仕分けで頓挫しかけた経験を持つ.「また政府が短期的発想でものごとを考えてるな」と.しかし事実は異なるよう.派遣を希望する教諭の数が減ってきているのだそうだ.文科省が認定する海外の日本人学校は90弱あるのだそうで,今年度の応募は定数よりも100名以上足りなかったのだそうだ.すなわち,どこでも最低1名減らさざるを得なかったらしい.
近年とみに日本人の内向き指向が指摘されている.その一例として,日本人の留学がだんだん少なくなっていると聞く.若者を中心に海外旅行者数も減っているようだ.日本は資源が少ないし,人口も減少してくるから,海外からヒトやモノを調達しなければならない.海外から目を背けることができない運命を持っている.内向き指向を外向き指向に変えていくのに,みんなで努力しなければならない.
それなのに,今の民主党政権は非常に内向きで困る.基地の問題も非常に稚拙であることは言うまでもない(海外にいると大変恥ずかしい)が,またまた復活してきた郵政の話なんて非常にくだらない.官か民かは国民からみればどちらでもいい.きちんと運営してくれれば.私事だが,今回EMSでとんでもない目にあいそうである(この顛末は客観的には面白いことになりそうなので確定してから後日改めて).マクロな議論にかまけていて,通常サービスがおろそかになっている気がする.
それにしても,日本人学校への教諭派遣にも内向き指向の影響があるのだと感じた日であった.
1時間目の授業を見学した後には,クラス(=学年)に分かれて担任と親との学級懇談会,その後は全校での学校懇談会という流れであった.学級懇談会では,家内と分担しなければならなかったので,私は長男を担当.親6人と担任(女性)の中で,男は私だけ.他の父親はどうしたんだ? と思ったが,気楽な大学稼業で勝手にローマに来ている私と違って,企業の方々はみんな忙しいのだろう.
さて,今日書きたいのはこんなことではない.学校懇談会で考えさせられる事実を聞いた.日本人学校へは昨年度までは10名の派遣だったのが,今年度から1名減らされたということだった.校長先生はクラスを受け持つわけにはいかないので,中学2年と3年は一人の教諭で受け持っている状況だ.一人でも欠けたらとたんに様々なことが回らなくなるから,教諭もものすごいプレッシャーだろう.
問題は1名派遣が減った原因のことだ.私はてっきり日本政府がコスト削減を目的に派遣を渋っているのかと思った.私自身も今回のローマ滞在が昨年末の日本政府の事業仕分けで頓挫しかけた経験を持つ.「また政府が短期的発想でものごとを考えてるな」と.しかし事実は異なるよう.派遣を希望する教諭の数が減ってきているのだそうだ.文科省が認定する海外の日本人学校は90弱あるのだそうで,今年度の応募は定数よりも100名以上足りなかったのだそうだ.すなわち,どこでも最低1名減らさざるを得なかったらしい.
近年とみに日本人の内向き指向が指摘されている.その一例として,日本人の留学がだんだん少なくなっていると聞く.若者を中心に海外旅行者数も減っているようだ.日本は資源が少ないし,人口も減少してくるから,海外からヒトやモノを調達しなければならない.海外から目を背けることができない運命を持っている.内向き指向を外向き指向に変えていくのに,みんなで努力しなければならない.
それなのに,今の民主党政権は非常に内向きで困る.基地の問題も非常に稚拙であることは言うまでもない(海外にいると大変恥ずかしい)が,またまた復活してきた郵政の話なんて非常にくだらない.官か民かは国民からみればどちらでもいい.きちんと運営してくれれば.私事だが,今回EMSでとんでもない目にあいそうである(この顛末は客観的には面白いことになりそうなので確定してから後日改めて).マクロな議論にかまけていて,通常サービスがおろそかになっている気がする.
それにしても,日本人学校への教諭派遣にも内向き指向の影響があるのだと感じた日であった.
2010年4月16日金曜日
改めて認識する「あいさつ」の大事さ
ローマに来てからというもの,まさに「郷に入りては郷に従え (Do as the Romans do)」ではないが,見知らぬ人に対しても極力挨拶するようにしている.店に入る時,住居の敷地内で人にすれ違った時,その他にも挨拶をする状況が結構ある.朝はBuongiorno!,夕方はBuonasera!,お店を出る時には店員にArrivederci!.こちらから仕掛けなくても,向こうから声をかけてくるから自然と応じざるを得ない.
