2011年2月12日土曜日

ついにナポリへ(2)

スパッカナポリを西に向かって歩き,Dante広場を抜けて,ケーブルカーの駅に向かう.ケーブルカーに乗って丘の上にあるSant'Elmo城を目指す.入場料は大人一人5ユーロくらいだったか.子供はタダだった.



エレベータで城の上部に登り,広大な広場空間を取り囲んでいる城壁の上に登ると,ベスビオ山,サンタルチア,旧市街,中央駅周辺の高層ビル群といったナポリとその周辺の様子が手に取るように分かって良い.残念ながら曇っていたので,ベスビオ山はやや霞んでいた.また海方向にはカプリ島らしき影が見えたのだが,これも霞んでいてよく分からなかった.晴れていたら,さぞかしいい眺めなのだろう.ここはお薦めである.

ここから別のケーブルカーに乗って丘を下り,ナポリの目抜き通りの一つであるToledo通りを経由して,Umberto1世のガレリアを見学.これはミラノのガレリアを全くまねて作ったかのようだった.ミラノとの違いは,ここがシャッター街のようだったことだろうか.もっとも土曜日午後だったから店を閉めていたのかも知れないが.

Plebiscito広場を抜けてサンタルチア方面に向かう.湾沿いの道はなかなか雰囲気が良いのであるが,天気が今ひとつであったのが残念.その後タクシーを拾って,最大の見所である国立考古学博物館に向かう.

国立考古学博物館は,ギリシャ・ローマの美術に関する世界屈指の博物館をうたっているだけあって,ものすごい所蔵品数である.地下はエジプト関係,地上階は石像の数々,中二階と二階はポンペイなどからの出土品が展示されている.ここはきちんと見ようとするとものすごい気力が必要だ.面白かったのは,中二階の奥にあった当時の性風俗関係の展示の数々だ.どんな文明にもこのような美術品?があるのだと妙に納得する.

土曜日の観光はここで終了だ.夜はホテルで教えてもらったレストランでナポリ料理を十分に堪能したのだった.

2011年2月10日木曜日

ついにナポリへ(1)

1月最後の週末,ついに家族でナポリに向かうことにした.私は9月に出張で行っていたのだが,たった一泊だったし,ワークショップで一日つぶれていたので,観光らしい観光をしていなかった.

ナポリと言えば「ナポリを見て死ね」という素晴らしい景観が思い浮かぶのだが,現在はゴミである.10月末にゴミ処理場建設問題がこじれて,ゴミの運び先がなくなり,街中に回収されないゴミが溢れるという騒ぎになったのだ.ナポリを後回しにしたのはそのためである.最近は街中は問題ないとの情報を多数から得ていたので,満を持して旅行することにしたのだった.

ローマからナポリは車で2時間で本当に近い.街中の交通流はものすごい状態だと常々聞いているのだが,あいにく土曜日で大したことはなくてやや残念といったところ.問題は駐車場.路上駐車は何をされるか分からないので,駐車場付きホテルは必須である.早々にホテルにチェックインして機械式駐車場に車を入れてしまい,市内は徒歩と公共交通で観光だ.

この時点でもうお昼に近い.ナポリと言えばピザということで,有名なピザ屋のダ・ミケーレで名物のマリナーラとマルゲリータ(実はこの二種類しかない)を注文.ボリューム満点で値段も安く大満足.


ピザ屋を出た後にスパッカナポリを練り歩く.例えばフィレンツェと比べると同じイタリアなのかと思ってしまうくらい下町感が溢れている.細い路地には,集合住宅の窓から物干しがニョキニョキ出ていて,ヨーロッパらしくない.一瞬,途上国のような感じを受ける.この狭い空間で,車は申し訳なさそうに走っているのだが,オートバイは我が物顔である.ここでの主役は明らかに後者のようだ.

インターネットが急につながらなくなる

冬を迎えてから,我が家のボイラーの調子がいきなり悪くなったことは,もう何回か書いてきたとおりだが,それ以外は問題なく使えていた.

PompeiとPaestumツアーに行く直前の土曜日朝,最後のメールチェックのためにパソコンを開くが,ネットにつながらなかっていた.その1時間前にはきちんとつながっていたのだが,諦めて旅行に出発.南部は何かと物騒なのでパソコンは持参しなかった.

日曜日の夕方に自宅に戻り,メールチェックを始めるも,依然としてネットにつながってないようだ.設定は全く変えていないし,どうしたのだろう.早速,何が問題なのかを調べ始めたが,無線の問題ではなくADSL自体が機能していないことが判明した.

