やや季節外れになってしまったが,書き忘れていたのでプールの話.イタリアに来てから二箇所でプールを経験した.一度目は以前にブログでも書いたアグリジェントで宿泊したホテル,二度目はローマ郊外にあるリゾート風の大型プールだ.
両方ともリゾート的なプールだったから,競泳のようにガンガン泳ぐ人はいない.プールサイドのサマーベッドで休みながら,のんびりと水につかることを繰り返す.日本のプールと違って,入場者の多くが水中にいるという状況ではない.芋を洗うような日本のプールに慣れている身としては,リゾートプールでも人とぶつからずに泳げることに感動する.
サンプルはわずか二つしかないことをお断りして,イタリアのプールでうらやましいと思ったことが二点,それは「プールの水深」と「飛び込み」だ.
プールの水深は,浅いところもあるが深いところでは3mくらいはある.つまり大人でも全く足が立たないのだ.日本では,横浜国際プールのような,競技用プールを開放しているところでしかお目にかかることが出来ないと思う.深いと「足がつったらどうしよう」といった心配はあるが,深く潜った時の水の冷たさは大変気持ちがいい.水深が深いのと混んでいないので,飛び込みが可能で,水面に勢いよく飛び込んでも誰も文句を言わない.日本ではほとんどのプールが「危険」という理由で飛び込み禁止にしているだろう.イタリア人の泳ぎはそれほど上手くなかったが,お陰で飛び込みが上手い人は結構いた気がする(笑).
それにしても日本のプール,市営プールは比較的空いているがプールサイドでのんびり出来ないし,レジャーランドにあるプールは混雑しすぎていてあんまり行く気がしない.来年日本に帰ったら海に期待するしかなさそうだ.
私,仕事の都合で1年間弱ローマに滞在することになりました.今までブログをやっている時間はまったくと言っていいほどなかったのですが,この際ローマで経験したことを記録として残しつつ,現地の最新情報を提供できればと考え,初めてブログに手を出してみました.
2010年9月22日水曜日
2010年9月21日火曜日
レンタカートラブルを経験(2)
Caianelloの自動車整備工場らしきところに到着して,そこで準備されていた報告書にサインする.すると,「私たちが出来るのはここまで」という信じられない発言が飛び出す.こんな時に切り返す適切なイタリア語はまだ分からない.どうやら直してくれるとか,代車を手配してくれることは期待できないことは分かった.
早速A社のアシスタンスセンターに電話する.すると,「そこだと最も近い営業所はNapoliだから,そこまでタクシーや鉄道で動いて下さい」という,何とも無慈悲なことをさらっと言ってくれるのだ.次にレンタルしたローマの営業所にクレームの電話をする.自分たちが貸し出した車両が故障したというのに,そのことに全く謝る気配もなく,「アシスタンスの言う通りにして下さい.一番近いのはやはりNapoliのようなのでそこに向かって下さい」と来た.
もう一度アシスタンスセンターに電話する.すると,「隣町に営業所があるようだ」と言う.その電話番号を聞いて連絡すると,片言の英語で「Casertaの営業所に連絡して欲しい」と言われる.地図を見るとCasertaはNapoliの30km手前のようだ.その方が好都合なので,早速そこに連絡.「代車は用意できるから,何とか移動してきて下さい.ただし,13時半から15時は昼休みだから」とのこと.その時は11時くらいだったこともあり,「CasertaではなくNapoliに向かおう」という決断をする.ゲストに電話して,目的地に先に行ってもらうことにする.
再び整備工場の事務室に入室し,近くの駅の場所を尋ねると,「ここから1kmです」と言うので,タクシーを呼ばなくても歩けそうだ.一応,親切に列車時刻を調べてくれたが,「次のナポリ行きは14時台ね」と言われ,力が抜ける.仕方なく駅まで徒歩で向かうが,1km行っても駅らしきものはない.近くの人に聞くと,「向こうに1km」と来た.1km先にはやはり駅はなく,次の人も「次の大きな交差点を曲がって1km先」...イタリア人の1kmの距離感覚はどうなってるんだろうか? 結局3km歩くことになる.
駅に着くと,Napoli行はちょっと前に出たばかりで,次の列車は本当に14時台だった.その30分くらい前にCaserta行がある.「Casertaに行ってそこで乗り換えた方がNapoliに早く着く」と駅員が言うので,駅構内のBarでCafeを飲んだりして時間をつぶしながらCaserta行を待つ.