それにしても気安い人たちである.単に挨拶を交わすだけでなく,いろいろと話しかけてくる.こちらが言葉が分からなくて困った顔をしていてもお構いなし.今のところ,Sorry, I cannot understand Italian!というしかないのだが,この程度の英語が全く通じない.ようやくイタリア語の単語を連呼したり,つなげてみたりして話す余裕が出てきたが,返答はもちろん全く分からない.ローマの人たちとのコミュニケーションの悪戦苦闘の状況は今後もたくさん出てくると思うので,こうご期待.
しかし,挨拶すると気持ちいいのもである.「俺は生きてるぞ!」と宣言しているような気持ちにもなる.このようなことは,日本にいる時には全く感じない.みんなが当たり前のようにやっていることは,やはり同じようにやると気持ちがいいのだろう.日本ですれ違った人に「こんにちは!」とやったら変な目で見られるだけだし,下手すると変質者扱いである.まずは他人を疑ってかかる精神が,日本人に蔓延している.これが内向きの精神構造につながっているのではと考えざるを得ない.
それでも,総じて年配の方はきちんと声をかけてくれるのだが,もう少し40歳代くらいになると,その割合が激減するように感じる.もう十年もすると,ローマでも気安くChao!と言えないような雰囲気になってしまうのだろうか...何とも惜しい.
それにしても気安い人たちである.単に挨拶を交わすだけでなく,いろいろと話しかけてくる.こちらが言葉が分からなくて困った顔をしていてもお構いなし.今のところ,Sorry, I cannot understand Italian!というしかないのだが,この程度の英語が全く通じない.ようやくイタリア語の単語を連呼したり,つなげてみたりして話す余裕が出てきたが,返答はもちろん全く分からない.ローマの人たちとのコミュニケーションの悪戦苦闘の状況は今後もたくさん出てくると思うので,こうご期待.
しかし,挨拶すると気持ちいいのもである.「俺は生きてるぞ!」と宣言しているような気持ちにもなる.このようなことは,日本にいる時には全く感じない.みんなが当たり前のようにやっていることは,やはり同じようにやると気持ちがいいのだろう.日本ですれ違った人に「こんにちは!」とやったら変な目で見られるだけだし,下手すると変質者扱いである.まずは他人を疑ってかかる精神が,日本人に蔓延している.これが内向きの精神構造につながっているのではと考えざるを得ない.
それでも,総じて年配の方はきちんと声をかけてくれるのだが,もう少し40歳代くらいになると,その割合が激減するように感じる.もう十年もすると,ローマでも気安くChao!と言えないような雰囲気になってしまうのだろうか...何とも惜しい.
2010年4月15日木曜日
意外にもバスが強力
今日で滞在10日目である(まだそれだけしか経ってないのか...).これまで,学校の送り迎えに,職場への出勤に,買い物に,様々な目的でバスを多用してきた.わずか1週間程度で評価するのは早計だが,このバス,思ったより強力な移動手段であるみたいだ.
恥ずかしながら,交通を専門としている割にバスにあまり乗らない.首都圏で駅から徒歩圏内に住んでいると,敢えて乗らない限りほとんど利用機会がないからだ.でも,学生時代はバス通学でとんでもなくつらい思いをした.原体験が良くないから,その評価は総じて辛辣になる.時間通りにこない,所要時間が読めない,乗り心地が悪い,等々.
ローマのバスには全て系統番号がついている.これが素晴らしい.日本だって付いてるじゃないかって? でも漢字と数字の組み合わせでしょ,外国人には分からないよね.バスがどの営業所か,どの会社かなんて利用者には全く関係ない.数字は万国共通です!
書店でバスやトラムの路線が示されている地図を購入した.地図を見ていると,市内を縦横無尽に走っている様子が簡単に見て取れる.バスを2回乗り換えれば,市内の大抵のところには行けると思う.
運賃はどうか? 1回券(Biglietto Integrato a Tempo: BIT)は1ユーロで,パンチしてから75分間有効で,メトロとFS(近郊鉄道)以外は75分間なら乗り放題である.ちなみにメトロとFSでは,BITは1トリップだけ有効のようだ.
