さて,本ブログはローマ滞在日記なので,もうこれ以上書くことはない.ここまでお読み頂いた方に感謝する次第だ.これからローマに滞在される方々に何らかの参考となれば大変うれしい.
最後にローマ出発後,帰国までの状況を簡単に.
16日はLuccaからMonacoまで移動,17日はNiceを経由してAvignonまで移動,見たかったPon du Gareにも足を運びながらここに2泊して,19日に700km弱の移動を敢行してParisに到着した.Parisに3泊して,22日に羽田便に搭乗,翌23日朝に羽田空港に到着して無事帰国である.
Avignonを出発するまで,22日のフライトを1週間程度延期するか迷っていた.しかし,首都圏の混乱が収束に向かいつつあるとの情報を得て,予定通り帰国することを決断したのだった.
苦楽を共にしてきた愛車Clioはパリ空港そばの返却ステーションで無事返却した.心の中で「いろいろとありがとう」とつぶやきつつ...
お世話になったローマの皆様へ,また会う日までお元気で.
私,仕事の都合で1年間弱ローマに滞在することになりました.今までブログをやっている時間はまったくと言っていいほどなかったのですが,この際ローマで経験したことを記録として残しつつ,現地の最新情報を提供できればと考え,初めてブログに手を出してみました.
2011年8月24日水曜日
日本人学校の終業式
3月15日,いよいよ子供たちの最後の登校日だ.卒業式の後にお別れ会が控えている.もちろん,我が子たちは主役であるが,主役は何と13名! なんと多くの子供たちが日本人学校を後にすることか...加えて,3名の先生方も日本に戻るので,その送別会も兼ねている.
主役たちは壇上に上がり,一人一人お別れの言葉を言い,それに対してクラスメートたちがお別れの言葉を返していく.全生徒の3割が送別対象なので,送る方も大変である.
お別れ会を締めるのは,全員で校歌を歌いながらの退場である.これは率直に言って泣ける.私はあんまり湿っぽいのは苦手なのだが,そんな私も少しウルウル来たくらいなので,主役たちはさぞかしつらかっただろう.しかし,どちらかというと送り出す方に泣いていた人が多かったかな.
お別れ会の後,主だった方々にお別れの挨拶をして,いざパリに向けて出発.この日はイタリア最後の宿泊地,Luccaまで350kmを移動だ.
主役たちは壇上に上がり,一人一人お別れの言葉を言い,それに対してクラスメートたちがお別れの言葉を返していく.全生徒の3割が送別対象なので,送る方も大変である.
お別れ会を締めるのは,全員で校歌を歌いながらの退場である.これは率直に言って泣ける.私はあんまり湿っぽいのは苦手なのだが,そんな私も少しウルウル来たくらいなので,主役たちはさぞかしつらかっただろう.しかし,どちらかというと送り出す方に泣いていた人が多かったかな.
お別れ会の後,主だった方々にお別れの挨拶をして,いざパリに向けて出発.この日はイタリア最後の宿泊地,Luccaまで350kmを移動だ.
ローマ出発の前日:ついにアパートを退去する
3月14日,翌日に日本人学校の終業式を控えていた.終業式を終えたその足でローマを去ろうと考えていたので,この日にアパートを退去して,日本人学校に比較的近いホテルに泊まることにした.
あらかたの荷物は既に日本に送り出しており,残すは大型のスーツケース2つ,小型のスーツケース2つ,段ボール箱1つである.ビジネスバックなどの細々とした鞄も複数ある.これらをあの小さいClioに載せるのだ.これらを何とかClioに詰め込み,いざ出発,アパートよさらば! 助手席も後部座席もやや苦しそうだったが,我慢できないことはなさそうだ.明日からはこの状態でパリまで移動するのだ.ホテルのチェックインはもちろん問題なし.
この日の夜は滞在中仲良くして頂いたW氏家族とF氏家族がローマから南に車で1時間くらい移動した雰囲気の良いレストランでお別れ会を開いてくれた.最後のローマの夜は楽しくもしみじみと過ぎていった.
あらかたの荷物は既に日本に送り出しており,残すは大型のスーツケース2つ,小型のスーツケース2つ,段ボール箱1つである.ビジネスバックなどの細々とした鞄も複数ある.これらをあの小さいClioに載せるのだ.これらを何とかClioに詰め込み,いざ出発,アパートよさらば! 助手席も後部座席もやや苦しそうだったが,我慢できないことはなさそうだ.明日からはこの状態でパリまで移動するのだ.ホテルのチェックインはもちろん問題なし.
この日の夜は滞在中仲良くして頂いたW氏家族とF氏家族がローマから南に車で1時間くらい移動した雰囲気の良いレストランでお別れ会を開いてくれた.最後のローマの夜は楽しくもしみじみと過ぎていった.
2011年8月1日月曜日
イタリアメディアの東日本大震災報道から感じたこと
東日本大震災はすぐにイタリアのメディアで取り上げられた.ヘリから撮影された仙南平野を疾駆する津波,リアス海岸に押し寄せる津波の映像はそれは衝撃的だった.国営放送RAIが使用していた画像はNHKのものを使用していた.
翌日には福島第一原発で水素爆発事故だ.この画像も衝撃だった.ただ,このことを一番早く知ったのは確かCNNのサイトであった.イタリアの地方紙も一面トップは震災モノである.ここまで日本が注目されてことは最近ではなかっただろう.何ともやるせないものだ.言葉は正確に理解できないが,原発事故を境に,報道の内容は日本への同情に併せて非難が入り始めているように感じられた.
聞く話によると,日本人学校のあるママは3月下旬に子供を連れて日本に一時帰国する予定だったのだが,そのイタリア人のパパが親族から「放射能まみれの日本に子供つれて戻ることを許すなんてなんと非人道的な!」と叱責を受けたそうである.私も何人かのイタリア人に「そんな危険な日本に本当に帰るのか?」ということを言われた.
この例を紹介したのは,日本の外務大臣が全然画面に登場しなかったことに問題意識を感じたからだ.大変奇異に感じられたし,海外にいる身としては,政府が国内にしか意識が行っていないように見えたことが大きな不安だった.海外から同情と懸念の声が大きくなる中,大臣がどのような対応をしていたのか,実は今もって全く分からない.大使を含め,大使館の動きはどうだったのだろうか? イタリア人とイタリア社会の日本に対する懸念を払拭するような行動をきちんと取ったのだろうか? ご存じの方は教えてください.
翌日には福島第一原発で水素爆発事故だ.この画像も衝撃だった.ただ,このことを一番早く知ったのは確かCNNのサイトであった.イタリアの地方紙も一面トップは震災モノである.ここまで日本が注目されてことは最近ではなかっただろう.何ともやるせないものだ.言葉は正確に理解できないが,原発事故を境に,報道の内容は日本への同情に併せて非難が入り始めているように感じられた.
