2010年11月15日月曜日

珍しいローマでのキャッチボール

子供達が通うローマ日本人学校では,小学部3年以上に課外活動がある.いわゆるクラブ活動だ.長男は男子中心の球技のグループに入っているらしい.一学期は炎天下の中サッカーをやっていたようなのだが,二学期は何と野球だ.

「各家庭でグローブを用意して欲しい」との連絡があった.こんなことになるとは思ってもいなかったので,グローブは日本に置いてきてしまった.仕方ないのでローマのスポーツ店で探すことにしたが,大抵の店では野球用品なんか置いていないことは想像通りだ.

イタリアは実は野球はプロリーグがあるのだが,盛ん?なのはボローニアの当たりで,プロチームはこのあたりに固まっている.首都ローマにはプロチームはない.インターネットで検索しても,野球用品を扱うスポーツ店はボローニア当たりしか見あたらない.

結局,ローマで最大のスポーツ店と思われるDecathronで見つけることが出来た.もちろんブランドを選べる環境になく,聞いたこともないようなブランドのものしかない.しかも,作りがしっかりしていないので,取りにくそうだ.その分ものすごく安くて20ユーロはしなかったと思う.キャッチャーミットやファーストミットはなかったが,これらのポジションの人はどこで買えるのだろうか.面白かったのは,左利きのものが多かったこと.イタリア人は左利きが多いらしい.何とか残っていた最後の右利きグローブを購入.

その後,親族が来た時に持ってきてくれたり,私も日本に出張した時に購入したりして,家族人数分のグローブが揃った.そのため,最近は子供達と住宅の敷地内や公園でキャッチボールをしている.すると,「あの東洋人は何をしてるのか?」と怪訝な顔をされたり,興味ありそうに「何をやっているのか?」と話しかけられたりして,なかなか愉快である.日本では多くの公園でキャッチボールが禁止されているんですよね,そういえば.

2010年11月12日金曜日

エトルリアの古代墓地Necropoli

ローマの建国は紀元前750年頃と言われている.当時,中部イタリアで力を持っていたのはエトルリアで,ローマの北側を支配していたようだ.Tarquiniaはその有力な都市の一つと考えられる.エトルリア人は建築技術に長けており,ローマは建築・土木技術を彼らから学んだと言われている.私のような土木屋からすると大先祖である.エトルリア人の起源,使用言語はよく分かっておらず,依然として謎の民のようだ.ちなみに,ティレニア海はエトルリア人の海,トスカーナはエトルリア人の土地という意味らしい.

現在のTarquiniaの街から数km東方向に行くとNecropoliがある.Necropoliは共同墓地という意味らしい.Tarquinia博物館との共通券で一人8.5ユーロ,子供は無料だった.入口に土産物やガイドブックを売る売店と,ちょっとした喫茶空間も確か入っていたと思う.

さてこのNecropoli,草原のような丘に小さな小屋が20軒ほど点々と展開している.日陰もなく,真夏はきついだろう.雨天時もつらい.我々が訪れたのは秋晴れで,着込んでいるとやや暑いといった感じだったので,天候としては恵まれている.この小屋から地下の埋葬空間に入っていく.

薄暗い階段を下りていくと,石室となっている埋葬空間の前に辿り着く.この空間は入ることが出来ず,ガラス越しに眺めることしかできない.セルフで石室の照明を付けなければならない.石室の壁面には色鮮やかな壁画が描かれている.死後に寂しくないように,明るい色調で彩ったのかもしれない.

小屋に掲示されている説明文(イタリア語と英語の併記)によると,作られたのは大体が紀元前4~6世紀であった.発見自体はここ100年というオーダーだったので,7割くらいの石室は風化が進んでしまっている.色鮮やかな壁画が見れるのは全体の2割くらいだろうか.慣れてくると,掲示板を見ただけで,見る価値がありそうな石室かどうか分かるようになる.

それにしても,こんな墓地空間を見ているだけで,エトルリアの往時は大変力があったのだと理解できる.博物館で飽きるほど見た石棺の彫刻の細かさと併せて,その建築技術と芸術性に思わず感嘆する.残念ながら我がローマに滅ぼされてしまったが,その高い技量は,”敗者同化政策”を徹底したローマでなければ,危険視されて徹底的に排除されたであろう.

2010年11月10日水曜日

美しい死者の町Tarquinia

10月初旬にフィレンツェに行った後は,仕事が急速に忙しくなってきたのと,週末の天気が芳しくなかったこともあり,あまり観光してなかった.ローマ滞在も残すところ4ヶ月強になってしまい,まだまだ行っていないところがたくさんあるので,せっせと観光しないともったいない.

