ローマに来てから早くも五ヶ月が過ぎ,残り半年強になった.この五ヶ月は結構あっという間だった気がする.残りはもっと時の流れの早さを感じるのだろう.
あっという間だったという理由の一つが,この滞在許可申請問題である.おさらいすると,出国までに滞在許可申請に必要な労働ビザが取得できず,6月末に私だけ一時帰国してビザを取得し,7月8日(だったか?)に滞在許可申請キットが郵便局で受理された.ここまでは7月中旬ぐらいのブログに書いていると思う.
労働ビザが発給された労働者に同行する家族についても,別途Nulla Osta(雇用主の申請に基づいて県庁が発行する受け入れ承諾証とでも言えばいいのか?)が必要なのだが,私の場合,これは同時に発給されなかった(これは制度上そうなのか,雇用主のミスなのかは不明).申請すれば数ヶ月後には同行家族のNOが出るとのことだったが,仮にこれが出てたとしても,ビザを取るのに日本に戻らなければならないのは面倒だしお金もかかる上に,その頃には帰国まであと数ヶ月だ.
しかし,イタリアに居ながらにして滞在許可申請ができる道は残されている."Coesione Familiare"という方法だ.観光ビザなどで入国し,有効期限内に滞在許可申請を行えばよいというものだ.我々の場合は,すでに観光ビザの有効期限は切れているので,この状況で申請が受理されるかがポイントだ.
これに必要な書類は公表されている.所定の申請書,労働者(私)と同行家族(妻)と同居する子供のパスポートの全頁のコピー,戸籍謄本(外務省でアポスティーユを取得した上に,在日本イタリア大使館指定の宣誓翻訳者に翻訳を依頼して,イタリア大使館の承認印をもらう必要あり),労働者のNOのコピー,労働者の滞在許可証のコピー(もちろんまだないので郵便局申請時に戻ってきた書類のコピーで可),労働者のCodice Fiscaleのコピー(ちなみに4月下旬に申請したのに現物はまだ送られてこない...),収入証明書,銀行預金残高(同居人数に応じて必要額が決まっている),Certificato di Idoneita Alloggiativa(住居適正証明とでも訳せばよい?)だ...
戸籍謄本,収入証明,銀行貯金残高は,先達者の体験談を読んで必要だと思ったので,一時帰国時に取り寄せて持参した.しかし,最後のCIAは知らなかった.研究所で本件を担当してくれているLは,「研究所が住居を保証しているという内容の文章を用意して代用すればいいと思う」と言うので,それを作ってもらう.そして,7月中旬に近くの郵便局までLに同行してもらい申請したのだが,見事に断られたのだった.しかし,その理由が全く定かでないのだ.見ていて明らかにCIAの欠如の問題ではなかった.きっと窓口の担当者がCoesione Familiareのやり方を知らなかった上に,規則書の分厚さを見てめんどうだと思ったのだろう.
さて,どうするか? 続きは次回.
私,仕事の都合で1年間弱ローマに滞在することになりました.今までブログをやっている時間はまったくと言っていいほどなかったのですが,この際ローマで経験したことを記録として残しつつ,現地の最新情報を提供できればと考え,初めてブログに手を出してみました.
2010年9月8日水曜日
2010年9月7日火曜日
封筒探しと郵送に一苦労
最近,大事な書類を至急日本に送らなければならないことになった.必要なドキュメントを週末までに全て揃えて,昨日の月曜日に発送しようとしていた.
このドキュメントはA4版で折ってはいけないので,大きめの封筒を用意しなければならない.しかしここ数日,文具店,スーパー,Tabacchi(タバコ屋:日本でのキオスクとコンビニの中間だと思えばいい)に何軒行っても手に入らない.売られているのは小さいか,やたら大きな封筒ばかりだ.
今日の昼前,研究所の同僚F女史の棚から偶然A4用紙数十枚が入る未使用の封筒(CDなどを送る時に使うクッション付きのもの)を探し出す.本人は休暇中だがこれを失敬する(急いでたのでごめんなさい,後で探して購入して返します).
