2010年9月30日木曜日

エトナ山:活火山のすごさを体感

シチリア出張ではEtna火山にも行ってみた(観光ではなく視察です).これは標高3,350mのヨーロッパ最大の火山だ.時々噴火を起こす活火山である.南側の大都市であるCataniaは噴火の影響で何度か大きな被害に遭っている.富士市あたりから見る富士山のように周辺に視界を遮る山がなく,遠くからは非常に美しく見える.

Cataniaから中腹のSapienza山小屋地区へ車で1時間弱,標高2000m弱の拠点だ.ここからリフトとマイクロバス(もちろん山岳仕様)と徒歩で標高3000m地点までは向かうことが出来るらしい.リフトとバスで一人50ユーロくらいだったと思う.我々は時間の都合上,リフトのみ.これでも20ユーロ以上したはずだ.

山小屋に向かうアクセス道路から,溶岩流跡の真っ黒な溶岩に覆われている圧倒的な景色を見ることが出来る.近年まで噴火が定期的に起きていることをまざまざと感じさせる.何と,溶岩流跡の上に山小屋やホテルが立地しているのだ.

リフトの終点には小さい小屋があり,そこからマイクロバスに乗り換える.バスに乗らず歩いて昇っていくグループも多い.我々は30分くらい昇ってみただろうか.溶岩が粉々になっていて大きな粒上になった斜面になっているので,大変歩きにくい.辺り一面真っ黒だ.

ガイドブックで,噴火で使えなくなったリフトの替わりにバスで人を運んでいると読んだ気がした.日本なら,例えば浅間山の山中にリフトなど建設しようとするのだろうかと考えてしまった.山登りも立ち入り禁止区域もあるのだとは思うが,立ち入ってもあんまりうるさくなさそうな気がする.自己責任でということかもしれない.危険地帯であることは間違いないが,予兆はあるし,各自が気を付けていれば問題ないという割り切りで観光資源として活用できるのだろう.

シチリア内陸部の不思議な街

先日のシチリア出張で,シチリア島の内陸部の地勢をついでに視察してきた.PalermoからCataniaに向かう高速A19号線はシチリア島北岸を進み,途中から南に進路を変えて内陸部に入っていく.少し行くと,両側にMadonie州立公園が拡がっている.ミシュラン観光ガイドによるとこのあたりの景色がそれなりに素晴らしいのだそうだ.


シチリアでもっとも標高が高いのはEtna山でこれは火山の単独峰だ.それ以外にはそんなに標高の高い山はない.この州立公園のあたりも標高はあっても1000mもないのではないだろうか.この付近には,山深くの崖上などの実に多くの特徴的な街が展開しているのだ.

例えば,州立公園の南西端にあるSclafani Bangi.ここに辿り着くまでに,路面がぼこぼこ(施工不良で修繕も無し)の幹線道路を延々と進まなければならない.途中で車が故障したり,盗賊に襲われても誰も助けてくれないようなところだ.そんな道を進むと,見るのには大変美しい崖上都市が目に入るのだ.そこに行くまでにも,山陰に隠れたような場所に割と大きな街が展開している場所を見つけることが出来る.古代から支配者が何度も変わったシチリアのこと,敵に襲われないように,難攻不落の場所を選んで寄り添って住んでいたのだろう.敵のいない現代ではこのような場所は不便きわまりないのだが,依然として人々が住み続けていることに,ある種の驚きと敬意を感じざるを得ない.

今度は州立公園を東側に進んでいくと,岡の頂上に展開する面白い街を発見(名称は正確に覚えていない).丘上から斜面を下るに従って建物が新しくなるのだ.最初は丘の頂上付近に防衛を考えて居住していたのが,規模拡大と幹線道路へのアクセスを考えて徐々に坂下に街が拡がったと見るのが正しそうだ.頂上付近に住んでいた人は不便なので,坂下の新市街に移り住んでいるのではと想像される.恐らく古い集落を作り替えたり撤去する費用までは捻出できないのだろう.なにか出来るだけ同じ街に住むという執念を痛感させられる.

この日は中央部のEnnaに宿泊した.ここは標高1000m弱に展開する数万人規模の大きな崖上都市だ.アクセス道路は最後は全てきつい上りになるのだ.鉄道駅も崖下だ.朝は深い霧につつまれてなかなか幻想的であった.

2010年9月28日火曜日

Napoliの地下空間:こんなところまである観光名所

先々週にNapoliに出張に行っていた時に,"Napoli sotterranea"という,地下空間に展開する回廊を見学した.Napoliは古代ギリシャ人が開拓した街であるが,その時に地下に展開する岩盤を切り出して,建材として使っていたらしい.こうして出来た地下空間が,古代ローマによって相互に接続され,貯水槽として用いられた.温度が一年中ほとんど変わらないことからその後は貯蔵庫として使われ,第二次世界大戦時には防空壕として使われた.