週明けからネット再開のために業者と交渉しなければならないのかと思わず気が重くなった.復旧は一週間単位の時間がかかってしまうのだろう.オフィスはたまに接続環境が非常に悪くなるので,Skypeが必要な時はもっぱら自宅で行っていたし,家内も日本との連絡にメールとSkypeを多用している.これは困ったことになった.

翌月曜日,私はオフィスに出勤.すると家内から「ネットがつながっている」との連絡を午前中に受けた.特に業者と交渉した訳ではないのだが,とにかく復旧したようなので一安心.ボイラーが故障してシャワーが使えないよりもネットが使えないことの方ががより困るのだと,悲しいことに痛感したのだった.

このADSL障害,こちらの日本人に聞くと,予告無しのトラブルは日常茶飯事とのことで,取り立てて騒ぐほどのことはないらしい.こんなところまで信頼性が低いのかと思ってしまう出来事だった.

2011年2月7日月曜日

せっかくなのでPaestumにも足を伸ばす


1/23の日曜日,前日はPompei遺跡を見てそのまま近辺のホテルに宿泊したので,この周辺で朝から観光が可能であった.実はベスビオ山に登ろうと思っていたのだが,昨日に続いて朝からあいにくの雨だ.天気予報を見ると,南に向かえば晴れる可能性があったので,急遽Paestumに向かうことにしたのだった.Pompeiからは80km,高速道路と一般道路が半々で,約1時間の距離である.


もくろみ通り,Paestumに近づくにつれて晴れ間がのぞくようになる.Paestumは比較的保存状態の良い三つのギリシャ神殿が見所であり,晴天のもとで神殿が拝めそうだ.神殿のある遺跡とセットで国立考古学博物館を見学すると良いのだが,子供がいたので博物館は断念.

さて,そのギリシャ神殿群は確かに素晴らしかった.Agrigentoも確か三つあったと思うが,相互に離れているのと保存状態がそんなに良くない.一方ここは,二つが隣接し,残りの一つもそんなに離れていない.草木が比較的豊富なので,砂漠のようなAgrigentoと比べて潤いが感じられるのもよい.車がないと行きにくいのがやや残念だ.

もうちょっと何とかして欲しいPompei(2)


このPompei,昨年末に雨で遺跡の一部が崩壊した.これだけが理由ではないが,あちこちで補修や保存のための工事が行われている.そのために通路が閉鎖されたりしているのだが,どこが閉鎖されていて,迂回経路はどうなっていてといった案内が一切ないのには閉口した.まあ,やっぱりこれがイタリアである.日本みたいに案内が過剰なのもどうかとは思うのだが...文化財の維持にかけている予算が潤沢でないらしいので,まだ工事をしてくれているだけましなのかも知れないと思い直すことにする.

南西側入口近辺はForoと呼ばれる広大な広場空間だ.遙か昔から,このような空間が都市にとって重要だったのだと改めて認識できる場所である.このエリアには,噴火で犠牲となった人の型が一体だけリアルに残っていて思わず息を飲む.遺跡内は野良犬が生息しているようで,このForoにも多数集まっていて,犬嫌いの私にとってはなかなか落ち着かない空間だ.

Pompeiはベスビオからナポリ湾に向けた傾斜の途中にあるので,基本は南北方向に緩やかな傾斜がある.Foroから遺跡西北端のVilla di Diomedeに向かう道は基本的に登りである.木陰も少ないので,真夏にはかなりの体力と気力が必要だろう.しかしこのVillaには犠牲者の型が数体あるので,やはり見逃すわけにはいかない.

遺跡のコンテンツは,この犠牲者の型と街路構造を除けば,ローマ近郊のOstia Anticaと大して変わらない.どちらにも競技場,広場空間,生活空間,大規模浴場がある.Pompeiの大規模浴場は,今回は閉鎖中で入ることが出来なかったのがやや残念だ.こういう見所は極力閉鎖しないで欲しいものだし,閉鎖中の施設はきちんと入場時に知らせて欲しいものだ.


さて,数年前に日本でPompeiを特集した番組を見たのだが,この時に新たに発掘された,火砕流や噴石から家族を守ろうとする父親や苦しみながら絶命した人といったショッキングな型を見た記憶があった.それをずっと探していたのだが,ここまでに全く遭遇しなかった.そこで受付でもらった分厚いパンフレットを再確認すると,何と我々が入場した入口に比較的近いところにあったようだった.閉場になると困るので,慌ててその場所に向かう.もう少し展示方法を考えた方がいいと思うが,屋外のガラスケースの中にそれらはあった.それらはまさにテレビで見たあのショッキングな犠牲者の型であった.