めでたく書類を封筒に入れ,次は何で郵送するかだ.イタリアの郵便は信頼できないので有名だ.そこで,ドイツポスト傘下のDHLを調べる.ここのホームページはぐちゃぐちゃで全然分からない.次にFedexを調査.こちらもDHLと似たようなものだ.ブログなどを見ていると,Fedexの方が費用対効果が高そうだったが,ローマの営業所は空港近くにしかないようで不便だ.一方のDHLは市内にたくさんの受付があるようだ.
そこで,昼過ぎにTermini駅そばのDHL受付に行ってみる.ここは昼休みはないはずだが,シャッターが降りている.これを見てDHLの信頼性に疑問を持ち,悪名高い郵便局のReccomandata(書留)を試してみることに.「Vorrei spedire questa busta a Giappone sulla reccomandata. (この封筒を日本へ書き留めで送りたいんだけど)」と即興でイタリア語で言ってみるが,通じて思わずニッコリ.郵便局や窓口スタッフによっては国際郵便の書留を受け付けない場合がある(実際過去に拒否された)のだが,引き受けてくれた.「Fedexはもうあきらめよう」と早心変わり.料金は19ユーロ弱だ.DHLやFedexなら100ユーロ以上するだろう.イタリアから日本へはそれなりに信頼できそうなので,きっと大丈夫でしょう.
それにしても,ここで書いたことは日本なら1時間もかからないで終わる話だ.ホント,時間の無駄である.
このドキュメントはA4版で折ってはいけないので,大きめの封筒を用意しなければならない.しかしここ数日,文具店,スーパー,Tabacchi(タバコ屋:日本でのキオスクとコンビニの中間だと思えばいい)に何軒行っても手に入らない.売られているのは小さいか,やたら大きな封筒ばかりだ.
今日の昼前,研究所の同僚F女史の棚から偶然A4用紙数十枚が入る未使用の封筒(CDなどを送る時に使うクッション付きのもの)を探し出す.本人は休暇中だがこれを失敬する(急いでたのでごめんなさい,後で探して購入して返します).
めでたく書類を封筒に入れ,次は何で郵送するかだ.イタリアの郵便は信頼できないので有名だ.そこで,ドイツポスト傘下のDHLを調べる.ここのホームページはぐちゃぐちゃで全然分からない.次にFedexを調査.こちらもDHLと似たようなものだ.ブログなどを見ていると,Fedexの方が費用対効果が高そうだったが,ローマの営業所は空港近くにしかないようで不便だ.一方のDHLは市内にたくさんの受付があるようだ.
そこで,昼過ぎにTermini駅そばのDHL受付に行ってみる.ここは昼休みはないはずだが,シャッターが降りている.これを見てDHLの信頼性に疑問を持ち,悪名高い郵便局のReccomandata(書留)を試してみることに.「Vorrei spedire questa busta a Giappone sulla reccomandata. (この封筒を日本へ書き留めで送りたいんだけど)」と即興でイタリア語で言ってみるが,通じて思わずニッコリ.郵便局や窓口スタッフによっては国際郵便の書留を受け付けない場合がある(実際過去に拒否された)のだが,引き受けてくれた.「Fedexはもうあきらめよう」と早心変わり.料金は19ユーロ弱だ.DHLやFedexなら100ユーロ以上するだろう.イタリアから日本へはそれなりに信頼できそうなので,きっと大丈夫でしょう.
それにしても,ここで書いたことは日本なら1時間もかからないで終わる話だ.ホント,時間の無駄である.
2010年9月6日月曜日
とんがり屋根のかわいい家:Alberobello
Cataniaから遠路はるばるやってきたAlberobello.街に到着する20kmくらい手前から,この街独特の住居Trulliを沿道にぽつぽつと見ることが出来る.街に入ると,濃いグレーの円錐型の屋根を持った真っ白い壁を持つ住居群の圧倒的な景観を見ることができる.もちろん,ここも世界遺産だ.
