2011年2月21日月曜日

何やら行きつけBarのクリエンテになる

最近は出勤した時のランチのBarがほぼ決まってしまった.相変わらずイタリア式サンドイッチと言うべきPaninoをテイクアウトして簡単な昼食としている.量が多いので,これだけで十分である.特に豚の丸焼きのPorchettaのPaninoをよく食べている.

このBarでは出勤途中にFrezzanteのミネラルウォーターを1本購入することにしている.先週のある朝,すっかり顔なじみになった女性の店員に,「あなたはクリエンテだから水を50セントにしてあげる」と言われた.これまでは1ユーロで買っていたのだが,その日以来50セントで水を購入できるようになった.

Paninoも滞在当初は4ユーロだったが,途中で3ユーロに値下がりし,最近は2.5ユーロで水も付けてくれることがあるようになった.こうなると,他のBarへ入っていくところを見られるとまずそうなので,最近はすっかりこのBarに入り浸りとなっている.

歩かない大人の作り方?

こちらに来てから様々なことを観察しているが,つい考えさせられてしまうことの一つに,幼稚園の年長相当か,ひょっとすると小学校低学年くらいの子供達の多くが,相変わらずベビーカーに乗っていることがある.ベビーカーの大きさに比べて,その子達の大きさが大きすぎるので,明らかに乗り心地が悪そうである.

小学校では子供の送迎が原則義務化されているようだ.子供の多くが車やオートバイで送迎されてくる.バスに乗っていると,大して重くないリュックサックを付き添いの親や祖母が持ってあげているのをよく見かける.

イタリアでは子供は親族から宝のように扱われている.子供を持つと法律でその育成管理に重荷が課せられている.そのせいで晩婚化が進み,少子化に苦しんでいるというのが現状のようだ.

私は交通の専門家なので,小さい頃から歩かせないことの問題が大変気になっている.このままでは,どこに行くにも車になってしまうし,出来るだけ目的地に近いところに駐車することに全力を挙げるようになるのだ.今のローマでの自動車問題を見ていると,子供の頃から歩かせないとさらにひどいことになると思わざるを得ない.

2011年2月15日火曜日

"Parla italiano!"の快感

滞在を始めて10ヶ月が過ぎたが,依然としてイタリア語はそんなに話せない.レベルとしては最初の手応えをつかんだ昨年9月頃から一向に進化せず,最近は自宅に閉じこもってデスクワークをすることが多くなったので,むしろ劣化してきているかも知れない.

それでも,例えば仕事でイタリア人とあった時には,最終的には英語になっても,最初の挨拶や自己紹介くらいはイタリア語で話すように心がけている.ここのところ,イタリア政府の高級官僚にヒアリング調査をしているのだが,ヒアリング対象者は何とか英語が出来たとしても,秘書等に取り次いでもらわなければならず,彼女達はまず英語は話せないのだ.

秘書に,"○○さんと○時からアポイントを取っている○○大学の○○ですが”とイタリア語で話しかけると,"Parla italiano!(イタリア語が話せるんですね)"と満面の笑みで答えてくれ,その後の扱いが非常にやさしくなるのだ."Mi scuci, non so parlarlo e ascoltarlo bene(すみません.そんなに話せないし,聞き取れません)"と答えても,一方的にイタリア語のマシンガンが飛んでくる.

ホテルのチェックイン時にイタリア語で話し始めると,やはり"Parla italiano!"とくる.スタッフ達に私がイタリア語を少しは理解しているようだということが伝わっていて,その後の対応が基本的にイタリア語になることが多く,なかなか疲れる.

それでも,この"Parla italiano!"というイタリア人の喜びの声を聞く度に,何だか相手が少しは認めてくれたような気になって,非常にうれしくもなってくるのだ.こんな気分も,残念ながらもうすぐ終わりだ.

2011年2月14日月曜日

病気への対処法の日伊比較

先々週と先週は,家族内でインフルエンザとおぼしき発熱の連鎖に見舞われた.特に長男は40度近い発熱と嘔吐が続き,慣れない異国の地で大きな不安を覚えた.

日本では,インフルエンザの疑いがあるとすぐにタミフルやリレンザの投与が医師から指示されるようだ.ある薬を飲むとそれが胃腸に負担をかけるので,それを緩和する薬も同時に投与されるといったことも多いように思う.いわば薬漬けで病気を治していくスタイル.

ここイタリアでは,サンプルが少ないのだが,医師も人々も自然治癒を旨としているように思える.薬を出来るだけ使わないようにして,人が持っている免疫力や抵抗力を高めていくやり方だ.この場合,高熱と嘔吐が続いているからと言って泣きついても,「まあ様子を見て下さい」というのが基本の診療になる.嘔吐には吐き気止めを処方せず,「スプーンで徐々に水をあげて下さい」という根気を要求する指示が来る.

一見不安であるが,冷静に考えれば,確かにそれでも最終的には直るのだ.イタリア式では治癒までの日数はかかるかも知れないが,長期的には病気でダウンするトータルの日数が少ないのかも知れない.想像だが,子供が病気の時に親が簡単に仕事を休める環境もその一因だろうし,基本的に近くに住んでいる祖父や祖母の存在も大きいだろう.

日本では子供が病気の時に,親の仕事への影響を最小限にするために出来るだけ日数を短くすることが社会的に要求されているようだ.同時に,核家族化が進み,相談相手のいない不安から極度に医者に頼り,そのせいで医師が疲弊して医師不足になるといった悪循環が生じているのかもしれない.