頻度はどうか? これまでに,目的の系統が来るまでの最大待ち時間は20分(今朝!)であり,通常は10分以内にはやってくる.大体1時間当たり4~10本と考えておけばいいだろう. なお,時刻表は存在しない.バス停には始発と最終の時刻が書いてあるだけだ.
日本のバスのように運賃箱や整理券はない.検札もない.車内でセルフで切符にパンチするだけである.しかし,たまに係員がチェックしていて,有効な切符を持ってないと多額の罰金を払わなければならないのだそうだ.「客はすべからく運賃をごまかす」という性悪説に基づいて運賃を収受するのに多額の投資をするよりも,「普通の人はきちんと運賃を払う」という性善説に基づいて運賃収受を簡素化し悪い奴から高額の罰金を取る戦略を取っているのだ.この方が気分がいいに決まっている.日本はバスもそうだし,鉄道,ETCに至るまで,きっちり運賃を収受するという発想に立ちすぎていてうんざりする(まあ交通事業者の経営上の理由もあるので文句は言えないが).ちなみに,今日現在でまだ係員にお目にかかっていない.いつお目にかかれるのだろうか?
最後に,現時点までのローマのバスの評価(後日変わり得ます).基本的に便利,以上.欠点はとりあえず2つ.運転が粗暴すぎやしませんか? 車酔いにご心配の方はご注意下さい. バス停に人が立ってたら一応停車しませんか(きちんと手を挙げないと止まってくれない)? 渋滞がひどくて所要時間が全く読めないという問題もあるが,どうせみんな時間通りにこないから...
バスの状況については,きちんと調べた上で,改めて多角的に論じて見たい.
恥ずかしながら,交通を専門としている割にバスにあまり乗らない.首都圏で駅から徒歩圏内に住んでいると,敢えて乗らない限りほとんど利用機会がないからだ.でも,学生時代はバス通学でとんでもなくつらい思いをした.原体験が良くないから,その評価は総じて辛辣になる.時間通りにこない,所要時間が読めない,乗り心地が悪い,等々.
ローマのバスには全て系統番号がついている.これが素晴らしい.日本だって付いてるじゃないかって? でも漢字と数字の組み合わせでしょ,外国人には分からないよね.バスがどの営業所か,どの会社かなんて利用者には全く関係ない.数字は万国共通です!
書店でバスやトラムの路線が示されている地図を購入した.地図を見ていると,市内を縦横無尽に走っている様子が簡単に見て取れる.バスを2回乗り換えれば,市内の大抵のところには行けると思う.
運賃はどうか? 1回券(Biglietto Integrato a Tempo: BIT)は1ユーロで,パンチしてから75分間有効で,メトロとFS(近郊鉄道)以外は75分間なら乗り放題である.ちなみにメトロとFSでは,BITは1トリップだけ有効のようだ.
頻度はどうか? これまでに,目的の系統が来るまでの最大待ち時間は20分(今朝!)であり,通常は10分以内にはやってくる.大体1時間当たり4~10本と考えておけばいいだろう. なお,時刻表は存在しない.バス停には始発と最終の時刻が書いてあるだけだ.
日本のバスのように運賃箱や整理券はない.検札もない.車内でセルフで切符にパンチするだけである.しかし,たまに係員がチェックしていて,有効な切符を持ってないと多額の罰金を払わなければならないのだそうだ.「客はすべからく運賃をごまかす」という性悪説に基づいて運賃を収受するのに多額の投資をするよりも,「普通の人はきちんと運賃を払う」という性善説に基づいて運賃収受を簡素化し悪い奴から高額の罰金を取る戦略を取っているのだ.この方が気分がいいに決まっている.日本はバスもそうだし,鉄道,ETCに至るまで,きっちり運賃を収受するという発想に立ちすぎていてうんざりする(まあ交通事業者の経営上の理由もあるので文句は言えないが).ちなみに,今日現在でまだ係員にお目にかかっていない.いつお目にかかれるのだろうか?