聞く話によると,日本人学校のあるママは3月下旬に子供を連れて日本に一時帰国する予定だったのだが,そのイタリア人のパパが親族から「放射能まみれの日本に子供つれて戻ることを許すなんてなんと非人道的な!」と叱責を受けたそうである.私も何人かのイタリア人に「そんな危険な日本に本当に帰るのか?」ということを言われた.
この例を紹介したのは,日本の外務大臣が全然画面に登場しなかったことに問題意識を感じたからだ.大変奇異に感じられたし,海外にいる身としては,政府が国内にしか意識が行っていないように見えたことが大きな不安だった.海外から同情と懸念の声が大きくなる中,大臣がどのような対応をしていたのか,実は今もって全く分からない.大使を含め,大使館の動きはどうだったのだろうか? イタリア人とイタリア社会の日本に対する懸念を払拭するような行動をきちんと取ったのだろうか? ご存じの方は教えてください.
引っ越し荷物の送り出し
アパートの退去手続きが済んで,今度は引っ越し荷物である.ローマに来たときには,大型スーツケース3つ,小型スーツケース2つでやってきて,さらに3箱ほどをEMSで別送したが,その時よりは荷物が確実に増えていた.トランクが大きくないclioでパリに行かなければならないので,スーツケース全てを持って行くのは不可能である.
インターネットで調べると,ローマでは日通とヤマト運輸が日本までの引っ越し荷物を取り扱ってくれるようだった.船便と航空便それぞれの荷物の種類と量を大まかに把握し,スーツケースを一つ船便として送り返すという条件の下では日通の方が良かったので,そちらにお願いすることにした.
各段ボール箱とトランクは25kg以下にする必要がある.この重量の調整が大変.こちらで入手した書籍や資料,日本に持ち帰りたい書籍,子供たちの教科書など,重量のかさむものもたくさんある.色々と試行錯誤して,航空便で4箱,船便で4箱+スーツケースということになった.費用は日本円で20万円くらいだったかな?
3/10の午前中に日通から依頼を受けたイタリア人ドライバーがこれらの引っ越し荷物を受け取りに来た.英語が話せたので何のトラブルもなく荷物を持って行ってくれ,一安心.退去手続きも荷物の送り出しも終了し気楽になった後に,警察に行って滞在許可証を受け取り,まさにルンルン気分だった.翌日にあんなことになることも知らずに...
ちなみに,航空便は帰国時の入国審査後に指定された日通のカウンターで手続きを行い,約一週間後に自宅に配送されてきた.船便は5月中旬に到着したので,約二ヶ月と行ったところだ.いずれも中身の欠損はなくてホッとした.
インターネットで調べると,ローマでは日通とヤマト運輸が日本までの引っ越し荷物を取り扱ってくれるようだった.船便と航空便それぞれの荷物の種類と量を大まかに把握し,スーツケースを一つ船便として送り返すという条件の下では日通の方が良かったので,そちらにお願いすることにした.
各段ボール箱とトランクは25kg以下にする必要がある.この重量の調整が大変.こちらで入手した書籍や資料,日本に持ち帰りたい書籍,子供たちの教科書など,重量のかさむものもたくさんある.色々と試行錯誤して,航空便で4箱,船便で4箱+スーツケースということになった.費用は日本円で20万円くらいだったかな?
3/10の午前中に日通から依頼を受けたイタリア人ドライバーがこれらの引っ越し荷物を受け取りに来た.英語が話せたので何のトラブルもなく荷物を持って行ってくれ,一安心.退去手続きも荷物の送り出しも終了し気楽になった後に,警察に行って滞在許可証を受け取り,まさにルンルン気分だった.翌日にあんなことになることも知らずに...
ちなみに,航空便は帰国時の入国審査後に指定された日通のカウンターで手続きを行い,約一週間後に自宅に配送されてきた.船便は5月中旬に到着したので,約二ヶ月と行ったところだ.いずれも中身の欠損はなくてホッとした.
2011年7月22日金曜日
アパートの退去手続き
アパートの退去を3月14日に決めたので,9日にアパートの状態を大家にチェックしてもらうことにした.
アパートの契約時に2ヶ月分の敷金を支払っている.これがどの程度戻ってくるのかが焦点だ.しかも,ボイラーの故障時にテクニコに私の方から代金を支払っているので,この分がきちんと考慮されるかも重要なポイントである.
1年間も住んでいたので,水回りはどうしても汚れてくる.シャワールームの天井と壁はカビが発生しており,とても拭き取って落ちるレベルではない.なんだかんだでまあ1ヶ月分は取られることになるのだろうと推測していた.
約束の時間から20分程度遅れて大家が到着.このくらいの遅れは既に何にも憤りを感じなくなっている自分が怖い(笑).日本人会事務局のM氏にも同席して頂いたので,大家との会話は問題ない.「いい滞在だったかい?」と聞いてくるので,「もちろん」と答える.すると,全部屋の状態のチェックを行うことなく,敷金全額とボイラー修理費の立て替え分をそのまま返してくれた.現状復旧はこちらでやってくれということらしい.彼の対応は最後まで怖くなるくらいの適当さだ.まあその方がこちらも楽だけど.
仕方ないので,M氏にお願いして,知り合いの何でも屋に現状復旧をお願いすることにする.見積もりの結果,トータルで450ユーロでやってくれるというので,お願いすることにした.一ヶ月の家賃の40%弱で済んでしまったのでラッキーと言うべきだろう.修復は我々が退去した後に行われるので,慌てる必要もない.
後は退去後に鍵束をM氏に預けるだけで引き渡し手続きは終了である.拍子抜けするくらいの簡単さである.
アパートの契約時に2ヶ月分の敷金を支払っている.これがどの程度戻ってくるのかが焦点だ.しかも,ボイラーの故障時にテクニコに私の方から代金を支払っているので,この分がきちんと考慮されるかも重要なポイントである.
1年間も住んでいたので,水回りはどうしても汚れてくる.シャワールームの天井と壁はカビが発生しており,とても拭き取って落ちるレベルではない.なんだかんだでまあ1ヶ月分は取られることになるのだろうと推測していた.
約束の時間から20分程度遅れて大家が到着.このくらいの遅れは既に何にも憤りを感じなくなっている自分が怖い(笑).日本人会事務局のM氏にも同席して頂いたので,大家との会話は問題ない.「いい滞在だったかい?」と聞いてくるので,「もちろん」と答える.すると,全部屋の状態のチェックを行うことなく,敷金全額とボイラー修理費の立て替え分をそのまま返してくれた.現状復旧はこちらでやってくれということらしい.彼の対応は最後まで怖くなるくらいの適当さだ.まあその方がこちらも楽だけど.
仕方ないので,M氏にお願いして,知り合いの何でも屋に現状復旧をお願いすることにする.見積もりの結果,トータルで450ユーロでやってくれるというので,お願いすることにした.一ヶ月の家賃の40%弱で済んでしまったのでラッキーと言うべきだろう.修復は我々が退去した後に行われるので,慌てる必要もない.
後は退去後に鍵束をM氏に預けるだけで引き渡し手続きは終了である.拍子抜けするくらいの簡単さである.
