2010年11月29日月曜日

またまた徒労に終わる滞在許可申請(1)

本日は,私以外の家族の滞在許可申請の再出頭の日だ.指定時刻はまたしても午前9時.子供達をローマ西部にある日本人学校に送ってからローマ東部にあるQuesturaに9時に到着するのは,公共交通を使っても車を使っても,物理的に不可能だ.ローマの朝は1時間に10kmも動ければ御の字だから.しかし,遅れていっても全く問題ない.遅刻しても入場できるようだし,そもそも9時になんか入場できない.

前回は,郵便で送付した書類が到着していなかったという理由で,再度の出頭を命じられた.郵便局での申請をお願いした弁護士は,こんなことを見越していたようで,申請書はさすがにオリジナルだが,それ以外の添付書類はコピーを郵送用の封筒に入れておいたらしいのだ.さすがである.今回はオリジナル書類をきちんと持って出頭.しかし,家族4名分のパスポートの全頁コピーは紛失されてしまったので取り直し.全く,何頁あると思ってるんだ!

このQuesturaは今回で三度目であるが,「イタリアではない空間」を毎回感じることが出来る.今回ももちろん移民達の熱気で溢れている.

さて,「9時!」という門番のかけ声を聞いて,一目散に家内と入り口に向かう.前回は,「あなたは入れない」と言われたところを,「家内だけだと厳しいから」と言うと,すんなり同行させてくれたのだが,今回は,絶対にダメという態度だ.「日本人だから別に大丈夫だろう?」と言っているようには聞こえたのだが,仕方ないので,家内だけで面接会場に行かせることにする.

10分くらいして家内の携帯に電話すると,既に面接を受けているようだ.今までの経験では建物に入ってからロビー空間で面接まで30分くらいは待つのだ.そんなんだったら,来場者を外に待たせないで中に入れてあげてもいいのに,と思う.

それから少しして,家内から電話が入る.「係員が私の名前を呼ぶからそうしたら入ってきて欲しい」とのことだった.だから最初から入れてくれればいいのだ.大勢の前で名前を呼ばれて,警備員に連れられてそそくさと入口を通過.その周りの群衆は,「さっき訴えてたけど入れなかった日本人だ」という目である.本当に恥ずかしい.

さて,面接会場に到着.そこから,「えっ!」という展開になる.続きは次回.

2010年11月25日木曜日

自動車の将来を議論する会議:H2Roma

今日は少し真面目な話.ちょっと古い話だが,11月10日にローマで毎年開催される自動車業界の会議であるH2Romaを聴講した.私が現在所属する研究所が主催者に入っており,私にもメールで案内が回ってきたので,せっかくだから行ってみることにしたのだった.

H2Romaは,自動車の技術開発動向について,産官学で定期的に情報共有することが目的だと理解した.学術セッションしか聴講しなかったが,自動車会社の幹部クラスによるセッション,高校生に自動車技術を分かりやすく講義するイベントなどもあって,かなり大がかりなものだっだ.

学術セッションでは,環境対応車両の開発戦略と状況について,確か10くらいの会社から報告があった.プレゼンは一部英語であったが,ほとんどがイタリア語.しかし,きちんと同時通訳がされていたので,内容はかなり理解できて一安心.

環境分野では,やはり日本の自動車会社のプレゼンスは高いと感じることができ,日本関係でいいニュースを聞かない昨今,少しはホットすることができた.ホンダは参加していなかったが(最近ちょっと心配),トヨタ,日産,三菱からは話を聞くことが出来た.プラグイン・ハイブリッド(トヨタ)と電気自動車(日産・三菱)の戦いが,本格的に始まろうとしている時期であり,プレゼンでも相互の対抗意識がちらついている.

