2010年7月12日月曜日

車優先社会のローマ?

今朝の出勤時,いつも通りColloseoのバス停でバスを下車し,オフィスまで徒歩で向かっていた.その途中で大きな交差点を通る.歩行者用信号が青に変わり,颯爽と歩を進めた時,目の前を右折してきた車が高速で通過した.一瞬「あっ,ぶつかる!」と思ったほどの至近距離だ.その時,この車のドライバーがこちらをにらんでいたように見えた.にらみ返そうにももう次の車も接近してきている.不快な気分を抑えながら,足早に交差点を渡りきった.

それにしても,ローマ市内はどこでも道路を横断するのに難儀する.それを理解していて,十分に気を付けているつもりでも今朝のようなことがある.観光都市なのに歩行者に大変冷たい街である.先進国でここまで歩行者が蔑ろにされている国も珍しい.

先日から,ローマの交通事情について,少しずつ資料や統計から理解しようとしている.まず驚いたのがローマにある車の数である.よく,モータリゼーションがどのくらい進んでいるかを単純に理解するのに「人口千人あたりの自動車登録台数」という指標を用いる.ローマ市のこの指標値(いわゆる乗用車のみ),何と707台である.

「何と」と書いているのは,東京都は千人当たり242台だからである.東京だって,車の洪水という感じがしないではないが,その3倍弱も車があるのだ.しかも,ここ5年くらいは毎年数万台の車が増えているようだ.街中を車が我が物顔で往来する姿が,この指標値からも想像できるのではないかと思う.まさに車優先社会の面目躍如だ.

なお,ローマではやたらとオートバイを目にする.そう思ったら,オートバイは人口千人当たり144台だそうだ.東京都のそれは31台だから,4倍以上! 街路上ではとにかく神出鬼没だ.

交通事故の状況について,そのうちまじめに調べてみたい.その報告は改めて.

2010年7月9日金曜日

滞在許可申請(2)

郵便局に到着し,"Sportello Amico(友達の受付とでも訳すのかな?)"の窓口の受付番号を取る.順番が回ってくると,「PSは一番窓口で」とそちらに回される.仕方ないので,一番窓口に移動し,書類を提出.窓口のおばさんは,日本で数年前に話題になった”騒音おばさん”そっくりで,ちょっと怖そうだ.

やっぱり英語は通じないようだ.イタリア語でまくし立ててくるが,相変わらずさっぱり分からない.いくつかの単語や数字は聞き取れるのだが,文章になると厳しい.Prefetturaがプリントアウトしてくれた申請書に14.62ユーロの証紙を貼るのだが,「ここでは売っていないので,郵便局の外で購入してきて」と言われる.そう言えばTabacchi(日本で言うと駅のキオスクのようなものか?)で購入するようなことが諸先輩方のブログに書いてあったな.しかし面倒だ,その場で売ってくれてもいいのに...仕方ないので,炎天下の中Tabacchiを探す.幸い100mくらい行ったところにTabacchiを発見,難なく証紙をゲット.

戻ってきて受け付け作業が継続される.そのうち,端末で作業をしていたおばさんが困っている.何かと思ったら「住所がない」とのこと.そりゃぁ,申請書の住所の地番は実在しないからねぇ.「Non due cent novantuno (291), ventotto(28), Scala B, Interno otto(8)」というと,何と通じるではないか.めでたく正しい住所を打ってもらう.

次に,申請経費として27.5ユーロ,郵便代として30ユーロ,手数料1.1ユーロを支払う.おばさんがこの合計の数字を言っていたのだが,全然聞き取れない...最後は端末の画面で確認して,何とか支払う.それにしてもお金がとんでいくなぁ.

ともあれ,これで申請は終了.領収書,申請控,次の出頭日が書かれたメモを渡される.Questuraへの出頭日は9月21日午後4時半のようだ.ここで,写真を提出し,指紋を採られるのだ.これで私の滞在許可申請は無事終了,後は発行を待つだけだ.

次は妻と子供達の滞在許可申請だ.これは幾多の困難が予想される.

2010年7月8日木曜日

滞在許可申請(1)

ビザを取ったら,いよいよ滞在許可(PS: Permesso di Soggiorno)の申請だ.労働許可証(NO: Nulla Osta)を受けた時に,「再入国後にSportello Unico per l'Immigrazione: SUIに再入国を伝えると,数日後に呼び出しがある」と聞いていた.

一昨日,研究所の事務スタッフからSUIに連絡してもらい,「7/8の正午に出頭せよ」との返事があった.必要書類を聞くと,大家からIdoneita Alloggiativa(居住証明か?)をもらうようにとのこと.そんなに急に言われてもと思ったが,事務スタッフから大家に直接相談してもらう.結果として研究所所長の一筆で済んだようだ.やれやれ.