この住居は単純な石積みでできている.しかもモルタルで接着していない.物置兼住居だと思えばよい.地震にはからっきし弱そうだが,このエリアは少ないのだろうか.壁は二重構造のようで,夏は涼しく,冬は暖かいのだとか.
この街では,Trulliのホテルに泊まることが出来る.我々はTrulli Holiday Resortに一泊した.ここは街に二箇所あるTrulli住居群地区のうち,ほとんど観光地化されていないAia Piccola地区内にあるTrulliをそのまま部屋としているようだ.この地区は大変静かで,周囲のTrulliは実際に生活している人たちが住んでいる.
寝泊まりしたTrulliは寝室一部屋,リビング,キッチン,トイレ+シャワーが付いていた.エアコンはなかったが,内部は全然暑くなかった.給水システムの影響からか,シャワーの出が悪かったのが難点だ.また,構造上大きい窓を設置できないのだと思うが小窓しかない.まあ,数泊までなら気にならないだろう.四人で一泊160ユーロくらいだったと思う.ホテルのフロント(英語はバッチリ通じる)は街の中心部にあり,部屋から歩いて500mくらいだった.朝食は200m離れている指定のレストランでとる.問題はやはり駐車場.完全に路駐なので,場所取りの戦いとなる.これも難点だ.
チェックイン後にもう一つのTrulli地区であるRione Monti地区へ向かう.Aia Piccola地区からは300mくらい離れているだろうか.こちらはもう完全に観光地化されていて,レストランや土産物屋ばかりあるという印象だ.この地区は約1,000棟のTrulliがあるらしく,高台からの眺めは最高だ.冷やかしに日本語だらけの土産物屋(従業員は結構な親日家のようだ)に入ったところ,押しつけがましくなく屋上を見せてくれた.申し訳ないので,土産物をいくつか購入する.日本人の性格をよく分かっているのだろう.
この住居は単純な石積みでできている.しかもモルタルで接着していない.物置兼住居だと思えばよい.地震にはからっきし弱そうだが,このエリアは少ないのだろうか.壁は二重構造のようで,夏は涼しく,冬は暖かいのだとか.
ちなみに住居だけでなく,周辺の農地の区割りにも白い石垣が用いられていた.前日にEtna山の周りで溶岩質の黒い石垣をたくさん見たのだが,こちらはその材料が周囲に掃いて捨てるほどあるので,不自然さを感じない.しかし,ここAlberobelloでは周りに白い岩石を供給する場所を見ることができないので,あの大量の白石をどこから持ってきていたのか,不思議である.
この街では,Trulliのホテルに泊まることが出来る.我々はTrulli Holiday Resortに一泊した.ここは街に二箇所あるTrulli住居群地区のうち,ほとんど観光地化されていないAia Piccola地区内にあるTrulliをそのまま部屋としているようだ.この地区は大変静かで,周囲のTrulliは実際に生活している人たちが住んでいる.
翌日は朝少しだけ街を見て,ローマに向けて出発.Alberobello自体の観光は一泊で十分だ.500km(90%が高速道路区間)をほぼ順調に走破して,夕方には自宅に到着した.これで長いバカンスはめでたく終了,愛車もいたずらされることなく無事に帰還.
2010年9月4日土曜日
500kmのロングドライブ+フェリー:CataniaからAlberobelloへ
シチリアの最後はCataniaで二泊.ここはシチリア第二の都市だが,ホテルは郊外部,観光もTaorminaやEtna山に行ったので,リストランテに行った以外はほとんど街中に行っていない.TaorminaとEtna山の観光もブログに書けるほど中身がないので省略.
Cataniaからローマまでは延々と車で帰る予定にしていた.途中にフェリーを入れて約900km.途中で一泊が必要だった.この一泊は次に話題にするAlberobelloだ.ここはBariの近くで,Cataniaとローマから共に500km,東京-京都間の距離だ.