最後に,現時点までのローマのバスの評価(後日変わり得ます).基本的に便利,以上.欠点はとりあえず2つ.運転が粗暴すぎやしませんか? 車酔いにご心配の方はご注意下さい. バス停に人が立ってたら一応停車しませんか(きちんと手を挙げないと止まってくれない)? 渋滞がひどくて所要時間が全く読めないという問題もあるが,どうせみんな時間通りにこないから...
バスの状況については,きちんと調べた上で,改めて多角的に論じて見たい.
2010年4月14日水曜日
一方,地元のスーパーマーケットは?
先日ローマ郊外の大型ショッピングセンターについて書いたので,今度は普通のスーパーマーケットの様子を書きたい.
徒歩2分のところには,CONADブランドの小型スーパーがある.いわばコンビニだ.ここでも,パン,チーズ,清涼飲料水,ワイン,牛乳,卵,パスタ,缶詰から,ちょっとした日用品など,それなりのものが揃う.ちかくのFruttariaでは種類は限定されるが野菜や果物が非常に安く購入できる.
自宅から徒歩10分くらいのところにCONADの比較的大きなスーパーがある.肉,魚を買うにはここに行かなければならない.行きは急坂を下るのでいいのだが,帰りはこれを上ることになる.重いものは先のコンビニで,野菜はFruttariaで,肉と魚は坂下スーパーでという具合に使い分けていくことになるだろう.しかし家内が言うには,同じCONAD,同じ商品でも,坂上コンビニの方が坂下スーパーよりもやや高いのだそうだ.まあそのくらいは仕方ないと考えよう.
それにしても肉と野菜は日本と比べて安いと感じる.感触としてはグラム単価は3割から半分といったところだろう.ワインもチーズも生ハムを安い.お陰で,既に毎晩安いワインをがぶ飲みしている.ちなみに,ビールも安いがはっきり言ってイタリアンビールはまずい.日本人だからどうしても米に手を出さざるを得ないのであるが,イタリア産の日本ブランド米で5kgが15Euroといったところだから,そんなに高くはない(味はそこそこ).資金繰りが苦しい生活を強いられている身としては大変ありがたい.
それにしても,このような食材の安さで,どうしてRistoranteやTrattoriaに入るとあんなに高いんだろうかと考えずにはいられない.高級食材を使っている訳でもなさそうだし,大したサービスを受けられるわけでもないのに...どこでもぼったくりバーに見えてしまう.
徒歩2分のところには,CONADブランドの小型スーパーがある.いわばコンビニだ.ここでも,パン,チーズ,清涼飲料水,ワイン,牛乳,卵,パスタ,缶詰から,ちょっとした日用品など,それなりのものが揃う.ちかくのFruttariaでは種類は限定されるが野菜や果物が非常に安く購入できる.
自宅から徒歩10分くらいのところにCONADの比較的大きなスーパーがある.肉,魚を買うにはここに行かなければならない.行きは急坂を下るのでいいのだが,帰りはこれを上ることになる.重いものは先のコンビニで,野菜はFruttariaで,肉と魚は坂下スーパーでという具合に使い分けていくことになるだろう.しかし家内が言うには,同じCONAD,同じ商品でも,坂上コンビニの方が坂下スーパーよりもやや高いのだそうだ.まあそのくらいは仕方ないと考えよう.
それにしても肉と野菜は日本と比べて安いと感じる.感触としてはグラム単価は3割から半分といったところだろう.ワインもチーズも生ハムを安い.お陰で,既に毎晩安いワインをがぶ飲みしている.ちなみに,ビールも安いがはっきり言ってイタリアンビールはまずい.日本人だからどうしても米に手を出さざるを得ないのであるが,イタリア産の日本ブランド米で5kgが15Euroといったところだから,そんなに高くはない(味はそこそこ).資金繰りが苦しい生活を強いられている身としては大変ありがたい.
それにしても,このような食材の安さで,どうしてRistoranteやTrattoriaに入るとあんなに高いんだろうかと考えずにはいられない.高級食材を使っている訳でもなさそうだし,大したサービスを受けられるわけでもないのに...どこでもぼったくりバーに見えてしまう.