見学が9名と大人数であったため,単独でガイドが付いてくれた(もちろん有料).Napoliの観光の中心地であるSpacca Napoliにもいくつか入口があるようだが,我々はQuartieri Spagnoli(スペイン地区)にある入口から中に入る.階段をどんどん地下に入っていき,最初の広間のようなところで,この地下空間の概要の説明を受ける(下手するとイタリア語だけかも).

その後,人が一人通るのがやっとの幅しかない通水用通路をくぐり,やがて防空壕として利用されていた地区に到達.ここでは当時の落書き(昭和天皇ヒロヒトの絵まであった!),電気設備の跡,トイレ空間,といったものを見ることが出来る.ガイドもだんだん調子づいてきて,空爆から逃げる時の様子をまねするなど芝居がかってきた(笑).

ある空間でガイドが電気を消して真っ暗になる.「全く何も見えず聞こえない空間はどのくらい恐怖を感じるか?」ということを経験させたかったらしい.2分後くらいに同行者が「もういいんじゃないですか?」と言葉を発して無事終了.

このようにして1時間弱,地下空間を練り歩いた.これはなかなかお薦めだと思う.こんな場所にも面白い観光施設があるイタリア,その長い歴史の重みを感じざるを得ない.日本も歴史はそれなりに長いはずなのだが,果たして...

2010年9月27日月曜日

通りにおける地番の付け方のルールの違い?

ローマに限らず,ヨーロッパでは全ての通りに名前が付いていて,○○通りの×番で住所が特定できるようになっている.この仕組みは道案内に大変便利であることは言うまでもない.こちらに来てからのカルチャーショックは,場所の案内が非常に素っ気ないことだ.どんなレストランや役所や店舗にも,案内地図というモノが一切存在せず,住所が示されているだけなのだ.電話で行き方を聞いても住所を言われるだけだろう.

ローマの通りでは,片方に奇数番号,もう片方に偶数番号が割り振られ,起点側から1,3,5,7と言うふうに増加していくために,場所が容易に特定できるのだ.私は分厚い街路地図を常に携帯しているので,住所だけ教えてくれれば間違いなく辿り着くことが出来る(ローマ内限定).このシステムに慣れると,日本の町丁目表示が異様に不便に感じてしまいそうだ.

しかし,ローマに住み慣れている人は地図なんか持っていない.よく分かっているエリアから一歩出ると,とたんにネットワーク構造が分からなくなるようで,名称標記(建物に埋め込まれている)が徹底されていないケースの多く,「○○通りはどこですか?」と聞きまくっている人をよく見かける.私もこれまでに十回くらいは聞かれる立場に立っているが,まずは聞き取れないので,「イタリア語がよく分からないんですが...」とここだけはイタリア語で答えてジ・エンド.

さて,先日出張でナポリに行き予約したホテルを探していた時に,通りの地番の付番が奇数,偶数に分かれておらず,大変不便な思いをした.ここでは,まず片方に1番から終点まで付番し,もう片方は終点から始点まで付番される仕組みだったのだ.通りの長さがあんまり長くなく幅員が狭ければ,このシステムでもいいのかも知れないが,今回はそうではなかった.ホテルが110番くらいの中途半端な地番だったので,特定するのにやや歩かされた.

それにしても,このような付番の方法はどのような歴史や意図があるのだろうか? 現時点では調べてもよく分からないが,いずれ回答を示したい(希望的観測).

2010年9月25日土曜日

毎日雨降り

ここのところ,一日に一回は雨が降っている.二週間くらいまでは毎日のように見ていた快晴を全くお目にかかることができない.日本の9月の感覚だと雨が降ると蒸し暑くなりそうなものだが,こちらの場合は雨が降るとやや冷え込む感覚がするのだ.

地理で習ったように,ローマは典型的な地中海性気候である.確か「夏は乾燥した熱風が吹き雨量がほとんどない一方,冬はやや雨が多くなる」と教わるはずだ.雨が続いているので,気になってローマの年間雨量分布を調べてみると,9月の月間雨量は60mmくらいでそんなに多いわけではなく,10~12月にもっと雨が多くなるらしい.まだまだ本番が後に控えているのだ.

雨が降らないまでも基本的に曇りがちなので,洗濯物が急激に乾かなくなった.来月以降,夜の居間は半乾きの洗濯物に囲まれることになりそうで憂鬱だ.あの短い酷暑もいまや懐かしい思い出だ.