2011年7月21日木曜日
震災の日
さて,あの震災である.3月11日の日本時間午後3時前.ローマでは午前7時前だ.この日は実は研究所への最後の出勤日でもあった.14日にはアパートを退去し,15日にローマを離れるために,この日が本当の意味で最終日だったのだ.いつものように子供たちを日本人学校に送り届け,そのまま研究所に向かう.
到着は10時前だったろうか.パソコンを開いてインターネットでニュースをチェックすると,宮城県沖を震源とする大地震の記事が目に飛び込んでくる.しかも首都圏でも震度6クラスの揺れである.直ちに家内の実家に連絡を取る.ここはすぐつながって,「とりあえず大丈夫.たまたま義父が我が家の空気入れ替えをやっていたタイミングで地震があったが,そちらも大丈夫」ということで一安心.その結果を家内に連絡し,今度は私の実家に連絡.こちらはつながらず,結局つながったのはその数時間後だったと記憶している.「被害はない.仙台いる妹(私の伯母)は無事,日立にいるその娘には連絡が取れないが大丈夫だろう」とのことでこちらもまずは一安心だった.
ローマ時間の昼頃には,インターネット上にヘリコプターから津波をキャッチした映像が出回っている.NHKのサイトは全くつながらず,BBCやCNNのサイトから情報を入手する.これらは本当に情報が早く,非常時の強さを見せつけられた.
今回の滞在でお世話になった研究所の教授がやってきて,最後の挨拶をする.「どのぐらいの被害になりそうか?」と聞いてくるので,不謹慎ながら「千人単位の死者が出ているだろう」と答えたような気がするが,死者数はあっという間にこの予想を超えてしまい,言葉を失う.
もちろん最終日の余韻を楽しむことはもはやできず,ひたすら情報収集に明け暮れる.夕方,最後に世話になった同室のF女史に鍵を返却して,別れを告げてから帰宅の途に着く.送別会などもなく,あっさりとした最後だった.よく考えたら,歓迎会もなかったな.
到着は10時前だったろうか.パソコンを開いてインターネットでニュースをチェックすると,宮城県沖を震源とする大地震の記事が目に飛び込んでくる.しかも首都圏でも震度6クラスの揺れである.直ちに家内の実家に連絡を取る.ここはすぐつながって,「とりあえず大丈夫.たまたま義父が我が家の空気入れ替えをやっていたタイミングで地震があったが,そちらも大丈夫」ということで一安心.その結果を家内に連絡し,今度は私の実家に連絡.こちらはつながらず,結局つながったのはその数時間後だったと記憶している.「被害はない.仙台いる妹(私の伯母)は無事,日立にいるその娘には連絡が取れないが大丈夫だろう」とのことでこちらもまずは一安心だった.
ローマ時間の昼頃には,インターネット上にヘリコプターから津波をキャッチした映像が出回っている.NHKのサイトは全くつながらず,BBCやCNNのサイトから情報を入手する.これらは本当に情報が早く,非常時の強さを見せつけられた.
今回の滞在でお世話になった研究所の教授がやってきて,最後の挨拶をする.「どのぐらいの被害になりそうか?」と聞いてくるので,不謹慎ながら「千人単位の死者が出ているだろう」と答えたような気がするが,死者数はあっという間にこの予想を超えてしまい,言葉を失う.
もちろん最終日の余韻を楽しむことはもはやできず,ひたすら情報収集に明け暮れる.夕方,最後に世話になった同室のF女史に鍵を返却して,別れを告げてから帰宅の途に着く.送別会などもなく,あっさりとした最後だった.よく考えたら,歓迎会もなかったな.
自粛を終えてブログをちょっとだけ再開
さて,ものすごい久しぶりの更新である.更新をしなかった理由は震災である.ニュースから流れてくる圧倒的な被害を目の当たりにして,のんきにブログを書いている気にならなかったのだ.予告なく勝手に自粛してしまったので,何人かから「滞在許可証をもらってからどうなったの?」というクレームがあったのだ.いつかは再開して,最後の二週間の顛末を書こうと思ったいたのだが,日本に帰ってきてからの日々に全くの時間的余裕がなく,つい今日まで先延ばしにしてしまった.ブログは時間と意欲がないと続かないものだとつくづく思う.
そのような訳で,本日よりちょっとずつブログを終了するために努力いたします.
そのような訳で,本日よりちょっとずつブログを終了するために努力いたします.
2011年3月10日木曜日
あきらめていた滞在許可証をようやくゲット!
ローマ出発まで一週間を切った.完全にイタリア生活を満喫し,まだ帰りたくないと本気で思っているが,来年度のことを考えると仕方がない.最後は滞在許可証問題である.
私自身は9月中旬,同行家族は年末に審査を終え,後は発行を待つばかりになっていた滞在許可証.私は3ヶ月後に,家族は2ヶ月後を目処に発行されると言われていた.携帯番号を聞かれ,「SMSで受け取りの連絡が行く」と伝えられていたが,一向にその連絡が来ないのだった.
1月に大使館の方と仕事をしている時に,「まだPermessoが発行されていない」というと,イタリア人女性秘書が「引換券のIDでインターネット上で状況をすることができます」」と教えてくれたのだった.審査時にそんなことは一切聞いていないゾ.「私が大使館でその担当なので早く発行されるようにお願いしてみます」とのことだったので,とにかくお願いすることにした.
彼女に国家警察とやりとりをしてもらうが,「印刷に回っているかどうか調べます」と言う返答があってから何の情報もない.三週間ほど前まで,定期的にPolizia di Stato(国家警察)の専用サイトにアクセスして状況をチェックしていたのだが,ずっと「まだ印刷中」との表示だった.「これはもうだめだな」と感じて,しばらくサイトをチェックしていなかった.
昨日朝,ふとサイトにアクセスしてみる.すると,「受け取り可能」と表示されているではないか! 後は家内の分だが,こちらも受け取り可能との表示だ.やはり大使館からのプッシュが効いたのか? 結局SMSでの連絡は入っていないが,どうなってるんだろうか? いずれにしても,居ても立ってもいられず,家内を連れて指定の警察署(これは自宅に結構近い)に急行する.
審査時にあんなに混雑していたので,受け取りもそれなりに混雑するのだろうと思っていたが,結果から言うと混雑もなくすんなりと受け取ることが出来た.受け取りに当たって,再度厳密にチェックされたり,難癖を付けられるのだろうと「期待」していたが,「そんな緩くて大丈夫?」と心配するくらいに,あっさりと受け取れたのだった.
それにしても受け取った滞在許可証は,その苦労をあざ笑うかのような貧弱な作りである.一応プラスチック製でICチップも入っているが...もっともイタリア人達の持っている個人IDカードは何と紙製なので,それよりは丈夫そうだ.
残り一週間を切って,めでたく「正式な合法滞在」の実現である.やれやれ.