Caserta行はイタリアらしくなく定刻にやって来て,順調に進行し15時ちょっと前にCasertaに到着する.時刻表を見るとNapoli行はガンガン出ている.その時,「そう言えばCasertaの営業所のオープン直前だな」と思い出し,早速電話をすると,「OK,車はまだある.営業所は駅のそばにあるから来て」と言われ,少し歩くとCasertaの営業所を発見,無事代車を借りることに成功した.
このレンタカーを翌日にNapoli中央駅の営業所に返却する.料金がどうなるのか大いに気になるところだが,特に何も言わなかったことを見ると,追加料金は払わなくて良さそうだ.電車代や電話代(国際にもかけてるから高い)を返して欲しいところだが,まあこれはイタリアだからあきらめよう.
それにしても,レンタカー故障時に代車手配がないのはおろか,タクシーなどの手配をせずに自力で移動させるとは何とも恐れ入った.新車に近い状態で整備不良なんて信じられない.それにしてもこれが出張最終日でなくて本当に良かったと思う.海外でのレンタカーの怖さを思い知った出来事だ.
早速A社のアシスタンスセンターに電話する.すると,「そこだと最も近い営業所はNapoliだから,そこまでタクシーや鉄道で動いて下さい」という,何とも無慈悲なことをさらっと言ってくれるのだ.次にレンタルしたローマの営業所にクレームの電話をする.自分たちが貸し出した車両が故障したというのに,そのことに全く謝る気配もなく,「アシスタンスの言う通りにして下さい.一番近いのはやはりNapoliのようなのでそこに向かって下さい」と来た.
もう一度アシスタンスセンターに電話する.すると,「隣町に営業所があるようだ」と言う.その電話番号を聞いて連絡すると,片言の英語で「Casertaの営業所に連絡して欲しい」と言われる.地図を見るとCasertaはNapoliの30km手前のようだ.その方が好都合なので,早速そこに連絡.「代車は用意できるから,何とか移動してきて下さい.ただし,13時半から15時は昼休みだから」とのこと.その時は11時くらいだったこともあり,「CasertaではなくNapoliに向かおう」という決断をする.ゲストに電話して,目的地に先に行ってもらうことにする.
再び整備工場の事務室に入室し,近くの駅の場所を尋ねると,「ここから1kmです」と言うので,タクシーを呼ばなくても歩けそうだ.一応,親切に列車時刻を調べてくれたが,「次のナポリ行きは14時台ね」と言われ,力が抜ける.仕方なく駅まで徒歩で向かうが,1km行っても駅らしきものはない.近くの人に聞くと,「向こうに1km」と来た.1km先にはやはり駅はなく,次の人も「次の大きな交差点を曲がって1km先」...イタリア人の1kmの距離感覚はどうなってるんだろうか? 結局3km歩くことになる.
駅に着くと,Napoli行はちょっと前に出たばかりで,次の列車は本当に14時台だった.その30分くらい前にCaserta行がある.「Casertaに行ってそこで乗り換えた方がNapoliに早く着く」と駅員が言うので,駅構内のBarでCafeを飲んだりして時間をつぶしながらCaserta行を待つ.
Caserta行はイタリアらしくなく定刻にやって来て,順調に進行し15時ちょっと前にCasertaに到着する.時刻表を見るとNapoli行はガンガン出ている.その時,「そう言えばCasertaの営業所のオープン直前だな」と思い出し,早速電話をすると,「OK,車はまだある.営業所は駅のそばにあるから来て」と言われ,少し歩くとCasertaの営業所を発見,無事代車を借りることに成功した.
このレンタカーを翌日にNapoli中央駅の営業所に返却する.料金がどうなるのか大いに気になるところだが,特に何も言わなかったことを見ると,追加料金は払わなくて良さそうだ.電車代や電話代(国際にもかけてるから高い)を返して欲しいところだが,まあこれはイタリアだからあきらめよう.
それにしても,レンタカー故障時に代車手配がないのはおろか,タクシーなどの手配をせずに自力で移動させるとは何とも恐れ入った.新車に近い状態で整備不良なんて信じられない.それにしてもこれが出張最終日でなくて本当に良かったと思う.海外でのレンタカーの怖さを思い知った出来事だ.