それに比べると,ドイツのメルセデス,BMW,ポルシェ,あるいはフランスのシトロエンは,既に社運をかけた戦略を披露した日本勢と比べるとまだ様子見という雰囲気が漂う.確かに,充電池の性能がどこまで上がるのか,レアメタルなどの原材料がどのくらい確保できるのか,様々な不確定要素があるようなので,開発に多大なコストがかかる状況で経営者としては難しい判断を迫られるのだろう.

我がイタリアのフィアットは,既存エンジンを改良して効率を上げるようなシステムを紹介していた.考え方としては分かるが,日本・ドイツ勢と比べると何とも前時代的で地味である.会社の存続が厳しいので,新規開発どころではないのだろうか.フィアットの将来が非常に心配である.
それにしても,自動車の将来を語るのも重要であるが,その前に,ローマでは交通流をきちんと管理して欲しいものだ.エネルギー消費の少ない電気自動車の登場を期待して,そのまま自動車中心の交通システムを続けるつもりなのだろうか?

2010年11月24日水曜日

ウィーン旅行で思ったこと(2)

ウィーンの街は大変静かだ.あくまで,ローマでのあのけたたましいクラクションと溢れる車のエンジン音に比べると,という意味である.滞在中は毎日曇天で寒々しく暗い雰囲気が漂う中,静寂の街はより一層寂しさを感じさせる.ローマと比べると日没も1時間くらいは早いようで,これも寂しさを増幅する.ウィーン在住の知人曰く,冬の間はずっとこんな感じなのだそうだ.

クリスマスまであと1ヶ月となり,ウィーンではあちこちの広場空間でクリスマスマーケットがオープンしていた.その存在が,何かと沈みがちになる真冬の街の雰囲気を明るくするのに確実に役立っているようだ.もちろん我々も毎日通って,そのワクワク感を少し分けてもらった.

ローマは相変わらず毎日雨降りである.それでもわずかな時間だが太陽が顔をのぞかせる日が多い.そんな一瞬の晴れ間が非常にありがたいと思う.ウィーンの人達から見れば大変恵まれている.

子供達はウィーンを大変気に入ったようだ.理由は「きれいだから」ということのようだ.ローマでは遠景はきれいなのだが近景はゴミだらけという場所が多いのだが,ウィーンは確かに近景もきれいである.街路を横断する時に車がきちんと停車してくれる.ローマのように,「渡るから止まれ!」というオーラを出して手で車を制してそそくさと横断する必要もない.

しかし,一時の観光ならウィーンは大変素晴らしいが,長く住むのなら,多くの困難を伴うが,断然ローマであると感じたのだった.恐らくウィーンは1ヶ月で飽きるだろうと思ったからだ.都市には多少の刺激が必要である.

2010年11月23日火曜日

ウィーン旅行で思ったこと(1)

この4日ほどブログを更新していなかった.理由は,この週末にウィーンに3泊の旅行に出かけていたからである.ローマに滞在し始めてから初めて家族揃ってイタリア国外に出たのだった.

今日現在,依然として滞在許可証が取れていない.それでも私は何度も入国できるビザを持っているからまだいい.家内は申請自体がまだ受け付けられていない.この場合,法律上はイタリアから出国することはできないのだが,ウィーン行きの飛行機に乗る時にパスポートコントロールがないので,シェンゲン条約締結国相互の行き来には,この法律は実質的に意味がない.

ウィーンのホテルにチェックインする時,私のパスポート番号だけをゲストカードに記入しただけで,コピーすら取られなかったことには正直驚いた.ウィーンカードという,3日間公共交通乗り放題と,いくつかの観光施設で入場料割引の特典が付いたカードの購入にも,パスポート情報は一切必要ないのだ.

一方,我がイタリアでは,単なる観光客であっても,形式上滞在許可を申請しなければならないのである.ホテルは端末からゲストの情報を警察に提出しなければならないようだ.ホテルでなく,短期滞在者を引き受けるアパートの大家も然り.これに違反するとどんな罰則があるかは不明だが,聞くところによれば結構厳しいらしい.当局に,これらのデータを管理する能力がないと信じているのだが,それにしてもいつでも居場所を監視されている気がして,気持ちいいものではない.ウィーンでは,何か監視の目から一時的に逃れられた気がして,少しうれしかった.