私自身は9月中旬,同行家族は年末に審査を終え,後は発行を待つばかりになっていた滞在許可証.私は3ヶ月後に,家族は2ヶ月後を目処に発行されると言われていた.携帯番号を聞かれ,「SMSで受け取りの連絡が行く」と伝えられていたが,一向にその連絡が来ないのだった.
1月に大使館の方と仕事をしている時に,「まだPermessoが発行されていない」というと,イタリア人女性秘書が「引換券のIDでインターネット上で状況をすることができます」」と教えてくれたのだった.審査時にそんなことは一切聞いていないゾ.「私が大使館でその担当なので早く発行されるようにお願いしてみます」とのことだったので,とにかくお願いすることにした.
彼女に国家警察とやりとりをしてもらうが,「印刷に回っているかどうか調べます」と言う返答があってから何の情報もない.三週間ほど前まで,定期的にPolizia di Stato(国家警察)の専用サイトにアクセスして状況をチェックしていたのだが,ずっと「まだ印刷中」との表示だった.「これはもうだめだな」と感じて,しばらくサイトをチェックしていなかった.
昨日朝,ふとサイトにアクセスしてみる.すると,「受け取り可能」と表示されているではないか! 後は家内の分だが,こちらも受け取り可能との表示だ.やはり大使館からのプッシュが効いたのか? 結局SMSでの連絡は入っていないが,どうなってるんだろうか? いずれにしても,居ても立ってもいられず,家内を連れて指定の警察署(これは自宅に結構近い)に急行する.
審査時にあんなに混雑していたので,受け取りもそれなりに混雑するのだろうと思っていたが,結果から言うと混雑もなくすんなりと受け取ることが出来た.受け取りに当たって,再度厳密にチェックされたり,難癖を付けられるのだろうと「期待」していたが,「そんな緩くて大丈夫?」と心配するくらいに,あっさりと受け取れたのだった.
それにしても受け取った滞在許可証は,その苦労をあざ笑うかのような貧弱な作りである.一応プラスチック製でICチップも入っているが...もっともイタリア人達の持っている個人IDカードは何と紙製なので,それよりは丈夫そうだ.
残り一週間を切って,めでたく「正式な合法滞在」の実現である.やれやれ.
ローマ日本人学校のふれあいの会
3/5のお昼に,日本人学校の「ふれあいの会」というイベントがあった.先生方を囲んで年に一度,ランチを共にするという主旨らしい.この日の朝に飛行機が遅れることなくベトナムから到着し,無事参加することができた.先生方や親たちと最後にいろいろと話をすることができ,この1年間の思い出が思わず頭によぎる.
この会に限らず,日本人学校には先生と親が,あるいは親同士が親睦を深められる機会が非常に多い.たった1年しかいない身にとってこれは大変ありがたいことだ.お陰で一家揃って大変楽しい滞在を過ごすことが出来ている.パパやママ達はイタリアという厳しい環境で生き抜いているだけあって自分を強く持っている人が多いし,話すとなかなか楽しいことが多いのだ.
普通の学校と違って,先生方のお子さんも学校の生徒さんという,極めて狭い世界である.例えば,うちの長男のクラスメートのパパは次男の担任,次男のクラスメートのパパは教頭という具合だ.こんな世界で先生方は距離感の取り方に大変苦労されているのだと思う.
生徒達も小学1年から中学3年まで横(同学年)だけでなく縦のつながりがものすごく強い.これは都会の小・中学校では決して体験できないので,我が家にとって非常に貴重な体験だ.特に,高学年の子たちの面倒見の良さに感心するが,子供達の性格と言うよりは環境がそうさせているのだと思う.日本の小学校ももっと縦割りの教育を取り入れてはどうかと思うくらいだ.
この会に限らず,日本人学校には先生と親が,あるいは親同士が親睦を深められる機会が非常に多い.たった1年しかいない身にとってこれは大変ありがたいことだ.お陰で一家揃って大変楽しい滞在を過ごすことが出来ている.パパやママ達はイタリアという厳しい環境で生き抜いているだけあって自分を強く持っている人が多いし,話すとなかなか楽しいことが多いのだ.
普通の学校と違って,先生方のお子さんも学校の生徒さんという,極めて狭い世界である.例えば,うちの長男のクラスメートのパパは次男の担任,次男のクラスメートのパパは教頭という具合だ.こんな世界で先生方は距離感の取り方に大変苦労されているのだと思う.
生徒達も小学1年から中学3年まで横(同学年)だけでなく縦のつながりがものすごく強い.これは都会の小・中学校では決して体験できないので,我が家にとって非常に貴重な体験だ.特に,高学年の子たちの面倒見の良さに感心するが,子供達の性格と言うよりは環境がそうさせているのだと思う.日本の小学校ももっと縦割りの教育を取り入れてはどうかと思うくらいだ.
2011年3月6日日曜日
何とも杜撰なフィウミチーノ空港の出入国審査
ベトナム出張から帰ってきた.滞在許可証は依然として出来上がったという連絡を受けていないが,私だけなら1年間のMulti-entryのビザを持っているので,出入国には問題はない.
今回は,滞在中初めて,ローマのフィウミチーノ空港で出入国審査を受けた.出国の時は,わずか数秒で終了.ろくに中身を見ずに,出国スタンプを押しただけだ.しかし,受け取ってから後で確認してみると,押されているはずのスタンプがどこにも見あたらないのだった.きっとインク切れだったのかも知れない...
今度は戻ってきて入国審査だ.驚くことに担当官は,パスポートの最初のページを全く確認せずに,スキャナーで読み取ることなく(これは他のシェンゲン国でも同じかも知れない),私の顔をほとんど見ずに,ビザのページを一切確認せずに,入国スタンプを押していた.しかもスタンプのないページのど真ん中に斜めに押されている.
この入国時の担当官の対応には正直言って驚きを覚えた.これなら他人のパスポートでも余裕で入ることができてしまう.日本人ならそんなことはしないと高をくくっているのかも知れないが,ものすごく杜撰だ.テロ対策などはどうなっているのだろうか?
今回は,滞在中初めて,ローマのフィウミチーノ空港で出入国審査を受けた.出国の時は,わずか数秒で終了.ろくに中身を見ずに,出国スタンプを押しただけだ.しかし,受け取ってから後で確認してみると,押されているはずのスタンプがどこにも見あたらないのだった.きっとインク切れだったのかも知れない...
今度は戻ってきて入国審査だ.驚くことに担当官は,パスポートの最初のページを全く確認せずに,スキャナーで読み取ることなく(これは他のシェンゲン国でも同じかも知れない),私の顔をほとんど見ずに,ビザのページを一切確認せずに,入国スタンプを押していた.しかもスタンプのないページのど真ん中に斜めに押されている.
この入国時の担当官の対応には正直言って驚きを覚えた.これなら他人のパスポートでも余裕で入ることができてしまう.日本人ならそんなことはしないと高をくくっているのかも知れないが,ものすごく杜撰だ.テロ対策などはどうなっているのだろうか?