2010年9月20日月曜日
レンタカートラブルを経験(1)
昨日,出張から帰ってきた.この出張の初日に,今後こんな経験は二度と出来ないだろうと思えるような出来事に遭遇したので,早速リポートする.
この出張,ナポリで開かれる研究プロジェクトの会議に出席するついでに,日本からのゲストと共に,ナポリ周辺とシチリア島の地勢や都市の状況を視察するというもの.そのゲストを朝ナポリ空港で迎えるために,先週火曜日の早朝にローマの自宅を,前日に借りておいたレンタカーで出発した.
レンタカーは料金と営業所の立地からA社にしている.今回の出来事の主役はここでかりたLanciaのYpsilonだ.以前にも借りたことがあるが,最安クラスの中では高速走行性に優れている.ローマとナポリを結ぶ高速道路A1号線をしばらくは快調に走っていたが,突然ラジエターの水温の異常を示す警告が示された.ナポリ空港まで後70kmというところだ.
非常駐車帯に停車してボンネットを開けると,ラジエターから蒸気がでている.仕方ないので,しばらく放置して警告が消えてからスタートさせる.何とかごまかしながら20km走ったが,エンジンの異常を示す警告灯までが点灯し,慌てて路側の非常駐車帯へ,ここでエンジンが止まる...
約束の時間までは後1時間.早速A社のアシスタンスサービスに電話連絡をする.ここでは英語は何とか通じて,故障の状況と停車場所を知らせると,「15分後に救援車が来るのでそこで待っていて」と言われる.果たして20分後に一台のトラックがやってきた.ホッと一安心といったところだ.
トラックの運転手はイタリア語だけだが,これは想定内.何とか意思疎通を図ると,「車をトラックに乗せて,ここから20kmローマ方向にあるCaianelloに向かう」ということらしい.エンジンがかかったので車をトラックの荷台に乗り上げて,自分自身は車に乗ったまま回送サービスを受ける.大変貴重な経験だ.
10km先のインターチェンジでUターン,ここで,トラックの荷台から高速の通行料金を支払うというレアな経験もする.ここから30kmローマ方向に戻らなければならない.20分後にCaianelloのインターチェンジ付近の整備工場のようなところに到着.ここから事態はとんでもない方向に向かう.続きは次回.
この出張,ナポリで開かれる研究プロジェクトの会議に出席するついでに,日本からのゲストと共に,ナポリ周辺とシチリア島の地勢や都市の状況を視察するというもの.そのゲストを朝ナポリ空港で迎えるために,先週火曜日の早朝にローマの自宅を,前日に借りておいたレンタカーで出発した.
レンタカーは料金と営業所の立地からA社にしている.今回の出来事の主役はここでかりたLanciaのYpsilonだ.以前にも借りたことがあるが,最安クラスの中では高速走行性に優れている.ローマとナポリを結ぶ高速道路A1号線をしばらくは快調に走っていたが,突然ラジエターの水温の異常を示す警告が示された.ナポリ空港まで後70kmというところだ.
非常駐車帯に停車してボンネットを開けると,ラジエターから蒸気がでている.仕方ないので,しばらく放置して警告が消えてからスタートさせる.何とかごまかしながら20km走ったが,エンジンの異常を示す警告灯までが点灯し,慌てて路側の非常駐車帯へ,ここでエンジンが止まる...
約束の時間までは後1時間.早速A社のアシスタンスサービスに電話連絡をする.ここでは英語は何とか通じて,故障の状況と停車場所を知らせると,「15分後に救援車が来るのでそこで待っていて」と言われる.果たして20分後に一台のトラックがやってきた.ホッと一安心といったところだ.
トラックの運転手はイタリア語だけだが,これは想定内.何とか意思疎通を図ると,「車をトラックに乗せて,ここから20kmローマ方向にあるCaianelloに向かう」ということらしい.エンジンがかかったので車をトラックの荷台に乗り上げて,自分自身は車に乗ったまま回送サービスを受ける.大変貴重な経験だ.
10km先のインターチェンジでUターン,ここで,トラックの荷台から高速の通行料金を支払うというレアな経験もする.ここから30kmローマ方向に戻らなければならない.20分後にCaianelloのインターチェンジ付近の整備工場のようなところに到着.ここから事態はとんでもない方向に向かう.続きは次回.