2010年9月24日金曜日

Questuraへの出頭(2)

審査会場は建物の3階(日本でいう4階)だと言われる.エレベータはなく,階段を昇らなければならない.3階のロビーで,郵便局から郵送した申請書類を受け取り,順番が来るまでひたすら待機だ.

残っている封筒の状況を見ると,この日の出頭予定者のうち2割くらいは来ていないようだった.全部来ていたら「時間がないからまた来て」と言われたんだろうと思うとぞっとする.最初からこのくらいの欠員を見越しているのだろうか? 逆に私の前に並んでいたグループは出頭日が3ヶ月前になっていたがこの日の出頭.うーん,よく分からん.

さて,5時15分くらいになってあと10人ほどという状況になると,審査係員が続々と退室していく.彼らが残ってくれていれば,ものの15分くらいで残り全員の審査が終わると思うのだが,これがイタリアだ.残った3人だけが審査を継続する.私は最後から二番目だったので,午後6時前にようやく自分の番が回ってきた.その時には審査員は何と1名だけだ.最後の人は私が終了するまで待たなければならない.何ともはや...

その審査係員(男性)の前に着席して,パスポートと申請書類と写真4枚を差し出す.最初に「イタリア語は話せますか?」と来た.悪態をつく感じではなく,落ち着いた感じだったのでホッとする.「今,勉強中ですが,話すのも聴き取るのも書くのもまだまだ難しいです」とイタリア語で返答する.すると,ニコッとしてくれて,その後のやりとりは英語になった.

私の場合は,県庁で取得した労働許可書Nulla Ostaをちらっと見られただけで,その後は粛々と登録作業が進む.こういう時は日本人のブランド力に素直に感謝する(最近は逆に恥ずかしいと思うことが多いようだが).途中でいよいよ指紋の採取である.これは精神的に不愉快なモノだが,べったりとしたインクではなく電子的に取るのがせめてもの救いだ.10本の指と両手のひらまできちんと取られて終了.

手続きは10分弱くらいで終了したと思う.意外にあっけなかった.最後に「3ヶ月後くらいに滞在許可証が発行されます.住所は○○です」と言われる.受け取りは自宅からほど近い警察署だ.引換券はないのかと思ったが,途中で携帯番号を聞かれたので,SMSで連絡が入るのだろう.果たして滞在中に無事に入手できるのか,こうご期待.

2010年9月23日木曜日

Questuraへの出頭(1)

滞在許可証の申請を7月初旬に郵便局で行ってから二月半,書類審査と指紋押捺のために警察署であるQuesturaに出頭する日が9月21日にやって来た.半分楽しみ,半分緊張である.

指定時刻は午後4時半.ローマのQuesturaは中心部もあるのだが,最近イミグレーション部門が東部の高速環状線に近いエリアに移動したようだ.ここは公共交通で行くにはなかなか骨が折れるところだ.移民受付だから基本的に車で行くのは難しい人たちが多いはずなのだが,何でこんな場所にあるのか,理解に苦しむ.

私は当然車で出かける.渋滞でもして遅れるとやっかいそうなのでオフィスを早めに出て,1時間前の3時半には現場に到着.駐車場がきちんとあってホッと一息.中に入ると,アジア系,アフリカ系の人たちだらけで,そこはイタリアとは思えない空間だ.西洋人はかなり少ないが,これは東欧系だろう.

イタリアらしく,ここでも最初にどこにアクセスするのかが全く掲示されていない.仕方ないのでそばにいた警官に尋ねると,無言で入口の方向を指すだけだ.慣れてはいるが,公務員のこのような振る舞いにめちゃくちゃ不愉快な気分になる(笑).そちらの方に行き,別の警官に書類を見せると,「4時半まで待て」というので,仕方なく近くのベンチで座って待つことに.

すると,入口の警官が,「Tre(3時)!」と言っているのが聞こえた.ようはスケジュールより30分以上遅れているのだ.3時出頭組だけが通される.4時過ぎに,「Tre mezzo(3時半)!」と来た.まだ30分遅れだ.よく見ていると遅れてやって来た3時出頭組も一緒に入っている.どうやら申請をした方も時間にルーズなようだ.

5時前にようやく4時半の順番が回ってくる.書類を見せて中に入る.みんな呼ばれる前から入口に張り付いているので,ベンチに座っていると順番が最後の方になる.私の後ろはぎりぎりになってやって来た人が一人だけ.たぶん4時半受付が最終なのだろう.建物入口で荷物チェックを受けて,いざ審査会場へ.続きは次回.