本日正午に,FSのRoma Ostienseの南側にあるPrefetturaに出頭.指定されたフロアに行き,廊下を歩いていた優しそうな女性スタッフに取り次いでもらう.英語が通じて安心.担当者から呼ばれ,パスポートの全頁のコピー,研究所所長の一筆,NOのコピーを提出.パスポートを確認され,6/27のミラノからの出国スタンプを指さして,英語だかイタリア語だか分からない質問が来る.「この日に一度出国したのか?」という意味を予想しYesと答える.質問はこれだけだ.

そのうち申請書と封筒を手渡され,「この申請書類,パスポート全頁コピー,Codice Fiscaleのコピー,NOのコピーを,この封筒を使って郵便局から発送するように」と,イタリア語のメモを下に英語で指示がある.申請書類を見ると,先ほどの6/27は入国日と入国空港を聞いていたらしく,間違っている住所と併せて,間違いが二箇所だ.まあ何とかなるんでしょう.出頭は15分もかからずにめでたく終了.オフィスで,必要書類を揃えて,いざ郵便局へ.続きは次回.

2010年7月7日水曜日

バスを降りる時に考えること

ローマでは,バスを降りる時に,停留所に着く前までにドアの近くに行かなければならないらしい.ほとんどの人がそうしているし,バスによってはドアの近くに行かないと停車要求ブザーが押せないものもある.私も一つ手前の停留所の段階で,ドアの近くにアプローチするようにしている.

恐らく,停留所での停車時間を短くするために,自然発生的に生じたルールなのだと思う.日本と比べると何しろ停留所間隔が短い.停留所2つ分くらいで降りていくようなチョイノリの乗客が結構多い(そのくらいは歩いた方が健康によいのではと考えてしまう).早朝や夜遅くでない限り,ほぼ全停留所に停まるような感覚だ.だから,距離の割に時間がかかる.日本人学校近くの停留所からTrastevere駅まで6kmくらいで30分近くかかる.

車内が混雑している時は,ドアの近くまでアプローチするのは大変だ.それでも,Permesso?と言いながら進むとみんな避けてくれる.運転は加減速が激しいので,お年寄りや身障者が走行中に歩いているのをみるとハラハラする.でも転倒事故は起きない.

このルール,言い換えればバスの所要時間短縮に乗客みんなが主体的に協力していることになる.何と素晴らしいことだ.

日本では「危ないですからバスが完全に停止してから席をお立ち下さい」とのアナウンスが流れる.何より「乗客の安全」が優先だ(本音ではバス会社の保身が重要).高齢者の方はこれを文字通り実践するので,停留所での停車時間が長くなりがちである.運転手は,乗客が車内で転倒しないように,加減速をソフトにするように指導されている.日本に帰ってバスに乗ったら,イライラしそうな気がして怖い.

2010年7月6日火曜日

ビザについて

さて,お待ちかねのビザ取得の顛末記である.6/27の日曜日に東京に到着し,翌日朝にイタリア大使館に出頭してビザの申請を行うつもりでいた.

月曜日の朝,時差の影響で全然寝付けない.6時に携帯電話のアラームをセットしておいたのだが,鳴った瞬間消して寝てしまったらしい.起きてみたら午前11時! しまった寝坊だ! 大使館は午前11時半で受け付け終了,一日無駄にしてしまった.

翌日は万難を排して朝起床し,三田のイタリア大使館に9時半の開館時間に出頭する.私の前に1組が並んでいただけだ.私の番になり,要求されていた書類を全て提出,申請書もほとんどミスはなく,あっけなく申請は終了する.ちなみに,私はScientific Researcherの自営業の労働許可(最大24ヶ月)が出ていて,必要書類は申請書の他に,日本の住民票,Prefettura di Romaが発行したNulla Osta原本とそのコピー,パスポート本体と顔写真の頁のコピー,手数料75ユーロ(9,300円)だけだ.3月の就学ビザ申請の時の必要書類(研究機関の受け入れ承諾書,大家の身分証明書のコピー,在職証明,銀行口座の残高証明,海外旅行保険の証書,ほかにもあったかな?)数と比べると圧倒的に少ない.

いつ発行されるのかな? と次の窓口担当者の言葉を待っていると,「では金曜日に来て下さい.問題があったら携帯に電話します」と言うではないか! 思ったよりも早いぞ!

電話もなく金曜日朝を迎え,再度大使館に出頭.自分の番になって,待ちに待ったビザが貼られたパスポートが返却される.申請通り,360日間,複数回出入国可能なビザだ.Nulla Ostaに記載されているローマの住所が間違っていたが全く関係なかったようだ.それにしても,随分とあっけない幕切れだった.