2010年9月13日月曜日
新学期の始まり
バカンスシーズンの終わった9月,最初の頃はまだ通勤ラッシュを感じさせる気配は全くなかったが,先週後半あたりから朝の交通量がだんだん増えてきた.それでもまだ,4月や5月の頃と比べて全然少なかった.
ローマの日本人学校は,日本の授業スケジュールと同じように動いているので,2学期の始業は9月1日からだ.隣の敷地にフランス人学校(たぶん)があるのだが,こちらの方は9月1日には始まっていない.学校が始まれば,子供を送ってきた車の駐車スペース争奪戦を学校周辺で見ることが出来る.先週まではそんなことはなかった.
今朝,ニュースを見ていたら,今日から新学期(日本で言えば進級する4月に相当)が始まることを告げていた.こちらの小学校は6月中旬くらいから夏休みに入っているので,3ヶ月もの休みだ.フランス人学校も今日からスタートのようだ.
今朝は子供達を車で送った.果たして,先週までとは違って,日本人学校前面道路の駐車スペースが明らかに少なくなっていた.フランス人学校開始の影響だ.あちこちの学校前で8時過ぎくらいに渋滞が発生するようになった.日本で言うところの緑のおばさん・おじさんが交通整理をしている小学校もあるのだが,おばさん・おじさん達は大変張り切っていたように見えた.
ついにいつもの朝の通勤・通学ラッシュの風景が復活した.これで名実共にバカンスを終えて秋に突入というところなのだろう.
明日から一週間ほど出張に出るので,来週に再開します.
ローマの日本人学校は,日本の授業スケジュールと同じように動いているので,2学期の始業は9月1日からだ.隣の敷地にフランス人学校(たぶん)があるのだが,こちらの方は9月1日には始まっていない.学校が始まれば,子供を送ってきた車の駐車スペース争奪戦を学校周辺で見ることが出来る.先週まではそんなことはなかった.
今朝,ニュースを見ていたら,今日から新学期(日本で言えば進級する4月に相当)が始まることを告げていた.こちらの小学校は6月中旬くらいから夏休みに入っているので,3ヶ月もの休みだ.フランス人学校も今日からスタートのようだ.
今朝は子供達を車で送った.果たして,先週までとは違って,日本人学校前面道路の駐車スペースが明らかに少なくなっていた.フランス人学校開始の影響だ.あちこちの学校前で8時過ぎくらいに渋滞が発生するようになった.日本で言うところの緑のおばさん・おじさんが交通整理をしている小学校もあるのだが,おばさん・おじさん達は大変張り切っていたように見えた.
ついにいつもの朝の通勤・通学ラッシュの風景が復活した.これで名実共にバカンスを終えて秋に突入というところなのだろう.
明日から一週間ほど出張に出るので,来週に再開します.
2010年9月12日日曜日
イタリアでの車の運転の心構え
イタリアでの車の運転は,運転に余程慣れている人でないと,基本的にあまりお薦めできない.街中は一方通行だらけで,どこからでも車とバイクと人が沸き出してくる.駐車場が少ないので,路駐でしかも狭いスペースへの縦列駐車を余儀なくされる.街中で駐車するには,場所を瞬時に見つける反射神経と,どんな手段を使ってでも場所を確保する胆力や図々しさと,違反を恐れない精神,の三つが必要だ.
併走する二台の車が前方の一車線のスペースを目指して争う場合,一方でも先に出て割り込めば,最終的にはほとんどのケースはあきらめてくれる.決して”チキンレース”にはならない(最終局面で両車揃って急ブレーキをかけない)のだ.この原則を高度に利用して,事故に気を付けながら常に他車よりも先んじるという張り詰めた運転をしていれば,ものすごいスムーズに運転できるのだ.
私ももちろんスムーズに運転したいので,公道レースのような意識で運転をしている.こんな運転を続けているせいで,最近運転中の気性が荒くなってきたと実感している.こんな時に事故を起こしてしまうのだと自覚はするのだが,いざとなるとレースモードになっている.