2011年2月27日日曜日
やっとバチカン博物館に行く
昨日,ついにバチカン博物館に行くことになった.バチカンには子供達を連れて行きたかったので,必然的に週末になる.日曜日は最終日曜日の無料デー以外は休館なので,土曜日しかあり得ないのだった.今日は無料の日なのだが,まあ混んでいるだろうから子供連れには厳しいだろう.
12年前の新婚旅行でももちろん来ていたのだが,この時は事前予約制度なんかなかったと思う.そのため入場までに並んだ記憶があるのだが,今回はインターネットで事前予約である.本当に便利な世の中になった.ここでも事前予約料をバッチリ取られる.
13時からの予約で,12時40分には現場に到着.さぞかし並んでいるのかと思いきや,全然入場待ちをしている人がいない.これは空いている.翌日が無料だし,2月だからあまり近隣諸国からの観光客がいないのだろう.はぁ,事前予約料がもったいなかった.ちなみに日本人は多かった.ほとんどが大学生だろうが,バチカンに限らず,ローマ市内ではここ一週間くらいあちこちから日本語が聞こえてくるのだった.
いよいよ入場,一応入場可能な部屋は全て足を運んだが,もう圧倒的な展示品数に「もうやめてくれよ」と言いたくもなる.空いていたので,3時間もかからなかったのがせめてもの救いだ.終わった時にはひどい腰痛である.
やはり混んでいるのはラファエロの間とシスティーナ礼拝堂.ラファエロの間はそんなに感動しなかった(やはりフレスコ画は見栄えの点では不利だ)のだが,システィーナ礼拝堂は素直にすごいと思うしかない.静かに見ようとしても騒がしいし,誰かが写真を撮る度に係員が大声で注意するのも大変耳障りである.写真を撮る不届き者は国籍を問わないのだが,本当に止めてもらいたい.だいたい,美術品の写真を撮っても,その後ほとんど見ないし,第一鑑賞に堪えるほど上手に撮れないのだから.ちなみに,個人的に一番感動したのは地図の間だ.
途中のPizzeriaで遅いランチを取ったのだが,これがイタリアで食べたピザの中で最も最低のものだった.クラッカーのチーズのせといった感じだったが,観光客もバカにされたものである.
博物館の後は,もう一度サンピエトロ大聖堂を見て,Navona広場近くのカラバッジョ三部作のあるSan Luigi dei Francesi教会に入る.この三部作はある礼拝堂の三面に飾られているのだが,その前だけものすごい人だかりだ.暗いので,実はあんまりよく見えないのがちょっと残念だ.もともと暗い絵なので,鳥目の私には真っ暗である.
さて,明日から一週間海外出張なので,次の更新は3月6日以降になります.
12年前の新婚旅行でももちろん来ていたのだが,この時は事前予約制度なんかなかったと思う.そのため入場までに並んだ記憶があるのだが,今回はインターネットで事前予約である.本当に便利な世の中になった.ここでも事前予約料をバッチリ取られる.
13時からの予約で,12時40分には現場に到着.さぞかし並んでいるのかと思いきや,全然入場待ちをしている人がいない.これは空いている.翌日が無料だし,2月だからあまり近隣諸国からの観光客がいないのだろう.はぁ,事前予約料がもったいなかった.ちなみに日本人は多かった.ほとんどが大学生だろうが,バチカンに限らず,ローマ市内ではここ一週間くらいあちこちから日本語が聞こえてくるのだった.
いよいよ入場,一応入場可能な部屋は全て足を運んだが,もう圧倒的な展示品数に「もうやめてくれよ」と言いたくもなる.空いていたので,3時間もかからなかったのがせめてもの救いだ.終わった時にはひどい腰痛である.
やはり混んでいるのはラファエロの間とシスティーナ礼拝堂.ラファエロの間はそんなに感動しなかった(やはりフレスコ画は見栄えの点では不利だ)のだが,システィーナ礼拝堂は素直にすごいと思うしかない.静かに見ようとしても騒がしいし,誰かが写真を撮る度に係員が大声で注意するのも大変耳障りである.写真を撮る不届き者は国籍を問わないのだが,本当に止めてもらいたい.だいたい,美術品の写真を撮っても,その後ほとんど見ないし,第一鑑賞に堪えるほど上手に撮れないのだから.ちなみに,個人的に一番感動したのは地図の間だ.
途中のPizzeriaで遅いランチを取ったのだが,これがイタリアで食べたピザの中で最も最低のものだった.クラッカーのチーズのせといった感じだったが,観光客もバカにされたものである.
博物館の後は,もう一度サンピエトロ大聖堂を見て,Navona広場近くのカラバッジョ三部作のあるSan Luigi dei Francesi教会に入る.この三部作はある礼拝堂の三面に飾られているのだが,その前だけものすごい人だかりだ.暗いので,実はあんまりよく見えないのがちょっと残念だ.もともと暗い絵なので,鳥目の私には真っ暗である.
さて,明日から一週間海外出張なので,次の更新は3月6日以降になります.
ボルゲーゼ美術館へ行く
ローマに来てから,ローマ内の美術館と博物館へはまだほとんど足を運んでいなかった.帰国が近づきつつある今日この頃,そろそろせめてメジャーな所には行っておきたいと考えるようになった.
そんなわけで,その第一弾として,この前の水曜日にボルゲーゼ美術館に行くことにしたのだった.子供達は大して面白くないだろうということで,夫婦だけで見学である.ここは2時間ごとに入場者数が制限されているので,事前予約がベターだ.予約料もしっかり取られるのだが,まあ仕方ないので,インターネットで事前予約する.我々は午前11時からのスロットを予約したが,さすがにこの時間帯の予約可能残り人数が最も少なかった.
30分前までにチケットに交換しないといけないので,余裕を見て自宅を出発し,1時間前には美術館に到着し,無事チケットを入手し,11時まで時間をつぶす.一切の荷物をクロークに預けないといけない.もちろん写真は撮ることが出来ない.
11時に入場して,ガイドブックで推奨している作品を探しながら,一応全展示室を巡回する.確か20部屋くらいあったと思う.入場者数に制限があるので,そんなに混雑せずにゆっくり鑑賞することが出来る.はやり目を引くのは,ベルニーニの有名な彫像と,カラバッジョのいくつかの絵画であろうか.ラファエロの色使いもやはり目立っている.美術には明るくないが,やはり天才と言われた人達の作品は,周辺の作品よりは映えて見えることは,フィレンツェでも感じたものだ.
そんなわけで,その第一弾として,この前の水曜日にボルゲーゼ美術館に行くことにしたのだった.子供達は大して面白くないだろうということで,夫婦だけで見学である.ここは2時間ごとに入場者数が制限されているので,事前予約がベターだ.予約料もしっかり取られるのだが,まあ仕方ないので,インターネットで事前予約する.我々は午前11時からのスロットを予約したが,さすがにこの時間帯の予約可能残り人数が最も少なかった.
30分前までにチケットに交換しないといけないので,余裕を見て自宅を出発し,1時間前には美術館に到着し,無事チケットを入手し,11時まで時間をつぶす.一切の荷物をクロークに預けないといけない.もちろん写真は撮ることが出来ない.