2010年4月13日火曜日
少人数クラスの教育効果について考える
到着3日目の4月8日,子供達は早くも小学校が始まる.ローマの日本人学校は文部科学省の認可校であり,小学部と中学部を併設し,カリキュラムとスケジュールは日本とほぼ同等である.場所はCasetta Matteiというローマ南西部である.自宅からはバスを使って15~20分程度で到着する.さすがに小学4年と1年だけで行かせるわけにはいかないので,父親の私が朝の送りを担当して,そのまま職場へ(まだ出勤していないのであくまで予定).夕方の迎えは母親が担当することになるだろう.「送り迎えに車が絶対必要だろう」と思っていたが,バスはどんなに待っても10分以内には来るし,渋滞もないみたいなので,まあバスでも問題ないだろう.
9時から日本人学校の始業式,入学式に参加した.先生方や生徒さんたちはしっかりしている.代表で話をした生徒さんは「これが小学2年生か?」といったような素晴らしい歓迎の挨拶をする.すれ違えばみんなきちんと「おはようございます」と自然に挨拶をする.一方,我が子はまだこのような気風に慣れていないのか,挨拶は全然ぎこちない.子供達は基本的に人見知りなものだから,挨拶ができなくても仕方ないかと日頃思っていたが...この違いはなんだろうか?
まだ仮説に過ぎないが,1クラスに5人程度しかいないという状況が,各自にある種の責任感を植え付けているのかもしれない.全校生徒が40人という小所帯が,先輩・後輩という関係を際立たせているのかもしれない.ある中学部の生徒さんが小学部の子達の些細なケンカを上手にコントロールしているのを見た.子供達の行く末が非常に頼もしい.
教諭は一部を除き3年間日本から派遣されてくるようだ.恐らく希望を出して,何らかの選抜を受けて派遣されるのであろう.彼らの出身地が配布されたプリントに書いてあったが,どちらかと言えば地方からが多く,大都市圏は少数派だ.長男の担任は青森県からの派遣で,前任地の小学校でも総勢数十人という規模だったとおっしゃっていた.一方,大都市圏の小学校では1クラス30人程度が標準的である.小規模クラスの教育に対する慣れが教員の出身地分布に影響しているような気がする.
このように書いてきたが,少人数クラスだから全てがいいのだというつもりは毛頭ない.大都市圏では現実問題としてそんなに教諭の数を増やせないし,地方部では意図的に少人数クラスになっているわけではない.少人数クラスでは相互の付き合いが限定されるといったデメリットもある.しかし,少人数クラスのメリットを十二分に活用できるように運用すれば,自覚を持った立派な生徒を生み出す原動力となるのだと感じた朝であった.
9時から日本人学校の始業式,入学式に参加した.先生方や生徒さんたちはしっかりしている.代表で話をした生徒さんは「これが小学2年生か?」といったような素晴らしい歓迎の挨拶をする.すれ違えばみんなきちんと「おはようございます」と自然に挨拶をする.一方,我が子はまだこのような気風に慣れていないのか,挨拶は全然ぎこちない.子供達は基本的に人見知りなものだから,挨拶ができなくても仕方ないかと日頃思っていたが...この違いはなんだろうか?
まだ仮説に過ぎないが,1クラスに5人程度しかいないという状況が,各自にある種の責任感を植え付けているのかもしれない.全校生徒が40人という小所帯が,先輩・後輩という関係を際立たせているのかもしれない.ある中学部の生徒さんが小学部の子達の些細なケンカを上手にコントロールしているのを見た.子供達の行く末が非常に頼もしい.
教諭は一部を除き3年間日本から派遣されてくるようだ.恐らく希望を出して,何らかの選抜を受けて派遣されるのであろう.彼らの出身地が配布されたプリントに書いてあったが,どちらかと言えば地方からが多く,大都市圏は少数派だ.長男の担任は青森県からの派遣で,前任地の小学校でも総勢数十人という規模だったとおっしゃっていた.一方,大都市圏の小学校では1クラス30人程度が標準的である.小規模クラスの教育に対する慣れが教員の出身地分布に影響しているような気がする.
このように書いてきたが,少人数クラスだから全てがいいのだというつもりは毛頭ない.大都市圏では現実問題としてそんなに教諭の数を増やせないし,地方部では意図的に少人数クラスになっているわけではない.少人数クラスでは相互の付き合いが限定されるといったデメリットもある.しかし,少人数クラスのメリットを十二分に活用できるように運用すれば,自覚を持った立派な生徒を生み出す原動力となるのだと感じた朝であった.