イタリア人は前がちょっとでももたついたり,自分にとって不都合な挙動をされると,すぐにクラクションを鳴らし,両手を大きく広げて「オーマイガー」ポーズを取る.一方のクラクションを鳴らされた方も「何?」という雰囲気で全然気にしていない.イタリア人はまず謝らないので,言い争いになることもある.そんな言い争いに遭遇すると,「そんな間にとっとと進んでくれよ」と思う.ちなみに,バスの運転手にもこんなひとが一定数いる.
この両手を広げるポーズ,子供と一緒に面白がってまねしていたら,いつの間にかクラクションを鳴らした後に両手を広げそうになってしまっている(笑).
併走する二台の車が前方の一車線のスペースを目指して争う場合,一方でも先に出て割り込めば,最終的にはほとんどのケースはあきらめてくれる.決して”チキンレース”にはならない(最終局面で両車揃って急ブレーキをかけない)のだ.この原則を高度に利用して,事故に気を付けながら常に他車よりも先んじるという張り詰めた運転をしていれば,ものすごいスムーズに運転できるのだ.
私ももちろんスムーズに運転したいので,公道レースのような意識で運転をしている.こんな運転を続けているせいで,最近運転中の気性が荒くなってきたと実感している.こんな時に事故を起こしてしまうのだと自覚はするのだが,いざとなるとレースモードになっている.
イタリア人は前がちょっとでももたついたり,自分にとって不都合な挙動をされると,すぐにクラクションを鳴らし,両手を大きく広げて「オーマイガー」ポーズを取る.一方のクラクションを鳴らされた方も「何?」という雰囲気で全然気にしていない.イタリア人はまず謝らないので,言い争いになることもある.そんな言い争いに遭遇すると,「そんな間にとっとと進んでくれよ」と思う.ちなみに,バスの運転手にもこんなひとが一定数いる.
この両手を広げるポーズ,子供と一緒に面白がってまねしていたら,いつの間にかクラクションを鳴らした後に両手を広げそうになってしまっている(笑).
2010年9月10日金曜日
滞在五ヶ月:ついに同行家族の滞在許可申請が郵便局で受理される(3)
弁護士曰く,Certificato di Idoneita Alloggiativaを準備すれば,必要な全ての書類が揃うことになった.これは研究所のLと申請に行ったときにも議論になった代物だ.このCIAでは,想像するに,「滞在許可を出している家族が一定の質の生活が保証できる住居にきちんと住んでいるのか」ということを証明しなければならないようだ.不法移民は経済的理由で狭い住居にたくさんの人数で居住してしまうので,これを排除しようというものだ.
プロセスは,大家などから住居の「公式な」図面を入手して,それを持ってMunicipio(日本でいう市区が複数に分かれている感じ,ローマ市は20弱ある)で申請手続きを行わなければならない.その後,役人がレーザー計測器を持って,家の諸元が図面通りかどうかちゃんとチェックしに来るのだそうだ.入手まで一ヶ月くらいだろうとのこと.ここまできたら,さらに一ヶ月くらい延びても,手続きがきちんとしている方がよいと判断し,図面を探してもらうことにする.大家は英語が出来ないので,弁護士と大家で直接連絡を取り合ってもらうが,(勝手な想像だが)この公式の図面というものがどうやら大家の手元にないらしい.
これを受けて弁護士から呼び出しがある.「公式な図面がないと,建築家に依頼してそれを作成してもらい,出来た図面を役所で認めてもらわなければならない.その依頼費用も安くはなく,なにより数ヶ月かかるだろう」ということだった.「たぶんCIAがなくても郵便局で申請書類を受け付けてくれるだろう.あなた方の場合は申請したという事実さえあればいいのだから,もうそうしてしまわないか?」との最終案を提示する.
申請が認められると,後日Questuraに出頭して指紋採取とともに,提出書類のチェックがあるらしい.恐らく,きとんとやる人と適当にやる人がいるのだと思う.後者に当たればCIAがなくても問題なし,不幸にも前者に当たって「再出頭,次回までにCIAを持参するように」と言われても,次の時にまたその人に当たるかは分からない.そのままでもいつかは最終的に受理されるというのが,弁護士の考えなのだと瞬時に理解した.もちろん「それでお願いします」ということにして,9月8日の午前中に弁護士と郵便局に申請に行く約束をする.