もうちょっと何とかして欲しいPompei(1)

1/22に,まだ手を付けていなかったPompeiに行った.ローマからは250kmくらい,高速を飛ばせば2時間もあれば到着できる.この近さならいつでも行けると思っていて,ここまで後回しになったのだ.

しかし,当日の天気は朝からあいにくの雨.延期しても他に代替日がないので,Pompei行を強行することにした.昼前には宿泊予定のホテルに到着.時間前だったが幸い部屋がもう準備されていて即座にチェックインできた.駐車場も施設内にあるので,これで車がいたずらされる心配をしなくて済む(南部ではこの点は大事).

部屋でテイクアウトピザで簡単にランチを取りながら雨がやむのを待つが,午後1時までにはやまず,意を決して遺跡に向けて歩き始める.幸いなことに,遺跡に入場する頃に雨はやんでくれた.

この遺跡,紀元後79年のベスビオ山の大噴火で埋もれた訳だが,遺跡の大きさは66ヘクタール,そのうち50ヘクタールが発掘済みということらしい.ということで東西が約1.5km,南北が約500mと理解しておけばよい.これほど広大なエリアに見所が多数なので,しっかり見ると一日仕事である.

観光バスや車で直接来る場合にはメインの南西側入口から入場するらしいのだが,我々はそれとは反対の南東側入口から入場する.そのため,円形競技場からスタートして,徐々に西に向かい,南西側入口付近から北上するというルートが基本となる.

南西側入口周辺ははっきり言ってパッとしないのだが,遺跡中央部に近づくにつれて,往時のままの街路と沿道家屋が目に入ってくる.私は土木屋なので,やはり街路の様子には心を打たれる.ローマ式街道には,当時から既に歩道や横断歩道といった概念があったのだ.目抜き通りだけではなく,それらへ接続する街路も,規模の差はあれ,同じ構造となっているのだ.

目抜き通りの沿道家屋には,今で言う立ち飲みバーのカウンターといったものを多数見ることが出来て面白い.ただ,遺跡中央部はどこも見ても同じように見えるので,そのうち飽きてくるのが玉に瑕だ.

セックススキャンダルでやめない首相を持つイタリアって...

ローマを去る日まで一ヶ月半を切った.お陰で公私ともに忙しく,ブログ更新が滞っている.ネタはあるのだが各時間はない.

先月中旬に,イタリアの政界に再び激震が走った.首相が18才未満のコールガールを何度も自宅に呼び,多額の口止め料を要求されたというのだ.これまでも数々の暴言やスキャンダルで定期的に話題を提供している首相である.「またか」という感覚だ.

しかし,こんなに恥をかいても(恥と思っていない可能性も高いが)首相の座から降りないのは,正直言って驚きを隠せない.首相をやっているのは,これまでの行状で逮捕されないように,自分に有利な法律を作るためであるという信じられないうわさもある.ここまでくると,このうわさはかなり当たっているのかもしれないし,最終的には裁判所で違法判決が出たようだが,現実にそのような法律を多数通してきている.

日本で同じことをやったら最低限政治生命を絶たれ,社会的にも復帰できないだろう.ベルルスコーニは何でこれで首相を続けられるのかが大きな疑問だ.

この疑問を,最近親しくなったイタリア人(子供の同級生のパパ)に投げかけてみた.彼の顔を真っ赤にして,「私も信じられないが,どうしようもない」という怒りと無力感を吐露するのみだ.彼がインテリ層かどうかは不明だが,日本を含めた外国の状況をよく知っているようなので,このような首相を担ぐことを苦々しく思っているようだ.ママ(日本人)は「あの抜け目なさやずるがしこさに一般のイタリア人は惹かれるんですよ」と言っていたが,いくつかの書籍でもこれに相当する分析を見たことがあるので,一般的な理解なのだろう.

それにしても毎度情けなくなるのは与党の議員である.昨年末も不信任決議で最終的に反対に回った議員も多いし,今回も与党議員から威勢のいい声が聞こえてこないのだ.首相からの金銭援助がよほど魅力的なのか,あるいは裏から命を狙われているのか,実態はこの辺にあるのではと感じる.