2010年4月12日月曜日
ローマの大型ショッピングセンター事情:ローマのIKEAは横浜と同じだった!
借りた住居には家具が一通り揃っていたが,布団やシーツといった寝具は自分で用意しなければならなかった.ヨーロッパだからやっぱりIKEAはあるんだろうと思っていたらやっぱりあるらしい.場所を聞くと2箇所あるとのこと.いずれも環状高速GRAのインターチェンジのすぐそばにあり,Uscita10のIKEAはショッピングモールも併設されていると聞いて,こちらに行くことにした.
日本では横浜市の港北区に住んでいてIKEAがすぐそばにある.ローマのIKEAは日本のIKEAとどう違うのかと思っていたら,違うのは店員と客の話す言語だけのようだ.2階(こちらでは1階)がショールームのようになっていて,欲しい商品を1階倉庫からセルフサービスで取り出してレジに持っていく.フードコートも日本のものと全く同じ仕組みである.ちなみにパスタはやはりローマ店の方が美味しい気がする.
IKEAで一通りのものを購入したのちに,併設されているショッピングモールへ入る.Auchanという大型スーパーを見つけたので,レンタカーがあるうちに洗濯洗剤,トイレタリー,シャンプー,ミネラルウォーター,料理油,オリーブオイル,塩,砂糖,ケチャップ,マヨネーズ,米といった重いものを大量購入した.ユーロ札がどんどん飛んでいく...
ローマにはこういうモールはほとんどないかと思っていたが,やはり郊外部にはあるのだった.大型の駐車場を持つショッピングコンプレックス.カルフールやコストコのような倉庫型スーパーマーケット.みんな大量に買い込んで車に積んでいく.これを見ていると車がないと生活できないのではといやでも考えてしまう.非常にまずい.ちなみに,ローマの車問題については,改めて書こうと思う.
翌日にレンタカーを空港の営業所に返さなければならなかったので,空港のそばにあったParco Leonardoという大型ショッピングモールで最後の大物のお買いもの.ここにもAuchanがあったので,昨日忘れていたものを改めて大量購入.大型の旅行キャスターバッグに商品を詰めて,空港でレンタカーを返却してから公共交通で帰途についたのであった.
日本では横浜市の港北区に住んでいてIKEAがすぐそばにある.ローマのIKEAは日本のIKEAとどう違うのかと思っていたら,違うのは店員と客の話す言語だけのようだ.2階(こちらでは1階)がショールームのようになっていて,欲しい商品を1階倉庫からセルフサービスで取り出してレジに持っていく.フードコートも日本のものと全く同じ仕組みである.ちなみにパスタはやはりローマ店の方が美味しい気がする.
IKEAで一通りのものを購入したのちに,併設されているショッピングモールへ入る.Auchanという大型スーパーを見つけたので,レンタカーがあるうちに洗濯洗剤,トイレタリー,シャンプー,ミネラルウォーター,料理油,オリーブオイル,塩,砂糖,ケチャップ,マヨネーズ,米といった重いものを大量購入した.ユーロ札がどんどん飛んでいく...
ローマにはこういうモールはほとんどないかと思っていたが,やはり郊外部にはあるのだった.大型の駐車場を持つショッピングコンプレックス.カルフールやコストコのような倉庫型スーパーマーケット.みんな大量に買い込んで車に積んでいく.これを見ていると車がないと生活できないのではといやでも考えてしまう.非常にまずい.ちなみに,ローマの車問題については,改めて書こうと思う.
翌日にレンタカーを空港の営業所に返さなければならなかったので,空港のそばにあったParco Leonardoという大型ショッピングモールで最後の大物のお買いもの.ここにもAuchanがあったので,昨日忘れていたものを改めて大量購入.大型の旅行キャスターバッグに商品を詰めて,空港でレンタカーを返却してから公共交通で帰途についたのであった.