上で書いたことが正しいのか完全な自信はないが,病気への対処法は,その基本理念だけでなく様々な社会的要因が影響している可能性があるのだと,思わず考えてしまった二週間だった.

2011年2月13日日曜日

日本人学校の持久走大会

2/5の土曜日は,日本人学校の冬の恒例イベントの持久走大会の日だ.この日に備えて,子供達は体育や休み時間や放課後に,たくさん練習したのだそうだ.

私が小学校の時は,持久走大会があったかどうかは忘れてしまったが,長男が昨年度まで通っていた横浜の小学校では,そのようなものはなかったはずだ.生徒数が多いので,管理が難しいのだろう.全校で40名程度しかいない学校だからこそのイベントなのだ.

問題はコース取り.車が縦横無尽に走っている外で走らせるわけにはいかないので,必然的に学校の敷地内ということになる.クロスカントリーと普通の舗装道路が組み合わさった一周350mのコースを取るのが一杯一杯だ.小学部低学年は二周,中学年は三周,高学年は四周,中学部は六周だ.

持久走大会は親が見学可能となっている.この日にあわせてついでに授業参観と保護者総会が組まれているので,ほとんどの親が見学に来ている.自分が子供の立場だったら,持久走なんて親に見られたくないと思うのだが,今の子供達はどうなんだろうか?

天気に恵まれて気温は高めだ.外で見学する親達にはありがたいが,走る生徒さん達はややつらかっただろう.自分の子供が走っていない時間帯は,親達は立ち話に夢中である.子供達はそれを冷ややかに思っていたんだろうな.

さて,我が子達はそれぞれよくがんばった.今の私より早いのではないだろうか? 次男は五日前に高熱を出し,参加が危ぶまれていたのだが,奇跡的に復活して無事に参加することが出来た.長男は大会後にインフルエンザで高熱が続いたので,発症のタイミングが早かったら参加できなかったかも知れない.残念ながら流行中のインフルエンザのせいで何人か参加できなかったのがかわいそうだ.

ついに散髪へ

こちらでやろうと思っていて,なかなかふんぎりがつかずにやっていなかったことの一つに散髪があった.ここまでは二回の帰国時に日本で散髪を行って,髪の毛が増えてきたら,日本から持ち込んだバリカンで髪をすいてもらっていた.

しかし,最終帰国から既に三ヶ月以上経ち,髪の毛の量が我慢ならないレベルまで達していた.ついに禁断のイタリアの床屋に行こうかと一瞬考えたのだが,誰に聞いてもいい印象がないので,日本人が開店している美容室にお世話になることにしたのだった.

電話で2/4金曜日の夕方に予約を取る.その日はまた肩こりから来る頭痛に悩まされ,朝から休養していたのだが,髪を切りたいという欲求が頭痛に勝ち,何とか美容室に向かう.

トレビの泉の側にある美容室に入店.日本人二名とイタリア人一名が働いている.その時パーマをかけていたお客さんはイタリア人のようだ.髪を切ってくれる女性の店長は十二年イタリアにいるらしく,客と流ちょうなイタリア語で話をしている.

美容室なので最初に髪を洗う.その後にいよいよ待ちに待った散髪だ.髪を切ってもらいながら話をする.「イタリアの床屋を是非試してみたかったんですけど,結局ふんぎりがつきませんでした」と言うと,店長は「行かない方がいいと思います」と答えた.やはり多くの人が不満を持っているように,決して思い通りの髪型にならないのだそうだ.

ばっさり髪を切ってもらって無事思い通りの髪型に.これでもう散髪の心配をしなくて良い.最後に肩を入念にマッサージしてくれて,しめて20ユーロである.金曜日はたまたま男性の割引の日で通常は25ユーロだそうだ.それでも安い.

2011年2月12日土曜日

ついにナポリへ(3)

翌日曜日,朝からあいにくの雨である.この日の目玉は地下探検だった.昨年9月の出張時に私は経験している(ブログにも既に書いている)のだが,子供達を連れて行くとさぞかし喜ぶだろうと思っていたのだった.

スパッカナポリの中央部にNapoli Sotterraneaの受付がある.日曜日は10時からなのだが,10時になっても受付が開かない.まあイタリアだからと思っていると,数分後にスタッフがゲートを開けにやって来て思わずホッとする.雨が降っているから少し早く開けてあげようなどとは決して考えないのだった.

ゲートが開いてもどこで受付をすれば良いのかが分からない.最初にイタリア人グループがスタートしていった.「英語ツアーはもうちょっと待って下さい」と言われたので,その通りにしていると,ようやく英語ツアーが始まる.最初にお金を払い(四人で30~40ユーロの間だったかな?),地下空間ではなく劇場跡空間の見学からスタート.ちなみに,ガイドはしっかりとした英語を話すので安心だ.


劇場空間の後に,ようやく地下空間へと降りておく.ガイドの説明によると,地下の岩盤を削りだして地上にナポリの原型となるネアポリスがギリシャ人によって建設され,その後,空いた空間が19世紀くらいまで貯水槽として使われ,その後はゴミ投棄場になったり,第二次世界大戦時には防空壕として利用されたという経緯のようだ.


人一人通るのがやっとの細い地下道をローソクの火だけで歩かせてくれるのだが,なかなかいいアトラクションだ.子供達はスイスイとこの空間を抜けて行ってしまうので,全然追いつかない(笑).100mくらい歩かされて,最後に貯水空間に辿り着くが,地底湖のような趣があって素晴らしい.これでツアーは終了だ.

本当は美術館も見たかったところだが,子供達もいたのでこれは断念して,ナポリを後にしてローマに向かう.