オーストリア在住の知人に聞いたところによると,オーストリアでは観光ビザで入国してから,いくつかの手続きを経て,滞在許可が出るのだそうだ.もちろん,厳しい審査があると思うが,イタリアのようにいたずらに時を過ごすことなく,理不尽な理由でプロセスを引き延ばされることなく,数ヶ月オーダーで決着するのだろう.

オーストリアも旧東欧にもっとも近い位置にあり,イタリアと同様に歴史的に不法移民の問題には頭を痛めてきたはずだ.それでも,彼らが外国人を見た時に,内心は分からないが,基本的にやさしくフレンドリーな態度を取ってくれていると感じる(今回を含め三度の訪問だけでの印象であるが).イタリア,特にローマでの,外国人に対する冷たい目線と態度に十分に慣れた身としては,そのような態度が何か大変新鮮な物を感じたのであった.

2010年11月18日木曜日

L'aquilaの悲しい現実(3)

車に戻り,今度は旧市街の西にあるFontana delle 99 Cannelle(99の噴き出しの噴水)に向かうことにした.FSの駅から500メートル弱のところにあるのだが,駅からの道は一方通行に変更されていて,近づけない.仕方ないので駅前駐車場に車を置いて,歩いてアクセスする.ちなにみ駅舎も修復工事中である.

噴水に到着すると,ここも噴水など機能していない状態だ.本当は99個の異なる顔の彫刻の口から水が流れ出ているはずなのだ.もちろん噴水の周りの建物も,被害があったままで放置されている.もう壊れた建物はこれ以上見たくない.

地震後に,先進国からの復興支援を期待して,サミットの開催場所を無理矢理L'aquilaに変更したことは知っている.サミットが開かれたことがとても信じられないくらいの被害状況だ.一年半経ってもこの状態では,期待通りの支援が得られなかったのだろう.復旧には少なくとも十年オーダーの時が必要なのではないだろうか.復興はさらに時間がかかる.それにしても,役所関係の建物ですらほとんど復旧していないのは,さすがに「何をもたもたしているのか!」と憤りを感じざるを得ない.

情報が飛び交い,人々の移動の自由度が増した現在では,街がそのまま荒廃しないためには,何よりも復旧にスピード感と人々の強い意志が必要なのだ.今は,これまで何度地震に見舞われてもその都度復興してきた力を信じるしかない.

ちなみに,日本政府も復興支援にささやかに協力しているそうだ.そのうち,建築家の坂茂氏による「紙のコンサートホール」の建設現場(旧市街の外)を遠くから見てきたが,もう少しで完成しそうな状態だった.

2010年11月17日水曜日

L'aquilaの悲しい現実(2)

車を旧市街北東側に移動して,Castello近くの道路に路駐する.青線が引かれてあったので有料なのだが,肝心のパーキングメーターは壊れていて使えないので,実質無料だ.さっそくCastelloに向かう.堀に囲まれた四角い城で,Google Mapの航空写真で確認できる,均整の取れた美しい形そのものだ.残念ながら人が全くいなかったので,外観を見ただけで立ち去ることに.

いよいよ旧市街へと歩を進める.すると,地震で壊れたまま復旧がほとんど進んでいない旧市街がとたんに目に入る.多くの街路は柵で封鎖されている.建物も一部で櫓が組まれているが,土曜日だったこともあるのか,修復作業が全く行われていない.観光客が数組,要所で監視する警備員,一部開いているBarの店員以外は誰もいない.恐らく全住民が避難を続けている状況なのだろう.やはり,350名も尊い命が奪われた大地震なのだ.