CataniaからMessinaまでは100km弱,これは高速道路でスムーズだ.Messinaからはフェリーに乗り,対岸のVilla San Gionvanniに向かう.このフェリーは車一台乗せて30ユーロ弱,乗車人数を聞かれなかったので,何人乗っていようが運賃は変わらないようだ.チケットを買って,ラスト一台でフェリーに滑り込む.これを逃すと30分待つところだった.フェリーは30分くらいで対岸に到着,あっけないくらいに簡単である.この区間はイタリア国鉄の車輌が乗り込める船舶もあるので,鉄道ファンは必見らしい.時間がなかったのと,Youtubeで公開されている動画もあるので,今回はスルー.
Villa San Giovanniから高速道路A3号線で北上するが,非常にくねくねした区間が多く,路線改良工事をしている最中で,片側一車線にして運用している.バカンスシーズンで交通量も多く,ところどころ激しい渋滞だ.こんな時のマニュアルトランスミッションは大変きつい.最後の残り200kmは高速道路を降りて一般道路で行かなければならない.ここもそんなに飛ばせるわけではない.事故渋滞もある(この日は3箇所も事故現場を見た).
朝早くCataniaを出て,途中でレーシングドライバーのような緊張感のある運転で渋滞で遅れた時間を取り戻しつつ,何とか夕方にはAlberobelloに到着してホッとする.一日に500kmも運転したのは,たぶん20年以上ぶりだった.翌日も同じ500kmだ...
Cataniaからローマまでは延々と車で帰る予定にしていた.途中にフェリーを入れて約900km.途中で一泊が必要だった.この一泊は次に話題にするAlberobelloだ.ここはBariの近くで,Cataniaとローマから共に500km,東京-京都間の距離だ.
CataniaからMessinaまでは100km弱,これは高速道路でスムーズだ.Messinaからはフェリーに乗り,対岸のVilla San Gionvanniに向かう.このフェリーは車一台乗せて30ユーロ弱,乗車人数を聞かれなかったので,何人乗っていようが運賃は変わらないようだ.チケットを買って,ラスト一台でフェリーに滑り込む.これを逃すと30分待つところだった.フェリーは30分くらいで対岸に到着,あっけないくらいに簡単である.この区間はイタリア国鉄の車輌が乗り込める船舶もあるので,鉄道ファンは必見らしい.時間がなかったのと,Youtubeで公開されている動画もあるので,今回はスルー.
Villa San Giovanniから高速道路A3号線で北上するが,非常にくねくねした区間が多く,路線改良工事をしている最中で,片側一車線にして運用している.バカンスシーズンで交通量も多く,ところどころ激しい渋滞だ.こんな時のマニュアルトランスミッションは大変きつい.最後の残り200kmは高速道路を降りて一般道路で行かなければならない.ここもそんなに飛ばせるわけではない.事故渋滞もある(この日は3箇所も事故現場を見た).
朝早くCataniaを出て,途中でレーシングドライバーのような緊張感のある運転で渋滞で遅れた時間を取り戻しつつ,何とか夕方にはAlberobelloに到着してホッとする.一日に500kmも運転したのは,たぶん20年以上ぶりだった.翌日も同じ500kmだ...
2010年9月3日金曜日
今年は冷夏?
シチリア観光シリーズを中断してローマの話題.9月の声を聞いたとたんに,朝晩に急激に冷え込むようになった.8月後半も日中は最高気温は35度くらいまで上がっていて,つい一週間前にはプールに入っていたくらいだ.夜も蚊よけ(本当に多い!)と防犯のために窓を閉め切った家の中はとても暑くて,クーラーを付けて寝ていた.
それがここのところ,朝の気温は15度まで下がる.寝入る時は布団はいらないのだが,明け方には寒くて目が覚めて思わず布団にくるまるほどだ.もっとも日中は30度近くまでは上がるから,寒暖の差が非常に激しく,風邪を引きそうで怖い.