当日,弁護士とともに事務所近くの郵便局に行って申請手続きを行う.窓口の女性は書類を一回も確認しないで,あっけなく受理してくれた.恐らく,弁護士のことを知っていたのだろう.申請書類も代行して作ってくれて,ここまでやってくれて400ユーロだ.これまでにかけてきた時間と心理的コストと比べればものすごく安い.最後に「Good luck!」と言われて事務所を後にする.後は何回の出頭で決着するか,運任せだ.
これで念願の申請書控えが手に入った.家内も子供達もこれでようやく合法滞在となったわけで,これまで以上に派手に旅行に出かけることができるだろう.本当はバカンス前だったらよかったけどね.
プロセスは,大家などから住居の「公式な」図面を入手して,それを持ってMunicipio(日本でいう市区が複数に分かれている感じ,ローマ市は20弱ある)で申請手続きを行わなければならない.その後,役人がレーザー計測器を持って,家の諸元が図面通りかどうかちゃんとチェックしに来るのだそうだ.入手まで一ヶ月くらいだろうとのこと.ここまできたら,さらに一ヶ月くらい延びても,手続きがきちんとしている方がよいと判断し,図面を探してもらうことにする.大家は英語が出来ないので,弁護士と大家で直接連絡を取り合ってもらうが,(勝手な想像だが)この公式の図面というものがどうやら大家の手元にないらしい.
これを受けて弁護士から呼び出しがある.「公式な図面がないと,建築家に依頼してそれを作成してもらい,出来た図面を役所で認めてもらわなければならない.その依頼費用も安くはなく,なにより数ヶ月かかるだろう」ということだった.「たぶんCIAがなくても郵便局で申請書類を受け付けてくれるだろう.あなた方の場合は申請したという事実さえあればいいのだから,もうそうしてしまわないか?」との最終案を提示する.
申請が認められると,後日Questuraに出頭して指紋採取とともに,提出書類のチェックがあるらしい.恐らく,きとんとやる人と適当にやる人がいるのだと思う.後者に当たればCIAがなくても問題なし,不幸にも前者に当たって「再出頭,次回までにCIAを持参するように」と言われても,次の時にまたその人に当たるかは分からない.そのままでもいつかは最終的に受理されるというのが,弁護士の考えなのだと瞬時に理解した.もちろん「それでお願いします」ということにして,9月8日の午前中に弁護士と郵便局に申請に行く約束をする.
当日,弁護士とともに事務所近くの郵便局に行って申請手続きを行う.窓口の女性は書類を一回も確認しないで,あっけなく受理してくれた.恐らく,弁護士のことを知っていたのだろう.申請書類も代行して作ってくれて,ここまでやってくれて400ユーロだ.これまでにかけてきた時間と心理的コストと比べればものすごく安い.最後に「Good luck!」と言われて事務所を後にする.後は何回の出頭で決着するか,運任せだ.
これで念願の申請書控えが手に入った.家内も子供達もこれでようやく合法滞在となったわけで,これまで以上に派手に旅行に出かけることができるだろう.本当はバカンス前だったらよかったけどね.
2010年9月9日木曜日
滞在五ヶ月:ついに同行家族の滞在許可申請が郵便局で受理される(2)
7月下旬に,研究所のLから「ACLI Sportello Immigrazioneで申請方法が相談できるので行ってみてはどうか?」というメールを受ける.これがどういう組織か今でもよく分からないのだが,移民の受け入れを社会的に支援するボランティア組織のようなものかもしれない.
予約無しでOKというので早速駆け込んでみる.英語で対応できるスタッフもいるようで一安心だ.私の置かれている状況を説明すると,「残念ながら"Ricongiungimento Familiare"しかないわね」と言われる.この方法だと,やはりNulla Ostaを取った後に日本に帰ってビザ申請をしなければならない.これをしたくないから他の可能性を聞きに来たのになぁ.
仕方ないのでRicongiungimento Familiareで進めようかとあきらめかけた矢先に,日本人学校の長男の同級生の母親から,「私もそれで苦労して,弁護士にお願いして問題を解決したので,その方に頼んでみては?」と言われる.早速その弁護士にコンタクトを取るためにメールを父親から送ってもらうが,8月に入ろうかというタイミングで恐らく休暇中だろう.案の定しばらくレスは無し.