11時に入場して,ガイドブックで推奨している作品を探しながら,一応全展示室を巡回する.確か20部屋くらいあったと思う.入場者数に制限があるので,そんなに混雑せずにゆっくり鑑賞することが出来る.はやり目を引くのは,ベルニーニの有名な彫像と,カラバッジョのいくつかの絵画であろうか.ラファエロの色使いもやはり目立っている.美術には明るくないが,やはり天才と言われた人達の作品は,周辺の作品よりは映えて見えることは,フィレンツェでも感じたものだ.
2011年2月23日水曜日
カプリ島を諦めカゼルタへ
翌日曜日,朝一番のフェリーでカプリ島に向かうつもりだったが,天気はあいにくの曇り.行っても洞窟は期待できないので,縁がなかったと早々に諦めることにした.ゆっくりホテルで朝食を取り,替わりにどこに行くかを検討する.
個人的にはカゼルタ宮殿に行きたかった.カゼルタはナポリの北30kmくらいの所にある町だ.9月にレンタカーが高速道路で故障し,代車を手配してもらったあのカゼルタだ.当時は中央駅前に宮殿があることに気がつかなかった.その後,この宮殿に面白い公園があることを知ったのだ.カプリ島を諦めて少しガッカリしている子供達に,「替わりに面白い公園に連れて行ってあげる」と言って納得させてホテルを出発.
このカゼルタ宮殿は世界遺産である.宮殿もかなり大きく,きちんと見ると見応えがありそうだが,今回はパス.宮殿前の公園だけに絞る.この公園,長さが3kmくらいあるらしく,もちろんその先端まで行って見たい所だ.
まずは車で公園の先端に向かうが,どこからも入場できない.どうやら宮殿側から入場しなければならないようだ.仕方ないので,宮殿近くに何とか駐車スペースを確保し,いよいよ公園に入る.
長さ3kmの公園は,宮殿から先端まで少しずつ登っていく感じだ.途中でいくつかの芸術的な噴水があり,先端には人工の滝がある.日光の竜頭の滝みたいな感じ.この滝から反対側の宮殿を眺めると,「随分と歩いてきたものだ」と自分を褒めることができるだろう.このバカみたいな長さの公園は素直に感動した.
帰りは疲れたので,園内を走る周回バスに乗って宮殿まで戻る.園内では子供達があちらこちらでサッカーに興じており,地元民にとっては単なる都市公園と言った趣なのだろうと思う.
アマルフィー海岸:絶景を拝むための苦難
土曜日はソレントに宿を取っていた.日曜日にカプリ島に渡ってワンチャンスで青の洞窟を見ようと思ったからだ.ソレントからカプリ島には頻繁に船が出ているらしいのだ.
ローマを比較的ゆっくり出発してきたので,ベスビオを下山した段階で午後2時半くらいだった.アマルフィー海岸にもまだ行っていなかったので,迷わず向かうことにした.サレルノまで行き,そこからアマルフィー海岸を経由してソレントに向かう.
サレルノ北部で高速A3号線を降り,いよいよアマルフィー海岸へ.ここはリアス式海岸で,切り立った崖と青い海が素晴らしい風景を創り出している.天気にも恵まれ,スタートから絶景である.しかし,海岸沿いを走る道路はくねくねだ.車酔いに弱い人は地獄への道である.サレルノからソレントまで40km以上はあると思うが,順調にいっても1時間半はかかるような状況だ.
車酔いしやすい長男に配慮して低速で慎重に運転する.たまたま渋いオープンカーが前をとろとろ走ってくれていて助かったのだが,それがいなくなると,後ろから速い車とオートバイが容赦なく攻めてくる.ちょっとしたストレートで彼らがぶち抜いてく.見ているこっちが対向車とぶつからないかハラハラする.
そうこうしているうちにアマルフィーに到着.中心部付近で駐車するのは難しく,港の端っこの方に何とか駐車場を発見する.この駐車場の側から防波堤が延びていて,その先まで歩いて行くことが出来る.そこから見るアマルフィーの町はなかなかきれいだし,「こんな所に張り付いてよく住んでいるな」と感心できる.
ポジターノは通過しただけだったが,たぶんアマルフィーの方がこじんまりして映えて見えると思う.
苦難のドライブを乗り越え,すっかり暗くなってからソレントに到着.ディナーはソレントのシーフードを堪能だ.
ローマを比較的ゆっくり出発してきたので,ベスビオを下山した段階で午後2時半くらいだった.アマルフィー海岸にもまだ行っていなかったので,迷わず向かうことにした.サレルノまで行き,そこからアマルフィー海岸を経由してソレントに向かう.
サレルノ北部で高速A3号線を降り,いよいよアマルフィー海岸へ.ここはリアス式海岸で,切り立った崖と青い海が素晴らしい風景を創り出している.天気にも恵まれ,スタートから絶景である.しかし,海岸沿いを走る道路はくねくねだ.車酔いに弱い人は地獄への道である.サレルノからソレントまで40km以上はあると思うが,順調にいっても1時間半はかかるような状況だ.
車酔いしやすい長男に配慮して低速で慎重に運転する.たまたま渋いオープンカーが前をとろとろ走ってくれていて助かったのだが,それがいなくなると,後ろから速い車とオートバイが容赦なく攻めてくる.ちょっとしたストレートで彼らがぶち抜いてく.見ているこっちが対向車とぶつからないかハラハラする.
そうこうしているうちにアマルフィーに到着.中心部付近で駐車するのは難しく,港の端っこの方に何とか駐車場を発見する.この駐車場の側から防波堤が延びていて,その先まで歩いて行くことが出来る.そこから見るアマルフィーの町はなかなかきれいだし,「こんな所に張り付いてよく住んでいるな」と感心できる.
ポジターノは通過しただけだったが,たぶんアマルフィーの方がこじんまりして映えて見えると思う.
苦難のドライブを乗り越え,すっかり暗くなってからソレントに到着.ディナーはソレントのシーフードを堪能だ.
ベスビオ山の噴火口へ
先週末,今年に入って早くも三度目の南部旅行に出かけた.土曜日に訪れたのはベスビオ山だ.私だけは9月に一度ベスビオ山に登っているのだが,今回は家族みんなで登頂である.前二回の旅行では天候に恵まれず,今回まで延び延びになっていたのだった.
ベスビオ山は標高1,000mくらいまで車で登ることが出来る.この道はものすごいくねくねしていてところどころ狭くなっているのだが,観光バスや路線バスも入ってくる.車酔いの激しい人は大変苦痛である.この途中でも,ナポリ方面の素晴らしい景色を楽しむことが出来る.
