2011年7月21日木曜日

震災の日

さて,あの震災である.3月11日の日本時間午後3時前.ローマでは午前7時前だ.この日は実は研究所への最後の出勤日でもあった.14日にはアパートを退去し,15日にローマを離れるために,この日が本当の意味で最終日だったのだ.いつものように子供たちを日本人学校に送り届け,そのまま研究所に向かう.

到着は10時前だったろうか.パソコンを開いてインターネットでニュースをチェックすると,宮城県沖を震源とする大地震の記事が目に飛び込んでくる.しかも首都圏でも震度6クラスの揺れである.直ちに家内の実家に連絡を取る.ここはすぐつながって,「とりあえず大丈夫.たまたま義父が我が家の空気入れ替えをやっていたタイミングで地震があったが,そちらも大丈夫」ということで一安心.その結果を家内に連絡し,今度は私の実家に連絡.こちらはつながらず,結局つながったのはその数時間後だったと記憶している.「被害はない.仙台いる妹(私の伯母)は無事,日立にいるその娘には連絡が取れないが大丈夫だろう」とのことでこちらもまずは一安心だった.

ローマ時間の昼頃には,インターネット上にヘリコプターから津波をキャッチした映像が出回っている.NHKのサイトは全くつながらず,BBCやCNNのサイトから情報を入手する.これらは本当に情報が早く,非常時の強さを見せつけられた.

今回の滞在でお世話になった研究所の教授がやってきて,最後の挨拶をする.「どのぐらいの被害になりそうか?」と聞いてくるので,不謹慎ながら「千人単位の死者が出ているだろう」と答えたような気がするが,死者数はあっという間にこの予想を超えてしまい,言葉を失う.

もちろん最終日の余韻を楽しむことはもはやできず,ひたすら情報収集に明け暮れる.夕方,最後に世話になった同室のF女史に鍵を返却して,別れを告げてから帰宅の途に着く.送別会などもなく,あっさりとした最後だった.よく考えたら,歓迎会もなかったな.

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