次の目的地をSan Bernardino聖堂に決める.この聖堂の美しいファサードは,薄い平板のような構造物なのに奇跡的に生き残っている.その奥の聖堂のドーム空間は櫓が組まれていたので,大きな被害が出たのだろう.もちろん内部へのアクセスは出来ない状態だ.ファサードが拝めただけでも御の字だ.

次に市庁舎に向かおうとするが,そのアクセス道路は封鎖されている.仕方ないので中心のDuomo
広場を目指す.その途中で,開いていたBarに立ち寄る.こんな状況では,まともに稼げないだろうが,我々みたいな物好き観光客のために仕方なく開けているのだろう.本当に頭が下がる.

Barを出てCorso Vittorio Emanuereを南に進む.名前から判断するとこれが旧市街随一の目抜き通りだろう.L'aquila大学や役所も沿道にあったのだが,全て閉鎖されている.その前には,柵に通りの名称が書いてある紙がたくさん貼られている.想像するに,復旧が完了した通りから,その紙を剥がしてくのだろう.長い間貼られているようで色あせている.あぁ,全部剥がされるのはいつの日になるのか...

そこを通り過ぎるとDuomo広場に到着.我々を含めて二組の観光客しかいない.足を引きずっている犬が徘徊している.その目はやはりもの悲しい.ここに隣接するきれいな建物も,もはや近くに行って写真を撮る気にもならず,車に戻ることに.続きは次回.

2010年11月16日火曜日

L'aquilaの悲しい現実(1)

先週末の土曜日.その前の土曜日に続いて,この日も朝から快晴だった.そこで,ローマから日帰りできる観光地に行くことにした.残された場所はあまりない.ふと,昨年春に地震のあったL'aquilaはどうなっているのだろうかと思い立った.9月に仕事で行く可能性があったのだが,結局行けなかったので,思い立ったが吉日,いいチャンスだ.

ローマからは高速道路A24号線で一直線だ.一時間もあれば着くかと思っていたが,思ったより距離があり,結局一時間半くらいでL'aquilaに到着.標高が700m以上のようで,確かにローマからはアップダウンを繰り返しながら,全体的にはちょっとずつ坂を登っていく感じだ.L'aquilaの周辺の山は,既に山頂が雪に覆われていた.どうやらウィンターリゾートも盛んなようだ.

高速道路では,特に地震の影響を感じさせるものは皆無であった.「もうそれなりに復興しているのかな?」と思いながら,インターを降りて街に入る.すると,あちこちでひび割れた建物や崩壊した壁が残っている.道路もところどころ閉鎖されていて,カーナビがあまり役に立たない状況だ.それでも,この段階では街が死んでいるようには見えなかった.

次に気になったのは,有名な観光施設が崩壊しているかどうかだ.まずは,カトリックの”聖なる扉”の由来となったSanta Maria di Collemaggio教会に向かうことにした.これは旧市街の南東部外縁にあり,そのそばに大きなバスターミナルと駐車場があったので,そこに駐車してそこから徒歩で教会に向かう.

教会前の広場空間に到着.ここには石畳でもあったのだと想像されるが,地震後一年半が経過した現在でも,全く修復されず,単なる土の広場だ.教会の外側には特に大きな損傷はなさそうだったので,一安心.

しかし,中には入れない.恐らく内部の崩壊がひどいのだろう.教会の横では,軍隊のような警備員が車両に常駐して,来訪客(我々の他に一組いた)をじろっと見ている.これ以上,ここにいても仕方ないので,美しい教会の外観が拝めたことに一応の満足をして,ここを立ち去ることにした.

次に,旧市街中心部にあるいくつかの施設に向かうことにした.徒歩で行こうとしたのだが,バスターミナルから旧市街の中心のDuomo広場に向かう地下道は閉鎖されているし,階段のある街路もいまだに閉鎖されていて,警備員が見張っている.あまりの街路と建物の状態がひどく,思わず息をのむ.仕方ないので,旧市街に入れるところが別にないか,車で探すことにした.続きは次回.