駐車場に車を泊めて,いよいよ登頂開始だ.大昔のベスビオ山はもっと標高が高かったらしいのだが,度重なる爆発で山頂部がなくなってしまったようだ.そのため,現在は二つの山頂がある.駐車場から登るのは山頂が高い方で,その途中の標高1,200mくらいに最も直近の1,942年の噴火で出来たクレーター状の噴火口があり,その外周部を歩くことが出来るのだ.割ときつい坂道を15分くらいかけて登ると外周部に辿り着き,そこから10分くらいかけて外周部遊歩道の先端まに辿り着ける.
外周部遊歩道の入口の小屋で入場料(大人一人8ユーロだったかな?)を支払う.すると近くにいたガイドが,「あと2分で英語の解説が始まりますので良かったらどうぞ.これは入場料に含まれています」ということだったので,その人の説明を聞くことに.5分くらいの説明を受けた後に,「後はこの先で運が良ければ別のガイドから説明が受けられるかも知れません」と言うことで,入口付近担当のガイドということらしい.
その後は外周部遊歩道の先端に向かう.噴火口の西側を北から南に進む感じだったと思う.そのため,北側はナポリ湾の,南側はソレント半島の素晴らしい眺めが楽しめるのだ.この日は快晴だったがやや霞んでいて,完全にクリアな風景ではなかったのだが,十分に満足できるレベルにはあった.先端である南端では残念ながらガイドを発見できず,ポンペイの位置がよく分からなかったのがちょっと残念だ.
正直言って車がないとなかなか来ることが難しいと思うが,軽装でも全く問題なく,2時間くらいのちょっときつい散歩という感覚で楽しめるのでお薦めだ.ただし,火山のすごさを実感したければシチリアのエトナ山を薦める.
ベスビオ山は標高1,000mくらいまで車で登ることが出来る.この道はものすごいくねくねしていてところどころ狭くなっているのだが,観光バスや路線バスも入ってくる.車酔いの激しい人は大変苦痛である.この途中でも,ナポリ方面の素晴らしい景色を楽しむことが出来る.
駐車場に車を泊めて,いよいよ登頂開始だ.大昔のベスビオ山はもっと標高が高かったらしいのだが,度重なる爆発で山頂部がなくなってしまったようだ.そのため,現在は二つの山頂がある.駐車場から登るのは山頂が高い方で,その途中の標高1,200mくらいに最も直近の1,942年の噴火で出来たクレーター状の噴火口があり,その外周部を歩くことが出来るのだ.割ときつい坂道を15分くらいかけて登ると外周部に辿り着き,そこから10分くらいかけて外周部遊歩道の先端まに辿り着ける.
外周部遊歩道の入口の小屋で入場料(大人一人8ユーロだったかな?)を支払う.すると近くにいたガイドが,「あと2分で英語の解説が始まりますので良かったらどうぞ.これは入場料に含まれています」ということだったので,その人の説明を聞くことに.5分くらいの説明を受けた後に,「後はこの先で運が良ければ別のガイドから説明が受けられるかも知れません」と言うことで,入口付近担当のガイドということらしい.
正直言って車がないとなかなか来ることが難しいと思うが,軽装でも全く問題なく,2時間くらいのちょっときつい散歩という感覚で楽しめるのでお薦めだ.ただし,火山のすごさを実感したければシチリアのエトナ山を薦める.
2011年2月22日火曜日
ローマの本屋事情
一応学者の端くれであるから,どんな国に行ってもなるべく本屋には立ち寄ることにしている.本屋に行けばその国の市民がどの程度の知的水準かだいたい想像できる.
日本では通勤で東京駅を経由していたので,本屋と言えばもっぱらオアゾの丸善か八重洲ブックセンターだった.私の大型書店の基準はこの両者である.これらに比べると,住んでいた横浜の書店レベルは何とかならないのかと常々思っていたものだ.
さて,ここローマでは,「ここに行けば大抵のものが揃っている」と思えるほどの大型書店はないようだ.私が愛用しているのは,Termini駅構内の書店(名前は忘れた),Nazionale通りのローマ三越近くにあるMel Bookstore,Argentina広場にあるLa Fertrinelliの三店だ.これらはローマの中では大きいと思うのだが,店舗面積はたぶん八重洲ブックセンターの2フロアー分くらいしかない.
書店では,主にガイドブック,歴史書物を中心に,ローマやイタリアの地勢や歴史を勉強するのにいい書籍がないか探しているが,なかなか魅力的なものがなくて苦労している.買う気はないが,たまに専門書コーナーも覗いてみるが,充実度合いはかなり悲惨なものがある.英語書籍はかなり限られているのは日本と同じだ.書籍はほとんどソフトカバーで,そのせいか値段は安い.イタリア人はほとんど本を読まないと聞いたことがあるが,確かに列車やバスの中で本を読んでいる人もそんなに見ないので,全然売れないのだろう.安くて売れないとは作家も大変だろう.日本みたいに多様な作家の新刊書が雨後の竹の子のように新刊コーナーに並ぶという環境ではないようだし,出版業界は全然儲かりそうにない.
書店では必ず地図コーナーを覗くことにしている.この地図のレベルがなかなか悲惨である.「これはいい」と思える地図になかなか辿り着かない.道路地図は縮尺が大きすぎて,都市部の詳細図も貧弱で,全然使えない.まあ,詳細地図がなくても中心部にたどり着けるので,ニーズがないのかも知れないが.土木屋として地形図なんかも欲しいところなのだが,これは軍事関係機関に発行を依頼しないと入手できないようだ.ちなみに,地図やガイド類はさすがにTerminiの書店が一番充実している.列車待ちの時間で気が向いたら是非立ち寄ってみて下さい.
日本では通勤で東京駅を経由していたので,本屋と言えばもっぱらオアゾの丸善か八重洲ブックセンターだった.私の大型書店の基準はこの両者である.これらに比べると,住んでいた横浜の書店レベルは何とかならないのかと常々思っていたものだ.
さて,ここローマでは,「ここに行けば大抵のものが揃っている」と思えるほどの大型書店はないようだ.私が愛用しているのは,Termini駅構内の書店(名前は忘れた),Nazionale通りのローマ三越近くにあるMel Bookstore,Argentina広場にあるLa Fertrinelliの三店だ.これらはローマの中では大きいと思うのだが,店舗面積はたぶん八重洲ブックセンターの2フロアー分くらいしかない.
書店では,主にガイドブック,歴史書物を中心に,ローマやイタリアの地勢や歴史を勉強するのにいい書籍がないか探しているが,なかなか魅力的なものがなくて苦労している.買う気はないが,たまに専門書コーナーも覗いてみるが,充実度合いはかなり悲惨なものがある.英語書籍はかなり限られているのは日本と同じだ.書籍はほとんどソフトカバーで,そのせいか値段は安い.イタリア人はほとんど本を読まないと聞いたことがあるが,確かに列車やバスの中で本を読んでいる人もそんなに見ないので,全然売れないのだろう.安くて売れないとは作家も大変だろう.日本みたいに多様な作家の新刊書が雨後の竹の子のように新刊コーナーに並ぶという環境ではないようだし,出版業界は全然儲かりそうにない.