「ヨーロッパの夏は短いから,それを少しでも楽しもうとして長いバカンスに出かけるのだ」と聞いたことがある.8月の最終土日は,ニュースでも「バカンスからの帰還による高速道路の渋滞」がニュースになっていたが,これに併せたかのように気候が一気に秋モードに突入だ.上手くできてるなあと感じた.
しかし,3回目の夏を過ごした方が「今年の夏は一番楽だった」と言っていた.日本は酷暑のようで聞いていて大変つらいし申し訳ないのだが,こちらは冷夏だったのだ.「まあ,また暑くなるとは思いますけど」とも言っていたので,もう一回くらいは泳ぎに行けることを期待している.このまま夏が終わると妙に寂しい気がする.
それがここのところ,朝の気温は15度まで下がる.寝入る時は布団はいらないのだが,明け方には寒くて目が覚めて思わず布団にくるまるほどだ.もっとも日中は30度近くまでは上がるから,寒暖の差が非常に激しく,風邪を引きそうで怖い.
「ヨーロッパの夏は短いから,それを少しでも楽しもうとして長いバカンスに出かけるのだ」と聞いたことがある.8月の最終土日は,ニュースでも「バカンスからの帰還による高速道路の渋滞」がニュースになっていたが,これに併せたかのように気候が一気に秋モードに突入だ.上手くできてるなあと感じた.
しかし,3回目の夏を過ごした方が「今年の夏は一番楽だった」と言っていた.日本は酷暑のようで聞いていて大変つらいし申し訳ないのだが,こちらは冷夏だったのだ.「まあ,また暑くなるとは思いますけど」とも言っていたので,もう一回くらいは泳ぎに行けることを期待している.このまま夏が終わると妙に寂しい気がする.
2010年9月2日木曜日
意外に大きいシチリア島
Agrigentoに2泊した後に,次の宿泊地Cataniaに向かう.Agrigentoですっかりのんびりした時を過ごしたせいか,あまりあくせくと観光する気がなくなりつつあった.その日はのんびりドライブして夕方までにはCataniaに到着すれば良いという計画だ.直行すれば200km弱といったところなので,途中でどこかに寄るところを考える.ガイドブックによれば,シチリア南東部にはRagusaやNotoという魅力的なバロック都市があるようだ.少し寄り道になるが,これらを車で通過してCataniaに向かうことに決めた.
AgrigentoからRagusaへは120kmくらいだっただろうか.この間には高速道路はなく,両側2車線で中央分離無しのごく普通の幹線道路,規制速度は市街地でなければ90km/hだ.そのため,「まあ1時間半くらいだな」という感覚であった.
途中までは,遅い車を抜き去りながら快調にドライブを続けていた.こちらの運転にもすっかり慣れてイタリアンモード全開.しかし,いくつかある途中の大きな市街地で「路駐待ち」の渋滞にはまる.バカンスシーズンということもあったのだろうが,交通量も多い.Ragusa到着は予定よりも1時間オーバーだ.
結局Ragusaは旧市街の美しい遠景(写真)を崖上から眺めただけで後にする.そこからNotoに足を伸ばすとCatania到着が夜になり,予定していたシーフードレストランに入れなくなる可能性があったので,あきらめてCataniaに向かうことにした.家族には悪いが,私は今月業務でまたシチリアに行くので,Notoはその時に時間があればトライしよう...
それにしても,シチリア島は地図で見ているとそんなに大きさは感じないのだが,日本で言えば四国より大きいのだ.主要都市間の距離は大体50~100kmはある.高速道路もそれなりに整備されているが,Agrigentoのある南部沿岸地域は全く整備されていない.地形もそれなりに起伏があり,市街地では激しい渋滞だ.結果としてプランニングよりは常に1.5倍以上の時間がかかる.併せて,観光地付近では駐車スペースを発見するのに時間がかかる.シチリア島のドライブ観光は,あまり詰め込みすぎないで,行程に余裕を持たせることが肝要なようだ.