2010年4月11日日曜日
住居の様子
到着翌日,あらかじめ決定しておいた住居に入居.これは子供たちの通う日本人学校のご厚意で押さえておいたものだ.しかし,大家は休暇で旅行中で,契約は戻ってきてからとのこと.それまでは勝手に使っておいてねということらしい.また,長期滞在ビザがとれなくても気にしないらしい.ここら辺の適当さはイタリアらしいのだろう.何とも鷹揚な大家でめでたしめでたし.ただし,「口は出さないが何もしてくれない」とのことで,この先どうなる事やら.
住居はローマの南西部郊外に位置する.Trastevere駅からバスで15分ほど行った停留所で降りて徒歩5分.近くに地下鉄はなく,車がないとやや不便か.それでも近くには小さい割に品ぞろえのあるストアー,野菜や果物を大変安く売っているFrutteriaがある.肉と魚以外は徒歩2分圏内で揃うようだ.
部屋は80平米で電気,ガス代を除いて1200ユーロ/月.「金がない」と言ったらおまけしてくれた.大変ありがたい.一応バスタブはあるのだが,使いずらいのでおそらく退去するまで使わないだろう.朝晩のシャワーはまだ寒い.冬になったらとんでもなくつらいシャワーになるのだろうと思うと,やや憂鬱.リビング,主寝室,子供部屋も大変満足いくレベル.ベッドにあこがれていた息子たちは大変喜んでいる.ベランダは3方向(ただし南にはない)にあり,それぞれ大変広い.周囲の家々では,この広いベランダに花や観葉植物,プランターなどが競うように置かれている.
それにしても住居には必要な家具のほとんどが揃っている.この点は日本とは異なるところで,持ち家を持たないライフスタイルから来ているのだろう.そのうち誰かに確認してみたい.先日外出する時に隣の住人がドアを開けて,我々を部屋に入れてくれて,コーヒーをごちそうになった.部屋を見せていただいた(勝手に案内された)が,どうやら勝手にリフォームしていて,我々の住居とはかなり様相が異なっていた.退去する時もきっと原形復旧する義務はないのだろう.この隣人は犬も飼っていた.犬がやや苦手の私としては悩ましいところだ.
電話もインターネットもいきなり使えたし,調理道具も一通り揃っている.生活用品を買い足せば早くも通常モードの生活ができる状態だ.これはうれしい.
住居はローマの南西部郊外に位置する.Trastevere駅からバスで15分ほど行った停留所で降りて徒歩5分.近くに地下鉄はなく,車がないとやや不便か.それでも近くには小さい割に品ぞろえのあるストアー,野菜や果物を大変安く売っているFrutteriaがある.肉と魚以外は徒歩2分圏内で揃うようだ.
部屋は80平米で電気,ガス代を除いて1200ユーロ/月.「金がない」と言ったらおまけしてくれた.大変ありがたい.一応バスタブはあるのだが,使いずらいのでおそらく退去するまで使わないだろう.朝晩のシャワーはまだ寒い.冬になったらとんでもなくつらいシャワーになるのだろうと思うと,やや憂鬱.リビング,主寝室,子供部屋も大変満足いくレベル.ベッドにあこがれていた息子たちは大変喜んでいる.ベランダは3方向(ただし南にはない)にあり,それぞれ大変広い.周囲の家々では,この広いベランダに花や観葉植物,プランターなどが競うように置かれている.
それにしても住居には必要な家具のほとんどが揃っている.この点は日本とは異なるところで,持ち家を持たないライフスタイルから来ているのだろう.そのうち誰かに確認してみたい.先日外出する時に隣の住人がドアを開けて,我々を部屋に入れてくれて,コーヒーをごちそうになった.部屋を見せていただいた(勝手に案内された)が,どうやら勝手にリフォームしていて,我々の住居とはかなり様相が異なっていた.退去する時もきっと原形復旧する義務はないのだろう.この隣人は犬も飼っていた.犬がやや苦手の私としては悩ましいところだ.
電話もインターネットもいきなり使えたし,調理道具も一通り揃っている.生活用品を買い足せば早くも通常モードの生活ができる状態だ.これはうれしい.
2010年4月10日土曜日
滞在初日:道路案内標識が全然わからない!