ちなみに,ビザの有効期限は本日からだ.7/3にフランクフルトで入国審査を受ける際にやや怪しまれ,Permesso?と聞かれたが,Now applying!と返答しただけで,あっさりとスタンプを押してくれた.晴れて再入国.今度は滞在許可証の発行がどのようなプロセスで,いつになるのか.引き続きご期待下さい.

2010年7月5日月曜日

サッカーワールドカップ:イタリアと日本

サッカーのワールドカップもいよいよ終盤戦だ.我が日本はもちろん敗退しているが,ディフェンディングチャンピオンのイタリアもなぜか日本よりも早く敗退してしまっている.実は,イタリアがF組1位で,日本がE組2位だと,ベスト16のゲームで対戦というところだった.密かに期待していたのだが,5月くらいの日本代表のごたごたぶりを目の当たりにして,「この対戦は絶対に実現しないな」と思わざるを得なかった.しかし,本番で日本は持ち直してE組2位で通過したにも関わらず,肝心のイタリアが何とF組最下位.なかなか上手くいかないものだ.

たまたま先週に日本に帰っていたので,ベスト8をかけたパラグアイとの戦いは日本のテレビで見ることができた.放映予定のチャンネルでは,試合開始2~3時間前から特番が組まれ,どうでもいいタレント達が勝手に盛り上がっていた.結果はPK戦での敗北だったが,終わった後の番組では,「よく戦った! 感動した! ありがとう!」というような雰囲気に包まれていた.しかし,どんなにがんばろうと負けは負けだし,目標はベスト4だったはず.これに到達しなかった原因を徹底的に追求してもいいのではないかと思った.まあ,これらはいつものことだ.このままではしばらくベスト16の壁は越えられないだろう.

さて,イタリアはどうだったか.試合もあっさりと負けたが,放送(試合前,後の特番なんかは当然無い)や試合翌日のニュースなどでの取り扱いも日本と比べるとあっさりしたものだ.予選リーグなんかは通過して当たり前だと思っていたのだろう.それでも,先々週の24日に参加した国際会議では,セッション会場でイタリア対スロバキア戦を見るために,プログラムがわざわざ変更になったように,それなりの関心はあるのだ(それにしても敗北した後のセッションはかわいそうだった).

イタリア代表はもう総スカン状態だ.監督や代表選手はしばらく街を歩けないのではないか.このような厳しさがあるからこそ,強豪国なのだし,なれるのだろうと思う.我が日本代表は,関空に到着後非常に英雄扱いである.やれやれ.

2010年7月4日日曜日

ふたたびローマへ:「空気」が入れ替わっている

昨日,見事ビザをゲットしてローマに戻ってきた.このブログも10日間ほどお休みしていたが,本日から再開いたします.なお,ビザ申請と取得の模様は後日書くことにしたい.

ローマを離れたのが6/26,ミラノ経由で翌27日夕方に成田に到着した.飛行機から降り立った瞬間,猛烈な熱気と湿気が我が身を襲う.そうだ,日本は梅雨真っ盛りなのだ.一瞬,ここはシンガポールかと錯覚してしまうほど.体が乾燥したローマに順応しているので,ものすごくつらかった.

日本滞在は結局一週間ほどだったが,やはり東に移動する出張の時差への適応は大変つらい.ヨーロッパ中央時間と日本時間は7時間差.日本で朝7時がローマの午前0時.毎日夜中に目が冴えること.眠くなる頃には,外が明るくなり,鳥の鳴き声がする.寝不足でへろへろになる.

ローマに残してきた家族とはSkypeで連絡を取り合う.先週後半に「何か猛烈に暑くなった」と家内が言い出すようになった.「戻ったら酷暑か」と内心げんなり.

昨日は,フランクフルト経由でローマ入り.フランクフルトに降り立つと,夕方5時なのに35度という灼熱地獄だ.ヨーロッパは一週間で空気が入れ替わってる.たまたまワールドカップのドイツ対アルゼンチン戦の真っ最中,結果はご存じのようにドイツの大勝だったので,得点を入れるごとに空港のスポーツバーは大騒ぎ.でも,試合終了後には勝利の余韻を引きずらずに人々が散り散りになる.さすがは三大会連続ベスト4以上のサッカー大国だ.

気温が高すぎたのか,夕方に天気が荒れ,ローマ行きのフライトの出発時刻が30分遅れる.もたもたしているのか,到着後に預け入れ荷物が出てくるのに50分待たされる.予定よりも1時間くらい遅く我が家に到着.我が家の中も一週間でものすごく暑くなっていた.いよいよローマも暑さとの戦いが始まるようだ.