書店では必ず地図コーナーを覗くことにしている.この地図のレベルがなかなか悲惨である.「これはいい」と思える地図になかなか辿り着かない.道路地図は縮尺が大きすぎて,都市部の詳細図も貧弱で,全然使えない.まあ,詳細地図がなくても中心部にたどり着けるので,ニーズがないのかも知れないが.土木屋として地形図なんかも欲しいところなのだが,これは軍事関係機関に発行を依頼しないと入手できないようだ.ちなみに,地図やガイド類はさすがにTerminiの書店が一番充実している.列車待ちの時間で気が向いたら是非立ち寄ってみて下さい.
2011年2月21日月曜日
何やら行きつけBarのクリエンテになる
最近は出勤した時のランチのBarがほぼ決まってしまった.相変わらずイタリア式サンドイッチと言うべきPaninoをテイクアウトして簡単な昼食としている.量が多いので,これだけで十分である.特に豚の丸焼きのPorchettaのPaninoをよく食べている.
このBarでは出勤途中にFrezzanteのミネラルウォーターを1本購入することにしている.先週のある朝,すっかり顔なじみになった女性の店員に,「あなたはクリエンテだから水を50セントにしてあげる」と言われた.これまでは1ユーロで買っていたのだが,その日以来50セントで水を購入できるようになった.
Paninoも滞在当初は4ユーロだったが,途中で3ユーロに値下がりし,最近は2.5ユーロで水も付けてくれることがあるようになった.こうなると,他のBarへ入っていくところを見られるとまずそうなので,最近はすっかりこのBarに入り浸りとなっている.
このBarでは出勤途中にFrezzanteのミネラルウォーターを1本購入することにしている.先週のある朝,すっかり顔なじみになった女性の店員に,「あなたはクリエンテだから水を50セントにしてあげる」と言われた.これまでは1ユーロで買っていたのだが,その日以来50セントで水を購入できるようになった.
Paninoも滞在当初は4ユーロだったが,途中で3ユーロに値下がりし,最近は2.5ユーロで水も付けてくれることがあるようになった.こうなると,他のBarへ入っていくところを見られるとまずそうなので,最近はすっかりこのBarに入り浸りとなっている.
歩かない大人の作り方?
こちらに来てから様々なことを観察しているが,つい考えさせられてしまうことの一つに,幼稚園の年長相当か,ひょっとすると小学校低学年くらいの子供達の多くが,相変わらずベビーカーに乗っていることがある.ベビーカーの大きさに比べて,その子達の大きさが大きすぎるので,明らかに乗り心地が悪そうである.
小学校では子供の送迎が原則義務化されているようだ.子供の多くが車やオートバイで送迎されてくる.バスに乗っていると,大して重くないリュックサックを付き添いの親や祖母が持ってあげているのをよく見かける.
イタリアでは子供は親族から宝のように扱われている.子供を持つと法律でその育成管理に重荷が課せられている.そのせいで晩婚化が進み,少子化に苦しんでいるというのが現状のようだ.
私は交通の専門家なので,小さい頃から歩かせないことの問題が大変気になっている.このままでは,どこに行くにも車になってしまうし,出来るだけ目的地に近いところに駐車することに全力を挙げるようになるのだ.今のローマでの自動車問題を見ていると,子供の頃から歩かせないとさらにひどいことになると思わざるを得ない.
小学校では子供の送迎が原則義務化されているようだ.子供の多くが車やオートバイで送迎されてくる.バスに乗っていると,大して重くないリュックサックを付き添いの親や祖母が持ってあげているのをよく見かける.
イタリアでは子供は親族から宝のように扱われている.子供を持つと法律でその育成管理に重荷が課せられている.そのせいで晩婚化が進み,少子化に苦しんでいるというのが現状のようだ.
私は交通の専門家なので,小さい頃から歩かせないことの問題が大変気になっている.このままでは,どこに行くにも車になってしまうし,出来るだけ目的地に近いところに駐車することに全力を挙げるようになるのだ.今のローマでの自動車問題を見ていると,子供の頃から歩かせないとさらにひどいことになると思わざるを得ない.
2011年2月15日火曜日
"Parla italiano!"の快感
滞在を始めて10ヶ月が過ぎたが,依然としてイタリア語はそんなに話せない.レベルとしては最初の手応えをつかんだ昨年9月頃から一向に進化せず,最近は自宅に閉じこもってデスクワークをすることが多くなったので,むしろ劣化してきているかも知れない.
それでも,例えば仕事でイタリア人とあった時には,最終的には英語になっても,最初の挨拶や自己紹介くらいはイタリア語で話すように心がけている.ここのところ,イタリア政府の高級官僚にヒアリング調査をしているのだが,ヒアリング対象者は何とか英語が出来たとしても,秘書等に取り次いでもらわなければならず,彼女達はまず英語は話せないのだ.
秘書に,"○○さんと○時からアポイントを取っている○○大学の○○ですが”とイタリア語で話しかけると,"Parla italiano!(イタリア語が話せるんですね)"と満面の笑みで答えてくれ,その後の扱いが非常にやさしくなるのだ."Mi scuci, non so parlarlo e ascoltarlo bene(すみません.そんなに話せないし,聞き取れません)"と答えても,一方的にイタリア語のマシンガンが飛んでくる.
ホテルのチェックイン時にイタリア語で話し始めると,やはり"Parla italiano!"とくる.スタッフ達に私がイタリア語を少しは理解しているようだということが伝わっていて,その後の対応が基本的にイタリア語になることが多く,なかなか疲れる.
それでも,この"Parla italiano!"というイタリア人の喜びの声を聞く度に,何だか相手が少しは認めてくれたような気になって,非常にうれしくもなってくるのだ.こんな気分も,残念ながらもうすぐ終わりだ.
それでも,例えば仕事でイタリア人とあった時には,最終的には英語になっても,最初の挨拶や自己紹介くらいはイタリア語で話すように心がけている.ここのところ,イタリア政府の高級官僚にヒアリング調査をしているのだが,ヒアリング対象者は何とか英語が出来たとしても,秘書等に取り次いでもらわなければならず,彼女達はまず英語は話せないのだ.
秘書に,"○○さんと○時からアポイントを取っている○○大学の○○ですが”とイタリア語で話しかけると,"Parla italiano!(イタリア語が話せるんですね)"と満面の笑みで答えてくれ,その後の扱いが非常にやさしくなるのだ."Mi scuci, non so parlarlo e ascoltarlo bene(すみません.そんなに話せないし,聞き取れません)"と答えても,一方的にイタリア語のマシンガンが飛んでくる.
ホテルのチェックイン時にイタリア語で話し始めると,やはり"Parla italiano!"とくる.スタッフ達に私がイタリア語を少しは理解しているようだということが伝わっていて,その後の対応が基本的にイタリア語になることが多く,なかなか疲れる.
それでも,この"Parla italiano!"というイタリア人の喜びの声を聞く度に,何だか相手が少しは認めてくれたような気になって,非常にうれしくもなってくるのだ.こんな気分も,残念ながらもうすぐ終わりだ.
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