私の仕事は大学教員である.所属する大学とこちらの大学の教員交換プログラムでローマにやってきた.滞在ビザをとるのに難儀をして,結局とれないまま渡航を強行した.なんでも適当になっているように見えるイタリアのくせに,変なところで律義な対応をされてしまった.イタリア大使館スタッフの横柄な態度を思い出すと今でも腹が立つ.
さて,2010年4月6日の夜に家族そろってローマに到着した.ラッキーにもこちらでの住居は渡航前に決まっていたが,初日からいきなり生活できるとは思えなかったので,ホテルをとっておいた.荷物も大量なので,レンタカーも予約しておいた.空港に到着してトラブルなく荷物を受け取り,至極簡単にレンタカーも借りて,いざホテルに向けて出発.
大学では交通システムを研究している.そのため海外出張が多く,レンタカーを借りて異国の地をドライブすることも多い.右側通行にも慣れている.方向感覚や初めての地での土地勘にも優れていると自負している.ホテルの位置や主要な通り名も事前に頭に叩き込んでいるので,全く心配していなかった.
空港から高速に入り,ローマ中心部へと向かった.途中でGRAと呼ばれる高速環状線に乗り換え,Uscita26で降りるとホテルがすぐそばにある.しかし,GRAをやり過ごし,いつの間にか高速道路が終わってしまった.道路案内標識が暗くて全然見えなかったのである.フォントも見えずらく,何よりも字が小さいと感じた.その後,一般道路は案内標識がほとんどなく,通り名の小さな標識も交差点部にしかない.あっという間に自分がどこを走っているか分からなくなってしまった.こんなことは最近では珍しい.
こんなときに頼りになったのは「方位磁石」だった.渡航前日の土壇場で買っておいた.南に向かい続け,GRAの入口を発見した.今度は向きを間違えた.まだ左側通行の頭の構造になっていて,瞬間の判断を間違えたようだ.結局,空港から10km程度のホテルに到着したのは着陸から2時間余り経過した時だった.子供たちはフライトの疲れからぐっすり眠っている.無理やり起こしてベッドへ運ぶ.風呂も入る元気もなく家族全員で床に入ったのであった.初日からこれでは先が思いやられるなぁと思った瞬間には意識がなくなっていた.
それにしてもローマの交通は批判的に書くことが多そうである.いい面がどれほど発見できるだろうか? 乞うご期待.
さて,2010年4月6日の夜に家族そろってローマに到着した.ラッキーにもこちらでの住居は渡航前に決まっていたが,初日からいきなり生活できるとは思えなかったので,ホテルをとっておいた.荷物も大量なので,レンタカーも予約しておいた.空港に到着してトラブルなく荷物を受け取り,至極簡単にレンタカーも借りて,いざホテルに向けて出発.
大学では交通システムを研究している.そのため海外出張が多く,レンタカーを借りて異国の地をドライブすることも多い.右側通行にも慣れている.方向感覚や初めての地での土地勘にも優れていると自負している.ホテルの位置や主要な通り名も事前に頭に叩き込んでいるので,全く心配していなかった.
空港から高速に入り,ローマ中心部へと向かった.途中でGRAと呼ばれる高速環状線に乗り換え,Uscita26で降りるとホテルがすぐそばにある.しかし,GRAをやり過ごし,いつの間にか高速道路が終わってしまった.道路案内標識が暗くて全然見えなかったのである.フォントも見えずらく,何よりも字が小さいと感じた.その後,一般道路は案内標識がほとんどなく,通り名の小さな標識も交差点部にしかない.あっという間に自分がどこを走っているか分からなくなってしまった.こんなことは最近では珍しい.
こんなときに頼りになったのは「方位磁石」だった.渡航前日の土壇場で買っておいた.南に向かい続け,GRAの入口を発見した.今度は向きを間違えた.まだ左側通行の頭の構造になっていて,瞬間の判断を間違えたようだ.結局,空港から10km程度のホテルに到着したのは着陸から2時間余り経過した時だった.子供たちはフライトの疲れからぐっすり眠っている.無理やり起こしてベッドへ運ぶ.風呂も入る元気もなく家族全員で床に入ったのであった.初日からこれでは先が思いやられるなぁと思った瞬間には意識がなくなっていた.
それにしてもローマの交通は批判的に書くことが多そうである.いい面がどれほど発見できるだろうか? 乞うご期待.
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