この前の土曜日は朝から久しぶりの快晴であった.仕事がたくさんあったのだが,居ても立ってもいられなくなり,近場に観光に出かけることにした.向かった場所はTarquiniaである.RomaからCivitavecchiaを通り過ぎた先にある.自宅からだいたい100kmくらいだ.高速道路が混んでいなければ1時間もあれば到着する.

Tarquiniaは,中世の風情を感じることが出来る,よくある小さい街だ.ご多分に漏れず,丘の上に展開しているので,平坦な場所は少ない.住むことになるとすぐに飽きてしまうのだろうが,観光客としてそぞろ歩きをしている限りではこんなにいいところはない.

街の中心はMatteotti広場で,その北側にロマネスク様式やゴシック様式の教会が展開する.周辺の街並みもそれらにマッチしていて古びているが美しい.この広場北側の街区では駐車車両を余り見なかったので,厳しく規制されているのかもしれない.中世の街並みに自動車は似合わない.

広場から西に向かうとVitelleschi宮があり,その中にTarquinia博物館がある.この建物は教会よりは華やかさがあるので,たぶんルネッサンス様式だろう.この博物館は古代エトルリア文化の棺桶,石像,黒・赤ベースの色彩豊かな壺が,次第に飽きてくるくらい豊富に展示されている.

Tarquiniaは次回紹介するNecropoliが有名で,そのために死者の町と言われているそうだ.確かに博物館の棺桶の芸術性は見事であった.土曜日だったこともあるが,人通りも少なく大変静かな街だったように思う.死者の魂とともにひっそりと暮らしているのだろうか.

2010年11月8日月曜日

雨の月曜日,通勤2時間!

週明けの月曜日,いつものように子供達を学校に送り届けてからの出勤.週末はいい天気で,土曜日に久しぶりに観光に出かけたのだが,昨夜から激しい雨だ.Veneto州の方では,豪雨による洪水で街がやられたニュースを見た.この前もGenovaが被害に遭っていたし,場所は忘れたが南部の方でも最近洪水があったと思う.雨が少ないイタリアも降る時は降るようだ.

さて,日本でも雨の月曜日は道路が混むことは常識だ.ローマでもきっとそうなのだろう.しかし,今日はひどかった.8時ちょっと前に自宅を出て,オフィスに到着したのが10時前,いつもより40分遅れだ.

おなじみの光景だが,先が詰まっているのに交差点に突入して,青になった交差方向の交通を阻害する.バスレーンやトラム軌道があってもお構いなし.これが今日は際立っていた.あちこちでこんな状況になっているから,バスも全然進めないのだ.座っていたからいいが,立っていたらさぞかししんどかっただろう.

ローマでは,自動車保有に高い障壁も設け,街路上ではバスやトラムを最大限に優先する制御を導入するしか道はない.9km進むのに2時間って,よく考えたら歩いた方が早いのでは?

2010年11月5日金曜日

送ったはずの滞在許可申請書類が届いていない!(2)

通訳してくれる女性を通じて,「申請書類が到着していないのだが,どうしたらいい?」と尋ねる.すると,「書類のオリジナルは?」と言うではないか.「えっ,送った書類がオリジナルじゃないの?」と答えたが,「オリジナルを見せてくれ」と言われる.

弁護士に依頼して郵便局での申請にこぎ着けたことは先に書いたとおりだ.その時に「念のため」といって申請書類のコピーはもらっておいた.私の申請の時は自分でやったこともあり,申請書類のコピーなど取っていなかった.それでも申請書類はきちんと届いており,コピーなど持参しなくても問題なかった.

そのためコピーは家に置いてきて,手元に持っていなかった.「郵便局での申請時に,申請書類のコピーを保存しろとはどこにも書いていなかった.だからコピーなんか持ってない」と言ってみる.確かに持参すべき書類に申請書類のコピーと書いてあるが,これは申請書が受領されて,出頭書を受け取って初めて知るものだ.

すると,「再出頭の日時を指定しますので,また来て下さい」ということになった.その直前の「郵便局がなくしたんでしょう」という発言に,思わずブチッと来た.「そんな大事な書類がどうして簡単になくなるんだ!」,「忙しいのにまた来いというのか!」,「申請書類を揃えるのにどれだけ苦労したと思ってるんだ!」と口走っていた.こんなことを言われても審査員も困るだけだろうが,もう止まらなかった.「もういい,行こう!」と捨て台詞を吐いて,審査会場を後にしたのだった.途中で壁に八つ当たりの蹴りも入れている(笑).