AgrigentoからRagusaへは120kmくらいだっただろうか.この間には高速道路はなく,両側2車線で中央分離無しのごく普通の幹線道路,規制速度は市街地でなければ90km/hだ.そのため,「まあ1時間半くらいだな」という感覚であった.
途中までは,遅い車を抜き去りながら快調にドライブを続けていた.こちらの運転にもすっかり慣れてイタリアンモード全開.しかし,いくつかある途中の大きな市街地で「路駐待ち」の渋滞にはまる.バカンスシーズンということもあったのだろうが,交通量も多い.Ragusa到着は予定よりも1時間オーバーだ.
結局Ragusaは旧市街の美しい遠景(写真)を崖上から眺めただけで後にする.そこからNotoに足を伸ばすとCatania到着が夜になり,予定していたシーフードレストランに入れなくなる可能性があったので,あきらめてCataniaに向かうことにした.家族には悪いが,私は今月業務でまたシチリアに行くので,Notoはその時に時間があればトライしよう...
それにしても,シチリア島は地図で見ているとそんなに大きさは感じないのだが,日本で言えば四国より大きいのだ.主要都市間の距離は大体50~100kmはある.高速道路もそれなりに整備されているが,Agrigentoのある南部沿岸地域は全く整備されていない.地形もそれなりに起伏があり,市街地では激しい渋滞だ.結果としてプランニングよりは常に1.5倍以上の時間がかかる.併せて,観光地付近では駐車スペースを発見するのに時間がかかる.シチリア島のドライブ観光は,あまり詰め込みすぎないで,行程に余裕を持たせることが肝要なようだ.
2010年9月1日水曜日
真夏はきついがそれなりに感動するアグリジェントの神殿の谷
アグリジェントが有名な観光地なのは言うまでもなく,紀元前のギリシャ統治時代の遺跡であるValle dei Templi(神殿の谷)であるからである.現在のアグリジェントは斜面上に展開しており,イタリアの都市には珍しく近代的な高いビルも結構建っているようで,遠くから見るとなかなか面白い.神殿の谷はこの現在の市街地から南に3kmくらいだろうか.雨が少ないので,緑が少ない砂漠の一歩手前のような環境に立地している.間違いなく真夏の炎天下での観光はきついので,もちろん我々は午前中の内にこれを片付けることにする.
車を神殿の谷の西側の崖下にある駐車場に止めて,チケットを購入し,そこから徒歩で現場に向かう.10分弱歩くと,早速神殿跡Tempio dei Dioscuriが目に入る.これは神殿のコーナーの部分だけが残っている.ここが最も西側の遺跡で,そこから東に向かうと3つの主要な遺跡がある.神殿跡とその先に見える現在の市街地のコントラストが個人的には素晴らしいと感じた.最後はそこから15分くらい歩いて,東の端にあるTempio di Hera Laciniaに到着.これはEracleよりは柱の数が多いという程度だ.東向きの経路は基本的には非常に緩い上り坂で,途中に木陰も少ないので,炎天下ではConcordiaであきらめてもそんなに問題はないだろう.とはいうものの,ここまで歩いてきたというそれなりの達成感は味わえる.
ここから駐車場に戻るのに40分くらいかかるので,これまた一苦労だ.車を崖上に動かして,遺跡群から北に1kmくらい離れたところにある歴史博物館の見学.ここは思いの外展示が充実しているが,やはり巨大な人?の石造が最大の見所だろう.
半日もあれば神殿の谷を一通り見学することが出来る.アグリジェントはシチリア内の主要都市からのアクセスが良くないので,わざわざ来るからにはもう少し見所が欲しい気がする.ただ,夜はこれらの遺跡がライトアップになり,遠景も近景も楽しめるかもしれない.神殿の谷をとことん見ろと言うことだろう.
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