8月下旬にようやく弁護士からレスがあり面会する.英語は流ちょうではないが不都合はないレベルで,何よりもイタリア人らしからぬ温厚さと落ち着きがある.これは期待できそうだと感じた.以前にACLIで状況を理解してもらうのに難儀したので,取ったアクションとその結果を時系列に整理したメモ書きを作成して第一回目のコンサルティングに望む.
すると,「それだけの書類を持参して郵便局がどうしてそれらを申請を受け付けなかったのか,私にはその理由が理解できない」とおっしゃるではないか! 「私も理解できません!」と言うと,「あなたのケースはCoesione Familiareで可能なはずだ.法律上は,3ヶ月の観光ビザが切れてもそこから1年以内に申請すれば受理される.日本人だから申請できなくても実質的に問題はないが,それでも念のために申請だけはしておいた方がいいだろう」という何とも心強いコメントが続いた.期待はよりふくらむ.7月にトライした時に郵便局員は単に知らなかっただけだ.数年前に滞在許可申請を郵便局で受け付ける制度に変更となり,その後も法律が変わったりして,現場に全然浸透していないことがよく分かる.まぁ,これがイタリアというか...
「3月までの滞在だと,申請できても滞在許可証本体はどうせ受け取れないでしょう」.やっぱりそうなんですねぇ.「あなた自身のQuesturaへの出頭日は? 9月21日? これも間に合わないでしょう」.ああ,記念に欲しかったなぁ.まあ,滞在許可証の申請をしたという証拠があれば,実質的にはそれが滞在許可証に替わるのだ.何年も滞在しない,あるいは永住しない我々からすれば,それでよいのだ.
さて,弁護士が私の準備した書類を確認する.Certificato di Idoneita Alloggiativa以外は問題なし.このCIAをどう取得するかがカギを握りそうだ.続きは次回.
予約無しでOKというので早速駆け込んでみる.英語で対応できるスタッフもいるようで一安心だ.私の置かれている状況を説明すると,「残念ながら"Ricongiungimento Familiare"しかないわね」と言われる.この方法だと,やはりNulla Ostaを取った後に日本に帰ってビザ申請をしなければならない.これをしたくないから他の可能性を聞きに来たのになぁ.
仕方ないのでRicongiungimento Familiareで進めようかとあきらめかけた矢先に,日本人学校の長男の同級生の母親から,「私もそれで苦労して,弁護士にお願いして問題を解決したので,その方に頼んでみては?」と言われる.早速その弁護士にコンタクトを取るためにメールを父親から送ってもらうが,8月に入ろうかというタイミングで恐らく休暇中だろう.案の定しばらくレスは無し.
8月下旬にようやく弁護士からレスがあり面会する.英語は流ちょうではないが不都合はないレベルで,何よりもイタリア人らしからぬ温厚さと落ち着きがある.これは期待できそうだと感じた.以前にACLIで状況を理解してもらうのに難儀したので,取ったアクションとその結果を時系列に整理したメモ書きを作成して第一回目のコンサルティングに望む.
すると,「それだけの書類を持参して郵便局がどうしてそれらを申請を受け付けなかったのか,私にはその理由が理解できない」とおっしゃるではないか! 「私も理解できません!」と言うと,「あなたのケースはCoesione Familiareで可能なはずだ.法律上は,3ヶ月の観光ビザが切れてもそこから1年以内に申請すれば受理される.日本人だから申請できなくても実質的に問題はないが,それでも念のために申請だけはしておいた方がいいだろう」という何とも心強いコメントが続いた.期待はよりふくらむ.7月にトライした時に郵便局員は単に知らなかっただけだ.数年前に滞在許可申請を郵便局で受け付ける制度に変更となり,その後も法律が変わったりして,現場に全然浸透していないことがよく分かる.まぁ,これがイタリアというか...
「3月までの滞在だと,申請できても滞在許可証本体はどうせ受け取れないでしょう」.やっぱりそうなんですねぇ.「あなた自身のQuesturaへの出頭日は? 9月21日? これも間に合わないでしょう」.ああ,記念に欲しかったなぁ.まあ,滞在許可証の申請をしたという証拠があれば,実質的にはそれが滞在許可証に替わるのだ.何年も滞在しない,あるいは永住しない我々からすれば,それでよいのだ.
さて,弁護士が私の準備した書類を確認する.Certificato di Idoneita Alloggiativa以外は問題なし.このCIAをどう取得するかがカギを握りそうだ.続きは次回.
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