それにしても,滞在許可の審査に行った時に送ったはずの申請書類が届いていなかったというトラブルは,先達のブログでもいくつか紹介されていた.これが自分の身に降りかかるとは...

滞在許可申請は,そのプロセスの利便性を高め,かつ効率性を高めるために郵便局での申請システムとなっているはずなのだ.しかし,このように信頼性の低い郵便局が介在することが果たしていいことなのか.Questuraに届いているのに彼らが紛失した可能性もある.私は一年しかいないし,永住するつもりもないからそんなに深刻ではないが,多くの申請者はイタリアで生きていこうと滞在許可に人生をかけて望んでいる.そんな彼らにとっては,冗談では済まされない.

2010年11月4日木曜日

送ったはずの滞在許可申請書類が届いていない!(1)

久しぶりに滞在許可証問題.昨日は家内+子供の滞在許可の審査があった.もう思い出したくもないが,非常に苦労して郵便局での審査申請を終えたことは書いたとおりだ.あれからもう二ヶ月経っている.

Questuraの出頭時刻は朝9時だ.Questuraは環状高速GRAと高速A24号線がぶつかる当たりにあり,ローマ西部の我が家とは正反対だ.子供達を学校に送り届けてから行かなければならないので,遅刻は必至だ.案の定,道中はものすごい渋滞で,現地に到着したのは9時半過ぎ.のっけから「はぁ」というため息が出る.しかし,これは単なる波乱の幕開けに過ぎなかった.

私は前回経験しているので,ある程度勝手は分かっている.警備員に出頭書を見せると,「9時になったら呼ぶ」とのこと.やっぱり遅れているようだ.しばらくすると,警備員が「8時半!」と言う声が聞こえる.ところが誰も名乗りでなかったので,「9時!」となる.私たちは運良く警備員の近くにいたので,すぐに入ろうとする.今回の対象は私ではないので,私が入ろうとすると止められて,「本人しか入ることができない」と言われてしまった.「家内は英語もイタリア語も出来ないからサポートしたい」とつたないイタリア語で訴えると,結局は通してくれた.だったら最初から止めるな.

手荷物チェックを受け,審査会場のあるフロアーへ向かう.ロビーの窓口に出頭書を見せると,何故か郵便局が受け取ったはずの審査書類が届いていないらしく,「そのまま並んで」と言われる.仕方ないのでその通りにする.

夕方に行った私の時よりも待ち時間がなく,10分後には家内の順番になって審査が始まる.今回の審査担当は英語ができないようで,たまたまとなりの窓口にいた申請者が英語が出来るようで,間に入って通訳してくれた.ここから事態はとんでもない方向に進む.続きは次回.

2010年11月3日水曜日

ローマを再実感

昨夜に出張先の「東京」からローマに戻ってきた.たった四泊だったが,非常に濃密なスケジュールを過ごしたせいか,長い間ローマを離れていたかのような不思議な感覚だった.

Fiumicino空港に到着して,預け入れた手荷物をターンテーブルで待つ.それにしてもこの空港は,作業員がとろとろと仕事をしているのだと思うが,荷物が出てくるのに毎回ものすごい時間がかかる.今回も,ターンテーブルに到着してから40分くらいかかった.思わず「ああ,ローマに戻ってきた」と実感.

外に出てみるとものすごい豪雨だ.到着階で長期駐車場行きのバス停を探すのだが,サインがなってないので,その場所が全然分からない.仕方ないので,出発階にあるバス停に向かう.この旅行客に全然優しくない感じで,やはりここはローマだと実感.

10分くらい待ってバスが到着して乗り込む.このバスは駐車場→出発階→到着階→駐車場と巡回するので,次は到着階だ.ものすごい人が待っている.出発階から乗車したのは大正解だったようだ.ドアが開くと同時に乗客が殺到する.長い停車中に交通を妨げているので,後ろの車がクラクションを鳴らしまくる.ここでも「ああ,これがローマだ」と実感.

駐車場に着いたら料金の支払いだ.事前に33ユーロで予約しておいたはずなのだが,実際に支払機で決済すると69ユーロと表示.どうやっても33ユーロにならず,係員もいない.十分に疲れていたので,あきらめて69ユーロ支払って帰途につく.このぼったくられ感もまたローマならではだ.